歡語のこゑまでが耳の底にきこえてくるのであった。そしていつのまにかあたりに黄昏が迫ってゐるのにこ、ろ づいて時計を取り出してみたときはもう六時になってゐた。ひるまのうちは歩くとじっとり汗ばむほどの暖かさ 2 であったが日が落ちるとさすがに秋のゆふぐれらしい肌寒い風が身にしみる。わたしは俄かに空腹をおぼえ、月 の出を待つあひだに何處かでタ餉をしたゝめておく必要があることを思って程なく堤の上を街道の方 ~ 引き返し これらの辭句のうちには、專ら言葉のつゞき工合をなだらかにする必要から書き添 ~ たものが多いのであ りますが、そのために間隙が塞がり過ぎ、文章が稀薄になってゐるとすれば、これらを除いてなだらかな 調子を出すやうにするのが當然であります。 尚、含蓄のことにつきまして此處に書き洩らしてあります點は、此の讀本のあらゆる項目を熟讀玩味して 下されば、最早 くだノ ( 、しく申し上げずとも、自ら諒解されるのであります。 以上、私は、文章道の全般に亙り、極めて根本の事項だけを一と通り説明致しましたが、枝葉末節の技巧 について殊更申し上げませんのは、申し上げても益がないことを信ずるが故でありまして、もし皆さんが 感覺の錬磨を怠らなければ、教はらずとも次第に會得されるやうになる、それを私は望むのであります。
まのあたり お・はつかな ば、咫尺をも鬱きこ、ちせらる。木立わづかにすきたる所に、土燉く積みたるが上に、石を三つかさねて疊み うばらかつら ゅめうつゝ なしたるが、荊棘葛蘿にうづもれて、うらがなしきを、これなん御墓にやと心もかきくらまされて、さらに夢現 みくらあさまつりごと つかさ をわきがたし。現にまのあたり見奉りしは紫宸淸凉の御座に朝政きこしめさせ給ふを、百の官人は、かく賢き みことかしこ ゅづ はこや たま 君ぞとて、詔恐みてつか ~ まつりし。近衞院に禪りましても、藐姑射の山の瓊の林に禁めさせ給ふを、思ひきや おどろ 麋鹿のかよふ路のみ見えて、詣でつかふる人もなき深山の荊の下に神がくれたまはんとは。萬乘の君にてわたら すぐせ せ給ふさ ~ 、宿世の業といふもの、、おそろしくもそびたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のは よもすがら かなさに思ひっゞけて、涙わき出づるが如し。終夜供養したてまつらばやと、御墓の石の上に座をしめて、經文 徐かに誦しつ、も、かっ歌よみてたてまつる。 これは德川時代の國文學者、上田秋成の短篇小説集「雨月物語」の開卷第一に收めてある「白峰」の書き 出しでありまして、物語の主人公は西行法師であり、こ、に掲げた十のセンテンスのうちの五つまでは西 行が主格になってゐるのでありますが、「西行は」とも「彼は」とも、主格と見做すべき言辭は何處にも 發見されません。且、「仁安三年の秋」とあり「近衞院に禪りまして云々」とありますので、歴史を知っ てゐる者には時代を推測することが出來、「新院」と云ふ語が誰方のことを指してゐるのか分りますけれ ども、昔の事を記すのに「箱をとヾむ」「山に登る」「こ、ちせらる」「よみてたてまつる」等、現在止め 本の文章で一貫してゐるのかと思 ~ ば、「第をとゞむ」の直ぐ後 ~ 持って來て、「觀念修行の庵なりけり」と、 章過去止めが挿んである。されば英文法に於ける歴史的現在、 "Historica1 Present" の用法とも違ってゐ るのでありまして、結局、「時」の關係などは無視されてゐるのであります。私は此の秋成の文章を古典 びろく ごふ さかし 137
自分で勝手に新奇な言葉を拵へることは愼しむべ 四古語も新語も見付からない時でも、造語、 きこと 五據り所のある言葉でも、耳遠い、むづかしい成語よりは、耳馴れた外來語や俗語の方を選ぶべきこ と 等であります。 本來、或る一つのことを云ひ現はすには、そのことを意味する幾種類かの言葉、印ち同義語と云ふものを 出來るだけ澤山知ってゐることが必要であります。それには矢張多くの書を讀んで、多くの單語を覺え、 いつでも利用出來るやうに記憶の藏に仕人れて置くのに越したことはありませんが、しかし餘程記憶力の よい人でない限り、無數の同義語を時に應じて思ひ出すことは困難でありますから、同義語の辭典や、或 は英和字書の如きものを座右に備 ~ ておくことも便利でありませう。唯此の場合、字引は自分がよく知っ てゐて印座には思ひ出せない言葉を引き出す用途に使ふのでありまして、いくら字引にあるからと云って 自分に馴染のない言葉、又は世間に通用しないむづかしい言葉を使ふことは、よく / \ 已むを得ない時の 外は、避けなければなりません。それから、字引さ ~ 繙けばあらゆる言葉が見出だされると思ふのも間違 ひでありまして、字引に載ってゐない俗語や、隱語や、方言や、外來語や、新語の類で、時には甚だ適切 な、生き / 、とした感じを持った言葉があることを忘れてはなりません。 假りに皆さんが、「散歩した」と云ふ意味を云はうとする時、たゞ「散歩した」と書いてしま ~ ば濟むや うなもの、、さう書く前に「散歩する」と云ふ語の同義語を一と通り調べて御覧なさい。するとさしあた 152
ひ分け、「する」と云ふことも、「なさる」「致します」、「與へる」と云ふことも、「差上げる」「下さる」 と使ひ分ける。その外「せられる」「をられる」「いらっしやる」「遊ばす」「して頂く」「させて頂く」「し 2 て下さる」「させて下さる」等の云ひ方は普通に使はれてゐるのでありますから、それらを文章語にも今 少し應用する道はないでありませうか。實際、かう云ふ種類の動詞や助動詞は、われくの國語が文一章の 構成上に持ってゐる缺點や短所を、補ふところの利器であります。その利器を捨て、、顧みないために、日 本語特有の長所や強みを發揮することが出來ないと云ふのは、勿體ない話であります。 私は今、重複を避けますために動詞や助動詞についてのみ申し上げたのでありますが、勿論あらゆる尊稱 や、あらゆる品詞の中の敬語につきましても、略よ同様のことが云へるのでありまして、たとへば「顏」 と云ふ語の上へ「御」の字を加へて「御顏」とするだけで、「あなたは」とか「あなたの」とか云ふ語を 省くことが出來る場合もある。さう云ふ風に、敬語は甚だ重寶なものであるに拘らず、又現代でも口語に は使はれてゐるに拘らず、何故われ / 、はそれを餘り多く文章に用ひないのかと云ひますと、叙述に個人 的の感情の交ることを嫌ふからであります。印ち相對づくで話すのとは違ひ、公衆に向って語るのであり、 且後世にまで殘るものであるとすると、たとひ奪敬してゐる人のことを書くのでも、科學者のやうな冷靜 な態度を取るべきである、と、さう云ふ信念に基づいてゐるのでありませう。成る程、その態度も惡くは ありませんけれども、しかし書く物の種類に依っては、もう少し親愛や敬慕の情を交へてもよくはないか、 子が親のことや伯父伯母のことや先生のことを記す場合、妻が夫のことを、奉公人が主人のことを記す場 合、及びさう云ふ體裁で書かれる私小説等は申す迄もないとして、此の讀本の書き方などでも、矢張私は あひたい
せん。「暗い氣持がした」と、眞っ直ぐに云ふべき所であります。次には「暗い」の形容詞の上に「海底 のやうに」と云ふ副詞句、「續く」の動詞の上に「それから果しなく」と云ふ副詞が附いてをりますが、 私の云ふ「無駄な形容詞や副詞」とは斯くの如きものを指すのでありまして、「海底のやうに」と加へた ところで、母が實家へ立ち去った後の家の中の暗い感じが、眞に迫って表現される譯ではない。全體比喩 と云ふものは、本當によく當て篏まって、それを喩へに引き出したために一脣情景がはっきりする、と云 ふやうなものを思ひついた時にのみ使ふべきでありまして、適當な比喩を思ひっかない場合、又思ひつい 引かない方がよいのであります。然るに此 ても、わざ / \ それを引いてまで説明する必要のない場合は、 の場合の暗さなどは、大几そ讀者に想像の出來ることでありまして、物に喩へて云はなければ分らないや うな暗さではありません。又喩へるにしましても、「海底のやうに」と云ふ句は少しも當て篏まってゐな いのでありまして、かう云ふ仰山な比喩を使ふと、本當のことまでが謔に聞えます。次に「績く」と云ふ があれば、「それから」はなくても濟むこと、まして「果しなく」と云ふ語は、これも誇張に過ぎてを ります。で、此の文章から左様な無駄を削り取ってしまふと、下のやうになります。 病苦と鬪ひながら何事もよく忍んで來た母も、遂に實家へ歸らねばならぬ日が來た。學校から歸って、家の中 に母のゐないことを知ると私は暗い気持がした。父は「實家へ行ったが直ぐ歸って來る」と云ったけれど、私に 本 は嫌な豫感があった。母のゐない、暗い家の中に、私達兄妹の冷たい生活が績いた。 讀 カう云ふ普 章これは別段名文と云ふのではありません。普通の實用文であります。しかし現代の靑年達は、、 文 通の實用文を書かないで、前に擧げたやうな惡文を書きたがるのであります。さうして一脣既かはしいこ 243
りである。さうだとすれば、その影響をその文章が書かれた目的と合致させるやうに考慮するのが嘗然で あります。 但し、誤解のないやうにお斷りしておきますが、こ、に「字面」と申しますのは、必ずしもむづかしい文 字を使ふことではありません。近頃はよく、漢語をわざと片假名で書いて、たとへば「憤慨」を「フンガ イ」と書いて、一種の効果を擧げることが流行りますが、あれなぞが、矢張私の云ふ字面を考慮すること に富ります。それと云ふのが、西洋では一定の言葉を綴るのには一定の文字しかない。たとへば「デス ク」と云ふ語は desk としか書きゃうがない。支那でもさうでありませうが、われ / \ の國では、「机」、 「つくゑ」、「ツクヱ」と、三通りに書けます。されば、ありふれた漢語を故意に假名で書いて讀者の注意を 促し、記憶に資すると云ふ手段が、そこに成り立っ譯であります。それから、「眼に快い文字」と云ふの も決して漢字に限ったことはありません。漢字は一字々々を見ると美感が備はってゐますけれども、文字 と文字とのつながりエ合が美しくない。 假名の中へ交ぜて使ふと、ゴッノ \ して汚く見えることがありま すが、我が國の平假名は文字そのものに優しみがある上に、つながりエ合が實に美しい。それに、漢字は 字劃が複雜なため、今日のやうな小型の活字になっては固有の魅力が大半失はれてしまひましたが、平假 名は字割が簡單でありますから、今もなほ魅力を失ひません。字面を快くすると云ふのは、かう云ふこと を總べて考慮に加へて書く、と云ふ意味であります。 しかしながら、現代のロ語文に最も缺けてゐるものは、眼よりも耳に訴へる効果、印ち音調の美でありま す。今日の人は「讀む」と云へば普通「默讀する」意味に解し、又實際に聲を出して讀む習慣がすたれか 108
気になると 告が出てゐた。私は咄嗟に潮騒の「騒」を「さい」と澄んで讀んでゐるのに感心した。かう云ふことには 殊に亂暴で無神經な映畫人の仕事にしては珍しいと思ったことだが、考 ~ て見ると、これは明かに三島氏 の原作が「さい」となってゐるので、それに從ったまでなのであらう。それにしても近頃は創作家でもか う云ふことに気を使ふ人は少いのであるが、さすがに三島さんの注意はよく行き亙ってゐると思った。 田中榮三氏の「新劇その昔」に久保田万太郎氏が序文を書いてゐる。その終りの二行に次の如き文章があ としつき ぼくは、その十數年の年月の、風雪をしのいで來たあなたのいのちの幸をよろこび、いまなほ衰へな いあなたの″新劇〃愛護精神のはげしさに、敬意が表したいのであります。 この文章に別段變ったところはないやうであるが、一箇所近頃の人の云ひ方と違ってゐる點が眼につく。 それは「敬意が表したいのであります」とある「が」の字の使ひ方である。近頃の人はかう云ふ場合決し て「が」を使はない。必ず「を」を使ふ。「私はそれが好きだ」と云ふ時に「私はそれを好きだ」と云ふ。 つまりこの「私」だの前文の「敬意」だののやうに目的格の名詞代名詞の下に「が」を持って來るのはを こかしいと云ふ考があって、「を」にする方が合理的だと思ふのであるらしい。私は今「『を』にする方が合 これは英文などの文法 理的」と書いたが、これなども今の人は「をにする方を」と云ふのかも知れない。 が頭にあるせゐでさう考へるので、日本文としては「が」で差支へないばかりか、むしろその方が昔は本 さち 477
する筈はない。第一友之丞がうつかり體を動かしたりすれば、スハこそと二人は刀の柄に手をかけるで あらう。そのくらゐ緊張した靜かさが支配してゐる筈である。僕は始終さう云ふ光景を想像しながらあ の戯曲を書いた。しかし生きてゐる俳優を使って舞臺に上せる段になれば、それでは見物がをさまらな どうしても動きをつけなければ退屈なものになる、そこが芝居のウソと云ふもので、芝居ではこの ウソが必要なのであると、芝居道の人はさう云ふ。僕は芝居のこのウソがイヤなのである。 成る程ね。おっしやる意味はよく分ります。 一般に戯曲家と云ふものは、この場合のこの役にはあの役者を使ふことが出來ると云ふ風に、ちゃん と持駒を考へておいて書き卸すものらしい。默阿彌がえらいのは、四代目小團次や五代目菊五郎や初代 左團次などの役柄や技能をよく呑み込んで、それに打ってつけの戯曲を書くことが上手だったからだが、 すぐれた戯曲家と云ふものがさう云ふものであるとすれば、戯曲家の仕事と云ふものは第二義的のもの であるやうな氣がしてならない。兎に角僕は、自分が戯曲を書く時にはこの役を誰に振ったら、など、、 實在の俳優のことは全然考へない。僕は自分の頭の中で勝手に自分の理想に合った人物を創造し、自分 の趣味に合ったエロキュ 1 ションや聲を出させ、自分の空想した通りの動作をさせる。 すると先生の場合には、戯曲を書くのも小説を書くのと氣持の上で大した違ひはない譯ですね。 全くその通りなのだ。たとへば「法成寺物語」にしても、小山内君の演出した築地のそれは小山内君 の るの作った芝居で、僕のものではなくなってゐる。僕の作った「法成寺物語」はやはり中央公論に發表し た最初の作品がそれなのだ。芝居としては冗漫かもしれないが、僕の腦裡にある劇場の世界ではあれで 507
れ」と書いてあれば男の聲を想像し、「通びますのよ」と書いてあれば女の聲を想像するでありませう。 斯く考へて參りますと、これらの音に依って、作者の性を區別することさへ出來るのであります。 此の、男の話す言葉と女の話す言葉と違ふと云ふことは、ひとり日本のロ語のみが有する長所でありまし て、多分日本以外の何處の國語にも類例がないでありませう。たとへば英語で、 lle is going tO school every 「 . ( 彼は毎日學校へ通ふ。 ) と云ふ言葉を肉聲で聞けば、話してゐる人が男か女か分りますけれども、文字で讀んでは男の書いたもの か女の書いたものか分りません。然るに日本語で、會話體を以て書いたら、立派に區別が附くやうに書け るのであります。 又此の文體は、特に「會話體」と云ふ別な樣式があるのではなくて、講義體、兵語體、口上體を、いろ / , \ に交ぜて使ふのである。それから、センテンスが中途でポツンと切れてゐたり、或は中途から始まっ たりしてゐても構はない。 / 從って、名詞止めも出來れば副詞止めも出來、最後に來る品詞が種々雜多であ る。今、これらの特長をもう一度數へますと、 イ云ひ廻しが自由であること 本 ロセンテンスの終りの音に變化があること 章、 實際にその人の語勢を感じ、微妙な心持や表情を想像し得られること ニ作者の性の區別がつくこと 193
典文には一般にはかう云ふ間隙が澤山見出だされてゐるのであります。たとへば前に擧げました秋成や西 鶴の文章を調べて御覽なさい、 きっと今の山陽の書簡文に於けるやうな穴が、實に無數にあることに心付 かれるでありませう。 現代のロ語文が古典文に比べて品位に乏しく、優雅な味はひに缺けてゐる重大な理由の一つは、此の「間 隙を置く」、「穴を開ける」と云ふことを、當世の人達が敢て爲し得ないせゐであります。彼等は文法的の 構造や論理の整頓と云ふことに囚はれ、叙述を理詰めに運ばうとする結果、句と句との間、センテンスと センテンスとの間が意味の上で繋がってゐないと承知が出來ない。印ち私が今括弧に人れて補ったやうに、 あ、云ふ穴を全部填めてしまはないと不安を覺える。ですから、「しかし」とか、「けれども」とか、「だ が」とか、「さうして」とか、「にも拘らず」とか、「そのために」とか、「さう云ふ譯で」とか云ふやうな 無駄な穴填めの言葉が多くなり、それだけ重厚味が減殺されるのであります。 一體、現代の文章の書き方は、あまり讀者に親切過ぎるやうであります。實はもう少し不親切に書いて、 あとを讀者の理解力に一任した方が効果があるのでありますが、言語の節約につきましては後段「含蓄に ついて」の項で再説する積りでありますから、此處では此の程度に止めておきます。 ニ言葉使ひを粗略にせぬこと 禮儀を保ちますのには、「饒舌を愼しむこと」が肝腎でありますが、さうかと云って、無闇に言葉を略し さへすればよいと申すのではありません。略した方が禮節にかなふこともあり、略したら却って禮節に外 れることもありますので、それらの區別を辨へなければなりません。要は、略すべき場合は別として、苟 わきま 230