やかせてもらふのが此の世の中でいちばんたのしい、どうしてさういふ気になるのだか姉さんの白 ( を見る と自分のことなどはわすれてしまふといふのでござりました。何にいたせおせつかひといへばいへなくも ござりませぬがそれがみんな慾得をすてた姉おもひから出てゐることがわかってみればお遊さんも父もあ りがたなみだにくれるよりほかはござりませなんだ。お遊さんは初めはひじゃうにびつくりしまして私は そんな罪をつくってゐたとは知らなんだ、靜さんたちにそんなにされては後生がおそろしいといって身も だえして、でもそれならば取りかへしのつくことだからどうかこれからはほんたうの夫婦になるやうにと いひましたけれども何もこのことは姉さんに賴まれたわけではない、愼之助にしてもわたしにしても自分 たちが好きでしてゐることだからこの、ちどうなるとも姉さんは気にかけないで下さい、ついこんなこと をいひましたのが惡うござりました、何も聞かなんだ前とおもって下さったらようござりますといって取 り合ひませなんだのでそれからしばらくお遊さんは夫婦といきかよひすることをひかへる様子がみえまし たのでござりますが、三人の仲のよいことは親類ちゅうに知れわたってをりましたから角のたつやうなこ とはできませぬのでさうかうするうちに又兩方から近づいてしまひましてけつきよくお靜のはからったこ あんちょ とが味善う行ったのでムりました。左様でござります、それはたしかに、お遊さんの心のおくへ這人って みましたら自分で自分にゆひまはしてゐた埓が外れてしまったやうな氣持のゆるみができまして妹の心中 だてを憎まうとしても憎めなんだのでござりませう。それからのちのお遊さんはやはり持ちまへのおうや うな性質をあらはしてなにごとも妹夫婦のしてくれるやうにされてゐる、夫婦のはからびに打ちまかして こ、ろづくしを知ってか知らずかそのま、に受け入れるやうなぐあひになっていきました。父がおいうさ 482
「どうだかねえ」 おぼ 「ひどいわ ! あたしをそんな弱蟲だと思し召して ? 」 「ぢゃあ、あれが實際の死人の首だったら、そなた、自分で鼻を切る勇氣があるか ? 」 「え、、ありますとも。お久よりはあたしの方がずっと強いわ。實はもうちっと恐い思ひをさせて下すっ た方が、張り合びがあるんですけれど」 夫婦はこんな冗談を云ひ合った末に、どう云ふきっかけからか、入道首の扱び方が話題になって、 「さう云へば、そなた、あ、云ふくり / ( 、 坊主の首は、何處へ首札を附けると思ふ ? 」 と、河内介が云ふのであった。 「ほんたうにね、何處へ附けたらよろしいんですの ? 」 「あら、ちっとも恐いことなんかありませんわ」 「此の部屋に己がゐなかったらどう ? 」 「いらっしやらなくっても大丈夫よ。あんな、鼻の赤い首なんか、可笑しくなるばかりですわ」 「だって昨夜、己が剃刀を持って來いと云ったら、急に眞っ靑になったのは誰だったか知ら ? 」 「謔、謔、あんなことを仰っしやって ! 」 「いや、ほんたうだよ、お久よりもそなたの方が眞っ靑だったぜ」 「そりゃあ、道阿彌が可哀さうだったから、お止し遊ばせと云びましたのよ。恐かったんぢゃありません 320
たやうだったが、 その男はまたお前にわたして自分は火の中へとびこんでしまった。なか / \ かんしんな 奴だったが、あれはおれたちの仲間ではなかったらしい」と中されるのです。いったい「おれたちの仲 1 間」といふのはなんのことかとおもひましたら、上方ぜいがおくがたをうけとるために天守のちかくへし のびよって、てうろけんどの、あひづを待ってをりましたのださうで、いま此のところをこんなにぞろ ノ ( 、逃げてゆくのは、みんな裏ぎりの一味の者かさうでなければ上方ぜいのひとみ \ ばかりなのでござり ました。「しかしちくぜんのかみどのはせつかくいくさにお勝ちになっても、めざすおくがたに死なれて しまってはなんにもなるまい。朝露軒どのもあんなしくじりをやったのだから御前のしゅびがよいはずは どうせ生きてはゐられなかったよ」と、そのおかたはさう申されて、「それでもお前がこのおひい さまをおつれ申してゐるうへはいくらかめんばくが立つわけだから、おれはおまへにくつ、 いてゆくつも りだ」と、そんなことを云ひ / \ 手をひかんばかりになされますので、もうさっきからだいぶんつかれて はをりましたけれども、あへぎ / ( 、いっしよけんめいにはしってをりますと、よいあんばいに敵がたの足 輕大將がお乘りものをもっておむかへにまゐられまして、とりあ ~ ずそれへひめぎみをうっされ、 「座頭、おまへがおつれ申して來たのか」 と申されますから、 「さやうでござります」 と申して、いちぶしゞゅうをしゃうぢきにおはなしいたしましたところ、 「よし、よし、それならお乘りものについてまゐれ」 かみがた
んだやうなねばりを持っていらしったのは、あれこそまことに玉の肌と申すものでござりませうか。おぐ しなども、お産をしてからめつきりと薄うなったと、ごじ、んでは仰っしやっていらっしゃいましたが、 それでもふさ / \ とうしろに垂らしていらっしやるのが、普通のひとにくらべたらうったうしいくらゐた くせのない、。 とっしりとおもい毛 くさんにおありになって、一本々々きぬいとをならべたやうな、細い、 のたばが、さら / \ と衣にすれながらお背なかいちめんにひろがってをりまして、お肩を揉むのにじゃま になるほどでござりました。なれども、このたふとい上﨟のおみのうへもおしろがらくじゃうするときは どうなるだらうか。このたまのおんはだへも、たけなすくろかみも、かばそいほねをつ、んでゐるやはら かい肉づきも、みんなおしろのやぐらといっしょにけぶりになってしまふのだらうか。ひとのいのちをう かたをころすといふ法があ ばふことがせんごくの世のならひなればとて、こんないたいけなおうつくし、 るものだらうか。のぶなが公もげんざい血をわけたいもうと御を、たすけておあげなさらうといふおばし めしはないものか。まあわたくしのやうなものが、そんなしんばいをしましたからとておよばぬことでご ざりますけれども、えんあっておそばにおっかへ申し、なんのしあはせかめしひと生れましたばかりにこ のやうなおかたのおんみに手をふれ、あさゆふおこしをもませていたゞいてをりまして、たヾそれのみを いきがひのある仕事とぞんじてをりましたのに、もうその御奉公もいつまでだらうかとかんがへましたら、 このさきなんのたのしみもなくなりまして、にはかに胸がくるしうなってまゐりました。するとおくがた が又ほっとためいきをあそばして、 「彌市」 きぬ じゃうらふ 鬱陶
だけは別物のやうにかんがへてをりまして誰もさうするのがあたりまへだと思ってゐるといふやうなふう であったと申します。をばの言葉を借りますなら「お遊さんといふ入は德な入だった」と申しますので自 分の方からさうしてほしいといふわけでもなくまた威張ったり他人をおしのけたりするのでもござりませ ぬが、まはりの者が却っていたはるやうにしましてその人にだけはいさ、かの苦勞もさせまいとして、お 姫さまのやうに大切にかしづいてそうっとしておく。自分たちが身代りになってもその人には浮世の波風 をあてまいとする。おいうさんは、親でも、きゃうだいでも、友だちでも、自分のそばへ來る者をみんな さういふ風にさせてしまふ人柄だったのでござります。叔母なども娘のころにお遊さんのところへあそび にまゐりますとお遊さんは小曾部の家のたからものといったあんばいで身のまはりのどんなこまかい用事 にでも自分が手をくだしたことはなくほかの姉さんや妹たちが腰元のやうに世話をやくことなどがござり ましたけれどもそれがすこしも不自然でなくさういふやうにされてゐるお遊さんがたいへんあどけなくみ えたさうにござります。父はをばからそんな話をきゝまして一層お遊さんがすきになりましたがその、ち はつひぞよいをりもなくてすごしますうちあるときお遊さんが琴のおさらひに出るといふ噂を叔母がき、 ったへてまゐりましてお遊さんをみたければわたしが一緖に行ってあげるからと父を誘ったのでござりま うちかけ ゅや した。そのおさらひの日にお遊さんは髪をおすべらかしにして裲襠を着て香をたいて「熊野」を彈きまし た。左様でござります、いまでも許しものを彈きますときには特にさういふ儀式張ったことをする習慣が あるのでござりましてずゐぶんそのためには大袈裟な費用をかけるものなので金のあるお弟子には師匠が それをやらせたがるのでござりますが、お遊さんもたいくっしのぎに琴のけいこをしてをりまして師匠か 468
蘆刈 や姉さんはそんなことを望んでゐなさるはずがないからそれをきいたらきっとめいわくしなさるだらうと いひますとしかしあんさんがわたしをおもらひなされたのは私のあねときゃうだいになりたかったからで ござりませう、姉はあんさんの妹さんからそんなはなしをきいてをりましたので私もしようちしてをりま した、あんさんはずゐぶん今日までよいえんだんがありながらどれもお莱にめさなんだとやらではござり ませぬか、そんなにむづかしいお方がわたしのやうなふつゝかなものを貰ってくださいましたのはあの姉 があるゆゑでござりませうといひますので父はこたへることばがなくさしうつむいてしまひましたら、そ のいつはりのないお胸の中をひとこと姉にったへましたらどんなによろこぶかとおもひますけれどもさう してしまってはかへってお互にゑんりよが出るでござりませうから今はなにも申しませぬがわたしにだけ はどうかお隱しなされますな、それこそお恨みにぞんじますといひますので、なるほど、そなたにそれほ どの思びやりがあって來てくれたのだとは知らなんだ、そのこ、ろづくしは一生わすれますまいと父もな みだをながしながらそれにしてもわたしはあの人をきゃうだいとばかりおもふやうにしてゐるのだし、そ なたがなんとしてくれたところでさう思ふよりどうもなりゃうはないのだからなまじ義理だてをしてくれ るとあの人もわたしもそれだけ苦しまなければならない、そなたとしては面白くないこともあらうが、わ たしといふものがよく / ( \ 嫌ひでないのだったらこれも姉さんへの孝行だとおもってそんな水くさいこと をいはずに夫婦になってくれまいか、そしてあの人はわたしたち二人の姉さんとして敬っていくやうにし ようではないかといひますとなんのあんさんを嫌ってゐるの面白くないのとそんな勿體ないことがござり ませう、わたしはむかしから姉さんしだいでござりますから姉さんに気に入ってゐるあんさんなら私かて 475
らゐに驚くことはなからうから、そんなに耻づかしがるには及ばない、弓矢取る身に大切なものは容貌よ ざうさく りも精訷にある、顏の造作がちっとやそっと破損してゐても、それで主人を輕蔑するやうな不所存者は一 人もありはしないであらう、と、さう云ふ相談をして、恐るノ \ 殿の意中を探って見たりするのだが、一 度憂鬱症に取り憑かれた則重は、今度の事件からます / \ 因循に、臆病になって、何と云はれても人前な どへ出る料簡にはなれないらしく、強ひてす、めると、 「え、 、つるま、 あほびたへればはってにあほべ ! 己はろうひょうほよへいなおへわら ! 」 と、不機嫌さうにすうっと座を立ってしまふのである。 「聲はすれども姿は見えず」と云ふことはあるが、姿ばかりか聲までがこんなエ合に違って來て、人間の 言葉か動物の啼きごゑか分らないやうになってゐるのだから、それで家來たちに生きてゐる證據を示すこ とは容易でない。が、「何がなお氣睛らしの方法を」と、あまり老臣たちが心配するので、「それなら家中 心得のある武士共を集めて歌の會を催さう」と云ふことになった。尤も前々から、女中どもを相手に内輪 でさう云ふ催しをしてゐたのであったが、それを今度は、表座敷の書院の間 ~ 侍共を招いて、や、盛大に 開かうと云ふのである。これは桔梗の方の發案であって、織部正も和歌にかけては昨今大いに天狗になり しようよう かけてゐる矢先ではあり、殊に夫人の慫慂でもあるから、一も二もなくその議に同意した。老臣共も、催 話し物に事を缺いて和歌の競詠大會では、勝手が違び過ぎて近頃迷惑な次第だけれども、まあそんなことが きっかけで殿様の御気分が明るい方へ向ってくれ、、ば何よりであるからと、取り敢へず上意の趣を諸侍へ 武 中し傳 ~ 、「心得のある者」は身分の高下を問はず出席を差許す旨を一統 ~ 觸れた。 293
が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方へも來てゐないと云 ふんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、實は書間これこれだったと云ふ。外の兒たちは 1 云へば叱られると思ったんで、聞かれる迄默ってゐたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行っ て見ると、ちゃんと下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云ふことになって、そ れから泳ぎの達者な者が體へ綱をつけましてね、ガ 1 タロが出たら合圖をするから、さうしたら綱を引っ 張って貰ふやうに賴んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に 角その女の兒が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云ふやうにいくらでも釣れるんで、外の鈎には ちっとも寄って來なかったと云ふんですから、そこが不思議なんですよ。あ、さう、さう、さう云へば、 その前の日に、その女の兒の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかってゐるのを、たしかに見 た者があると云ひます。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちゃうどその家の上から 出てゐるんで、何かあの家に變ったことでもあるんではないかと思ってゐたら、その明くる日にさう云ふ ことがあったんださうです。でまあ、そのガータロのゐる淵の方へその漆かきは連れて行かれた譯なんで すが、なぜだか知れないが死なうと云ふことを考へて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやらうと思ひなが ら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって來るんださうです。それで暫く物蔭に 隱れて窺がってゐると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顏が見えるん で、中にはもう死んでしまった人なんぞが交ってゐるもんですから、をかしいなあ、あの伯父さんは死ん だ筈だのにまだ生きてゐたのかなあと、そんなことを考へながら待ってゐましたけれど、提灯の數が追び そっち
ぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくさういふ感じがしたんでせうな。で、まあ、家へ歸っ てもそれが気になって仕方がない、。 とうも狐がついたやうだから明訷さまへお參りをして來てくれろとお ふくろ 袋に賴んだりして、友だちなんかにもそんなことを云ってゐましたが、そのうちにとうとう床について、 飯も食はないやうになったんです。それで先生布團をかぶって半病入のやうにうつらうつらしながら、日 が暮れると云ふと、ああ、今夜あたりは狐が迎ひに來やしないかな、今にきっと來やしないかなと、心待 ちに待たれるやうな、妙にそれが樂しみのやうな莱持ちでゐると、案の定夜になってから友達のやうな男 が三入ばかり表へやって來て、「さあ、行こら」「さあ、行こら」と誘ふんださうです。尤も友達と云った って見おばえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらゐの小男で、法被を着て、木や竹の杖 をついてゐて、何か非常に面白さうに「行こら行こら」と云ふんですが、それを聞くと行きたくって行き たくってたまらなくなるんださうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘はれて はならないぞと思ってじっと我慢してゐると、友だち共は仕方がなしに歸ってしまふ。するとその後ろ姿 しつぼ に尻尾のやうなものがチラチラ見えるやうなんで、ああやつばり行かないでいい事をしたと、そのときは さう思ひながら、又あくる日のゆふがたになると、今夜も誘ひに來やしないかなと心待ちに待つやうにな る。さうするうちに果たしてやって來て「行こら行こら」と誘ふんですが、それがもう、さも面白さうな んで、ついうかうかと行きたくなるんださうですな。しかしその晩も一生懸命に我曼してしまったところ が、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖になってゐて、崖から向うは 一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びてゐて、ちゃうどその庭と畑とが同じ平面に がけ はっぴ 162
蘆刈 んのことをお遊さまと呼ぶやうになりましたのはその頃からでござりましてはじめはお靜とのあひだでお 遊さんのうはさをしますときにもうあんさんはあの人のことを姉さんといふのはおよしなさいと申します のでさまをつけて呼びますのがいちばん人柄にはまってゐるやうに思はれてさう呼んだのでござりました がいっかそれがロぐせになりましておいうさんの前で出てしまひましたらその呼びかたが気に入って二人 のときはさう呼ぶのがよいといふのでござりました。そしていひますのにはみんながわたしをたいせつに してくれるのはありがたいが私はそれをあたりまへにおもふやうに育てられてきてゐることを承知でゐて もらひたい、 いつでも人がたいそうらしく扱ってくれたら機嫌がよいといふのでござります。お遊さんの いかにも子供らしい我がま、の例を申しませうならあるとき父にもうよいといふまで息をこらへてゐてほ しいといって手を父の鼻のあなの前にかざすのでござりました。ち、はいっしよけんめいにがまんをして をりましたけれどもようこらへなくなりまして少しいきを洩らしましたらまだよいといはなんだのにとえ らくむづかり出しましてそんならといって指でくちびるをとぢ合はせたり、ちひさな紅い鹽瀨の袱紗を二 つにた、んで兩端を持ってびったり口にふたをするのでござりましたがさういふ時はいつもの童顏が幼稚 園の子供の顏のやうにみえて二十を越した人のやうにはおもへなんだと申します。またあるときはさう顏 を見んとおいてほしい、兩手をついて首をたれたま、かしこまってゐてほしいといひましたり、笑はんと ゐてごらんといってあごの下や横腹をこそばゆがらせたり痛いといふことを口にしてはならぬといってこ 、かしこを抓りましたりそんないたづらをしますのがいたって好きなのでござりましてわたしはねむって もあんさんはねむったらあかん、ねむくなったらじっとわたしの寢顏をながめてしんばうしてゐるがよい 483