分ってゐましたが君を好く前に花柳章太郎にも思召がありました、花柳の方でも食指大いに動いたらしい が私が關係してゐるのだらうと思て遠慮したのだと後になって白状しました要するに君も花柳もそして私 6 も三人三すくみで終ったわけでした呵よ 澤田氏にハあれから又會ひました 私目下明惠上人の夢日記が讀みたくて捜してをります、そのうち何か明惠のことをお尋ねするかも知れま せん 奥さんによろしく 三月七日 今東光様 梧右 三月十六日熱海市伊豆山鳴澤電話熱海一一九七〇より 東京都台東區淺草山谷三ノ一一島村カ宛封書 ( 書留 ) 先般來いろ / \ 調べものをして下すって有難うしかしどうも巧く考がまとまらないので一先づ執筆の計畫 を打ち切ることにしました又他のことでお願ひしたいことが出來ると思ひますが君もそろ / \ 社の仕事が 始まって忙しくなることでせう同封のものハ些少で失禮ですが御禮のしるしに御受取下さい 三月十六日 五六三 谷崎潤一郎
拜復 六月廿八日附お手紙難有拜見いたしました 釜六のことに關しいろ / \ の事實をお知らせいたヾき何とも昔なっかしい氣がいたします、釣鐘鑄造の浮 世繪の寫眞をおとりになりました由、もしそのお寫眞を一枚分けて頂けれバ大變有難く存じますが如何で せうか 又香取家にあるガリ版といふものをも人手いたしたいのですが故香取氏には一二度お目にか、ったことが ありましたが今日では同家に手づるがありませんお手數恐入りますが未亡人あてに今一度小生が欲しが ってゐる旨をお傳へ下されば幸甚です 先ハ取りあへず御返事かたみ \ お願ひまで 六月廿九日 年三橋鐵太郎様 和 改めて考慮致度右おふくみ置被下度候廿二日 六月一一十九日熱海市伊豆山鳴澤電話熱海一一九七〇より 東京都文京區駒込林町一七四番地三橋鐡太郎宛封書 侍史 谷崎潤一郎 619
代筆六月二十二日 ( 清印二十三日 ) 京都市左京區下鴨泉川町五番地電話 四八一 上一八四四番より埼玉縣與野町下落合八一一笹沼様方江藤喜美子宛端書 長らく御無沙汰をしました目まびもだん / 、よくなって來ましたし、汽車に乘ってもさしつかへないとい ふ許可も出ましたから、近日、多分七月初旬くらゐに熱海へまゐります、 いづれ皆様にお目にか、れること、思ってゐます熱海のあの家はとう / \ 賣ってしまって、又前の山王 ホテルの上屋君の別莊ともう一軒、あの並びの別莊 ( 銀座フジ・アイス太田氏所有のもの ) と、二軒借り て、もうそちらへひきうつりました。まだ、目が完全になほらない間はあまり長話は出來ませんが、いっ れおしらせしますから是非お遊びに來て下さい 。ところは熱海市上天神町一五三五山王ホテル内土屋別莊 で、電話はアタミ三六六四・三六六五にかけて下さればホテルからつないでくれます 七月四日 ( 淆印九日 ) 京都市左京區下鴨泉川町五番地電話上一 八四四番より東京都中野區本町通五ノ一一四後藤末雄宛端書 拜復小生明五日熱海に出發、八月上旬まで滯在いたします御歸がけよりは今少し先へ行って廿日過に來て 下さる方好都合です、しかし今度熱海の家が變り手狹な所になりましたので十分のおめてなしが出來にく 年 八 、京都で御目にか、れないことが甚だ殘念ですアタミは 十 和上天紳町山王ホテル ( 電三六六四 ) 内別莊です 嶋中鵬二様 583
拜啓 其後御無沙汰致候映畫「細雪」ハ何處も大變大當りの由京都にても中よ滿員にて我よも容易に人場出來ず 家族たちも漸く二週目に見物致し候 拜啓 先般 ( 久振にて拜顏御元氣なる御様子に接し愉快なる一タを過し候段まことにわすれ難く存じ候扨その節 御話之出版ニ付河出書房より印税内金を屆けて參り既に入金仕候間右一寸御報告申上候 猶中央公論社長より今囘荷風全集刊行會なるもの成立ニ付編集委員の一人に小生も名を連ぬるやうにとの 話有之右は先生も御承知との事ニ付承諾仕候何卒此件も御含み置き願上候 いづれそのうち又よ出京拜芝の機を得度存居候気候不順の折柄御自愛祈上候 五月廿一日 永井先生 侍曹 四一一 四一 0 五月二十四日京都市左京區下鴨泉川町五番地 ( 電上一八四四 ) よ り東京驛前丸ビル五階中央公論社方宮本信太郎宛封書 ( 速達 ) 五月二十一日 ( 消印二十二日 ) 京都市左京區下鵯泉川町五番地 ( 電上一八四四 ) より千葉縣市川市菅野一一五八永井荷風宛封書 谷崎潤一郎 540
昭和二十五年 熱海出火之際ハ種よ御配慮に與り厚く御禮申上候御蔭様にて島中家と共に嘗方別莊も類燒を免れ幸甚に存 じ候 扨小生ハ新宅工事督促旁よ火事跡の様子も見たく來ル二十七日頃に熱海へ參る豫定にて約十日間滯在、そ の間に一度上京も可仕と存じ候ついては二十七八日頃迄に金子五十萬圓程駿河銀行熱海支店へ御振込被下 度御願申上候新別莊之修繕も大體五月中に完了可致一度見に御いで被下度候 乍末筆社長以下の諸君に宜敷御傳聲被下度候 四月廿三日 宮本信太郎様 侍史 「月と狂言師」あとの分無事到着、今度ハ破損無之候 五月三日靜岡縣熱海市仲田八〇五より東京驛前丸ビル五 四 0 九 階中央公論社方嶋中鵬一一・宮本信太郎宛端書 ( 速達 ) 拜啓來ル五日午前十一時頃上京參上可仕候間なるべく御在社願上候 五月三日 谷崎潤一郎 539
九月一一十四日京都市左京區南禪寺下河原町五十一一番地より東京都 年 目黒區下目黒四丁目九八六高岡灑三様方根津淸治宛端書 ( 速達 ) 十 和此の葉書着次第嶋中氏か栗本氏に面會、すでに京都へ送金して下されしや否や問合せ、もしまだならば至 急手配してくれるやう ( 君が受取ってしてくれてもよし ) 依賴し此方へ電報で返事して下さい右御願いた 九月四日 ( 熱海 ) 山王ホテルより 嶋中 ( 雄作 ) 宛封書 ( 使者持參 ) 御使態よ恐縮に存じ候別紙之通り領收書相認め申候 月曜日の午後ハ小生買物に街へ出かけ申候ニ付ついでに私の方より畫帖持參可仕尤も御留守にても差支 無之候 九月四日 嶋中様 九月四日 奥村冨久子様 侍女 侍史 潤一郎拜 谷崎生 499
昭和二十六年 拜復 漸くしのぎよく相成候これからハ京洛の秋色日增しにこまやかに相成可申候武智君にハ九月九日東京にて 面會の約束有之其節衣裳の事忘れずに依賴致すべく候 會名いろ / \ 考へて左之通り數種思ひ付き候間此のうちより御採用被下度候 玉成會玉鑾會 金扇會金聲會 睛和會秋霽會 拙著「少將滋幹の母」番號入特製近日毎日新聞社より發送致させ候間御笑覽被下候はゞ幸甚に存じ候 御母堂様南條君洋ちゃんへ宜敷御鶴聲被下度候 八月晦日 奥村冨久子様 侍女 四五一 八月三十日靜岡縣熱海市仲田八〇五より京 都市左京區永観堂町廿四奥村富久子宛封書 潤一郎拜 561
拜復 先日は久にて御目にか、、りおなっかしく存じました山本氏にお會ひ被下候由御忙しきところを難有存 じます、實は御約東いたしたもの、何と書いてよいか筆が重く今日まで山本氏へ書面を出すことを怠って 居りましたが唯今此の文と同時に執筆投函いたしました ありていに云ひますと小生ハ貴下程には山本氏に對し親愛を感じて居らず又その人物をも高く買ってゐな いのでありますが、これは貴下よりも關係が淺いのでありますから幾分當然のこと、思て居ります、しか し大體御趣旨に從ひ和解に努力いたすことは勿論です、今度上京の節は又貴下にも御目にか、って其後の 結果を御報告申上ます 御無沙汰して居りますが御令閨御子達にも宜敷御傳へ願ます 昭和十年六月六日 濱本浩様 濱本浩樣 侍史 侍史 六月六日兵庫縣武庫郡精道村打出より東京市杉並區 阿佐ヶ谷一ノ七六〇番地濱本浩宛封書 ( 御直披 ) 潤一郎 330
三月十五日兵庫縣武庫郡本山村岡本より東京市牛 込區喜久井町二十一番地谷崎精ニ宛封書 ( 書留 ) 御手紙拜見、早速電報にて中入れた通りに在學證明書と成績証明書封入したから入學手つ、きを至急御 賴みする、願書作成して送ってくれをハ小 生の署名必要ならば直ちにする、 尚入學試驗はヤハリやるのかどうか、やるとすれバ、科目、期日、時間至急知りたし、期日嘗方 ( 佐藤一 家が十八九日でなけれバ國を立てさうもないので、なるべく月末を望むが、もし早くあるなら電報で御知 らせを乞ふ、その節ハ終平でもつけて一と足先に上京させるから。 實は鮎子のもとの聖心の先生で成女出身の女史があり、その人に賴み裏面から運動して貰ったので、此の 間からその結果を待ってゐた譯、これが成功したものと思ふ、しかしそちらもいろ / ( 、、御盡カ忝い 先ハ取急ぎ要用まで 三月十五日 精二殿 精二殿 侍史 谷崎潤一郎 278
ひるの方は、二枚人手出來ることになってをりますがまだとヾいてをりませんので何日の分になるか一寸 わかりません、御世話のし甲斐もないことでございますがどうぞ、あしからず御ふくみ下さいますやう、 切符は、五枚、そろひ次第お手許へお送り申しあげます二十七日の夜は惠美子もまゐりますので、お目 にか、りますこと、存じます末筆ながらお母上様その後如何でいらっしゃいますか何卒御大切になさいま す様、小生目まひにて又臥床中乍失禮以代筆右まで 代筆十一月十一日京都市左京區下鴨泉川町五番地電話上一八四四番より埼 四九四 玉縣北足立郡與野町下落合八一一笹沼源之助樣方江藤喜美子宛端書 ( 速達 ) とりいそぎ申しあげます 昨日も申しあげましたがいろ / \ と切符のことむつかしくてごた / \ いたし、はっきり申しあげる事が出 來ず失禮いたしました、二十六日ひる二枚 ( 蓬生 ) 二十七日夜三枚 ( 花の段 ) 入手出來ましたからおしら せいたします切符は、追てお送りいたします 草よ 右とりあへずおしらせまで 代筆十二月十二日京都市左京區下鴨泉川町五番地電話上一八四四番よ 四九五 り東京都千代田區丸ノ内丸ビル五階中央公論社嶋中鵬ニ宛端書 ( 速達 ) 前略とりいそぎ申しあげます先日はわざ / \ 瀧澤樣京都まで御苦勞様でございました、嘗方十四日は とにて熱海へまゐりますが、後二、三日休養したいと存じますので、御來訪はそれ以後に、前以て御連絡 の上に願へればまことに幸でございます、又、栗本様も一度逢ひたいと仰っしやっての様でございました 592