「そんでも、よくまあ荷物が收まったわなあ、姉ちゃん」 「ほんに。 荷物が此處へ屆いた時は、これだけの品物が收まるやらうか思うたけど、何處へどう 這入ったんか、どうぞかうぞ片附いてしまうた。家云ふもんは、狹いやうでも詰めたら詰まるもんやわ その夕方、幸子を二階へ案内すると、共のま、そこに坐り込んでそんな風に話し出す姉であったが、さう 云ふ間にも、もう子供たちが上って來て二人の襟首に取り縋るので、暑苦しい、下へ行ってなさい、叔母 ちゃんのべべが皺になるがなと、姉は絶えず叱りつゞけつ、言葉を繼がなければならなかった。 「さ、正雄ちゃん、あんた下へ行って、叔母ちゃんに早う冷たいもん持って來たげるやうに、お久どんに 云うといで。さ、正雄ちゃん、お母ちゃんの云ふこと聽きなさい。 さう云って姉は、四つになる梅子を膝の上に抱き取りながら、 「芳雄ちゃんは下へ行って團扇取って來なさい。秀雄ちゃん、あんた兄ちゃんやないか、兄ちゃんが先に 下へ行かないけません。さ、お母ちゃんは久し振で叔母ちゃんと話があるのんに、そない引っ着かれたら 話が出來しませんやないか」 「秀雄ちゃんはいくつになるのん」 「僕九つや」 「九つにしたら大きいなあ、さっき門で遇うた時、哲雄ちゃんか思うたわ」 「柄は大きうても、此の通りお母ちゃんの傍にばかり喰っ着いてゝ、ちょっとも兄ちゃんらしいことあれ 360
」とへドモドするばかりなので、「如何 / \ 慌て、、眞っ赧な顏をして、「あのう、 4 です」と、紳士は二三度さう云ひながら立ってゐたが、とう / \ 斷念したらしく、「や、大夐失禮いたし 2 ました」と、丁寧にお辭儀をして又行ってしまった。雪姉ちゃんは、「こいさん、早うせう / \ 」と、大 急ぎで菓子を詰めさせて外へ飛んで出たが、「誰ゃねん、あの人」と、聞くと、「あの人やがな、此の間會 うたん」と云ふので、それではあれが見合ひをした野村とか云ふ人なのかと、やっと妙子に合點が行った、 と云ふのである。 「何せ雪姉ちゃんの慌て方云うたらないねん、あんぢよう斷り云うたらえゝのんに、あのう、あのう、云 うてウロウロしてるねんもん」 「雪子ちゃんそんな時にてんとあかんねんわ。あの歳になっても十七八の娘と一緒ゃねん」 幸子はちゃうど話の出たついでに、妙子が何か聞いてゐることもあらうかと、雪子ちゃんあの人のことど ない思うてるのんか、何ぞ云うてえへなんだやろか、と云ふと、そんで、うち、あんたどない思うてるね ん云うて聞いてやったら、縁談のことは姉ちゃんと中姉ちゃんに任してあるさかい、行け云はれたら何處 えらい我が儘云ふみたいやけど、 へなと行くつもりやねんけど、あの人のとこだけはよう行かんさかい こいさんから中姉ちゃんに云うてほしい云うて、賴まれて、んわ、 どうぞこれだけは斷ってくれるやうに、 と、さう妙子は云ふのであった。妙子も野村と云ふ人を始めて見て、話に聞いたよりもまだ老けて ゐるのにびつくりし、なるほど此のお爺さんでは雪姉ちゃんが厭だと云ふのも當り前だと感じたくらゐで、 雪姉ちゃんの嫌ふ理由はそこにあるのに違ひないと思ふけれども、雪姉ちゃんは風采や顏つきのことなど ねえ あのう、 なかあん
ん」と呼ぶのであった。 「きっとタ方までに歸るなあ姉ちゃん」 「ふん、きっと歸る」 「きっとやなあ」 「きっとや、お母ちゃんとこいちゃんは神戸でお父さんが待ってはるさかい 姉ちゃんは歸って來て悅ちゃんと一緖に内でたべる。何ぞ宿題あるのんやろ」 「綴方があるねん」 「そんなら遊ぶのんえゝ加減にして、書いときなさいや、歸ってから見たげるよってに」 「姉ちゃん、こいちゃん、行ってらっしゃい」 さう云って玄關まで送って來た悅子は、スリツ。 ( アのまゝ土間へ降りて、敷石の上を跳びながら門の際ま で二人の叔母の跡を追って出た。 「歸るなあ、姉ちゃん、謔ついたらいかんよ」 「何遍一つこと云うてるのん、分ってるがな」 「歸らなんだら悅子怒るよ、えゝか姉ちゃん」 上「あ、うるさい、分ってる、分ってる」 雪 雪子はしかし、自分が悅子からさう云ふ風に慕はれてゐるのが嬉しいのであった。どう云ふ譯か、此の兄 細 は母親が外出すると云ってもこんなにまで跡を追はないのに、雪子が出かける時はいつも執拗く附き纒っ 晩の御飯たべに行くけれど、
分にはどうもその不安があり、さうなった時に「それ見たことか」と世間の人に後指をさ、れたくないか ら、生活の點で全然啓ちゃんと云ふものを當てにしないで行けるだけの、 反對に、自分がいつでも 啓ちゃんを食べさせて行けるだけの、 職業を身につけ、初めから啓ちゃんの・收人に賴らないでやっ て行きたい、自分が洋裁で自立することを思ひ付いた動機の一つは此處にある、と云ふのであった。 尚又、幸子は妙子の話のうちに、彼女が最早や東京の本家へは決して引き取られない覺悟でゐることも、 ほゞ察しがついた。尤も此のことは、本家の兄や姉たちも雪子一人をさへ持て餘してゐるくらゐで、さし あたり妙子を呼び寄せる意志はないらしいと云ふことを、いっぞや雪子も云ってゐたのであるが、今日と なっては、たとび本家が呼び寄せようとしても、恐らく妙子はそれに應じないであらうと思へた。彼女は 義兄が東京へ移住して以來一脣締まり屋になったと云ふ噂を聞くにつけても、自分は多少の貯へも出來て をり、人形の方で收入もあることだから、もっと月々の仕送りを減らして貰ってもよいと思ってゐる、本 きあん 家も六人の子供達が追ひ / \ 成長するし、雪姉ちゃんのことも見て上げなければならないし、なか / \ 經 費が懸るであらうから、何とかして兄さんや姉ちゃんの負擔を輕くして上げたいと思ってゐるので、その うちには全然仕送りを斷ってもやって行けるやうになるであらう、たゞ、兄さんや姉ちゃんに是非聽き入 れて貰ひたいのは、來年あたり佛蘭西へ修業に行くことを許可してくれること、、お父さんから預かって 中ゐる筈の私の結婚の支度金の一部、もしくは全部を、その洋行費として出してくれることである、自分は 兄さんが自分のために預かってゐるものが何程あるかよく知らないが、半年か一年間の巴里滯在費と往復 細 の船賃ぐらゐには事を缺かないであらうから、何卒是非それを出して貰ひたい、自分は萬一洋行のために 259
たが、その提案が容れられて、新暦の三月三日と云ふ今日、飾り付けが始められたところなのであった。 「ほうら、悅ちゃん、お母ちゃんの云ふのんが當ったやろ」 「ほんに、やつはり今日やってんなあ」 「姉ちゃんお節句にやって來やはった。お雛さんと一緖やわ」 「縁起がよろしうございますわ」 と、お春が云った。 「今度はお嫁に行くやろか」 「悅ちゃん、姉ちゃんの前でそれ云はんときなさいや」 「ふん、ふん、分ってるよ、そんなこと」 「え、か、お春どんも氣イ付けなんだら、此の前みたいなことになるで」 「は、分っとります」 「どうせ知れることやさかい、蔭で云ふのんは構めへんけど、 「は、 「こいちゃんに電話かけんでもえ、 ? 」 と、悅子が興奮した聲で云った。 「かけて參りましよか」 「悅ちゃん、自分でかけなさい」 204
おん許へ 「雪子ちゃん、姉ちゃんからこんなこと云うて來たで。まあ讀んで御覽。 と、幸子は眼の綠を紅くしながら、先づそれを雪子に見せたものであった。 「姉ちゃんにしては珍しい強硬な手紙やで。雪子ちゃんも大分恨まれてるやないか」 「此の手紙、兄さんが書かせてはるねんわ」 「それにしたかて、書かされる姉ちゃんも姉ちゃんやないの」 と書いてあるけど、そんな 「兄さんの顏を蹈みつけにして本家の方へは少しも歸って來てくれず、 こと、昔のことやわ。東京へ行ってからの兄さんは、本氣であたし等を引き取ることなんか、考へてはれ へなんだんや」 「雪子ちゃんは兎に角、こいさんなんか來てくれたら迷惑や、云はんばかりやった癖に」 「第一あんな狹い家に引き取れるかいな」 「此の手紙で見ると、何やこいさんを不良にしたのはあたしの責任見たいやけど、あたしは又、どうせこ いさんは本家の云ふことを聽く人やあれへん、せめてあたしが間へ立って監督してたら、ひどい脱線もせ 下えへんやらう、云ふ考やった。姉ちゃんはこない云ふけど、私が舵を取ってなんだら、今迄にもっと脱線 して、ほんまの不良になってたかも知れへんねん。あたしはあたしで、本家のためも思ひ、こいさんのた 5 細 きず めも思うて、孰方にも瑕が付かんやうに苦心したつもりやってんわ」 さち なん
「悅ちゃん、そんなら行って來まっせ」 こをんな 雪子は出しなに洋間を覗いて、小女のお花を相手にまゝ。ことの道具を並べてゐる悅子に云った。 「え、か、あんちょう留守番賴みまっせ」 「お土産分ってるなあ、姉ちゃん」 「分ってる。こなひだ見といた御飯の炊ける玩具やろ」 悅子は本家の伯母のことだけを「をばちゃん」と呼び、二人の若い叔母のことは「姉ちゃんー「こいちゃ 「なあ、雪子ちゃん、どない云うとかう」 「どないなと云うといて」 あんちょ 「さうかて、あの人、味善う云はなんだら承知しやはれへんねん」 「そこのとこ、え、やうに賴むわ」 「そんなら、兎に角、明日のとこだけ見合せてもろとくわな」 「ふん」 「え、やろ、それで」 「ふん」 立ってゐる幸子には、坐って下を向いてゐる雪子の表情を、どうにも讀み取りゃうがなかった。
を眞っ直ぐ南へ下ったが、その間御牧はびどく上機嫌で、車の中に葉卷の匂を籠らせながらしゃべりつゞ 小父ちゃん、小父ちゃんの けた。虎子はいっか御牧のことを小父ちゃんと呼ぶやうになってゐて、ねえ、 名前が御牧で、うちの名前が蒔岡で、孰方もマキの字が付くんやわねえ、と、突然そんなことを云ひ出し たので、此奴あい、ことを云ってくれた、悅ちゃん、君は中々利ロだと、御牧はすっかり嬉しがり、だか らやつばり悅ちゃんの家と僕の家とは最初から綠があったんだよ、と云ふと、ほんたうにね、と、光代が 傍から合槌を打って、雪子お嬢さんもス 1 ッケースや ( ンカチのイニシャルをお書き變へになる必要がな いなんて、第一便利ぢやございませんか、と云ったのには、雪子も聲を擧げて笑った。 明くる日ミヤコホテルの國嶋から電話で、昨夜はまことに好結果に行き、双方滿足の御樣子であったのは と云ひ、自分は今夜御牧氏と同道歸京するが、結納その他のことについては、追って井 欣快に堪へない、 谷嬢を以て連絡申上げるであらう、なほ昨夜の廣親子の話では、阪禪の甲子園に園村氏所有の恰好な家作 があり、賣ってもよいと云ふことであるから、それを子爵家が買ひ取って新夫婦に贈ることにならう、御 牧氏は近々大阪か神戸に職を求めることにならうし、彼處なら蘆屋も近いことであるから、萬事に都合が よいであらう、たゞ、目下その家は借家入が住んでゐるので、至急に出て貰ふやうに交渉するとのことで あった、と云って來た。貞之助はそれにつけても、澁谷の義兄から未だに返事が來ないのが莱に懸ったが、 本家の態度が妙にはっきりしないのは、雪子の件で義兄が矢張面白くなく思ってゐることもあり、外にも 理由があるかも知れないと察せられたので、或る日此方から辰雄に宛て、次のやうな趣旨の書面を出して 今囘の縁談については姉上から詳細お聽き取りのことであらうが、小生も決してこれを最上 見た。 862
「何で、お母ちゃん」 田舍の年寄の人云うたら、さう云ふことがやかましいさかいに 「何で、 「今日何ぞあるのんと違ふ ? 」 今日は螢狩に行くのやありませんか」 「何でえな。 「さうかて、螢狩にしたら、お母ちゃんも、姉ちゃんも、えらいおめかし、てるやないの」 「院ちゃん、螢狩云うたらな、 と、妙子が助け船を出した。 「ほら、よう繪に晝いてあるやろ、 云ふ風に」 と、ちょっと手つきをして見せながら、 團扇を持って、池の周りや土橋の上で螢を追ひ駈けてはるやないの。螢狩云うたら、あ、云ふ風 に友禪のべべを着て、しゃなりノ ( 、して行かなんだら莱分が出えへんねん」 「そしたら、こいちゃんは」 「こいちゃんは今時分に着る餘所行きのべべがないねんもん。今日は姉ちゃんがお姫様で、こいちゃんは モダ 1 ンガ 1 ルの腰元や」 みなのか 妙子はつい二三日前に、三七日のお詣りに岡山在まで行って來たところなのではあるが、もうあの不幸な 出來事が格別の創痍を心に留めてゐないらしく、元莱になってゐた。そして時々おどけたことを云って悅 お姫様が大勢腰元を連れはって、長い振袖のべべを着て、かう 556
「お嫁人りの時に被りなさい」 「阿呆らしい、あたしの頭に合ふかいな」 幸子が冗談を云ったのを、雪子は機嫌の好い笑顏で受けた。さう云へば彼女の頭の鉢は、毛が豊かなので 見たところでは分らないけれども、飛び拔けて容積が小さいのであった。 とこ 「雪子ちゃん、え、所へ來た」 と、貞之助が云った。 今日はこいさん鬘が出來て來たのんで、一遍ちゃんと衣裳を附けて舞うて見よう云ふことになっ けふ てん。それに廿一日は火曜日やのんで、僕見に行けるかどうか分らんよってに、今日本式に舞うて見せて 貰はう思うて」 「悅子も廿一日は行かれへんねん、殘念やわ」 「ほんに。何で日曜にせえへんのんやろ」 「時節柄、餘りばっとせんやうに、云ふ趣意かも知れんな」 「そんなら、中姉ちゃん、 と妙子が、傘を開いて柄を眞っ直ぐに、右の手に持ちながら云った。 今のとこ、もう一遍彈いて見て欲しい」 「そんなこと云はんと、初めからやりなさい」 貞之助が云ふ尾に附いて悅子も云った。 なかあん 464