建つ。國を擧げて悉く同化されてしまふ迄は、その勢ひは滔々として止まらない。それに西洋入は個人的 交際に於いても、自信が強く、。 つうづうしくって、われ / 、は常に壓迫を感じる。相手が自分より無學な 下等な奴だと思っても、議論をすれば是非曲直が孰方にあらうと、愼み深い日本人は負かされてしまふ。 「世界ぢゅうで一番人間らしい顏をしてゐるのは支那入である。西洋人の顏は獸のやうだ」と云ったのは、 確か長谷川如是閑氏であった。成る程さうに違ひないけれども、面と向ってはあの大きな聲量にだけでも、 肉體的に壓倒される。彼等は無言のうちに諒解し合ふと云ふやうな腹藝が分ってくれないのだから仕方が 此の間、女學校 ~ 行ってゐる近所のお嬢さんに會って、「あなたはテ = スをなさいますか」と聞いて見た ら、「い、え、致しません、テ = スをすると餘りせいが伸び過ぎるからいけないと云って、兩親が許して くれません」と、そのお孃さんは云った。それからこんな話もある。私の友人の子供は大體に於いて學 校の成績も非常に良く、殊に數學は優等なのだが、たゞ英語だけが惡い。それを子供も兩親も苦にして、 英國婦人の家庭教師を雇って勉強してゐるのだが、それでも成績が思はしくないので悲觀してゐる。私は にさう云ってやった、「何もそんなに悲觀することはないではないか。君の子供は數學が優等なのだか ら頭はい、に極まってゐる。數學的才能と語學的才能と、世の中 ~ 出てから孰方が餘計實際に役立ち、應 用の範圍が廣いかと云 ~ ば、云ふ迄もなく數學の方だ。英語なんか出來なければ出來ないでもい、。殊に 録 舌會話の稽古なんか何になるのだ。君の子供は日常外國人と交際する機會はないのだから、習ったって忘れ てしまふのは當り前だし、その必要もない譯なのた。外國 ~ でも行くやうになれば稽古しないでも自然と どちら
談 がない。そして私は多くの場合、單に繪として面白いものよりも、舞臺の名優の出演してゐるものの方 、長く忘れられない感銘を受ける。さう云ふ點でアメリカ物よりも歐洲物、殊に獨逸物が一番印象が深 アメリカ物は輕快で明朗であるから、見てゐる間は惹き人れられるが、活動小屋を出てしまふと、頭に何 も殘らない。映畫と云ふものは、もともと觀客に一タの歡を與へれば能事終れりとしてゐるので、それ以 上の目的はないらしいから、それでいい譯なのであらうが、舞臺の場數を踏んだ名優の藝は、映畫で見て もネパリ強く腦裡に刻み込まれて、全體の筋は忘れながら、或る一場面の表情とか動作とかが數年の後に 至るまで思ひ出される。餘人は知らず、私の長年の經驗では實際にさうなので、今日までに數限りない映 畫を見、大部分は題名さへも覺えてゐないに拘はらず、或る特定な僅かな繪だけが、折に觸れて繰り返し 繰り返し思ひ出される。さうしてそれらの殆んどすべてが舞臺の名優の場面であることを思ふ時、藝のカ ル・ヤニングスとウエルネ の偉大さに感心することがしばしばある。中でも記憶に鮮かなのは、エミ 1 ル・クラウスである。此の二人が出演してゐる「オセロ」の中で、イヤゴ 1 のクラウスがヤニングスのオ セロを唆かして、その肩へ手をかけながら、後ろ向きに立っ所がある。私は、あの眞っ黒な服を着たクラ ウスの後ろ姿が今も眼に殘ってゐる。と云ふのは、その後ろ姿、背中で彼は藝をしてゐたのだ。筋肉の動 きが分るやうな、びったり身に着いたびかびか光る黒い絹の服を纒ってゐて、背筋と臀の肉で、いかにも 狡猾で拔け目のない蜥蜴のやうな感じを出してゐたのだ。その同じ映畫で、ヤニングスのオセロがデスデ モナを殺した後、イヤゴ 1 に欺かれたことを悟って、疑ひをかけた部下の何とか云ふ武將を引き寄せなが 427
スチ 1 ムの温氣がして來るなどは、寔にイヤなものである。ところで、數寄屋普請を好む人は、誰しも斯 う云ふ日本流の厠を理想とするであらうが、寺院のやうに家の廣い割りに人數が少く、而も掃除の手が揃 ってゐる所はい、が、普通の住宅で、あ、云ふ風に常に淸潔を保つことは容易でない。取り分け床を板張 りや疊にすると、禮儀作法をやかましく云ひ、雜巾がけを勵行しても、つい汚れが目立つのである。で、 これも結局はタイルを張り詰め、水洗式のタンクや便器を取り附けて、淨化裝置にするのが、衞生的でも あれば、手數も省けると云ふことになるが、その代り「風雅」や「花鳥風月」とは全く縁が切れてしまふ。 彼處がそんな風にばっと明るくて、おまけに四方が眞っ白な壁だらけでは、嗽石先生の所謂生理的快感を、 成る程、隅から隅まで純白に見え渡るのだから確かに淸潔には違 心ゆく限り享樂する氣分になりにく、 いくら美人 ひないが、自分の體から出る物の落ち着き先について、さう迄念を押さずとものことである。 の玉の肌でも、お臀や足を人前へ出しては失禮であると同じゃうに、あ、ムキ出しに明るくするのは餘り と云へば無躾千萬、見える部分が淸潔であるだけ見えない部分の連想を挑發させるやうにもなる。やはり あ、云ふ場所は、もや / \ とした薄暗がりの光線で包んで、何處から淸淨になり、何處から不淨になると 。まあそんな譯で、私も自分の家を建てる時、淨化裝置には も、けぢめを朦朧とばかして置いた方がよい したもの、、タイルだけは一切使はぬゃうにして、床には楠の板を張り詰め、日本風の感じを出すやうに 讃してみたが、さて困ったのは便器であった。と云ふのは、御承知の如く、水洗式のものは皆眞っ白な磁器 で出來てゐて、ピカピカ光る金屬製の把手などが附いてゐる。ぜんたい私の注文を云へば、あの器は、男 陰 子用のも、女子用のも、木製の奴が一番い、。蠍塗りにしたのは最も結構だが、木地のま、でも、年月を 521
いことがある。第一、私は關西の郊外に住んでゐるので、原稿を記者に手渡しすること いろいろ都合の、 つも郵便で送り屆けるのであるが、そのためには、目方のか、らない、嵩張らない紙質 4 は殆んどない。い で、強靱なもの、方がよいのである。それに私は、非常に書き潰しをする方で、統計を取った譯ではない からハッキリしたことは云へないが、 一枚について少くも四五枚は無駄をする。だから百枚の物を書くに は、四五百枚以上の紙を用意してか、る。それでも筆が思ふやうに運ばない時は、仕事が捗らないのに反 比例して、用意した紙は見る / \ 減って行き、紙屑籠が直きに氾濫するのであるが、執筆中は女中を呼ん おくくふ で籠をあけさせるのさへ億劫なものであるから、机の周りが散らかって仕方がない。そんな場合に、日本 紙の紙屑は嵩張らないだけに氾濫する度數も少く、籠をあけに行く手數が大分省ける。又旅先へ仕事を持 って行く時など、五百枚千枚といふ西洋紙を持ち運ぶのは厄介だけれども、日本紙だと手輕に運搬出來る のである。 〇 用紙を印刷所へ賴んで印刷させると、刷る度毎に、紙質、大きさ、インキの色合ひなどを、いくらかづゝ 違へて來る。私は以前、冴えた黄色で刷らせたが、ルラを充分に洗ってくれないので、黄色がへんに濁っ たものになり、弱ったことがあった。で、いろいろ考へて、現在では、日本紙の用紙だけは家で手刷りに することにしてゐる。これだと、紙も自分で紙屋から買って來、繪の具も自分で調合するので、間違へる と云ふ恐れがない。萬一間違 ~ たとしても、そこは人間、勝手なもので、自分の手落ちならまあ仕方がな
寺と云へば、私の寺は法華宗で、もとは深川の小名木川べりの大島にあった。名高い新内の「明鳥」の道 行きに「此の世を猿江大島や」とある、その浦里時次郎の比翼塚のある寺で、それが地震の數年前に、染 井の共同墓地の傍に移轉した。おかげで焼けも潰れもしなかったけれども、同時に綠結びのために比翼塚 へお參りをする人は殆どなくなってしまったであらう。ことしの五月、母の十三囘忌の折に行ってみると、 塚は今でもあるにはあるが、卒塔婆の數も少く、お線香もろくに上ってゐず、今では昔の俤もないのにそ ぞろ哀れが催された。 尚此の寺には司馬江漢の墓があり、芥川龍之介の墓がある。舊幕の頃、私の祖父は深川の釜屋堀に住み、 芥川家は本所の横網邊にあったのだらう。それで芥川家の墓地と谷崎家のそれとは背中合せになってゐる。 私は實は、故人龍之介君の葬式の時以來一度もお寺へ行かなかったので、此の間始めてお參りをした。故 人の墓は、芥川家累代の塋域の中に、別に石碑が建ってゐて、その形は普通の石碑と少しちがふ。横に長 い長方形のやうな形で、頂きは蒲鉾型を成してをり、正面には太い輪廓を取った中に、戒名でなく、「芥 川龍之介之墓」と俗名を誌してある。今でも崇拜者や愛讀者の參詣に來る者が多く、殊に毎月の命日に怠 らず香花を供へる一女性があるのだが、寺の坊さんが尋ねてもどうしてもその名を告げないと云ふ。 〇 170
自信を以て云へる。前號で趣味だの癖だのと云ふ文字を使ったのは、座談的に輕く云ったからであるカ 私が變なものや有邪気なものが好きなのは、實はもう少し深いところから來てゐる積りだ。芥川君は私よ りも自分自身を鞭うつやうな気持で云ったのださうだから、それなら私の關する限りでないけれども、私 まで鞭うたれるのは願ひ下げにする。 作者が自分の作物の「筋の面白さ」に惑はされるとは、それに眩惑される、醉ったやうになる、と云ふこ とだらうが、それなら寧ろさうであった方がい、と思ふ。此れは各作者の體質にも因るから、一概には云 へないけれども、私自身はいつでもさうだ。私はどんな詰まらないものを書く時でも、多少醉ったやうに ならなければ書けない。話の筋を組み立てるとは、數學的に計算をする意味ではない。矢張それだけの構 想が内から燃え上って來るべきだと思ふ。此の事に就いては偉い作曲家の例が引かれて、昔から云ひ古さ れてはゐるが。 それから「俗人にも分る筋の面白さ」と云ふ言葉もあるが、小説は多數の讀者を相手とする以上、それで 一向差支へない。藝術的價値さへ變らなければ、俗人に分らないものよりは分るもの、方がい、 。妥協的 気分で云ふのでない限り、通俗を輕蔑するなと云ふ久米君の説 ( 文藝春秋二月號 ) に私は賛成オ 賛成ついでに、合評會で宇野君が「九月一日前後のこと」を詰まらないと云ってゐるのは、作者自身も同 感である。正に「あれは小説ではない」のだ。「かう云ふものを見ると、此の人の文章は古くて實に常套 的だ」と云はれても、一言もない。自分が惡いと思ったものをケナされるのは、、 p 、と思ったものを褒め られるのと同樣に愉快だ。あんなものを面白がられては却って気持が惡い。 、よ ) 0
近頃の私も全然西洋の物を顧みない譯ではない。折角習った英語だ、から、せめ 白鳥氏程熱心ではないが、 て此の外國語一つだけは忘れないやうにとも思って、ときどき漫然と讀みちらしてみたりする。が、どう トライサアやジョイスの物 云ふものか近年英語の小説で卷を終へるまで興味を惹かれた例は殆んどない。。 丿シーズ」は分らないのであきらめて など、日本で騷がれる前に自分の書庫にあったのだけれども、「ユー しまひ、「アメリカの悲劇」は、あのル大な長篇が徒らに言葉數の多い描寫で充ちてゐることを思ふと、 もうそれだけでウンザリしてしまった。此の本はとに古本屋に賣ってしまったので、今手もとにないけ れども、幸ひ先月の「新潮」に小林君が拔萃されてゐる部分があるから、一例としてそれをそのま、此處 に引用させて貰ふと、 his trotlbled and then stlddenly distorted and ftllgurous, yet weak and even llnbalanced で confused and a11 but face a face Of a stldden, instead Of angry, feroci011S, demoniac ん 讀 meaningless in itS registration Of a balanced 「 fear を 批 death or murderous brtltality that wotlld bring death) and a hurried and restless and yet の 氏 yet temporarily unbreakable here and here selfrepressed desire to do a static between a powerftll compttlsion t0 d0 and yet not t0 d0•' 宗 正 と、先づかう云った調子である。一つの顏を描冩するのに無數の形容詞と形容句と副詞と副詞句とを以て 二一口 403
文の中に心理が織り込まれてゐる方が、どうやら奥床しくはないか。讀者に親切なのはい、が、あ、云ふ 風にしないでも、そこは作者の働きで自ら氣分が滲透するやうに書けもしようし、そんなところで眼に見 えぬ苦心をするのが、作者の身上でもあり味噌でもある。時にはモノローグを挾む必要があるとしても、 出來るだけ眼立たぬゃうに、括弧なぞのない方がよくはないか、とまあさう思ふ。ともあれ讀者の便宜を 計った一形式であるから、通俗を旨とする大衆作家が取って以て應用するのは自然の數だけれども、括弧 をして置いてはい & 氣になって長々と獨白をつゞけ、心理解剖の假面を被って客觀描寫の面倒を省いたり するのは、少しぞろツ。へい過ぎる。まさか英雄豪傑の意識の流れを書くつもりでもあるまいし、動きを主 とする物語では、あのために進行が停頓する。直木君の如き有能な作家にしてあ、云ふ安易な道を擇ぶの は、どんなものであらうか。 が、直木君の出世作と云はれる「南國太平記」は、流石に全體が引き締まってゐて、さう云ふことがさう っ眼障りにならない。私は今度通讀してみて、やはり此の作品に一番感心した。それにつけて思ふに、讀者 の興味を主にして書いた大衆物はその場限りのものであって、純文藝の作品の方が生命が長い筈であるが、 歴その實昨今の一流雜誌に現はれる所謂高級小説は、二三年もたてば大部分が忘れ去られてしまふのであっ 木て、それよりも、ひょっとするとかう云ふ作品の方が、八大傳や弓張月のやうに、長くわれイ、、の子孫に 愛讀されるのではないか。そして日本に於ける有數な傳奇小説の一つとして、介山氏の大菩薩峠など、共 おのづか 495
想像から生れるものであることを感ずる。なあに、忘れられないと思ったり、忘れられて淋しいと思った りするのは今のうちだ。又新しい配偶者を得て生涯を營むやうになれば、忘れまいとしたって忘れる。親 を失った悲しみだって十年たてば何んでもなくなるではないか。殊に女は境遇に順應するものだ。第二の 夫との間に子供でも出來れば、何も彼もその愛に紛れてしまふだらう。自分にしたって若い美しい妻でも 恐らく事實はさうなるのであらうが、人は悲しい 持てば、どんな気になるか分ったもんぢゃない。 時になると、いやが上にも悲しいことばかり想像して、その想像が描き出す光景に怯える。まして千代子 はさう云ふ想像の光景に甚だあて篏まる女なのだ。少くとも別れてから數年のあひだ、僕の腦裡にその幻 影が明け暮れ附きまとってゐるとすれば、想像にしても事實と同じ打撃を受けるものと見なければならな 書その上僕は、自分の職業が小説家であると云ふことを考慮に人れなければならなかった。別れた後にも、 語活字になった僕の名前は何かと彼女の眼につき易い。僕の住所、僕の生活状態、僕のいろいろな動靜 を 生ー等は、新聞や雜誌を通して、否でも應でも彼女の注意を惹くであらう。これは彼女が僕を忘れようとす 過る場合には何よりの妨げになる。もしも彼女の第二の夫が嫉妬深い男であったら、僕に關する詰まらぬ記 ~ 事からどんな家庭の風波が起らないものでもない。そんなことを考へると、僕はこの後ウッカリ小説も書 けない気がした。幸ひ僕は寫實小説には興味がないから、モデルが分るやうなものを書きはしないが、そ 夫 藤れでも作者の心境は形をかへて作物の中に現はれる。自分でも餘程気をつけないと、無意識のうちに飛ん 佐 だ邪推の種を蒔かないとも限らない。事實僕は、あの小田原事件以後數年の間、ちゃうど自分が第二の夫 321
戀愛及び色情 西洋の小説中の人物のやうな気がするが、あの當時さう云ふ女が多く實際にゐた譯ではないとしても、社 會は早晩所謂「自覺ある女」の出現を望み、且夢みてゐた。私と同じ時代に生れ、私と同じく文學に志し たあの頃の靑年は、多かれ少かれ皆此の夢を抱いてゐたであらうと思ふ。 夢と現實とはなか / \ 一致するものでない。古い長い傳統を背負ふ日本の女性を西洋の女性の位置に まで引き上げようと云ふのには、精神的にも肉體的にも數代のジェネレーションに亙る修練を要するので あって、これがわれ / \ 一代の間に滿たされよう筈はない。早い話が、先づ西洋流の姿態の美、表情の美、 歩き方の美である。女子に精神的優越を得させるためには、肉體から先に用意しなければならないことは 勿論であるが、考へて見ると、西洋には遠く希臘の裸體美の文明があり、今日もなほ歐米の都市には至る 所の街頭に紳話の女訷の彫像が飾られてゐるのであるから、さう云ふ國や町に育った婦人たちが、均整の 取れた、健康な肉體を持つやうになるのは嘗然であって、われノの女性が眞に彼等と同等の美を持った めには、われ / 、も亦彼等と同じ神話に生き、彼等の女神をわれ / \ の女紳と仰ぎ、數千年に溯る彼等の 美術をわれ / \ の國へ移し植ゑなければならない。今だから白从してしまふが、靑年時代の私なぞはかう 云ふ途方もない夢を描き、又その夢の容易に實現されさうもないのに此の上もない淋しさを感じた一人で あった。 私はさ、つ田 5 ふ、 精神にも「崇高なる精神」と云ふものがある如く、肉體にも「崇高なる肉體」と云 ギリシャ 255