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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第10巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第10巻

谷崎潤一郎全集第十卷 定價一三〇〇圓 昭和四十二年八月二十五日初版發行 昭和四十八年七月十日普及版發行 著者谷崎潤一郎 發行者山越豐 印刷者白井倉之助 發行所中央公論社 東京都中央區京橋一一ー一 電話 ( 五六一 ) 五九二一 振替東京三四

2. 谷崎潤一郎全集 第10巻

ならないことを殘念に思ひます。いづれ國の者が歸ってから、又改めて都合のいい日をお打ち合はせし た上で、ゆっくりお邪魔に上りませう。その時は大いに御馳走になります。勝手を云って濟みませんが、 何卒惡くお思ひにならないやうにお願ひいたします。 先日京極で「南京情話」をやってゐました。僕は東京で一度見たことがあるのですが、あの支那服を着 て居られるあなたが好きで、又見に行きました。僕はあの寫眞の中のあなたのお顏が、一番・・・ー・ーーと云 っては惡いでせうが、非常に綺麗だと思ひます。あの支那服は實に美しい。寫眞そのものはあまり感心 出來ませんカ では左様なら。最近にお目に懸れることを重ねて希望いたします。翠香園と云ふ所は大變にいい所のや うにお話で想像して居ますが、あなたのお宅はどんな所にあるのですか、それを見せて頂ければ光榮に 存じます。 「美代ちゃん ! 」 一と通り眼を走らしてしまふと、再びそれを机の上へ置きッ放しにして、梯子段の下へ甲高く怒鳴った。 「美代ちゃん、フランネルを出してくれたかい ? それからあの、體を拭くから湯殿へ水を取って頂 裸體になって、白タイルの敷いてある流しへ降りて、冷めたいタオルで體中を擦りながら、彼女は今の手 ・「あなたのお宅はどんな所にあるのですか、それを見せて頂けれ 紙の文句を頭の中で繰り返した。 ヾゝ 0 352

3. 谷崎潤一郎全集 第10巻

「あの自動車も新聞記者の白靴のやうなものなんだな。」 彼はしょざいなく窓に凭れながら、そんなことを思ひつづけた。 「もとはフォ 1 ドでございましたが、近頃は有馬にもハドソンだの、ビヰックだの、大分いいカアが參り ましてございます」と、マネージャ 1 は自漫さうに云ふのだが、 爲介は有馬に逗留中、一二度訷戸へ出た ことがあって、そのノ 、ドソンにもビヰックにも懲り懲りしてゐた。名苅ま、、ゞ 月てカ恐らく中古の安物の車臺 を、月賦か何かで買ったのであらう。それへ乘せられて一時間も搖す振られると、胃が變になって必ず後 で頭痛を覺えた。のみならず彼はあの大阪の郊外電車の車室の中で、お客が子供に糞や小便をさせてゐる のを二度も見てから、その不作法にすっかり辟易してしまって、あれへ乘る気がしなくなった。東京にだ って不躾な乘客があるにはあるが、それでもまさかあんな光景に接することは出來なからう。 汽車は溪流に沿ひながら、幾つかのトンネルを出っ入りつする。ちゃうど爲介の向う側の、扇風器の風が 具合よくあたる所に二人の紳士が座を占めてゐて、窓の外を眺めながら頻と景色に感心してゐる。 その一人は大阪者で、一人は東京者であらう。 「どうだね君、此の邊の景色はちょっと變って居りやせんかね ? 東京ならば先づ鹽原か箱根と云った所 だらうが」 と、大阪者がさう云ってゐる。 「成る程、此りや絶景だね、これで全體大阪からはどのくらゐ離れてゐるのか知らん ? : 車で一時間半ぐらゐ、 : そんな近くにかう云ふ山や溪川があるのは意外だね」 : ははあ、竄 406

4. 谷崎潤一郎全集 第10巻

「いやだわ、あたし」 と、ナオミはにべもなく云ひました。 「此の暑いのにダンスなんか禁物だわ、又そのうちに凉しくなったら出かけるわよ」 「それもさうだね、ダンスは夏のものちゃないね」 さう云って濱田は、つかぬ様子でモヂモヂしながら、 「おい、どうするいまアちゃん もう一遍泳いで來ようか ? 」 「やあだア、己あ、くたびれたからもう歸らうや。此れから行って一と休みして、東京へ歸ると日が暮れ るぜ」 「此れから行くって、何處へ行くのよ ? 」 と、ナオミは濱田に尋ねました。 「何か面白い事でもあるの ? 」 あふぎやっ 「なあに、扇が谷に關の叔父さんの別莊があるんだよ。今日はみんなでそこへ引っ張って來られたんで、 御馳走するって云ふんだけれど、窮屈だから飯を喰はずに逃げ出さうと思ってゐるのさ」 「さう ? そんなに窮屈なの ? 」 「窮屈も窮屈も、女中が出て來て三つ指を衝きやがるんで、ガッカリよ。あれちゃ御馳走になったって飯 が喉へ通りやしねえや。 なあ、濱田、もう歸らうや、歸って東京で何か喰はうや」 さう云ひながら、熊谷は直ぐに立たうとはしないで、脚を伸ばしてどっかり濱へ腰を据ゑたまゝ、砂を 168

5. 谷崎潤一郎全集 第10巻

「それからまだよ、 へ引っ越して頂戴」 「無論さうする」 「あたし、西洋人のゐる街で、西洋館に住まひたいの、綺麗な寢室や食堂のある家へ這入ってコックだの ポーイを使って、 「そんな家が東京にあるかね ? 」 「東京にはないけれど、横濱にはあるわよ。横濱の山手にさう云ふ借家がちゃうど一軒室いてゐるのよ、 此の間ちゃんと見て置いたの」 私は始めて彼女に深いたくらみがあったのを知りました。ナオミは最初からさうする積りで、計畫を立て 、、私を釣ってゐたのでした。 二十八 さて、話は此れから三四年の後のことになります。 私たちは、あれから横濱へ引き移って、かねてナオミの見つけて置いた山手の洋館を借りましたけれども、 だん / \ 贅澤が身に沁みるに從ひ、やがてその家も手狹だと云ふので、間もなく本牧の、前に瑞西入の家 族が住んでゐた家を、家具ぐるみ買って、そこへ這入るやうになりました。あの大地震で山手の方は殘ら ず燒けてしまひましたが、本牧は助かった所が多く、私の家も壁に龜裂が出來たぐらゐで、殆ど此れと云 もうさうなったらこんな家にはゐられないから、もっと立派な、ハイカラな家 ほんもく 298

6. 谷崎潤一郎全集 第10巻

の考では、自分は最早や都會の室気が厭になった、立身出世と云ふけれども、東京に出て唯徒らに輕佻浮 華な生活をするのが立身でもなし、出世でもない。自分のやうな田舍者には結局田舍が適してゐるのだ。 自分はこのま、國に引っ込んで、故鄕の土に親しまう。そして母親の墓守をしながら、村の人々を相手に して、先祖代々の百姓にならう。と、そんな氣持にさへなったのですが、叔父や、妹や、親類の人々の意 見では、「それもあんまり急な話だ、今お前さんが力を落すのも無理はないが、さればと云って男一匹カ 母の死のために大事な未來をむざむざ埋めてしまふでもなからう。誰でも親に死に別れると一時は失望す るものだけれど、月日が立てばその悲しみも薄らいで來る。だからお前さんも、さうするならばさうする で、もっとゆっくり考へてからにしたらよからう。それに第一、突然罷めてしまったんでは會社の方へも 悪いだらうから」と云ふのでした。私は「實はそれだけではない、 まだみんなに云はなかったが、 女房の 奴に逃げられてしまって、 : 」と、つい口もとまで出ましたけれど、大勢の前で耻かしくもあり、ご たごたしてゐる最中なので、それは云はずにしまひました。 ( ナオミが田舍へ顏を見せないことに就いて は、病気だと云って取り繕って置いたのです ) そして初七日の法要が濟むと、後々の事は、私の代理人と して財産を管理してゐてくれた叔父夫婦に賴み、兎に角みんなの云ふ言を聽いて一と先づ東京へ出て來ま した。 が、會社へ行っても一向面白くありません。それに社内での私の氣受けも、前ほど良くありません。精勵 かくきん 格動、品行方正で「君子」の仇名を取った私も、ナオミのことですっかり味噌を附けてしまって、重役に も同僚にも信用がなく、甚だしきは今度の母の死去に就いても、それを口實に休むのだらうと、冷やかす けいてうふ せいれい 258

7. 谷崎潤一郎全集 第10巻

い生活が辛抱できない。それに生れつきの享樂主義者で、怠け者で、仕事をするのが大嫌ひなところ ~ 、 幸か不幸か遊んでゐても食ふには事を缺かなかったもんだから、暇さ ~ あれば歡樂を趁ふ夢ばかり見てゐ た。僕はしきりに都會にれた。東京までは行かれなかったが、何とか彼とか用事を作っては時々京大阪 ~ 出かけて、祇園や新町で金を使った。尤も僕は藝者遊びには飽きてゐたんで、絶えず新しい歡樂を求め て已まなかったが、常時はそんなことより外に許されなかったし、半分はヤケも手傳ってゐた。ところが そのうちに母親が死んで、眼の上の瘤がなくなってしまった。ロやかましい親類はあっても、もう恐い者 さあさうなると急に體がウヅウヅし出した。もう何處へでも自由に行かれる ! そして面 は一人もない。 ずっと前から行きたい / 、、と思ってゐ 白い國があったら日本へなんか歸らずともい、 ! 僕はとう / \ 、 た巴里へ行くことにきめてしまった。 「君も知ってゐる通り、今日の僕は日本人でありながら殆ど西洋人の生活をしてゐる。大體僕の生活と云 ~ ば酒と女に對する趣味が全部を占めてゐるやうなもんだが、日本の酒や日本の女は大嫌ひだ。一から十 まで極端な西洋崇拜だ。今考 ~ ると僕が斯う云ふ傾向を持つやうになったのは、そんな田舍の舊家に育っ て、古い習慣に壓迫された反動もあるだらう。それから一二度、東京時代に或る惡友の紹介で横濱 ~ 行き、 白人の歡樂境を覗いたせゐもあるだらう。兎に角僕 話日本人にはめったに這入れない奇怪な夢の國、 の 永はその時分から几べての東洋趣味を呪った。ちゃうど柳生村のあの家の中が薄暗いやうに、東洋の趣味は 田皆薄暗い。雅致だの風流だのと云ふのは、天眞爛漫の反對のものだ。健康な人間、若い人間、一人前の生 活力のある人間のすることでなく、ヨボョボの老人などが、仕方がなしに詰まらない所 ~ 有難味を附けて 471

8. 谷崎潤一郎全集 第10巻

いた防水布、 あれによく似た地質であって、あれよりもっと入間の皮膚に近いやうなものたった。 彼は大阪神戸東京と、方々の店へ註文を發して、やっと五軒目に気に入った品を手に入れることが出來た 6 のであった。さうしてそれを縫ひ上げるのに、粘土で作った「原型」に就いたばかりではなく、腑に落ち ないところや分らないところは生きた「原型」に當て篏めても見た。彼は一と通り縫ひ上げたゴムの袋を、 わざわざ靜岡まで持って行って、 x x 樓の子の乳房に合はせて見たり、信州長野へ持って行って〇〇樓 の子の臀に合はせて見たり、東京淺草の子の肩や、京都五番町の子の背筋や、房州北條の女の膝や、 別府温泉の女の頸などに、一々合はせたのであった。 しかし私ま、彼。ゝ ( / 力いかにしてあの燃えるが如き唇を作り、その唇の中に眞珠のやうな齒列を揃へることが 出來たか。いかにしてあのつややかな髪の毛や睫毛を植ゑ、生き生きとした眼球を篏め込むことに成功し たか。いかにしてあの舌を作り、爪を作ったか。それらの材料は一體何から出來てゐるのかと云ふ段にな ると、ただ不可思議と云ふより外には想像もっかない。彼も「こいつは秘密だよ」と云って、ニャニヤ笑 ふばかりであったが、 その薄笑ひは私に一種云びやうのない、恐ろしい暗示を與へないでは措かなかった。 或る何かしら不潔なもの、物凄いもの、罪深いものから、此の材料は成り立ってゐるのぢゃないだらう か ? 私はさう思って戰慄した。話に聞いた、航海中の船員が慰み物にすると云ふゴムの人形なるものが、 實際あるとしたところで、此の半分も精巧なものではないであらう。或る程度まで人間に似せた袋を縫ふ だけなら、不可能なことではなからうけれども、此のゴムの袋は鼻の孔を持ち、鼻糞までも持ってゐるの だ。さうして全く人間と同じ體温を持ち、體臭を持ち、にちゃにちゃとした脂の感じを持ち、唇からはよ がんきう

9. 谷崎潤一郎全集 第10巻

も此の國にゐられやしないぢゃないか。兎に角船へ乘って見ろ、ちょっとでもい、から此の國の岸を離れ て見ろ、さうしたらお前はほっと安心するやうになる。お前の動季も訷經も直ぐに靜まる。欺されたと思 4 ってまあやって見ろ』 僕はぐ、ぐ、 誰かに袖を引っ張られた。日本へ歸るのはイヤだ / ( 、と思ふ一 方、『早く逃げろ、早く逃げろ』と後から追ひ立てるものがあった。僕は慌て、ゝ郵船會社の汽船へ乘って、 なかば 半は解放されたやうな、半は後髮を引かれるやうな心持で、デッキの上から隔たって行くマルセ 1 ュの港 を眺めた。 「君、君は覺えてゐるだらうが、僕が始めて小網町の『鴻の集』で君に會ったのは、明治四十一年の暮 だったらう。實を云ふと、僕はあの時日本へ着いたばかりだったのだ。僕は紳戸へ上陸すると、國の者に は知らせないで、眞っ直ぐ東京へやって來た。と云ふのは、僕の心には、まだ何となく東洋趣味に反抗す る気が殘ってゐたので、オメオメ故鄕へ歸ることを忌ま / \ しいやうに思ったからだ。僕は東京で二三の 知人に行き會ったけれども、誰も松永儀助であるとは感づかないので、暫く何處かの温泉地に隱れて體カ を養ひ、神經衰弱をすっかり直してしまってから、又何とかして西洋へ行かうと考へてゐた。さうして君 に會った時に、僕は始めて『友田銀藏』と云ふ出鱈目の假名を名乘った。ところがその後、僕の健康は少 しも次復しないばかりか、ます / 、、惡くなる。食慾は減り、色慾もだんノ ( \ 起らなくなり、酒は一滴も飮 めないやうになってしまひ、一種の氣付け藥として用ひてゐたブランデーさへも、飮めば却って恐怖が增 して來る。あの年の暮から明くる年の秋にかけて、或る時は箱根、或る時は伊香保、或る時は別府と云ふ 風に、僕は方々の温泉を經めぐり、しまひにはもう入の知らない信州の山奥の湯の宿に籠って、一切の刺

10. 谷崎潤一郎全集 第10巻

もじっとがまんを致し居り候へども、實は長女妙子こと、昨年冬より肋膜をわづらひ、此の頃は重態に て今日明日の程も気づかはしく、折々熱に浮かされては一と目父に會はせてほしと申し候が不憫にて、 毎日途方に暮れ居り候。親戚の者は既に此の前の留守の時にも夫の行くへを搜し求め、又此のたびも或 は海外へ渡航せしにやと、その方面をも問ひ合せなどいたし候へども、更に何の手がゝりも無之、東京、 京都、大阪あたりにて、つひぞ似た人を見たと申す話も聞かず、尋ねても分る筈なしと申されし夫の言 葉を考へ合せて、不思議の思ひを致し候 それにつき、先年夫歸國の砌、荷物とては別に無之、全く着のみ着のまゝにて、たゞ小さなる手提鞄を 携へて參り、四年の後に再びその鞄一つだけ持ちて旅立たれ候。田舍にて暮し候間は、もちろん嚴重に 保管いたし、他人は堅く手に觸れぬゃう申し聞かされ屠り候ところ、實は私こと、夫の秘密を探りたし とには候はねども、何とも合點の參りかね候ふしる \ 有之、相濟まぬこと、は存じながら、たゞ一度、 鞄の中をそっと改めしこと有之候。中には紫水品の石を篏めたる男持ちの金の指輪と、友田と刻したる 印形と、葉書一枚有之候て、その外には、西洋にて集め候品にや、外國の婦入の、誠にいかゞはしき風 俗の寫眞數十葉を發見いたしたるのみに候。葉書の方は、受取入は東京市京橋區銀座尾張町三丁目カフ 丿ベルテ方、友田銀藏様と有之、さて發信入は、あなた様のお名前になり居り候。葉書の文言は、 一昨夜は失禮しました、例の件はどうなりましたか、御返事をお待ち申しますと云ふやうなることを、 ペン字の走り書にて記され、大正二年五月七日の日附ありしと、今に記憶いたし居り候。私こと、あな た様のお名前は毎々新聞雜誌などにて存じ上げ候へども、友田銀藏と中される方は存じ不申、又何故に、 414