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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第24巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第24巻

志野原の露草ふみわけ、大洗の汐風に吹かれし友、こびしきなっかしき友、我はかた時も別る、を欲せず 女々しとて笑はゞわらへ、情にもろき我にはなっかしともなっかし。 ふと心づけばはや一時にもなりぬ。かひなき事を思ひっゞけけるよと我にかへれば、火鉢の火つきて雨戸 もる風いとさむし。 西行と業平 「此のくれの出家障りなくとけさせ給へと三寶にきせい申して宿へ歸り行くほどにとしころ堪へかたくい とほしかりし四歳なるむすめの椽にいてむかへて父のきたるはうれしとて袖にとりつきたるをたぐひなく いとましくめもくれておほえけれども是こそ煩惱のきつなをきるはしめとおもひてゑんよりけおとしたり ければなきかなしみけれどもみ、にも聞いれずしてうちにいりてこよひばかりのかりのやどりぞかしとな みだにむせびてぞあはれに覺えける」煩惱をたち、執着をたち、五欲を離れ、超然として人生を逹觀し、 百年愛惜のきづなを解きて孤節飄然、一生を行時の中に終へたるは西行なりき。或は富士の煙に、或は住 吉の松が根洗ふ波の音に、彼が高潔なる情操はいかばかりか動かされけむ。予は西行の歌をよむ毎に、常 に知らず / —感極って涙を催すことあり。 いつの世に長き眠の夢さめて驚くことのあらんとすらん 年たけて又こゅべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 はら、 / 、、と落つる涙ぞあはれなるたまらず物の悲しかるべし 108

2. 谷崎潤一郎全集 第24巻

しにかへれかし。あ、共の昔、父上や母上のまだ年若くましまし、頃五つなる我を伴ひ玉ひて、大磯松林 館に遊びたまひし折はいかなりしぞ、あ、共の折のわれは如何なりしぞ、まだ世の中の汚も知らず、憂さ もしらず、悲しみも知らで、いとほしの幼兒よ、愛らしの少年よと、人にももてそやされ、我もたゞ何と なううれしき心にみたされて、濱邊にいづれば、磯の白波わがために笑ひ、渚の眞砂わがために美しく、 天地みな、幼き我心を慰めんとするかの如くこそおばえしか、はたその折の父上母上の御よろこび、御い つくしみ、 いくそばくなりけむ。朝はわが頭を撫でたまふ母上が御手の指環に戯れ、ゆふべはわれをとら へて戯れたまふ父上が御膝の上にいっしか寢入り、たのしき月日を送りけるこそ、今は昔を戀ふるよすが ともなりて、中々に仇なりけれ。都にかへりてよりも、きのふとすぎ、けふとすぎてあすか川早くもすぎ て夢の間に八年の春を迎へて、少しくものわきまふる頃となりし時、一日父上もの思はしげに外よりかへ り給ひしが、それより家の中何となうそは / ( \ としてさわがしく、やがて蠣殼町なる店をも閉ぢ、業を休 みて、茅塲町の何やらむ、いとゞあやしく狹き家居にうつり玉ふにぞ、おのれ唯何とは知らず、めのとが 背に負はれて共に移り來りしが、あはれ後にて思ひあはすれば、父上の商業に失敗し玉ひしなりけり。 かくて後は、夏は來れども大磯へもえ行かず、母上と共に歌舞伎座に行くことも稀になりつれど、昔かは らぬたらちねの御いつくしみにおふしたてられて、學びの園にかよふうちにも、同じ學の友どちの、我は 大磯に行きぬ、鎌倉に遊びぬなどいふに、そゞろむかしのこひしくて、大磯に行かしめたまへと夜半の床 に、わが母君にねだることもありしが、そのつど、母上が答はなくてさびしき頬にほくそゑみしたまふに ぞ、我もたゞ何となう悲しくなりて、共の後はあまりにしげくねだりもせでありしが、われ十二三の頃に

3. 谷崎潤一郎全集 第24巻

くやしくも賤が伏屋とおとしめて月のもるをもしらですぎける つくみ、と物を思ふにうちそへて折あはれなる鐘の音かな 之を讀む者誰か無限の感想にふけらざるべき。 心なき身にも哀は知られけり鴫立っ澤の秋のゆふぐれ 風になびく富士の煙の空に滄えて行へもしらぬ我思哉 タされやひはらの峯をこえ行けば凄く聞ゆる山鳩の聲 水の音は淋しき庵の友なれや峯の嵐のたえま / \ に 何事のおはしますかは知らねども忝けなさに涙こばるゝ 幽遠閑寂吾人は之を讀んで西行と共に白雲青山裡にあるを覺ゅ。 西行に反して情熱溢る、が如きは夫れ業平か くらべ來し振分髮も肩すぎぬ君ならずして誰かなづべき つ、ゐづ、井筒にかけしまろがたけ老いにけらしな相見ざるまに 分れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみ分けて君をみんとは 世の中にさらぬ別のなくもがな千代もと祈る入の子のため 章予は古今以後の歌入中、唯此の一人のみを好む、業平の歌を以て情餘ありて詞足らずとなせる貫之以下の 徒は到底眞の歌入 ( ⅡⅡ詩人 ) となすべからず。 然も予は殊に西行よりも業平を愛し、山家集よりも伊勢物語を好む、予甞て友によする長篇の新體詩を作 109

4. 谷崎潤一郎全集 第24巻

はこね路をゆふこえくればわきもこが くろかみあらふ湯のけぶりみゆ 是れことしの四月、箱根に遊びてなっかしさに堪へずくちずさみしわがうたなり。巖にむせぶ早川の淸き 山 火流れに二人してた、ずまむ日を偲び、相むかふ二子山の二つの峰に擬へしも今はあだなれや。 死 死火山の底に燃ゆるほのほのごと、意志の鐵壁もて封じ去るべきいたましの戀よ。憂ふるに疲れ、泣くに の女主人に珍しからぬたぐひの人にて、情も涙もあらばこそ、たゞ張っよく慾ふかければ、妾の養育に費 をかけし代りには、妾をさる紳商のもとへとつがせて金にせんとの下心あり。云はゞ賣られんとするわが 身のくやしさ。よし共上は意地づくにて打たる、とも蹴らる、ともやはか心に從ふべき。故鄕へ逃げかへ りしとて箱根の實家も伯母が貸與へし家なれば、父母に難儀か、るは知れしこと。おもへばつらき浮世か な、もだえにもだゆるけふ此の頃は淵川に身を沈めてもと思ふこと日にいく度ぞ。所詮は苛責の煙管にさ いなまる、身の上なれば望かなはんよしもなし。御なさけは生々世々わすれがたけれどこれも運命なり。 たヾなきものと思召せ。その御詫には一生立派に獨身にて世を送るべし。君は行末立身出世したまふ御身 の妾如きに迷ひ玉はず、男らしく斷念して天睛の御名を世にあげたまへや。その時は蔭ながら妾もことほ ぎまゐらせむ。五十年の命に僅か一年の間なりしかどあやしくも深かりしえにしかな。さらばこの世にこ れぞながき御別なるべし」かくて二人はさびしく別れぬ。

5. 谷崎潤一郎全集 第24巻

人はいかにか感ずらむ。われは卒業證書 「螢の光窓のゆき、ふみよむ月日かさねつ、、」あ、このうた、 授與式の式塲に泣きつ、うたひて、うれしく、こひしき校門を出でぬ。共の折校長の君より、賞品など賜 父上に見せまゐらすれば、父上いとおごそかなるおも、ちにて一 りて、いそ / \ として家にかへり、 よび入れ玉ひ、「富める家の子弟等は、これより中學の課程ををさめ、尚高等の學術を極むることもやあ らむ。汝の望む所もまたげにさこそあらめど如何にせむ、あ、、我昔の如き富裕の身にてあるならば、 の望もかなはすべきも、不幸にして商業に失取したる今となりては、それもかなはず。たゞ天運とあきら めて今より直ちに商店に雇はる、か、銀行會社に通ふか、いづれか一に定めよかし。立身出世はたゞ學間 によるとなおもひそ。無學なる賤しき身より起りて、巨萬の富をなし、例も少からぬものを」と懇々とと き玉ふに、おのれき、もあへず、涙に咽びてひれ伏しぬ。 あ、共の涙、そは如何なる涙ぞや。父の御惠をおもひての感涙か、あらず。世の情なさをうらみての涙か、 あらず。あ、その涙、そは中學に入る能はずして商賈に入るを嘆きての涙なりき。 われ幼きより、最も嫌ひしは軍人にて、次は商人なりき。たとへ名聲を世界にふるひ、功名を天下にたっ とも、他人の生命を奪ひ、刄をふるひて血を流すは、これをしも人の道にかなへりとやいはむ。たとへ巨 萬の富を重ね、榮華の春にふけるとも、たゞ夢の世を夢とすぐすは、あはれ人と生れし甲斐ぞなき。あ、 われ願はくは釋迦牟尼の如き一大宗教家となりて、衆生の煩惱苦痛を救びなむ。さらずば西行、杜子美の 如き一大詩人となりて、淸高なる快樂にこの慾界を超絶して、悠々たる一生を送らなむ。さらずばプラト ン、カントの如き一大哲學者となりて字宙の微妙を發かなむ。あ、これわが志す所なりき。さるを父上が

6. 谷崎潤一郎全集 第24巻

る睹物どもたうでさせ玉ふとてなにがしの中將を御使にて修明門院へ「何にてもをのこどもに賜はせぬ べからむ賭物」と申させ給ひたるにとりあへず小さき唐櫃のかなものしたるがいと重らかなるを參らせ と心得ずな られたり。この御使のうへ人何ならんといといぶかしくて片端ほのあけて見るに錢なり。、 0 0 0 0 0 0 りてさとおもてうち赤らめてあさましとおもへるけしきしるきを、院御らむじおこせて「朝臣こそむげ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ノリュミ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 に口惜しくはありけれ。かばかりの事知らぬゃうやはある 。いにしへの殿上の賭弓といふ事にはこれを 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 こそかけものにせしかされば今かけものと聞えたるにこれをしも出だされたるなむいにしへの事知り玉 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 へるこそいたきわざなれ」とほ、ゑみてのたまふにさは惡しく思ひけりと心ちさわぎておばゅべし。大 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 かた院のうへはよろづの事いたりふかく御心もはなやかに物に委しうなどぞおはしましける。 夏の頃水無瀨殿の釣殿に出でさせ給ひて氷水めして水飯ゃうのものなど若き上達部殿上人どもに給はら 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 せて大みき參るついでにも「あはれ古の紫式部こそはいみじくはありけれ。かの源氏物語にも『近き川 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 のあゆ西川より奉れるいしぶしゃうのもの御前に調じて』とかけるなむ。勝れてめでたきぞとよ。唯今 さやうの料理つかまつりてむや」などのたまふを秦の何某とかいふ御隨身勾欄のもとちかく候ひけるが 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 うけたまはりて池の汀なる笹を少ししきて白きよねを水に洗ひて奉れり。「拾はゞ消えなむとにやこれ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 もけしかるわざかな」とて御衣ぬぎてかづけさせたまふ。御かはらけたび / \ きこしめす。その道にも いとはしたなう物し給ふ。何もあいぎゃうづきめでたく見えさせ給ふ御有樣など千とせを經とも飽く世 あるまじかめり。 見よ / ( \ 美的生活を送れる貴公子の面目活躍せるにあらずや。「朝臣こそむげに口惜しくはありけれ」と 0 146

7. 谷崎潤一郎全集 第24巻

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 うらやまし長き日影の春にあひて鹽やく海人も袖やほすらむ 後のうた、ことば悠々としてしらべ緩く、煦々たる春光島に充ちて日和のどかに、而も悔恨の一入長き を覺ゅ。 浪まなきおきの小島の濱びさし久しくなりぬ都隔て、 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 木がらしのおきの杣山吹きしをり荒くしをれて物おもふころ 浪の音、風のひゞき、忽ち來って讀者の耳朶をうつ。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 八百よろづ神もあはれめたらちねの我れ待ち得むと絶えぬ玉の緖 「八百よろづ神もあはれめ」何等莊重の句ぞ。昔は萬乘の天子、今双眸に滂沱たる萬斛の涙をおさへて誠 心誠意紳にすがらんとする歸依心の溢る、を見ずや。下の句「我れ待ち得むと絶えぬ玉の緖」にいたり、 忽ちにして糸の如き細き泣聲となり、共の聲たえむとして絶えず。是れ眞の歌なり、眞の詩なり。 水無瀨山我が故里は荒れぬらむま垣は野らと人も通はで 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 あやめふくかやが軒端に風すぎてしどろにおつるむらさめの露 「しどろにおつる村雨のつゆ」はら / \ とみ袖にたる、涙の雫の音も含まれ、云ひ得て剩すところなし。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 あはれ百二十一代の皇統を通じて院こそは皇室第一の詩人にましましけれ。 章詩人なりし後鳥羽院、早熟の俊才、通人粹者なりし後鳥羽院、恐れ多きことながら若し元祿の灘波に生れ 期なば俳諧 ( 一。 ト説こ世を茶かしておもしろをかしく伊達に一生を送り玉ふべき御さがなりしを長くも雲上に育 ちて四歳の時に已に一天四海の君なり 149

8. 谷崎潤一郎全集 第24巻

業をいとなむ者、從姉二人も幼きより小褄とりし身の、中にそだちし妾なれば、いづれ文字も知らず、禮 儀も習はず。たゞ意地つよくお侠なる ~ うきん者とおばせかし」とすゞはりのまみうるませつゝ秋の夜長 の物語をしみん、、きかされて、さてもよく似し身上かなと共に泣きたることありき。 意気地は女のいのちなるべし。されどかなしく果敢なきは意気地なり。ある時は野崎村のつれ彈き聽きて 赤丹の頬に涙みなぎらせ、ある時はありのすさびのふとせしことに大聲あげて打ち笑ひ、あたりを驚かせ 、ゝにしけん、主なる人にはしたなく罵られしとて夜一夜なき し人の、一年をへてあくる年の春のころ、カ あかし、皆々の止むるをもきかず、くやしさに新橋なる伯母がもとへ逃げ歸られしぞ恨なる。 「おん奥様の御恩は一通ならず。皆様の御情も知らぬにあらず。されど一旦耻か、されてくやしの一念お こりし上は前後をわすれて逆上する性質は、知らせたまへる君なれば免させ玉へ。御奥様なればこそ共場 はひたすらあやまりもしたれ、朋輩ならば男なりとも默してやまむやは。泥水のなりはひする家との御さ げすみなく、長くわれをな忘れ玉ひそ」との手紙を顏におしあて、、泣けるだけわれは泣きぬ。 それより後の胸のもだえいかばかりなりけむ。人知れず蓐の上に蒲團うち被りて枕をかみし夜半もあり。 椽側の柱に凭れて雲のはたてを眺め人りつ、、身も世もあらずこがれこがれしタぐれもあり。塀外の人聲 をき、てはもしやと飛び立ち、往來に島田を見てはそれかとおどろきしかひもなく、五月六月とすぎて七 月も上旬になりぬ。 その月の十日の宵、すヾみがてらに銀座あたりを散歩せんとて格子押しひらき何の気もなく戸口にたてば、 こは夢か ! 宵闇に彳みたまふは紛ふ方なき君なり。あまりの意外に胸とゞろき足ふるヘて暫はことば出

9. 谷崎潤一郎全集 第24巻

からず御諒承願ひます。 三月二十五日 サイデンスティッカー様 四月十九日靜岡縣熱海市伊豆山鳴澤一一三五番地電話熱海一一 六 0 八 九七〇番より京都市左京區北白川仕伏町三渡邊たをり宛端書 おてがみが上手になりましたね 丿丿 1 がいるうちはほかの大を飼ってはかあいそうです 何か犬でないほかのものなら買てあげます 谷崎潤一郎代 670

10. 谷崎潤一郎全集 第24巻

信西ハ頭腦明晰にして感性の鏡き男とは云ひ得べきも豫言者的なりとハ申難かるべきか。クライスト、 ホメットを始め豫言者なる者ハ一種超人間的にして死に對しても甚晏如たり。余の描ける信西は少くとも 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 死を恐怖する悟りきれぬ、個性のつよき人間のつもりに候。落雷事件も几人の執念怨恨がいまだ醒めず。 魂魄この世に迷へる處と見たまハヾ決して豫言者たるの證據とはなり難かるべしと思はれ候。この落雷は 菅公死後雷となって時平等を苦しめしと云ふ北野縁起、並びに謠曲等に傳ふる傳説と、信賴義朝が加茂河 原に信西の首を見に行きし際天地忽晦瞑となりしてふ事實とを基として作りしものこの事についてハ何事 よりも先づ第一に一と理屈云はる、、處と覺悟の上にて設けしことなりしが猶後段に於いて詳しく陳述致可 く候。要之信西は及ばずながら博覽宏識、頭腦明晰、感性鋧敏の傑人の如く現はしたるつもりに候。もし 豫言者のやうに見え候ハヾト / 生の筆のいたらざる所にて企圖する所にハ背き中候。次にその時代の香を出 すと云ふ事、これは史劇にとりて重要にして且っ興味ある努力かと存候も第一幕ハ山の中、第二幕は加茂 河原にて當時の特張を描くに缺くべからざる宮中生活を描くべき場所なき為め始めより斷念仕り候、唯わ せりふ づかに白をでき得るだけ當時の語に摸して足れりと致し候。加茂川原の市人のせりふ今少し世話に碎けよ との仰一應は尤ながら市人が種よの古風のいでたちに扮して昔風のことばを用ふる所に少しは時代のおも かげも見えんかとの心に候。いづれにいたせ史劇中に用ふる言語は常に時代的統一なかるべからずと信じ 三候。それではもし舞台に上りし場合に間拔け染みはせずやとの懸念なきにあらねど決してさる事なかるべ 治しと存候。さて君の類別による国国国の條件ハいづれも小生の目あてと致したる處にて第一幕に国国の理 想を示し第二幕に第国の條件を充たさんとしたることまた御推量にたがはず、この二箇の理想兩よ相下ら 187