あるが、私は一生にいっか一度、あんな市井の中に隱れて暮す時期を持ってみたかったのであった。間數 は上下で四間か五間もあればよい。自分の外には小女を一人置いて、自分が先に立ってその狹い小さな家 の拭き掃除をする。用事と云っては朝夕の掃除と書籍や書き物の整理が主であるから、小女よりは寧ろ十 五六ぐらゐの男の兒を置いた方がよいかも知れない。私は柱と云ふ柱、板の間と云ふ板の間をつや / \ と 拭き込み、厠の隅まで塵一本もとゞめぬゃうにするであらう。食事は簡單な朝飯ぐらゐを自宅で作ること にして、晝と夜とは近所から取ってもよいし、ついその邊までたべに出てもよい。戎橋心齋橋界隈の飮食 店、百貨店の食堂等、一走りすれば何でもと、のふ四通八達の町の中であるから、日々行く先を變へてさ う云ふ店を一軒々々たべて歩いたら、何と簡便で、變化があって、面白いことであらうぞ。そんな風にし てゐたら掃除をすること、食事をすることでも結構一日が立ってしまって、退屈することはないに違びな い。私は又、昔から淺草の三文オペラやイカモノ芝居などを覗くのが好きであるから、出たついでにはき よせ っと千日前あたりをうろついて、寄席や映畫館を見て歩くであらう。さう云ふ生活の仕方であったら、月 、。ムましま 々の生計費なども恐らく今の七八分の一で濟むから、今のやうに仕事に追はれないでもよ 二三圓の小遣を懷にして出て、終日大阪の街を歩き廻って歸って來るであらう。そして気が向いた時 に讀み散らしたり書き散らしたりする、と云ふ風にしてヾも、どうやら自分一人のロを糊することぐらゐ は出來るであらう。斯様な境涯は眞に平々几々であり、人から見たら愍れむ。へきものであるかも知れない が、それでも私はそこに安價な幸輻を見出しつ、今後五年や十年の間は老いを忘れて行くことが出來よう うへした のり 387
宗村萬一御臺のお身の上に間違ひでもござったら、折角軍功をお立てなされても、世の物笑ひにされる 殿も我等も不覺者となり申さう。こ、は御分別が肝腎な所かと存じ申すが、我等の言葉も一往 は取り上げて下さらぬかの。 高貞しかし、山城、わしは今度の合戦に、討死の覺悟を極めてゐるのぢゃ。 六郎何、討死。 高貞ふむ、 三人等しく高貞の顏を視詰め、次いでその意を悟ったらしく俯向いてしまふ。短き間。 なにゆゑ 八幡 ( 憤然と膝を乘り出して ) す、すりや何故のお覺悟でござります。 高貞さ、斯様なことを打ち明けて申すのも羞かしいが、實は顏世も、此の間から心細いことを云ひをつ て、わしが歸るなら是非國元へ伴うてくれい、ひょっとしたら長の別れになるやうな気がすると、譯も なう泣いてばかりゐるのぢゃ。彼れ此れ思ひ合はせると、今度は無事で濟まぬゃうに存ぜられる。 短き間。六郎以下三人憂ひに沈む。 高貞わしもいろいろ考へてみたのちゃが、此のたびの儀は兎にも角にも將軍の御下知、それに背いては 謀叛人になるであらう。さればと云うて、女房を連れて參ることは武將にあるまじき仕方、上へ對して も恐れがある。一家一門のためを思ふと、此の場合はわしが戰場で死んでしまふのが一番よいのぢゃ。 まさかの時は顏世も潔う自害をすると申してをるし、わしが立派な働きをして討死いたしたら、 無道な彼の入でも、鹽冶の家を取りつぶしはしないであらう。さすればわしの意地も通り、先祖への中 じん
が、私が魅惑を感じてゐるのは、決してさう云ふ市井の生活ばかりではない。私は旅行が好きなわりに餘 り遠走りをしたことがないので、日本内地にもまだ足跡を印しない土地が多いのだけれども、しかし今迄 に行ったことのある地方の中にでも、かねてから一年や半年ぐらゐは住んで見てもよいと思ってゐた場所 が少からずある。分けても私は、田舍の小都會の、封建時代の面影の殘ってゐるひっそりとした屋敷町な れんじ どの、物さびた土塀に圍まれたり、表通りに櫺子格子が篏まってゐたりするやうな家を暫くでも借りて住 んでみたいのであるが、そんなことを考 ~ る時によく胸に浮ぶのは、伊勢の松坂の公園に保存されてある 本居翁の鈴屋の居宅と、出雲の松江にある小泉八雲の家であった。あの鈴屋の、抽出の附いた急な段梯子 を持ったさ、やかな中二階、 窓を開けると、前に松の古木の植わったちょっとした庭があって、そ の葉越しに表の人通りなども見えたであらうあの部屋、 翁は彼處に机を据ゑて書き物をし、仕事に 倦むとあの壁にか、ってゐる鈴を鳴らしたと云ふことであるが、私はあの家がもと建ってゐたと云ふ物靜 かな松坂の街通りと、あの中二階とを思ふと、何だかあれが四五十年前の日本橋の家であるやうな氣がし、 自分の少年時代の夢があのうす暗い間取りの中に漂ってゐるやうに感じるのである。又、私は松江 ~ は或 る年の初秋の頃にたった一度行ったゞけであるが、あの八雲の舊宅を訪れた日は非常に天氣が好かったせ ゐか、あの居室の前にあった小さな庭が甚だ愛らしく美しかったことを今も忘れない。あの家は鈴屋より ももっと間數が少く、ほんの三間か四間ぐらゐしかない平屋であったやうに記憶するが、そして相當に時 388
猫と庄造と二人のをんな 來あいもりどリ たの間此に り晩つのはろー : 興カゝゞ 眼かが 奮らい階ざ、逃 し てにとさげ た又ゐ引いって り眠てき方ば行 すれ、移でりつ るなやっ、眠て のくうて下れか か女なら ら奉い るた十、公や がの日多をう日 はば分しにの 此どか寢てな晩 のうり所ゐつも 間し前のたて かてか變時しそ らからっ代まの リ知少たかっ明 らしのらたく 1 ん寢が る の ? ら原どい晩 れ因うつも た め彼るでかた に女ゃあすい又 おはうらる彼そ く うと女の ⅱロ れめな、寢は明 ててり殆ら癇く ゐ仕かどれ性る た事け正なの晩 のをた味いせも をす所三癖ゐ 取るだ四がか ロロ りとつ時あ、子 返、た間っ さ直のした十安 うきでかも六心、 とにあ寢のとし し肩るなだ云て がふ寢 てが 凝そ晩、歳ら 餘つれが今のれ りてが長度わる 彼女はさすがに大きな聲で喚かうとして、ついその聲が出ずにしまった。あんなに辛苦したかひもなく、 やつばり逃げられたかと思ふと、もう追ひかける莱力もなく、何だかホッとして、荷が下りたやうなエ合 おそ であった。どうせ自分は動物を馴らすのが下手なのだから、晩かれ早かれ逃げられるにきまってゐるもの はかど なら、早く片がついた方がい、かも知れない。 これで却ってサバ / \ して、今日からは仕事も捗るであら うし、夜ものんびり寢られるであらう。それでも彼女は、裏の室地へ出て行って、雜草の中を彼方此方掻 き分けながら、 「リ、 1 や、リ、 1 や」 と、暫く呼んでみたけれども、今頃こんな所に愚圖々々してゐる筈がないことは、分りきってゐたのであ った。 わめ 319
顏世 第三幕 鹽冶判官の館。第二幕と同じ邸の内であるが、此れは表向きの座敷の態。廻り縁のある二重舞臺。それへ下手から渡 り廊下が通じてゐる。座敷の正面と上手は襖。 第二幕より數日を經た午後。座敷上手寄りに判官の舍弟鹽冶六郎、下手寄りに山城守宗村が對坐してゐる。宗村は相 當の年輩の武士、膝の上に紅葉重ねの薄樣にした、めた一通の文をひろげて讀んでゐる。鹽冶の別家で、臣下の禮は 執ってゐるが、高貞兄弟の寂父か何かに常る者と思ってよい 宗村「返すさへ、手や觸れけんと思ふにぞ、わが文ながら打ちもおかれず」。ふむ、これは紛ふ方なき艶 書。しかも此の歌で見ると、一度だけではないと見えるの。ちゃが詞と云ひ、筆蹟と云ひ、なかなか此 れだけに書くと云ふのは、 ( と、云ひかけて文殻に焚きしめてある匂ひに気が付き、急に鼻を鳴らしながら薫りを嗅いでみ たへ る ) お、、此の匂ひは。 ( 鼻を鳴らし、思はず眼を細くして恍惚とする ) あ、、何と云ふ妙な。 六郎今日で十日程になるのちゃが、いまだに匂ひが拔けをらぬ。餘程念入りにくゆらしたと見えるの。 いかゞでござる。 ( 間 ) 默ってお 恩に報いる。所領、金銀、お望みに任せてお禮をいたす。 ( 間 ) 侍從殿、 いでなさるのは、御不承知でござるか。 ( 間 ) あ、、これほどお賴み申すのに、 師直、しゃべり疲れて息も絶えん \ に打ち俯したまま、譫語のやうに「お願ひでござる、お願ひでござる」と云ひっ ゞける。侍從は全く處置に窮して、恨めしさうに茫然としてゐる。月の光が簀子にいよいよ鮮やかである。
「いてまっせ。 と、台所の方へ首だけ突ん出した。 「いてまっか ? 」 「わて、よう抱きまへんよって、見に來とくなはれ。」 「行っても大事おまへんやろか。」 「直ぐ降りとくなはれや。」 よろ そしたら、上らして貰ひまっさ。」 「宜しおま。 「早いことしなはれ ! 」 庄造は、狹い、急な段梯子を上る間も胸がドキノ \ した。ゃうノ \ 日頃の思ひが叶って、會ふことが出來 るのは嬉しいけれども、どんな風に變ってゐるだらうか。野たれ死にもせず、行くへ不明にもならないで、 : まさか一と 無事に此の家にゐてくれたのは有難いが、虐待されて、痩せ衰へてゐなければい、が、 月半の間に忘れる筈はないだらうけれど、なっかしさうに傍へ寄って來てくれるか知らん ? それとも例 はにか ・ : 蘆屋の時代に、二三日家を空けたあとで歸って來ると、もう何 の、羞澁んで逃げて行くか知らん ? ・ 處へも行かせまいとして、縋り着いたり舐め廻したりしたものであったが、もしもあんな風にされたら、 それを振り切るのに又もう一度辛い思ひをしなければならない。 「此處だっせ。 睛れ / 、とした午後の外光を遮って、窓のカーテンが締まってゐるのは、大方用心深い品子が出て行く時 364
「あの、品子はいつも二階だっか、階下だっか ? 」 「二階らしおまつけど、階下へかて降りて來まっしやろ。」 うちあ 「家空けることおまへんやろか ? 」 「分りまへんなあ。 裁縫したはりますさ力 ( 「風呂へ行く時間、何時頃だっしやろ ? 」 「分りまへんなあ。」 「さうだっか。そしたら、えらいお邪魔しましたわ。」 「石井君」 早くも一二間離れかけた自轉車の後姿に云った。 塚本は、疊を抱へて立ち上った間に、 「君、ほんまに行きはりまんのか。」 「どうするかまだ分れしまへん。兎に角近所まで行ってみまっさ。」 「行きなはるのんは勝手だすけど、後でゴタゴタ起ったかて、係り合ふのんイヤだっせ。」 ん 「君もこんなこと、疆子やお袋に云はんと置いとくなはれ。賴みまっさ。」 を みぎひだり 人そして庄造は、首を右左へ搖さ振り / \ 、 電車線路を向う側へ渡った。 ーに遇ふ とこれから出かけて行ったところで、あの一家の者達に顏を合はせないやうにして、こっそりリ、 猫 、、あんばいに裏が空地になってゐるから、ポプラーの蔭か雜草 なんと云ふ巧い寸法に行くであらうか。 ゝ、こ、大概家らしおまつけど。」 347
目元すヾしく、さすがに賤しからぬ気品を備へ、顏の肌にはまだ若々しいつやがあって、四十二三としか 受け取れなかった、さうして立居ふるまひのしとやかなことは申すまでもなく、ちょっとした體のしぐさ や物腰にたとへやうもなくみやびなところがあって、尼とは云ふもの、、何處かに阿娜めいた、たゞ者な らぬ感じがした。聞書の筆者はさう書いた後に、嚀に依れば此の尼は一と頃宴席などにも出で、座敷の興 を添へたことがあったと云ふが、さらでだに寄る邊ない女の身の、まして謀叛人の娘として世に疎まれる 境涯になっては、そんなことでもするより外にたっきの道はなかったかも知れない、けれどもそれがほん たうだとすれば、定めし若い時分にはそのみめかたちを都の人々に騷がれたであらうと、さうも記してゐ と多 0 は るのである。そこで私は思ふのであるが、此の老尼こそかの老人雜話に見える三成が息女、舞妓常盤の後 身ではなかったのであらう歟。聞書はたゞ噂をしるすのみであって、常盤と云ふ名を何處にも擧げてある のではないが、何となくさう云ふ氣がするのである。 うしとらカた 源太夫が語るところに依れば、尼が草庵は嵯俄釋迦堂より長の方、大澤の池へ行く路の傍の、とある藪か げにあって、部屋は僅かに二た間しかない怪しげな藁家の、廣い方の一と間を佛間に充て、、あさゆふ佛 こをんな に仕へながら、十三四になる小女と二人で暮してゐた。都が近いとは云ふもの、至って佗びしい場所であ るから、日頃訪れる者もなく、尼も人に接することをあまり喜ばない風であったが、筆者源太夫は尼につ いて昔のものがたりを聞かんものと、びと、せの秋釋迦堂へ詣でたついでに、そこの坊さんの紹介で漸く いろカ 書會ふことが出來たのであった。多分筆者は、その、思ひの外うら若く、殘んの色香を墨染の袖に包んでゐ ぶしつけ る尼と狹い一室に膝をつき合はせ、彼女の孤獨を慰めたり自分の無躾を詑びたりしながら、少しづ、身の あだ 163
かったが、でも氣のせゐか、その夥しく眼やにの溜った眼のふちだの、妙にしょんぼりとうづくまってゐ る姿勢だのを見ると、僅かばかり會はなかった間に、又いちじるしく老いばれて、影が薄くなったやうに 3 思へた。分けても彼の心を打ったのは、今の瞳の表情であった。在來とてもこんな場合に睡さうな眼をし かうろびやうしゃ たとは云へ、今日のはまるで行路病者のそれのやうな、精も根も涸れ果てた、疲勞しきった色を浮かべて ゐるではないか。 「もう覺えて工しまへんで。 畜生だんなあ。」 「阿呆らしい、人が見てたらあないに室惚けまんねんが。」 「さうだっしやろか。 「さうだんカ : そやさカ。 : ・濟んまへんけど、ほんちょっとの間、初ちゃん此處に待って くれて、此の襖締めさしとくなはれしまへんか。 「そないして、何しやはりまんね。」 : たゞ、あの、ちょっと、 「何もせえしまへん。 : 膝の上に抱いてやりまんねん。 「さうかて、姉さん歸って來まっせ。」 「そしたら、初ちゃん、そっちの部屋から門見張って、、見えたら直ぐに知らしとくなはれ。賴みまっさ。 襖に手をかけてさう云ってゐるうちに、もう庄造はずる / \ と部屋へ這人って、初子を外へ締め出してし まった。そして、 、、ゝ 0 かど こんか
て狹い方の部屋を占領したので、自然此方はその隣の廣い部屋を取ることになった。ゃうノ \ 十月に這人 ったばかりの、まだ私などは久留米絣の單衣を着てゐると云ふ暑い日のことであったから、廣い部屋の方 がしのぎよかったし、殊に角のところにあったので、風通しのよいのが有難かったが、その代り夜になれ ば東と南と兩側の硝子窓から燈火が洩れ易いので、遮蔽に手數のか、ることが豫想された。私達は代る 廊下へ出て、それとなく隣の病室の前を通ってみたが、暑いので人口の扉を半分ばかり開けてある隙 間から、さっきの婦人が風呂敷を寢臺の上に置いて、ほっとした形で腰かけたま、うなだれてゐる姿が見 えた。松女は、もう此處へ來てしまったからには待たされてゐる間が不安なので、早くその豫備の處置と 云ふのを受けてしまひたいのであったが、正午頃になってから、先づ隣室の婦人が階下の手術室へ呼ばれ て行ったきり、なか / \ 上って來さうな様子がない。私は 0 夫人の話もあるので、何か呻き聲のやうなも のが聞えてゞも來るかと思ひ、ときみ \ 階段の下り口の所まで行って耳を澄ましたが、し 1 んとして、何 の音も聞えて來ない。と、三四十分もたった時分、漸くかの婦人がそろり / 、、階段を上って來たが、顏を 眞っ赤に泣き張らして、きまり惡さうに私の前をすりぬけて行った。松女が階下へ呼ばれたのは、それか ら又暫く過ぎた午後一時頃であった。私も今日と明日とは立ち會ふ約東で來てゐるので、彼女に附き添っ て下りて行くと、診察室の奥に手術室があり、その隣に安樂椅子などを置いたちょっとした應接間のやう な所が出來てゐるのは、多分立會人がそこに控へてゐるための設備なのであらう。こ、でも間仕切の扉が 開いてゐるので、手術室の方がはすかひに見え、今しも手術臺の上に臥かされた松女の後姿の頭の方だけ 何本も垂れ下った洗滌器の管の此方に見えてゐたが、やがて二三人の看護婦が兩側から手術臺に近づ 427