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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第22巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第22巻

大正十一年十一月號「新演藝」 僕が本當に舞臺監督をしたのはこの七月に帝劇でやった僕の脚本「お國と五平」である。尤もその以前に 自分の脚本の上演を、作者として立會った經驗は度々ある。 活動寫眞の方の撮影監督もやったことはあるが、それも一つの臺本を完全に自分獨りで仕上げたのではな かった。たゞある場面を受持ってやったといふやうなエ合である。それも、僕のやった時は僕の子供や素 人を使った童話劇のやうなものであるから、大して難かしいことはなかった。とにかく、自然にやればい 、のだし、眼で見るだけの感じでもあり、場面も短かい。疑間が起れば幾通りも冩しておいて、後で取捨 すればい、のだ。だから、活動冩眞といふものを理解してゐると信ずる私には大して難かしいことではな てやうに田 5 ふ。 のところが、芝居の方になると大變に違ふ。まづ稽古場で稽古をするのを見た感じと、舞臺へ上演して、観 臺 舞客席で見た感じとの違ひがある。稽古場で計ってみてい、と思っても舞臺へかけて見ると間が長過ぎたり 古短か過ぎたりする。そんな風だから、熟練してしま ~ ば面白いのだらうが、無經驗な者には見嘗がっかな 7 。そこで素人の僕としては活動寫眞の監督の方が面白い譯だ。 稽古場と舞臺の間

2. 谷崎潤一郎全集 第22巻

つまり離れ工合も穃古 臺詞の時に人ったらい、か全く見當がっかなかった。また、あの三人の位置 の時には、舞臺での調子が分らなかったので、守田君が、かうしますか、といって形をつけてくれた。友 之丞が殺される形もい、、やうにといって守田君に賴んオ 小山内君の話では、あ、いふやうに三人を一つ場所に置いて動きをつけないことは、普通なら舞臺が持た ないのに、偶然の成功をしてゐたといって居た。小山内君はもっと動きをつけるといふ話であった。 實際の場合にだって、三人の人があの位長い間話あふことがある。たゞその間に煙草を吸ってみたり、か らだをモグ / \ させてみたりすることはやるだらう。小山内君の動きの意味もさうしたことを含んでゐる のかも知れないし、僕にもそれは分ってゐたんだが、前にも云ふやうに手の出しゃうがなかったのだ。要 するにさう云ふほんの一寸した心持ちの動きは、俳優が僕の脚本を理解さへしてくれてゐれば、何う動い たってい、譯なのだ。 あの時は十日位稽古をした。その結果では、作をよく理解してくれる舞臺監督がやってくれればいいに決 。業まあの ってゐるが、作者自身がやれば見物には面白いか何うかは分らないが、自分だけは気持がいイ ( 舞臺監督の經驗では、役者の方は何うかと思ふが、自分には勉強になった。それは脚本を書く上に利益が のあると思った。だから將來有望の脚本作家があったら、その人たちに監督をやらせて見るのはきっとい 臺 舞ことに違ひない。 古僕ももっと慣れて、芝居のかん所が分ってきたら、監督と云ふ仕事も面白くなるだらうといふことは分る。 ( 談・閲 ) 149

3. 谷崎潤一郎全集 第22巻

弱い。弱いだけならい、が、兎に角その場を。ハッスさへすれば後で又多少ゴマカシてもい、と云ふやうな 考へもあったらしい。兩方で拜み倒しくらをしたり、嘘をついたりして、結局生温な、根莱のい、方が勝 止方の主張することは、はっきり主 になるやうなやり方をしてゐる有様だから、今度はそんな風でなく、ヒ 張し、彼方のいふことも聞いて、正しい態度をとってみたいから二人一緖に檢閲係に逢ってみないかとい ふ話であった。私は、勿論それはい、事だと思って承知をした。 市村座から警視廳へ出した私の「、水遠の偶像」の臺本が送りかへされた。赤線の引いてあるところは許さ : 」と書 ないといふのである。まづ始めの方のト書に「光子がモデル臺に立ち、殆ど裸體に近い姿で : いた「殆ど裸體に近い姿」といふ所に赤い線がー 弓いてあり、一雄の光子にいふ臺詞で、「僕はお前の體な らどんな細かい部分だって、眼を瞑って、もハッキリと想ひ出せるんだ。」といふ所にも赤く線が引いて ある。裸體のことは、何の位の程度まで許されるかといふことは此方でも考慮に人れてゐたけれど、この 一雄の臺詞などは、檢閲係も隨分變なところまでかんぐって考へたものだと思った。この臺詞を聞いて猥 褻な想像を起す人があるなら、その人はどんな場合にも猥褻な考へを結びつけることをする人である。そ こまで考へた檢閲係の方が猥褻だ。これなどは例の劇場側と騙しくらをした結果、檢閲係も、こんなにか んぐり強くなったのかも知れない。 次にまだ赤線を引いた所がいろイ \ あって、幕切に近く、一雄の弟の次郎が出てきて、八重子に手紙を付 ける所がある。それ以下全部がいけないといふことになってゐた。この赤線の全部を此方で承認してしま ふと、私の作は無しになる。で、長田君と私と帝劇の檢閲係へ出入する今城君と三人は妥協の點を見出す 136

4. 谷崎潤一郎全集 第22巻

面白さをも感じ得ない。印此意味に於て日本の活動寫眞の話印作者の問題では、第一に人間味のある話、 現代生活と密接な關係ある話に書き替へねばならぬ。 次に俳優であるが、是が又日本では極めて不出來である。それには先づ共俳優其物が新派舊派の劇に於け ると同様男子が女子に扮するのであって、共不自然な事は夥しい。第一活動寫眞の俳優が芝居の俳優と同 一人でよいか如何かも間題で、現に今度の「アマチュア倶樂部」の登場俳優二十五名中三人以外は几て素 人であったが、共結果では素人の方の結果が非常によくて、玄人のは所謂芝居の癖が出てどうも思はしく 此の意味に於て活動寫眞の俳優は芝居とは全く別にして、素人から養成するのがよくはないかと思 尚次に俳優に關して著しい事は、所謂共人の特質に從って篏まり役を當てねばならぬ事である。斯う云へ ば、そんな事は解りきった事の様であるが、事實さうではない。現に五十位の翁さんの役に若者が出たり、 女に男が出たりするではないか。こんな事は活動寫眞では最も排斥すべき事で、活動寫眞其物が劇の不可 能な事を示すと云ふ最大武器を捨てたと云ふべきである。要するに日本の活動寫眞の俳優は須く芝居のそ れより解放され分離して活動寫眞専門になるを要する。從って頭に鬘を被るとか、又は白粉を厚く塗る如 眞き點印芝居に於ける扮身法及化粧法から獨立する必要がある。 動次は舞臺監督であるが、是が又日本では極めて無意味である。實際現今活動寫眞の舞臺監督は芝居のそれ 本と同じく本讀みをし、獨白を爲る丈である、活動寫眞の舞臺監督としては全く無意味である。此點に於て も舞臺監督も芝居より全く獨立して、素人のそれより練習するを要する。勿論舞臺監督は原作共物をよく かつら 105

5. 谷崎潤一郎全集 第22巻

と、、山田に秀子といふ情婦のあることを見物に知らせる必要があるといふので、そのことを幕あきに山 田と澄子の夫婦が話をしてゐるところ ~ 書き入れたが、澄子がカフヱ 1 の女になったことは、うつかりし せりふ てゐて書くのを忘れてしまった。それから、小山内君から臺詞をカットしたいといふ注文が出た。その時 の僕の莱持では、何うもカットしたくない気がしてゐたので、カットするのは小山内君の良いやうに賴み、 僕はそれを見せて貰って、小山内君がカットした臺詞の三分の一ばかりまた生かして貰ふことにした。 で、警視聽との行きがかり上あんなことになってゐたため、僕はどうにかしてあれを演って貰ひたい氣が してゐたが、今度演るのなら、その時手を人れた脚本で演るのだらう。が、また警視廳の干渉が、少し位 のことならばい、が、あんまりひどいことをやられたら上演は斷りたいと思ってゐる。 そこで、あの作の演出法については、今度も小山内君が演ってくれるとい ~ ば、一任し、舞臺裝置も大し て難かしいこともないだらうからこれも人に任せ、僕は舞臺稽古の時だけ立會ってみたいと思ってゐる。 そこで澄子を女形がやるか女優にするかといふことだが、岡さんは女形に演らせる方の説を持ってゐられ るやうだが、 女優にしても女形にしても、あの大詰の子なら、左程難かしいこともあるまいから、僕は 上孰方でも差支へないと思ふ。 の演出について思ふことなのであ 新派の芝居でない それからこれは近頃一般に新劇の役者、 ばるが、新しい芝居といふとどうも役者が少し堅くなり過ぎて、ぎす / \ した變な型が出來てしまったやう すに思はれる。例 ~ ば、何んな生眞面目な話をするとしても、その時ニヤ / \ 笑ったり、もぢ , , \ 動いたり 何かするもので、いつも學校の先生が何かいってゐるやうな調子で話をしなくたってい、と思ふ。 151

6. 谷崎潤一郎全集 第22巻

つもりで警視へ出かけた。 檢閲室で面會した人は、此間會った三木氏と林といふ人であった。私達は林警部と主に口をきいた。私達 はあの脚本の上演が禁止されるとは少しも考へてゐなかった。林氏はあなた方のお考へになってゐる事は、 いち / \ 御尤だとは思ふけれども、どうも、現在では、風教上に害があると言はなければならぬ私の立場 と泣き言を並べたてるのである。私はこんな こんな嫌な役は早く已めてしまひたい。 も察して頂きたい。 泣言を聞きに來たのではないのである。で、私の書いたところで、いけないところは出來るだけ訂正する といふと、悪いところは舞臺稽古の時に訂正するとしたら如何です、と三木氏はロを入れた。併し、林警 部は今の内訂正する可き所は訂正しておいた方がい、といふ意見であった。私達もさう事を曖味にするよ りは林警部に賛成して、臺本を一頁一頁見て見ることになった。 といふの 林警部は、肩と脇の下が見えてはいけない、 最初の裸體の條は布を卷きつける積りであったが、 である。しかし西洋の夜會服などは大概肩を出してゐると長田君がいふと、「あれは着物だから肩が出て もい、が、布ではいけない」といふ答へなのである。足の見える程度も膝から上は困るが股などは見えや 止 演しないかといふから、そんなことはしないが、あの足のところは、私の脚本でも大切なところなのだから、 の 彼處は是非生かして貰ひたい。全體人間の感じでは、薄いものをからだにつけてあるのを見るから猥褻な 開感じが浮びこそすれ、素裸ならそんな感じが起る筈がないのだと云ふやうな議論もあったが、結局女優の の 遠からだっきにもよることであるから、舞臺稽古の時にもう一度檢閲させてくれと云ふことであった。 : 」も取りたいといふから、それは取ることにした。それ 次は一雄の臺詞の「どんな細かい部分でも : 137

7. 谷崎潤一郎全集 第22巻

それから、お國と五平とが關係があると云ふ事は、友之丞が出て來て「熊谷の備前屋で云々」といふ臺辭 を云って素ッ破拔く迄、見物には知らせないやうに ( 見物の中の心ある人がさうぢゃないのかと感付く らゐな程度に ) して置く方が面白く、そのやうに原作は書かれてゐるのですが、今度の演出ではその邊の 注意が足らず、どんでんが ~ しになる前から底が割れるやうなやり方をしてゐます。あれは單なる不注意 ではなく、何か理由のある事なのか聞きたいものです。兎に角そのためにあの芝居の面白味は半減されて ゐます。むしろ私の考では、お國が友之丞にむかって、假にも御家老の家に生れた人が、まああさましい 姿になって : : といふ意味の臺辭をいふところがありますが、その臺辭などに昔關係があったことをち よっと匂はすつもりで書いたのです。ところがそんなところはたゞ何となく無心に言ってしまってゐまし 此の芝居は「お國と五平」と云ふ題ではありますが、恐らく一番むづかしいのは友之丞の役でありませう。 簔助君は俳優中のインテリであり、友之丞の心理などもよく分ってゐるやうですが、いったいにあの人の 臺辭はガラ / \ して騒々しく、深みのないのが缺點で、此の役などでは殊に淺薄に聞えます。先代の勘彌 や亡き梅玉の友之丞は、あんなに體も動かさず、表情もしませんでしたが、もっとずっと沈痛で觀客の胸 に浸み渡るものがありました。 ( 簔助君を先代勘彌や梅玉に比較するのは酷かも知れませんが、當人達が 、莱になってゐるやうだから云ふのです。 ) 時々白い齒を出して妙に笑ったりするのは、どういふ解釋 であるにしろ、見てゐて實に厭な感じです。殊に五平にものを云ふ時に二三度指さしたりしましたが、あ れなぞ如何にもオッチョコチョイで、形の上からもよくありません。まるで淸玄のやうな感じがしました。 376

8. 谷崎潤一郎全集 第22巻

ン」のやうな痛切に胸を撲たれる恐ろしい芝居は、寢ざめが惡くってあまり見る氣になれぬ。深刻なる人 生と云ふものは、實生活の方で訷經衰弱になる程味はって居る。此の上芝居で念を押して貰はなくっても 澤山である。 〇「夜の宿」の飜譯について一言したい。兎角の評はあるにも拘らず、僕は矢張好譯だと思って居る。西 洋のドラマを國語に譯すと大抵は臺辭がだら / 、、と廻りくどくなって、聞いて居てもシッカリ頭 ~ 入って 來ないものであるが、今度は決してさう云ふ事はなかった。殊にルカやサチンの臺辭は申分のない出來榮 えである。露西亞の下脣社會の語を譯すのに、日本のべらんめえ言葉を以てしたのは、甚適當なことであ る。それでなかったら決して板へは乘るまいと思ふ。又下脣社會の空気が充分出まいと思ふ。但し此の際 警むべきは、あまり耳馴れた言葉であるため、俳優が調子に乘って默阿彌式にならないやうにすることで ある。今囘も幾分か其の弊は認められた。 〇いまだに耳に殘って居るのは、二幕目にサチンが醉つばらって入って來て、「全體何にもねえんだ」と 」云ふと、そばから役者が大聲で「うそをつけⅢ」と怒鳴った所。路次のタのルカ老人の物語。「大の皮か とら白熊の皮を拵 ~ る。猫の皮からカンガルーの皮を拵 ~ る。」と云ふ時の又五郎の調子、何れの幕に誰が 云ったのだか覺えて居ないが、「もうぢき春が來るなあ。」と云った臺辭などである。 のぼ きのし 〇こ、まで書いて來て気が着いたが、路次のタの喜熨斗君の臺辭は、あまり上せあがって早口に云った所 の爲か、折角の深刻な文句がハッキリ聞えなかった。 〇「夢介と僧と」は、阿部次郎氏が朝日の紙上で云はれた如く、「一つ面白く遊んでやらう。」と云ふ気持

9. 谷崎潤一郎全集 第22巻

鳥取行き か、此處の兩親も 〇 二月一日午前零時五分、再び母堂以下兄妹たちに見送られて上り寢臺車の客となる。 東京以來疲れ切ってゐるのだが、彼女も僕もちょっと寢る気になれない。 「ねえ、あたしのお母さんはほんたうにいいお母さんでせう。」 と、彼女頻りに繰り返す。 午前一時半、「お休みなさい」を云ひ合って寢臺に這入る。彼女は六號、僕は八號、通路を隔てて圓かな る夢を結ぶ。 あの兩親も、 、い。趣は違ふが、どちらもなっかしい老夫婦ぶりである。 のぼ ( 二月三日記 ) 297

10. 谷崎潤一郎全集 第22巻

いのはどう云ふ譯であらう。此れはつまり、今日でも舊劇を見に行く時に限って、われ / \ の心が無意識 ながら徳川時代の婦女子町人と同じ情調に變化して了ふからである。舊劇を見る時の吾入の心は、德川時 代の人間の心になって居るのである。印ち或る意味に於いて、吾人の眼に映ずる舊劇の時代物は、悉く德 川時代を背景にした史劇だと云ふ事が出來る。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 然るに此の時代物の臺辭廻したるや、今日われ / \ が新史劇を作らんとするに方って、非常な鍋を爲すの 0 0 0 である。 今日でも比較的に歴史的觀念の乏しい一般觀客中には、此の舊劇時代物の臺辭廻しを以て、史劇に用ふる 唯一のロ語だと信じて居る者が多い。藤原時代を現はすにも鎌倉時代を描くにも、德川時代の武士の言葉 を使ひさへすれば共れでい、やうになって居る。平安朝の入物が、榮華物語の言葉を使へば却って批難せ られる癖に、德川時代の言葉を用ふれば滑稽を感じないと云ふ程度になって居る。況んや之に代ふるに現 代のロ語を以てしたら、 いよノ \ 可笑しがられて了ふ。 ( 四 ) 德川時代に實際採用せられた侍の言葉は、果して今日の時代物や講釋本の其れと全然同じであるか どうかは疑問であるが、思ふに鎌倉時代の吾妻鑑等の文體がたんノ ( \ 轉訛して、あのやうな言ひ廻しを生 さふらふふん じたものに違ひあるまい。而して此の文體は、一方今日の書簡文體・・ーー。・所謂「候文」となって現存し、 使用されて居る。此の現象も亦、現代人が德川時代の侍の言葉に執着する原因となって、書簡文體の言葉 で臺辭を述べれば、大概の古い時代は代表されるやうに考へて居る。 ( 五 ) 既に如上の不都合がある上に、戯曲の臺辭は小説の會話と違って、單に讀んで理解さる可きものた