と端正な瓜實顏とを持って居る。丈が高く、手足が西洋人のやうに長く、筋肉が充分に引き緊まって、見 るから健康らしい體格である。〇〇女學校を卒業して、會話の間に気の利いた英語の名詞を挿むぐらゐの、 間に合はせな智識を用意して居る。さうして、中流の家庭の令嬢として、得意の Coquetry を行ふ間に も相當の品威を保つ事を怠らない。此れだけの條件を數へて見るのに、彼の女は幸吉の相手として勿體な まなざし いやうに考へられる。殊に彼の女のあの魅力ある眸 一體幸吉は、圓い眼よりも細い眼の方に餘計惹 き付けられたが、 或る時は長い睫毛の陰にばんやりと眠って居るやうな、或る時は油斷のならぬ陰 險な計劃を廻らして居るやうな、或る時は人を人とも思はぬ驕慢な睥睨を湛へて居るやうな、針の如く閃 々と輝く細い眼の光に想リ . 至すると、彼は二度と再び此のやうな誂へ向きの女に出遇ふ機會はあるまいと思 はれた。 女は充分に自分の價値を知って居ながら、その周圍に群がる多くの男を見渡して、格別優越な地歩を占め て居ない幸吉に心を寄せたのである。不思議にも自分の方から、熱心に執拗に心を寄せたのである。初め ての會合の夜、彼の女は男の顏を電燈のあかりの下でつ くん ( 、と打ち眺めつ、、例の細い眼をばちばちゃ らせて、「どうぞ私を捨てゝくれるな。」と何遍も拜まぬばかりに繰り返した。彼の女は幸吉を非常に買ひ 被って居るらしかった。世間の女は幸吉に對して、誰でも自分と同樣な愛着の情を惹き起すものと信ずる ゃうに見えた。 / 彼の女は自分の美貌が、幸吉の心を動かすに至らないのを知った時、それは幸吉の無精が 原因するのだと云ふ事實を悟らなかった。却て反對に、幸吉は自分ぐらゐの友では滿足しない程、恐ろし く鑑識の高い、自信の強い男であると考へた。彼の女は平生の高慢にも似ず、出來るだけ自分の身を下し 180
り上げる事が、差しあたっての彼の仕事なのである。さうして、此の仕事はすでに着々と相嘗の効果を齎 して居る。 彼の女の言動は幸吉と交際し始めてから、日に增し技巧的となり、エクセントリックとなった。此の現 象は、少くとも彼の女が幸吉の感化を受けて、だんだん藝術的に改造されて行く端緖と見なければならな 。彼の女が幸吉の理想通りな藝術品となる迄には、まだなかノ \ の距離が存するであらう。しかし兎に 角、彼は自分の創作が徐々に完成されるのを眺めて居る。自分の彫って行った鑿の痕を、彼の女の姿態に 認める事が出來る。彼が彼の女の狡猾に對し譎詐に對して批難の聲を放つのは、一時的の感情か、然らず んば寧ろ相手に刺戟を與へる爲めなのである。決して不滿足を感じて居る譯ではない。 さうして見ると、 幸吉が先、 「自分が片意地になったのは、みんなあなたのお蔭だ。」と云ったのは、全く事實と反 對な言葉である。 女を陶冶すると云ふ事は、一面に於いて女に武器を與へると同然である。彼の女は與へられたる矛を逆し まにして、其の恩人を征服しようとする。男の不安と危惧とは、彼の女の心が成長するに隨って、ますま す度を強めるであらう。けれども共れを恐れて居たならば、幸吉は生涯ほんたうの藝術を味ふ事が出來な る「戀愛は藝術である。血と肉とを以て作られる最高の藝術である。」 幸吉は斯く信じて、一生懸命 てに自分の戀人を創作しようと努めて居る。同時に、其れが藝術家たる彼の生活の、主要なる唯一の目的と 考へて居る。さうして、批の目的の遂行に伴ふ一切の言語、動作、衝動を以て、悉く藝術的と判斷して居 さつぎ アーティフィシャル 217
かう詰っても、彼の女はいつも同じ挨拶を繰り返すばかりである。 飜弄されると知りながら、幸吉は燃えるやうな嫉妬を抱いて、三日にあげず愛宕下の家へ、彼等の様子を 窺ひに行った。彼の顏を見さへすれば、彼の女はわざと杉村を呼び寄せて自分の傍へ据わらせるやうにし 或る日の事であった。彼の女は幸吉を前に置いて、そ知らぬ風で二三十分杉村と話をした揚句、 「杉村さん、あたし此の頃千里眼になったのよ。」 と云った。 「さうですか、そんなら僕の懷ろに何があるかあて、見ませんか。」 と、杉村が云った。 「それがね、あたしを何とか思って居る人の物でなくっちや中たらないの。あなたはあたしを嫌って居る から駄目よ。」 かう云って彼の女はぢろりと幸吉を見ながら、 「山本さんはあたしを思って居てくれるわね。 どんな物でも此處へ出さなくっちゃいけなくってよ。」 る 幸吉はギョッとして僅かに頷いた。 れ て「あなたの懷ろの紙人れの中に、たしか女の指輪が這入って居る筈よ。それを此處へ出して頂戴な。」 「そんなものありません。 あなたの懷ろにあるものを云ひますから、中ったら 275
激しくないまでも、恐らく平生から斯う云ふ風な習慣にしつけたものと推せられる。さうして、少くとも 彼の女の方では、此の靑年の親切を、道德的觀念から割り出された行爲とは認めて居ないらしい。多分彼 の女の解釋は正當であるかも知れないが、 彼の女が幸吉の前で、杉村を使役して見せるのは、幸吉に嫉妬を煽り立てる計略ではなささうに見えた。 なまぬる 將來は知らず、今日の樣子では、傲漫な彼の女がよもや此のやうな生温い靑年と戀に落ちょうとは思はれ ない。彼の女は此の靑年に戀ひするよりも、寧ろ此の靑年を傀儡の如く操る事に餘計興味を感じて居る。 なっとく 彼の女の目的は、此の靑年の痴態を介して、自分の魔力のいかに偉大なるかを、幸吉に納得させようとす るのであるらしい。 「どうぞあなたもあたしの價値を認めて下さい。價値を認めて、それに相當する愛情を持って下さい。」 かう云ふ意味を、男に酌み取って貰ひたいのである。 彼の女の此の目的は、或る程度まで成功したやうであった。幸吉の抱いて居た憎惡はだんだんと別な感情 たきゞ に變化して行った。女の美しさは杉村と云ふ薪を得てから、彼の眼に新しく鮮かに燃え上った。毒々しい、 強い油繪具で描いたやうに燃え上った。杉村の擧動は彼の女の價値をエムフアサイズすると共に、間接に 幸吉自身の價値をもエムフアサイズして居た。つい五六分前の女の醜しさと、現在の杉村の哀れさとを對 る照して見て、幸吉は自分自身がいかに強者の地位にあるかを自覺せずには居られなかった。彼の女は杉村 てを傀儡にしてますます自分の美を發揮しつ、、實は男に媚びて居るのであった。此の媚び方は、いゝに 捨かたくな 頑な男の心をも動かすだけの力があった。彼の女の醉が激しくなればなる程、彼の女の我が儘が突飛に 233
杉村はズルモットの罎を持ちながら、眼を圓くして躊躇して居る。 「い、からお酌して頂戴よ。どうせ好きな人に嫌はれたんだから、 いくら醉っても構はないわ。」 彼の女はしどけなく膝を崩しながら、意地の惡い眼つきをして、ぢっと幸吉の顏を眺めた。 「あは、ゝゝ、なか / \ 盛んですねえ。」 かう云って、杉村は気が付いたのか付かないのか、唯如才なく笑って居る。 さげす 幸吉の胸の中には、女の醉態を蔑む心と、杉村に對する嫉妬と、嫉妬から來る愛着と、三つの感情が渦を 卷き始めた。 「三千子さん、僕は此れから會があるから失敬します。」 彼は帶の間から時計を出して見つ、、かう呟いて立ち上った。 「あらさう、まあ宜しいぢやございませんか。」 平生ならば惶て、引き止める可き筈であるのに、彼の女の言葉は案外物靜かな、寧ろ冷かすやうな句調で あった。男が殊更憤然として、獨りで荒々しく外套を纒ったり、襟卷を着けたりする間、彼の女はやつは りしどけなく机に凭れたま、、以前のやうな意地の惡い眼つきで面白さうに眺めて居た。酒の爲めに無訷 經になったのか、それとも醉に紛れて相手を焦らす積りなのか、いづれにもせよ、共の落ち着いた、大膽 な素振りを見ると、幸吉は片時も座に居たたまれない腹立たしさと危惧とを感じた。 ばたん、とド 1 アを強く締めて、裏梯子の中段まで幸吉が降りて來た時、忽ち又ばたんと云ふ音がしてド ーアが開いた。彼の女は廊下に駈けて來て、幸吉に追ひ縋った。 236
「杉村さん、あしたの晩二人で帝劇へ行きませうね。」 彼の女にこんな事を云はれると、「おどかし」とは知りながら、嫂や杉村の前をも憚らず、幸吉はすぐに 2 涙ぐんオ 「山本さんも此の頃はすっかり三千ちゃんに頭が上らないのね。」 と、嫂は嘲るやうに云った。 「あたしは山本さんを泣かすのが名人よ。ほら、ほら御覽なさい。 かう云って彼の女は幸吉の顏を指さしたりした。 男は自分の醜態を意識しながら、其れを制する事が出來なかった。彼の女の爲めに自分が此れ程白痴にな り、肓目になり得たかと思へば共れが樂しくてならなかった。さうして、彼の女が自分と同じゃうに次第 々々に荒んで行くのが、何よりも痛快であった。 八 二人の關係は、もう嫂にも杉村にも明かな筈であるのに、彼等は相變らず幸吉を疎まなかった。再び堪へ 難い不安が幸吉の胸に萌して來た。彼の女は散々自分を弄んだ末、近いうちに杉村と結婚する默約がある のであるまいか、さればこそ、嫂も杉村も目下の我が儘を見逃して居るのではあるまいか。 「三千子さん、杉村の病気の事はどうなったの ? 心配だから早くして下さいな。」 ミ ) 0 もうそろそろ涙が眼に一杯溜って來た
なればなる程、男はいよいよ興を催した。 そんなら幸吉は全く嫉妬を感じて居ないかと云ふに、決してさうは行かなかった。自分の地位は杉村に對為 して、充分安心が出來るであらうか ? 現在は大丈夫としても、此の後長く杉村を見下す事が出來るであ よもやと思ひながら、ひょ らうか ? 威張って居る者が卑屈な者より強いと云ふ事は、斷言は出來ない。 ッとしたら此の靑年の親切が、幸吉の傲慢に打ち克っ時がありはせぬかと危ぶまれる。目下のところ、此 の靑年と戀に落ちょうとは、彼の女自身も想像しない事であらう。しかし、想像しないだけに、彼の女も 幸吉も油斷し切って居るだけに、その隙を狙って杉村はあっかましく、せゝこましく、少しづ、女の心に 喰ひ入って行くであらう。彼の女は今、明らかに杉村を輕蔑して居る。けれどもそれは冷淡や憎惡から來 る輕蔑ではない。寧ろ彼の女は杉村を自己の裝飾品として愛用して居る。彼を傀儡の如く弄ぶ事に異常な 得意と誇とを感じて居る。彼の女のやうな虚榮心の強い、浮気な、悧巧振った女には、此の裝飾品は可な り必要である。杉村よりも更に柔順な、更に卑屈な、更に愛す可き靑年が出て來ない限り、彼の女は容易 に此の裝飾品を捨てる事が出來ない。幸吉といふ戀人を捨て、、第二、第三の戀人に移って行っても、彼 の女は依然此の裝飾品を愛用する。斯かる意味に於いて、杉村の地位は幸吉よりも遙かに安全である。そ のうちに此の靑年の諂諛の力は、知らず識らず彼の女の魂に腐蝕して行く。彼の女は次第々々に此の靑年 を忘れる事が出來なくなって、杉村を極端に弄ぶのが、「戀愛」よりも何よりも愉快な仕事となるか知れ ない。「戀愛の快樂と暴君の快樂と、孰れか一つを撰べ。」と云はれた場合に、幸吉は自分の性癖から判斷 して、彼の女が猶豫なく後者を撰ぶだらうと想像して居る。現在の彼の女は、まだ暴君の境遇がどれ程樂
も語らなかった。 氏の紹介に依って彼の女を知った幸吉は、最初から何となく二人の間に或る因縁が結ばれるやう な気がしてならなかった。彼は彼の女を取り卷く多くの男が、自分よりも皆優越な武器を持って居る事を 知って居た。彼の女がいかに自分自身を高く評價して居るかをも知って居た。彼は自分の方から、進んで 握手を求めるだけの資格はないとあきらめて居た。それにも拘らず、彼は「或る因綠」をたよりにして、 彼の女から遠ざからうとしなかった。又遠ざかる事が出來なかった。彼の女も嫂も文學好きな女らしかっ 氏が二週間の入院中、幸吉は屡々小説や演劇の談話を試みて、相應に彼等をチャアムさせた。 氏は二三度彼を誘って病院を尋ねた。其の度毎に、「どうぞ此れから遊びに來てく 退院の後も、 れ。」と彼の女は云った。けれども嫂の方は何とも云はなかった。彼は暫く、嫂の思はくを憚って、單獨 の訪間を試みる決心になれなかった。彼の女は時々、電話や端書で「何々の本を拜借したい。御暇でした 氏から獨立して、自由 らお遊び旁々持って來て頂きたい。」などゝ云って寄越した。幸吉は漸く いつの間にか に彼の女を訪問し得る情實を捕へた。出掛けて行けば嫂も嫌な顏はしなかった。さうして、 幸吉が迷信して居た「或る因綠」は結ばれて了ったのである。 さう云ふ疑念は、隨分幸吉の胸に起っ 「事に依ったら、もう嫂に感付かれては居ないだらうか。」 るた。嫂は密かに兩親の内意を受けて、彼の女を監督して居るのではあるまいかと思はれた。彼は今日にな てっても、未だ安心して彼の女を訪問する事は出來なかった。 「それにしても、今日は年始に行くのである。別に不思議はない。」 225
居る銀座通りも、今夜の幸吉の眼には、自分を主人公とする美しい舞臺の背景のやうに感ぜられる。戸々 の商店の燈の光、鋪道の上を往來する下駄の音、風の響、人の影、 一つ一つがみんな現實を離れた、 ゅめま・ほろし 夢幻の世界のやうに、不思議に神秘に色彩を含んで居る。 ふと、幸吉は又こんな事を考へた。 今、自分の眼界の屆く範圍に、幾百人幾千人の女が動いて居る。 或る者は夫に隨ひ、或る者は情入に誘はれ、或る者は親兄弟に伴はれ、或る者はたった一人で、電車に乘 ったり降りたり、往來を往ったり歸ったり、蠢々として動いて居る。其の女たちの中には、美しい人も醜 い人も富める人も貧しい人もあるであらう。彼等のうちにはさまる \ の隱れたる戀があるであらう。現在 の男に滿足して居る者、現在の男を捨てようと企て、居る者、架空の人を胸に描きつ、ぼんやりと憧れて 居る者、 種々雜多な情緖や慾望が、彼等の一つ一つの頭の中に潜んで居るに違ひなからう。けれど も其れは、第三者たる幸吉の眼で見破る事は出來ない。どの女も、みんな一様に貞操らしい、饂順らしい 興味のない顏つきをして、甚だコンズンショナルな、在り來りな態度を裝って居る。彼等は色慾の衝動を、 未だ嘗て經驗した事がないやうに澄まし込んで居る。さうして、此の平几な女の群衆に打ち交りつ、、 に幸吉の相手はやって來るのである。幸吉のみに取っては極めて明確な、蔽ふ可からざる野心と詭謀と邪 念とを提げてやって來るのである。恰も忍術に依って人目を晦まして居る魑魅魍魎が、或る特定の紳通カ る 者にのみ見えるやうに、彼の主觀には假面を脱いだ女の姿がありありと映る。其の時の彼の女は、人間の れ て動物的本性を曝露した、恐ろしい惡魔の形とも見る事が出來よう。 ・ : 此れは多勢の男の中で、唯一人 幸吉ばかりが彼の女に對して持つ事の出來る特權である。其の特權は普通の夫婦關係や、お客と藝者の間 185
でも完全に、破壞されずに繼續するであらうか。兩親の干渉、社會の制裁、さう云ふ物が忽ち彼等の生活 を妨害して、彼等は無理やりに、再び枯淡な現實の世界へ引き戻される。さうなってから、二人は萬難を 排して飽く迄も同棲する事が出來るであらうか。たとひ同棲するとしても、出奔以前のやうな緊張した戀 愛を味ふ事が出來るであらうか。彼の女は既に復讐の目的を達した。充分に面白い美しい夢を見た。道具 に使用された幸吉は、もはや彼の女に何の必要もない。何の感興も與へない。斯くして、幸吉の捨てられ : 思ふがま、に行動して、思ふがま、に我意を徹して、彼の女は嘸愴快であらう。 る時が來るのだ。 しかし、幸吉に取っては、我から戀の最後を急いで、わざわざ破滅を招くやうなものである。一旦杉村に 打ち勝ったところで、やがて自分も同じ運命に陷るのである。 けれども、若し彼が出奔を承知しなかったら、彼の女は何と云ふであらう。事件は更に急轉直下しないで あら、つか。 : 幸吉は共の晩とうたう眠られなかった。 明くる日の朝、彼の女は例になく俥を飛ばして尋ねて來た。部屋へ這入ると、袂のかげに隱して居たメリ ンスの風呂敷包みを靜かに疊の上へ置きながら、 「手紙を讀んで ? 」 と云った。 あわたゞ る 男は其の包みを見ると、今から直ぐに出奔するやうな遽しさに襲はれた。 れ て「手紙は讀みました。ほんたうに逃げるんですか。」 彼の女は苦い水を嚥下するやうに、唇を歪めて深く頷いた。 249