論 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第9巻
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1. 西郷隆盛 第9巻

と、小松が首をかしげる。 「さよう、大攘夷論である。しかし、横浜を焼くとか長崎に斬込むとかいうような単純な攘夷論では ない。将来の大攘夷を目標とした進取開国策であったと僕は信じている」 「では、斉彬公においては、国内統一が先か、攘夷が先か」 「もちろん、国内統一が先決問題だ」 と、堀次郎が引取って断定した。 小松帯刀はひとりごとのように、 「なるほど、そのとおりであろうが、わが藩内において、斉彬公の開国進取の決策を理解している者 が果して何人あるであろうか」 「それはわが藩だけのことではない」 堀が応じた。「幕閣にも諸藩の有志にも朝廷の公卿にも、斉彬公の御大策の真意を理解している者は 絶無といってもいい。外夷恐怖症にかかって縮み上っている者か、しからすんば無鉄砲な攘夷即行論 者ばかりだ」 「しかし、大勢は攘夷即行論にかたむいているのではないか」 と、中山が言った。 「そのとおり。つまり浪士意見が天下を動かしているような形になっている。だから、わが薩摩藩が 斉彬公の開国進取策をとると天下に声明したら、理解されるどころかたちまち大混乱、世論囂々とし て朝敵扱いにされてしまう。ここ当分は、表向きだけでも、諸藩有志の攘夷論と歩調を合せておくよ つむ 110

2. 西郷隆盛 第9巻

ナカ : : 歌よみ文かくことは小 「国学者がみな勤皇家なら、本居宣長大人もお嘆きにならなかったろう。 事の一なり、神代の道を釈くことは大道の大道なり、然るにわが教え子数百人ありといえども、みな 詞華言葉のみを学びて、古学を出精し、大道をふみて教えを立てんとする者一人もなしとお嘆きにな かもんのかみ 「そういえば、井伊掃部頭も長野主膳も国学者だったな」 うもれぎや 「井伊は埋木の舎と号して、ひとかどの歌をつくった。言葉の勤皇ほど容易なものはない。幕府の走 狗と化した九条関白も酒井所司代も歌をひねる。奴らが国学者なら、俺は今日かぎり国学はやめた。 石谷村の百姓新七で結構だ」 石谷山人は有馬新七の号である。彼は今年の正月の長崎焼打計画が失敗して以来、伊集院の石谷村 に引っこんで、百姓をやっている。 長崎焼打というのは、大山格之助正円、美玉三平、是枝柳右衛門、毛利元真などの血の気の多い連 中が、大久保市蔵や堀次郎の自重論にしびれをきらして計画した突出策であった。幕府は外夷に対し ひょり てますます弱腰となり、久光は日和を見てさつばり腰をあげず、西郷は島から帰って来す、大久保は こそ・、 堀次郎や中山尚之介と同論して姑息な自重論に傾いてしまった。これでは久光の親論書はまったくの 空手形となり、薩摩の誠忠組は天下に対して面目がたたぬ。面目論は二の次としても、外夷四辺に迫 しか と

3. 西郷隆盛 第9巻

だが、柴山は新五左衛門にあてつけているのではなかった。彼は皮肉をいうような男ではない。皮 肉をいうくらいなら、相手をなぐりつける型の直情家である。新五の表情には気がっかず、柴山はっ づけた。 「御直論書の悪影響はそればかりではない。思い上った同志たちが、急に藩公御父子に対してなれな れしくなったことだ。誰も彼も上申書や建白書を書く。書くことはいくら書いてもいい。有馬新七さ んも書いたし、僕自身も書こうと思っている。だが、建白書は自己推薦状ではないのだ。真実に藩を 、皇国の運命を思うやむにやまれぬ心から出たものでなければならぬ。建白は通ったが、本人は 切腹を命ぜられたというような建白書なら本物だ。紋切型の勤皇出兵論や藩政改革論で藩公のお目に とまろうという性根がいかん。要するに藩公や久光公の御機嫌とりのような建白書が多い。同志には 内緒でぼつぼつお目通りを許される連中も出来て来たようだ。そんな連中はもうあつばれ天下の周旋 家気どりで、君公御父子には当りさわりのない議論を申上げ、側近の連中と結托して何かこそこそや り始めたらしい。何をやっているのか、永年の同志にも秘密だ。森山さん、彼らが何を計画している か、あんたも知るまい。僕も知らん。 これでは困るじゃないか。同志を踏台にした行為だ。有村 雄助と次左衛門の骨が地下で泣くだろう。党中党をつくっては、誠忠組はおしまいだ。それでなくと も藩論は分裂している。これ以上、分裂の素因をつくっては水戸の二の舞いだ。幾十幾百の志士が血 を流しても、挙藩一致して、天朝の御為におっくし申上げることはできない」 泣いているのかと思える柴山愛次郎の目の色であった。 若い新五左衛門は燃えるような目をして昻奮に肩をふるわせている。新蔵の方は腕組みをして、じ

4. 西郷隆盛 第9巻

中山が膝を乗り出すのを軽く受け流して、 「話の先をうけたまわろう」 と、吉之助はくりかえした。 「中上げよう」 中山は声を上ずらせて、「すでに大久保君からお聞きのことと思うが、われわれの方針は確定し、準 備は着々すすんでいるのであるが、一般の者はそれを知らず、いまだに水戸との盟約にこだわり、他 藩の有志に対する面目論をふりまわして、暴発論を唱えている者もすくなからずいる。だが、水戸は 桜田事変の失敗によって土崩瓦壊し、いまはまったく頼りにならぬほど無力化してしまった」 「中山さん、あんたは桜田の一挙を失敗と言われるのか」 「さよう、僕は失敗だと思う。暴挙にすぎないと思っている。久光公も同じ御意見だ」 「ほう、久光公も」 「水戸が崩壊してしまった以上、われわれは小藩の有志家や浪士の意見に左右されることなく、独立 独行して公武の周旋に乗り出すべきである。これも久光公の御意見だ」 「ほほう、それも久光公か」 「さよう、君臣一致した意見なのだ。このわかりきった意見がどうしてもわからぬわからず屋どもが、 まだわが藩にはすくなからずいる。大島君、君の役割は、このわからず屋どもを納得させて、わが藩 をして挙藩一致、勤皇の実を挙げしめることだ。できますか。大久保君は必ずできるという。目下の わが藩の藩論を統一できる者は、君をほかにしてはないという。だから、僕も、君の召還のために及 204

5. 西郷隆盛 第9巻

酔わぬ是枝柳右衛門が引きとめた。「飲むのも、 し力」 「そうだ。酔っては出来ぬ話だ」 美玉三平が酒のおくびを呑みこみながら合槌を打つ。 「では美玉、お前、話せ。われわれ三人は同論だ。誰が話しても同じことた」 伊牟田は盃を離さぬ。 「では、私がお話します」 美玉は酒気をおさえて膝を正し、「三人で今まで話し合って来たことですが、われわれの見るところ では、薩摩の藩論はまだ因循姑息の域を脱せず、はなはだ曖味模糊としております。この有様では、 たとえ来春藩公が大兵を率いて進発されても、京都にはとどまらす、そのまままっすぐに江戸に突き 抜けて、将軍の御機嫌を伺って、のこのこと帰って来ることにならないとも限らぬ」 「なるほど」 人 と、平野国臣がうなずく。 きんけっ 「われわれとしては、何としても藩公を京都に引きとめ、禁闕を守護し、所司代及び彦根、大阪の軍憂 勢と一戦を交えしめる方策を講じておかねばならぬ。三千の精兵を率いて、将軍に頭を下げに行った同 章 のでは何にもならない」 七 第 「さよう、その通り」 「そこで、御進発の前に、ぜひ藩論を激成して、藩公がいやでも京都にとどまらざるを得ないように ししが、その前にさっきの話をきめておこうではな

6. 西郷隆盛 第9巻

「斬れッ ! 」 有村俊斎が次の間の襖のかげから乗り出して来て、 「まあまあ、ちょっと待ってもらおう。斬るのは易い。誰も命を捨ててかかっているのだ。いま大久 保を斬れば、大切な同志を一人失うのみか、藩庁にわが党弾圧の絶好の口実を与える。大事はここか ら破れるそ」 「有村、それでも貴様は雄助、次左衛門の兄か」 田中謙助の声であった。 「よこッ 俊斎が片膝を立てかけると、 「恥じろ、恥じろ。有村、君はさっき大久保を斬ると言って出かけたのじゃなかったか」 と、柴山愛次郎がどなった。 「俊斎、待て」 大久保が言った。「この問答は俺がする」 「くそったれ、変節改論の自重論、もう聞く耳は持たぬ」 と叫ぶ者があった。 「けがらわしい、帰ろう」 「帰るそっ」 どかどかと三、四人、立上って廊下に出た。

7. 西郷隆盛 第9巻

すべからず、天下は乱れに乱れるであろう。 この説明は重野安釋にはよくわかったらしいが、中央の政治事情を知らぬ木場伝内には少し悲観論 にすぎるように思われた。かならずしも水戸に頼らず、薩摩独力でも天下を動かすことができるので はなかろうかと尋ねると、吉之助は次のように答えた。 「国内の問題だけだったら、自分もこれほどには心配せぬ。だが、現在の日本は四方八方から猛獣に 狙われている鳥籠のようなものた。内輪の政治にちょっとでも隙ができると、その虚に乗じて英・米・ 仏・蘭・露の兵力が襲いかかる。このことは藤田東湖先生も斉彬公も夙に強調しておられたことであ り、林子平や高野長英などの常に憂えていたところだ。現在のところ真っ先に手を出すのはイギリス とうぜん だと思う。この島にいても、イギリスの強猛な東漸の勢いはひしひしと身に感ぜられる。印度を減ぼ ジャワ マライ し、爪哇、馬来を奪い、清国を制圧したイギリスが、次に手を出すのはわが日本島である。開国か鎖 国かという議論は末の末だ。いかにして東洋に迫る西洋の力をくいとめ、日本を守護するかが問題の 根本だ。この大見地に立たぬかぎり、どんなに耳ざわりのいい改革案を説いてまわろうが、すべて固 ろういんじゅん 陋因循の論と言わなければならぬ。決して単なる内政間題ではないのだ。いつもアームストロング晴 砲の砲門を目の前において考えをめぐらさねばならぬ。それを思うとまったく夜も眠られぬ。鋼鉄艦 の大砲を一発打ちこまれたら、日本国内は七花八裂、諸藩といわず朝幕といわず、日本臣民が錦旗の冬 もとにかたく一致結東して外敵を撃攘するというところまでは、まだまだ立ち到っていないのだ。自章 分が心を労しているのは、このことだ。悲観論と言われてもいい。深い憂いのないところには、決し第 て真の改革、根本の維新はあり得ない」 っと 1

8. 西郷隆盛 第9巻

思いがけぬ変事がおこるかもしれない。僕は江戸に行き、中山君は京都に行く。大久保君にもいずれ 藩外に出てもらわねばならぬから、四人はばらばらになるわけだ。今ここで確固不動の方針をたてて おかないと突発事件に善処することができぬ」 「そのとおり」 と、中山尚之介がうなずいた。 「確固不動の方針とは区々片々たる世間の与論に動かされぬ方針のことだ」 堀は言 0 た。「僕の見るところでは、現在天下を動かしているように見える与論は浪士の間から発し ている」 「浪士の ? 」 小松帯刀が首をかしげて、「浪士の勢いがそれほど強いのか」 「強い。少くとも強そうに見える。彼らの無鉄砲な攘夷論と暴発論は京都の公卿の間にまでしみこみ はしめている。わが藩の若い連中にも、浪士の影響が次第に顕著になりつつあることに、君は気がっ 、刀、濵し、カ」 「浪士であるかどうかはしらぬが、わが藩の中でも、平田門人の一派はなかなか激しい意見を持 0 て いるようだが : 「平田学も学問の仮面をかむった浪士意見だ」 106

9. 西郷隆盛 第9巻

「平野さん、あんたはわれわれが大久保と同論だと思っておられるか」 有馬新七は開きなおって、「大久保が何を話したかは知らぬが、大久保の意見を聞いて、あなたが安 心したというのは、われわれには理解できない。今の大久保は昔の大久保ではない。先年、あなたが この伊集院に来られた時にあった大久保はたしかにわれわれと同意見であった。だが、今はちがう。 われわれが変ったのか、大久保が変ったのか知らぬが、現在のわれわれは決して大久保と同論ではな し」 「ほほう、これは一囲 , 日い」 平野国臣は膝をたたいた。「そうとわかれば、私にも言いたし ことがある」 有馬新七の直言によって、はじめてお互いの心が通いはじめた。 そこへ、坂木六郎の心づくしの酒肴も運ばれて来たので、みなくつろいだ気持になり、今夜はここ ろゆくまで語ろうと一同膝をくずした。 都には 吹きも至らず火の国の 阿蘇が根おろし音のみはして 平野国臣は肥後で作った歌だと言って、有馬新七に示した。新七は苦笑して、 、ことがある。ぜひ聞いていただきたい 141 第七章同憂

10. 西郷隆盛 第9巻

で、合伝流免許の身でありながら、近ごろは農政の研究に夢中になり、二宮尊徳を崇拝して、「農政見 聞録」という著述まではじめた。 そんなわけで、石谷村で農政の実験のようなことをやっている有馬新七とはよく話が合う。 二宮尊徳は一部に誤り伝えられているような修身書風の小道徳家では決してない。少年の頃、四書 いつも小刀を突きつけながら読む。人が怪しんで尋ねると、「間違ったことを書い 五経を読むのに、 ど、こ、正しいことを言ってあるようだ」と答えたと てあったら切り取ってやろうと思っているが、ナしナし 。晩年には、「大学」の「温故知新」という言葉を解釈して、 ふるみち 故道の つもる木の葉をかき分けて 天照神の足跡を見ん という歌を作った。 『それ皇国固有の大道は今現に存すれども、儒仏諸子百家の書籍の木の葉のためにおおわれて見えぬ なれば、是を見んとするには、この木の葉の如き書籍をかき分けて、大御神の御足の跡はいずこにあ るそと尋ねざれば、真の神道を見ることはできざるなり』 という意味である。 ひすびたま その農政論も決して単なる勤倹努力主義ではない。産霊の精神にもとずく皇道経済論であって、激 これ