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に、折角智慧を借りる積りでゐた貞之助に、あ、ゝ云ふ風に云はれてしまふと、殘る相談相手としては雪子 より外にないので、何とかロ實を構 ~ ても彼女を呼び寄せたい所であったが、それには好都合にも、亡く なったおさく師匠の追善の舞の會が、來月の下旬に大阪三越の八階ホールで催されることになったのであ こ 0 山村さく 山村流舞の會 師匠追善 日時昭和十四年二月廿一日 ( 午後一時開催 ) 場所高麗橋三越八階ホール 出しもの袖香爐 ( 手向 ) 、なのは、黒髮、すり鉢、八嶋、江戸土 産、鐵輪、雪、芋かしら、都鳥、八景、茶音頭、ゆかり の月、桶取り ( 次第不同 ) 出演者名及番組は當日呈す 會費不要 ( 當日招待券無き方は謝絶す ) 申込期日二月十九日限り會員及御家族に限る 右御來會御希望の方は往復ハガキにて申込まれたし、復のハガキを以 て招待券として返信す 主催山村さく門下鄕土會 460
人形の締めてゐるだらりの帶には、大方兄のキリレンコにでも智慧を借りたのであらう。黒地にペインテ ックスで桂馬と飛車の將稘の駒が描いてあるのであった。 「これ、見て下さい」 と、カタリナは又、上海時代の寫眞帳を出して來て、「これ、わたしの前の日一那さん」「これ、わたしの 娘」など、云った。 「此の娘さん、カタリナさんによく似てゐます。別嬪ですね」 「あなた、さう思ひますか」 「え、、ほんたうによく似てゐます。あなた、此の娘さんに會ひたいと思びませんか」 「此の娘、今英國。會ふこと出來ません。仕方ないです」 「英國の何處にゐるか、あなた分ってゐるんですか。あなたもし英國に行ったら、此の娘さんに會ふこと 出來ますか」 「それ、分らない。けれど、わたし、會ひたい。わたし、會ひに行くかも知れませんね」 カタリナは別に感傷的にもならずに、平気でそんな風に語った。 貞之助と幸子とは、さっきから内々室腹を感じ出してゐて、互にそっと腕時計を見ては眼を見合はしてゐ とぎ たが、會話の跡切れた時を待って、貞之助が云った。 「あなたの兄さん、どうしましたか。今夜お留守ですか」 「あたしの兄さん、毎晩おそく歸ります」 118
細雪中卷 れるやうに幸子に云って來た。と、今から來やはったらちゃうど好い時分ですと、幸子から知らせて來た のが二時半頃であったが、出ようとするところへ來客があって三十分ばかり用談をしてゐると、大急ぎで お越しにならなんだら間に合ひませんと、お春の聲で又懸って來たので、あたふたと客を追ひ歸して、堺 筋今橋の事務所から、一と跨ぎの距離なので帽子も被らずに昇降機に走り込み、電車通りを横切って向う 角の三越へ駈け付けた。そして、八階ホ 1 ルの會場へ上って見ると、舞臺ではもう妙子が舞ってゐるので あった。幸子の話だと、今日の會は鄕土會の會員の外に、「大阪」同人會の方の會員と、その會が發行し てゐる機關雜誌の讀者などが主で、一般に公開するのではないから、そんなに大勢は來ないであらうと云 ふことであったが、近頃珍しい催しなので、手蔓を求めて招待券を都合した者が多いらしく、椅子席は殆 ど滿員で、うしろの方に立って見物してゐる一群もあった。貞之助も、席を捜してゐる時間がないので、 立ってゐる人々の肩の間から覗いてゐたが、ふと氣が付くと、一間ばかり離れたところに、見物人の最後 列に立って、ライカを舞臺の方に向けて、ファインダーに顏を押し着けてゐる男のゐるのが、板倉に紛れ もなかった。貞之助ははっとして、先方から見付けられないうちに遠い隅の方へ逃げて來て、時々こっそ り窺ふと、板倉は外套の襟を立て、顏を埋め、めったにキャメラから首を擧げないで、つゞけざまに妙子 を撮ってゐる。が、當人は人目を避ける積りでわざと外套を着てゐるのであらうが、その外套と云ふのカ ロスアンジ = ルス時代のものらしい映畫俳優好みの派手な柄なので、却って目立ってゐるのであった。 妙子の「雪」は去年も一度出してゐるので、することにソッはなかったが、何分あれ以來稽古を怠ってゐ て、今度の出演が決定してから急に一箇月程練習したヾけであり、それに、今迄は鄕土會と云っても神杉 ヾゝ、 467
せんやうですな。それで瀬越君は純日本式のお嬢様が好きになったと云ふ譯ですか」 はにか と、五十嵐が半疊を入れながら途端に含羞んで俯向いてしまった雪子の横顏へ、食卓の此方の隅から敏速 な視線を投げた。 「しかし、歸朝なすっても今の會社に動めてをられたら、佛蘭西語は上達なすったでせうな」 と、貞之助が云った。 「それがさうも參らないんです。會社は佛蘭西の會社ですけれども、日本人が大部分で、佛蘭西人は重役 級に二三人ゐるぐらゐなものなんですから」 「すると、あまり佛蘭西語の會話をなさる機會はおありにならないんですか」 「まあäの船が這人った時なんかに出かけて行ってしゃべるくらゐなものでせうか。商業用の手紙だけ は始終書かされますけれども」 「雪子お嬢さんは、今でもずっと佛蘭西語のお稽古をなすっていらっしゃいますの」 と、井谷が聞いた。 「はあ、 : 姉が習ってゐるものでございますから、そのお附合に、 「先生は誰方でいらっしゃいますの、日本人の方 ? 佛蘭西人の方 ? 」 「佛蘭西人で と、雪子が半分云ひかけたあとを幸子が引き取って、 ・日本人の奥さんになってゐる方ですの」
後援「大阪」同人會 幸子は二月早々に、鄕土會が印刷した此の案内状を封人して、本家の姉と雪子に宛て、書面を出した。姉 の方へは、あれから一遍雪子ちゃんに來て貰はうと思ひながら、そのうちに機會があること、心待ちにし てゐたけれども、去年もとうノ ( \ 目 何處からも好い話がなく、今年ももう節分が來てしまった、ついては、 別に用事があるのではないが、私も久しく雪子ちゃんの顏を見ないし、雪子ちゃんもそろ / 、此方が戀し くなった時分であらうから、差支へなかったら、何と云ふこともなく暫く寄越してくれないであらうか、 ちゃうど幸ひ同封したやうな山村舞の會があって、こいさんも出演することになり、是非雪子ちゃんに見 て貰ひたいと云ってゐるから、 と、簡單にさう書いてやったが、雪子の方へは少し細々と、今度の 會は故師匠の追善と云ふ名目なのであるが、かう云ふ催しも時局への遠慮から追ひ / \ 困難になるらしい ので、今のうちに一遍見て置いたらどうかと云ふこと、こいさんも、何分急な話ではあり、あれきり稽古 を怠ってもゐるので、一往辭退したのだけれども、此れきり當分舞ふ折もないことを思ひ、且は亡きお師 匠さんへの供養でもあると思って承諾したやうな譯であること、だから今度を外すと、もうこいさんの舞 を見る機會もないであらうこと、そんな事情で、こいさんの出し物はとても新しいものを準備する時日が 中ないので、去年手がけた「雪」を、又大急ぎで稽古して出すことにしたこと、衣裳だけは此の前のものを 使ふ譯にも行かないので、去年あたしが小槌屋で染めさせたあの小絞、あれならお誂へ向きであるから、 細 あれを着せることにしたこと、こいさんの稽古を見てくれる人は、故師匠の高弟で、大阪の新町に稽古場 461
も目につき易いから、むさくろしい所ではあるけれども、阪急岡本の私の住居の方 ~ でも來て戴いて、お 會ひになったら如何であらうか、先方は此の次の日曜日あたりを望んでをられるのですが、と云ふ話なの である。 「なあ、どうやろか、雪子ちゃん承知してくれるやろか」 「雪子ちゃんより、本家がどう云ふか知らん。まだはっきり極まった譯でもないのんに、餘り深人りせん 方がえ、、云へへんやろか」 「先方の腹は、顏のシミがどんな程度か、もう一遍見たいのやないか知らん」 「ほんに、そうやわきっと」 「それやったら、會うた方がえ、やないか。今やったらちょっとも分らんやうになってるよってに、、 もはこんな風や云ふこと、見といて貰はな損ゃないか」 「さうやわ。それ斷ったら、何や見られるのん嫌がってるみたいやわ」 夫婦の間にそんな風な會話があってから、翌日幸子は、家の電話では又後が面倒なと思って、近所の公衆 電話へ行って本家の姉を呼び出したものだった。と、案の定、何でそんなに何遍も會はんならんねん、と 云ふやうなことなので、五通話も費して譯を話すと、それはさうかも知れないけれども、どうなるとも分 上らないうちから、二人きりで會ふやうなことを許してよいかどうか私には分らないから、今夜兄さんと相 談して明日返事をしようと云ふ。で、幸子は翌朝、向うから懸って來ないうちにと、又公衆電話へ走って 細 行って、どうやら義兄が 時間、場所、監督等、いろ / \ 條件つきではあるが、 許可したこと
姉の襟頸から兩肩へかけて、妙子は鮮かな刷毛目をつけてお白粉を引いてゐた。決して猫背ではないので あるが、肉づきがよいので堆く盛り上ってゐる幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋睛れの明りがさし てゐる色つやは、三十を過ぎた人のやうでもなく張りきって見える。 「井谷さんが持って來やはった話やねんけどな、 「さ、つ、 「サラリ 1 マンやねん、ä化學工業會社の社員やて。 「なんぼぐらゐもろてるのん」 「月給が百七八十圓、ポーナス人れて二百五十圓ぐらゐになるねん」 「化學工業云うたら、佛蘭西系の會社やねんなあ」 「さうやわ。 よう知ってるなあ、こいさん」 「知ってるわ、そんなこと」 一番年下の妙子は、二人の姉のどちらよりもさう云ふことには明るかった。そして案外世間を知らない姉 達を、さう云ふ點ではいくらかく見てもゐて、まるで自分が年嵩のやうな口のき、方をするのである。 「そんな會社の名、私は聞いたことあれへなんだ。 本店は巴里にあって、大資本の會社やねんてな 「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」 「さうやて。そこに勤めてはるねんて」 あたし 4
たしもそれに賛成したには違ひないけど、云ひ出したのは井谷さんなんですから、怒るなら井谷さんに怒 ってよ、と、丹生夫人はさう云ってから、さうイ、、、さう云へば此の間陣場さんの奥さんに會ったら、あ なた方の噂をしていらっしやったわ、陣場さんもお世話なすったことがあるんですってね、と云ふのであ : と、ち った。幸子ははっとして、陣場さん何とか云うてをられたでせうか、と云ふと、え、あの、 よっと躊躇しながら、お世話したんだけれどはっきり斷られちまったって云っていらしったわ。 場さんきっと怒ってをられるのでせうね、と云ふと、さあ、さうかも知れないけど、さう云ったって綠が ないものは仕方がないわ、そんなことで一々怒ってたら縁談の世話なんて出來やしないちゃありませんか、 あたしは決して野暮は云びませんから、お會びになってお嫌だったら御遠慮なくお斷りになったらい、わ、 ・ : ねえ、兎も角も會ふ そんなにむづかしくお考へにならないで、気輕にいらしって戴けないか知ら、 だけ會って御覽になるやうに雪子さんに仰っしやってよ、會ひもしないでお斷りになったら、それこそあ : さう云って丹生夫人は、自分の方は孰方にしても座敷を申込んだことであるから、 たし怒ってよ。 定刻には橋寺氏を誘って約束の場所へ出かけて行くつもりなので、御返事のお電話を戴くには及ばない、 : と云ふのであった。 大概お越しになるものと思ってお待ちしてゐる、 幸子は、今日聞いて今日と云ふ、足元から鳥の立つやうな申込みに應ずることが餘りにも輕々しいと云ふ 下莱持はあるが、それにこだはりさへしなければ、今日雪子を出してやることに何の差支へもあるのではな かった。雪子が一人で行くことは嫌がるであらうが、今迄にも幸子の代りに貞之助が附添って行った例が 1 細 こ。司題は何處までも、そんなに あるので、貞之助の都合さへよければ、その方はそれで濟みさうに思へ / ド ことわ
な憧れを寄せてゐる人々が多く、特に熱心な支持者達は鄕土會と云ふものを組織し、神杉と云ふ辯護士の 未亡人の家に集って月に一囘お浚ひをする例になってゐたが、妙子はその會にも出席して、自分もしば 2 舞ふと云ふ程の打ち込み方であった。 貞之助や幸子達も、妙子が舞ふ時は雪子や悅子などを連れて見物に行ったものなので、自然その會の人々 とも昵懇を重ねるやうになったが、そんな關係から、妙子が幹事の人に賴まれたと云って、六月の會場に 蘆屋のお宅を貸して戴けないでせうかと云ふ話を持って來たのは、今年の四月の末であった。實は鄕土會 も、去年の七月以來時局に遠慮して暫く中止してゐたところ、さう云ふ研究的な質素な集りのことである から、此の際自肅して催すのなら差支へないであらうと云ふ者が出て來、紳杉さんのお宅も毎度のことで 御迷惑であらうから、一遍場所を變へてみたらと云ふ意見なども現れたと云ふ譯なのであったが、幸子た ちも好きな道なので、神杉さんのお宅のやうな十分な設備は整はないけれども、それさへお構ひなかった らと、部屋を提供することにした。で、禪杉家では置き舞臺の用意などがあるのだけれども、それを大阪 から蘆屋まで運んで來るのは厄介であるから、蒔岡方では階下の二た間っゞきの洋間の家具を取り拂ひ、 食堂のうしろに金屏風を立て、其方を舞臺にし、應接間の方を見物席として、絨毯の上に坐って見て貰ふ ことにする。樂屋には二階の八疊の座敷を當てる。會は六月の第一日曜日、五日の午後一時から五時頃ま で。妙子も當日は出さして貰って、「雪」を舞ふ。と云一ふやうなことが取り極められたので、五月に這入 ると、妙子は週に二三囘も稽古場へ通って練習を勵み出したが、特に二十日から一週間のあひだ、おさく 師匠の方から毎日蘆屋の家へ出向いて稽古を附けてくれた。本年五十八歳になるおさく師匠は、元來が蒲