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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第13巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第13巻

しい幻影となって泡のやうに消えたり浮かんだりした。何しろ彼の目撃したものは唯でさへ異常な場面で ある。さうして、その場面には鼻を衝くやうな異臭が充ち、そこにゐた女共は皆生首と同じゃうに默々と して一語も發しなかったのである。十三歳の少年が夜半に閨を忍び出て、青白い庭の月光を蹈んで、不意 にさう云ふ奇妙な所へ連れて行かれたのであるから、 而もそれが短時間のうちに終ったのであるか ら、 全く現實とかけ離れた世界が、一瞬間ばっと現れて忽ち又消えて亡くなったやうな感じがした に違ひない。 とぎ ほらがひ 夜が明けると、相も變らず寄せ手の激しい攻撃が始まって、鐵炮の音、煙硝の匂、法螺貝、陣太鼓、鬨の ひやうらう 聲などが一日っゞ いてゐた。そして人質の婦女の一隊は、その日も兵粮彈藥の運搬や、負傷者の介抱にか ひる、、しく奔走してゐた。法師丸はその一隊の中から昨夜の女どもを搜し出して、あの屋根裏の光景が夢 でなかったことを確かめてみようと思ったけれども、彼が特に魅惑された美女も、その他の四人の女共も、 此の間ちゅうは居たに違ひないのだが、今日は一人も見かけないのであった。たゞ老女だけはいつもの通 り脇息に靠れて部屋の片隅に坐ったま、、、法師丸には朝からわざとよそイ、、しい素振を示してゐた。察す るところ、あの五人の女共は夜通し首を洗ふ仕事があるので、晝間合戦がある間は何處かで休んでゐるの ではあるまいか。或は今頃はあの屋根裏で寢てゐるのかも知れない。 法師丸は大方さうであらうと 思った。あの女共が晝間見えないと云ふことは、今夜も矢張彼女たちが昨夜の作業を受け持っ豫定になっ てゐるものと推定された。 武 そこに気がついた少年は、ひたすらその日の暮れるのを待った。あの屋根うらへもう一度連れて行ってく ゅうべ ねや えんせう なまくび そぶり 209

2. 谷崎潤一郎全集 第13巻

女中共は彼を「佐助どん」と呼ぶやうに命ぜられ出稽古の供をする時は玄關先で待たされた。或る時佐助 むしば 齲齒を病み右の頬が夥しく張れ上り夜に人ってから苦痛堪 ~ 難き程であったのを強ひて怺 ~ て色に表はさ ず折々そっと含嗽をして息がか、、らぬゃうに注意しながら仕 ~ てゐるとやがて春琴は寢床に這入って肩を 揉め腰をさすれと云ふ云はれるま、に暫く按摩してゐるともうよいから足を温めよと云ふ長まって裾の方 に横臥し懷を開いて彼女の蹠を我が胸板の上に載せたが胸が氷の如く冷えるのに反し顏は寢床のいきれ のためにかっ / \ と火照って齒痛がいよ / \ 激しくなるのに溜りかね、胸の代りに張れた頬を蹠 ~ あて、 辛うじて凌いでゐると忽ち春琴がいやと云ふ程その頬を蹴ったので佐助は覺えずあっと云って飛び上った。 すると春琴が日くもう温めてくれぬでもよい胸で温めよとは云うたが顏で温めよとは云はなんだ蹠に眼の なきことは眼明きも肓人も變りはないに何とて人を欺かんとはするぞ汝が齒を病んでゐるらしきは大方晝 間の様子にても知れたり且右の頬と左の頬と熱も違 ~ ば張れ加減も違ふことは蹠にてもよく分る也左程苦 しくば正直に云うたらよろしからん妾とても召使を勞はる道を知らざるにあらず然るにいかにも忠義らし く裝ひながら主人の體を以て齒を冷やすとは大それた横着者哉その心底憎さも憎しと。春琴の佐助を遇す ること大几そ此の類であった分けても彼が年若い女弟子に親切にしたり稽古してやったりするのを懌ばず 偶よさういふ疑ひがあると嫉妬を露骨に表はさないだけ一層意地の惡い當り方をしたそんな場合に佐助は 最も苦しめられた 528

3. 谷崎潤一郎全集 第13巻

を募らせたもの一で、今に自分も心臓廠痺でやられるか気が違ふかと云ふやうな豫感が始終禪經をビクつか せ、突然、往の眞ん中で動悸が早鐘を打ち始め、ア ( ャ卒倒しさうになることがしば / \ あった。われ 比べると - 「白樺」の人たちは遙かに健全であったけれども、それでも志賀君の若い時の作品には かみそり 「剃刀」だとか「濁った頭」だとか云ふやうなものがある。以てあの時代の靑年の病的さ加減を知ること が出來よう。 さて、私の神第衰弱と云ふのは強迫觀念が頭に集を喰って、時々發作を起すのであったが、恐怖の對象は いろ / \ に變った。或る時は發狂するかと思ひ、或る時は腦溢血、心臟麻痺を起すかと思ひ、そして、さ う思ひ出すと、必ず一定の時間内にさうなるに違ひない気がして來る。すると、もうその豫感で顏色が眞 っ青に變り、域はかあッと上氣せて來て、體中がふる ~ 出し、脚がすくみ、心臓がドキンドキン音を立て 、鳴り出して、今にも破裂しさうになる。その恐ろしさを紛らすために、片手でしつかり心臟を押さへ 髪の毛を掻きったり、そこらちゅうを駈けずり廻ったり、水道の水を浴びたりする。それが、癲癇の發 作と同じゃうこ、時と所を選ばずに突發するのだから始末が悪い。偕樂園の笹沼などは夜中しば / \ 私に 起されて、慌てゝ臺所 ~ 飛んで行って、コップに一杯冷酒を持って來たものである。 ( どう云ふ譯か、酒 を飮むと發作が靜まるのである。それでその嘗座は身邊に酒を絶やしたことがなかった ) で、發作が起ら ない時でも、いっ起るかも知れないと云ふ心配のためにビクビクしてゐる。一入の時はまだい、が、 かみ屋の私の一 ~ とだから、人前 ~ 出た時が一番イヤだった。笹沼のやうに様子を知ってゐてくれ、ば、い強 、何もそんなことを知らない入の前で起ったらどんな醜態を演じるかと思ふと、めったな家 ~ 客に呼 422

4. 谷崎潤一郎全集 第13巻

て戴いたらば必ずや爲めになったであらうが、あの三月間の放蕩無賴な生活もなか / \ われ / \ には藥に なった。あ、云ふ場合、どんなに先生が有力な先輩であり、どんなにわれ / \ に好意を寄せてゐて下さら うとも、遠くから啓發する程度に止めて、突っ放して下さる方がい、のだ。傾向を同じうし主義を同じう する作家同士でも、年齡が違ひ境遇が違ふとどうしてもお互に遠慮がある。況んや先生のやうな地位の人 せっさたくま に於いてをや。何と云っても切磋琢磨は若い同士の間のことだ。 上田先生との交際は上述の如く不首尾に終ったが、その頃大阪で新聞記者をしてゐた岩野泡鳴君は、根が ちぎ 先生とは全く反對の野人であり、先生に對するやうな長敬の念は起らなかったが、一見無邪気で稚気愛す べきところがあったので、私は此の人とは比較的障壁を設けずに話すことが出來た。尤も一と晩か二た晩 一緖に遊んだゞけであって、深く附き合ひはしなかったが、書いた物から聽かぬ莱の論客らしく想像して ゐたのに、會ってみると天眞爛漫な人物で、議論をしながら時々小兒の如く顏を赧くするのが意外であっ た。當時氏は阪急の池田に住んでをられたので、或る日私は、滯阪中の山本鼎、正宗得三郎、森田恆友の 諸畫伯連、それに幹彦君を加へた同勢で氏の寓居を訪ね、そこから氏の案内で寶塚に遊んだことがあった。 それが、その時分の寶塚であるから、新温泉も少女歌劇もなく、今の舊温泉へ行く橋を渡った兩側に宿屋 が五六軒並んでゐる、至って淋しい町であったが、泡鳴君は一行を往來に待たせて置いて、それ等の宿屋 へ一軒々々這人って行って、客が何人で藝者を何人揚げて一と晩幾らで泊めるかと交渉して歩いてから、 春さて一番安い宿屋へわれ / \ を引っ張って行ったものである。外のことは大概忘れてしまったが、此の泡 鳴君の奇拔で野暮な掛け合ひ振りには一驚を喫したことであった。 二一一口 417

5. 谷崎潤一郎全集 第13巻

あったのだが、兄の代になると兎角の批難が出て最大限度月に幾何と額をきめられそれ以上の請求には應 じてくれないやうになった彼女の吝嗇もさういふ事が多分に關係してゐるらしい。しかし尚且生活を支へ て餘りある金額であったから琴曲の教授などはどうでもよかったに違ひなく弟子に對して鼻息の荒かった のも當然である。事實春琴の門を叩く者は幾人と數へる程で寂々寥々たるものであったさればこそ小鳥道 樂などに耽ってゐる暇があったのである但し春琴が生田流の琴に於ても三絃に於ても嘗時大阪第一流の名 手であったことは決して彼女の自負のみにあらず公平な者は皆認めてゐた春琴の傲慢を憎む者と雖も心中 私かにその技を妬み或は恐れてゐたのである作者の知ってゐる老藝人に靑年の頃彼女の三絃をしば / \ 悳 いたといふ者がある尤も此の人は淨るりの三味線彈きで流儀は自ら違ふけれども近年地唄の三味線で春琴 の如き徴妙の音を弄するものを他に聽いたことがないと云ふ又團平が若い頃に嘗て春琴の演奏を聞き、あ はれ此の人男子と生れて太棹を彈きたらんには天睛れの名人たらんものをと嘆じたといふ團平の意太棹は 三絃藝術の極致にして而も男子にあらざれば遂に奥義を究むる能はずたま / \ 春琴の天稟を以て女子に生 れたのを惜しんだのであらうか、抑も亦春琴の三絃が男性的であったのに感じたのであらうか。前掲の老 藝人の話では春琴の三味線を蔭で聞いてゐると音締が冴えてゐて男が彈いてゐるやうに思へた音色も單に 美しいのみではなくて變化に富み時には沈痛な深みのある音を出したといふいかさま女子には珍しい妙手 へりくだ であったらしい。もし春琴が今少し如才なく人に謙ることを知ってゐたなら大いにその名が顯はれたであ らうに富貴に育って生計の苦難を解せず莱隨気儘に振舞った、めに世間から敬遠され、その才の故に却っ て四方に敵を作り空しく埋れ果てたのは自業自得ではあるけれ共蹇に不幸と云はねばならぬ。されば春琴 536

6. 谷崎潤一郎全集 第13巻

「薄氣味の惡いもの」があるのを、おばろげながら嗅ぎつけたに違ひない。多分河内介はその明くる晩も 同じ遊びを繰り返さうとしたのであらうが、「それより後は絶えて首の御用を被仰出候ことなく、かの床 穴をも舊の通りに被」令一一修理一候」と道阿彌が語ってゐるやうに、折角の彼の希望が一と晩で蹉跌してし 、、ゝに河内介の享樂を求める心が切 まったのは、その間に夫婦の感情の疎隔したことが窺はれる。大方カ であっても、天稟の美質を宿す松雪院の悲歎と悔恨とを眼の前にしては、再び彼女を冒漬する勇気が出な かったのであらう。 ばうとく さてつ 326

7. 谷崎潤一郎全集 第13巻

たんせき しかし法師丸は、城と自分の運命とが旦タに迫ってゐることなど、一向念頭にないのだった。それよりも、 彼に都合のよいことは、城内が亂脈になった、めに全く彼の行動が解放された一事である。今となっては 城中の者の眼をかすめて忍び出ることは困難でない。たゞいかにして敵の陣地へ紛れ込むかヾ間題である。 で、或る晩、 と云ふのは、あの異常な經驗をしてから二日目の晩、法師丸はこっそり城の裏山の溪 へ降りて、そこから城廓の外へ通ずる間道を傳はって行った。彼の考では、敵の大部分は今城内の二の丸 そとぐるわほり と三の丸に充滿してゐるから、外廓の濠の向うにある本陣の方は定めし備へも怠ってゐるであらうし、兵 も大勢はゐないであらう、すると、此の道を行っていきなり敵の本陣のうしろへ出れば、必ず好い機會が あるに違びない、 と云ふのであった。彼は何か知ら、初陣の武士が感ずる胸の高鳴りと武者ぶるひを覺え た。彼の眼の前には、あの美女の笑顏と、鼻の缺けた幾つもの首とがちらついてゐた。 少年がその山路へか、ったのは、今の時刻で云へば夜中の二時頃のことだった。夜な / \ 彼が屋根裏へ通 しる ふ折に青白い光を浴びせた月が、その晩も牡鹿山の頂の上にあって、少年の影をくつきりと地に印してゐ た。法師丸は、女が城を落ちて來たやうに思はせるために、被衣を頭へかざしてゐたが、そのうすもの、 くらげ 影が眞っ白な地上に海月の如くふわ / \ するのを視つめながら歩いた。 敵の陣屋と云ふのは、二た月に亙る城攻めのことでもあり、二萬騎にあまる大軍が屯してゐた場所である ちょうでふ 話から、それ相當の設備がしてあったに違ひない。牡鹿山の城は、うしろに重疉たる山岳地帶を控へ、城の ゑんえん ある部分だけが平原に向って半島の如く突出してゐたので、敵はその半島の裾を字型に包圍して、蜿蜒 たる陣形を作ってゐた。そして陣屋の一番外側には篠垣を繞らし、五間十間ぐらゐの距離に本篝りを焚き、 かつぎ たむろ ほんかゞ 221

8. 谷崎潤一郎全集 第13巻

武州公秘話 る淺ましい方面の公を暗示するやうでもある。もちろん此の繪師はそんな意圖を以て畫いたのではなく、 公の秘密について何も知る所はなかったのであらうが、たゞ忠實な寫實の結果としてかう云ふ肖像畫が出 來たのであらう。 らくくわん っゐふく 此の繪と對幅を成して、同じ箱の中に入れてある他の一幅は、公の夫人の像である。どちらにも落欸はな いけれども、同一の畫家がほゞ同じ時に描いたものと推定して間違ひはあるまい。夫人はもと桐生家と同 ちりふ 格の大名である池鯉鮒信濃守の息女である。夫輝勝に仕へて貞淑のほまれ高く、夫の死後は剃髮して松雪 院と稱し、實家池鯉鮒家に養はれてゐたが、夫婦の間に子がなかったのでその晩年は殊に淋しく、夫に後 る、こと三年にして世を終った。いったい日本の歴史的人物の肖像畫は、男性を寫す場合にはよく個性的 はうふつ 特長を捉へて、その人となりを髣髴たらしめてゐる傑作が多いが、女性の省像畫は概して類型的で、或る 今此の夫人の像を見るに、目鼻立ちの整然とし 一時代の理想とする美人の雛型を描いてゐるに過ぎない。 た麗人には違ひないけれども、此の時代に於ける他の大名の夫人の像と比較して、これと云ふ差別が認め べっしよながはる ほそかはたゞおき られない。印ち此の像を、細川忠興夫人の像としても、別所長治夫人のそれとしても、見る者の印象にさ したる相違がありさうにも田 5 はれない。 斯かる類型的な美人の顏には、常に一種の靑白い冷やかさが伴ふ。此の夫人の容貌もやはりさうであって、 ところみ \ 剥げか、った、色の褪めた胡粉の塗ってある頬のあたりを視つめると、圓顏の、ゆったりとし た肉づきにも拘はらず、全く生気を缺いてゐる。彫刻的な、高い鼻もさうである。取り分けその眼は切れ まぶた が長く、非常に細く、威嚴のある眼瞼の下に針のやうに冴えてゐる瞳は、上品な聰明さを示すと共に、何 だいみやう 191

9. 谷崎潤一郎全集 第13巻

而も河内介は、何となく気違ひじみた、血走った眼をかゞやかして、並んでゐる腰元共を、一人々々檢査 するやうに睨め廻してゐるのである。 「これ、何をしてゐる、剃刀を持って參れと云ふのに。 河内介の眼は、此の時お久と云ふ一番器量の美しい、十七八になる腰元の上に止まった。彼女はその鏡い おもだ 視線を避けるやうに身をすぼめ、あどけない、ふつくらとした面立ちを伏せて、早く恐ろしいもの、通り 過ぎるのを祈ってゐるやうな風であったが、河内介は、彼女の肩を蔽うてゐるつや / \ しい黒髪と、膝の 上に置かれた手の、すぐれて白く細長い指の線とを見守ってゐるうちに、再びあの痙攣のやうな薄笑ひを 口元に浮かべて、 「お久」 ミ ) 0 と呼んオ 「お前、その剃刀を持っておいで」 「はい」 お久の返辭は聞き取れない程かすかであった。そして、彼女が項垂れながら立ち上ると、一時靜まってゐ た部屋の空気がしとやかな風を起して、燈火の穗がゆら / «- と道阿彌の死顏の上に影を作った。 さて河内介は、 「此處へすわれ」 と、彼女を首の前にすわらせてから、 う : な・た 314

10. 谷崎潤一郎全集 第13巻

「名のる迄もない」 「卑怯な奴、なぜ飛道具を使ったのだ」 「そんな覺えはない」 「默れ ! たしかに見てゐた、鐵炮を捨てゝ逃げたのは貴様だ」 「いや、それは人違び」 「よし ! 何處迄もしらを切れ」 云ふより先に河内介の槍の穗先が「龍」の字の方へ飛んで行った。 ふかで 河内介の目算は此の怪しい武士に深手を與へ、進退の自由を奪った上で生け捕りにすることにあった。敵 びんせふ あなど は最初、少年と見て侮ってか、ったらしかったが、鎗の穗先が數十匹の蝗の飛ぶやうに敏捷に、寸刻の隙 ふともゝ げさん 間もなく迫って來るので、三四合すると早くも斬り立てられて、下算の搖ぎ絲の上からぐさと太股を突き 刺された。河内介が更に右の二の腕へ一と突き加へて馬乘りになった時、 「無念 ! 」 と云ふ聲が下から聞えた。 「名のれ」 話「いや、名のらぬ、首を斬れ」 公 「首は斬らぬ、生け捕りにしてやる」 武士は「生け捕り」と云ふ言葉を聞くと痛手に屈せず死物狂びに身を藻掻いた。河内介は、誰か績く味方 243