此 - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第23巻
603件見つかりました。

1. 谷崎潤一郎全集 第23巻

大正八年一一月號「中央文學」 ロ繪の寫眞にある夫子廟は南京の市街の南の方の最も繁華な區域にあるのです。此の夫子廟の前を流れて る河が有名な秦淮河であって、往古、秦の始皇が造ったといふ運河です。地方からいろ / 、の貨物を積ん で來る船が、揚子江から此の運河へ入って、此の近所で荷揚げをするので、滬寧鐵道の出來た今日でも依 然として此所が繁盛してゐます。 孔子廟は此の頃兵營になってゐて中へ人る事は出來ませんが、廟の前の河岸の室地にはいろ / \ の屋臺店 が年中市場のやうに並んで、大蛇の見せ物だの小屋掛けの芝居だのが、晝間からドンジャンやってゐて、 一寸淺草の公園のやうにいつも、人が澤山集ってゐます。此の寫眞に見えてゐる船が畫舫といふやつです。 日本の屋形船と云ふやうなものです。此の船の中へ大勢の藝者を呼んで、胡弓を彈かせたり唄をうたはせ たりして、料理を喰ひ乍ら方々へ船を漕ぎ出して終日騒ぐのです。つまり此の邊は南京の狹斜の巷で、料 廟理屋だの藝者屋だのが兩側にぎっしり並んでゐます。 京杜牧の詩に 南 煙籠寒水月籠砂夜泊秦淮近酒家 南京夫子廟 ( ロ繪寫眞説明 )

2. 谷崎潤一郎全集 第23巻

感や好奇心からの煩はしい質間攻めに遇ってゐるので、此の調子ではこれから先を書きっゞけるのが不可 能になりつ、ある。 筆者を目して冷酷な藝術至上主義者であるとなす者があるが、これはさう云ふ觀點から論ずべき事柄では ない。萬一此の作品が或る一人の人の身邊に累を及ばし、その人の家庭の平和を亂しつ、あるとすれば、 たとひ誤解に基づくものであるとしても、素より筆者の本意に背くことであるから、他人を不幸に陷れる ゃうな描寫の方向をこれ以上進めようとは思はないし、又前に述べたやうな事情で、此の物語は此の邊で 奈々子の話から弓子の話に移るのが順序であると考へる。 ところで、筆者は毎年一二月の極寒期になると持病の高血壓症に惱みがちなのであるが、不幸にして今年 も正月早々からしばノ \ 血壓の高い日がっゞき、努めて仕事の分量を減らすやうにと云ふ醫師の忠告を受 けてゐたところ、數日前から今後二週間に亙って、一日十時間以上の安臥と、牛乳、ヨ 1 グルト、果實等 に依る食餌療法と、その他種々なる制限とを課せられるやうになった。で、かやうに内外に故障が起って 來た際であるから、筆者は此の機會を以て此の月説 ( 、こ一段落をつけ、第二段の物語は他日筆研を新たにし 葉て起稿する折もあらうかと思ふ。 の返す / \ も、此の小説が未完成に終ったことをお詫びをし、いづれ何かの作品を以て此の埋め合せをする ( 三十一年三月三日記 ) 著ことをお約東する次第である。 綺 東 309

3. 谷崎潤一郎全集 第23巻

大正六年九月單行本『異端者の悲しみ』 此の短篇集の大半を占むるものは、云ふまでもなく卷頭の自舒傳小説 「異端者の悲み」なり。こは 予が唯一の告白書にして懺悔録なり。 顧れば二十五歳の夏、予が初めて文壇に立ちてより、三十二歳の今年の秋に至るまで、七年間に發表した る物語の數は、既に四十篇に垂んとす。そのうち、單に藝術的價値を以てすれば、此の懺悔録に優るもの 必ずしも絶無ならざらむ。されど予に取りて最も忘れ難く、最も感慨深きものは實に此の一篇なり。その 頃の醜かりし自己、哀れなりし自己、さては自己を取り卷く兩親骨肉の俤を、此の書に依りて想起する毎 に、予は常に戦慄と落涙とを禁ずる能はず。 去年の八月、此の物語が脱稿せられし時は、予が妹の死後六年目にして、ことしの七月、此の物語が中央 公論誌上に掲載せられし時は、予が母の死後四十九日目なりき。嘗て地上にありし二入は、あとかたもな く滅び去りて、たヾ此の / = 一。 ト説こ永遠の姿を留むるのみなり。予はせめても、藝術家として世に立ちし事の、 徒爾ならざりしを喜ぶべきか。 大正六年九月 著者しるす 異端者の悲しみ序

4. 谷崎潤一郎全集 第23巻

書いた嘗時は下品な講談のやうな氣がして我ながらイヤであり、世間でもさう云ふ惡評を下す人があった けれども、今では必ずしもさうは思はない。ただ文章が生硬で、なまな文字が使ってあるのが不愉快であ る。いっか暇があったらさう云ふ所を書き改めて、性格などは描けてゐないでも美しい一篇の戀物語とし て讀まれるやうにしたいと思ふ。 「恐怖時代」 此の戯曲は實はむしろト書きの方がよかったのである。ト書きの中に作者は血みどろな幻想を描いた。然 るに此れを載せた「中央公論」が發賣禁止になり、その後今のやうに改作したので、長いト書きが殆んど 1 ルのやうなものである。 削り取られてしまった。此れでは気の拔けたビ これを書き上げたのは大正五年の七月で、發表したのは翌大正六年の九月であった。當時此の作品も禁止 篇の恐れがあると云ふので、一年間中央公論社に保留されてゐた。そしてその頃の警保局長、今の貴族院議 一員永田秀次郎氏に内檢分をして貰って、これなら大概大丈夫だらうと云ふことになって、漸く雜誌に載っ 谷たのである。 全此の / 一ごー ト説ま作者の唯一の自叙傳的作品と云ってよい。此れが發表される三四ヶ月前、その年の五月に作者 學 文は母を失った。 大 「人魚の嘆き」「匱術師」 治 明 此の二篇は同じ月に脱稿して、前者は「中央公論」へ、後者は「新小説」へ載せた。作者が眞に鏤心彫骨 「異端者の悲しみ」 107

5. 谷崎潤一郎全集 第23巻

んでくれたのであらう , おお何と云ふ幸輻ぞや ! 人間の世の生活は、たとひいかなる好運の絶頂に 置かれた時でも、私が今や知ることの出來ぬ絶對無上の此の生活とは似ても似つかない哀れなものだ。 私は今しも此の生活を一分ごとに一秒ごとに味はって居るのだ。 いや、さうではないー もう分もなければ秒もないのだ。時は消え失せてしまったのだ。さうしてただ 永遠が 喜ばしい永遠が此處に君臨して居るのだ。 重重しく恐ろしく戸を叩く音が扉に響いて、呪はしい夢の中などでよくあるやうに、私はどしんと鶴嘴 で打たれたやうに感じたのである。 さうして一人の幽靈が這入って來た、 それは「法律」の名に於いて私を苦しめ苛む爲めにやって 來た先觸の男、私自身の其の日其の日の苦しみに加へて煩はしい彼女の生の苦しみを訴へ、共の慘めさ を叫ばんが爲めにやって來た穢はしい妾婦、或ひは又原稿の殘りを貰ひにやって來た雜誌社の使ひの小 僧ででもあらう。 天國の樂園の部屋、「偶像」、夢の世界を支配する王者、あの偉大なる Renéがさう呼んだところの syl- ph id e それ等の不思議は此の幽靈の荒荒しい音づれと共に几べて消え失せてしまったのである。 ああ何と云ふ恐ろしさ , 私は明らかに想ひ出す。私は明らかに想ひ出す ! さうだ、此の犬小屋に等 しい住ひ、此の永劫の倦怠の住ひ、此れこそ私の住み家ではないか。此處に私の埃まみれの役にも立た ぬがらくたの家財道具がある。火の気もなければ燃え殼もない埃だらけの暖爐がある。埃の中に雨滴の 流れた痕が滲み附いて居るうら悲しい窓がある。書きかけの原稿や、字の消えてしまった紙切れや、鉛 530

6. 谷崎潤一郎全集 第23巻

盲目物語はしがき 一、此の書の裝幀は作者自身の好みに成るものだが、函、表紙、見返し、扉、中扉等の紙は、悉く「吉野 葛」の中に出て來る大和の國栖村の手ずきの紙を用ひた。此れは專ら樋口喜三氏の斡旋に依るのであ 一、ロ繪のコロタイプは、北野恒富畫伯筆「茶茶」の畫面の一部である。此れは嘗て院展に出品されたこ とのある名高い繪で、元來縱に細長い構圖であるが、此の書の形態上その全畫面を載せることが出來 ず、畫伯の許可を得て人物の居ない上半部を切り去ることにした。今此の繪は大阪の根津淸太郎氏の 藏幅になってゐる。作者は此れが「肓目物語」のロ繪として甚だ適嘗であることを思び、日頃懇意な 間柄の恒富氏並びに根津氏に乞うて、幸びに卷頭を飾ることを得た。 一、函、表紙、扉、中扉等の題字は根津夫人の染筆である。聞くところに依ると、恒富氏は茶茶の顏を描 くのに根津夫人の容貌を參考にしたと云ふ。そんな因線があるのと、夫人の假名書きが麗しいのとで、 特に揮毫をお願ひした。 一、尚此の外に、大阪の菊原瞼校高野山の梶原凉風氏等の名前も逸し難い。作者はそれらの人々の友情や 刺戟のお蔭で斯う云ふ本が出來たことを深く感謝する次第である。 昭和かのとひつじの歳十二月 倚松庵に於いて 作者しるす 139

7. 谷崎潤一郎全集 第23巻

昭和三十年四月單行本『源氏物語の引き歌』 ( 玉上琢彌著 ) 此の書の著者玉上琢彌氏と私との關係は、私が「新譯源氏物語」の稿を起した昭和廿六年の春に始まる。 私はその年から足かけ四年を費して漸く此の冬に新譯の完成を見ることが出來た次第であるが、校閲者の 山田孝雄博士は別として、カの足りない私を補ひ勵ましつ、此の仕事に最も多くの援助を與へてくれたの は玉上氏であった。 著者の最初の考では、此の書を私の「新譯源氏物語」の別卷の中に加へて、印ち私の著書の一部として世 に送るつもりであったらし、。、、 カこれは他の索引や梗概等と性質を異にし、明かに玉上氏の創意に成る獨 自の述作であるから、當然氏のものとして上梓すべきであると信じ、著者や中央公論社と謀ってさうする ことに極めた。が、さうであるからと云って、私の源氏を十分味讀して下さる人々に取って、此の書が座 序 歌 右に缺くべからざるものであることも言を俟たない。か、る種類の述作が今まで世間になかったことはま 2 ことに著者の言の如くで、單に私の源氏とのみ云はず、今後は多くの源氏愛好者や研究者に廣く利用され 1 一二ロ 氏るやうになるであらう。それにつけても此のやうな著書が、「新譯源氏物語」を機縁として生れ出たこと 源 は私としても喜びに堪へない。著者は私が此の書の「生みの親である」と云ってゐるが、まあそのくらゐ 源氏物語の引き歌序 299

8. 谷崎潤一郎全集 第23巻

顏を隱くす ) 丿ン夫人より人り來る ) ン夫人ウヰンダミ 1 ヤの奥さん。 ( ウヰンダミーヤ夫人は驚いて見上げる ) 間に合ってまあよかったこ と ! あなたはすぐ此れから旦那様の處へお歸りにならなければなりません。 ウヰンダミ 1 ャ夫人ど、つしても ? ン夫人 ( 命令的に ) さうですとも。一寸でも猶豫はなりませんよ。今にもダーリントンさんがお出 でになるかもしれませぬ。 ウヰンダミ 1 ャ夫人私のそばへいらっしやってはいけません。 ア 1 丿ン夫人まあ、あなたはもう一歩で破滅の底に落ちてしまひます。恐ろしい絶壁の縁に立っていら っしやるのです。すぐ此處をお退きなさい。私の馬車が外に待たせてあります。私と一緖にお出でなさ いまし。眞直にお宅へお歸りなさらなければいけません。 ( 上着を脱いで、ソーフアの上に投げかける ) 何をな すっていらっしゃいますの。 ウヰンダミ 1 ャ夫人あなたが此處へいらっしやらなければ私は宅へ歸ったでせうに。けれどあなたにお 目にか、った上は、もうどうあってもウヰンダミ 1 ヤの處へは歸られません。あなたは隨分無鐵砲な事 をなさるんですね。何だか無暗に腹が立ちますわ、あなたが此處へいらしった理由もよく分って居ます。 夫があなたを此處によこしたのは、私をだまして連れ戻すためです。私をあなたと夫との關係を包む目 隱しにしようと言ふのです。 478

9. 谷崎潤一郎全集 第23巻

墮落作者記 此の戯曲は、此れだけとしても二た幕物の脚本として讀めるやうに書いたのであるが、實は 作者記 昨年十二月の「改造」 ~ 出した「愛すればこそ」の後篇を成すものである。若し讀者が、彼れと此れとを 合はせ讀んで下されば、そこに又三幕物としての一つの世界があるだらうと思ふ。作者は他日、「愛すれ ばこそ」の題下に一と纒めにして單行本にする積りである。 墮落作者記 大正十一年一月號「中央公論」

10. 谷崎潤一郎全集 第23巻

「私のたった一人の人、 御免なさいね、私あなたに辛くあたって、ね、ね、 親切な、忠實な、 私の完全な人、 私は永久にあなたに心を捧げてゐるのよ、うはべは不實のやうに見えても ! 私いつだってあなたのことを考へてゐるのよ、 夢みてゐるのよ、 晝は一日、つとうとして、さ うして夜も眠らないで ! おお、エドモンド、私はいつもあなたのものよ ! 」 すすり泣きながら、 さめざめと涙を流しながら、髪を振り亂して斯う云ふ言葉が發せられてゐるのです。アプランドタワース 卿は妻が此れ程の情熱を貯へてゐようとは、夢にも思ってゐませんでした。 「は、は ! 」と、彼は自分に云ひました、「此れだな、夫婦の語らひが室になるのは、 子供の出來 る望みが溶けて無くなるのは。 は、は ! 此奴は何とかしなけりゃならない、 よし、よし ! 」 アプランドタワ 1 ス卿は、一旦計略をたくらみにかかると、老獪な人でした。彼は此の場合、何をされて もニコニコしてゐると云ふやうな生やさしい計略を考へたのではありません。さうかと云って、部屋へ闖 入して出し拔けに妻を咎めると云ふやうな、そそっかしい事もしませんでした。彼は出て來た時の通り、 話靜かに寢間 ~ 戻りました。伯爵夫人がすすり泣きや溜め息の數數を繰り返して、疲れ果ててそこ ~ 戻って 來た時分には、彼は平生の如くすやすや眠ってゐる風に見えました。翌日になると彼は對抗運動に取り懸 ア 。 ( り、妻の先夫に附き添って旅をした彼の家庭教師の所在を調べました。すると此の紳士は、今はノリング 家 ウッドから程遠からぬ羅甸語學校の校長を動めてゐることが分ったのです。アプランドタワース卿は都合 がつくなり出かけて行って、此の紳士に會見を求めました。校長はかう云ふ地方の偉いお方の訪間を受け たのを頗る光榮として、伯爵閣下のお尋ねになることなら何事に依らずお答 ~ 申し上げるつもりで、出迎 583