立っ - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第11巻
320件見つかりました。

1. 谷崎潤一郎全集 第11巻

卍 ( まんじ ) ましてんけど、和服の時はいつでも着流しでしてん。此の寫眞では髪のせえで私より三つぐらゐ若うに見 えてますけど、ほんまは一つ歳下の二十三、 生きてをられたら今年二十四ですねん。しかし光子さ んの方が一二寸せえ高いでしたし、それに綺麗な人云ふもんは、自分では器量鼻にかけへんつもりでも、 やつばり何となう自信のある様子態度に現れるもんですやろか、それとも此方に引け目ありますとそない 見えますのんですやろか、その後親しいになりましてからでも、歳から云ふとわたしの方が姉さんであり ながら、いつでも妹みたいな気イしてましてん。 で、その時分、 と云ひますのんは、話前に戻りまして、まだお互にものも云はんといてました時分、 前に云ひましたやうなけったいな噂立ちましたことは光子さんの耳いも這人ってえへん筈あれしませんの んに、光子さんの様子はちょっとも前と變れしませんねん。わたしの方では疾うから綺麗な人や思て、噂 立ちません時分には、光子さんが通りなさると、それとなう傍い寄って行ったりしましてんけど、光子さ んの方ではてんと私やかい眼中にないやうな鹽梅で、すうッと通ってしまひはりますが、その通られた跡 の空気までが綺麗なやうな気イするのんです。もしも光子さんが例の噂聞いてなさるとしたら、なんば何 でも私云ふもんに注意しなされへん譯あれしませんやろ。イヤな奴ッちや思はれるか、氣の毒や思ひなさ そぶり るか、何とか素振に見えさうなもんですのんに、さつばりさう云ふ風しなされへんもんですから、私の方 も段々づう / ( 、しいになりまして、また傍い寄って顏のぞき込むやうになりましてん。すると或る日、お 午の休みに休憩所でばったり出遭ふと、いつでもすうッと澄まして通り過ぎてしまひなさるのんに、どう 云ふ譯やにツこりしなさって、眼ェで笑ひなさるのんです。そいで私思はずお時儀してしまひましたら、 ねえ うはさ 405

2. 谷崎潤一郎全集 第11巻

「いや、ほんたうに、笑ひ事ちゃないんですよ。」 「さあ、 さあ參りました。私が御案内いたします。」 ト 1 アに手を掛けながら、 刑事は一と足先に立って、廊下を二つ三つ曲った先の。 「どうぞ此方へ」 と、叮嚀にお辭儀をしたが、その叮嚀さに、やや嘲弄の気色が見えた。同時に後ろに靴の音が聞えて、 「やあ、水野さんですか、」 とさも心安さうな調子で云ひながら、もう一人紺の背廣の男が彼をその部屋へ押し込むやうにして這入っ て來た。色の靑白いキメの荒い、トゲトゲしく痩せた男で、彼は勿論こんな人物から「やあ、水野さん」 などと云はれる覺えなぞはないのである。 「夜分遲く御足勞をかけまして、飛んだ御迷惑で : が、水野はなぜか先のやうにすらすらと應酬することが出來ない。それは一つは此の男の變に不愉快な人 相のせゐかもしれないが、一つは部屋の中の狹い薄暗い、陰慘な壁の色のせゐでもあったらう。渡邊の方 が下役と見えて、その間に椅子を運んで來ると、上役の方は先づ横柄に自分が腰掛けて、 「まあ、お掛け」 と、水野にすすめた。 「それで早速なんですが、今夜突然御足勞を願ったのは、いっぞや御發表になった『人を殺すまで』と云 あれに關して少少お尋ねいたしたい事があるのです。詰まり問題の要點は、あの小説の主 ふ小説、 364

3. 谷崎潤一郎全集 第11巻

さう云はれると、びつくりして起き直って、急にいつもの通りズボンの膝頭も窮屈さうにかしこまると、 今まで背中に當ててゐた座布團をまだ突っ立ってゐる水野の足もとへすすめた。 「どうだね、さっきの女の話は、 水野はうつかりからかひさうになって、気が付いて言葉を物みつぶすと、不機嫌極まる顏付きをして見せ ながら、すすめられた座布團の上へ傲然と据わった。さうして急にはロをきかなかった。實は頭がぼんや りしてゐて、何と云ひ出したらいいのだか言葉が見付からなかったのである。 「實に不愉快だな。」 一と言さう云ったきり、やつばり後の言葉が出て來ない。 「はツ ? 」 と、中澤は、水野の言葉を促す積りで、何事かわからないが、兎も角もひどく恐縮して見せた。 「留守のうちに、部屋の中を掻き廻した奴があって、書きかけの原稿が見付からないのだ、心覺えのやう なものではあるが、實に困る。」 「はツ。僕はお部屋へはお留守中踏み込みましたが、しかし」 「いや、何も君が掻き廻したとは云ふのちゃないがね、 それから一層横柄に績けた、 : かう云ふことがあるから僕は、無闇に人を自分の部屋へ人れるのがイヤなんだ。單に僕の偏屈な ためばかりちゃないんだ。人が見れば紙屑のやうなものでも僕にはどんな大事なものだか知れないんたか 274

4. 谷崎潤一郎全集 第11巻

過ぎた。彼はモナコへ行って見る氣になってゐた。びよっとするとそこでフロイラインを一と眼見る幸蓮 があるかも知れないからである。實際明日まで待ち切れない気持ちだった。モナコは一杯の人ごみだった。 醉ひ覺めでプレインソーダを一杯命じながらやっと片隅へ腰を下して何氣なく別の一隅を見ると、洋裝の 女が一人ゐる。洋裝が目立ったのでもしやフロイラインではないかと眼にとまったのだが、似ても似つか ぬ顏つきなのに、眼を轉じようとする瞬間にその女の傍にゐる中老人は、見ると同業の e 氏であった。 するとあの女が子だなと思った。向うでは気が付かぬらしいので顏ぐらゐは知り合ってゐるが知らぬ顏 をしてゐた。さうださうだタイガ 1 へ行けば Z 氏もゐさうな時間だなと思った。肝心のフロイラインは もとよりどこにもゐなかった。 今迄洋服と云ふものは着ようとも思ってゐなかったが、相手の女の事を思ふと、今度は自分も一つ洋服で も着てみようかと云ふ氣になったものらしく、自分でも気の付かぬうちに彼は或る店のウヰンドウの前に 立って、外套にでもするらしい派手なスコッチやホ 1 ムスパンのきれ地などが擴げられてあるのを視人っ てゐた。 「一着分三十八圓也 洋服と云ふものは案外安いものらしいぞ。その次ぎの窓は洋品店であった。女の肉色の靴下は彼女を想ひ 出させるのに痛切であった。彼は暫くそれを見てゐたがっかっかとその店の中へ這入って行った。 例によって用もないものを買ひたい衝動がばつばっ始まってゐたのだ。最初女に土産でもと思はぬではな かったが、気の利かぬものなどならばない方がい℃ 、とそれは止めることにした。ふと気が付いたのはステ 282

5. 谷崎潤一郎全集 第11巻

或るビルディングの六階にある齒科醫院。上手三分の二が治療室、下手三分の一が待合室。ド は上手側面の前方、印ち治療室の壁に、ドーアは待合室の下手側面にある。は普通の板のドーアで、締まってゐ るが、の方は、短い簀の子の彈ね戸にしてある。彈ね戸の向うに外の部屋が薄暗く見える。二室の境目には全然戸 がなく、待合室から治療室の樣子がすっかり窺はれる。後方に窓三つ。その二つは治療室に、一つは待合室にあって、 そこから眞晝の灼けつくやうな都會の展望ー・ーー無數の煙突、瓦屋根、ラディオのアンテナ、突兀たるコンクリート の建物などが炎天の下にキラ / 、、してゐる。 治療室の設備は極めて ( イカラで、アップ・トウー・デートである。中央程よき所に手術臺、はや・、上手に、 はや、下手に、觀客席の方に面して据ゑられてゐる。その他エンヂン、コントローラー、消毒裝置、ウォッシング・ スタンド、大小さまみ \ のキャビネット等、ガラスや金屬性の器物が白壁に映じてピカ / \ と光る。上手ドーアに 近く、倚り懸りのない長椅子一脚。下手前方待合室との境の所に受付係りのデスクと椅子。長椅子の傍と、後方の壁 と、受付係りの席のあたりに、間斷なく廻轉してゐる煽風器三臺。 待合室は中央にテープル。その兩側に椅子三四脚、正面と下手側面に長椅子。下手の壁に帽子掛けの臺。それに。 ( ナ マ帽一個、麥藁帽三個、ステッキ一本、地味な。 ( ラソル一本。テープルには新聞や週刊雜誌が載ってゐる。此處にも 煽風器が一臺、下手後方の隅に置かれた小卓の上で廻轉を績ける。 手術臺に六七歳の男の兒、その後ろに附き添ひの祖母らしい婦人が立ってゐる。 所時 第一場 夏の大都會らしい感じ 4

6. 谷崎潤一郎全集 第11巻

かいまあ / \ もうちょっと辛抱して、、 さしましてんと。 光子さんのその頃の気持、「ほんまのとこ自分にも分らん」云うてなさるのんですが、初めのうちはそな い云うて宥めといて、どないぞして切れてしまひたい思てなさったのんは確かですねん。會うたあとでは いつでも後悔しなさって、あ、、あ、、自分は仰山の女の中でも入に羨ましがられる器量持ってながら、 あんな男に見込まれるやなんて何ちふ情ない身の上やろ、もう / 、止めてしまひたい思ひなさるのんです けど、そら不思議と、又二三日も立つうちに自分の方から跡追ひ廻すやうになってしまふ。さうか云うて、 それほど綿貫戀しいのんか云うたら、精訷的にはえ、思ふとこ一つもない、顏見るのんさいムカムカする ゃうな気イして、卑しい奴ッちゃ、見下げ果てた奴ッちゃ、云ふ風に、お腹の中では常時激しいに輕蔑し てる。そいで毎日のやうに會うてることは會うてるけど、二人の気持シックリすることめったになうて、 いつでも喧嘩ばっかりして、、その喧嘩云ふのんが、自分の秘密人にしゃべったやろとか、いつまで待た す気イやとか、例のキマリ文句で、愚にもっかんやうなこと取り上げては疑ひ深いにちゃにちゃした口調 で云ひますのんで、 : 光子さんかて、そない厭がること用もないのんに人に話したら綿貫だけの耻や あれしませんし、そんなくらゐなこと云はれいでも分ってましてんけど、さうかてお梅どんだけには云は んちふ譯に行かんので云ひなさったのんを、「何で女子衆みたいなもんにしゃべった」云うて、その時ば つかりはえらい喧嘩になって、光子さんもちょっとも負けてんと、「あんたは僞善者や、云ふこと、爲る こと、まるきり違てるうそっきや。あて等のしてる事にほんまの戀愛らしいとこ此んだけもあれへん」と、 なだ なっとく : そゃなかったら死ぬより外に道ない云うて、やう / 、納得 510

7. 谷崎潤一郎全集 第11巻

か帳場の人に立ち會ってくれと仰っしやるので、旦那が仕方なくお連れ中しました。それもほんの机の上 を御覽になっただけでしたけれど。 畜生、何と云ふ無禮な奴だ ! 刑事みたいな眞似をしやがって ! もう何も彼もうそがバレてしまっ たと思ふと、極まりが惡いよりは口惜しかった。 「いくら立ち會ったからって、人の留守に部屋へ通すと云ふ法があるか ! おやぢに己が怒ってゐるとさ う云へ。それから己が歸って來たことは決して知らせてはならないんだから、帳場へ堅く念を押しといて か、きっとだぞ。」 這ふ這ふの體で下女が出て行った後で、立て續けに急須をしぼって、がぶがぶ六七杯茶を飮んでから、大 急ぎで布團へもぐってすつぼり頭から夜着を被った。ああは云ったが、隱し切れないで、今に中澤が來る んぢゃないか。 : なあに、まさかの時は度胸を据ゑちまへ。どうせ今度は書けないに極まってゐるん だから、晩かれ早かれ喧嘩しなけりゃならないんオ : ばんやりそんなことを考へる暇もなく、體が 深く沈んで行くやうな気持ちになって彼は五分と立たないうちに昏昏と眠った。 それから何分、 何時間ぐらゐ立ったのであらう、誰かが肩を搖す振りながらしきりに「もし、も し」と云ってゐるのを、半分夢で聞いてゐた水野は、それが自分を起してゐるのだとは判ってゐながら、 義理にも起きる気になれないほど睡かったが、 聲の方も強に、 「もし、 と云ってはだんだん強く搖す振るので、しまひにふっと眼を明くと、彼のどろんとした瞳に五十恰好の宿 256

8. 谷崎潤一郎全集 第11巻

白日夢 ド ク ト ノレ ドクトルの手術を受けてゐる。 紗の羽織に白上布、白足袋、 手術臺に和服の老紳士、 ドクトルは三十五六歳、色の白い、背の高い、髪の毛の濃い、面長の男。仕事着の下にスッキリとしたリンネルの。ハ ンツを見せ、白の靴下に黒の短靴。エンヂンを廻して、ドリルで老紳士の下顎の臼齒を擦ってゐる。ドクトルの顏は 無表情で、終始醫者的冷靜の態度を保つ。 手術臺の男の兒は自分の番を待ってゐる間、禪經質な、怯えたやうな眼つきをしてゐる。時々訴へるやうに祖母の 顏を覗き込み、手術臺の治療の様子を恐ろしさうに偸み視る。 にゆうばち 看護婦、 << は上手後方に立ち、乳鉢でアマルガムを擦る。は受付のデスクの傍に腰かける。二人とも美人で はないが、二十歳前後の、クリ / ( 、とした圓顏の女。趣味や感じがよく似てゐるので、一見した時、此のドクトルは 斯う云ふタイプが好きなのか知らん、と、そんな気持ちを起させる。顏にはお白粉氣が傚塵もなく、看護服は着てゐ るが帽子は被ってゐない。赭ッちやけた髮を引っ詰めに結ひ、袖を肘までたくし上げて肉感的な腕を露はし、短い裾 の下に逞ましい脛と、太い素足を出し、スリツ。ハアを穿いてゐる。その粘土色の皮膚が純白の服と對照されて蟲 ( 惑的 に見え、黒人の奴隷女を連想させる。此の二人もドクトルと同じく無愛想で、顏面筋肉は少しも動かない。全く機械 的に、人形のやうに立ち働く。 待合室には會社員風の男と丁稚が待ってゐる。會社員風の男は三十四五歳、アル。ハ力の上衣に白セルの。ハンツ、向っ て左側の椅子に腰かけ、卓上の新聞を讀む。丁稚は十五六歳のニキビだらけの少年、右の頬ッペたが夥しく張れ、顏 が醜く歪んでゐる。正面窓際の椅子に靠れて、脹れた所を氣にしながら、そうッと手をあて、おさへてゐる。 暫くの間舞臺無言。煽風器の音とエンヂンの響きのみジイ / \ と聞える。 ドクトル、コントローラーを蹴り、エンヂンを止める。 うがひ 一つ含嗽をして。 老紳士起き上って含嗽をする。 ドクトル、最初にアルコールを含ませた脱脂綿を、その後から乾いた脱脂綿を、二つ三つ老紳士のロに咬へさせる。

9. 谷崎潤一郎全集 第11巻

ずゐぶん今日は心配したりわくわくしたり、手の内の玉を拾ったと思ふと落したり、いろいろに運命が變 った日だが、何もかも此れが最後の努力だ。あの車が驛へ着いて、女が電車へ乘り移るまでに首尾よく此 方が行き着けるかどうかで一切が極まる。此れが今日の總決算オ : さう思ひながら水野は一生懸命 に駈けた。痩せてひょろひょろしてゐるので、駈けるには都合がいいのだけれど、和服に二重廻しだし、 それにいつでも室内にばかり閉ぢ籠って運動したことがないものだから、たまに走ると忽ち息が彈んで來 る。ものの二三丁も走った時分には、女の車はとうに見えないで、反對に彼の足の方がだんだんのろくな り始めた。彼はせいせい云ひながら、ときどき立ち止まって、今にも破裂しさうにドキンドキン響いてゐ る心臓の上をおさへた。それにもう一つ困ることは、彼の特別の體質なのか、息切れがするほど駈け出す と必ず吐き気を催すのである。室腹の時でもさうであるのに、 今夜は胃の腑へたくさん物が詰まってゐる のでなほさらたまらない。彼は走りながら、さっきのビタスが苦いおくびになって出るのを何度となく呑 み下したが、呼吸が迫って來るにつれ、しまひにはげえげえ喉を鳴らして、至るところの往來へたった今 喰べた酒や洋食をべつ。へっと吐いて行った。それがまた滑稽にも、吐いた物が一つ一つ、あ、ビフテキの 切れッ端が出た、ジンが出た、サラダが出たと云ふ風に、吐きながらちゃんと分るのであった。彼は銀座 の裏通りから有樂町の驛に至る何丁かの區間の鋪道の上に、ずうッと自分の通った所だけ五六間おきに痕 が殘るさまを想像した。實は夜の作戰上、大いに精力を養ふつもりでせいぜい脂っこい物を喰べて置いた ・ : 大方あの女は のが、お蔭でみんなフィになりはしないかと思ふと、それもなかなか心配であった。 ・ : 夜は書間ほど頻繁 横濱らしいが、櫻木町行きは何分置きに出るんだらう。五分置き ? 十分置き ? ・ 227

10. 谷崎潤一郎全集 第11巻

する暇があったら、ジレットでも買って置けばよかった。 「君、風呂へ這人る前にちょっと顏をあたりたいんだが、このホテルに床屋はないかね ? 」 彼はポーイを呼んで尋ねた。 「さあ、床屋はございませんですが。」 「安全剃刀はないかしらん ? 」 「剃刀もございませんですが、丸ビルへ參ったら賣ってをりませう。お入用なら買って參ります。」 「ぢや、大急ぎでジレットを買って來てくれたまへ。」 ボ 1 イに五圓札を渡すと、彼はべッドから彈ね起きて、部屋の中を落ち着かない足どりで往ったり來たり しながら、ときどき窓際へ寄っては空の色を覗いた。ふん己は四階建てのてつべんにゐるんだ。下界の奴 ばらとは人種が違ふ。中澤が何だ、前の女房がなんだ、あんな蛆蟲めらのことなんか眼中にあるもんかー 彼はビョンと一つ跳ね上がるやうな恰好をして踵でぐるぐると二三度廻った。 十二時迄には電車へ乘らなければならないし、その間に飯も喰ふとすると、時間は今からキッチリである。 彼は西洋風呂の中でジレットを使ひながら気が莱でなかったが、せはしないうちにも例の歡樂の門出に起 るいろいろな妄想が湧いて來るのを、いかんとも防ぎゃうがなかった。一時迄には櫻木町へ着く。すると それからどうしたらいいであらう。何 あの女が此の間の服を着て改札口に立ってゐる。それから ? か破天荒な遊びの方法はないか知らん ? 何にしてもあの本牧の家は餘りみじめだ。ああ云ふ女と戀をす るのにふさはしい、もっとハイカラな、もっと新鮮な、さうしてもっと花やかな背景はないだらうか。い 293