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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第13巻
276件見つかりました。

1. 谷崎潤一郎全集 第13巻

」の庄のおしろが落ちました日から、いづれさうなるだらうとおもってゐたことでござりました。あのみ みけしき ぎり、ひでよし公はお市どのをうばひそこねてたいそう御気色をそんぜられたさうでござりますけれども、 わたくしが御前へ出ましたときは案に相違いたしましてすこしもそのやうな御様子がなかったばかりか かへってあり難いおことばをさへいたゞきましたのは、お茶々どのを御らんなされましてきふにおばしめ しがかはったのでござります。つまりわたくしがほのほの中でかんじましたのとおなじことをおかんがヘ なされましたので、えいゅうがうけつのこゝろのうちもけつきよくは几夫とちがはぬものなのでござりま せう。たゞわたくしはいったんのあやまちから一生おそばにをられぬゃうな境涯におちましたけれども、 太閤でんかはあのお方の父御をほろばし、母御をころし、御兄弟をさへ串ざしになされたおん身をもって、 いっしかあのお方をわがものにあそばされ、親より子にわたる二代の戀を、をだにのむかしから胸にひそ めていらしったおもひを、とう / \ お遂げなされました。いったいひでよし公はどういふ前世のいんねん でござりましたか、のぶなが公のおん血すちのかたみ \ をおしたひなされまして、まだこのほかにも蒲生 そうけんゐん ひだのかみどの、おくがたにのぞみをかけていらしったと申します。このおかたは總見院さまのおんむす め御でいらっしゃいまして、小谷どのには姪御におなりなされ、やはりお顏だちが似ていらしったと申し ますから、おほかたそれゆゑでござりましたらうか。わたくし、人づてにうかゞひましたのには、せんね ん飛騨守どのがおかくれなされましたとき、殿下より御後室さまへお使ひがござりまして、おばしめしを ったへられましたけれども、御後室さまは一向おき、いれがなく、かへっておなげきあそばしておぐしを おろされましたので、蒲生どの、お家が宇都宮へおくにがヘになりましたのは、そんなことから御前のし てゝ′」 がまふ 152

2. 谷崎潤一郎全集 第13巻

のに、ひでよし公はまんぶくまるどのを害されて、のち / 、 \ までもおくがたのうらみをお受けなさること がおつらかったのでござりませう。それもなみ / ( 、のころしかたでなく、くしざしにしてさらしものにせ よとの御ぢゃうとありましては、なほさらのことでござります。この役まはりがえりにえって秀吉公にわ せうし りあてられましたのは、笑止と申しませうか、おきのどくと申しませうか。こうねん柴田どのとこのおく がたの取りあひをなされ、こひにはおやぶれになりましたけれども、つひに勝家公御夫婦をせめほろばさ れ、生々よ、のかたきとなられましたのもこのときからのいんねんでがなござりませう。 當時わかぎみの御さいごのことはおくがたのお耳へいれぬゃうにと、のぶなが公のおこ、ろづかひがござ りましたので、たれいちにんも申しあげたものはないはずでござりますけれども、さらしくびにまでなり まして、しょにんのまなこにふれましたことゆゑ、うす / \ 世上のとりさたをおきゝこみになりましたか、 またはむしがしらせたと申しますものか、いっからともなくけはひをおさとりあそばしてきっと御しあん なされたらしう、それからは秀吉公がおこしになりますとかへってみけしきがすぐれぬゃうでござりまし わか た。なれども或る日、「ゑちぜんからはあれきりなんのたよりもないが、若はどうしたことかしらん、と かく夢みがわるいので氣になります」と、ひでよし公へおたづねになりましたので、「さあ、いっかうに 承知いたしませぬが、い まいちどおっかひをお出しなされましては」と、さあらぬていで申されますと、 語「でも、そなたが若をうけとりに行ったといふではないか」と仰っしやりましたのが、しづかなうちにも 目するどいおこゑでござりました。こしもと衆のはなしでは、そのときばかりはお顏のいろまでがまっさを にかはって、ひでよし公をはったとおねめつけなされたさうにござります。そんなことから秀よし公は御 せじゃう

3. 谷崎潤一郎全集 第13巻

と、一首の和歌をあそばされ、つゞ 夏の夜の夢路はかなきあとの名を くもゐにあげよやまほと、ぎす とあそばされまして、文荷さいどのがそれを一同 ~ 御披露におよばれ、「それがしも一首つかまつります」 と申されて、 ちぎりあれやすゞしき道に伴ひて のちの世までも仕へつかへむ とよまれましたのは、ときに取って風流のきはみと存ぜられました。それよりいづれも詰め所 ~ おひきと りなされ切腹のおしたくでござりまして、お女中がたやわたくしはおふたかたにおっきそひ申し上げ、い よ / \ 天守 ~ まゐりましたことでござります。もっともわれ / \ は四重までお供を仰せつかり、五重 ~ は 姫ぎみたちと文荷齋どのばかりをおつれになりましたが、 わたくしはいまがだいじのときとぞんじ、 五重 ~ かよふはしごの中途までそっとあがってまゐりまして、いきをこらしてをりましたこと、て、う ~ の御 樣子はもれなくうかゞってゐたのでござります。とのさまは先づ、 「文荷、そのへんをすっかりあけてくれ」 と仰っしやって、四方のまどをのこらずあけさせられまして、 「あ、、この風はこ、ちょいことだな」 と、あさかぜの吹きとほすおざしきに端坐あそばされ、 いてとのさまも、 140

4. 谷崎潤一郎全集 第13巻

たやうだったが、 その男はまたお前にわたして自分は火の中へとびこんでしまった。なか / \ かんしんな 奴だったが、あれはおれたちの仲間ではなかったらしい」と中されるのです。いったい「おれたちの仲 1 間」といふのはなんのことかとおもひましたら、上方ぜいがおくがたをうけとるために天守のちかくへし のびよって、てうろけんどの、あひづを待ってをりましたのださうで、いま此のところをこんなにぞろ ノ ( 、逃げてゆくのは、みんな裏ぎりの一味の者かさうでなければ上方ぜいのひとみ \ ばかりなのでござり ました。「しかしちくぜんのかみどのはせつかくいくさにお勝ちになっても、めざすおくがたに死なれて しまってはなんにもなるまい。朝露軒どのもあんなしくじりをやったのだから御前のしゅびがよいはずは どうせ生きてはゐられなかったよ」と、そのおかたはさう申されて、「それでもお前がこのおひい さまをおつれ申してゐるうへはいくらかめんばくが立つわけだから、おれはおまへにくつ、 いてゆくつも りだ」と、そんなことを云ひ / \ 手をひかんばかりになされますので、もうさっきからだいぶんつかれて はをりましたけれども、あへぎ / ( 、いっしよけんめいにはしってをりますと、よいあんばいに敵がたの足 輕大將がお乘りものをもっておむかへにまゐられまして、とりあ ~ ずそれへひめぎみをうっされ、 「座頭、おまへがおつれ申して來たのか」 と申されますから、 「さやうでござります」 と申して、いちぶしゞゅうをしゃうぢきにおはなしいたしましたところ、 「よし、よし、それならお乘りものについてまゐれ」 かみがた

5. 谷崎潤一郎全集 第13巻

と申されますので、かず / \ のぢんやのあひだを通りまして御本陣へお供いたしました。 お茶々どのはもう御気分もおよろしいやうでござりましたけれども、しばらく御きうそくあそばされお手 當てをおうけになっていらっしゃいますと、たゞちにひでよし公が御たいめんの儀を仰せ出だされ、ほか のひめぎみたちと御いっしょにお座所へおよびいれなされました。それはまあよいといたしまして、わた くしまでがおめしにあづかりましたので、おざしきのそとのいたじきにかしこまってへいふくいたします し J 、 「お、、坊主、おれのこゑをおばえてゐるか」 と、いきなりおことばがか、りました。 「おそれながらよく存じてをります」 とおこたへ申し上げますと、「さうか、まことに久しぶりであったな」と仰っしやって、 「その方めしひの身といたしてけふのはたらきは訷妙であるぞ。たうざのはうびになんなりとっかはした いが、のぞみがあるなら申してみろ」 じゃうしゅび と、おもひのほかの上首尾でござりますから、わたくしはさながらゆめのこ、ちがいたし 「おぼしめしのほどはかたじけなうござりますけれども、ながねん御恩にあづかりましたおくがたにおわ 語かれ申し、おめ / ( \ にげてまゐりました罰あたり奴がなんで御はうびをいたゞけませう。それよりけさの 目 ま、で 御さいごのことをかんがへますと、むねがいつばいでござります。たゞこのうへのおねがひは、、 どほりふびんをおかけくださりまして、おひいさまがたに御奉公をつとめさせていたゞけますなら、有り 149

6. 谷崎潤一郎全集 第13巻

「戔井のことをさほどにおばしめしてくださいますか」 っそうはげしくお泣きなされ、 と仰っしやって、 「わたくしはお供をさせていたゞきますが、そのおこ、ろざしにあまえ、せめてこの兒たちをたすけてや って、父の菩提をとぶらはせ、またわたくしのなきあとをもとぶらはせて下さいまし」 と仰っしやるのでござりましたが、こんどはお茶々どのカ え、おかあさま、わたくしもお供をさせていたゞきます」 と仰っしゃいましたので、お初どのも小督どのも、おなじゃうに「わたくしも / \ 」と右と左からおふく ろさまにおすがりなされ、およったりがいちどにこみあげてお泣きなされました。おもへばむかし小谷の いまは末の小が ときはみなさま御幼少でござりまして、なにごとも夢中でいらっしゃいましたなれども、 うどのでさへもはや十をおこえあそばしておいでゞすから、かうなりましてはなだめやうもすかしゃうも ござりませなんだ。さればずゐぶん御辛抱づよいおくがたもかあい、かたみ、、のおんなみだにさそはれて たゞおろ / 、と泣かれますばかりで、わたくし、じつに、十年このかたこんなに取りみだされましたのは っぴぞ存じませなんだことでござります。それにしましてもおひ / 、、時刻がうつりますこと、て、どうを さまりがつくだらうかとおもってをりますと、文荷さいどのがひざをおす、めなされまして、 語「おびいさまがた、御未練でござりますぞ」 物 目と叱るやうに申されておふくろさまとお子たちのあひだへ割ってはひられ、 「さ、さ、それではおかあさまのおかくごがにぶります」 一」、かにノ 143

7. 谷崎潤一郎全集 第13巻

肓目物語 と、こちらも合ひの手にことよせまして、「いろは」の音をもっておこたへ申したのでござります。もち ろんいちざのかたみー \ はたゞわたくしのうたといと、にき、ほれてばかりおいでなされ、ふたりのあひだ にこんなことばがかはされたとは知るよしもござりませなんだが、そのときわたくしはおくがたをおすく ひ申すについて、一つのけいりやくをおもひついたのでござりました。と申しますのは、こよひとのさま 御夫婦は天守の五重へおのばりなされてこ、ろしづかに御自害あそばし、それより用意の枯れ草へ火をつ ける手はずになってをりました。されば御自害をあそばすまへに、ころあひをうかゞって火をつけまして、 そのさわぎにまぎれて朝露軒どのゝ一味をひきいれましたなら、にんずをもっておふたかたのあひだをへ だてることも出來るであらうと、かやうにかんがへました次第でござります。 さても / \ わたくしは、めしひのうへにせいらい至っておくびやうでござりまして、かりにもひとさまを かんじゃ , 加 ~ あざむくことはよういたしませなんだが、てきがたの間者にかたんをいたしておしろに火をかけ、あまっ さへおくがたをぬすみ出さうとくはだてましたとは、われながらおそろしいこ、ろでござりましたけれど も、これもひとへにおいのちをおたすけ申したい、ちねんゅゑでござりますから、つまるところは忠義に なるのだとれうけんをきめてをりました。さうかういたしますうちに、みなさまおなごりはっきませぬけ とほでら れども、はつなつの夜のあけやすく、はや遠寺のかねがひゞいてまゐりお庭の方にほと、ぎすのなくねが きこえましたので、おくがたは料紙をとりよせられまして、 さらぬだにうちぬる程も夏の夜の わかれをさそふほと、ぎすかな れうし 139

8. 谷崎潤一郎全集 第13巻

きふに樣子がかはりまして肺炎になったのたさうにござります。で、子供といふものがあればこそたいせ つな人でござりますが子供が死んでしまひましたらちかごろよくない評判もあるしまたうばざくらといふ にさへ若すぎるとしだし旁、、これはや、こしいことがおこらぬうちに里へかへってもらった方がといふや うな話になりまして引き取るとか引き取らぬとかいろ / \ と又こみ入ったかけ合ひがござりましたすゑに 誰にもきずがっかぬゃうにゑんまんに離籍の件がまとまったのでござりました。さういふわけでお遊さん は實家へもどってまゐりましたが小曾部のいへは當時兄さんがさうぞくいたしてをりましたのであれほど 親たちが可愛がってゐた人のことでござりますし粥川家の仕打ちがあんまりだからといふつらあての気味 もござりましてそりやくにはあっかひませなんだけれどもそこは親たちがをりましたときのやうにはまゐ りませぬから何かにつけてゑんりよがあったことでござりませう。それに、小曾部のいへがきゅうくつで したらわたしのうちへきていらっしゃいとお靜がす、めましたけれどもさういふことをいひふらすものが あるあひだは愼しんだ方がよいからとそれは兄がとめました。おしづの説では兄は事によるとほんたうの ことを知ってゐたのではないかと申すのでござりまして或はさうらしくもおもはれますのはそれから一年 ほどたちまして再縁をす、めたのでござりました。相手は宮津といふ伏見の造り酒屋の主人でだいぶんと しうへでござりましたが粥川の家に出人りをいたしてをりましたのでお遊さんといふ人の派手なきだてを むかしから知ってをりまして、こんどっれあひに死なれましたについてぜひにといふのでござりました。 をぐら なんでもお遊さんが來てくれたら伏見の店などへはおいておかない、巨椋の池に別莊があるのを建て增し すきやふしん てお遊さんの気に入るやうな數寄屋普請をして住まはせる、それはノ ( 、ていちょうにして粥川にゐたとき 488

9. 谷崎潤一郎全集 第13巻

って塀に手をかけ、ひた / ( \ と乘りこんで來られましたので、ごいんきよもいまはこれまでとおばしめさ れ、ゐのくちゑちぜんの守どのにしばらく寄せ手をさ、 ~ させて、そのまに御しゃうがいなされました。 御かいしやくは輻壽庵どのでござります。鶴松太夫と申す舞のじゃうずもをりましたが、いつもお供をお ほせつかってをりましたおなさけにこんども御しゃうばんをさせていたゞきますと申して、おさかづきを いたゞいて、ごさいごをみとゞけてから、ふくじゅ庵どのゝ介錯をつとめ、じぶんはお座敷よりいちだん 下の板じきへさがって腹をきりましたさうにござります。そのほか井口どの、赤尾與四郎どの、千田うね めのしゃうどの、脇坂久ざゑもんどの、みなさま自害なされました。この御いんきょはおとしをめしてい らしったのにお氣のどくなてんまつでござりましたけれども、かんがへてみればすべて御自分がわるいの でござります。かう云ふはめにならないうちに、はやく長政公のおことばにしたがはれて朝倉どのをおみ かぎりなされたらようござりましたのに、おだどの、御うんせいをみぬく御がんりきもなく、よしないぎ りをおたてになってあへなくおはてになりましたのは、たれをうらむことがござりませう。そればかりか、 かっせんの駈けひき、出陣のしほどきについても、御いんきよらしく引っこんでいらっしゃればよいもの を、いち / \ 出しやばって長政公のごけいりやくをじゃまなされ、勝つべきいくさにおくれをとって、み 天魔波旬 す / 、、御運をにがしたこともいくたびだったでござりませう。おだどのがてんまはじゅんのいきほひを持 ってをられたからとて、ながまさ公のさいはいにおまかせになっていらしったら、これほどのことはござ 物 目りませなんだ。されば淺井のお家は、一代のすけまさ公、三代のながまさ公、ともにぶさうのめいしゃう でいらっしゃいましたのに、二代の久政公の御れうけんがったなく、御思慮があさかったばっかりにめつ 二 1 ロ

10. 谷崎潤一郎全集 第13巻

麾下 じよさい しみもあることだからこちらも如在には存ぜぬ、この、ち織田家のきかにぞくして忠節をぬきんで、くれ ごちゃう るなら、大和一國をあておこなうてもよいとおもふがと、ねんごろな御諚でござりました。おしろの中で はよいところへ扱ひがはひったと云ってよろこぶ者もあり、いやノ \ 、これは織田どの、ほんしんではあ るまい、妹御のおいちどのを助けだしておいてから、殿にお腹をめさせようと云ふ所存であらうと中す者 もあり、評議はまち / \ でござりましたが、ながまさ公は使者にたいめんあそばして、おこ、ろざしのほ ど忝く存じますけれども、かやうになりはて、何を花香と世にながらへませう、たゞ討死をとげるつもり ごぜん でござりますから、御前へよきなにお傳へ下されと仰っしやって、いっかうに承引なされませなんだ。の ぶなが公は、さては自分を疑ふとみえる、こちらはしんじつに申すのだから、ぜひ討死をおもひとまって、 こ、ろやすく立ちのくやうにと、さいさん使者をよこされましたが、いったん覺悟をきはめたうへはと、 いかに中されてもおきゝ入れがござりませなんだ。それで、八月二じふろくにちの宵に、御菩提寺の雄山 和尚 わじゃうをおまねきになりまして、小谷のおくの曲谷のいしきりに石塔をお切らせになり、德勝寺殿天英 宗淸大居士とかいみやうをゑりつけられ、その石たふのうしろをくばめて御自筆の願書をおこめになりま した。それから二十七日のあさはやくろうじゃうの侍どもをおあつめになり、ゆうざんわじゃうを導師に た、せて、長政公はせきたふのそばにおすわりなされ、御けらいしゅうの燒香をおうけになりました。み なのしゅうはさすがに辭退されましたけれども、たってのおことばゅゑ燒香したのでござります。さてそ 竹生しまから八丁ばかりひがしの の石塔は、しのんで城からはこび出しまして、みづうみのそこふかく、 いちづ 冲へしづめましたので、それを見ました城中のものどもは一途に討ちじにを心がけるやうになったのでご もうとこ