云ふと薄汚いもの、やうに思って傍へも寄りつかない、昔と今とは若い者の気風が大變違ったと歎いてゐ るので、何處の國でも老人は同じゃうなことを云ふものだと感心したが、人間は年を取るに從ひ、何事に 依らず今よりは昔の方がよかったと思ひ込むものであるらしい。で、百年前の老人は二百年前の時代を慕 ひ、二百年前の老人は三百年前の時代を慕ひ、いつの時代にも現状に滿足することはない譯だが、別して 最近は文化の歩みが急激である上に、我が國は又特殊な事情があるので、維新以來の變遷はそれ以前の三 百年五百年にも當るであらう。など、いふ私が、やはり老入のロ眞似をする年配になったのがをかしいが、 しかし現代の文化設備が専ら若い者に媚びてだん / 、老人に不親切な時代を作りつゝあることは確かなや うに思はれる。早い話が、街頭の十字路を號令で横切るやうになっては、もう老入は安心して町へ出るこ とが出來ない。自動車で乘り廻せる身分の者はい、けれども、私などでも、たまに大阪へ出ると、此方側 から向う側へ渡るのに渾身の神經を緊張させる。ゴーストップの信號にしてからが、辻の眞ん中にあるの は見よいが、思ひがけない横っちょの空に靑や赤の電燈が明滅するのは、中々に見つけ出しにくいし、廣 い辻だと、側面の信號を正面の信號と見違へたりする。京都に交通巡査が立つやうになってはもうおしま ひだとっくみ \ さう思ったことがあったが、今日純日本風の町の情趣は、西宮、堺、和歌山、疆山、あの 程度の都市へ行かなければ味はゝれない。食べる物でも、大都會では老入のロに合ふやうなものを捜し出 讃すのに骨が折れる。先達も新聞記者が來て何か變った旨い料理の話をしろと云ふから、吉野の山間僻地の 翳人が食べる柿の葉鮨と云ふもの、製法を語った。ついでに此處で披露しておくが、米一升に付酒一合の割 5 陰 りで飯を焚く。酒は釜が噴いて來た時に入れる。扨飯がムレたら完全に冷えるまで冷ました後に手に鹽を
あどけなさがあって、彼女の本來の人柄とそんなに調和しないものではなかった。自分で自分を至らぬ女 と思ひ込んで、 いっかは夫の機嫌のよい顏を見る時もあるであらうと、果敢ない望みを賴りにしてゐた女。 田舍に生れてその町の花柳界に二三年出てゐたことはあるけれども、祖母と二人で全く世間知らずに育ち、 最初に 引かされた男とは殆んど情事を解せぬうちに別れてしまび、それ以後僕と正式に結婚する迄つひぞ 他人の中へ出たこともない女。さう云ふ女が戀の魔術にかかったとしたら成る程かうもなるであらうかと 思はれるやうな變り方で、僕は殘酷な打撃を受けつつも、時にはその様子を微笑を以て眺めることが出來 た。全く、そこまでは辛抱が出來たのだけれども、困ったのは君と絶交してから後の彼女だった。僕は、 長い間には君のことを忘れるであらう、戀の魅力から覺めさへすれば、再び彼女は元の千代子に復るであ らうと豫期してゐたのだが、結果はその通りに行かなかった。と云ふ意味は、いっ迄も君をあの時のやう 書に戀ひ慕ってゐたと云ふのではない。君に對する思慕の情はそののち年月を經るに從ってだんだんと最初 語の熱情を失ひ、殊に君が e 子さんと結婚した噂を聞いてからは、彼女自身の言葉に依れば「妹が兄を思ふ 生やうな」心持ちに變ったさうだけれども、それにも拘はらず、彼女の昔の素直な性質、純朴な美點はあれ 過以來損はれてしまったのだ。僕は、不成功に終った戀愛がしばしば女の品性に良くない影響を及ばす實例 て へを、彼女に於いてまざまざと見たのだ。 夫 佐 それにつけても「男は勝手な者だ」と云ふことがよく云はれるが、僕はあの時分の僕自身の心持ちの變化 341
るべく人間らしく見せる爲めに、酒を飮んではポロポロと涙を出させてゐるが、それが又いかにも取って 附けたやうで、裏の見え透く淺はかな技巧に墮してしまってゐる。偉大なる作家のうちには、僅かに一行 か二行の文字を以て、一箇の性格を躍如たらしめる手腕あるものが少くないのに、此の作者は小林にあれ ほどの饒舌を弄させながら、遂に何物をも描き得ないでしまったのである。性格描寫に於ける漱石氏の手 腕は、此の一事を以てしても思ひの外貧弱だと云はざるを得ない。 最も閑人らしくない小林からして既に斯くの如くであるから、にしい中に一々彼の相手になって居る津田 と云ふ人間の呑気さ加減は云ふまでもない。 一體漱石氏には何となく思はせ振りな貴族趣味があって、 「明暗」中の人物も小林を除く外は大概お上品な、愚にも付かない事に意地を張ったり、知慧を弄したり する、煮え切らない齒切れの惡い人たちばかりである。私に云はせればあの物語中の出來事は、悉くヒマ な人間の餘計なオセッカヒと馬鹿々々しい遠慮の爲めに葛藤が起ってゐるのである。たとへば津田は、ど う云ふ譯からか知らぬが、結婚しようとも思ってゐなかったお延と結婚してしまひながら、いっ迄も以前 の戀人の淸子のことを考へてゐる。そこへ吉川夫人と云ふ頗る世話好きの貴婦人型の女が出て來て、津田 の未練を睛らさせる爲めと稱して、延子には知らせずに、彼を淸子に會はせようとする。 あたし 「私の判斷を云ひませうか。延子さんはあ、いふ怜悧な方だから、もう屹度感づいてゐるに違ひないと 思ふのよ。何、みんな判る筈もないし、又みんな判っちゃ此方が困るんです。判ったやうで又判らない ゃうなのが、丁度持って來いといふ一番結構な頃合なんですからね。そこで私の鑑定から云ふと、今の
藝術一家言 延子さんは、都合よく私のお誂へ通りの所にいらっしやるに違ひないのよ」 吉川夫人はそんな事を云って、「でなければ、あ、虚勢を張る譯がありませんもの」などゝ、頻りに自分 の悧巧ぶりを發揮する。 「男らしくするとは ? 何うすれば男らしくなれるんですか」 「貴方の未練を睛らす丈でさあね。分り切ってるちゃありませんか」 「何うして」 「全體何うしたら睛らされると思ってるんです、貴方は」 「そりや私には解りません」 夫人は急に勢ひ込んオ 「貴方は馬鹿ね。その位の事が解らないで何うするんです。會って訊く丈ぢゃありませんか」 「だから私が今日わざ / \ 此所へ來たんぢゃありませんか」と夫人が云った時、津田は思はず彼女の顏 を見た。 「明暗」の讀者は、此の場合をよく考へて見るがい、 ミ」 0 。此の婦人は立派な社會的地位のある、思慮に富み
に思び出した。そして咄嗟に「しまった」と感じた。他日小説にすべき資料は、完全に君の手に握られて、 こ。ゝ、僕はその頃 3 自分の方のは皆燒けてしまったのだ。大體のことは書類がなくても覺えてゐる積りだっオカ 自分の記憶力の衰へたのを嘆じつつあった際でもあり、且柄にもなくノ 1 トを取ったために、却ってそれ に賴る念が生じてゐたので、いざ筆を執った場合に、細かい出來事の順序だの、その時その時の會話だの 手紙の文句だのを、正確に思ひ出せるかどうか甚だ心許ない氣がした。それ故僕はかう考へた、いづれあ こするであらう、とすると自分は、佐藤の小説の出るのを待って、その中の事實に基 の事件は佐藤が小説。 いて自分の方の記憶を喚び起すのが最良の策だ、どうせ此方は急ぐ必要はないのだから、佐藤が書いてか ら十年ぐらゐの月日を置いても遲くはあるまいと。だが、實を云ふと、君の記憶なり君の方に取ってある ノートの内容などに就いて、僕は幾分信用が置けないやうに思った。と云ふ意味は、君も知ってゐる通り、 いことばかり覺えてゐて、都合の悪いことはいつの あの事件に關しては、君も僕も、妙に自分に都合の、 間にか忘れてしまふ傾向があった。此れが兩者の利害に關しない事件を扱ふのであるならば、一つの事實 を兩人が記載するのに相違や矛盾はない筈であるが、ああ云ふ性質の事件になると、無意識のうちに記憶 カまでが公平を失ふものと見えて、全く單純な一つの言葉、一つの出來事に就いてさへ、君の覺えてゐる つい一と月か ことと僕のそれとが甚だしく違う場合があった。それが一年も二年も前のことならば格別、 半月前のことを話し合ってみても、確かに一方が云ったり聞いたりしたと信ずる事柄について、一方が 「そんな覺えはない」と云ひ張った。そしてだんだん順序を立てて説明するうちに、大概孰方かが自分の 思ひ違ひであったことを認め、而もその思ひ違びは、自分に都合の悪い事實を知らず識らず都合の好いや
るのが目的なのか分らないほど無闇矢鱈に理窟を云ふ。彼女は金の問題や兄の親不孝を痛切に心配して居 るのでなく、たゞ議論の爲めに議論して居るのだとしか思はれない。 「解りました」 お秀は鋧どい聲で斯う云び放った。然し彼女の改まった切り口上は外面上何の變化も津田の上に持ち けしき 來さなかった。彼はもう彼女の挑戰に應ずる気色も見せなかった。 「解りましたよ、兄さん」 お秀は津田の肩を搖ぶるやうな具合に、再び前の言葉を繰り返した。津田は仕方なしに又口を開いた。 「何が」 「何故嫂さんに對して兄さんがそんなに氣を置いて入らっしやるかといふ意味がです」 津田の頭に一種の好奇心が起った。 「云って御覽」 「云ふ必要はないんです。たゞ私に其意味が解ったといふ事丈を承知して頂けば澤山なんです」 「そんならわざノ ( 、斷る必要はないよ。默って獨りで解ったと思ってゐるが可い」 「い、え可くないんです。兄さんは私を妹と見做していらっしやらない。お父さんやお母さんに關係す る事でなければ、私には兄さんの前で何にもいふ權利がないものとしていらっしやる。だから私も云ひ ません。然し云はなくっても、眼はちゃんと付いてゐます。知らないで云はないと思ってお出でだと間
伴を以て紅葉と同じ高さに、若しくは共れ以上に持ち上げたものは多く學者側の人々であった。が、今日 になって見ればどうであるか ? 試みに明治二十年代に書かれた「風流佛」や「一口劒」を以て同じ時代 きやらまくら の「夏痩」や「伽羅枕」に比べて見るがい、。 兩者の徑庭はもはや識者を俟たずして明かではないか。學 者が露伴氏を褒めたのは、その物語の中にある一種の觀念が気に入ったからであって、つまり藝術に感じ たのではなく思想に感じたのである。 ( 斷って置くが、私はあの頃の小説家としての露伴氏を論じて居る ので、露伴氏全體を批評して居るのではない。「爛言長語」や、「幽情記」や、「運命」の作者としての露 伴氏は、私の最も敬慕して已まない人である。 ) 「夏痩」や「伽羅枕」の中にはどんな観念があり、どんな 思想があるか、學者に云はせたらあの中には田 5 想らしい思想などは何處にもないかも知れない、が、あれ を讀めば理窟なしに無限の感興が津々として盡きないのを覺え、春風駘蕩たる恍惚境へ惹き人れられる。 春風駘蕩と云ふ形容詞は、紅葉山人の場合に於いて特に適切な言葉であるが、すぐれた藝術には、たとひ 思想問題を取り扱ったものであっても、何等かの形で理窟なしに人を動かす氣力が溢れて居るものである。 さうして其の力は、思想の力や論理のカよりももっと強く、もっと直接に人間の胸臆へ或る訷韻を傳へる。 そこが藝術の有難いところである。 漱石氏のものでも、前期の作品には、たしかに藝術的感激を以て書いたと思はれるものが少くない。「猫」 言や「坊っちゃん」などは、暫く讀まないが、今讀んで見てもきっと惡くはないだらうと思ふ。「それから」 術を讀んだ時は、私は最も漱石氏に傾倒した一人であった。キザだと云はれる「虞美人草」や「草枕」にし ても、近頃讀み返して見たが、「明暗」よりは遙かにい、。 殊に「草枕」は傑作の部に屬すると思ふ。キ いっこうけん
活動寫眞の現在と將來 ゃうな憂ひがない。 辯士もあ、ゝなるとないよりは增しかも知れない。 ゝと思はれるのは彼の男だけである。 日本の活動冩眞界を通じて、頭がい
演じて、ああ云ふ超自然的な、神秘な世界を現出することは容易でない。下手な役者がやれば馬鹿馬鹿し くて見てゐられないものになる。而もウェゲナアは高級作品の品位と深みを失ふことなく、さう云ふむづ かしい役を眞に迫るやうに演じた。東洋流の腹藝とは又違ふが、これと云ふ眼立ったしぐさもしないのに、 彼が畫面へ出て來るだけで既に怪奇の雲がただよひ、その身邊に謎のやうな察気が搖曳して、何となく 「夢幻の國から來た人物」と云ふ感じを與へ、もし世の中にそんな人間が現はれたとすれば全く斯うもあ らうかと思はれた。私は最初、これは藝の力もさることながら、西洋の役者は歌舞伎俳優などと違って文 學に對する素養や蘊蓄が深いのであらう、それで、ウェゲナアなどもああ云ふ高級作品の意味をよく理解 してゐるからこそ、あのやうな演出が出來るのであらう、ああなると、「腕」よりは矢張り「頭」の問題 かも知れないと思ったのであったが、その後「船を漕ぐ罪人」 ( ? ) と云ふ映畫が這入ったことがあって、 それに出てゐる彼を見ると、驚いたことには、俗惡な芝居でも何でもやれる達者な腕を持ってゐるのであ る。前の高級な映畫では、神妙に莊重に動いてゐた彼が、此處では坊主を殺して自分がその坊さんに化け 込んだり、女の臀を追ひ廻したりする半僧坊式の惡漢に扮して、安手に通俗に、思ふ存分跳ね返ってゐる のである。ああ云ふ気品の籠った役をする役者にこんな方面があらうとは意外であったが、私はそれを見 て再び感激を新たにし、考へさせられた。成る程、「頭」も勿論大切であらうが、何と云ってもごが 第一だ。「頭」で理解するのでなく、「藝」から這入って行かなければウソだ。ウェゲナアがあのむづかし い役をあれだけにやりこなすのには、あれだけの惡達者な藝を身に備へてゐることが必要なのであって、 恐らく獨逸の演劇術にも何百年來の傳統があり、それに基いた稽古の仕方があるのであらう。學間も天分 424
る力、いろ / \ 入り組んだ話の筋を幾何學的に組み立てる才能、に在ると思ふ。だから此の問題を特に此 處に持ち出したのだが、 一體日本人は文學に限らず、何事に就いても、此の方面の能力が乏しいのではな からうか。そんな能力は乏しくっても差支へない、東洋には東洋流の文學がある、と云ってしまへばそれ 迄だが、それなら小詭と云ふ形式を擇ぶのはをかしい。それに同じ東洋でも、支那人は日本人に比べて案 外構成の力があると思ふ。 ( 少くとも文學に於いては。 ) 此れは支那の小説や物語類を讀んでみれば誰でも 左様に感ずるであらう。日本にも昔から筋の面白い小説がないことはないが、少し長いものや變ったも のは大概支那のを模倣したもので、而も本家のに比、、 へると土臺がアヤフヤで、歪んだり曲ったりしてゐ 私自身の作品に就いては、自分も日本人の一人である以上大きなことは云へないけれども、たゞしかしな がら此の方面に多大な興味は感じてゐるし、それを少しも邪道であるとは思ってゐない。尤も芥川君の 「筋の面白さ」を攻撃する中には、組み立ての方面よりも或は寧ろ材料にあるのかも知れない。私が變な 材料を擇び過ぎる、「や、此れは奇拔な種を見付けた」と、さう思ふと、もうそれだけで作者自身が醉は されてしまふ。さうして徒らに荒唐奇怪な物語を作って、獨りで嬉しがってゐる。と云ふにあるらしい けれども芥川君自身の場合はいざ知らず、私は昔から單なる思ひっきで創作したことはない積りである。 下らないものや、まづいものや、通俗的なものや、隨分お耻かしい出來榮えのものがあるけれども、たと 舌へば今度の「クリップン事件」のやうなものでも、その構想は自分の内から湧き出したもので、借り物や 饒 一時の思ひっきではない。それがさう讀んで貰へないのは自分の至らぬせゐであるが、以上のことは私は