を看て取って、おはいりになったのではないであろうかとお思いになります。 , 師が立って行ったあとで、 小少将の君を召して、「こういうことを聞きました。何 かあったのだろうか。どうして私には、これこれだと聞かして下さらなかったのかしら。 よもやそんなことがとは思うけれども」と仰せになりますので、お気の毒ながら、一部 しじゅう 始終を初めから詳しく中し上げます。今朝のおん文の模様、宮がほのかにお漏らしなさ れたお言葉などを中し上げて、「年頃ずっと怺えていらっしゃいました胸の中を、お知 らせ中したいとお思いなされただけなのではございますまいか。たいそう御用心なさっ て、夜が明けぬうちにお帰りになりましたが、 人はどのようなことをお耳へ人れました やら」と、律師であるとは気もっかないで、誰かがそっと告げ口をしたのだと思ってい なさけ くちお ます。御息所はものも仰せにならないで、あまりの情なさ口惜しさに、涙をほろほろと おこばしになります。それが、見るからにおいとおしいので、何でありのままに申し上 げてしまったのであろう、そうでなくても御病気でいらっしやるのに、ひとしお御心痛 なさるであろうと、少将の君は後悔するのでした。「襖は締めてございました」と、 つくろ ろいろ取り繕うのですが、「ともかくも、そういう風に何の用意もなく、軽々しく人に お会いになりましたとは、とんでもないことです。内実は潔白でいらっしやっても、あ わらべ あまでにいう法師たちゃ、口さがない童などが、好き勝手なことを言わずにおきましょ こら ないじっ ふすま いちぶ 320
イ、今様色は紅 つれ ら、どんなに嬉しゅうございましたでしよう。情なくも私をお捨てになって、御出家な されましたとは」と、涙ぐんでお恨みになります。日ごとにお越しなされまして、今こ そ御大切に、限りもなくおもてなしになります。おん五十日にはお祝いの餅をお上げに なるのですが、母宮が尼君でいらっしやってはと、女房たちが計らいかねていますと、 院がお渡りになりまして、「何の、女の子ならばこそ、女親の出家は縁起が悪いという みなみおもて こともあるが」と仰せになって、南面に小さい御座などを設けて、参らせられます。た いそう花やかに装束をつけたおん乳母たちは、お前の召し上りもの、いろいろに趣向を 凝らした籠物や檜破子などを、深い事情を知らないことですから、御簾の内でも外でも、 何の心もなく遠慮なくいただいているのでしたが、大殿はひどく苦々しく、照れ臭くお 感じになります。宮も起きておいでになりましたが、お髪の先がう「とうしくひろがっ ていますのをうるさそうになさりながら、額などを撫でつけていらっしゃいますので、 儿帳を引きのけておすわりになりますと、ひどくきまり悪そうに顔を背けておられます。 お産の前よりは一層痩せていらっしやるのですが、お髪などはお傷わしさにわざと長め うしろ に削ぎましたので、後つきは尼ともお見えにならないほどです。つぎつぎに重な「て見 いまよういろうわぎ える鈍色のおん衣どもに、黄色がちな今様色の表着などをお召しなされた、まだしつく りとお体につかないお姿が、今でもどこか可愛らしい子供のようで、やさしくお綺麗で にびいろ こものひわりご めのと そむ もちい きれい 242
若菜下 いうものがありまして、あちらの院がお口に出して御懇望になりましたのに、それと肩 を並べて邪魔立てすることがおできになるような、御身分と思し召していらっしやった えら のでしようか。この頃でこそ、少しお偉くなって、おん衣の色も濃くおなりになりまし くちごわ たけれども」と、取りつく島もないようにつけつけと言ってのけますロ強さに、それか ら先は言いたいことも言えなくおなりなされて、「ではよろしい。過ぎ去ったことは申 しますまい。しかしこのようなめったにない折に、お側近い所で、この胸の中にあるこ との片端をでも、少し申し上げることができるように計らって下さい。大それた心なん かがあるかど、つか、まあ見ていらっしゃい、 とても恐ろしいことですから、全然念頭に ありはしません」と仰せられますと、「これ以上に大それた心がどこにありましよう。 とんでもないことをお考えっきになりました。いったい私は何のためにお伺いしました のやら」と、頭から撥ねつけるのです。 おおげさ 「まあ聞きづらい。えらい大袈裟な言い方をなさるのですね。男女の仲は分らないもの で、女御や后でも次第によっては、ひょんなことがおありになるではありませんか。ま してあのおん方のおん有様は、類なくめでたくていらっしゃいますけれども、内実はき っと御不満なことも多いでしよう。院の御子たちが大勢いらっしゃいました中でも、取 り分け大切にされつけていらっしゃいましたのが、あのように御身分なども劣っておら わたくし 163
みけしき 似つかわしいように思し召されて、お許しになる御気色などがございましたので、それ なら自分の考え方が足らなんだのだと考え直しまして、お逢わせ申し上げましたのカ こう夢のようなことになりましたにつけて思い合わせますと、同じことならあの時に我 を張りまして、もっと強くお逆らい申せばよかったものをと、自らの心弱さがいまだに 悔まれてなりません。それも、かように早死にをなさいましようとは思わなんだからで おんなみこ ございました。いったい女御子というものは、何かよほどの場合でなければ、善くも悪 しくもこんな具合に御縁づきになりますことは奥床しからぬことと、旧弊な頭では考え ておりましたが、どっちつかずな、おん身の置きどころもない不運なおん宿世でいらっ しゃいますなら、 いっそこういう折に同じ煙と消えておしまいになりました方が、おん 身のためや世間体などを考えましても、格別悪いことでもございますまいか。そうかと いって、そうきつばりとはよう田 5 い切れませんし、おいとおしく存じ上げておりました ところ、かように忝なくたびたびお見舞い下さいまして、お礼の申しようもございませ んが、それでは御臨終の折にそんなお約東があったのだと、実はそれほど情愛がおあり ごゆいごん のようにも見えませなんだのに、、 もまわの時誰彼にことづけておおきになった御遺言の ほどが身にしみます。悲しい中にも嬉しいことは交るものでございますね」と仰せにな って、たいそう激しくお泣きになるけはいです。大将もとみには涙がお止まりになりま くや 25 0
い明らめますのも、たいそうなようにお感じになります。そうかといって、それほどで もない普通の僧侶では、ただ戒律を守っているという有難味があるだけのことで、態度 なまり が卑しく、言葉に訛があり、無作法に馴れ馴れしくて、感じがよくありません。昼は公 まくらがみ の御用が多くておにしいことですから、物静かな宵の間に、お側近く、おん枕上などに 召し人れてお語らいになりますのにも、そういう相手ではどうしてもむさくるしくて気 、、たいたしい様子をしていらし が進まないものですが、この宮はまことに品位があり たとえ って、ロになさるお言葉も、同じ佛のおん教えながら耳に人りやすい譬を引いたりなさ いまして、非常に深い御造詣があるのではありませんまでも、高貴な人はやはり常人と はものの理解が違っていらっしやることですから、だんだん親しくおなりになるにつれ まして、始終お側を離れにくくなりまして、御用のためにしばらくお会いになれなかっ たりしますと、恋しくお思いになるのです。 中将の君がそんな具合に尊敬していらっしゃいますので、冷泉院からも常におん消息 などをお上げになりまして、年頃ほとんど世の噂にお上りになることもなく、ひっそり としていましたおん住家にも、ようよう人が出人りする折々があります。時にふれて院 ていちょう からも鄭重なおん見舞いがあり、またこの君も、まずこれという折ごとには風流なこと みとせ にも、暮し向きのことにも、お志をお見せ中されるという風で、三年ばかりの月日が過 すみか うわさ 535
おうよう んの一行ながら、鷹揚に、文句もなっかしみがあるようにお書きになりましたので、 あこが よいよお筆のあとに憧れて、もっとおん文をお貰いになりたさに、しげしげとお便りを お上げになります。 この調子ではやはりしまいには何事かおありになるであろうと、北の方が推量してい らっしゃいますのがうっとうしいので、お伺いしたいとお思いになりつつも、急にはお はづぎ 出ましになるわけにも行きません。八月の二十日頃ですから、野べのけしきも面白い時 なにがし 分なので、びとしお山里のおん有様の見まほしさに、「某の律師が珍しく山から下りて 来られたので、ぜび話したい用事がある。御息所が御病気でいらっしやるのもお見舞い こしら がてら行って来よう」と、普通のおん訪いのように言い拵えてお立ち出でになります。 かりぎぬすがた ごんく 御前駆もことごとしくなさらないで、親しい者ばかり五六人ほど、狩衣姿でお供をしま けわ す。大して深い山道ではないのですが、松が崎あたりの丘の色なども、嶮しい巌の景で すき はありませんけれども、さすがに秋の気分が添うて、都に二つとないような数寄を凝ら した家居よりは、やはり風流さも面白さも勝「て見えます。ほんのちょっとした小柴垣 も雅致があるように作「てありまして、仮初ながら品よく住まいしていら「しゃいます。 ひさしま はなちいで " 、母屋から張り出し寝殿と覚しい御殿の東の放出に修法の壇を設けて、御息所は北の庇の間にいらっしゃい タて建て増した部屋 ますので、宮は西おもてにおいでになります。おん物怪がうるそうございますからと、 ニ、雲井の雁 とふら かりそめ まさ いわお 303
チ、「枝よりもあだに 「さくら花にほびあまたに散らさじと 散りにし花なれば落 ちても水の泡とこそ おほふばかりの袖はありやは なれ」〔古今集〕を 踏まえた歌。私たち心が狭そうに見えますこと」などと言い貶します。 の方に心を寄せて、 池の右側 ( 汀 ) に落そういううちにも月日がはかなく過ぎて行きますので、行く末のことが案じられて、 ちる花よ、水の泡とかん な。て浮かんだ後も尚侍の君はさまざまにお考えになります。院からは毎日のようにおん消息があります。 こちらへ寄って来る 女御からも、「何かこちらを疎んじておいでになるのでしようか。お上は私が間にいて がよい。「みぎは」 は「汀」に「右」が 邪魔をしているのであろうと、憎らしそうに仰せになりますのが、お戯れにしましても かけてある 大空の風に吹かれ辛いのです。同じことなら近いうちに思い立って下さい」などと、ひどく熱、いに仰せら て四方八方へ散って 行きますけれども、 れます。やはり御縁があるのであろう、こうまで強く仰せられるのも恐れ多いことだな この桜の木は私たち のものにな「たのでどと、尚侍の君はお思いになります。おん調度などはすでにいろいろと調えておありに すから、散らばった 花びらを皆掻き集めなることですから、女房たちの衣裳だとか、そのほかこまこましたお支度をお急ぎにな て眺めましよう ります。これを聞くと蔵人少将は、死にもしそうに思い詰めて、母北の方をお責め申し イ、「大空におほふばますので、北の方は当惑なされて、「このようなお恥かしいことをお願い申しますのも、 かりの袖もがな春咲 く花を風にまかせ子を思うゆえの愚かな迷いからでございます。親心というものがお分りになっていらっ じ」〔後撰集〕を踏 まえた歌。いくら御しゃいましたら、どうかお察し下すって、当人の気の安まるように計らってやって下さ 自分たちの桜の花だ からといって、その 、まし」などと、たいそう可哀そうなことを書いてお寄越しになりますので、「困った つら けな ととの 492
ので」などと、口上で仰せ給うて、 イ 自分の肚をいとう 世をいとふ心は山に通へども 、い持は、あなたの住 んでおられる字治の やヘたっ雲を君やヘだつる 山奥まで通じるけれ ども、体がそちら ~ 阿閣梨はこのお使いのお供をして、かの宮のもとへお伺いします。それほどでもない 行くことができない のは ( 出家すること世の常の人の使いでさえ、め「たに訪れることもない山蔭へ、珍しいおん消息を下さい さかな ができないのは ) 、 あなたが幾重にも湧ましたのをお喜びなされて、所にふさわしい希などを調えて、山里らしいおもてなしを き立っ雲を間に設け なさいます。おん返し、 て、私を隔てておら れるせいであろうか 跡たえて心すむとはなけれども この世と全く縁を 切って心しずかに行 世をうぢ山にやどをこそかれ い澄ましていると、 うほどではありませわざと佛道修行のことは卑下なす「て、こういう風に申し上げ給うので、やはり世の んが、ただ世の中を 憂きものと観じて、中に未練がないことはないのだなと、院はいとおしゅう御覧になります。 この宇治山に仮の住 居を営んでいるので阿閣梨は、中将の君が道心深そうにしていらっしやることなどを申し上げて、「『法文 す。「世をうぢ山」 の「う」は、「字治」などの心を知りたいという望みは、幼い時から切に抱いていたのですが、出家するまで の「宇」に「憂」を おおやけわたくし ひびかしてある の決心もっかず世に交りつつ、公私の勤めにかまけて明かし暮しております。どう せ取り柄のない身でございますから、家に閉じ籠「て法文を習い読みましたり、世捨人 らしく振舞ったりいたしますことも、誰に遠慮をする必要はないようなものの、ただ ととの ほうもん 532
ましても、「あの頃はまだたわいがなく、心もとない様子でしたが、立派に成人したよ さんみのちゅうじよう うですね」などと、お「しやっておいでになります。少将であった人も、三位中将と やら言われて、世間の評判も悪くありません。「顔だちまでが、あの時分から中し分の ない方でしたね」などと、生意気な奉公人どもは、そ「と蔭口をきいたりしまして、 「気がねの多い今のおん有様よりは」などという者もありますので、母君の立場はお気 の毒に見えるのでした。 ひだりのおとど この左大臣はここ この三位中将は、いまだに思い初めた心を断たず、憂くも辛くも感じながら、左大臣 ひたち にだけ名の見える人 で、物語の主要人物の姫君と縁組をしましたけれども、それには大して心を惹かれず、「道の果てなる常陸 たちとの関係は分らおび 帯の」と、手習いにも口癖にもしていますのは、どんな考えがあ「てのことなのでしょ 「藤袴」四〇四頁 うか。御息所は気骨の折れる御奉公のむずかしさに、お里にばかり退「ていらっしやる 頭注ホ参照 ようになりました。前の尚侍の君は、計らってお上げになったことが巧く行かないおん くちお 有様なのを、口惜しくお思いになります。内裏へお上りにな「た姫君は、かえ「て花や かに、気楽にして、いかにも風流で、奥床しいとの評判で仕えていらっしゃいます。左 ニ、タ霧が左大臣にな 「たことは「紅梅」大臣がお薨れになりまして、右大臣が左大臣に、藤大納言が左大将を兼ね給うて右大臣 河四五七頁にもあ「た ま紅梅。按察大納言におなりになります。次々に人々が昇進しまして、この薫中将は中納言に、三位の君は 竹であ「たのが右大臣 になっている 宰相になりまして、お喜びのお祝いをなさいましたが、いずれも御一族の方々ばかりで、 513
可愛らしいお子たちが寄っていらしって、纒いっきながらお遊びになります。女君は、 、、、ま、っていらっしゃいましても振り向こ、つ 帳の内に横になっていらっしゃいます。殿カ ( も ともなさいません。拗ねているのだなと、それも道理とお思いになるのですが、わざと 引け目をお見せにならず、おん衣をお払い除けになりますと、「ど一 ) と思「てお越しに いっそほん なりました。私はとうに死んでいます。いつも鬼々とおっしゃいますから、 とうに鬼になってしまおうと思って」と仰せになります。「お心は鬼以上でいらっしゃ いますが、お顔はこんなにあどけないのに、どうしてこれが見捨てられましよう」と、 何気ない風に言い紛らわされるのですが、女君は腹立たしくて、「お綺麗で婀娜めいて いらっしやるおんあたりとは、とても御一緒になれる私ではございませんから、どこへ なりと行ってしまいます。もう決して、こんな女がいたなどとも思い出して下さいます くちお な。そ、つとも知らずこの年月を過しましたことさえ、口惜しゅうございますものを」と、 じようき お起き上りになります様子が、たいそう愛嬌があって、つやつやと上気していらっしゃ いますお顔色の美しさ。「こういつもいつも、子供のように怒ってばかりいらっしやる すごみ こわ せいか、もうこの鬼は見馴れて、恐くなくなりました。もっと鬼らしい凄味がほしいも のですね」と、冗談にしておしまいになりますと、「何をおっしやる。さっさと死んで しやくさわ 下さいまし。私も死にます。見れば憎らしいし、聞けば癪に触るし、見捨てて死ぬのは わたくし まと あだ 364