きんだち ごさんけい 次第なのでした。当日には公達なども、昔の御縁をお忘れにならずに御参詣なさいます。 ずきよう 誦経など、大臣からも厳めしくおさせになります。おん方々もいずれ劣らず供養をなさ いますので、世に時めく人の法事にも劣らないような儀式でした。宮はその後も山里に 籠って、住み果てようと思い立っていらっしゃいましたが、誰かがそっと院のお耳へお 入れ申し上げますと、「とんでもないことです。なるほど、いろいろの入に身をお任せ になるべきではありませんけれども、世話をしてくれる者もなくて、なまなか尼などに なられて、いやな浮名が立ったり間違いなどをしでかしたりなされたら、この世も、後 の世も、どっちつかずになって、忌まわしい悪名を負わなければなりません。こうして 私が佛門にはいっていますのに、三宮がまた同じように姿を変えておいでなので、私の 子たちは皆出家するのだと、人が思うことでしようが、世を捨てた身がそんなことを気 に病むには及ばないながら、必ずそうしなければならないことのように、競争なさるの も困りものです。世の中が辛いからといって出家をするのは、決して体裁のいいもので はありません。何か悟るところがあった上で、今少し落ち着いて、心を澄ましてからこ そ、ともかくもなすった方が」とたびたび申してお寄越しになるのでした。それも大将 殿との色っぽいお噂をお聞きになったからなのでしよう。そしてそういうことが、うま く運ばないところから世をお厭いになるのだと言われるようにおなりになるのを、案じ 35 3
ので」などと、口上で仰せ給うて、 イ 自分の肚をいとう 世をいとふ心は山に通へども 、い持は、あなたの住 んでおられる字治の やヘたっ雲を君やヘだつる 山奥まで通じるけれ ども、体がそちら ~ 阿閣梨はこのお使いのお供をして、かの宮のもとへお伺いします。それほどでもない 行くことができない のは ( 出家すること世の常の人の使いでさえ、め「たに訪れることもない山蔭へ、珍しいおん消息を下さい さかな ができないのは ) 、 あなたが幾重にも湧ましたのをお喜びなされて、所にふさわしい希などを調えて、山里らしいおもてなしを き立っ雲を間に設け なさいます。おん返し、 て、私を隔てておら れるせいであろうか 跡たえて心すむとはなけれども この世と全く縁を 切って心しずかに行 世をうぢ山にやどをこそかれ い澄ましていると、 うほどではありませわざと佛道修行のことは卑下なす「て、こういう風に申し上げ給うので、やはり世の んが、ただ世の中を 憂きものと観じて、中に未練がないことはないのだなと、院はいとおしゅう御覧になります。 この宇治山に仮の住 居を営んでいるので阿閣梨は、中将の君が道心深そうにしていらっしやることなどを申し上げて、「『法文 す。「世をうぢ山」 の「う」は、「字治」などの心を知りたいという望みは、幼い時から切に抱いていたのですが、出家するまで の「宇」に「憂」を おおやけわたくし ひびかしてある の決心もっかず世に交りつつ、公私の勤めにかまけて明かし暮しております。どう せ取り柄のない身でございますから、家に閉じ籠「て法文を習い読みましたり、世捨人 らしく振舞ったりいたしますことも、誰に遠慮をする必要はないようなものの、ただ ととの ほうもん 532
・こんぎよう イ、とつ国は水草清しそのタベまで『水草清き』山の奥で勤行をいたそうと存じまして、引き籠るのでござい 事しげきあめのした にはすまぬまされりま亠丿 〔古今著聞集、玄賓 僧都人山の時の歌〕 光いでん暁ちかくなりにけり 光明のさし出ずる 暁が近くなりまし いまぞ見し世の夢がたりする」 た。私の願望も満た と、そう書いて、月日が記してあります。 されようとしていま す。今こそ昔見た夢 「私が何月何日に死んだということも、決して知ろうとなさいますな。昔から世の習わ の物語を申し上げま す。「光いでん暁」 しになっております喪服なども、何でお召しになるほどのことがございましよう。ただ とは春宮が位につ へんげ き、明石の姫君が国 あなたのおん身は佛神の変化であるとお思いになって、この老法師のためには功徳を作 母となって栄える時 をい、つ って下さりませ。この世の楽しみをお尽くしになりますにつけても、後の世をお忘れな さいますな。願いの通り極楽にさえ生れることができましたら、必ず再び対面の折もご ざいましよう。娑婆世界の外にある、彼の岸に到り着いて、早く互いにあい会おうとお 思いになって下さい」 じんふばこ そして、あの住吉の社に立てた数々の願文どもを、大きな沈の文箱に封じ込めて差し 上げられました。尼君には別段のことも書きません。ただ、「この月の十四日に草の庵 を立ち離れて、深い山奥にはいります。生きていても役に立たぬ身は、熊狼にでも施し てやりましよう。あなたはまだ世にながらえて、思い通りの時節に廻り遇って下さい 0 いおり
イ、「柏木が亡くなっ てからは」という意 ございます」と仰せになりますと、「その琴の緒がきれてしまいましてからは、お小さ い時にお習いになった名残りをさえ、思い出せぬようにおなりなされました。院のお前 で、姫宮たちがとりどりにおん琴どもを試み給うた折などにも、この道にかけては相当 におできになりますよ、つに、 御批判があったくらいでございましたが、今では別人のよ 浅茅生の小笹が原うに物忘れをなさいまして、ばんやりとしていらっしゃいますので、『世のうきつまに』 におく露ぞ世のうき つまと思ひみだるるというような風にお見えになります」と申されますので、「そのお気持もほんとうにお 〔伊行釈所引〕 恋しさの限りだに 道理でございますね。『限りだにある』」とお歎きになりまして、琴を片寄せられますと、 ある世なりせば年経 てものは思はざらま「それならその音があなたのお声に伝わるものかどうか、聞き分けることができますよ し〔古今六帖〕 うに、あなたがお弾き下さいまし。このくさくさして沈んでおります気持だけでも、ど んなにせいせいいたしますやら」と仰せになりますので、「御夫婦の中の緒にこそ格別 な伝えがおありになるでございましよう。それをこそ承りたいと申したのでございま す」と、御簾のあたり近くへお琴をお寄せになるのでしたが、とみには御承引なさるは ずもありませんので、強いてはお願いにもなりません。 月が上って、曇りのない空に、羽打ちかわす雁がねが列を離れずに飛んで行く声を耳 うらや になさいましては、宮も羨ましくお聞きになることでありましよう。風が肌寒く、もの そう ほの あわれなのに誘われて、箏のことをいとも仄かにお掻き鳴らしになりますのが、奥深も あが 、、は お 268
方であらせられるのがお傷わしいような」と、明石の上はそんな蔭口をおききになりま すにつけても、つくづく自分は仕合せな宿世であるとお感じになるのでした。ゃんごと ない姫宮でさえ、御自分のお好きなようにはなれない世に、まして自分などはお附合い も願えるわけはないのですから、もうこれ以上何の不足を言うところもありません。た だあとを消して山の奥へ行ってしまった父人道の上を偲びますと、それだけが悲しく心 やしゆたら イ、「耶輸多羅が福地細いのです。尼君もいっぞやの文の中に、「福地の園に種を蒔いて」というようなこと の園に種蒔きてあは ん必ず有為の都に」が書いてあったその一言を頼みにしまして、後の世での再会を思いやりながら案じ暮し という古歌にもとづ ルているとい、つ ておられるのでした。 ロ、タ霧 大将の君は、この姫宮のおんことを、心にかけていないでもありませなんだのに、今 女三宮 はそのお方がつい眼の前に住んでいらっしゃいますので、どうもただならぬ気持がする のです。一通りの御機嫌伺いのようにして、しかるべきおりおりにはこちらの御殿へも おうよう 参り馴れ、自然と御様子などを見たり聞いたりなさいますと、ただもう若く、鷹揚でお ためし いでになる一方で、表むきの儀式は厳めしく、世の例にもなりそうにかしずかれていら っしゃいますけれども、そう際立って奥床しい風情も見えません。女房なども年輩の人 は少くて、ひとえに花やかな、浮き浮きとした若い美しい人たちばかりが 、大勢数知れ ぬほど集って伺候していまして、気楽そうにしているのですが、すべてしとやかで落着 な ふぜい しの 4
隠 この巻は「雲隠」と いう巻の名だけあっ この て本文はない。 前の「幻」とこの後 の「匂宮」との間に 八年が経過してい て、光源氏がその間 に世を去っている 雲隠 がくれ 433
ているのに気を許して、深い本意の片端だけでも遂げずにしまうようなことではと、そ う考えて決心をしたのです。しかし出家をしたところで、この先いくらも生きられない かんじゃくぎようがい ようであったら、修行の志を果すこともできないであろうが、まず仮にでも閑寂な境涯 にはいって、せめて念佛だけでもと思っています。病がちな身で世にながらえているの は、ただこの願いに引き留められて来たのだということも、分っていないわけではあり ませんのに、 今日まで動めをしなか「た懈怠だけでも、心が安からず思われて」と仰せ になって、かねがね考えておいでになった後々のことなどを、詳しく仰せられますつい でに、「姫宮たちを大勢あとに残しておきますのが気にかかります。中でも、ほかに頼 む人のない宮のことが、一番案ぜられて苦になっております」と、そうは「きりとも仰 せ出されないでいら「しやる御様子を、おいたわしく御覧になります。 六条院も、さすがにお心の中では宮に気を惹かれていらっしゃいますので、それなり にはお過しになりにくくて、「 いかにも、やんごとないおん方は、普通の身分の者にも 増して、親身にお世話申し上げる人がなくては、不都合な次第でございます。春宮がこ いまどき あめした うしておいでになりますのを、今時の世にはもったいない儲けの君と、天が下の民草ま ひとこと でも頼もしく存じ上げておりますので、ましてこちらからの仰せごととあれば、一事と しておろそかにはなさりますまいし、お行く末のことなどは何の御心配もいらないわけ やまい もう
若菜下 ごらんになりますと、いろいろ大層なことどもを書いた願文がはいっているのでした。 つもきまって、遠い末の世のことまでも加えて祈っていました 毎年の春秋の神楽に、い がん 願などは、なるほど今のこの御威勢でなければ、とてもお果しになれそうなこととも思 えないのでした。筆蹟はただ走り書きをしたという趣に見えながら、学識があって、し ほとけかみ つかりしていて、佛神も御受納なさりそうなはっきりした言葉づかいなのです。あの山 伏の世捨て人が、どうしてこんなことを考えついたのであろうかと、哀れにも分不相応 ひじり にも感じながら御覧になります。しかるべき因縁があって、昔の世の聖などが、仮に今 の世にしばらく形を変えて来たのかなどと思い廻らすと、ますます人道を軽くお思えに はなれないのでした。 ものもう がんほど 今度はその人道の願解きということは表向きになさらず、ただ御自分のおん物詣でと してお立ち出でになります。あの浦づオ こ、に須磨や明石をさすろうた時分に、多くの願 をおかけになりましたのは、皆お果しになりましたけれども、なお世の中に無事になが らえておいでになりまして、こういう数々の栄華をごらんになりますにつけても、神の お加護は忘れがたくて、対の上もお連れ申してお詣りになるのです。世間の騒ぎは一通 りではありません。できるだけいろいろのことを簡略にして、諸人の迷惑にならないよ うにと、お省きになるのですけれども、およそきまりというものがありますので、近頃 かくら 123
姫 橋 : 柏木 でしたが、とかく言い逃れをしてお弾きになりませんので、君はひどく残念に思います。 宮はこういう折につけても、姫君たちがこんな具合に妙に世間馴れない田舎者のように 思われながら暮していらっしやる心外さなどを、恥かしくお感じになるのでした。「世 間の人にはなるべく知らせないようにして育てて来たのですけれど、今日明日をも測ら れぬ残り少い我が身のことを考えますと、さすがに若い人たちの末始終がどうなるか、 おちぶれてさ迷うようになりはしないかと、そればかりが気にかかりまして、いかさま ほだし この世を離れる時の絆になるのです」とお話しになりますので、お気の毒にお思いにな ります。「特別にお世話を申し上げるような御縁を結ぶことはできませんまでも、どう かお心置きなく思し召していただきたいと存じます。しばらくでもお後に残りまして、 世にながらえております間は、こうと一言でも申し上げましたことは違えぬようにいこ かたじけ します」などと申し給うと、「まことに忝ないことです」と仰せになります。 力の老女を召し出して さて、その明け方、宮がお勤めをしていらっしゃいます間に、ゝ お会いになりました。日頃姫君たちのお世話役として、宮が附き添わせていらっしゃい ます弁の君という女房なのです。年は六十に少し足らないほどなのですが、みやびやか に、よしありげな様子でものなど申し上げます。故権大納言の君が生涯悶えながら、病 づいてはかなくおなりになりました一部始終を申し上げて、いつまでも泣きつづけます。 やまい 555
姫 み出ておすわりになります。田舎びた若い女房どもは何と御挨拶をしていいかも分らず、 どぎまぎしながらおん茵を参らせます。 「この御簾の前ではきまりが悪うございます。かりそめの浅い心だけでは、なかなか思 い立つべくもない遠い山路を参った者でございますのに、これは変ったお扱いをなされ ます。こういう風に露に濡れながら、たびたびお伺いしますうちには、、 もくら何でも分 っていただけるであろうと、頼みにしているのでございます」と、ひどく真面目に仰せ になります。若い人々の中には満足にロのきけそうな者は一人もなく、小さくなっては っ 日 . ) 刀・・刀、カ にかんでいます間の悪さに、奥にいます老女たちを呼びにやるのでしたが、。、 てわざとらしくなりますのも心苦しくて、「何事も分りませんのに、心得顔のおん答え 声で、消え入るよ などは申しようもございません」と、たいそうよしありげな品のいい に仄かに仰せられます。「心では知っていながら、人の憂いを知らず顔でいますのは、 世の習わしでございますが、あなたまでがひどく空々しくおっしゃいますのが、口惜し ゅうございます。世にも稀な、よろずのことを悟りすました父宮のお側にいらしって、 そのお心を見習っておいでになりますからには、何事も見透しでいらっしやることと推 量いたしますが、この私の、忍びかねている胸の思いの深さ浅さをお察しになって下す ってこそ、その甲斐があるのではございますまいか。どうか世のすきずきしさと同じに ほの しとね みとお くちお 541