を看て取って、おはいりになったのではないであろうかとお思いになります。 , 師が立って行ったあとで、 小少将の君を召して、「こういうことを聞きました。何 かあったのだろうか。どうして私には、これこれだと聞かして下さらなかったのかしら。 よもやそんなことがとは思うけれども」と仰せになりますので、お気の毒ながら、一部 しじゅう 始終を初めから詳しく中し上げます。今朝のおん文の模様、宮がほのかにお漏らしなさ れたお言葉などを中し上げて、「年頃ずっと怺えていらっしゃいました胸の中を、お知 らせ中したいとお思いなされただけなのではございますまいか。たいそう御用心なさっ て、夜が明けぬうちにお帰りになりましたが、 人はどのようなことをお耳へ人れました やら」と、律師であるとは気もっかないで、誰かがそっと告げ口をしたのだと思ってい なさけ くちお ます。御息所はものも仰せにならないで、あまりの情なさ口惜しさに、涙をほろほろと おこばしになります。それが、見るからにおいとおしいので、何でありのままに申し上 げてしまったのであろう、そうでなくても御病気でいらっしやるのに、ひとしお御心痛 なさるであろうと、少将の君は後悔するのでした。「襖は締めてございました」と、 つくろ ろいろ取り繕うのですが、「ともかくも、そういう風に何の用意もなく、軽々しく人に お会いになりましたとは、とんでもないことです。内実は潔白でいらっしやっても、あ わらべ あまでにいう法師たちゃ、口さがない童などが、好き勝手なことを言わずにおきましょ こら ないじっ ふすま いちぶ 320
若菜上 います」と言って喜びます。おん方は、人道から来たこの文箱を持たせて、こちらの御 あが 殿へ参上なさいます。春宮からは女御に早くお上りになるようにと、しきりに御催促の お言葉がありますので、「そうおっしやるのもごもっともです。お可愛らしいお方さえ お生れになったのですから、どんなに待ち焦れていらっしゃいましよう」と、紫の上も 仰せになって、そうっと若宮を御参内おさせ由・し上げるように、お心づかいをなさいま みやすどころ 。、明石女御のこと。す。御息所は、容易にお暇がいただけないのにお懲りなされて、こういう折にしばらく 皇子を生んだので、 この称呼を用いるお里にいらっしやりたくお思いなのでした。お歳の行かぬおん身空で、ああいう恐ろし い御経験をなすった後のことですから、少しほっそりと面窶れなすって、たいそう艶な 御様子をしていらっしゃいます。「まだこのように御安心のならないお体ですから、こ ちらで御養生なさいましたら」などと、おん方などはお案じになるのでしたが、大殿は、 「こんな具合に面窶れしていらっしゃいますのも、かえってお可愛らしいものですよ」 などと仰せられます。 対の上などが御自分の御殿へ行っておしまいになりましたタ方、あたりがひっそりと しています折に、おん方はお前へお伺いになって、あの文箱をお見せ申されます。「か ねて願っておりますように、貴い御位にお登りになりますまでは、お目にかけないでお ふじよう くべきでございますが、世の中の不定なことを考えますと、気がかりでございます。万 こが おもやっ 戸 0
イ、御息所 かつけ 脚気が上って来たような」と仰せになって、按摩をおさせになります。いつもそういう 風にひどくいろいろと心配なさいますと、上気せる癖がおありなのでした。少将、「上 にこのことをうすうす中し上げた人がいるらしいのでございます。何かあ「たのかとお 尋ねでございましたので、ありのままに申し上げたのでございますが、おん襖だけは締 まっていたということを、少し言葉を添えまして、はっきりと申し上げておきました。 もしそのようなお話がございましたら、同じようにおっしやって下さいまし」と申し上 げます。歎いておいでにな「たことは申し上げずにおきます。宮はさればこそと佗びし しすく い気持がして、ものも仰せられずにいらっしやるおん枕からは雫が流れ落ちるのです。 今度のことばかりではなく、はからずも故大納言に身を任せてからというものは、どれ ほど母上に苦労をおかけ申したことかと、生きがいもないようにお思い続けになるので あきら すが、この大将の君があれでもまだ諦めないで、何かと言い寄って来たら、どんなに厄 力し 介な、聞き苦しいことがつづくであろうと、さまざまにお考えになります。まして、心 弱くもかの人のロ車に乗りでもしたら、どういう汚名を流すかも知れない、身の潔白を 守「たことがせめてもの慰めではあるものの、自分ほどの高い身分の者が、ああわけも なく人に会う法があるものではないと、宿世の拙さに屈託しておいでになりますと、日 い、塗籠は部屋を土蔵 のように厚い壁で準の暮れ方に、「やはりおいでを願いとうございます」と御催促がありますので、中の塗 あが あんま ったな
タ イ、柏木の死後三年に なるのである うお附きの人々と物語などをなさいまして、「こうしてお伺いいたすようになりまして よそ まだにひどく餘所々々しいおも からも、もう何年と申してよいほどになりますのに、、 御挨拶を人づてに申し てなしをなさいます恨めしさ。かような御簾の前で、たよりない一 上げますなどは、ついぞ経験したこともございません。まあ何という古めかしい遣り方 かと、皆さんがお笑いになりはせぬかと、恥かしく思います。もっと年も若く、官位も 低くて身軽に振舞えました時代に、色「ぼい方面のことに馴れていましたら、こう初心 いちず 全くこのように正直一途に、何年も馬鹿々々しく辛 らしい気おくれはしないでしよう。 抱している人間は、め「たにいないことでしようね」と仰せになります。その御様子が いかにも真面目でいらっしゃいますので、さればこそと、「なまなかな御返事を中し上 なげ げては恥かしいことで」と、女房たちは突っつき合って、「こうまでお歎きになってい らっしゃいますのに、おん答えをなさいませんのも、ものが分らぬお仕打ちのようでご ざいます」と、宮に申し上げますと、「母上がじきじきに御挨拶をなさいませんのが失 礼でございますから、代ってお相手を申すべきなのでございますが、病人の苦しみよう があまり激しゅうございましたので、看護に疲れてしまいまして、人心地もいたしませ んままに、よう中し上げません」と仰せ出されますので、「これは宮のお言葉でござい ますか」と、男君は居ずまいを直して、「御息所の御病気を、身に換えてもと存ずるほ まじめ 305
イ、雲井の雁 。、柏木の霊の歌。竹 に吹き寄る風のよう に、同じことなら ば、この笛の調べを け 気の多い賑やかさを、先刻のあたりの物静かさに思い合わせますと、まるきり感じが違 っています。君はその笛をお吹きになりながら、今頃あちらでは、自分が帰ってしまっ たあとで、どんなに物思いをしておいでであろう、あのお琴などを、調子を変えずに 弄んでおいでになるであろうか、そういえばあの御息所も和琴が上手であるのに、な どと思いを馳せつつお臥せりになります。い「たい故人は、うわべだけは大切にもてな してお上げになりながら、なぜ心からいとしゅうなさらなかったのであろうと、それに いぶか つけても訝しくお思いになります。が、ひょっと、お目にかか「て見劣りのする御器量 であったらお気の毒なことだ、誰に限らず、この上もなく評判のいい人には、きっとそ ういうことがあるものだからなどと思いますと、御自分たちの御夫婦仲が、これまで浮 いさカ むつ 気沙汰から諍いを起した覚えもなく、睦み初めてから長年の間連れ添うて来たことを考 えますのに、妙に女君が増長して、威張る癖がおっきなされたのも、不思議はないとお 感じになるのでした。少しとろとろとなすった夢に かの衛門督が、そっくりあの時の 白い袿姿で、傍らにいて、この笛を取って見ています。夢の中でも、亡き人がこの笛に 執着があって、音を尋ねて来たのだと思うのでしたが、 「笛竹に吹きよる風のことならば すゑの世ながきねに伝へなん てあそ にぎ かたわ 272
若菜下 いますと、それを見咎められまして、お盃を取らせてあまたたびお強いになりますので、 当惑しきってもてあましている有様が、普通の人に似ず美しく見えます。 おんあそび 心も掻き乱れてたまらなくなりましたので、まだ御遊の中途ながら退出して帰ります と、ひどく苦しくなって来ました。いつものように恐ろしく酔っているのでもないのに、 おく どうしてこう厭な気持がするのであろう、心が臆していたために上気せたのであろうか 自分はそんなにまで意気地なしではないつもりだのに、何という腑甲斐なさかと、我な がら思い知られるのでした。一時の酔いのために気分が悪くな「たのでもないのでした。 そのまま重い病人になってお患いになります。父大臣も母北の方もえらくお騒ぎになっ 、落葉の宮の御殿にて、離れていては心配であるからと、御自分たちのお邸 ~ お移し申し上げますので、女 いたのを、父大臣の 方 ~ 呼び寄せるので宮のおん歎きは堺の見る眼も傷わしいのです。男君も、何事もなく暮していた間は、い ある つかは分「ていただける時も来るであろうと、のんきに、あてにならぬことをあてにば 、落葉の宮 これが永のお別れにな かりして、さほどいとしくもしてお上げになりませなんだのに、 る門出かもしれぬと思いますので、しみじみと悲しく、あとに残「てどのように力をお 、落葉の宮の母落しになるであろうと、も「たいなく思うのです。母御息所もたいそうお歎きになりま して、「世間の例から言いましても、親はやはり親としてお立て申して、御夫婦の間は どういう時でも離れないようになさいますのが普通です。こう別れ別れになられまして 211
若菜上 イ、女三宮 かしこま なお座敷なのですが、おん方はいつも遠慮がちの御様子で、むやみと長っておいでにな るのでした。 あいきよう この入道の文は、言葉づかいがいやに無骨で、愛嬌のないものなのを、年数が立って、 みちのくにがみ 黄色くなって、ぶくぶくしている五六枚の陸奥紙の、さすがに香が非常に深く薰きしめ てありますのへ、したためておありになります。たいそうあわれにお感じになりまして、 ひたいがみ おん額髪がだんだん涙に濡れて行きますおん横顔が、いかにも上品で艶に見えます。院 ふすま は姫宮のおんもとにおいでになりましたが、中のおん襖から不意にこちらへお渡りにな みきちょう りましたので、おん方はその文を隠す暇もなく、御儿帳を少し引き寄せて、自分の身ご とお隠れになりました。「若宮はお眼ざめになりましたか。ちょっとの間も恋しいもの ですね」と仰せになりますと、御息所はおん答えもなさいませんので、おん方が「対の 上にお渡し申し上げました」と申し上げられます。「それはけしからぬ。あちらでは宮 ひとじ を独り占めにして、懐を放さずちやほやして、自分の酔狂から着物をすっかり濡らして は、着換えてばかりいるそうな。なぜそう軽々しくお渡しになるのです。あちらからこ ちらへ出向いて、お会い申されてこそしかるべきです」と仰せになりますので、「それ はあんまり気がお狭いと申すものでございます。女のお子でいらっしゃいましてさえ、 あちらが面倒を見て下さいましたら、こんな結構なことはございません。まして男のお ふところ
自分たちの荷まとめをしまして、それぞれに、櫛、手箱、唐櫃と、いろいろの品物を、 どうせつまらない袋のようなものですが、残らず先に送り出してしまいましたので、び とりあとにとどまり給うべくもないので、泣く泣く御車にお召しになりながらも、ひと えにあたりにお心が惹かれ給うて、そういえばこちらへお越しになった時に、御容態の ぐしか 悪い母御息所が、苦しい中にもお髪を掻き撫でてお上げになったり、御車からお下し申 したりなさったことを思い出し給うと、眼も掻き曇って何も見えません。おん守刀に添 えて経箱を参らせてありますのが、お側離れず置いてありますのを御覧なされて、 この形見の経箱を 恋しさの慰めがたきかたみにて 見ても、亡き母恋し さの田 5 いは慰めよう なみだにくもる玉のはこかな もなく、涙のみ流れ ちょうど てせつかくの美しい まだ黒塗の調度がお間に合いになりませんので、亡きおん方が使い馴らしていらしつ らでん すきようふせ 箱も十分に見られな いことよ。「かたみ」た螺鈿の箱なのでした。それは誦経の布施にするつもりでお拵えになりましたのを、母 かたみ は「筐」で、「形見」 上のおん形見としてお留め置きになったものなのでした。ほんに浦島の子のような心持 にかけてある 喪中の調度は無地 、がなさいますでしよう。 の黒漆のものを用も ひとけ るのが本来である お着きになってごらんになりますと、御殿のうちは陰気な感じなどはなく、人気が多 くて、何だか様子が変っています。御車を寄せても、住み馴れた我が家へ帰って来たと はお思えになれず、疎ましい、気味の悪い気持がなさいますので、すぐにはお下りにな からびつ こしら お 35 7
それでなおさら皆がさまざまにお賺し申し上げますので、しようことなく人々が奉る晴 れやかなおん衣どもにお召し換えなさりながらも、我にもあらぬおん心地で、かくても そ 一途に剃り捨てたくお思いになるおん黒髪に櫛を人れてごらんになりますと、少し毛が よそめ お減りにな「たとはいえ、いまだに六尺ほどもあって、なかなか餘所目にはお見事に存 じ上げるのです。でも御自分のお心では、まあ何という衰え方であろう、こんな姿でど うして人に逢えるものか、何やかやと心配事の多い体でとお思いつづけになりまして、 またしても横におなりになるのでした。「時刻が過ぎました。夜も更けるでございまし よう」と一同は騒ぎます。時雨がたいそうあわただしく風に交って降り出して、よろず のものがうら悲しいので、 イ 1 自分も母御息所の のばりにし峰の煙にたちまじり 荼毘の煙に打ち交り つつ空に立ちのば 思はぬかたになびかずもがな り、思いもかけぬお 人の心に従いたくな 御自分だけはぜひにと思っておいでになるのですけれども、近頃は皆が用心をして、 いものよ。「のばり はさみ にし峰の煙」は母御おん鋏などのようなものは一切隠して、人が見守っておりますので、何もそのように案 息所の火葬の煙のこ と。「なびく」は煙じないでも、自分のようなどうな「ても構わない身が、何の人騒がせに、子供らしく内 かみき の縁語 証で髪を剪ったりしようぞ、人が聞いても厭に意地っ張りらしく感じるであろうものを とお思いになりますと、本意のようになさるわけにも行きません。女房たちはさっさと あ しぐれ すか からだ 356
のでございますから、ましてこういうおん身には、そう無造作に人がお近づき申し上げ るわけのものではございませんのに、らずも好ましからぬ御縁がお出来になりました のを、この年ごろも気に病んでおりながら、これもそういうお約東事なのであろう、第 一に院がお許しになりまして、あちらの父大臣にもそんな御内意をお漏らしなされまし たのに、自分ひとりが強情を張るのもどうであろうかと、我を折りました次第でござい ましたが、かの人に先立たれておしまいになりまして、末の世までも御不運なおん有様 、身の憂きを世の憂になられましたのは、御自分のおん過ちではないのでございますから、ただ大空を怨み きとのみながむれば いかに大空くるしかながら月日を送って参りましたのに、人のためにも、御自分のためにも、いろいろ聞き るらん〔河海抄所 ひとさま 引〕 にくいことが出来て参りそうなのは、何としたことでございましよう。それも、人様は ロ、タ霧のこと どのように言われ給うとも知らぬ顔をして過すとしまして、せめて世間並みの御情愛さ えありましたら、自然長い間には慰められることもあろうと存じておりましたが、この 上もなく薄情なお心の方なのでございますね」と、愚痴を言い言いお泣きになります。 いちすひと 宮は母上が一途に独りぎめをして仰せられますのに、抗争うて中し開きをする言葉も なく、ただお泣きになっていらっしゃいますのが、おっとりとして可愛らしいのです。 御息所はその有様を見守りながら、「てもまあ、何一つ人に劣ったところはおありにな りませんのに、どういうおん宿世で、容易ならぬ御苦労を遊ばすようにお生れになった あやま ぐち あらご 334