より酒の量を過した。と、こいちゃん今夜は泊って行きなさい、 と悅子が云ひ出し、その尾について貞之 助達も勸めるので、とう / \ 泊ることになったが、悅子の喜び方は非常で、こいちゃん今夜は悅子の部屋 はしゃ で姉ちゃんと悅子と三入で寢なさいと、かう云ふ時の癖で、ひどく興奮して燥いだりした。 妙子はもう、以前の彼女が持ってゐた性的魅力を完全に取り返してゐた。あの病気の時に幸子が見た、廢 頽した、疲れ切ったやうな感じ、 どす黝く濁った、花柳病でもありさうな血色、 あ、云ふ風 に皮膚が一遍たるんでしまっては、もうもとの漫剌さに立ち復ることは出來まいかと思へたのに、 間にか又活き / \ とした、頬の豊かな近代娘になってゐた。でも貞之助が本家の手前を考へて、當分別居 だけはしてゐた方がよい 、と云ふことだったので、矢張甲麓莊に寢起きしつ、 、毎日大概半日は蘆屋で暮 すやうにしてゐた。そして、前に彼女が使ってゐた二階の六疊が再び彼女に與へられたので、近頃は折々 その部屋に閉ち籠って、日あたりのよい窓の下で一生懸命ミシンをかけてゐることがあった。それは幸子 が取って來てくれる注文の仕事をするのであったが、もと / \ 洋裁は好きなので、やり出すとなか / \ 熱 心に續け、夕食もそこ / \ にして又二階へ上ったりした。幸子はなるべく奥畑に妙子のことで金錢上の迷 惑を掛けないやうにと思ふところから、それと云はずに始終注文を貰って來てやるのであったが、さう云 ふ風に精出して働いてゐる妙子を見ると、又いとしくもなって來るのであった。ほんたうに、ヒ 止の妹には かう云ふ仕事好きな一面もあったのだ、活動的で、じっとしてゐられない性分であるから、グレ出したら 惡い方へもどん / \ グレて行くけれども、導きゃうで良い方へも伸びる人なのだ、才能があって、手先が 器用で、僅かな間に何事でもモノにしてしまふ妙子、 ・ : 舞を舞はしても上手であるし、人形を作らし かへ 774
さう云ふ丹生夫人の聲の調子にもたゞならぬものがあった。齒切れのよい東京辯の人なのが、興奮してゐ るので一脣テキ。ハキした口調になって、何だか知れないが橋寺さんがひどく怒ってゐる、僕はあんな因循 姑息なお嬢さんは嫌ひです、あなた方はあの人を花やかだなんて云はれるけれども、何處に花やかなとこ ろがあるんです、僕は此の縁談はキツ。ハリお斷りしますから今直ぐ先方へその旨をお傳へ下さいと云って ゐる、何でそんなに怒ってゐるのかよく分らないけれども、二人きりでゆっくり話し合って見ようと思っ て、今日の夕方から一緖に散歩に行くやうに誘って見た、すると最初に女中が出たので、雪子さんがいら 雪子さんが出て來 しったら出て下さいと云ふと、ゐますと云って引っこんだきり、どう云ふ譯かなか / \ ない、散々待たして漸う出たには出たけれども、御都合は如何ですと云っても、はいあのう、はいあのう を繰り返すばかりで、イエスだかノーだかさつばり分らない、問ひ詰めると聽き取れないやうな細い聲で、 : と、やっとそれだけ云って、あとは一と言も云はない、僕も癪 ちょっと差支へがございますので、 いったいあのお嬢さんは人を何と に觸ったからそれきりプッリ切ってしまった、橋寺さんはさう云って、 丹生夫人はこゝ 思ってるんです、餘り馬鹿にしてるぢゃありませんかと、かん / ( 、になってゐる。 まで一氣にしゃべって來て、 「さう云ふ譯ですから、殘念ですけれど此の話は駄目になったと思って頂戴」 下と云ふのであった。 : あたしがゐたらまさかそんな失禮 7 「ほんまに、ほんまに、あなたにえらい御迷惑かけてしまうて、 細 なことさせはしませなんだのに、生憎ちょっと門へ出てたもんですよって、
へんねん。 : 哲雄になると、もうそろ / \ 中學校の準備があるさかい、勉強の方が忙しいて、そんな にゃんちゃなこともないねんけど、 「女中はお久どん一人やてなあ」 「ふん、こなひだまではお美代どんもいてたけど、大阪へ歸らしてほしい云ふし、梅子がよう一人歩きす るやうになったよってに、子守もいらんことや思うて、 それでも幸子は、嘸かし姉が所帶窶れをしてゐるであらうと想像してゐたのに、思ったよりは髪かたちも 小綺麗に、身なりを整へてゐるのを見ては、どんなになっても嗜みを忘れないところのある姉に、感心し ないではゐられなかった。十五を頭に、十二、九つ、七つ、六つ、四つと云ふ六人の子女と夫の世話をし て、女中を一人しか使ってゐないのでは、もっと / \ 取り亂した、見えも外聞もない風體をし、實際の歳 より十ぐらゐは老けて見えてもよいところだのに、 ことし三十八になる筈の此の人も、さすがに此の姉妹 たちの姉だけあって、五つ六つは若く見える。いったい蒔岡家の四人の姉妹のうち、總領の姉と三女の雪 子とが母親似、次女の幸子と末子の妙子とが父親似なのであるが、母は京都の人だったので、姉と雪子の 顏立には何處か京女らしい匂があった。たゞ姉と雪子の異なる點は、姉の方が總べての輪郭が大作りに出 うはぜし 來てゐた。幸子から下へ順々に背が低くなってゐるその同じ比例で、姉は幸子より又一脣上背があり、小 中柄な義兄と並んで歩くと姉の方が高く見えるくらゐであったが、それだけに四肢の肉づきもゆたかで、京 女と云っても雪子のやうに骨細な傷々しい感じはなかった。幸子は姉の結婚式に當時二十一の娘として席 に列なったのであったが、あの時の姉が世にも美しく、さうして立派であったことを今も忘れない。目鼻 361
ると云ふ意地っ張りが、あの日に限って妙に強く萌して來て、ついあんな態度に出たのであったが、それ でも雪子が一言半句の不平も云はずに大人しく納得したのが、思ひ出すとしをらしくて、不憫でならない。 : そして幸子は、雪子がわりに機嫌よく、ほんの當座の旅行のやうな身支度で気輕に出て行ったのは、 直きにロ實を拵へて呼んで上げるからと、あの時氣休めに云ってやった言葉を、案外あてにしてゐたので あることが、今になると分って來たのであった。雪子にしてみれば、幸子のその言葉があったればこそ、 それを賴みにして、一往本家の気が濟むやうに東京まで附いて來たのであるのに、その後幸子の方で何の 工作もしてくれてゐる様子がないとしたら、 : 而も、附いて來たのは自分だけで、妙子の身柄はさう 問題にされず、今以て關西に居殘って暮してゐるとしたら、 ・ : 自分一人馬鹿を見た、欺されたと思ふ のも尤もかも知れない。 幸子は、姉がそんな気持になってゐるなら、本家の方は大して面倒はないとして、夫が何と云ふか、今暫 く見合せた方がよいと云ふか、それとも、もう四箇月も立ったことだし、悅子も落ち着いて來たのである から、十日や半月ぐらゐの間なら呼び戻しても差支へないと云ふか、まあ、春にでもなったら夫に相談を 持ちかけてみようと思ってゐると、折よく正月の十日頃に、あれ以來何とも云って來なかった陣場夫人か ら手紙が來た。そして、去年寫眞をお送りした人の件はどうなったでせうか、あの時のお話では、急には 上返事が出來ないけれども暫く待ってくれたらと云ふことでしたので、お待ちしてゐたのでしたが、妹さん にお心持がおありにならないのでせうか、もし御縁がないものなら、お手數ながらあの寫眞をお返し下さ 細 れ度、又いくらかでもお心持が動いてをられるなら、今からでも遲くはないのです、先方さんのことは、 195
: さてはやつばりさうだったのか : やつばり恐れてゐたことが本當だったのか。 ・誰に , も 身贔屓と云ふものはあるから、婆やの眼には啓坊と云ふものが純眞の靑年のやうに映るのであらうけれど も、實際は決してそんなにこいさんに對して生一本な愛を捧げてゐたのではあるまい。彼を輕薄な極道息 子であると見る夫やこいさんの観察の方が、多分嘗ってゐるのでもあらう。が、だからと云って、こいさ んを一種のヴン。 ( ィアのやうに云ふ婆やの言葉迄を、虚言であるとすることは出來ない。ちゃうど婆やが 啓坊を買ひ被ってゐるやうに、私たちもこいさんと云ふものをいろ / \ の點で買び被ってゐたのである。 : 幸子は、從來とても妙子の指に新しい寶石が光ってゐるのを見る度毎に、忌まはしい疑念を抱かな いでもなかったのであるが、 : しかし妙子は、さも自分の働きで買った品物のやうに云って自慢した ものなので、その得意さうな樣子を見ては、さう云ふ疑念も立ちどころに消え失せるのが常であった。そ れに、何と云っても當時妙子はアトリ = を構 ~ て製作してゐたことではあり、その作品が相當な高價で捌 けて行くのを幸子も目撃して知ってゐたし、個展の時などは帳合ひや計算を手傳ったりしたこともあるの で、つい妙子の云ふことを信じさせられてゐた譯であった。その後妙子はだん / \ 人形の製作から遠ざか って洋裁の方に轉じ、自然收入の道が跡絶えるやうになったけれども、猶且洋行の準備とか、洋裁店開業 のためなどに貯蓄した金があるとのことで、生活には困らないやうに云ってゐたのであった。幸子はそれ でも、貯金をなし崩しに費消してゐるのでは、い細いであらうと察して、小遣ひ取りに悅子の服を縫はせて やったり、近所の知人の家庭から洋裁の注文を貰って來てやったりしたので、今度はその方の收人がある ゃうになり、それだけでもどうやら食べて行く分には差支 ~ ない程度になってゐた。だから幸子は、妙子 けいぼん 754
ゃうに、心を人れ替へて眞人間になったと云ふところを見せるのでなければ、親戚の人達の同情が集まら ない、私もそれを心配して、今のやうに毎日ぶら / \ してゐないで、早く動めロでも見付けて、たとひ百 圓の月給でも稼ぐゃうになさいませ、と云ふのであるカイ 。、、可としてもこいさんのことで頭が一杯になって ゐるので、とても外のことには気が向かない有様である、ついては私が考へるのに、若旦那を正道に引き 戻すにはこいさんを奧さんに持たして上げるより外に方法はない、此の問題はもう今から十年前、あの新 聞の事件以來の懸案で、お家さんや母屋の旦那はあの當時不承知であったし、私も不賛成を唱へた一人だ ったけれども、今から思ふと、あれはやつばり許して上げた方がよかったのだ、さうしたら若旦那だって 脱線なさらず、今頃は幸な家庭を持って眞面目に働いてゐたであらう、と、さう云ふのであった。そし て、母屋の旦那はどう云ふ譯かこいさんと云ふものを餘程惡く取ってゐるので、今でも若日一那がこいさん と結婚することを喜びはしないであらうが、どうせ勘當の身の上なのだから、そんなことに遠慮しないで、 構はず結婚してしまったら、さういっ迄も反對し切れるものではないし、却って新しい道が開けるであら う、と云ひ、今では實際の難關は、母屋の意志よりも寧ろこいさんの方にある、なぜなら、私の見るとこ ろでは、今日のこいさんはすっかり心變りしてゐて、最早や若旦那と結婚する気がないらしいからである、 と云ふのであった。 かう云ふと又こいさんを批難するやうに聞えるかも知れないが、そんなつもりではないのだからと、婆や は何度も言譯しながら言葉を繼いで、蒔岡さんのお宅では若旦那をどう云ふ風に思ってをられるか、 少くと ーそれはまあ、世間知らずの坊々であるから、缺點を拾へばいろノ \ あるには違ひないが、 748
話でお話しになったやうでございますが、委しいことは伺うてをりません、たゞ電話ではよう分らないけ れども、手術の時に惡い黴菌が這入ったらしいて、えらい苦しがってる云ふことやさかい、あたしは此の 汽車で三宮へ直行して、明日の朝驛から直ぐに病院へ行くよってに、そない姉さんに云うといてほしい、 それから、澁谷の方にも小さな鞄が一つ置いてあるよってに、お歸りになります時にそれをお持ち歸り下 さいと仰っしやってゞございました、と、女將はうす / \ 病人と妙子との關係を察したらしく云ふのであ ったが、 幸子も何かじっとしてゐられない気持になり、又急報で蘆屋を申し込んで貰って、雪子を呼び出 した。と、何を云ふのやら、雪子の云ふことが聽き取りにく、てさつばり分らない。それは電話が遠いの ではなくて、雪子の地聲が小さいせゐなので、彼女にすれば一生懸命咽喉を振り搾ってゐるのだけれども、 「果敢ない」と云ふ形容詞がよく常て篏まる、細い弱々しい整であるから、電話だと實に明瞭を缺くので あった。で、平素から雪子ちゃんの電話ぐらゐの立つものはないと云ふことになってをり、彼女自身も 電話は苦手で、大概誰かに代って出て貰ふのであるが、今日は板倉に關することなので、お春にも云ひ付 けられず、と云って貞之助にも賴めず、仕方なく自分が出てゐるのらしかった。幸子は、少し話してゐる と直きに蚊の鳴くやうな細さになるので、しゃべってゐる時間より「もし / 、、」と云ってゐる時間の方が 長いやうに感じられたが、漸くきれみ \ に聽き取り得たところでは、今日の午後四時頃「板倉の妹でござ います」と云って電話があり、板倉が耳の手術のために入院してゐたこと、經過は良かったのであるカ 昨夜あたりから、容態が急變したことを知らせて來た、と云ふのであった。急變と云ふのは腦を侵された のだらうか、と云ふと、さうではないかと思ったけれど、腦はどうもない、脚だと云ふのであると云ふ。 ヾゝ、 510
前兆がよくないなど、冗談を云ってゐたくらゐで、今度の上京の目的が達し得られるかどうかについては、 今も自信を持ってゐないばかりでなく、本家の夫婦に籠絡されてはならないと云ふ警戒心も強いのであっ たが、それでも夫婦から珍しくちやほやされたことが滿更でもないらしく、あんなことを云ってペテンに かけたら承知しないなど、云ひながらも、嬉しさうな様子であった。 昨夜ほんたうの一人ぼっちで濱屋の二階に眠った幸子は、旅の室とは云へいかにも心細い気がして、夜ち ゅう寢られないでしまったので、これが五六日も續く佗びしさを考へてゐたのであったが、その晩は又ゅ くりなくも十疊の座敷に妙子と二人、何年ぶりかで姉妹が枕を並べて横になった。思へば、船場時代から 娘盛りの年頃になるまで、彼女達は何年となく一つ部屋に起き臥し、たもので、その習慣は幸子が貞之助 と結婚するつい前の晩まで績いたのであった。尤も、ずうっと昔のことは知らず、彼女が女學校の時分か ら、上の姉だけは別の部屋に寢て、幸子以下の三人が二階の六疊に寢ることになってゐたので、妙子と二 人きりのことはめったになく、大概二入の間に雪子が挾まり、どうかすると、部屋が狹いので二つの寢床 に三人が寢たりしたこともあった。そして、雪子は寢像のよい娘で、暑い晩でもきちんと掻卷を胸のあた りまで掛け、少しも寢姿を崩さずに眠るのが常であったが、幸子は今もかうしてゐると、あの頃の光景が なっかしく想ひ出されて來、自分と妙子の間に挾まって行儀正しく眠ってゐる雪子の、痩せた、ほそノ ~ \ 中とした恰好迄が髣髴と見えて來るのであった。 で、その明くる朝は、娘時代によくさうしたやうに、寢床の中で眼を覺ましながら暫くたわいもないこと 細 をしゃべり合った。 503
ふのが、親爺は東京で修業したもの、、生れは神戸の人間なので、握り鮨ではあるけれども、彼の握るの は上方趣味の頗る顯著なものであった。たとへば酢は東京流の黄色いのを使はないで、白いのを使った。 醤油も、東京人は決して使はない關西の溜を使ひ、蝦、鳥賊、鮑等の鮨には食鹽を振りかけて食べるやう にす、めた。そして種は、つい眼の前の獺戸内海で獲れる魚なら何でも握った。彼の説だと、指にならな い魚はない、昔の與兵衞の主人などもさう云ふ意見だったと云ふので、その點で彼は東京の與兵衞の流れ ひらめ あかを 上目魚の綠側、赤 を汲んでゐるのであった。彼の握るものは、鱧、河豚、赤魚、つばす、牡蠣、生うに、ヒ 、、こ。、、鮪は虐侍して餘り用ひず、小鰭、 貝の膓、鯨の赤身、等々を始め、椎茸、松茸、筍、柿などに迄及んオカ はしら、青柳、玉子燒等は全く店頭に影を見せなかった。種は煮焼きしたものも盛に用ひたが、蝦と鮑は 必ず生きて動いてゐるものを眼の前で料理して握り、物に依っては山葵の代りに靑紫蘇や木の芽や山椒の 佃煮などを飯の間へ挾んで出した。 妙子は此の親爺とは可なり前からの馴染で、或ほ與兵の發見者の一人であったかも知れない。外で食事す ることの多い彼女は、神戸も元町から三宮界隈に至る腰掛のうまいもの屋の消息には實によく通じてゐて、 まだ此の店が今の所に移る前、取引所の筋向うの細い路次の、今よりもっと小さな所で商賣を始めた頃に 早くも此處を見付け出して、貞之助や幸子達にも紹介したのであった。彼女に云はせると、此處の親爺は さいづちあたま あれに感じが 中「新青年」の探偵小説の挿繪などにある、矮小な體軅に巨大な木槌頭をした畸形兒、 似てゐると云ふことで、貞之助達は前に彼女から屡 ~ その描寫を聞かされ、彼がお客を斷る時のぶつきら 細 ばうな物言ひ、庖丁を取る時の一種興奮したやうな表情、眼つきや手つき、等々を仕方話で委しく説明さ たまり 483
お嬢さんもお連れして來たかったんですが、今日は急なことでしたので、此の次にはきっとお連れします わ、ちゃうど悅子お嬢さんとお友達におなりになれますわ、と云ったりして、お孃さん同士が先づ仲好し になってくれるのが一番よい さうしたら橋寺も一脣心が動くであらうし、必ず巧く行くと思ふ、と云ふ のであった。貞之助も、雪子ちゃんがそんな氣持になってくれたのは幸ひだから、悅子にも出て貰って彼 女の觀察を聞くのもよからう、と云ひ出して、貞之助、幸子、雪子、悅子の四人で應對したが、その日も 橋寺は矢張二人に引っ張り出されて來たと云ふ態度に變りはなく、どうも此の方々に遇っては叶ひません、 と云ふ風に云ひ、斯樣に突然押しかけて參るのは失禮だと思ったのですが、全く女ギャングに拉致されて 來たのでありまして、わたくしの本意ではなかったのですから、と、頻りにそんな言譯をしたり、わたく しのやうな一介のサラリー マンが此方のお孃さんをお貰ひするなんて、實際身分違ひなんでして、と、ど う取ってよいか分らないやうなことを云ったりした。 雪子も、以前のやうな気むづかしさはなくなったとは云ふもの、、生れつきの含羞みやはさう急に直るも のではないので、井谷の忠告があったにも拘らず、その日も特に勤めてゐるらしい風は見えず、受け答へ のはき / \ しないことは相變らずであった。貞之助は気が付いて、毎年の京の花見の寫眞などが貼ってあ るアルバムを持って來させたが、説明役は主に幸子が負はされて、たまに雪子と悅子とが傍から遠慮がち 下に補足を人れた。幸子はかう云ふ時に妙子がゐたら適嘗に諧謔を弄したりして座を浮き立たせてくれるの に、と思ったことであったが、 同じ思ひは恐らくほかの三入の胸にも潜んでゐたであらう。さうかうする うち、二三十分と云ったのが一時間にもなった時分、橋寺が腕時計を見て、ではわたくしは、と、椅子を 667