「それ、さう云ふ言ひ草がお前、親を馬鹿にすると云ふものだよ。折角お前の肩を持たうと思ったって、 傍から親を馬鹿にするやうな素振りがあっちゃ、わたしに腹を立たせるばかりちゃないか。」 きうもん かう云って、叔母は佐伯を振り返って、半分は賛成を求めるやうな、半分は實否を糺問するやうな口調で、 くら親の眼が曇っ 「ねえ謙さん、照子が萬事あれだから、わたしやほんとに手が付けられないんだよ。、 て居たって、お前さん達が何をして居るかぐらゐ、大几見當はついて居ますよ。いろ / \ と若い時分から 苦勞した年寄が見れば、とやかう隱し立てをしたところで、直ぐ判るんだからね。今となって別に叱言を 云ふんちゃないから、お前さんから正直な話を聞かして貰ひませう。」 「はあ、僕も大變叔母さんに御心配を掛けちまって、申譯がありませんが、そりや實際のところ、 本當を云はうか、自分でも十分に決心しかねて、佐伯は夜具の襟から首を出 咄嗟の場合、嘘を云はうか、 したが、照子が頻りと眼くばせをするので、忽ち膽玉を太くした。 ・ : 僕等は何の秘密もないんです。全く照ちゃんの云ふ通りなんです。」 「ふうん」と、叔母は不服らしく頷いて、よく中年の男がするやうに、小絞縮緬の羽織の袖の中で、片一 方の肘を突っ張った。此の際事實の眞相を捕捉しようとする慾望よりも、二人に輕蔑されまいとする努力 の方が、叔母の頭を占領して居るらしい 「そりやおッ母さんの方が無理だわ。昔の人は、男と女が仲好くしてさへ居れば、直ぐと疑をかけるけれ ど、つまり此の頃の若い人間の気持が解らないんだわ。年寄と云ふものは酸いも甘いも噛み分けた苦勞人 おほよそ 598
大山も何處 ~ 行くのだか、屹度散歩に出かけて了ふ。超然として他の連中とは關係なく、勝手に歸って來 て、飯を食って勝手に寢て、勝手に勉強して居る。 からあ 宗一も半分は大山の眞似をして、晝間自修室の空明きの時分に、せッせと讀書したり、小田原 ~ 送る手紙 したゝ を認めたりした。 「戀は人をして孤獨ならしむ。」 さう云ふ考へが彼には嬉しかった。強ひて淋しい所 ~ 身を置いて、美代子の事を考へながら、勉強をする。 ・ : 共れが無上の樂しみであった。 戀の手紙を書く。乃至井い瞑想に耽る。 一と月程の間に、汐風に染まった皮膚の色はすツかり剥げて、顏も手足もつや / 、と白くなった。日增し に肥えて行く肉附きを、時々湯上りの鏡にうっしてびた / 、と腕を叩きながら、彼は暫く自分の裸體に見 惚れてゐる事もあった。或る晩、宗一は運動のついでに、本鄕の唐物屋から小型の鏡を買って來て、それ を机の上に立てた。 「やあ、君い、ゝ物を買って來たね。」 杉浦は早速目をつけて、自分の顏をうっして見ながら、 「大分髯が生えたなあ。」 かうたん と、頤を撫で、、浩嘆するやうに云った。 土曜日曜に宗一が歸宅する時は、屹度途中まで野村が附いて來て、 「君、日本橋で鮨のうまいのは何處だらう。」 414
の願ひです。それで可哀さうだと思って下されば私の氣が睛れます。 えにし あ、怪しくも奇しきは縁なるかな。つい先頃は春子を慕って居た私、春子を捨て、了った私、それがあ なたに紹介されて、僅か半月も立たぬのに、此れ程彼の人を思ひ詰めるやうにならうとは。 今時分、植木店の家では暖かい電燈の下に姉弟が睦まじく膝を擦り寄せて話をし合って居るでせう。な つかしき淺川一家の人々よ。 しん Shizu-c1 】 an よ。 私は淋しい片田舍に、うす暗いランプの心を便りとして手紙を書いて居るので す。明日は朝早く戻ります。戀しい戀しい東京の地へ戻ります。 橘君、どうぞ此の物狂はしい手紙を笑止と思って讀んで下さい。せめて私の切なる戀を、あなただけで も知って居て下さい 文句は此處でほっんと終って居る。戀をせずに一日も生きて居られぬ人間は、佐々木ばかりではない。 「あ、私もかうして居られないのだ。」と宗一は思った。さうして、手紙を机に投げて、椅子に反り返りな : 美代子はどうして居るだらう。 がら長大息をした。美代子、美代子、 其の年の春、四月頃の事である。ちゃうど第三學期が初まった時分の或る日の夕方、山口が森川町の下宿 の二階でぼんやりと寢そべって居ると、そこへぶらりと橘が這入って來た。 「やあ失敬、大分待たせた。どうだいこれから出かけるかい。」 542
葵祭の後 葵祭見物の爲めに、東京から平出修氏や長野草風氏や、知人がドカドカと押し寄せて來て、二三日一緖に なって歩き廻ったので、すっかり疲れて了った。有名な祭りの前夜は先斗町に二時頃迄騒いで居て、翌く る朝七時頃に布團を飛び出し、出町の橋詰迄俥を走らせたが、ガラにない早起きをした爲めに頭がフラフ ラして充分の見物が出來なかった。祭の事は、いづれ東京に歸って、ゆっくり書く機會があらうと思ふ。 日記ももう大分長くなったから、今日は二つ三つ京都に就いての觀察談を喋舌って、此れでおしまひにす る積りである。 京都附近の景色は、靑葉の頃が最も好いと土地の人は云ふ。して見れば、私はまことに仕合せな時期を選 んで遊びに來たものである。惜しい事には途中ウッカリ名古屋で道草を喰った爲めに、僅か一日の相違で 島原の太夫の道中を見損なった。此の道中は毎年四月の二十一日に行はれるのだが、共の時分から五月半 の葵祭の頃へかけて見物に來るのが一番便利であらう。例の壬生狂言なども、此の間に行はれるのであ 東京は勿論の事、奈良へ行っても鎌倉へ行っても、過去の時代の面影は、跡方もなく現代の勢力の下に蹂 ドシドシ 躪されて了って居るが、京都は比較的此の憾みが少い。尤もつい近頃は、市有電車が始まって、 舊態が破壞されつ、あるから、京都の昔を偲ばうと思ふ者は、一日も早く遊覽に出かけるのが肝腎であ しゃべ 366
かよばんとう かう思って、宗兵衞はまだ通ひ番頭をして居る時分から、どんな工面をしても、忰を大學までやらせる決 心であった。幸に忰は去年の春、中學を優等で卒業して、夏には首尾よく一高の一部へ入學したが、あん まり勉強の度が過ぎたのか、十一月の始めにとうイ、肋膜を病んで、茅ヶ崎へ入院して了った。成績が好 ければ好いで、矢張り心配は絶えないものと、夫婦は共の當座莱が気でなかった。それでも宗一は運よく 今年の四月に退院が出來て、人の止めるのも聞かずに六月の試驗を受け、一學期の大半と二學期を休んで 居るにも拘らず、辛うじて二年へ進級させて貰ったのである。 一人息子と云へば、大抵入困らせの我儘者が多いのに、宗一は物心の付いた頃から、未だ嘗て兩親の仕打 ちに不滿を抱いたことはなかった。「さすが苦勞をしたゞけあって、彼のくらゐ道理の解った、行き屆い た入達はない。」とか、「よくもあんな似合の夫婦が揃ったものだ。」とか、世間に噂をされる通り父も母 も珍しく感心な、気だての好い人みであると思って居た。こんな結構な二た親に對して、彼は不孝をした くも出來なかった。 宗一が中學の五年生になった時分から、父は全然放任主義を取って、 。己達の若 「美代ちゃんは人の預り物だから仕方がないが、お前はもう萬事自分勝手にやって見るがい、 い時と違って、今の人間は立派な敎育を受けて居るのだから、馬鹿でさへなけりや、何をしたって大丈夫 かう云って、毫末も干渉がましい眞似はしなかった。本道樂の結果比較的多額の小遣ひを費消しようが、 友達と一赭に夜遊びをして遲くならうが、父は忰を十分に信じて疑はなかった。此の信用だけでも、宗一 、戔 ) 0 がうまっ ろくまく くめん 388
あくび しょまう せぎへきふ やがて、生徒監の合山敎授が、先輩に所望されて、十八番の赤壁の賦を吟ずる。長の音の強い美聲で、頗 ふゞき 1 」と云ふお國訛の俗謠を呻って、吹雪のやうな鼻息を吐く。漸く十時頃になると、諸先生を始め、諸先 輩がぼつりぼつり引き揚げて行った。 「諸君、此れから大いに飮まうぢゃありませんか。」 熊谷が餓鬼大將と云ふ格で、一座を見廻しながら號令をかけた。先生大分お隣へ酒をす、めたものと見え みづぎはだ て、仁科は眼のまはりをほんのり櫻色に染めて居る。成る程斯う云ふ座敷へ伴れて來ると、水際立った好 男子である。 「どうだい君、大分好い色をしてるぢゃないか。まア、一つやり給へ。」 時分はよしと、己と杉浦は仁科の膳部の前へどツかり腰を据ゑた。 「もう僕はソンナに頂けませんから : 「まアい、から飮むさ。時々熊谷から噂を聞きますが、君はえらい讀書家ださうだね。大に此れからやっ てくれ給へ。文藝部も僕等の時代には、ヒドク振はなかったから。」 など、、杉浦はお世辭を云ふ。 「仁科君はなか / \ 色男だね。失敬だがちょいと突ころばしと云ふ所があるよ。文藝部の委員なんぞには、 やさをとこ 一人ぐらゐ優男が居てくれないと、どうも奧床しくないものだ。」 おっ おくゆか ぎん おほい 321
あくび 大島まがひの紡績の羽織に獻上の小倉の角帶を締め、同じく小倉の袴を穿いて、大奮發で俥で乘りつけた。 「おい、仁科が來て居るぜ。」 と、待ちあぐんで居た杉浦は梯子段の上り端で、己の耳元へ口を寄せる。障子の隙間から覗いて見ると、 しほのや もう新戸部校長も來て居る。鹽谷教授も居る。大學の諸先輩の居列んだ末坐の方に、熊谷と仁科が隣り合 かしこ って坐って居る。杉浦と己は一番末坐の幹事席に長まり、熊谷と相呼應して仁科の右左から包圍する。 好い加減の時分に、杉浦がヌッと立ち上って、 「え、此れから開會いたします。」 と云った。さうして落ち着き拂って、純文藝と校風問題の關係や、校長閣下を始め、諸敎授諸先輩の「御 來會を光榮とする」ことや、「われ / 、菲才淺學の徒」が、折角委員に選ばれて、此の一年間遂に何等の ざんき 爲す所なかりしは、深く慚愧に堪へぬ次第や、大分長々しい挨拶をべらノ \ とやって除けた。 之に績いて、教授や先輩が演説を始める頃には、彼方此方で杯が動き出した。 「どうです、君も少しは行くでせう。」 など、 、熊谷は低い、陰險な聲を出して仁科にす、めて居る。 「早く敎師や先輩が歸って了はないぢや、仕事がやりにくいね。」 「ナニ直きに歸るだらう。あんまり先輩の傍なんかへ行って、チャホャしない方が宜からう : 己は杉浦と二人で、かう云ふ怪しからぬ相談をした。 大分酒が廻って來たらしい。大廣間の室気が煙草の煙で白く濁って居る。何處かの座敷でお客と藝者が一 これ にとべ あが ひさい さかづき 319
母は、半分仕事の方に氣を取られて居た。 「二時過ぎでせう。」 かう云ひながら、宗一は、見覺えのある自分の着物の布が、順々に張られて行くのを眺めて居た。板の上 に働いて居る母親の手先には、鮮かな光線がくつきりと落ちて、糊だらけの十本の指は、色こそ白けれ、 傷々しく節くれ立ち、ばっくりと肉の裂けた傷口に黒い線が入って、爪などはみんな短く擦り切れて居た。 戀は神聖だとか、生活の基礎だとか、單にロの先ばかりでなく、腹の底から考へを据ゑて居た宗一も、此 の手が暗示する堅實な力ある生命に對しては、比較にならぬ位、浮薄な輕佻な事のやうに感ぜられた。 彼は暫く物干の手すりに倚って、靑空の下に遠く連なる街々の甍を望んだ。其處からは久松町の明治座の 屋根だの、深川のセメント會社の煙突などがよく見えて、子供の折から彼の瞳孔に沁みついて居た。此の 物干から濱町界隈を俯瞰する時程、自分の幼い頃を想ひ出すことはなかった。 「あの時分から見ると、母も隨分年を取ったものだなあ。」 と、宗一は思った。 一方の手すりの外には、臺所の屋根がだら / \ と下って居て、半分硝子障子の開いて居る引窓の下に、流 し元のおえいの頭が見えて居た。彼は物干用の冷飯草履を穿いたま、、屋根の上へ下りて、みしみしとと 、、ぶき たん葺を踏みつけながら、一二間離れた二階座敷の自分の書齋のところまで傳はって行き、機械體操をす るやうに、身を躍らせて高い窓から部屋の中へ飛び込んだ。さうして、庭に面して綠側の方へ頭を向けて、 大の字に寢そべって了った。 きれ いらカ けいてう 460
へ入學した時分は大分席順も上の方で、一度は首席間近まで肉薄したものだが、卒業の際の成績はあまり かんば 芳しい方でなかった。 共の年の夏、首尾よく大學へ入って半年ばかりの間に、とう / \ 體を破してしまひ、明日はいよ / 、お正 月と云ふ大晦日の晩、己は懇意な皮膚病科の醫者のところへ、こっそりと忍んで行った。 「ふ、ん、君はいっから遊び出したんオ とうも此の間中から、髮の毛が薄いやうだと思って居た と、其の醫者。・ーーー先生は、己の頸筋を撫で、見たり、兩肘を揉んで見たりしながら云った。 てんふら 「何でも六七月頃から始めたんです。今迄一向気が付かなかったんですが、昨夜天麩羅そばとおかちんを 喰べてから、 ハ、ア此れは變だなと思ひました。」 「昨夜どころか、餘程前にやられてるんだよ。モウ第二期になってるからね。」 酒を飮むとなかノ ( 、開けた冗談を云ふ先生は、ビジネス、ライクな顏つきをして葉卷を燻らしつゝ、嚴 然と云ひ放った。 一體君は何度ぐらゐ遊びに出か 「別段いっ頃何處の女から、感染したと云ふ覺えはないんだらう。 けたんだい。」 しんでんしん 「何度だか、殆んど勘定し切れませんよ。いっ感染したと云ふ事もなく、恐らくは自然の間に以心傳心で、 相手の病毒が皮膚へ滲透したんでせう。」 己も澄まし込んで、こんな返辭をした。 おほみそか こは 324
よくやうとんざ 感激の深い言葉に抑揚頓挫を付けながら熱心な淀みのない辯舌で、佐々木は説教でもするやうに滾々と語 った。 「君はヲ 1 ヅヲ 1 スが大好きだッたが、 此の頃でも相變らずかい。新内流しと、ヲーヅヲースと孰方がい / 、ら 「僕は孰方も好きですよ。僕のやうな田舍者は、ヲ 1 ヅヲースの自然に對する瞑想や咏嘆の詩に、い 啓發されてるか知れませんもの。そりゃあね、僕だって、浦里時次郎のやうな悲劇に憧れることもありま すけれども、中學時分から感化を受けたヲ 1 ヅヲ 1 スの恩を忘れることは出來ませんよ。戀と自然とは、 孰方が孰方とも云へないだらうと思ふんです。」 るじゅっ 彼は自分が眞面目に考へて居るならば、どんな場合でも、誰の前でも遠慮會釋なく滔々と縷述するのが常 やじんれい で、臆病な小心な氣質の一面に、「野人禮に嫻はざる」、正直な田舍者の特長を備へて居た。 「それはさうと、君、いっかのⅡの話はどうなったい。」 默って相手の物語を聞いて居た宗一は、ふと何かを想ひ出したやうに、項を上げてかう尋ねた。 「あれですか、あれは大分話が進んで來ました。親父も承知してくれましたから、次第に依ったら結婚の 約東をするかも知れません。」 「それは好い鹽梅だね。」 と、宗一は心から友人の幸輻を祈るやうな眼つきをして、佐々木を見上げた。色の黒い、頑丈な佐々木の どッち 405