るのはあの日記帳の所在と、鍵の隱し場所だけである。決して私は日記帳の中を開けて見たりなんかした ことはない。だのに心外なことには、生來疑ひ深い夫はわざ / \ あれに鍵をかけたりその鍵を隱したりし 2 : その夫が今日その鍵をあんな所に落して行ったの なければ、安心がならなかったのであるらしい はなぜであらうか。何か心境の變化が起って、私に日記を讀ませる必要を生じたのであらうか。そして、 正面から私に讀めと云っても讀まうとしないであらうことを察して、「讀みたければ内證で讀め、こ、に 鍵がある」と云ってゐるのではなからうか。さうだとすれば、夫は私がとうの昔から鍵の所在を知ってゐ いや、さうではなく、「お前が内證で讀むこと たことを、知らずにゐたと云ふことになるのだらうか ? を僕も今日から内證で認める、認めて認めないふりをしてゐてやる」と云ふのだらうか ? : : : ・ : まあそんなことはどうでもよ い。かりにさうであったとしても、私は決して讀みはしない。私は自分でこ 、までと極めてゐる限界を越えて、夫の心理の中にまで這入り込んで行きたくない。私は自分の心の中を ましてあの日記 人に知らせることを好まないやうに、人の心の奧底を根掘り葉掘りすることを好まない。 帳を私に讀ませたがってゐるとすれば、その内容には虚僞があるかも知れないし、どうせ私に愉快なこと はかり書いてある筈はないのだから。夫は何とでも好きなことを書いたり思ったりするがよいし、私は私 でさうするであらう。實は私も、今年から日記をつけ始めてゐる。私のやうに心を他入に語らない者は、 せめて自分自身に向って語って聞かせる必要がある。但し私は自分が日記をつけてゐることを夫に感づか れるやうな〈マはやらない。私はこの日記を、夫の留守の時を窺って書き、絶對に夫が思ひっかない或る 場所に隱しておくことにする。私がこれを書く氣になった第一の理由は、私には夫の日記帳の所在が分っ
その快感は素睛らしいものだった。夫は今迄にたゞの一度もこれほどの快感を與へてくれたことはなかっ た。夫婦生活を始めてから二十何年間、夫は何と詰まらない、九そこれとは似ても似つかない、生ぬるい 煮えきらない、後味の惡いものを私に味は、せてゐたことだらう。今にして思へばあんなものは眞の性交 : ハ ではなかったのだ。これがほんとのものだったのだ。木村さんが私にこれを敎へてくれたのだ。 はさう思ふ一方、それがほんたうは一部分夢であることも分ってゐた。私を抱擁してゐる男は木村さんの ゃうに見えるけれども、それは夢の中でさう感じてゐるので、實は此の男は夫なのだと云ふこと、 夫に抱かれながら、それを木村さんと感じてゐるのだと云ふこと、 それも私には分ってゐた。多分 夫は、一昨日私を風呂場からこ、へ運び込んで寢かしつけて置いてから、私が意識を失ってゐるのをよい 事にして私の體をいろ / \ と弄んだに違ひない。私は彼があまり猛烈に腋の下を吸ひっゞけるので、ハッ として或る一瞬間意識を囘復した時があった。 彼がその動作に熱中し過ぎて掛けてゐた眼鏡を落し たのが、私の脇腹の上に落ちてヒャリとしたので、途端に私は眼を覺ましたのだった。 私は體ぢゅ うの衣類を全部キレイに剥ぎ取られ、一絲も纒はぬ姿にされて仰向けに臥かされ、フローアスタンドと、 枕元の螢光燈のスタンドとが靑白い圈を描いてゐる中に曝されてゐた。 さうだ、螢光燈の光があま り明るいので眼が覺めたのかも知れない。 それでも私はたゞポンヤリしてゐたゞけであったが、夫 は私の腹の上に落ちた眼鏡を拾って掛け、腋の下を止めて下腹部のところに唇を當て、吸び始めた。私は 反射的に身をすくめ、慌て、體を隱さうとして毛布を探ったのを覺えてゐるが、夫も私が眼を覺ましかけ トの上に たのに気がついて私に羽根布團と毛布を着せ、枕元の螢光燈を消し、フロ 1 アスタンドのシェー 299
か分らない」と云ふと、「なぜ私に隱すのよ」と云ふ。私は大ルそ、その寫眞と云ふのは先日夫の日記帳 に貼ってあったあれと同じものなのであらう、そしてそれは、矢張想像した通り私の淺ましい姿を撮った 3 ものなのであらう、と云ふことまでは察しがっオカイ 、こ。。ゝ、可と云って敏子に説明したものか急には返答が 出來なかった。敏子は實際の事實よりももっとずっと惡質な、餘程深刻な事件が伏在してゐるやうに思っ てゐることは推量出來た。恐らく敏子は、その寫眞は私と木村さんとの間に不倫な關係が存在することを 示す以外の何者でもないと、解してゐるであらう。私は夫と木村さんのため、又私自身のために、直ちに 釋明の勞を取るべきであったが、事實をありのま、に述べたとしても、敏子がそれを素直に受け取ってく れるかどうか疑問であった。私は暫く考へてから云った。 あり得べからざることのやうだけれども、 私は實は、世の中に私のさう云ふ耻づべき姿を撮った寫眞があると云ふことを、今あなたから聞かされる までは確かには知らなかったのだ。もしさう云ふものがあるとすれば、それは私が昏睡してゐる間に。ハ。、 木村さんと私との間には が撮影したもので、木村さんはたゞその現像を。ハ。ハから依賴されたに過ぎない。 斷じてそれ以上の關係はない。。、。、。ゝ ノノ力なぜ私を昏睡させ、なぜそんな寫眞を撮り、なぜその現像を自分で しないで木村さんにやらせたか、等の理由は想像に任せる。現在の娘の前で、これだけのことを口にする さへ私には忍び難い。もうこれ以上は聞かないで欲しい。たゞ、すべては。ハ。ハの命令に從ってしたことで あり、私は何處までも。ノ 、。ハに忠實に仕へることを妻の任務と心得てゐるので、いや / \ ながら云はれる通 りにしたのであることを信じて欲しい。あなたには理解し難いことかも知れないが、舊式な道德で育って 來たママは、かうするより外はないのである。ママの裸體寫眞がそんなに。 ( 。 ( を喜ばすのなら、ママは敢
僕だってこんなに無力ではない、お前は一向さう云ふ努力をしようとせず、自ら進んでその仕事に僕と協 力してくれない、お前は食ひしんばうの癖に手を拱いて据ゑ膳の箸を取ることばかり考へてゐると云ひ、 私を冷血動物で意地の惡い女だとさへ云ふ。 夫が私をさう云ふ眼で見るのも一往無理のないところがある。だけど私は、女と云ふものはどんな場合に も受け身であるべきもの、男に對して自分の方から能動的に働きかけてはならないもの、と云ふ風に、昔 気質の親たちからしつけられて來たのである。私は決して熱情がない譯ではないが、私の場合、その熱情 は内部に深く沈潜する性質のもので、外に發散しないのである。強ひて發散させようとすればその瞬間に 滄えてなくなってしまふのである。私のは靑白い熱情で、燃え上る熱情ではないと云ふことを、夫は理解 してくれない。 : この頃になって私がつく ( 、感じることは、私と彼とは間違って夫婦になったので はなかったか、と云ふことである。私にはもっと適した相手があったであらうし、彼にもさうであったら うと思ふ。私と彼とは、匪的嗜好が反撥し合ってゐる點が、餘りにも多い。私は父母の命ずるま、に漫然 とこの家に嫁ぎ、夫婦とはかう云ふものと思って過して來たけれども、今から考へると、私は自分に最も 性の合はない入を選んだらしい これが定められた夫であると思ふから仕方なく怺へてゐるもの、、私は 時々彼に面と向って見て、何と云ふ理由もなしに胸がムカムカして來ることがある。さう、そのムカムカ する感じは、昨今に始まったことではなく、そもそも結婚の第一夜、彼と褥を共にしたあの晩からさうで あった。あの遠い昔の新婚旅行の晩、私は寢床に這人って、彼が顏から近眼の眼鏡を外したのを見ると、 途端にゾウッと身慄ひがしたことを、今も明瞭に思ひ出す。始終眼鏡をかけてゐる人が外すと、誰でもち 282
が話してくれたからなのであらう。それにしても、その日の母と私とは何處から俥に乘って來たのか、私 かきがらちゃう たち母子は父と一緖にその柳原に住んでゐて、その日何處かへお詣りに行くとか、蠣殼町の本家へ遊びに 行くとかして歸って來たところだったのか、私にはそれが久しい間疑間のま、になってゐた。たヾ柳原の 家についての記憶は、此の、映畫の場面の一コマに過ぎないやうな、或る一日の一斷片が刻みつけられて ゐるだけなので、恐らくは此れが四つの時の出來事であり、「私の一番古い記憶」ではないか知らんと思 ふのである。そして私は、今度「幼少時代」の稿を起すに方って、現在たった一人生き殘ってゐる私の一 番末の叔父や、つい此の間亡くなったばかりの從姉に尋ねてみたところ、柳原の家は父が商賣をしてゐた 店鋪であって住宅ではなかったこと、嘗時私や私の兩親は蠣殻町の本家の方に住んでゐて、父だけが晝間 柳原へ通ってゐたのであることを知った。 蠣殼町の本家には、私の母の直ぐ下の弟になる谷崎久右衞門と云ふ叔父が、私の祖父の先代久右衞門の跡 を繼いでゐたので、私たち親子はそこに同居してゐた譯であった。祖父は私の三つの歳、明治廿一年に五 十八歳で亡くなったのださうであるが、祖母は明治四十四年まで存命してゐて、七十三歳で他界した。私 は祖父がせめてもう一二年、おばろげにでもその面影を私が腦裡にとゞめ得るくらゐな年頃まで、生きて ゐてくれなかったことを殘念に思ふ。私の記憶の黎明は、祖父がこの世にゐなくなって間もない時から始 まるのである。從って私は、祖父のことは直接には何も知らないけれども、谷崎家の繁榮を一代で築き上 げた「偉いお祖父さん」がつい一二年前まで達者でゐたのであるから、祖母は勿論のこと、して一家中の 者共が何かと云ふと祖父の噂を持ち出したので、まだひょっとすると、家の暗い隅の所に隱れて生きてゐ おやこ
びれり返さうとしたが、私はスタンドを遠くの方へ押しやった。「おい、後生た、もう一度見せてくれ。 : 」と、夫は暗い中でスタンドを探ったが、見つからないので諦めてしまった。 後生お願ひ。 久し振の長い抱擁。 私は夫を半分は激しく嫌ひ、半分は激しく愛してゐる。私は夫とほんたうは性が合はないのだけれども、 だからと云って他の人を愛する気にはなれない。私には古い貞操觀念がこびり着いてゐるので、それに背 くことは生れつき出來ない。私は夫のあの執拗な、あの變態的な愛撫の仕方にはホトホト當惑するけれど も、さう云っても彼が熱狂的に私を愛してゐてくれることは明かなので、それに對して何とか私も報いる ところがなければ濟まないと思ふ。あゝ、それにつけても、彼にもう少し昔のやうな體力があってくれた らば、 : 彼に云はせると、 ・一體どうして彼はあんなにあの方面の精力が減退したのであらうか。 それは私があまり淫蕩に過ぎるので、自分もそれにつり込まれて節度を失った結果である、女はその點不 死身だけれども、男は頭を使ふので、あ、云ふことが直きに體にこたへるのだと云ふ。さう云はれると耻 かしいが、しかし私の淫蕩は體質的のものなので、自分でも如何ともすることが出來ないことは、夫も察 してくれるであらう。夫が眞に私を愛してゐるのならば、やはり何とかして私を喜ばしてくれなければい ( ない。たゞくれる \ も知って置いて貰ひたいのは、あの不必要な惡ふざけだけは我慢がならないと云ふ こと、私に取ってあんな遊びは何の足しにもならないばかりか、却って気分を損ふばかりだと云ふこと、 私は本來は、何處までも昔風に、暗い奥深い閨の中に垂れ籠めて、分厚い褥に身を埋めて、夫の顏も自分 の顏も分らないやうにして、ひっそりと事を行ひたいのたと云ふこと、である。夫婦の趣味がこの點でひ 286
: 夫は二月廿七日に、「ヤツ。ハリ推察通リダッタ。妻 ( 日記ヲッケテヰタノダ」と云ひ、 六月十一日。 「數日前ニウスウス気ガ付イタ」と云ってゐるけれども、實際は餘程前からハッキリと知ってをり、且内 容を盗み讀みしてゐたものと思ふ。私も亦、「自分が日記をつけてゐることを夫に感づかれるやうなへマ はやらない」 「私のやうに心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向って語って聞かせる必要 がある」 など、、云ってゐるのは、眞赤な謔である。私は夫に、私には内證で讀んで貰ふことを欲し てゐた。「自分自身に向って語って聞かせ」たかったことも事實であるが、夫にも讀ませることを目的の 一つとして書いてゐた。では何のために音のしない雁皮紙を使ったり、セロファンテ 1 プで封をしたりし たかと云へば、用もないのにさう云ふ秘密主義を取るのが生來の趣味であったのだ、と云ふより外はない。 此の秘密主義は、私のことをさう云って嗤ふ夫にしても同様であった。夫も私も、互に盗み讀まれること は分ってゐながら、途中にいくつもの堰を設け、障壁を作って、出來るだけ廻りくどくする、そして、相 手が果して標的へ到達したかどうかを曖眛にする、それが私たちの趣味であった。私が面倒な手數を厭は ずセロファンテ 1 プ等を使ったのは、自分だけでなく、夫の趣味に迎合するためでもあった。 「夫は彼の日記の 私は四月十日になって、始めて夫の健康が尋常でないことを日記に書いてゐる。 : 彼の日記を讀まない私に 中に彼自身の憂慮すべき状態について何事かを洩らしてゐるであらうか。 は一途に私一人を愛してゐるもの、私のためには如何なる犧牲をも惜しまないでゐるものと、夫に思はせ て置きたかった。さうでなければ、夫の木村に對する嫉妬が生一本で強烈なものにならないからであった。 401
に、大九そそこまでは察してゐた。つまり、嘗時私が裸體にされて弄ばれてゐたことは、私自身より先に 敏子が知り、木村に報告してゐた筈であった。 それにしても、木村は何のために「サウ云フ機械」のあることを夫に教へたり、私の裸體を撮影すること を示唆したりしたのであらうか。此のことについては、ついまだ木村に聞いて見るのを忘れてゐたが、察 するところ、一つには夫にさう云ふ智慧を授けて彼の歡心を得たかったのであらう。が、一つには、さう すれば他日夫の撮影した裸體寫眞を、自分も手に入れることが出來るやうになることを、期待したからな のであらう。そしてその方が主たる目的だったのであらう。夫がやがてポ 1 ラロイドで滿足出來ず、ツワ 妙 ) 刀 イス・イコンを使ふやうになり、それを現像する役目が木村に廻って來るやうになるのを、 先の先まではどうか知れないが、 大體さう云ふやうなことが起り得ることを、木村は恐らく見通したので あら、つ。 二月十九日に、「敏子の心理状態が私には掴めない」と書いてゐるが、實は或る程度はめてゐた。今述 べたやうなエ合で、私は彼女がわれ / \ 夫婦の閨房の情景を木村に洩らしたであらうことは、ほゞ推して ゐた。彼女は木村を、心密かに愛してゐるのであり、それ故に「内々私に敵意を抱きつ、、ある」ことも分 ってゐた。彼女は、「母は生れつき纎弱なたちで過度の房事には堪へられないのに、父が無理やりに云ふ ことを聽かせ」てゐるのであると解し、その點では私の健康を気づかひ、父を憎んでゐたのであるが、父 が妙な物好きから木村と私とを接近させ、木村も私も亦それを拒まない風があるのを見て、父を憎むと共 に私をも憎んだ。私はそれを隨分早くから感づいてゐた。たゞ、私以上に陰險である彼女は、「自分の方 399
はそれは想像出來ないけれども、實は私はもう一二ヶ月前から、彼の様子が變調を來たしてゐることに気 がついてゐた」と。夫自身が此のことを自白したのは、三月十日の記事からであるが、實際は、彼が自分 で気がつくより先に、私の方が知ってゐたのではないかと思ふ。私はしかし、いろ / \ の理由から、最初 のうちはわざとそれに気がっかない振りをしてゐた。それは夫を徒らに神經過敏にさせることを恐れたか らでもあるが、それ以上に、禪經過敏の結果として、彼が房事を愼しむやうになることを一居恐れたので あった。私は夫の生命を心配しない譯ではなかったが、 飽くことを知らぬ性的行爲の滿足の方がもっと切 實な問題であった。私は何とかして彼に死の恐怖を忘れさせ、「木村ト云フ刺戟劑」を利用して嫉妬を煽 り立てることに懸命になってゐた。 : が、私の此の気持は、四月に這人ってから次第に變った。三月 中、私はたび / \ 、自分が未だに「最後の一線」を固守してゐる旨を日記に書き、夫に私の貞節を信じさ せるやうに努めたのであったが、「紙一重のところまで」接着してゐた私と木村の最後の壁がほんたうに 除かれたのは、正直に云ふと三月廿五日であった。翌廿六日の日記に、私と木村のそらみ \ しい問答が記 されてゐるが、あれは夫を欺くための拵へ事であった。そして、私の心に重大な決意が出來上るやうにな ったのは四月上旬、四日、五日、六日、あたりであったと思ふ。夫に誘導されて一歩々々墮落の淵に沈み つ、あった私であるが、まだそれまでは、夫の要請默し難く苦痛を忍んで不倫を犯してゐるかのやうに、 さうしてそれは舊式な道德觀から見ても、婦人の龜鑑と仰がれてもよい模範的行爲であるかのやう に、自分を欺いてゐたのであったが、その時あたりから、私は全く虚僞の假面を投げ捨て、しまった。私 はきつばりと、自分の愛が木村の上にあって夫の上にはないことを、自ら認めるやうになった。四月十日 402
彼が私を、「郁子ョ、ワガ愛スルイトシノ妻ョ」と呼び、「何ョリモ、僕ガ彼女ヲ愛シテヰルコ」は「僞リ ノナイコデ」あると云ってゐるのは、眞實に違ひないと思ふ。私はその一事については寸毫も彼を疑って ゐない。が、同時に私も當初に於いては彼を熱愛してゐたことを、認めて貰ひたいのである。「遠い昔の : 彼が顏から近眼の眼鏡を外したのを見ると、途端にゾウッと身慄ひがしたこと」も 新婚旅行の晩、 事實であり、「今から考へると、私は自分に最も性の合はない人を選んだらしい」ことも、時々彼に面と 向って見て、「何と云ふ理由もなしに胸がムカムカ」したことも事實であるに相違ないが、さうだからと 云って、私が彼を愛してゐなかったと云ふことにはならない。「古風ナ京都ノ舊家ニ生レ封建的ナ空気ノ 中ニ育ッタ」私は、「父母の命ずるま、に漫然とこの家に嫁ぎ、夫婦とはかう云ふものと思」はされて來 たのであるから、好むと好まないとに拘はらず、彼を愛するより外に術はなかった。まして私には「今日 モナホ時代オクレナ舊道德ヲ重ンズル一面ガアリ、或ル場合ニハソレヲ誇リトスル傾向モア」ったのであ る。私は胸がムカムカするたびに、夫に對しても、亡くなった私の父母に對しても、さう云ふ心持を抱く 自分自身を淺ましいとも、申譯がないとも感じ、そんな心持が起れば起るほど、尚更それに反抗して彼を 愛するやうに努めたし、又愛し得てゐた。なぜかと云ふのに、生れつき體質的に淫蕩であった私は、どう でもかうでもさうするより外に生き方はなかったからである。當時の私が、夫に對して何かの不滿を持っ てゐたとすれば、それは夫が私の旺盛な慾求に十分な滿足を與へてくれないと云ふ點にあったが、それで も私は、彼の體力の乏しさを咎めるよりは、自分の過度な淫慾を耻ぢる気持の方が強かった。私は彼の精 力の減退を歎きながらも、そのために愛憎を盡かすどころか、一層愛情を募らせつ、あった。然るに、彼 393