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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第21巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第21巻

ったが、二人連れで、朝の七時から午後の四時まで二階の一室を占領し、その間に書飯を食ひ、風呂をわ ざ / \ 立て、貰って、なんと勘定が僅かに二圓、一人一圓にしか付かないのである。と云っても、決して 3 座敷が不潔であったり、食物が莱味が惡かったりするのではない。島であるから、魚は兎に角新しい。そ れに四國は蒲鉾のうまい所で、何處 ~ 行っても蒲鉾さ ~ 食べてゐれば大丈夫であるが、その島でも伊豫で 出來るのを賣ってゐる。私は風呂から上ったあとで、一寸晝寢をしてみたが、寢道具の莱持のよいのに感 心した。大概の宿屋のは、外側にばかり絹や紬を使って、中に古綿を詰めてある。だから見たところが綺 麗なかはりに、着ると重いのが普通である。然るにその宿屋のは、反對に外が木綿で中の綿が新しい。冬 であったから上に二枚かけて寢たが、此奴は嘸重からうと思って載せてみるとさうでないので、始めて綿 の上等なことが分ったのである。萬事がさう云ふ流儀であるのが氣に人って、此の島に海水浴の出來る所 がありますか、あれば家族づれで來てみたいがと云ふと、 ~ え、毎年神戸の西洋人の夫婦の人が、子達を つれて來られます、いつも此の二階を全部借り切って、十日程滯在されますと云ふ。だん / 、聞くと、此 處から一町程の海岸に、別 に設備はしてないけれども、實に理想的な海水浴場があるのたさうである。二 階は廊下の右と左に一と間づ、座敷があるだけだから、借り切ったと云っても知れたものだが、御滯在な ら一日一人二圓でお泊め申しますと云ふ。そこで私は、その神戸の西洋人が矢張前掲の獨逸人と同じ理由 で、誰にも知らせずに、自分達だけで此の島 ~ 避暑に來る樣子を、ひそかに想像したのである。今日、有 名な海水浴場で水のキレイな所と云ふのは殆どない。元來はキレイな海であっても、大勢の人が泳ぐため に汚く濁ってしまふのであるが、此の島の海水は透き徹るやうに淸洌であると云ふから、それだけでも気

2. 谷崎潤一郎全集 第21巻

文章讀本 分異なるらしいけれども先づ今日の例を以て話せばケッキョ、ケッキョ、イ \ / \ と啼く所謂谷渡りの聲ホーキ かうね 1 べカコンと啼く所謂高音、ホ 1 ホケキョウの地聲の外に此の二種類の啼き方をするのが値打ちなのである此れ は藪鶯では啼かない偶、、啼いてもホーキ 1 べカコンと啼かずにホーキーベチャと啼くから汚い、べカコンと、コ ンと云ふ金屬性の美しい餘韻を曳くやうにするには或る人爲的な手段を以て養成するそれは藪鶯の雛を、まだ尾 の生えぬ時に生け捕って來て別な師匠の鶯に附けて稽古させるのである尾が生えてからだと親の藪鶯の汚い聲を 覺えてしまふので最早や矯正することが出來ない。 ところで、此の打ち方をセンテンスの構成と一致するやうに打ち變へますと、次のやうになります。 女で肓目で獨身であれば、贅澤と云っても限度があり、美衣美食を恣にしてもたかゞ知れてゐる。しかし春琴の 家には主一人に奉公人が五六人も使はれてゐる。月々の生活費も生やさしい額ではなかった。何故そんなに金や 人手がか、ったと云ふと、その第一の原因は小鳥道樂にあった。就中彼女は鶯を愛した。今日啼きごゑの優れた 鶯は一羽一萬圓もするのがある。往時と雖も事情は同じだったであらう。尤も今日と昔とでは、啼きごゑの聽き 分け方や、翫賞法が幾分異なるらしいけれども、先づ今日の例を以て話せば、ケッキョ、ケッキョ、 / \ / \ と かうね 啼く所謂谷渡りの聲、ホ 1 キ 1 べカコンと啼く所謂高音、ホ 1 ホケキョウの地聲の外に、此の二種類の啼き方を するのが値打ちなのである。此れは藪鶯では啼かない。偶、、啼いてもホ 1 キーベカコンと啼かずに、ホーキ 1 べ チャと啼くから汚い。べカコンと、コンと云ふ金屬性の美しい餘韻を曳くやうにするには、或る人爲的な手段を 以て養成する。それは藪鶯の雛を、まだ尾の生えぬ時に生け捕って來て、別な師匠の鶯に附けて稽古させるので ある。尾が生えてからだと、親の藪鴬の汚い聲を覺えてしまふので、最早や矯正することが出來ない。 此の二つを讀み比べて御覽になればお分りになるでありませうが、私の點の打ち方は、一、センテンスの 215

3. 谷崎潤一郎全集 第21巻

銷沈してゐるやうに見えるのだと思ふ。しかし私はよく知ってゐる、彼等は薄ッペらではあるが、気障も 見え坊もたヾ上ッ面だけのことで、一人も惡人はゐないのである。みんな正直な、腹のキレイな、莱の弱 い人達ばかりなのである。彼等のうちには年來の舊友も多いことだし、第一私にしてからが、據ん所なく 筆一本に取り縋って口を濕ほしてはゐるもの、、もし親譲りの財産があったら彼等と同じタイプの一人に なったであらうことを思 ~ ば、さら / \ 惡ロなんぞ云へた義理ではないけれども、でも他人事とは思 ~ な いだけに、何だか一脣悲しいのである。大阪の落語に、上方の職人が江戸っ兒の職人をおだて上げて金を 使はせ、蔭で舌を出す話があって、春團治にやらせると、關東者のおめでたい輕薄なところと、關西人の ノロマなやうで拔け目のない、腹のすわったしぶといところとが對照の妙を極めるさうだが、考 ~ てみる と、實際笑ひごとではない、近代型の東京人もやがては皆私の親父と同じゃうな敗殘の江戸っ兒になるの ではないか。それが私の杞憂であるならい、けれども、此方の人のすることを見ると、數十萬の資産のあ る者が、東京ならば二三百圓の月給取りのやうな暮らしをしてゐる。利息で食ってゐる人などはつましい 上にもつましくして、僅かづ、でも恒産が殖えて行くやうに心がけ、映畫や芝居を見るのにも少し人場料 が高いと二等や三等で辛抱する。東京の有閑階級がしてゐるやうな享樂生活は、此方では餘程の金滿家の することである。能樂や歌舞伎劇が東京を除くあらゆる都會では既に衰徴しつゝあるのに、ひとり帝都に 於いてのみ今も隆盛を誇ってゐるのは、斯くの如き浪費家の市民のあるお蔭であり、我々の小説を買って くれるお得意様も彼等が大部分であるとすると、藝術家のためにはかう云ふ人逹の存在が必要な譯である が、上方の資本が進出して、何千人を收容するやうな大劇場が幾棟も殖え、それらが孰れも繁昌するのを

4. 谷崎潤一郎全集 第21巻

メモランダム 〇 ちまき 南禪寺に住んでゐた頃、生粹の京都人で二十七八になる婦人客が訪ねて來た。初夏のことで、菓子鉢に粽 を入れて出したら、その一本を取って、尖端の葉を少しづ、剥がしながら、葉でロの端を蔽ふやうにして たべて行った。その時から私はその婦人が好きになった。いったいに、女は厚化粧の似合ふ人の方がよい お白粉を濃くすると下品になる顏と、濃くすればするほど上品になる顏とあるが、私は後者の方を好む。 その婦人客も厚化粧の似合ふ人であった。 〇 一中の五年の時だったか一高の一年の時だったかに、著者の名は忘れたが、英語の時間に「ライフィン ェシア」と云ふ本を習ったことがある。その中に、多分英國人か米國人であったらしいその著者が宮中を 訪問して、明治天皇皇后兩陛下に謁見し握手を賜はるところがあったが、著者は皇后陛下のお手のことを、 「世界中で一番美しい手であると思った」と書いてゐた。からだ全體の美では劣るが、成程手足だけで云 へば日本人の方が西洋人に優ってゐる。手だけで云へば中國婦人の方が日本婦人以上であらうが、足の美 しさにかけては日本婦人が一等であらう。だが、此れからの世の中にはいろ / ( 、な型の美貌が現れること 殊に此の間の戦爭以來、日本 であらうが、手足の美しい人と云ふものはだん / \ 減って行くに違ひない。 の初子のやうな顏は、どうしても京都の花柳界以外からは出て來ない顏である。 409

5. 谷崎潤一郎全集 第21巻

つの會話がら他の會話へ移る時でも、話し手に依って少しづ、言葉使ひが違ふ。男と女とで違ふことは第 百九十三頁に述べた通りでありますが、その外にも禮儀を尊ぶ日本語に於いては、話し手の年齡、身分、 職業に應じ、話す相手の人柄に應じて、たとへば甲は乙を呼ぶのに「お前」と云ひ、乙は甲を呼ぶのに 「あなた」と云ふとか、一人が「ございます」を使へば一人は「です」もしくは「だ」を使ふとか云ふ風 に、代名詞や動詞助動詞の用ひ方に差別がある。尚此のことは次の「品格について」の項を讀んで下され ば分りますが、要するに、さう云ふ次第でありますから、カギを使はないでも、地の文と會話とを混同し たり、一人の言葉と他の一人の言葉との見分けが付かないやうなことは、先づありません。さればこれら の符號の付け方も、規則で縛ってしまはずに、その文章の性質に依り、字面の調和不調和をも考へ合はせ て、適當に鹽梅した方がよいかと思ひます。 0 品格について 品格と申しますのは、云ひ換へれば禮儀作法のことでありまして、假りに皆さんが大勢の人々の前に出て 挨拶をされ、又は演説をされる時には、それ相當の身だしなみを整へ、言語動作を愼しまれるでありませ う。それと同樣に、文章は公衆に向って話しかけるものでありますから、一定の品位を保ち、禮儀を守る べきであることは、申すまでもありません。 然らば、文章の上で禮儀を保つには如何にしたらよいかと云ひますと、 一饒舌を愼しむこと 218

6. 谷崎潤一郎全集 第21巻

マレード、アンバクスターをハンバクステーキ、ラナ 外國の映畫俳優の名は、ジャンマレ 1 をジャムマー 1 べーはルイ重兵衞、ジャンギャパンは鋏を落し タ 1 ナを旦那さあま、など、私は呼んでゐる。ルイジュ 1 トテイラ 1 は洋服屋であるが、その後エリザベスと云ふ女の洋服屋も現れた。外國の たやうな人、ロヾ は云ふ迄もなく、日本の俳優の名も最近の人のはさつばり知らない。知ってゐるのは北原三枝、淡路惠子 さだやっこ ぐらゐなものだが、もうそんなのも新人の部ではないのであらう。北原三枝はモルガンお雪や貞奴の時に 帝劇に出てゐたのださうだが、當時は私は莱が付かなかった。あ、云ふ見事な肉體の娘も、ヤンキー娘だ とそんなに魅惑を感じないのに日本人同士だと妙に色気を身近に感じる。しかしさう云ってゐるうちに日 本の女の脚線美も日に增し發達しつ、あるので、北原三枝式姿態の美女が遠からず街に氾濫するやうにな らう。今でも銀座あたりを歩けば一町に一人や二人はあんなのに打つかるかも知れない。昨今は又、あ、 云ふ姿態美の女がことさら和服を着て歩くことが流行しだした。あの「茶羽織」とか云ふトツ。ハー式の羽 らくしゅ 織の創案者は宇野千代さんだとも云ひ、京都の洛趣と云ふ店だとも云ふが、キュッと引き締まった、帶か ら下をタイトスカ 1 トと同じ狙ひの裁ち方にした服を着て、 ( イヒ 1 ルのエナメルの草履を穿いた恰好、 あれはもう和服の美しさではない。あのま、で耳環や頸飾りや洋服用のアクセサリ 1 がそっくり間に合ひ、 時とすれば洋服以上に脚線美を發揮する。あの感じは昔の「小股が切れ上った」と云ふのとは少しく違ふ。 婦人雜誌や映畫雜誌であの服裝をした婦入の第眞を見ると、必ず型に篏まったやうに片足の爪先を立て、 はさみ 434

7. 谷崎潤一郎全集 第21巻

たしか獨逸人であったと思ふが、或る旅行家の外國人の話に、日本で一番西洋かぶれのしてゐない地方、 風俗習慣建築等に古い日本の美しいものが最も多く保存されてゐる地方は、北陸の某々方面であるといふ。 さうしてその外國人は、日本へ來るとその地方へ旅することを樂しみにしてゐるのだが、それが何處であ るかと云ふことを成るべく人に知らせないやうにしてゐる。彼は著述家であるけれども、決して著書の中 にその地の名を擧げない。 と云ふのは、一遍その土地が世間へ知れると、都會の客が我も / \ と押しかけ るやうになり、地元でもいろ / \ な宜傳や設備をやり出す結果、本來の特色が失はれてしまふことを恐れ るからである。食通などにもよく此の外國人と同じゃうな心がけの人があって、うまいもの屋を發見して もなか / \ 友達に教へない。甚だ意地惡のやうだけれども、さう云ふ家は小體にチマヂマと商賣をしてゐ るうちがよいので、繁昌し出すと、直きに增築などをして外観が立派になる代りに、材料を落したり、料 こも教へないで、こっそり自分だけ 理の手を拔いたり、サ 1 ヴィスがぞんざいになったりする。だから誰冫 ろ 食べに行く方が、いっ迄も樂しむことが出來て、その家をスポイルすることがない。實は私も、旅行に關 ろ 6 する限り右の外國人の心がけを學んでゐる一人であって、自分の氣に入った土地とか旅館とかは、餘程懇 旅 意な友達にでも尋ねられる場合の外は、めったに人に吹聽をせず、文章などに書くことは禁物にしてゐる。 297

8. 谷崎潤一郎全集 第21巻

〇 事實、山城少掾のやうな第一人者の持っ技巧の力は、それ自身すでに超人的であると云 ~ る。たとへば合 ・ : 」と云ふ何でもない平几な一句に過ぎない 邦内の段の冐頭のところなど、「しんしんたる夜の道、 のであるが、それが一度山城少掾の唇に上って語り出され、ば、不思議にもそこにしんしんたる深夜の雰 圍莱が生れて來、聽き手は身自らその境地にあるかのやうな感を催す。斯様な名人藝と云ふものは、長年 殆ど一生を傾けての精進と練磨の結果、辛うじて何十人乃至何百人の中の一人が到 月に亙る修行、 達出來るのであって、それに落伍した大多數の藝人の藝に至っては、義太夫の持っ缺點ばかりが露出して、 く、いづれの藝道にも上手下手の差はあるけれども、義太夫の如くそ 聽くに堪へないのが普通である。全 こ、では斷然傑出した一人か二人の名人のみが戯曲の世界を再現し、劇中の人 の差の著しいものは少い。 物を丸彫にして見せるのであって、他の几庸な入々の藝は、大袈裟な表情や、行儀の惡い身振や、汗でぬ る / \ 光った皮膚や、騒々しい怒罵や號泣以外の何物でもなく、たゞ醜悪そのものである。われ / \ はさ う云ふ藝道の名人の血のにじむやうな數々の苦心談を讀めば、いつも感心させられるのが常であり、彼等 に對して多大の敬意を拂ふのであるが、でもその一面に、何か彼等のさう云ふ修行に不自然さがあるやう な気がし、彼等の折角の天分と、不撓不屈の熱情とを、もっと素直な方面 ~ 伸ばさせる道はなかったであ らうか、と云ふやうな疑問を抱かずにはゐられない。だが、それにしても斯樣にむづかしい、難行苦行の 伴ふ稽古を何十年となく績けて、而も必ずしも一人前になれるかどうか分らないやうな義太夫道が、今日 350

9. 谷崎潤一郎全集 第21巻

旅のいろいろ しもや、それどころ あり、注意書きまでしてあるのだが、それを實行してゐる者は百人に一人もあるま、。、 か、洗面所で顏を洗って、汚れた水を流して行かない。必ず後へ行った者が前の人の使った水を流さなけ ればならない。 これらは便所で臀を拭かないのと同じゃうなもので、公德など、むづかしく云ふ迄もなく、 常識で考へたら分ることなんだが、誰も訝しまず、耻ちもしないのは、實に不思議な文明國民と云はざる を得ない。勿論日本人の此の惡い癖は汽車の中に限ったことではないが、しかし汽車が一番ひどく、外の 場所だと禮儀を守る人までが、忽ち平素の嗜みを忘れてしまふのは重ねみ \ 不思議千萬である。 〇 冬旅行をして困るのは、汽車、汽船、ホテル、旅館、電車、自動車等で、煖房の設備があるものとないも のとあり、且その温度がまち / \ であるために、風邪を引き易いことである。かよわい婦人や子供などを 連れてゐる時は、それで特に心配をする。尤も、ビルディングの冷房裝置でもャラレることがあるのだか ら、かう云ふ風な便利が生んだ不便の現象は、都會の日常生活にもしば / \ 起ることだけれども、旅行の 際は、一日のうちに甚だ頻繁に温度の變化に遭遇し、且その變化が全く不意打ちに來ることがある。それ で思ひ出したのは、或る年の冬、夜の十二時に高濱から別府航路の船に乘ったら、二つ三つ空いてゐた船 室の中で「此處が一番暖かにしてございますから」と、ボ 1 イが案内してくれた部屋と云ふのが、スティ 1 ムを一杯に出し切って、とても熱くしてあるのである。それでも寢てしまへば濟むと思って、なるたけ 薄着をして寢臺 ~ 這入ったけれども、時がたっ程カッカッと上莱せて、まるで蒸風呂にゐるやうなのであ 311

10. 谷崎潤一郎全集 第21巻

のでありまして、技巧は末のことだからであります。假りに皆さんが、技巧を悉く會得されたとしまして も、天性此の調子に適しない人であったら、決してなだらかな流露感が文章の上に出る筈はない。字面は 1 なだらかに見えましても、小手先の摸倣に過ぎないものは、何となく全體に気が拔けてゐて、眞に生きた 血が通ってゐない。それに反して、生れつきさう云ふ體質の人は、書かうとするものが最初から一種のリ ズムを以て頭に浮かんで來ますので、技巧的には思ひの外無頓着であったり、ゴッ / \ した文字や、語呂 の惡い音を使ってあったりしましても、不思議にさう云ふ文字や音が耳につかないで、すら / 、、とした 淀みのない律動が讀者に傳はる。時には、それが、云ふべからざる生理的快感をさへ與へるのでありま 尚、現代では泉鏡花氏、里見弴氏、宇野浩二氏、佐藤春夫氏等が略よこれに近い作家かと思ひますから、 これらの諸家の作品をお讀みになれば、私の云ふ「調子」の意味が一層よくお分りになるでありませう。 兎に角、昔は文章を褒めますのに流暢・だとか流麗だとか云ふ形容詞を常套的に用ひましたくらゐで、なだ らかに讀めると云ふことを第一の條件に數へましたが、今はカッキリとした、鮮明な表現を喜びます結果、 さう云ふ書き方は流行後れの気味であります。けれども私かに思ひますのに、此れこそ最も日本文の特長 はくはこれを今少し復活させたいものであります。 を發揮した文體でありますから、願 ニ簡潔な調子 これは總べての點に於いて、「一」と正反對の特色を持つものであります。此の調子の文章を書く人は、 一語々々の印象が鮮明に浮かび上ることを欲します。從ってセンテンスの切れ目 / \ も、力強く一歩々々