だ鐵道も復舊しないやうな状態だから、と、さう云って電話を切った。しかしその晩、幸子と東京の嚀を した時に、雪子ちゃんが來たさうに云ってゐたから、それには及ばないと云って置いたけれども、見舞と 云ふロ實もあることだし、どうもやって來さうな口ぶりであった、と云ってゐたが、案の定その數日後に さち 幸子へ宛て、手紙が來、九死に一生を得たと云ふこいさんの顏も見たいし、思ひ出の深い蘆屋の里がどん な風に荒らされてしまったのか、實際の有様も見たいし、矢張一度行かないことには気が濟まない、 と云って來てゐたのであった。 ては近日突然立って行くかも知れない、 彼女はさう云ふ前觸れをして置いたので、その日はわざと電報も打たずに「つばめ」で東京を立って來た。 そして大阪で乘り換へて阪神の蘆屋で下りると、エ合よく自動車があったので、六時少し前に幸子姉の家 に着いた。 「いらっしゃいませ」 出て來たお春に衣裳鞄を渡すと、そのまゝ應接間へ這人って行ったが、家の中がひっそりしてゐるけはひ なので、 なかあん 「中姉ちゃんゐたはるのん」 お春は扇風機の風を雪子の方へ向けながら、 「はあ、あの、ちょっとシュトルツさんのお宅まで、 「悅ちゃんは」 皆さん今日はシ「一トルツさんへお茶に呼ばれていらっしゃいました。 「お嬢ちゃんもこいさんも、 330
ては面白がってゐた。お嬢ちゃん、まあ見て御覽、こんなエ合に何ぼでも剥がれますねんと云ひながら、 瘡蓋の端を摘まんで引き剥がすと、ずるノ \ と皮が何處迄でも捲れて行く。その瘡蓋を拾ひ集めて手の中 へ人れて、母屋の臺所へ戻って來て、ほら、お孃ちゃんの體からこんなに皮が剥けるねんと、それを下働 きの女中逹に見せびらかして気味惡がらすのであったが、しまひには皆が馴れて恐がらないやうになっ 妙子が何と思ったのか、今の間にちょっと東京へ行って來る、と云ひ出したのは、悅子の病氣がさう云ふ 風に日增しに快癒しつ、あった五月上旬のことであった。彼女が云ふのには、自分はどうしても一遍本家 の兄さんに直談判をして、お金の問題を解決しないことには気が濟まない、自分は洋行は止めにしたし、 今急に結婚すると云ふのでもないが、少し計畫してゐることがあるので、貰へるものなら早く貰ひたいし、 又どうしても兄さんが出してくれないのなら、そのやうに考へ直さなければならない、勿論此のことにつ いては中姉ちゃんや雪姉ちゃんに迷惑が懸らないやうに、單獨で、穩便に掛け合ふつもりであるから、心 配しないで貰ひたい、ついては、別に今月でなければならないと云ふ譯でもないが、雪姉ちゃんが此方に 來てゐる間の方が、泊めて貰ふにも都合がよいと思ふので、ふっとその気になったのである、自分はそん な狹い家の、子供が大勢騒いでゐる所になんぞ、ゆっくり泊ってゐたくはないから、用が濟んだら直ぐ歸 って來る、見たいと思ふのは芝居ぐらゐなものだけれども、それも此の間此方で道成寺を見たばかりだか ら、ムマ月はど、つでもよ、 、と云ふのであった。幸子は、掛け合ふと云っても誰を相手に掛け合ふのか、計 畫してゐること、云ふのはどんなことなのか、など、尋ねたが、近頃はや、ともすると二人の姉達に反對 こ 0 なかあん きあん 496
後援「大阪」同人會 幸子は二月早々に、鄕土會が印刷した此の案内状を封人して、本家の姉と雪子に宛て、書面を出した。姉 の方へは、あれから一遍雪子ちゃんに來て貰はうと思ひながら、そのうちに機會があること、心待ちにし てゐたけれども、去年もとうノ ( \ 目 何處からも好い話がなく、今年ももう節分が來てしまった、ついては、 別に用事があるのではないが、私も久しく雪子ちゃんの顏を見ないし、雪子ちゃんもそろ / 、此方が戀し くなった時分であらうから、差支へなかったら、何と云ふこともなく暫く寄越してくれないであらうか、 ちゃうど幸ひ同封したやうな山村舞の會があって、こいさんも出演することになり、是非雪子ちゃんに見 て貰ひたいと云ってゐるから、 と、簡單にさう書いてやったが、雪子の方へは少し細々と、今度の 會は故師匠の追善と云ふ名目なのであるが、かう云ふ催しも時局への遠慮から追ひ / \ 困難になるらしい ので、今のうちに一遍見て置いたらどうかと云ふこと、こいさんも、何分急な話ではあり、あれきり稽古 を怠ってもゐるので、一往辭退したのだけれども、此れきり當分舞ふ折もないことを思ひ、且は亡きお師 匠さんへの供養でもあると思って承諾したやうな譯であること、だから今度を外すと、もうこいさんの舞 を見る機會もないであらうこと、そんな事情で、こいさんの出し物はとても新しいものを準備する時日が 中ないので、去年手がけた「雪」を、又大急ぎで稽古して出すことにしたこと、衣裳だけは此の前のものを 使ふ譯にも行かないので、去年あたしが小槌屋で染めさせたあの小絞、あれならお誂へ向きであるから、 細 あれを着せることにしたこと、こいさんの稽古を見てくれる人は、故師匠の高弟で、大阪の新町に稽古場 461
なかった。陣場からはその後の節季に此の間の北京樓の勘定書を封人して來て、勝手ながら此の半額を 受け持って戴きたいと云って來たので、折り返して爲替を送ってやり、それで此の綠談は打切りになっ それらの報告を書いてやったのに對しても、本家からは何とも云って來ないのであったが、幸子は、雪子 ちゃんももう一と月になることだし、餘り長く留めて置いて後が利かなくなっても困るから、又來るにし ても一遍歸ったら、と、ほっノ \ す、めてゐた。で、四月三日のお節句の日には、悅子が學校の友達を招 いてお茶の會を催すのが毎年の例になってをり、その時はいつも、雪子が手づから。ハイやサンドヰッチを 作る習はしになってゐたので、そのお節句を濟ましたら歸る、と、常人も云ってゐたのであるが、さてお と云ふことになった。 節句が濟んでしまふと、もう三四日で祇園の夜櫻が見頃ださうだから、 「姉ちゃん、お花見してから歸りなさい、それまできっと歸ったらいかんよ。え、か姉ちゃん」 と、悅子は頻りにさう云ってゐたが、雪子を引き留めることについては、今度は一番貞之助が熱心であっ た。折角今迄ゐて、京都の花を見ずに歸るのは雪子ちゃんも心殘りであらうし、毎年の行事に大切な役者 が一人缺けては不都合であるから、と、さう云ふのであったが、實は貞之助は、そんなことよりも、妻が 此の間の流産以來妙に感傷的になってゐて、たま / \ 夫婦二人きりになると、胎兒のことを云ひ出しては 涙ぐむのに惱まされてゐるので、妹たちと花見にでも行ったら少しは紛れてくれるでもあらう、と云ふ下 心があるからなのであった。 京都行きは九日十日の土曜日曜に定められたが、雪子はそれまでに歸るのやら歸らないのやら、例の一向 242
と、幸子は云って、 、、に、晩は何ぞ奢りなさい」 「あんた、今日は雪子ちゃんも來たことやし、こいさん何遍も舞はしたさカ 「僕が御祝儀出すのんか」 「さうやわ、それぐらゐな義務ありまっせ。今夜はそのつもりで何も支度してあれしません」 「うち、何でも御馳走になりまっせ」 「何がえ、、こいさん。與兵か、オリエンタルのグリルゝ きあん 「うちは孰方でもえ、わ、雪姉ちゃんに聞いて見て、 「長いこと東京に行てたよってに、鯛の新しいのんが食べたいやらうで」 「そんなら、雪子ちゃんのために白葡萄酒を一本提げて、與兵へ行くか」 と、貞之助が云った。 「さあ、御祝儀が出るのんやったら、一生懸命舞はんならん。 懷爐を持ってお春が戻って來たのを見ると、妙子は口紅の痕の着いた吸ひかけを灰皿の綠に置いて、小褄 を取った。 二十八 貞之助は、今月は或る會社の整理の仕事が忙しく、二十一日には行けさうもないと云ってゐたが、嘗日の 朝事務所から電話で、こいさんの「雪」だけでも見たいと思ふから、「雪」が始まる少し前に知らせてく 466
拜啓 あれからとう / \ 忙しくて毎日手紙を書く暇がなく御無沙汰してしまひました。お赦し下さいませ 出發の夜、姉ちゃんは汽車が走り出すと怺へてゐた涙が一時に溢れて寢臺の帷の蔭へ顏を隱しました。 それから間もなく秀雄ちゃんが高い熱を出してお腹が痛いと云ひ出し夜中に何遍も便所へ通ふ騒ぎで姉 ちゃんも私も殆ど一睡もしませんでした。それよりもっと困ったことは、あてにしてゐた大森の借家が 急に家主の都合で解約になりました。そのことは出發の前日に東京からさう云って來て分ったのですが 今更仕様がないので立って來たのです。そして兎も角麻布の種田さんの所に泊めて戴き、今でもまだ此 上處にゐるのですが、突然のことで十一人もの大勢が御厄介になってゐるのですから種田さんのお家の御 迷惑はどんなでせうかお察し下さい。秀雄ちゃんは早速お醫者さんに來て貰ひましたら大腸加答兒ださ 細 うで昨日あたりからやっと快くなって來ました。家の方はいろ / \ の人に賴み八方へ手分けして大急ぎ 「はあ、わたしはちょっと : : 此方に用事がありますよってに、 「ふん、さう / \ 、こいさんは藝術家なんださうですな。僕聞きましたよ。偉いもんですな」 「阿呆らしい。そんなん、英吉利仕込みと違ひますか」 妙子は關原がウイスキ 1 好きであったことを思ひ出して、その晩も多少這入ってゐるのであらうと察した。 そして、如何です、ちょっとその邊でお茶でも、 ・ : と云ふのを手際よく外して、阪急の方へ急も 二十三 179
きり、蘆屋にさ ~ 、先日姉が來てゐた間にちょっと一晩戻ったゞけで殆ど寄り着かず、大阪の方 ~ は全然 歸らずじまひであったのは、 何よりもその問題に先手を打って、自分達は關西に居殘りたいのだと 云ふ意志表示をしてゐる積りなのであった。が、寂母はなほ言葉をついで、これは此處だけの話だが、ど うして雪子ちゃんやこいさんは本家へ歸るのを厭がるのであらうか、辰雄さんとの折合がよくないのだと も聞いてゐるけれども、辰雄さんは決して雪子ちゃん達の考へるやうな人ではないし、二人に對して何の 惡感情も持ってはゐない、たゞ、名古屋の舊家に生れた人で、考へ方が非常に律義なので、今度のやうな 場合に、二人が本家へ附いて來ないで大阪に居殘ると云ふのは、世間體が惡く、むづかしく云へば兄とし ての體面に關すると思ってゐるらしいので、もし云ふことを聽いてくれないと、鶴子ちゃんが板挾みにな って苦しまなければならない、それで、此の際幸子ちゃんへ折人っての賴みと云ふのは、二人は幸子ちゃ んの云ふことなら聽くのだから、幸子ちゃんから巧いエ合に説き付けて貰へないであらうか、誤解してく れては困るが、かう云ったからとて、二人が戻って來ないのを幸子ちゃんのせゐにしてゐるのではない、 いつばし分別のある大人で、もう奧様と云はれてもよい年頃になってゐるものが、厭だと云ふのを、端か ら何と云ったって、さう無造作に、子供を引き戻すやうな譯に行かないことは云ふ迄もないが、誰から云 ふよりも、幸子ちゃんから云って貰ふのが一番利き目がありさうだと云ふことに相談がきまったので、是 非一つ承知させて貰ひたい。 さう云って叔母は、 「今日は雪子ちゃんもこいさんもお内にゐてやおまへんか」 と、昔ながらの船場言葉で云った。 さち 170
になってゐて、辰雄夫婦も雪子も機嫌よくしてゐ、狹い所で窮屈だけれども是非泊って行ってくれろと、 皆がす、めるのであった。しかし全く狹い家なので、貞之助は築地の方に宿を取って、義理に一晩だけ泊 ったが、その明くる朝、辰雄や上の子供達が出かけてしまひ、雪子が二階を片づけに行ってゐる隙に、 「雪子ちゃんも落ち着いてるやうで、え、鹽梅ですな」 と、鶴子に云ふと、 「それがなあ、あないしてたらどうもないやうに見えますけど、 と云ふやうな話になった。鶴子の云ふのには、此方に移って來た當座は雪子ちゃんも氣持よく家事の手傳 今でも決して態度が變ったと云ふ譯ではな ひをしてくれ、子供達の面倒を見てくれたのであるが、 いが、たゞ時々、二階の四疊半に引き籠ったきり降りて來ないことがある、あまり姿を見せないので、上 って行ってみると、輝雄の机の前にすわり、頬杖をついてじっと考へ込んでゐることもあり、しく / \ 泣 いてゐることもある、それが、初めのうちは十日に一遍ぐらゐであったが、近頃だん / ( 、頻繁になりつ、 あって、そんな日には階下へ降りて來ても半日ぐらゐ物も云はない、。 とうかすると、人前でも涙を隱し切 れないで、ほたりと落すことがある、辰雄も私も、雪子ちゃんの取扱ひには隨分気を付けてゐるつもりな ので、別に何も機嫌を損ずる原因があるとは思はれないから、結局これは、關西の生活が戀しい、まあ云 ってみれば、鄕愁病のやうなものであらうと斷ずるより外はない、それで、少しは氣が紛れるやうにと思 って、お茶やお習字のお稽古を、又績けてみたらと云ふのだけれども、そんなことも一向取り合ってくれ 鶴子はさう云って、富永の母ちゃんの口利きもあって雪子ちゃんが素直に歸って來てくれ 192
くことになったので、彼女に留守を賴むためなのであったが、夫婦は雪子が行った翌日の土曜の午後に立 ち、日曜の夜おそく歸って來た。ところで、それから今日でもう五六日になるのだが、その間姉は何をし てゐるかと云ふと、毎日机に向ってお習字をしてゐる。何のためのお習字かと云ふと、名古屋で辰雄の實 家を始め親戚廻りをして、方々でもてなしに與ったについて、その家々へ禮状をした、めなければならな いのであるが、それが姉には大仕事なのである。殊に辰雄の嫂に當る人、 實家の兄の妻と云ふのが、 字の上手な婦入なので、それに負けないやうに書きませうと思ふと、一脣莱が張るのであらう、 名古屋の義姉に手紙を書かうと云ふ時は、字引や書翰文範を机の左右に置き、草書のくづし方一つでも にならぬゃうに調べ、言葉づかひにも念を入れて、幾度か下書きをすると云ふ風にして、一本の手紙を一 日が、りで書くのであるが、まして今度は五六本も書くのであるから、下書きだけでも容易に出來上らな いで、お稽古に日を暮してゐる。そして、雪子ちゃん、これでえ、やろか、何ぞ書き洩らしてえへんやろ かと、雪子にまで下書きを見せて相談をする始末なので、今日雪子が出て來る時までには、やっと一通し か書き上ってゐなかった。と云ふのである。 「何せ姉ちゃんは、重役さんの家へ挨拶に行く時かて、二三日も前から口上の言葉を口の中で暗誦して、 獨りごとにまで云ふぐらゐやさかいにな」 「そんで、云ふことがいな 東京へ行く云ふ話が餘り突然やったんで、此の間ちゅうは悲しいて / 、涙が出てしゃうがなかったけど、もうちゃんと覺悟出來たよってに、どないもあらへん。こないなっ ひとら たら、一日も早う東京へ行って、親類の人等びつくりさしてやらんならん、やて」 166
ひになって、近頃は以前の朗かさを取り返しつ、あったので、その點では幸子の見通しが中った譯であっ た。が、本家からは月々の小遣を貰ってゐ、その外に又作品が相當な値で賣れるところから、自然金廻り がよくなって、時々びつくりするやうなハンドバッグを提げてゐたり、舶來品らしい素敵な靴を穿いてゐ たりした。これには上の姉や幸子が心配して貯金をす、めたことがあったが、云はれる迄もなく蓄める方 も如才なく蓄めてゐて、ちゃんと郵便貯金の通帳を、上の姉には内證だと云って幸子にだけ出して見せ、 なかあん 「中姉ちゃんお小遣ないなら貸したげるわ」と云ったのには、さすがの幸子も開いたロが塞がらなかった。 と、或る時幸子は、「お宅のこいさんが奥畑の啓坊と夙川の土手を歩いてはったのを見た」と云って、注 意してくれた人があったのではっとした。實は此の間、妙子のポッケットからハンカチと一緖にライタア が轉げ出したのを見て、妙子が隱れて煙草を吸ふことには心づいてゐたが、廿五六にもなってそのくらゐ なことは仕方がなからうかと思ってゐた矢先だったので、當人を呼んで聞いてみると、本當だと云ふ答で あった。そして、だん / ( 、質して行くと、あれきり啓ちゃんとは音信不通になってゐたのだが、先日人形 の個展を開いた時に見に來て、一番の大作を買ってくれたりしたことから、又附き合ふやうになった、で も勿論淸い交際をしてゐるのだし、それもほんのたまにしか會はない、自分も昔と違って大人になってゐ るから、その點は信用して貰ひたいと云ふのであった。しかし幸子は、さうなって來ると、ア。ハ 1 トに部 屋を持たせておくことはちょっと不安で、本家に對しても責任があるやうに感じた。いったい妙子の仕事 と云ふものが、気分本位のものであり、そこへ持って來ていつばし當人は藝術家氣取でゐるので、製作と 云っても毎日詰めて規則的にするのではなく、幾日も績けて休むこともあり、気が向くと徹夜で仕事して