宵居などに、姉ま、母などやうの人々の、その物語かの物語光源氏のあるやうなどところん \ 語るを聞く にいとゞゆかしさまされど我が思ふま、にそらにいかでかおばえ語らむ。いみじく心もとなきま、に等身 に藥師佛をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつゝ、『京にとくあげ給ひて、物語の多く 候ふなる、あるかぎり見せたまへ』と身を捨て、額をつき祈り申すほどに云々」と云ってゐる。それから 後年都へ上って、漸く人からいろ / \ の物語を借りて讀むことが出來た。さうして「源氏の五十餘卷、櫃 に入りながら、ざい中將、とほぎみ、せりかは、しらゝ、あさうづなどいふ物語ども一袋とり入れて得て 歸る心地の嬉しさぞいみじきや。はしる / \ わづかに見つ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の卷より して人もまじらず儿帳のうちに打ち臥して引き出でつ、見る心地、后の位も何にかはせむ」と喜んでゐる。 「夢にいと淸げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが來て、『法華經五の卷をとく習へ』といふと見れど、人 にも語らず習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、我は此の頃わろきぞかし、さかりにな ひかる らば形も限りなくよく、髮もいみじく長くなりなむ。光の源氏のタ顏宇治の大將の浮舟の女君のやうにこ そあらめと思ひける心、まづいとはかなくあさまし」など、も云ってゐる。かうして見ると文學少女の心 持ちは昔も今も變りはないが、小説が讀みたさに等身の藥師佛を造って祈ると云ふのはさすがに平安朝で ある。それにあの時代の物語類は敎育のある上流社會の讀み物として、さう卑しまれてはゐなかったやう だ。從って小説道も一時は非常に進歩してゐたに違ひなく、更級日記の作者が讀んだ「とほぎみ」、「せり 舌かは」、「しら、」、「あさうづ」など云ふ作品は後世に傳はってゐないけれども、隨分その數も多かったで あらう。今に殘ってゐる「堤中納言物語」の如きは實に気の利いた好箇の短篇集で、腕に覺えのある作者 113
後に生れた詩人たちは結局唐詩の世界から一歩も外 ~ 踏み出してはゐない。彼等は李杜以下の大詩人たち が既に發見し、開拓し盡したところの境地を、繰り返し繰り返し低徊してゐるに過ぎない。勿論一人々々 について多少の異色はあるにしてからが、その相違と云ふものはほんの僅かな點であって、後世になると さう云ふ僅かな小味な相違を樂しむのである。だが、しかし、人を樂しませるより先に自ら樂しむのが眞 の藝術であるとしたなら、それでも差支 ~ ないではないか。見る方は兎に角、作る方の側になると、一つ 所に踏み止まって繰り返し繰り返し研きをかけると云ふ、そのことに無限の感興を覺える。音樂家にして も「殘月」なら「殘月」の曲を心ゆくかぎり何度でも彈く。或ひは一生を費して漸くその曲の秘奥を會得 する。一度や二度で飽きてしまふやうなことでは、眞の感興が湧いて來る筈もないし、技も上達しないの である。 ま、ゝ カう云ふ風な考へ方が現代の藝術觀と根本的に相容れないことを感じ、日一日とその方へ傾いて行 く自分と云ふものを、多少は恐ろしいと思ふ。正直のところ、自分でも此れが動脈硬化の證據でないと云 ふ確信はないのであるが、しかし飜って考へるのに、現代の日本には大人の讀む文學、或は老人の讀む文 日本の政治家は概して文藝の素養に乏しく、文壇の情勢に暗い 學と云ふものが殆んどないと云ってよい と云ふ誹りを受けるが、それは文壇の方にも幾分の罪がありはしないか。と云ふのは、彼等と雖も必ずし も文藝に冷淡なのではない、犬養木堂翁の如きは云ふ迄もないとして、濱ロ雄幸氏のやうな無趣味らしい 442
ならないことは勿論、鼻をかんでも啜っても咳をしてもいけない。だから風邪でも引いた時は何處へも出 られず、一日家に籠ってゐるより仕方がないと云ふ。此の調子だと、今にアメリカ人は鼻の穴から臀の穴 まで、舐めてもい、やうにキレイに掃除をし、垂れる糞までが麝香のやうな匂を放つやうにしなければ、 眞の文明人ではないと云ひ出すかも知れない。 此れと似たやうな話は、嘗て故芥川君から又聞きしたのだが、成瀨正一氏が獨逸で或る家に客となって、 芥川君の「或る日の大石内藏助」をその場で譯しながら讀んで聽かせた時、「内藏助は立って厠へ行った」 と云ふ句に行き嘗ってハタとっかへた。そしてとう / \ 「厠」と云ふ語を譯さずにしまったと云ふのであ ポ 1 ル・モ 1 ランの小説などには「厠」と云ふ語がちょい / \ 出て來るから、近頃の佛蘭西あたりはそれ 程でないのでもあらうが、どうも歐米人と云ふものは斯う云ふことに變に氣を廻す癖があり、それを文明 人の資格と心得てゐるらしい トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を讀んだ人は御承知であらう。あの中で、あの小説の主人公は歐 説羅巴の所謂文明人の生活振りを口を極めて批難してゐる。彼等の日常の食物や婦人の服裝等を見ると、甚 惰だしく刺戟的、積極的で、どうしても劣情を挑發する目的にしか出來てゐないのに、一方に於いて禮儀作 と、今その本が手元にないのでハッキリ想ひ出せないが、た 法をやかましく云ふのは虚僞である、 231
多く日本の歴史や傳統に立脚してゐるから、その中の優秀なものは「大人の讀む文學」と云ふ感じがしな しかし老境に達した者に心の糧を與へるやうな文學が、あ、いふ所から生れて來ようとも いでもないが、 思はれない。要するに現時の文學なるものは、若い者相手の讀み物であって、作家の方でも四十歳以上の 「大人」共を勘定に人れてゐないのである。打ち明けて云ふと、私なんぞは文壇の、一隅に席を占めてゐる 仲間の一人でありながら、月々の雜誌の他の欄には眼を通しても、創作欄は大概讀まずにしまふと云ふの 、僞りのない事實である。蓋し何れの時代、何れの國に於いても、文學を愛好する者は多く靑春期の人 々であるから、彼等を讀者に持っことこそ文藝作家の本懷であって、老人などはどうでもいいのかも知れ ないが、私のやうに五十近くにもなって自分の書くものが若い人たちだけにしか讀んで貰へないかと思ふ と、淋しい気持ちがしないでもない。又、自分を讀者の側に置いてみて、古典より外に讀むに堪へるもの がないと云ふことは、何かしら現代の文學に缺陷があるやうに思へてならない。なぜなら、青年期から老 年期に至るまで、ときどき燈下に繙いては慰安を求め、一生の伴侶として飽きないやうな書物こそ、眞の 文學と云へるからである。人は修養時代にも書物を讀むが、老來閑日月を得るに及んでは特にしみじみと 滋味のある讀み物が欲しくなる。さう云ふ時、彼等が讀みたいと思ふものは、我が半生の辛勞をねぎらひ 老後の悔恨を忘れさせてくれるやうな、まあ云ってみれば過去の生涯を淸算し、何も彼も此れでよかった のだ、世の中の事は苦しみも悲しみも皆面白いと云ったやうな、一種の安心と信仰とを與へてくれる文學 である。私の所謂「心の故鄕を見出だす文學」とは、さう云ふものを指すのである。 444
は讀む脚本、 レ 1 ゼドラマと云ふものを頭から輕蔑する風がある。「讀んでは面白いが、舞臺には かけられない」と云ふ一言の下に片附けてしまって、さう云ふものは眞の脚本ではないとする。しかしな がら讀んで價値のあるものならば、それも一種の藝術であることは確かである。舞臺に上演出來ないもの は脚本とは云へないと云ふなら、それは名前の爭ひであって、ほかに何とでも名を付けたらい、。けれど も上演に不適當であると云ふ一事を以て、その作品の藝術的價値迄が上演出來る脚本よりも劣ってゐるや うに看做されるのだったら、不都合である。さうして事實はその反對の場合の方が多いやうに思はれる。 と云ったら、白鳥氏も同感され、「それは私が疾うから云ってゐることなんだ」と云はれた。 われ / \ が創作をする場合に、その取り扱ふ内容の種類に依って、普通の小説の形式よりも脚本の形式に 於いて表現する方が、扱ひ易く、且効果を出し易い時がある。假りに私なら私がさう云ふ作品を書く場合 には、頭の中に一箇の室想の舞臺を作る、さうしてそこにいろ / 、の人物を登場させ、いろ / \ のセリフ やしぐさをさせ、實際の芝居を見るが如くに感じ、さてそのま、を紙上へ寫し取る。此の過程は幾分か自 ら努めてもさうするのだが、時には自然と舞臺が腦裏に浮かんで來て、否でも應でも脚本の形式を取らな ければならなくなる。さう云ふ作品に接する讀者は、矢張めい / \ の腦裏に空想の舞臺を作り、作者の空 想が見たのと同じ芝居を見せられる。作者はそこ迄は豫想してゐる。けれども空想の舞臺と實演の舞臺と は違ふのだから、それが俳優の手に依って劇場で演ぜられるのに適するかどうかは、問題にしてゐない場 舌合も有り得る。 饒 もったい芝居と云ふものはそれが夢幻劇であれば勿論室想 私がこんなことを云ひ出したのは外でもない。、 147
はしがき 私は一體文壇の現状など、云ふことに比較的不注意の方である。月々私の手もとへは可なり多くの雜誌が 寄贈されるけれども、それらに載って居る創作の一つにでも眼を通すことはめったにない。讀むとすれば 多少の年所を經てから猶生命のある作家や作品を擇んだ方が、その値打ちもよく分り、第一無駄な勞力が 省ける。さうして、多少の年所と云ふうちにも成るべくならより古い物やより隔たった物ーーーー古典や外 國の文學の方を餘計に讀む。日本の物だから、現代の物だからと云って、特にそれらに親しむことは知ら ず識らず自分の眼を低くさせ、理解を狹くさせ、覺悟を鈍らせ、雄心を銷磨させる結果に陷る。私は批評 家ではないのだから其れで差支へはないと信じて居る。 ところで去年あたりから屡よ「日本の文學は明治以後どのくらゐ進歩したか」とか、「一體小説とか戯曲 とか云ふものは日本にも昔からあることはあったが、それが文學の中心を占めるやうになったのは西洋文 化の影響を受けた以後の現象で、われ / \ は結局小説戯曲を以て西洋のに劣らない藝術を作り出せるか」 言とか、そんな問題を考へさせられる機會が多く、その爲めに紅葉露伴以後の作品を、小 ノ年の頃に讀んだき 術りもう二十年近くも顧みなかった物から始めて、近くは漱石以後の二三の作家に至るまで、別段どれと云 ふ順序もなくボッポッ讀んで見るやうにし、瑕があれば讀後の感じをノ 1 トの端 ~ 書き止めて置くやうに
し、その間を繋ぐのに九つの 2 and こと、六つのダッシュと、四つのコ yet ごと、括弧に這入った長たら しい名詞句がある。作者の努力は多とするとしても、私はかう云ふ書き方には全く參ってしまふのである。 英國人や米國人にはこんなに澤山の : and こがあってもさう耳障りにならないのであらうか。眞に「言 葉」を愛する作家だったら、こんな言葉の浪費をするであらうか。それも いいとして小林君も云ってゐる ゃうに、こんな風に隅から隅まで文字を填め盡してみたところで、殺人の刹那の顏の感じは、一向浮かん で來ないのである。若い時分には、さすが西洋の作家は緻密なものだと思って感心して讀んだけれども、 此の頃の私は、ゝ 日本人なら、もっと短か カう云ふ無用な文字の羅列を辿って行くことが大儀でならない。 い気の利いた文章でこれだけの効果を擧げることは難事ではあるま い。此の外、「ゼ・ウエル。オブ・ロ ンリネス」なども矢張り私には不必要に長たらしい気がして、とても根がっゞかなかった。 ダッチ これは獨逸のものではあるが、加藤朝鳥君の紹介にってフォイヒトワンゲルの「ジ。アグリ 1 ・ エス」と云ふ歴史小説のあることを知り、早速讀みかけてみたけれども、これも私には興味がなかった。 同じ作者の「猶太人ジュス」も詰まらなかった。どうも十九世紀の偉大な歴史小説に比べると、筋の運び 方がごたごたして紛らはしく、場面々々が少しも躍動してゐない。讀者の胸を打っ迫力も彈力も生彩もな 。書きゃうに依っては隨分面白い物語になるのに、段取りが惡い上に、長篇に必要な、讀者を最後まで 引きずって行く文章の魅力と云ふものがない。原語で讀んだらどうか分らぬが、英譯や日本譯ではさう感 じた。そのくせ此れも言葉數はふんだんに費してゐるのである。 さう云ふ譯で、私は去年ド・キンジイの飜譯をして以來、殆んど英語の書物と云ふものに手を觸れたこと 404
1 三い がない。此の調子では今に英語を忘れてしまひさうな気がするので、英字新聞を取ってみようかとも思ふ けれども、そんなに迄して何を讀むと云ふアテもないのでは心細い 近頃讀んだ飜譯物では、ラディゲの「ドルヂエル伯の舞踏會」 ( 堀ロ大學氏譯 ) と云ふものに私は一番敬 服した。ラディゲ自身のノオトを以て説明すると、 この小説の中では、心理がロマネスクなんだ。 イマジナション 空想の努力は專らこの點に集中される。印ち外面的な事件に對してではなしに感情の分析に集中さ れるのだ。 みだら こする。文章は、下 つつましい戀愛の小説でありながら、同時にまた、如何なる好色本より猥な小説。 手なやうな文章を用ゐる、例へば眞の粹が、地味なものであるやうに。 「社交的」方面 或る種の感情の開展に役立っ雰圍気を作り出す爲めであって、社交界を描出しようとするのではない。 批この點がプルストと異るところだ。背景は重要ならず。 氏とある。これは此の本の序文ではない。二十歳で死んだ此の作者の遺物の中から發見された覺え書きの文 出來上ったものを讀んでみると、成る程その通りに書けてゐる。私が第一に感心するのは、 宗句ださうだが、 此の、作者の意圖が遺憾なく作品に實現されてゐる一事である。誰しも「こんな風なものを書いてみた 405
地の人への老婆心であり、忠告であるから、特に關西の讀者諸君はその積りで讀んで頂きたい。 〇 由來、東京人の上方に抱く反感のうちでも、大阪に對するそれが最も強い。上方嫌ひの左團次や菊五郎も、 京都迄は來るけれども、大阪のまん中へは容易に來ない。ほんたうに京阪の様子を知らない東京人がたま に此方へ旅行してみた感じでは、京都なら住む気になれるけれども、大阪はとても鼻持がならないやうに 考 ~ る。これは一往當然なことで、昔から「京大阪」とは云ふもの、、「京都は大阪の妾である」と云ふ 言葉もあるやうに、眞に東京に拮抗する實力を持った大都會は大阪以外にないのであるから、何んと云っ かたき ても大阪が眼の敵にされる譯である。京都は古來王城の地であり、あらゆる古典的文化の淵叢である關係 いくら鼻ッ柱の強い江戸人でも多少の奪敬となっかしさとを感じたであらうし、それに又、京都人の 上、 性質と云ふものが頗る消極的であるから、ちょっと旅行者が通り過ぎたぐらゐでは、彼等のイヤ味や缺點 がさう著しく眼に付かない。然るに大阪となると、昔から素町人の都であり、何より先に金が物を云ふ土 地柄であり、住民の気象も、活動的、進取的である一面に、すべてがあくどく、エゲッなく出來てゐるの だから、その缺點が積極的に迫って來る。故に東京入のやうなアッサリした肌合ひの人間は、梅田の驛へ 下りたばかりで直ぐに何かしら贅六式の臭味に襲はれ、一遍で參ってしまふのである。 どうも肌合ひの相違ばかりは理窟で説明のしゃうもないが、大阪式のイヤ味を諒解するのには、あの寶塚 少女歌劇の女優たちの藝名を見るのが一番早分りであると思ふ。たとへばあの中のスタアの名前に、天津 352
が、私は失望しながら、此の作品を透して窺はれる作者の気稟や態度からは、多大の感激を受けた。「明 暗」を讀んだ時のやうな忌ま / \ しい氣持には決してならなかった。拵 ~ 物だと思ったのは讀んだ後のこ とで、讀みつ、ある際は共れを考 ~ る暇もなく終りまで引張って行かれた。なぜかなら、此の作は概念で 捏ね上げられたものではあるけれども、動もすれば其れを忘れさせるやうな、或る火のやうに燃えつ、あ 「此れは る力が全篇を貫き、紙背に滲透して居るからである。さうして、讀んでしまってからも、 なほ其の力が讀者の胸を打つのを感ずる。作者は作品に於い 不出來な作品だ」さう思ひながらも、 て失敗しながら、何等かの點で讀者を征服せずに措かない。昔杜子美は「語って人を驚かさずんば死すと も休まず」と云った、その気魄が此の作品の隨所に溢れて居る。 私がこ、に気魄と云ったものは、功名心と云ふ風にも取れさうだけれども、功名心だとすれば非常に高い 貴い功名心である。さうしてもっと適切な名を以て呼べば、藝術的熱情である。つまり自分の筆のカで、 一箇獨自の世界を盛り上げんとする熱情である。その熱情は、或る作家の場合には水品の如く凝結して現 れることがあり、それも一種の美觀ではあるが、此の作者の作品では多くの場合火のやうに燃え上って居 て、その燃え上る力の強さは、當代に殆どその比を見ないと云ってもよい。でそれが自然と讀者の方へま で燃え移って、讀者自身の熱情を鼓舞激勵する。その力は「俄あれ」にも現れて居なくはないが、あ、云 ふ渾然と出來上った整った物よりも、却って歪みなりに出來た物の方に、露骨にはみ出して居るのを覺え る。私が此の作品に興味を持ったのは共の點であった。 ト説よ存在の價値があると云へる。たゞ前にも云った通 だから、失敗の作ではあるが、それでもなほ此の / ラ (