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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第21巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第21巻

〇 ところで、此の東京人の衣食住に纒はる變な淋しさは何處から來るのかと思ってみるのに、結局それは、 東北人の影響ではないのか。私はそれについて靑森の男が話したことを思ひ出すのだが、東京の人は仙臺 と云ふ所を東北の玄關のやうに考へてゐるけれども、靑森からみると、彼處は東京の玄關としか考へられ ないと云ふのである。なるほど、東京と青森の間では仙臺の位置がさう云ふ風になるであらうが、もし靑 森と京都の間、或は下關の間では如何。東京の人は政治の中心に住んでゐるから、そこを地理的にも人文 的にも日本の中心だと考へ易いが、しかしたま / \ 關西から出かけてみると、何となく東京が東北の玄關 の先が冷めたくなる。で、江戸つ見が鼻をす、りながら醤油に滲みた兩方の手を舐め舐めたべる光景は、 當人が旨がってゐればゐる程、何だかさもしくて哀れを誘ふ。私の親父なんかは始終そんな物ばかり食ひ つけてゐたせゐか、何をたべてもチュッ / 、と舌を鳴らす癖があったが、草人がやつばり、舌は鳴らさな いけれども、カクン、カクンと、上頤と下頤とを打ちつけてたべる。ロの中で、ちゃうど獅子舞の獅子が 口を閉ぢるやうな音を聞かせる。私は關西にゐて長い間戀ひこがれてゐたものを、今度と云ふ今度はウン ザリするほど食はされて、さてどんな感想を持ったかと云へば、實に上に述べたやうな堪らなく淋しい あぢきない気分である。あ、、自分がこがれてゐた江戸っ兒の食ひ物はあれだったのか、四十年前、我が 兩親の家の長火鉢の前に並んでゐたものはあれだったのかと、私は歸りの汽車の中でそゞろに身ぶるひし たのであった。

2. 谷崎潤一郎全集 第21巻

」枚 と ふ 能 卒 を 越 と が 出 な か つ た か ら あ の 作 ロロ は 準 の 日寺 = 間 は 別 と て 百 日 以 上 多 私の貧乏物語 、枚 。煙 ず一 、分 、味 て 訪 を 避 け 專 心、 仕 に 沒 し た 拘 ら あ の 百 の 物 を 脱 す の 最 後 ま 日 25 7 だ に 苦 し か と を 覺 て ゐ る の は 目 目 物 ロロ 時 は 野 皿 て 記 っ て み て も 琴 と 蘆 が 乃 至 四 夏 菊 枚 半 乃 至 と ふ 程 で あ る が 時 分 に は 十 と ム ふ レ コ 1 も あ が 止ヒ の 婁気 年 來 は ま す る ば か り で あ て の 記 1 意 を を 讀 む 時 間 以 外 は 原 稿 と 取 組 み ム つ て ゐ て も 成 績 の よ 時 四 枚 惡 時 が 枚 な の で あ る 若 い 計 算 が 誇 張 で な い 證 據 に は 文 字 通 り 日 カゝ っ て と ム ふ の は 洗 面 と 食 と 人 浴 と 朝 タ の 新 に 費 す 間 は 十 分 か ら 十 五 分 出 で ま と ノ習、 ふ 尤 も オ・し は 創 作 の 場 で 隨 の 時 別 だ ( ナ ど も 此 の ふ と は 私 か り に 限 ら な で あ ら っ が 私 は 殊、 に 此 の 習 慣 が ひ ど も、 の で あ て 時 間 の っ ち 正 幸瓦 と 溜 め を つ き な が ら 仰 向 け に 臥 轉 ん で し ま ひ 天 井 を 視 め た ま 十 分 時 間 を 発 費 す る か っ 巧 く 行 か な い と ム 度 茶 を 飮 ん で 睨 め る そ れ で も 駄 目 だ と 小 用 に 皿 つ て つ で に 庭 を 歩 い 、來 て か つ ほ て ら ぜ 感 っ や る ゐ て し ね 撥 を 私 が 稿 原 は に 時 し、 し 激 が 方 み 惱 き 行 く 着 冫メ が し 稿 原 又 ら だ り 吸 た り が い よ 頻 繁 に 繰 り さ れ る 服 吸 つ て み て 五 分 か ヨー じ - つ と 原 稿 を み つ け て 集 注 す る と が 出 な い そ れ た ま 或 る 戸万 に 行 き 惱 む と 此 の っ た り 坐 た り 飮 ん 十 分 置 き ぐ ら ゐ に い ろ な ム の 手 ュ旦 入 る さ っ ム ふ 風 に し て 息 人 れ て は 氣 を な と ノじ、 考 を そ ん な 第 で あ る か ら 原 稿 用 糸氏 に 向 つ て も 草 を 吸 ふ と か 湯 茶 を む と か 小 に つ と 十 分 カゝ ら 十 分 と は 根 が カゝ な も、 は 時 分 カゝ ら 尿 病 あ る ぜ ゐ な の だ と 田 て る が に 角

3. 谷崎潤一郎全集 第21巻

生 ~ 死〕イ ( シャウシ ) ユキ力へリ ワウフク 往復 これらの字面は、振り假名が施されてゐない限り、音で讀むか訓で讀むかは讀者の心任せにするより外は ありません。ですから、もし訓で讀んで貰ひたいと思へば、これらの名詞を構成してゐるそれる \ の動詞 に送り假名をして、 生き物 食ひ物 歸り路 振り子 生け花 捕り繩 往き來 出入り 生き死に 往き復り 本と、かう書かなければなりません。で、從來私は、これはかう書く方がよい、印ち音で讀む時は送り假名 章をせず、訓で讀む時は送り假名をすることに極めてしまふ、「生花」は必ず「セイクワ」であって「イケ ( ナ」と讀んだら間違ひであり、「出入」は必ず「シ = ッ = フ」であって「ディリ」と讀んだら間違ひで 203

4. 谷崎潤一郎全集 第21巻

いかにも一應は尤もの意見でありまして、讀者に親切なばかりでなく、さうした方が作者に取っても一番 迷惑が少いのであります。 たとへば私の小説の標題に「二人の稚兒」と申すのがありまして、これを私は「フタリノチゴ」と讀んで 貰ひたいのでありますが、相嘗敎育のある人が「ニニンノチゴ」と讀んだことがありました。かう云ふ間 違ひは、作者が聞くと餘り好い気持はしないものでありますが、而もわれ / \ のロ語文に於いては常に頻 々と起るのであります。現に今、私は「好い氣持」と書きましたけれども、これすら或る人は「ヨイキモ チ」と讀み、或る人は「イイキモチ」と讀むでありませう。さうして甚だ厄介なことには、むづかしい文 字よりもやさしい文字の方が却って間違へられるのでありまして、むづかしい文字は略 ' 、讀み方も一定し てをり、分らなければ字引を引く気にもなりませうし、讀者の方で注意してくれますけれども、やさしい 文字は、作者も油斷をして振り假名を怠りますし、字引を引いてもいろ / \ な讀み方があったりします。 手近な例は「家」でありますが、これを「イへ」と讀むべきか「ウチ」と讀むべきかは、振り假名がない 限り、大概の場合は分らないのであります。又「矢張」を「ヤハリ」と讀むか「ヤツ。ハリ」と讀むか、 「己一入」を「オレヒトリ」と讀むか「オノレヒトリ」と讀むか「オノレイチニン」と讀むか、「如何」を 「イカガ」と讀むか「イカン」と讀むか「ドウ」と讀むか、「何時」を「ナンドキ」と讀むか「イツ」と讀 むか、これらは孰れにも讀めるのでありますから、作者の注文通りに讀んでくれませんでも間違ひとは云 へませんし、又敎育のあるなしに關係はありません。ところが高級な文藝作品に於きましては、これらの 何でもない文字の讀み方の適不適が、時としてその文章の調子や気分に重大な影響を及ばすのであります 196

5. 谷崎潤一郎全集 第21巻

文章讀本 的要素なるものは決して贅澤や虚飾の具ではありません。素朴な實用文に於いても、これを閑却しては 屡よ用が足せないことが起るのであります。 尚又、別に古典文の一種として書簡文體と云ふものがあります。これは和文調とも漢文調とも云へない變 態な文章、所謂候文のことでありまして、これも追ひ / \ すたれてしまふ運命にあるのでありませうが、 まだ現在では諸官省を始め、懷古趣味の老人などの間に通信用として用ひられてゐます。ところで私はあ の文體の大まかな云ひ廻しが、矢張ロ語文を作るのに參考になると思ふのであります。と云ふのは、試み に今の若い人達に候文を書かせてみますと、滿足に書ける者は殆ど一人もゐない。文句の間へ「候」を挾 むことだけは知ってゐるが、それが無理に取って附けたやうで、びったり格に篏まらない。なぜ篏まらな に云ったこ いかと云ふと、昔の候文は一つのセンテンスと次のセンテンスとの間に相嘗の間隙がある、 と、後に云ったこと、が必ずしも論理的に繋がってゐず、その間に意味の切れ目がある、そこが大いに餘 情があって面白いのでありますが、今の人にはそれが分らないので、「候て」とか「候が」とか「候ひし が」とか云ふ風にして、意味の繋がりを附け、間隙を填めようとするからであります。然るに此の間隙が、 美しい日本文を作るのには大切な要素でありまして、ロ語文には最もそれが缺けてをります。故にわれ / \ は、候文は書かない迄も、候文のコツを學ぶことは必要であります。 0 西洋の文章と日本の文章 われ / \ は、古典の研究と併せて歐米の言語文章を研究し、その長所を取り人れられるだけは取り人れた さふらふぶん 115

6. 谷崎潤一郎全集 第21巻

日本宿屋へ泊って味気なく思ふことの一つは、座嗷の出人りに女中が襖を開け放しにする。これはさっき の汽車の ド 1 アの場合と同じく、日本人の惡い癖で、日常一般の家庭に於いても屡よ見られることなので あるが、しかし宿屋は知らぬ人同士が部屋を接してゐるのであるから、もう少しかう云ふ神經が鏡敏であ って欲しいのに、次の間まで這人って來て座敷の客に物を云ふ時、廊下との境界の襖を締める女中はめつ たにない。それはまだい、が、出て行く時にも大概開けっ放しである。膳やお銚子を何度にも運ぶ時など はその度毎に開け立てするのが面倒なのであらうけれども、さうかと云って、臺所まで行き通ひする間、 開けておくと云ふ法はない。第一次の間には衣類たの携帶品だのが置いてあるのに、廊下から見えては無 用心であるのみならず、冬は此のために一屠寒い思ひをするので、つ くる、腹が立っことがある。それと 云ふのが、もと / 、ストーヴのない部屋だから中々暖めにくいのであるが、炭をついたり炬燵を人れて貰 ったりして辛くも凌ぎをつけてゐると、女中が這入って來たお蔭で一遍に又身ぶるひが出る。それもその 筈、廊下から次の間を經て座嗷へ通る迄に二枚の襖があるところを、一つも締めて來ないのである。冬の 宿屋へ泊ったら殆ど十中の八九までかう云ふ憂き目を見るのであるが、そのくらゐなことはなぜ不斷から 教へ込んでおかないのかと、私はいつも不審に思ふ。それから、もう一つ不審に思ふことは、汽車汽船の 連絡の都合とか、遊覽の道順とか、その他土地の案内について質間しても、、 ノキハキと答へられる女中が 一入もゐない、何を尋ねても、「私では分りませんから番頭さんに聞いて參ります」と云ふ。成る程、間 316

7. 谷崎潤一郎全集 第21巻

典文には一般にはかう云ふ間隙が澤山見出だされてゐるのであります。たとへば前に擧げました秋成や西 鶴の文章を調べて御覽なさい、 きっと今の山陽の書簡文に於けるやうな穴が、實に無數にあることに心付 かれるでありませう。 現代のロ語文が古典文に比べて品位に乏しく、優雅な味はひに缺けてゐる重大な理由の一つは、此の「間 隙を置く」、「穴を開ける」と云ふことを、當世の人達が敢て爲し得ないせゐであります。彼等は文法的の 構造や論理の整頓と云ふことに囚はれ、叙述を理詰めに運ばうとする結果、句と句との間、センテンスと センテンスとの間が意味の上で繋がってゐないと承知が出來ない。印ち私が今括弧に人れて補ったやうに、 あ、云ふ穴を全部填めてしまはないと不安を覺える。ですから、「しかし」とか、「けれども」とか、「だ が」とか、「さうして」とか、「にも拘らず」とか、「そのために」とか、「さう云ふ譯で」とか云ふやうな 無駄な穴填めの言葉が多くなり、それだけ重厚味が減殺されるのであります。 一體、現代の文章の書き方は、あまり讀者に親切過ぎるやうであります。實はもう少し不親切に書いて、 あとを讀者の理解力に一任した方が効果があるのでありますが、言語の節約につきましては後段「含蓄に ついて」の項で再説する積りでありますから、此處では此の程度に止めておきます。 ニ言葉使ひを粗略にせぬこと 禮儀を保ちますのには、「饒舌を愼しむこと」が肝腎でありますが、さうかと云って、無闇に言葉を略し さへすればよいと申すのではありません。略した方が禮節にかなふこともあり、略したら却って禮節に外 れることもありますので、それらの區別を辨へなければなりません。要は、略すべき場合は別として、苟 わきま 230

8. 谷崎潤一郎全集 第21巻

莱になること ( 第八例 ) 巨頭会談ー こ同意する前に、まずソ連の方で行動によって誠意を示すべきだという米国の態度は間違って いる。あなた方は会談に出席する場合、虚心で臨むべきである事柄に同意しないからといって平和に同 意しないときめてかかるような先人観を持つべきではない。 これも一箇所必要な句讀點を拔かしてゐるが、それを置くべき場所は「虚心で臨むべきで」の下か、「 : ・ : 臨むべきである」の下かはっきりしない。 ( 新聞では行の終りに句讀點が來る場合に、それを省くの が普通のやうである。私はそれにも不服であるが、この文章の場合は「で」の字も「る」の字も行の終り には來てゐない ) 「で」で終って「ある事柄」となる場合は、「或」が當用漢字であったら當然「或る事 柄」と書くことが出來るので、この字が使へないことは隨分不便で、誤解を起し易いと思ふ。使へないな ら使へないで、さう云ふ孰方にでも取れるやうな書き方を避けるべきである。 もう一つ、是非新聞に實行して貰ひたいのは字間を室けることである。ヨーロツ。ハの文章は皆單語と單語 日本でも低學年の教科書だ の間を空けてゐる。日本の新聞の如くべタ組みにしてゐる國は何處にもない。 けはさうなってゐるらしいが、教科書の場合は活字が大きく行間が空いてゐるからまだ忍べる。新聞があ の悪文をベタ組みにするのは全く亂暴である。文章はあのま、でも字間が室いてゐれば、それだけでも餘 程理解を助けると思ふ。「猫と庄造と二人のをんな」を、「ねこと庄造とふたりのおんな」と書く代りに、 「ねこと庄造とふたりのおんな」 と書いて見ると非常に讀み易くなる。漢字を制限したり、假名遣びを表音式にしたりするからには、その どちら 473

9. 谷崎潤一郎全集 第21巻

先日病氣で半月ばかり寢てゐた時、ポ 1 タブルのラヂオを布團の中へ抱へ込んで、びとりでやたらに聽い て見た。と、座談會、街頭録音、朝の訪問等々の普通の人の話す言葉と、放送劇のセリフとは一分間も聽 かないうちに區別出來る。放送劇のセリフが聞えると、私は荒て、直ぐに消した。劇のセリフと云ふもの はいくら自然に近づけて云っても、かなり不自然なものであり、且いやらしさが伴ふものであることカ ラヂオだとよく分る。就中最も不愉快なのは少年俳優のセリフである。實演の舞臺だとさうも感じないの 、無邪氣であるべき子供があ、云ふそらみ \ しい云ひ方をするのは、聞いてゐて實にたまらない。劇 の場合はまだ恕すべしとするも、たとへば科學の時間などに子供が先生に質間したりする場合にまで、あ んなそらる、、しい云ひ方をさせる必要はあるまい。あ、云ふ役をさせられる子供の將來が恐ろしい。次に 不愉快なのは笑ひ馨である。可なりな名優でも「笑ひ」が自然に笑へる人はめったにない。大概無意味に、 たゞ時間の穴塞ぎに笑ってゐる。 〇 歌舞伎劇になった「羅生門」の大詰の幕切に、梅幸扮するところの老婆の眞砂が羅生門の上で長い間気味 惡い聲でゲラゲラ笑ふ。その笑ひ聲が續いてゐる間に幕が下りる。あ、しなければ幕が下ろせないのかも ム ダ 知れないが、あの笑ひなども意味がない。老婆に凄味を與へるためであるとしても、あんな場合にあんな ン モに長く笑ふ理由がない。私はどうもあ、云ふところに芝居の無理と云ふものがあるのを感じる。義太夫に は馬鹿げて無意味な「わっはつは、うつふつふ」など、云ふのが多いが、歌舞伎劇と云っても新作物はも 405

10. 谷崎潤一郎全集 第21巻

立主義を信條としてゐる私は、會ひたい時に、會ひたい人に、此方が滿足する時間だけ會へたらよい、そ 、と云ふ考なのであるから、斯様な男を訪問する人は莱の毒で の他の人には出來るだけ會はない方がよい あると云はなければならない。しかしそれにも拘らず、訪客は可なり澤山ある。戦爭中、田舍に疎開して ゐた頃は暫くその難を逃れてゐたが、京都に家を構へてからは、一日々々と客が殖えるばかりなのである。 〇 それに私は、近頃老齡に達するにつれて、一脣年來の孤立主義を強化してもよい理由を持つやうになった。 なぜかと云ふと、 いくら私が交際嫌ひであるからと云って、六十何年の間には相富に知人が殖えてをり、 若い時代に比べれば、既に現在でも交際の範圍が非常に廣くなってゐるのである。若い時代には一人でも 多くの人を知り、少しでも多くの世間を覗く必要があるかも知れないが、私の場合は、此の先何年生きら れるものかも分らないし、大體生きてゐる間にして置かうと思ふ仕事は、ほゞ豫定が出來てゐるのである。 その仕事の量を考へると、なか / \ 生きてゐる間には片付きさうもないくらゐあるので、私としては自分 の餘生を傾けて、それをほっノ \ 豫定表に從って片端から成し遂げて行くことが精一杯で、もうこれ以上 人を知ったり世間を覗いたりする必要は殆どない。他入に對して願ふところはたゞ少しでも豫定の實行を 狂はせたり、邪魔したりしてくれないやうに、と云ふことに盡きる。尤もかう云ふと、さも勉強家のやう に聞え、寸陰を惜しんで始終仕事に熱中してゐるやうに聞えるかも知れないが、實際はそれの反對で、若 い時から人並外れた遲筆家であった私は、老來種々なる生理的障害 , ーーーたとへば肩が凝るとか、眼が疲 366