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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第13巻
276件見つかりました。

1. 谷崎潤一郎全集 第13巻

盲目物語 ざりま亠 9 。 おくがたはちゃうどそのとしの五月に若君をおうみなされ、さんごのおっかれで一と月あまりひきこもっ ていらっしゃいましたので、わたくしがしゞゅうこカ p 、、ゝ、はう申し上げ、お肩やお腰をさすりましたり、せ けんばなしのお相手をつとめましたりいたしまして、おなぐさめ申してをりました。左様でござります、 。ゝここはいたっておやさしうござりまして ながまさ公は御きしゃうはたけくいらっしゃいましたが、おくカオ : ひるはいちにち命をまとにはげしい働きをなさりながら、おくごてんへおこしになりますと御きげんよく ごしゅ 御酒をきこしめされ、何くれとおくがたをいたはってお上げなされて、お女中がたやわたくしどもへまで いくまんの敵がしろのぐるりをかこんでゐることもとんとお心に じようだんを仰っしやったりしまして、 とまらぬゃうでござりました。なにぶん大名がたの御夫婦仲のことは、おそばにつかへてをります者にも なか / ( \ わかりかねますけれども、おくがたはおん兄君と殿さまのなかにはさまれて胸をいためていらし ったのでござりませうし、ながまさ公の方はまた、それをいとほしう、いちらしうおばしめされ、かたみ のせまいおもひをせぬゃうにと、つとめておくがたの気をひきたて、いらしったのではござりますまいか。 さう云へばあのじぶん、御前にひかへてをりますと、「これ坊主、三味せんも、う面白うない、酒のさか なにもっとうきノ ( 、したことはないか、あの棒しばりを舞ってみせぬか」など、殿のおこゑがか、りまし て、 十七八は 竿にほした細布

2. 谷崎潤一郎全集 第13巻

武州公秘話 病気の黴菌は、たしかその前後に煙草と一緖に日本 ~ 渡來した筈だけれども、まだその頃は一般に知られ てゐなかったに違ひないから。 武州公の法師丸時代の逸話は此れで終るが、此の時の事について今少し「道阿彌話」を引用させて貰はう。 二の丸三の丸の敵の兵ども引き退き候時、河越甚兵衞しつばらひを致し候。味方すかさず本丸より打っ て出で、ひた / 、と喰着き候へども、人の不幸に乘ずるは武士にあるまじきことなり、彈正病氣とあら ば是非に及ばずとて、一閑齋味方を制し止められ候。城中必死の覺悟を極め候こと、て、皆々よろこぶ むしろ やぐら こと限りなく、此處彼處の櫓にて俄かに酒宴の莚を開き祝ひ濟に醉ひ候。かの入質の女どもは、その折 それがし まかりこし いづこへ參り候やらん。いづれも最早や埓明き候へば暇乞ひして在所へ罷越候にや。某かの娘の姿を今 一眼見んとて所々を搜し候 ~ ども遂に見ること叶はず、そのま、になり候。人に尋ね候 ~ ば、井田駿河 守の女てると申す者と申し候。さるにても籠城の折だにあらば又逢ふこともあらん、あはれ今一度寄手 おほせられ の來る時あれかしと願び候ことなりと被仰候 せうし 「籠城の折だにあらば又逢ふこともあらん云々」と云ふ少年の心は、八百屋お七にも似て甚た笑止 ではないか。 ばいぎん むすめ ららあ かはい」、ん 235

3. 谷崎潤一郎全集 第13巻

江州をいちゑんに切りなびけ、蒲生どの、、たてこもる日野じゃうへとりつめてまゐりました。勢州からは 北畠中將どのがそれをすくはうとおばしめされ近江路へ打って出られましたけれども、途中こ、かしこに 一揆がおこってなかノー、す、むどころではござりませんので、一時はまったくどうなることかとおもって をりますと、やがて三七のぶたか公と五郎ざゑもんのじようどのと一手になって大坂へ馳せのばられ、ひ うがのかみの聟織田七兵衞どのを討ちとったと申すしらせがござりました。ひうがのかみもそれをき、ま すと日野をあけち彌平次にまかせて十日に坂本へ歸陣いたし、十三日にやまざきのかっせん、十四日には もはやひでよし公三井でらに着陣あそばされ、ひうがのかみの首としがいとをつなぎあはせて粟田口にお いてはりつけになされました。さあそのかちいくさのひやうばんが又たいへんでござりまして、このかっ せんには三七どの、五郎ざゑもんどの、いけ田きいのかみどの、めんノ , 、ひでよし公とちからをあはせて おはたらきでござりましたけれども、なかんづく秀吉公は毛利ぜいとのあっかひをさっそくに埓あけ、十 一日の朝にはあまがさきへたうちゃくあそばされまして、そのかけひきのすみやかなることはまことに鬼 神をあざむくばかり。ひうがのかみは最初すこしもそれをしらずにやまざきへぢんを取りましたが、のち にひでよし公ちゃくぢんとき、ましてあわて、にんずをたてなほしたと申します。そんなしだいで自然ひ でよし公がそうだいしゃうにおなりなされかやうにじんそくにしようぶが決しましたので、にはかに御ゐ 語せいがりゅう / ( 、として御一門のうちに肩をならべるものもないやうになられました。 目きょすのおしろへもおひ / \ 上方から知らせがまゐりまして、まあともかくもひとあんしんとみな / \ よ ろこんでをられましたが、 そのうちにおんこの大名小名がたがだんノ ( 、、に駈けつけて來られました。もう かみがた あはたぐち らち 109

4. 谷崎潤一郎全集 第13巻

ゅびをわるくなされたせゐだと中します。それはとにかく、あのお茶々どのがおとしを召すにしたがって ふんべつがおっきなされまして、でんかの御ゐせいになびかれましたのは、まったく時代じせっとは申し ながら、御自分さまのおためにもけっこうなことでござりました。さればわたくしも、淀のおん方と申さ れるのはあさゐどの、一の姫ぎみだとき、ましたときは、どんなにうれしうござりましたことか。おふく ろさまがあのやうにいつも御苦勞をなされましたかはりに、えいぐわの春がこのお子にめぐって來たのだ、 どうか此のおかたゞけはおふくろさまのやうな目におあひなさらぬゃうと、たとひわが身はあるにかひな き世すぎをいたしてをりましても、こ、ろは始終おそばにはべってをりますつもりで、そのことばかりお いのり申してをりましたところ、そのうちにわかぎみ御誕生と申すうはさがござりましたので、もうこれ でゆくすゑまでも御運は萬々歳であらうと、あんどのむねをなで、ゐたのでござりました。それが、旦那 さまも御承知のとほり、けいちゃう三ねんの秋に太かふでんかゞおかくれなされ、ほどなくせきがはらの かっせんがござりましてから、またもや世の中がだん / , \ かはってまゐりまして、いちにち / \ と悲運に おなりなされましたのは、なんといふことでござりませう。やつばりおやのかたきのところへ御えんぐみ あそばされましたのが、亡きお袋さまのおばしめしにそむき、不孝のばちをおうけなされたのでござりま せうか。おふくろさまもお子さまも、二代ながらおなじゃうにお城をまくらに御生害なされましたのも、 語おもへばふしぎなめぐりあはせでござります。 ごちん 目あ、、わたくしも、あの大坂の御陣のときまで御奉公をいたしてをりましたら、お役にはたちませぬまで も、をだにのおしろでおふくろさまをおなぐさめ申しましたやうに何やかやと御きげんをとりむすび、こ ときょ 153

5. 谷崎潤一郎全集 第13巻

の城ぜめには柴田どのはじめみなノ \ 手柄をきそはれましたなれども、なかについて藤吉郎どのはばつぐ んの功をおたてなされ、のぶなが公もな、めならずおよろこびになりまして、小谷のおしろと、あさゐ郡 と、坂田ごほりのはんぶんと、いぬがみ郡とを所領にくだされ、江北のしゅごとなされました。そのをり 藤吉郎どのは、小谷のおしろは小ぜいにてはまもりがたいと仰せられ、わたくしのこきゃう長濱へうつら れまして、當時あそこは今濱と申してをりましたのを、このとき長濱とおあらためになったのでござりま す。 けさう それはとにかく、ひでよし公が小谷のおくがたに懸想なされましたのはいつごろからでござりましたか。 っ わたくしはおくがたがお城をおたちのきなされましたとき、「いっしょにつれて行ってやりたいが、い たんこ、をおちのびてからたよっておいで」と、有りがたい仰せがござりましたものですから、この身は すでになきものとかくごいたしてをりましたのがまよひのこ、ろをしゃうじまして、おのりもの、あとか らまぎれ出で、かっせんのしゞゅうを見とゞける迄いちにちふつかは町かたにかくれてをりましたけれど も、またおそばをしたうて上野守どの、御陣へあがりましたところ、気にいりの座頭であるからとおこゑ が、りがござりましたので、さいはひにきびしいおとがめもござりませんで、ふた、び御用をつとめてを ったのでござります。されば秀吉公がおこしなされましたをりにもたび / 、、お次にびかへてをつたのでご ざりますが、はじめて御たいめんのときは、御前へ出られますとはるかにへいふくされまして、「わたく しが藤吉郎にござります」とうや / \ しい御あいさつでござりましたので、おくがたもつ、ましやかに御 ゑしやくを返され、せんちんの骨折をおねぎらひなされました。ひでよし公は、「わたくし、このたびさ 」ほり

6. 谷崎潤一郎全集 第13巻

あぎちけっこく が、くはしいことは存じませぬけれ共、亡君のおん跡目相續のこと、明地闕國の始末についての御だん がふらしうござりました。それが何分にも御めい / \ に御れうけんがちがひますこと、て、なか / \ まと まりがっきませんで、引きっヾき毎日のやうに夜おそくまでおあつまりなされ、ときにはけんくわこうろ んにも及ばれましたときいてをります。まあじゅんたうに申しますれば三法師ぎみが御嫡流でいらっしゃ いまのばあひは北畠どのをおあとへすゑようと仰っし いますけれども、御幼少のことでござりますから、 やる方々もござりますし、そんなことで何や彼やとむづかしくなったのでござりませう。しかしけつきょ 柴田どのとひでよし公とがはじめから折りあひがあ く御家督の儀は三ばふしぎみにきまりましたもの、、 しく、ことみー、にあらそはれたやうでござりました。それと申しますのが、秀吉公はこんどの功勞第一の お方でござりまして、ない / \ こ、ろをお寄せなさるかた。 \ がをられますところに、かついへ公はお家 の長老でいらっしゃいますから、御連枝さまをのぞいてはいちばんの上席におっきあそばし、萬事につけ おちぎゃう て列座の衆へ威をふるはうとなされます。ことに御知行わりにつきかついへ公せんだんをもって秀よし公 へ丹波のくにをおあたへなされ、御じぶんはひでよし公の御本領たる江州長濱六まんごくの地をおとりな されましたのが、双方の意趣をふかめるもとになったと申します。なれどもこれはまあおもてむきでござ りまして、まったくのところは、御兩人ながら小谷のおん方にけさうしておいでなされ、どちらもおくが 語たをわが手に人れようとあそばしたのが事のおこりかとぞんじます。 物 目これより先にかついへ公は、きょすにおっきなされますとおくがたへお目どほりあそばされましてねんご その、ち三七どのヘみつ / \ におたのみなされましたとみえ、或る日 ろな御あいさつでござりましたが、 合 ごれんし 專斷 談 111

7. 谷崎潤一郎全集 第13巻

りゃうにはやくも眼をおつけなされ、ひとしれず思ひをよせていらしったのではござりますまいか。もっ たかね とも主人のぶなが公のいもうと御であらせられ、けらいの身ではおよびもっかぬ高嶺の花でござりました からまさかそのときにどうといふおつもりもござりますまいが、なにぶん此のみちにかけましたらゆだん のならぬ秀吉公でござります。みぶんのちがひと申しましても、うゐてん。へんは世のつねのこと、とり分 けえいこせいすゐのはげしいのは戰國のならはしでござります。さればながい月日のうちにいっかは此の おくがたをと、ひそかにのぞみをおかけなされましたやら、なされませなんだやら、えいゅうがうけつの こ、ろのうちは几夫にはかりかねますけれども、あながちこれはわたくしの邪推ばかりでもないやうな気 がいたします。 さう云へば萬丸どのを討ちはたすやうに仰せがござりましたとき、ひでよし公のたうわくなされかたは 尋常でなかったと申します。あればかりのわかぎみ一人おゆるされになりましたとて何ほどの事がござり ませうや、それより淺井どの、みやうせきをおつがせなされ、おんをおきせになりました方がかへって天 下せいひつのもとゐ、仁あり義あるなされかたかとぞんじますと、さまみ \ におとりなしあそばされまし たが、おき、入れがござりませなんだので、「しからばなにとぞ此のやくを餘人におほせつけくださりま すやう」と、いつになくさからはれましたところ、のぶなが公はなはだしく御きげんを損ぜられ、「その らざるかんげんだてをなし、あまっさへわがいひつけを 方こんどの功にほこってまんしんいたしたか、い しりぞけて餘入にたのめとは何ごとだ」と、きびしくおとがめなされましたものですから、しを / 、と退 出されまして、けつきよく若君を御せいばいなされたのだときいてをります。かれこれおもひあはせます

8. 谷崎潤一郎全集 第13巻

ったるぞ」との仰せに、「とかく老まういたしまして此の通りのしまつでござります」と申され、「いちめ ごちゃう いを許して取りたて、つかはさう」といふ御諚でござりましたけれども、「このうへはなんの望みもござ りませぬ」と申されてひたすらおいとまをねがはれました。「しからばせがれの新兵衞を世話してやらう」 とかさねて御ちゃうがござりましたときに、美作どの御子息しんべゑどのをか ~ りみられ、「いや / 、、、 御辭退申した方がよいぞ、殿にだまされてわるびれてはならぬぞ」と申されましたので、から / \ とおわ らひなされ、「老いばれめ、己をうたがってゐるな、そんなに己がうそっきに見えるか」と仰っしやって、 そのゝちほんたうに新兵衞どのをお取りたてになりました。 をつと 小谷のおくがたは夫ながまさ公御しゃうがいとおき、あそばしてから、一とまにとちこもられたきりにち / \ 御囘向をあそばしていらっしゃいますと、或る日のぶなが公がお見まひにおいでなされ、「たしかそ 養育 なたには男の子が一人あったはずだ、その子がたっしゃならわたしが引きとってやういくをして長政のあ とをつがせてやりたいが」と仰っしやるのでござりました。おくがたは最初、兄ぎみのこ、ろをはかりか わか ねて、「若はどうなりましたことやら存じませぬ」と申されましたが、「ながまさこそかたきだけれども子 をひ どもになんの罪があらう、わたしには甥になるのだからいとほしうてたづねるのだ」と仰っしやりますの で、さてはそれほどにおもって下さるのかとだん / \ 御あんどあそばされ、これ / \ のところにをります と、萬丸どの、かくれがをおもらしになりました。それでゑちぜんの國つるがごほり ~ お使者が立ちま きないのすけ して、木村喜内介 ~ 、わかぎみをつれてまゐるやうに仰せつかはされましたけれども、きないのすけは思 案をいたし、わかぎみは自分いちぞんを以て斬ってすてましたとおこたへ申しましたところが、その後も

9. 谷崎潤一郎全集 第13巻

がたいしあはせにぞんじます」 と中しましたら、 「尤ものねがひだ、き、とゞけてつかはす」 と、さっそくおゆるしがござりまして、 「小谷どのはおきのどくなことをしてしまったが、こ、にござるひめぎみたちはこれからそれがしが母御 にかはっておせわをいたさう。しかしいづれもずんと大きうなられたものだな。むかしそれがしの膝のう へに抱かれていたづらをなされたのは、たしかお茶々どのだったとおもふが」 と、さうおっしやって御きげんよくおわらひなされるのでござりました。 かういふわけでさいはひわたくしは路頭にもまよはず、ひきっゞき御奉公をいたすことになりましたけれ ども、じつを申せば、わたくしの一生はもう此のとき、天しゃうじふいちねん卯月二十四日と申すおくが たの御さいごの日にをはってしまったのでござりまして、をだにや淸洲でくらしましたやうなたのしい月 日はその、ちっぴぞめぐってもまゐりませなんだ。それと中しますのは、てんしゅに火をつけ裏ぎり者の てびきをいたしましたことを姫ぎみたちもおき、なされましたとみえて、しだいにおにくしみがか、りま して、なんとなくよそ / \ しくあそばすやうにおなりなされ、とりわけお茶々どのなどは、「この座頭ゅ ゑにをしからぬいのちをたすけられて、おやのかたきの手にわたされた」と、ときにはわたくしへきこえ よがしにおっしゃいますので、おそばにつかへてをりましても針のむしろにすわるおもひがいたしまして、 このくらゐならなぜあのをりに死な、かったかと、たゞもうなさけなく、とりつくしまのない身のうへを うづき 150

10. 谷崎潤一郎全集 第13巻

おしろをあけわたしてしまはれましたので、上方ぜいはうしほのごとくみの、くに、らんにふいたし、岐 阜のおしろにせめよせたのでござります。北の庄へもしきりに知らせがまゐりまして、櫛の齒をひくやう な注進でござりますけれども、十一月といふ極寒の折柄、そとはいちめんのおほゆきでござりまして、か ついへ公はまいにちくちをしさうに室をおにらみあそばされ、おのれ、猿めがだましをつたか、この雪で さへなくば、わが武略をもって卵を石になげるよりもやすく上方ぜいをもみつぶしてくれようものをと、 。ゝこまはら / ( 、あそばしますし、おそ お庭のゆきをさんみ、、に蹴ちらして齒がみをなされますので、おくカオ : ばの者はおそろしさにふるヘあがるばかりでござりました。羽柴がたのぐんぜいはそのまに破竹のいきほ ひをもってみのゝくにをたいはん切りなびけ、岐阜をはだかしろにしましたのがわづか十五六にちのあひ だのことでござりまして、三七どのもよぎなく丹羽どのをおたのみなされ降參を申し出られましたところ、 なにぶん先君の御連枝のことでござりますから秀吉公もかんにんあそばされ、しからば御老母をひとじち にいたゞきますと仰っしやって、おふくろさまを安土のおしろへおうっし申し、かちどきをあげて上方へ お引きとりなされました。 さうかうするうちに天正じふねんのとしもくれまして正月をむかへましたけれども、ほっこくはまだかん きがはげしく、雪は一向にきえさうもござりませぬし、かついへ公は「小癪な猿めが」と仰っしやるかと 語おもへば、「にくらしい雪めが」と・雪を目のかたきにあそばされ、いら / \ なされてをられますので、初 目春の御祝儀も型ばかりでござりましてそれらしい氣もいたしませなんだ。ひでよし公の方では、この雪の あひだに柴田がたの大名しゅうを御せいばつなさるおばしめしとみえ、年があらたまりますとふた、びた ごれんし 119