くりでしたから、あなたと母子のように見えても不似合いではありません」などとおっ はなもみじ しゃいますので、源氏の君も幼いながら、ちょっとした花紅葉の折につけても親愛の情 こきでんによう′」 をお見せになり、この上もなくお慕い中しておられましたが、そうなると弘徽殿の女御 うま は、また藤壷ともおん仲が巧く行かぬのに加えて、古いお憎しみも燃え出して、源氏の 君を面白からずお思いになるのでした。帝が世にたぐいないものと御覧になり、 も評判の高い藤壷の御器量に比べても、源氏の君のあてやかさは一層たとえようもなく ひかるきみ 美しいので、世間の人は光君とお呼び申しています。また藤壷もそれと並んでとりどり の御寵愛でしたから、これはかがやく日の宮と申しています。 わらわすがた この君の童姿を変えてしまうのは残念にお思いになりましたが、十二歳で元服なさい ます。自ら手を下して世話をお焼きになり、限りある儀式の上にさらに儀式をお加えに イ、紫宸殿 なります。先年春宮の元服が、南殿において行われましたが、その時の騒ぎにも負けな きようえん くらづかさこくそういん 、畿内の調銭、無主いようにお命じになります。ところどころの饗宴など、内蔵寮や穀倉院などが普通の公 の位田・職田、没官 田等の収穫を納めて事として取り扱うと、とかく疎略になりがちであるからと、特別に仰せ下されて、結構 おく官庁。年中の饗 かんじゃおん 物、施米、学問料なずくめにおさせになります。清凉殿の東の廂の間に、東向きに倚子を立てて、冠者の御 どにあてる かかんおとど 、冠をかぶせる役座、加冠の大臣の御座をその前に設けます。中の時に源氏が席につかれます。髪をみず ようぼう らに結うておられる容貌、顔の匂いなど、形をお変えになるのが惜しいようです。大蔵 みずか おやこ なんでん ひさしま さる おおくらっ朝
、あなた様が心をもっともと、哀れ深くお感じになります。風がはげしく吹雪を起して、御簾の内の空薫 澄まして、住んでい くろほう ら。しやる清い世界の匂いが、しっとりとした黒方の香にしみて、名香の煙もほのかに立ちのばっています。 おんそ ( 雲居 ) を私もお慕 い申して、出家した大将の御衣の匂いさえ薫り合うて、極楽のさまも思いやられる結構な夜の風情なのです。 いと存じますが、子 春宮からも御使が参ります。このほどお別れになった時の仰せ言を思い出されますと、 ゆえの闇になおもこ の世に迷うことでご可ばうお心強くても御辛抱がおできにならず、御返事もよう仰せられませんので、大将 ざいましよう。「月」 は中宮のこと。「雲が言葉を添えてお上げになるのでした。誰も誰もそこにおります限りの者が、心のしず 居」は中宮の身分か ら連想した語であるまらない折ですから、君もお胸の中のことどもをようお言い出しになりません。 が、ここでは宮中の ことではなく極楽 「月の澄む雲居をかけて慕ふとも まど やみ 世界のこと。「この このよの闇になほや惑はん よの闇」は、表面は 「この世の闇」であ と存ぜられますのが、せんないことでございます。お思い立ちになりましたことは、限 るが実は「子ゆえに 迷う夜の闇」の意 りもなくお羨ましく」とばかり申し上げられまして、女房たちが近くに控えております で、子とは春宮をさ す ので、千々に乱れる心の中をさえよう言上なさいませんじれったさ。 世間一般のことが 辛いゆえに発心はし「大方の憂きにつけては厭へども ましたけれども、子 そむ の可愛さを思えば、 つかこの世を背き果つべき 木この世を全く離れ去 ぼんのう ることのできますのそばから煩悩が起りまして」などと、或る所は取次ぎの者が気を利かしてよろしいよう 賢はいつのことでしょ 、つ に言い拵えたのでしよう。 哀れなことばかりが尽きませんので、胸苦しくおなりなされ かお みよう′」う そらだぎ 393
られることはどうであろうと、心も心ならず追い縋って行きますと、そんなことに頓着 おまし なさらず、奥の御座へおはいりになるのでした。襖を立て切って、「明け方お迎えに参 るがいい」と仰せられますので、女君は、この女房が何と思うかと考えるだけでも死ぬ ほど辛く、流れるばかり汗に漬かって、ひどく苦しそうにしていますのが、たいそう傷 傷しいのですけれども、例のお口上手で、どこからああいう一一一口葉をお引き出しになるも くど のやら、しんみりと、胸に沁み入るようにお口説きになるのでしたが、やはり厭わしい 心地がして、「うつつのようにも覚えませぬ。数ならぬ身ではございますが、そのよう に人を見下し給うお心のほどを、何で浅からず考えられましよう。かような者にはかよ ごむたい うな者の分際がございますものを」と言って、こんな風に御無体になさるのを、つくづ く情なく、心憂く思い入っている風情なので、不憫にもきまり悪くもおなりなされて、 しよしんもの 「その分際ということもまだよく分らない初心者なのです。なかなか世間一般の男のよ うにお思いになっては困ります。大方噂などで聞いておいでになることもあるでしよう。 ぶしつけ こうなる因縁があり これまでついぞ無躾な浮気ごころを起したこともありませんのに、 ましたのか、今さら何とおっしやられても仕方がないほど迷い込んだのが、われながら 不思議でなりません」などと、仔細らしくいろいろに仰せられるのですが、世にたぐい ないお姿を見るにつけ、、 よいよ打ちとけてお近づき申し上げることが羞かしいので、 はす いんねん
夜が明ける間の久しいことといったら、千夜を過すようにお感じになります。 ようようのことで鶏の声が遠くの方で聞えますので、自分はいかなる縁に引かれて、 このような命がけの憂き目を見るのであろう、自分の心からとはいえ、こういう方面の ことについて或るもったいないけしからぬ思いを抱いている罪の報いに、今の世にも後 、くら隠そうとした の世にも語り草になるような、こんな事件を起したのであろうか、し ところで、実際に起った出来事は隠しきれず、お上がお聞き遊ばすのはもちろんとして、 世間でもいろいろに言うであろうし、口さがない童べの噂の種にもなるであろう、そう かろ あげく してその揚句には、愚かしい名を流すのだなと、思いめぐらしていらっしゃいます。辛 うじて惟光の朝臣が参上しました。日頃は夜中でも暁でも、御意に背いたことのないも のが、今宵に限って居合わさないのみか、お召しにさえ遅れたのを憎くお思いになりま したけれども、呼び入れて語り出し給うにも、あまりあっけない事柄なので、急にはも のをおっしやることができません。右近は大夫の来たけはいを聞くにつけましても、始 めからのいきさつが思い出されて泣いていますので、君もようお怺えにならず、今まで 御自分一人だけは気丈なつもりで人の世話を焼いておられましたのが、惟光の顔を御覧 になるとほっとなすって、悲しみがこみ上げていらっしゃいます。しばらくの間、たい そうひどく、とめどもなくお泣きになります。ややあって、「ここに、非常に思いのほ とり ちょ わらわ うわさ こら そむ 132
明石 〔後撰集〕 だ、自分は一方ではいろいろ苦い経験をしたが、自分より年齢が上の人とか、位が高く なび て、世間の人望も一段と優れている人とかには、靡き従って、その好意について行くべ きものなのだ、「退いて咎なし」と昔の賢人も言っているではないか、全く、こういう 命がけの災難に遭い、世にまたとない憂き目の数々を見尽くして、いまさら死後の悪評 ちちみかど を防いだところで別段よいこともありはしまい、夢の中でも父帝の御教訓があったのだ から、この上何事を疑おうぞとお思いになって、御返事をなさいます。「不案内な土地 へ来て、珍しい辛苦のありたけを嘗めたけれども、都の方からと言って見舞いに来てく れる人もない。ただ行くえも知らぬ空の月日の光ばかりを、故郷の友と眺めていました / つりぶね 波にのみ濡れつる が、これは嬉しい釣舟のおたよりです。かの浦に、ひっそりと隠れ住むような隈があり ものを吹く風のたよ り嬉しき海人の釣舟ましようか」と仰せになります。入道は限りなく喜んで、お礼を言上します。「何はと もあれ、夜が明けてしまわぬうちにお乗せ中せ」とあって、例の親しい者どもばかり四 五人をお供にして御乗船になりました。例の順風が吹いて来まして、飛ぶように明石の ひとまた 浦にお着きになりました。ただほんの一跨ぎの所ですから、ちょっとの間に行けるので すけれども、それにしましてもあまりにも不思議な風の働きなのです。 浜の有様は、なるほどたいそう異なった感じです。人が大勢いますことだけが君の御 はず 注文に外れていました。入道が領しています所々には、海近くにも山のかげにも、折々 とが ふるさと 477
標 ございます。四 + 九返事にお困りの御様子ですけれども、御代筆では不都合でございましようと、お側の誰 日の間、霊魂が家を 離れないでいるとい彼がお責め申し上げますので、にび色の紙の、かぐわしく香を薫きしめた趣深いのに、 、つ佛説による すみ 墨つきなども薄く濃くまぎらわして、 この暗い空模様の 消えがてにふるぞ悲しきかきくらし ように涙にかきくれ ながら、我が身で我 わが身それとも思ほえぬ世に が身が分らないよう おうよう な世の中に、まだ消遠慮深い筆蹟で、たいそう鷹揚に、お上手というのではありませんけれども、可愛ら え失せもせずに日を 送「ているのが悲ししい、品のいい手筋のように見えます。君はこのおん方が伊勢へお下りになった頃から、 ゅ、つご′ごい亠ます - 。 ものたらず惜しく思っていらしったのですが、今は心にかけて何とでも言い寄ることが 「ふる」には「経る」 と「降る」が、「わが できるのだとお思いになる一方では、例の思い返して、それも気の毒だ、故御息所があ 身それ」には「みぞ れ」がかけてある んなに案じていらしったのもお道理であるし、世間の入たちもそんな風に想像しないも のでもないから、ここは一つ、打って変って清く美しくお世話を申そう、お上が今少し 物事がお分りになるお年頃にならせられたら、人内おさせ申そう、自分は子供が少いの だから、秘蔵娘を儲けたわけだと、そういうお考えにおなりなされます。たいそうまめ まめしく、親切にしてお上げなされて、しかるべき折々には訪ねたりなさいます。「も ったいないことながら、故母君のゆかりの者と思し召して、心やすくなすって下さいま したら、本懐に存じますが」などと仰せになるのですが、むやみとはにかまれる内気な じゅだい こう 547
、汚物などを散らしり道に、けしからぬものが仕掛けてあって、送り迎えをする入々の着物の裾が台なしに ておく なって、始末に悪いことなどもあります。また或る時は、どうしても通らねばならない 、殿舎の中にある板馬道の戸を、向うとこっちとでしめし合わせて閉じてしまい、 まごっかせたり恥をかか 敷の中廊下。今の縁 側に似ている せたりすることもしばしばです。そんな具合に、事に触れて数々の苦労が増すばかりで ふびん すから、ひどく気が滅入って、ふさぎ込んでいますと、それをなおさら不憫に思われて、 こうろうでん へや ( 、清涼殿のうしろに後凉殿に前から住んでいた或る更衣の部屋を、別のところへお移しになって、そこを上 つづいた西の御殿 つぼね 局として賜わりました。追い出された入の身になってみれば、その恨みはまして言いよ うもありません。 おんはかまぎ この御子が三つになり給うた年、御袴着のことがありましたが、第一の御子の時に劣 ことこと くらづかさおさめどの = 、金銀、珠玉、宝器らず、内蔵寮、納殿のものを悉く用いて、立派な式をお挙げになりました。それにつけ などを管理し、供進 ぎよふく の御服、祭祀の奉幣ても世間の非難が多いのですが、この御子のだんだん御成長になるお顔だちや性質など などをつかさどる役 は、世に並びなく珍しいものに思われますので、そうそう嫉みようもありません。もの ぎようでん ホ、宜陽殿にあって歴 代の御物を収めてあの分った人などは、「こういうお方も世に生れていらっしやることがあるんですね」と、 まる る所 あきれるまでに眼を圓くして驚いています。 へ、御子の母となった その年の夏、御息所は、何となく気分がすぐれないので里へ退ろうとされましたが、 女御更衣などの尊称 どうしても暇をお遣りになりません。この頃はいつも病気がちでおられますから、それ ひま みやすどころ さが すそ うえ
えます。女君は、ものをあまりに突き詰めて考える御性分なので、年が釣り合わないこ とではあるし、世間の人が漏れ聞いたらばと、こんな具合に跡絶えがちな夜の独り寝の お夢の破れがちな折々、ひとしおしょんばりとして物思いにお耽りになることどもが多 いのです。たいそう霧の深い朝、君はしきりに急かされ給うて、まだお眠そうな顔をな みこうし さりながら、ためいきをつきっきお立ち出でになりますと、中将という女房が、御格子 みきちょう を一間上げて、見送ってお上げ遊ばせという心持で御儿帳を引き上げましたので、女君 せんざい は頭をもたげておもての方を御覧になります。と、前栽の草花の色とりどりに咲き乱れ ロ、咲く花に心が移る ということは、御息ている風情を、見過しかねて佇んでいら「しやる御様子が、全く類がありません。その ろう しおんいろきぬ 所に対して慎むべき まま廊の方へおいでになりますので、中将の君がお供します。これは紫苑色の衣の、季 であるけれども、今 うすものも 朝のこの美しい朝顔 節にふさわしいのを着て、羅の裳をあざやかに引き結んだ腰つきが、たおやかになまめ を見れば、ついそれ こうらんもと に心が移って、一枝 いているのです。君は振り返って御覧になって、隅の間の勾欄の下にしばらくお引き据 折らずには通り過ぎ からだ にくい。「朝顔」を えになります。用心深くもてなしている体のこなし、髪の垂れ具合などを、眼の覚める 中将の君にたとえ、 「心をほか ~ 移すこよ、つなと、感心して見ていらっしゃいます。 とは憚りがあるが 今朝の中将の君の姿 「さく花に移るてふ名はつつめども 顔 を見ては黙って済ま されない」という 折らで過ぎうき今朝の朝顔 タ意。朝顔は朝起きた ての人の顔をいうどうしたらよかろう」と、手をお取りになりますと、馴れたもので、すぐロ早に、 六条御息所 ひとま ・すみま とだ ふけ くちばや す 113
けしがらぬことをおっしやる」と、中将が睨む真似をします。 しつけかた 「本来の素姓と、世間の気受けと、二つとも揃った高貴な家に生れながら、親の躾方が 悪く、様子が劣っていますのは、全く論外で、どうしてこんな風に育ったのかと、言い 甲斐ない心地がいたしましよう。そうかといって、今一一一口う二つの条件の揃った家なら、 娘がすぐれていたとしましてもそれが当りまえ、そうあるべきことという気がして、珍 しいことでもなく、驚くこともありますまい。上の上の部に属する方々は、私などの手 の届く階級ではございませんから、それは差しおくといたします。そこで、世にありと 人に知られず、寂しく荒れた葎の宿に、思いもよらぬ愛らしい人が、ひっそりと閉じこ もっていますのこそ、限りなく珍しくはないでしようか。こういう人がどうしてこう、 いつまでも忘れることができません。 う所にと、それがあんまり意外なので、あやしく、 父親が年を取って、不細工に太り過ぎていて、兄の顔も憎さげで、想像しても格別なこ ともなさそうに思われる閨のうちに、たいそう気位の高い人がいて、ちょっとした才藝 なども、故ありげに見えたりする、といったようなのは、その才藝がほんのいささかの ものだとしても、思いのほかに興味を惹かずにいましようか。何もかも備わっていて瑕 のないのには及ばぬにもせよ、それはまたそれとして捨てがたいものですが」と言いな がら、馬頭が式部丞の方を見ますと、これは自分の妹どもが近頃世間の評判がい ぶさいく ねや むぐら ぎす
ですが、ものの分別があって、浮世の波風に揉まれて来た、相当の年輩の人でさえ辛く 感じる場合ですものを、まして日頃馴れ親しみ給うて、父母にもなり代ってお世話をな さり、養育してお上げになったお方と、にわかにお別れになったのでは、恋しくお思い になりますのももっともなのです。それも全くお亡くなりになってしまったのなら、歎 いたところで仕方がありませんし、言っても返らぬこととしまして、だんだん忘れ草も 生い茂って行くでしようが、すぐ近い所と聞きながら、いつまでという期限のあるおん 別れではないのだとお思いになりますと、たまらない心地がなさるのです。 入道の宮におかせられても、春宮のおん行く末のことがありますので、おん歎きは中 すまでもないのです。おん宿世のほどをお考えになれば、どうして浅いえにしと思し召 されましようぞ。この年頃はただ世間の風聞などが恐さに、少しでも情のある素振りを イ、松島にお帰りを待 ちつつ年月を送って 見せたら、それにつけて人がやかましく言い出すようなこともと思って、ひとえに怺え いる海人のような私 も、涙にくれてしお忍び、君のお心持をも大抵は感じない風を装い給い、わざとそ「けなくしていらし「た たれることを仕事に して、歎きを重ねてのでしたが、これほどうるさい世間の人のロの端にも、ついぞこのことは上らないでし います。「やく」は 「役」であるが、塩まったというのは、君の方でもそういう風にお仕向けになって、心の狂うままにまかせ の縁語の「焼く」に うま 通じる。「海人」はず、一方で人目につかないように巧く隠していたからなのだと、あの頃のことをしみじ 「尼」、「なげきをぞ 積む」は、塩を焼くみと恋しくお思い出しになるのです。御返事も少しこまごまとお書きなされて、「きょ すくせ じよう こら 442