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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第25巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第25巻

暁の鶏も鳴きました。お供の人々が起き出して、「何と昨夜はよく眠ったことよ。さ カたナガ かみ あ御車を引き出すのだ」などと言っています。守も出て来て、「女君などのおん方違え なら知らぬこと、まだ夜が深いのにお急ぎになることがあろうか」などと言います。君 は、このようなついでのまたとあることも容易でなく、とてもわざわざ逢いにいらっし やれるわけもなく、おん文などさえ通わすことのむずかしさをお思いになると、たいそ う胸が痛いのでした。奥の中将も出て来まして、ひどく迷惑がっていますので、 んはお放しになったものの、またお引き止めなさりながら、「どうしたらお便りするこ とができるでしよ、つ。 世にも稀なお仕打ちのつらさも、この身のあわれさも、今は浅か らぬ思い出の種となりましたが、かような珍しい例があるでしようか」と言って、お泣 きになる様子がたいそうなまめかしいのです。たびたび鶏が鳴きますので、お心も、 、源氏の歌。あなた あわただ の情なさについて、 慌しく、 まだ恨みごとも言い きらぬうちに夜が明 つれなきを恨みも果てぬしののめに けた、これは鶏が取 るものも取りあえぬ とりあへぬまで驚かすらん ほど鳴くためでしょ うが、何でそうせわ女は身のありさまを田 5 うと、もったいなく恥かしい心地がして、せつかくやさしくし 木しなく起すのでしょ さげす ぶこっ う。「とりあ ~ ぬ」ていただいても、何の感じも起りません。いつもは無骨で嫌らしい気がして、蔑んでい は「取り」に「鶏」 をかけてある た伊豫の国の方のことばかりが思いやられて、ひょっとその人が夢にでも見はしないか つれ あかつぎとり みくるま ほう まれ ためし

2. 谷崎潤一郎全集 第25巻

う。「夏衣」は「着たこっち引っ張り合う拍子に、びりびり綻びてしまいました。中将、 る」 ( 来たる ) の枕 詞。「薄き」は夏衣 「包むめる名や漏り出でん引きかはし の縁語 かくほころぶる中のころもに お二方が立ち重ね てお越しになって、 この破れたのを上に着たらば、定めて人目につくことでしよう」と言います。君、 また引き連れて帰っ ておしまいになっこ 隠れなきものと知る知る夏衣 あとの名残り惜しさ いくら恨んでみ きたるを薄きこころとぞ見る たところで何のかい そろ もありません。「恨と言い交して、二人ながら恨みつこのない皺くちゃな姿にされて、お揃いでお出ましに み」は「浦見」に、 くちお 「かひ」は「貝」に掛なります。君は見つけられてしまったことをひどく口惜しく思いながら、お寝みになり さしぬき ける。「たちかさね」 「ひきてか ~ る」「なました。内侍はす「かり興ざめて、あとに落ちていたおん指貫や帯などを、明くる朝お ごり」などとともに 届けするのでした。 「波」の縁語 ニ、別れての後ぞ悲し 「恨みてもいふかひぞなきたちかさね き涙川底もあらはに なりぬと思へば〔新 びきてかへりし波のなごりに 勅撰集〕 ま波 ( 中将 ) が乱暴『底もあらはに』なりましたのが悲しゅうございます」とあります。何というあっかま を働いたことは驚か こづらにく ないが、ああいう波しさか、とお思いになりますと、小面憎いようですけれども、昨夜途方にくれていまし 賀を寄せつけた磯 ( 源 葉内侍 ) に対しては、 たのもさすがに可哀そうなので、 紅どうして恨まずにい られよ、つか あらだちし波に心は騒がねど ひょうし ほころ しわ 277

3. 谷崎潤一郎全集 第25巻

かっこう たりまで胸をはだけて、自堕落な恰好をしています。たいそう色白で、綺麗そうで、圓 まる あいきよう 圓と肥えた、背の高い人で、頭つきや額つきの水際立った、眼もとやロもとに愛嬌のあ る、花やかな顔だちをしています。髪は非常に房々としていて、長くはありませんけれ ども、その垂れた端や肩のあたりなどがたいそう清らかで、どこにも欠点というものが なく、美しい人に見えるのでした。なるほど親が世にない者に思うのももっともである と、感心して見ていらっしゃいます。でも心持に今少ししっとりとしたところを添えた いものだ、と、そんな風にお思いになります。しかし才気はあるのでしよう、碁を打ち 終って、駄目を押す具合がすばしこそうに見えて、何かてきばきとしゃべりながら躁い イ、「劫」は、敵の虚をでいますと、奥の人はえらく落ち着いて、「待って下さい、そこは持でしよう、この劫 ついて驚かすような なんもく 石を打「ておいて、のところを」などと言うのですが、「いや、今度は負けました。こことここの隅は何目 他の部分を攻めたり 守「たりすることでしようか、どれどれ」と指を折りながら、「十、二十、三十、四十」などと勘定をす ゅげた 、伊豫の湯の湯桁はる様子が、伊豫の湯桁でも数えられそうにきびきびしています。少し品が劣「て見えま くつ、いさしらず や、、かず ~ ずよます。奥の人はたとえようもなくつつましやかに袂でロを覆うていまして、はっきりとは ず、やれ、そよや、 なよや、君ぞ知る見せないようにしていますけれども、じっと眼をつけて御覧になりますと、おのずから らうや〔体源鈔「風 俗」〕伊豫介の縁で横顔がうかがわれます。眼瞼が少し張ればったい気味で、鼻筋などもくつきりとせず、 湯桁を持ち出したの であろうか 年寄りくさくて、つやつやしい所がなく、どっちかといえば醜い方の顔だちですが、た まぶた ひたい おお きれい はしゃ まる こう

4. 谷崎潤一郎全集 第25巻

から、おん身に近くお置きなされて、見ておいでになるのでした。 小君が家へ帰って行くと、姉君は待ち構えていまして、きびしく叱ります。「昨夜は とんだことだったので、ようよう逃げるたけは逃げましたけれども、世間の疑いがカカ らずにはいないのですから、ほんとうにえらい迷惑です。あなたのようにたわいがなか ったら、あのお方だって何とお思いになることか」と言って、恥じしめるのです。どっ ちへ行っても苦情を言われるのをやりきれなく思いながら、小君はあのお手習いの畳紙 を取り出します。と、女君も、さすがにそれを手に取って見ます。さてはあの藻抜けの から あま イ、すずか山伊勢をの殻の薄衣を、お持ち帰りになったのか、どんなにか「伊勢をの海人の」しおたれてはい あまのすて衣しほな ちち れたりと人やみるらなかったであろうかなどと、そんなことが気になったりして、心は千々に乱れるのでし ん〔後撰集〕 た。西の対に住んでいる入も、うら恥かしい心地を抱いて自分の部屋へ帰って行きまし こ。ほかにあのことを知っている人もないのですから、こっそりと物思いに耽っていま す。小君がしきりに出つ人りつするにつけても、もしやと胸が塞がるのですけれども、 あれきりおん消息もありません。間違いであったとは知るよしもなくて、浮気な性分か 蠅の羽におく露が つれ 木の間に隠れて人にら、可となく物足らなくも田 5 うでしよう。 一方情ない人とても、じっと恋しさを怺えて 見えないように、自 分も人に隠れて忍びはいるものの、そう浅くもないらしいお志のほどを知っては、夫のない頃の我が身であ 忍びに涙に袖を濡ら すことよ。この歌はったらと、取りかえす術もないことながら、考えるとたまらなくなって来ますので、今 おっと ふさ ふけ こら

5. 谷崎潤一郎全集 第25巻

ありませんのを、たいそう心憂くお思いにな「て、「こういう風な忍び歩きも、今は不 しめなわ 、御簾の内に人れな似合いな身分にな「ておりますことを御推量なさいましたら、こんな具合に、注連繩の いことを場所柄こう 言「たのである外にはお扱いなさらないで下さいまし。日頃の胸のわだかまりをも晴らしたく存じます 千早ふる神の忌垣のに」と、真心をこめて仰せになりますと、女房たちが、「ほんとうに、えらく体裁悪 も越えぬべし今は我 身の惜しけくもなしそうにお立ちにな「ていら「しゃいますのに、お気の毒な」などと、お執りなし申しま 〔拾遺集〕 「わが庵は三輪のすので、はて、ここにいる人々の手前も見苦しいし、びどく若々しい振舞いのように斎 山本こひしくばとぶ らひ来ませ杉立てる宮もお思いになるであろうし、お目にかかるのは今さらつつましいことだとお思いにな おっくう 門」〔古今集〕を踏 りますと、まことに億劫なのですけれども、無愛想にあしらったところで何にもならな まえた歌。ここの神 わずら 垣にはしるしの杉も ことなので、いろいろに案じ煩って溜息をつきながら、ようよういざり出ていらしつ 立ててありませんの に、 ( 「こひしくばと たおんけはいの、言いようもない奥ゆかしさ。「こちらでは、縁側へだけは上らしてい ぶらひ来ませ」とも 中しませんのに ) ど ただけるのでしようか」と仰せになって、上ってすわっていらっしゃいます。花やかに う間違えて榊を折っ たりして訪ねていらさし出でたタ月のひかりに、おん身のこなし、気品は、比べるものもなく立派なのです。 しったのでしようか おも = 、「榊葉の香をかぐ月頃積る物語を、巧い具合にお話しになるのも面はゆいほど遠のいておいでになりまし はしみとめ来れば八 さかき そうぢびとまどる 十氏人ぞ圓居せりけ たので、楙を少しばかり折「てお持ちにな 0 ていらし「たのを、御簾の内にさし人れて、 る」〔拾遺集〕を踏 いがき さかきば まえた歌。乙女子の「この榊葉の変らぬ色をしるべにしまして、神の忌垣も越えて参りました。さも餘所餘 おられるあたりだとそ 思えば、楙の葉をな所しゅうなさいますことは」と仰せになりますと、 ためいぎ みす よそよ 356

6. 谷崎潤一郎全集 第25巻

ね。心細い独り寝の慰めにもなることですから」などと仰せになりますのを、入道は限 うれ りなく嬉しいと存じ上げるのです。 イ、私の娘はこの明石 「独り寝は君も知りぬやつれづれと の浦でつくづくと物 思いにふけりながら 思ひあかしのうらさびしさを 夜を明かしているの でございますが、そまして年月苦に病みつづけておりましたうっとうしさを、お察しになって下さいまし」 のうらさびしい独り ( カ声がふるえていますけれども、さすがに上品な感じがしないで 寝の味は君も今度でと中し上げるけよ、。、、 お分りになったでし もありません。「でもかような浦に住み馴れている人は、私ほどには」と仰せになって、 ようか。「田 5 ひあか しのうらさびしさ」 旅衣うら悲しさにあかしかね は、「夜を明かす」 の意に「明石」をか 草のまくらは夢もむすばず け「うら ( 心 ) さび あいきよう し」に「浦」をかけ と、打ち解け給う御様子は、ひどく愛嬌がおありなされて、言いようもない風情なので ぐち 、私は馴れない旅のす。なおこのほかにも人道の愚痴が数知れぬほどありましたけれども、一々記すのもう 空のうら悲しさに夜 ごとに寝もやらず、るさいことです。それでなくても間違いまじりに書き過ぎましたので、たださえ頑固で 仮寝の枕には夢をむ む すぶこともありま 一徹な老人の性分が、一層剥き出しにな「たかも知れませぬ。 せん。この「うら悲 し」は「衣」の裏に 人道は、まずまず思うことが叶った心地がしまして、すがすがしい気持になっていま かけてある。「むす ぶ」は草枕の縁語すと、明くる日の昼ごろ岡辺の家へおん文をお遣わしになります。聞けばどうやら奥ゅ うずも へんび かしいところがあるように田 5 えるが、かえってこういう辺鄙な土地にこそ案外な入が埋 ふみ わたし ふぜい 4S8

7. 谷崎潤一郎全集 第25巻

の、再び燃え上るような心地がなさるのでしたが、きぬぎぬのおん文だけが暮れ方にな って届くのです。「この頃すこし决いように見えておりました病人が、にわかにひどく 苦しみ出しましたので、手放すわけにも行きかねまして」とありますのを、またしても 例のかこつけごとと御覧になりながらも、 イ、御息所の歌。涙で 袖を濡らしてばかり 「袖ぬるるこひぢとかつは知りながら いる悲しい恋路とは 知りながら、だんだ おりたっ田子のみづからぞ憂き ん泥田の深みの中へ 入り込んでゆく農夫『山の井の水』の、浅いのもごもっともと存じます」とあります。君はそのお筆のあと なさけ のようなわが身が情 を、さすがに多くの人々の中でもすぐれていると御覧なさりながら、それにしても何と 「こひぢ」は 「恋路」に「小泥」を 言ったらいい世の中か、心も顔だちもとりどりに取柄のないというのはなく、そうかと かけてある。「おり たっ」は深入りをす いってこの人こそと思い定めるほどのもないのを、苦しくお思いになります。御返事は、 る義で、田に「降り 立つ」の意でもあ たいそう暗くなりましたけれども、「袖ばかりが濡れるとはどういうわけです。お志が る。田子は農夫のこ と。「み一づから」は深くないからそんなことをお「しやるのでしよう。 「水」をきかしてあ る 浅みにや人はおり立っ我が方は くやしくぞ汲みそ めてける浅ければ袖 身もそばつまで深きこひちを のみぬるる山の井の 水〔古今六帖〕病人が大したことさえありませなんだら、お目にかかって申し上げずにはいないのです 浅みこそ袖はひづ らめ涙川身さ ~ 流るが」などとあります。 そで かた 314

8. 谷崎潤一郎全集 第25巻

くるみいろ れていないものでもないと、心づかいをなすって、高麗の胡桃色の紙に、特別に念をお 入れなされて、 都をはるかに ~ く をちこち わ 離れたこの明石で、 「遠近も知らぬ雲居にながめ佗び 物思いに沈みつつわ びしい月日を送って かすめし宿のこずゑをぞとふ いました折から、入 道がちらとほのめか『思ふには』」と、ただそうあっただけでしたろうか。入道もそのおん文を人知れずお待 してくれた宿の稍を お訪ね申します。ち申し上げようと、岡の方の家に来ていましたところ、案のごとくでしたので、お使い 「宿のこずゑをぞと ふ」とは、梢を目印の者を痛み入るほどにもてなして、したたか酒に酔わせます。さてその御返事は としてその宿を訪う そう暇がかかります。奥へはいって急き立てるのですけれども、娘は一向言うことを聴 のである = 、思ふには忍ぶる事 きません。このようなお見事なおん文には、御返事をしたためる手蹟のほども恥かしく、 ぞまけにける在」には 出でじと思ひしもの 気おくれがしまして、かのおん方の御身分やら自分の身のほどを考えますと、とても空 を〔古今集〕 ホ、うれしさを昔は袖 恐ろしくなって、「気分が悪い」と言って打ち臥してしまうのでした。持て餘した入道 につつみけり今宵は たもと かたしけ 身にもあまりぬるかが代「て書きます。「あまりの思召しの忝なさが、鄙びた袂には包みきれぬせいでござ な〔和漢朗詠集〕 〈、君が眺めておいで、 ましようか、ただもうもったいなさの餘りに、お筆のあとを拝見することさえできず になる空と同じ空 を、娘も眺めておりにいるのでございます。それと申しますのも、 石 ますのは、きっと娘 の思いも君の思いと 眺むらん同じ雲居をながむるは 明同じなのでございま 、しよ、つ おもひもおなじ思ひなるらん へ 489

9. 谷崎潤一郎全集 第25巻

若 ( 、尼の歌。これから 生ひ立たんありかも知らぬ若草を 成長してどこに落ち そら 着くよ、つになるとも おくらす露ぞ消えん空なき 分らない若草 ( 幼い かたわ 児 ) を、あとに残し傍らにいたもう一人の女房が、もっともと思って泣きながら、 て行く露の身は、、い がかりで死ぬにも死初草の生ひゆく末も知らぬまに ねない。「消えん空 いかでか露の消えんとすらん なき」の「空」は、 「生きている空もな と言いますうちに、僧都があちらから出て来まして、「ここは外からまる見えでしよう い」などと言う時の はしぢか 「空」と同じ に、今日はまあ、どうしてこんな端近におられるのです。この上の聖の所に、源氏の中 = 、幼いお児が成入な わらわやみ さる行末も御覧にな 将が瘧病のまじないに来ていらっしやるのを、たった今聞きました。たいそう忍んでい らないで、何で死の うなどと思し召すらっしやるので、ここにいながら気がっかないで、お見舞いにも上りませんでした」と のでしよう。「露」 は前の歌を受けて尼言いますので、「それはえらいこと、こんな様子を人が見たかもしれません」と、言い の意に用いた ひかるげんじ うわさ ながら簾をおろします。「近頃噂の高い光源氏を、こういう折に拝まれてはいかがです。 世を捨てた法師の身でも、お姿を見れば世の愁いを忘れ、寿命が延びるような気がする ほどの御器量のお方なのです。どれ、御挨拶を申し上げて来ましよう」と、立ち上るけ ーいがしますので、君はこちらへお帰りになります。可愛い人を見たものよ、それにつ すきもの けても、あの好色者どもがいつも忍び歩きばかりして、ときどき意外な掘出し物をする のは、こういうことがあるからなのだ、たまに出ただけでも、かような思いがけないも すだれ ひじり 165

10. 谷崎潤一郎全集 第25巻

、明石 はめったにお側近くへも参らないで、離れた所にある下屋に伺候しています。実は明け 暮れお顔を拝ましていただきたいので、やきもきしながら、何とかして望みを叶えたい と、神佛にいよいよ祈願を籠めています。年は六十ばかりになりますが、たいそう小ざ がんこ つばりとした、感じのよい老入で、朝夕の動行に痩せさらばい、頑固で老いぼれてはい ますけれども、生れが貴いからでしようか、古いことをも見聞きしていますし、言語動 きれい 作も綺麗ですし、教養のあるところもほの見えますので、昔の物語などをさせてお聞き おおやけわたくし になりますと、少しは退屈もお紛れになります。この年頃は公にも私にもおにしくて、 そんなにもお聞きになる暇のなかった世の故事どもを、ぼつほっお聞かせ中し上げます。 こういう土地へ来てこういう 老人に遇わなかったら、物足りない思いをしたであろうと お思いになるほどにも、興ある話が交ることもあります。人道は、そういう風にお馴染 けだか み中し上げながら、気高いお姿の前へ出ては身がすくむようで、ああは言ったものの、 気が引けて、らにあることを思うようには申し上げられないのが、残念で心もとないと 言っては母君とともに歎くのです。当の娘も、十人並みの程度のものを捜してさえめぼ しい男は見つからないような田舎だのに、世にはこういうおん方もいらしったのだと分 ってみますと、我が身の分際が考えられて、とても及びもっかないことと存じ上げるの でした。内々親たちがもくろんでいる様子を知るにつけましても、とんでもないという かみほとけ ふる′」と しものや 4S1