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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第14巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第14巻

彼女は自分の歌を書くつもりはなかったので、さればこそ手本を見つけておいたのにと、さっき床脇へ置 いて來た四册の歌集を、その時思ひ出したらしく立って机の側へ運んだ。さうして暫く迷ってから、寂蓮 法師の筆であると云ふ「かねすけ」の集を選び出して、そのまんなかあたりのところを開くと、その上へ ふんどうがた 分銅型の文鎭を据ゑた。 女かへし おもひ みくまの、うらのはまゆふ、ゝされ半われもひとへに思やはする へんじ また返事 しの、めのあくればきみはわすれけむいっともわかぬわれぞかなしき あめふるとてこぬをとこをうらみければ おもふことならずながらによのなかにふればやあめにわれさはりけむ それを五六行書きかけた時、うしろの方で 「何してんのや」 と云ふ聲がして、夫が閾の際に立った。 その一の四 「あんた、何してるのんや」 と、夫は語気の荒すぎたことを悟ったらしく緩い口調で云ひ直しながら、詰る心持ちを眼にだけ籠めて見 104

2. 谷崎潤一郎全集 第14巻

耳に這入って來たのであったが、私にはそれが、まだその時分は七十歳の高齡で紀南の下里に隱栖してゐ た故懸泉堂老入、 春夫の父に當る人の、佐藤家と谷崎家との行き係りを考へ、淋しい育ち方をした 龍兄と鮎子との相似た身の上を考へ、双方の親たちの幸までを考慮に入れた思ひやりのある計らひであ ることがほゞ察しがついた。本嘗にさう云ふ結合が可能であるとすれば、それは子供たちのために仕合せ をさ であるばかりか、寔に四方八方が圓滿な收まりを告げることになるので、そこまでを見て取ってくれた老 人の親切は何とも言葉に云ひやうがない。既に嘗入たちの心持をきいて見てのことなのか、それとも常人 たちはまだ何も知らないことなのか、その邊の事情は判然しないけれども、二人とも數年前から小石川の 春夫の家に置いて貰って通學しつ、あることだし、してみれば互に気心も分ってゐる筈だし、あの様子な ら巧く行きさうだと云ふところを、そこは世故にたけた老人が見拔いたと云ふ譯でゞもあらうか。そして、 まだ孰方も卒業までには間があるのだから急ぐ必要はないやうなもの、、 一つ家のうちに暮してゐるので あれば、出來ることなら約東だけでもしておいた方がと云ふやうな考なのでもあらうか。その時は兎角の 返答をすべき場合ではなかったからさりげなく聞き流したゞけであったが、でも老人にそんな意向がある らしいこと、、他日それが實現される可能性があると云ふ見透しとは、もうそれだけで親としての私の肩 の荷を輕くした。私は又、その魚崎の家に移ってから、武州公秘話だの蘆刈だのと云ふものを書いたが それらの作品の良し惡しは別として、あの年の秋は久し振に落ち着いて心の底から樂しく仕事に沈潜した 記憶がある。が、それも長い間ではなくて、やがて魚崎から再び岡本の方へ轉居したのが、たしか昭和七 年も押し詰まった十二月のことであったらうか 373

3. 谷崎潤一郎全集 第14巻

~ 、その方それについて仕出來したることもないのに、何の面目あって邸 ~ 戻って參ったるぞと、さう云 ふらち ふ仰せでござりましたので、愚僧は御前に平伏いたし、重々の不埓、申し開きの道もござりませぬ、唯此 の上はいかやうにも御成敗遊ばして下さりませ、とても生きがひのなき浮世に琵琶法師として長ら ~ てを りまするより、武士として死なせて戴きたく、どのやうなお仕置にても受けまする所存にござりますと、 左樣に申し上げましたところ、愚僧の様子に不審をお打ち遊ばされ、その方、なぜ眼を潰ってをるぞと云 それがし ふお尋ねにつきまして、左樣でござります、實は某、今ではまことの肓目になってをりまする、と、さう 申し上げたのでござりました。その時殿は、びつくり遊ばしたやうなお聲で、何、何と云ふぞと重ねてお 尋ねなされましたので、さればでござります、眼が開いてをりますると肓入の眞似をしてをりますること を忘れて、いかなる不覺を取らぬとも限らず、かくてはお役目が勤まりかねると存じまして、小柄を以て 兩眼を抉りましたのでござります、と申しましたら、暫く何のお言葉もござりませなんだが、や、あって 仰せられますのに、それは近頃珍しき所行ちゃ、しかしつら / \ 考 ~ るのに、そちのしたことは忠義のや うで忠義にあらず、餘人を欺くことは出來ても此の三成を欺くことは叶はぬぞ、その方座頭に相成ったの は一時の方便ではないか、たとひ現在は姿を窶して當道の座に加はってをらうとも、やはか輕々しく兩眼 を害ふことやある、又その方が肓人の眞似を致せしは、敵方に汕斷をさせて様子を探るためではないか、 然らば人一倍眼も見え、耳も聞ゆるやうにとこそ願ふべきに、物も見えず、進退にも事を缺くやうに相成、 書何として手柄をたて得らる、ぞ、役目を大切に存ずる故にまことの肓人になり果てたりと申すこと、少し も言分立ち難し、父母より受けたる身體髮膚を妄りに毀り傷つくるは古人の戒むるところであるのに、そ しでか こづか 257

4. 谷崎潤一郎全集 第14巻

菊 夏 すゐちう ひっとう ぼくたい せたのであったが、机の上に並べられた文房具、水注、筆筒、筆架、墨台の類に気がつくと、何處からそ んなものを引き擦り出して來たのかと、や、呆れ気味に、 「なあ、昨夜の話、どうしたらええやろ。」 と、また急き込んで、机の側へあぐらを掻いた。 手習ひの筆は、「いっともわかぬわれぞかなしき」の「ぞ」の字を書き終へて「か」の字を半ば書きかけ たところであった。彼女は折角すら / \ とっゞけられた假名文字の勢ひが、そこで闖人者の性急な聲に阻 まれるのを惜しむが如く、強ひて落ち着いて、前と同じゅっくりさで、「かなしき」の「き」の字までを 滯りなく書いた 「けど、どうや知らん、そんなこと。」 「どうや知らんて、様子を見たら分るやないか。」 と、やうやう自分を取り上げてくれる妻を見出した夫は、机の端へにじり寄って、水注の蓋を取ったり締 めたりした。 「あんた、ちょっとも氣イついてないのんか。」 「あんさん莱イ廻し過ぎてはるねんやろ。」 「い、や、確かや、僕の睨んだことに間違ひあれへん。あんた等自分が人がえ、さかいちょっともさう云 ふこと疑うてめえへんけど。」 これはいつでも彼女に加へられる批難であった。が、自分が人を信用する癖があることを敢て否みはしな るる 105

5. 谷崎潤一郎全集 第14巻

の間になってゐる四疊半の方へ這人り、北向きの窓に据ゑられた机の前にすわってみたが、そこに積んで ある二三册の月刊雜誌に堆く埃が溜ってゐるので、その埃を立てないやうに、靜かに雜誌を疊の上におろ した。と、埃は机の上にも、雜誌の置いてあった痕だけ綺麗に四角い型を殘して、一杯に積ってゐるので あった。彼女は此處の家へ移ってから、女中の手が足りないま、に自然拭き掃除が不行き屆きになり、も う此の頃では一日置きか二日置きが當り前のやうになっても、別に嫌な顏をするでもなく、叱言を云って も仕方がないものとあきらめをつけてしまってゐるので、かう云ふ不潔と莱味惡さとには最早や馴らされ てゐるのだけれども、でもその机の曇りだけは拭いておかないと気が濟まないやうに感じて、箪笥の上の もみ 月裂箱から紅絹の古裂を取って來て、今度も埃を立てないやうに、 一度拭いては窓の外の風下の方へ捨て ながら、しばらく丹念にこすってゐた。それから、それが濟むと、鏡台の前の紫檀の罎台から消毒用のア ルコ 1 ルの罎を取って、脱脂綿で一本々々指の先から股を拭いた。 しかし彼女は、きれいになった机の前へ直ぐに戻らうとはせずに、表座敷の違ひ棚に飾ってあった本願寺 三十六人集の複製本の本箱を開けて、その一つ二つの抽出しから、「つらゆき」と、「いせ」と、「こおほ 君」と、「かねすけ」と、先づ眼についた四册を取り出すと、次ぎには地袋の奧を覗いて、久しく使った ことのなかった料紙箱を捜し求めた。むかし、と云ってもつい半年か一年程前のことであるが、その時分 によく手習ひをした紙だの筆だのが、あの箱の中に幾らか殘ってゐさうなものだがと、俄かに思ひついた からである。 100

6. 谷崎潤一郎全集 第14巻

ゃねん。それ考へたら、あんた云ふもんは姉ちゃんにかて必要ゃねんで。」 「その必要云ふのんカ と、背中で云ひながら、 「なあ、とうさん、僕のことも察してくれはれしまへんか。」 ゝ、こ、市ちゃんに 「そら、察してる。さうかて、あんたより姉ちゃんの方が十倍も二十倍も気の毒やさ力も。 かて都合え、やうにしたげなあかんねん。」 そしたら、一生、辛抱せえ云やはりますのんか。」 「さうやあれ ~ ん。そないに長いこと辛抱せんかて、わてが巧いこと脱け出せるやうにしたげるよって、 もうちょっと時機を待ちいな。第一、お金も持たんと滿洲 ~ 行って、どないするねん。」 「僕、ちょっとぐらゐ貯金があります。」 なんばある ? 」 「なんば、 「それきかれると、辛いです。」 と、まだ背中を向けたま、頭を掻いた。 「なんばぐらゐあるねん ? 」 「三四百円ぐらゐ。」 「たったそんだけかいな。 任しておき。」 ヾゝ、 ゝ、こ、まあ 何する云うたかて、せめて千円なかったらあかん。そやさ力。 136

7. 谷崎潤一郎全集 第14巻

分には「壁を徹して」と云ふ飜譯物もあったり、詩も書いたことがあったやうだし、隨筆、感想文、と云 ったやうなものもあるが、小説以外の物と云ったら戯曲が一番多いかも知れない。が、 その戯曲ですら、 御本人は何と思ってゐるか分らないが、世間は案外此の人をくろうと仲間には加へてゐないらしく見える。 何と云っても此の人の場合「創作」と云ふのは小説のことである。いや、小説も小説、現代物の、會話と 客觀的描寫とを以て地道に正面から堂々と押して行くところの、小説中での最も小説らしい小説、 寫實小説ばかりなのである。私が知ってゐるのではずっと以前に孫悟室のことを書いたものがあったと思 ふが、それ以外には、空想小説、歴史小説、童話小説等々の種類に屬するものは先づ見たことがない。そ してその取り扱ふ人物や世界はと云へば、大體に於いて氏が日常接觸して最もよく知ってゐる社會、 ー氏が生ひ立った山の手の有産階級か、でなければ花柳界に限られてゐると云ってもよい。十年一日の如 らつぎた しと云ふが、氏は實に三十年一日の如く、同じ世界に屬する同じゃうな人物を取り換へ引き換へ拉し來っ て活躍させてゐる。その描寫の手法、會話の意気なども、殆ど常に同じであって唯ます / 、精妙さを加へ て行くばかりである。作家も五十歳を越すと、だん / —地道な現代小説を書く熱意を失ひ、歴史物に逃げ るとか、學究的になるとかして、創作力の減退を補ふやうな傾向になり易いものだが、 近頃の時勢 では處世的にもさう云ふ道を選ぶ作家が多いやうであるが 里見氏はメゲず臆せず昔ながらの城壘 を守って搖ぎさうにもない。 これは一面から云へば氏の領分が狹いと云ふことにもなるが、一面から云へ ば小説家としての氏の純粹さを語るものでもある。私は氏の暮らし向きのことはよく知らないし、さう云 ふことに餘り立ち入っては失禮だけれども、氏の此の純粹さは恐らく實生活の方面に於いても保たれてゐ 502

8. 谷崎潤一郎全集 第14巻

入れたいと云ふ願望が年と共に高まって行ったが、でも又書いて下さいと云ふことは、何としても厚かま しくて云ひ出せないでゐると、矢張縁があったものか、或る年日本評論社の催しで星岡茶寮に露伴氏を圍 む座談會があり、私も招かれて出席した。外には德田秋聲老、末弘嚴太郎、和辻哲郎、辰野隆の諸氏、そ れに鈴木社長と室伏高信氏等であったが、食後に誰が気を利かしたのか、色紙を取り寄せて露伴氏の前に 持って行くと、ほろ醉ひ機嫌のせゐもあったか氏は直ぐすら / \ と五六枚書かれた。氏は一枚々々、書く に從って聲に一種の調子をつけて讀み上げて行かれたが、それは氏の持ち句であるらしい俳句ばかりであ った。中で私は、老子霞み牛かすみ流沙かすみけり と、讀み上げられたのが面白かったことを今も 忘れない。そして内心その色紙が自分に當るやうに祈ってゐたところ、どうした事の廻り合せか、辰野が 賴まれもしないのに分配係を引き請けた形になって、さ、君は此れにし給 ~ と、私に渡してくれたのは、 それとは違ふ一枚で、馬鹿引のいで、か ~ らず五月雨る、、とあった。此の馬鹿引なる語は釣の方の言葉 ださうで、その席上で氏から委しい説明があったけれども、釣には全然無趣味の私は上の室で聞いてゐた ので、 ( 自分が此の句を授かる運命になると云ふことがきまらないうちにその説明があったのである ) ど う云ふ意味であったか殘念ながら覺えてゐない。それにしても、選りに選って自分に何の興味もない釣の 句が當らうとは、内心甚だ不服であったけれども、書いて下すった御本入を前に置いて此の句はいやです とも云 ~ ず、辰野の顏を恨めしげに睨んだヾけで、結局それを持って歸った次第であった。でもまあ、こ れで私は思ひがけなくも年來の願望が叶った譯で、半折が色紙に化けたのは少し遺憾ではあるけれども、 前のと違って今度は露伴氏自作の俳句であることは、又聊か慰むに足りた。が、いったいあの老君出關の 508

9. 谷崎潤一郎全集 第14巻

初 ことがあった。彼女には濟まない譯だけれども、その時私は我知らず溜息をついて考へ込んでしまった。 こ、でちょっと餘談になるが、ちゃうどその獨身時代に故市川左團次の家 ~ 遊びに行くと偶よ後添 ひを迎へる話が出て、年を取ってから若い人を貰ふのだったらロ叱言をお愼みなさい、年寄は兎角それで 嫌はれるんですよと、左團次夫人が云ったことがあった。私は叱言幸兵衞にはならないつもりだが、今此 の一本の髪の毛が気に障るほど剩症になってゐるとすれば、和やかな家庭を釀し出すためには今後いろ イ \ な場合に當って幾何かの忍耐を要するであらう。とすると、彼女のおほどかな性格から來る感化と云 かんべき ふことはあるにしても、一方では剩癖を殺すために却ってそれが内攻して神經的に疲れると云ふことも、 計算に入れておかなければなるま い。かれこれ考へ合せると、矢張自分には荷が勝ち過ぎる気がして、今 の生活の安易さに惹きつけられた。それについて思ひ起すのは、嘗て私は私の見た大阪及び大阪人と云ふ 一文を草した中で、東京人には敗殘の江戸っ兒とでも云ふべき一つの型があり、その型の人は榮達よりは まに 安逸を望み、物慾に恬淡で萬事に執着しない代りには弱莱で怠け者であり、仙人のやうに見える一面に含 羞みやであると云ふことを語り、私の父親の晩年などがそのよい例であったことを書いたが、さう云ふ私 なづ にしてからが、自分では關西の土地に泥んで此方の人間になってしまったやうに思ひ、今や大阪生れの人 を迎へ人れようとさへしてゐながら、矢張爭はれないもので、年を取って來るに從ひ、知らず識らず東京 人の型に復りつ、あるのではなからうか。事情がこ、まで押し進められて來て、今更そんなことが有り得 よう筈はないけれども、假りに彼女との話が不縁に終り、これから一生獨身で過すやうなことになった場 合を考へてみると、私には又、その時はその時であ、もして暮せる、かうもして暮せる、と云ふ風に、い 385

10. 谷崎潤一郎全集 第14巻

ことなどを取り上げてゐるのではないが、ほんのちょっとした詰まらないことを書いても、此の人の筆に か、ると忽ち一種の風韻を帶びて來るところは不思議である。これを現代の日本に求めれば先づ内田百閒 一番近いと云へないであらうか。 ( 音樂を解することなどはよく似てゐる ) 就中私は、西瓜の 氏あたりが 種を食べることと云ふ卷頭の一篇十五頁程のものだけでも、多くの人々に是非讀んでみることをす、めた 何となれば、こんなに支那的で、こんなに下らないことを、こんなに面白く書いてある點は、正に隨 じゃうじよう 筆の上乘と云へるからである。 ( 吉川氏の譯文もまたなか / \ すぐれてゐる ) 恐らくこれなどは最も得意 の一篇なのであらうが、著者の境地は決してかう云ふ方面にばかりあるのではなく、各篇各様の味を出し てゐるので、私は次には山中の雨宿りと云ふのを好む。これは著者が著者の二人のお嬢さんを連れて西湖 の山の中へ遊びに行って雨に遇ひ、とある茶店で雨宿りをしてゐるうち、雨がます / \ ひどくなって來る ので、お嬢さん達の退屈を慰めてやらうと、茶店のおやちの胡弓を借りていろ / \ の曲を彈く話で、僅か 五頁程の頗る短いものだけれども、云ふ迄もなくかう云ふものは短いほど餘韻がある。「私は胡弓によっ て、ゆっくりと ( 早いとひき間違へさうなので ) いろんな西洋の小曲をひいた。二人の女の子もそれに合 せて歌を歌った。さしづめ西湖のほとりの大道藝人といった恰好である。そのちつほけな村の人たちもみ な見物にやって來た。一人の娘が『漁光曲』 ( 譯者註、近頃の映畫の主題歌 ) を歌ひながら、私に胡弓で 彼女にあはせてくれとせがんだ。私が彼女にあはせつ、ひいてゐると、そのちつぼけな村の靑年たちも、 一せいに唄ひ出した。さしあたり、雨に降りこめられたこの淋しい山をば、十分なごやかに賑はせた。私 は ( 中略 ) 臍の緒切って以來、今日ほど音樂の面白さを味はったことはない。」此の風流な一節を讀んで、