哀れ - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第27巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第27巻

このような風流な隠れた世界もあるのだなと、心が動くでもありましよう。霧が深いの すべ ではっきりとは見る術もありません。また月が出てくれたらと思っていらっしゃいます と、奥の方で君がお越しになったことを申し上げた者があるのでしよう、急に簾をおろ あわ して皆はい「てしまいました。そうばたばたと慌てたようにはしないで、しとやかな物 きぬ 腰で、静かに奥へ隠れますのが、衣ずれの音もせず、いかにも物柔かにいじらしくて、 たとえようもなく上品にみやびやかなのを、哀れにお感じになります。 そうっとそこを立ち出でて、御車を持って参るように京へ使いを走らせます。さっき の宿直の男に、「折悪しくお留守の所へお伺いしたけれども、かえ「て嬉しくて、いく らか胸が慰められたような気がする。ここに参「ている由を中しておくれ。ひどく露に 濡れて難儀した話なども、お聞きを願いたいのだから」と仰せになりますので、姫君た ちの方へ参って申し上げます。姫君たちは隙見をされたとは思いもお寄りになりません ので、つい気を許して打ち解けて話をしていたのを、びよっとお聞きになったであろう かぐわ かと、この上もなく恥かしいのです。そういえば、不思議に芳しい薫りのする風が匂「 うかっ あや て来たのに、思いがけない時だ「たので訝しみもせずにいた迂濶さよと、狼狽してきま り悪がっておいでになります。男君は取次ぎ役の女房などの気転が利かないらしいのが もどかしく、遠慮も時にこそよれと、また霧が晴れないのを幸いに、あの御簾の前に歩 ろうば、 すだれ 540

2. 谷崎潤一郎全集 第27巻

法 御 ここに始めて中宮と つけて哀れは尽きません。上達部などが大勢お供申し上げて、名対面などのおんことが 見える = 、紫の上のところありますのにも、あ、あれは誰、あれは誰と、つい一人々々に耳をとめてお聞きになり こまこま ホ、中宮の里下りの儀 式 ます。久しい間御対面がなかったのを珍しくお思いになりまして、細々とおん物語をな すばな 〈、行啓があって人御 の後に供奉した公卿さいます。院がはい「ていら「しゃいまして、「今夜は巣離れたような心地がして、と たちが姓名を名のる んと面白くありません。あちらへ行って休むことにしましよう」と、御自分のお居間へ 鳥が巣を離れるこ お渡りになります。上が起きていらっしゃいますのを、嬉しくお思いになりましても、 と。ここでは紫の上 チ の側を追いやられて それがいつまでつづくことやら、全くはかないおん慰めなのです。「こちらの寝殿にい ひとりぼっちにされ ること らっしゃいましては、お渡りを願いますのも恐れ多うございますし、と言って私の方か チ、同じ院の内ながら 中宮は東の対に、蔡らお伺いいたしますことも、今ではできにくうなりましたので」と仰せになって、中宮 の上は寝殿にいるの である もそのまましばらく寝殿の方においでになりますので、明石のおん方もお越しなされて、 しんみりとした、趣深いおん物語の数々をお取り交しになります。上はお心の内ではい えら ろいろと考えていらっしやるのですけれども、偉そうに亡くなった後のことなどを、仰 せ出したりはなさいません。ただなべての世の無常なことを、おっとりと、言葉少なに、 それでいて浅はかではないように、仰せられるけはいなど、かえって口に出してこうこ みけしぎいちじる うと仰せられるよりも哀れに、もの心細そうな御気色が著しく見えるのでした。宮た ちを御覧になりましても、「皆さまのお行く末を拝みたいと願っておりましたのは、や なだいめん 387

3. 谷崎潤一郎全集 第27巻

む きをするのにたくさんな薰炉を置いて、咽せ返るほどに煙を扇ぎ立てていますのを、さ そらだきもの し寄って御覧になりまして、「空薰物というものはどこで薰いているのか分らないくら いなのがいいのです。富士の峰よりも著しく、あたりいつばいに燻らせるのは無風流な 仕方です。講説の折には一体に鳴りを静めて、ゆっくりとものの道理を聴き分けなけれ ばならないのですから、無遠慮な衣ずれの音や、人の立居は気をつけてこそしかるべき です」などと、例の嗜みのない若い人どもに、心得を言ってお聞かせになります。宮は かっこう ひとかすけお あまりな人数に気壓され給うて、ひどく小さく、可愛らしい恰好をなすって、俯してお いでになります。「若君がおいでになってはお邪魔になろう。あちらへ抱いてお連れ中 ふすま せ」などと仰せられます。北のおん襖も取り払って、御簾が懸けてあります。女房たち はそちらへお入れになります。あたりがしんとしましたところで、宮にも聴聞なさるべ き心構えをおっしやってお上げになります。いかにも哀れ深い光景なのです。宮が御自 おまし ホ、あの世へ行ってか 分の御座を佛にお譲り中し上げて、お飾りつけになりましたのを見給うにつけても、さ らは同じ蓮の台の上 で暮すというお約東まざまの感慨がお湧きになりまして、「こういう佛の供養などを、御一緒に営むことが をしておりますが、 さしあたりこの世にあろうとは田 5 いも寄らなかったことです。せめて後の世には、同じ蓮の上に宿って、隔 虫おいて、露が別々に こぼれるようにわかてなく暮すものと思し召して下さい」と、お泣きになるのでした。 うてなちぎ 鈴れわかれに暮すのが 悲しゅうございます はちす葉を同じ台と契りおきて ひとり いちじる あお く うつふ 285

4. 谷崎潤一郎全集 第27巻

じゅうは人心地もなくお暮しなされてでございました」などと、諦めきれぬように打ち 歎きながら、とぎれとぎれに申し上げます。 「あ、、それこそあまりにもたわいのない、弱々しいお心です。これから後は恐れ多い ことながら、誰をカになさるおつもりなのでしよう。院はああしたおん山住みで、峰深 きあたりの白雲の中に、浮世の縁を絶っておいでになるのでしようから、おん文の遣り つれ 取りをなさることさえ容易ではありません。このようになく遊ばして済むものかどう か、おっしやって上げて下さいまし。よろずのことは皆定まった因縁があるのです。こ の世にいたくないとお思いなされても、そうお望みの通りには行かないものなのです。 それがお心のままになるのでしたら、まず何よりも今度のようなおん別れはないはずで す」などと、数々のことをいろいろとおっしやるのですが、何ともおん答えのしようも ためいき イ、秋なれば山とよむ なくて、ただ溜息をついています。鹿の鳴く声がしきりにしますので、「われ劣らめや」 までなく鹿にわれ劣 らめや独りぬる夜は と仰せになって、 〔古今集〕 しのはら ロ、人馳、ト予 一第 . も , , 里の篠 里遠み小野の篠原わけて来て 原を踏み分けて来 て、私もこんなに鹿 われもしかこそ声も惜しまね のように声を惜しま ず泣いております。と仰せになりますので 「しかこそ」は「然 こそ ( こんなにこ ふちごろも露けき秋の山人は あきら 346

5. 谷崎潤一郎全集 第27巻

になりましたのに、すぐもうこんなことが起って参りました。万事が子供のようでおい でなされて、うかとお姿を見られるようなことをなさいましたので、あれからこっちあ のようにお慕いになって、せがみつづけていらしったのでございましたが、まさかこう まで深入りなさろうとは存じませなんだ。ほんとうにどなたのおんためにも困ったこと よま、 でございます」と、憚りもなく申し上げます。気の置けない若々しいところがおありに なりますので、つい馴れ馴れしい言葉が出るのでしよう。宮はおん答えもなさらないで、 ただ泣いてばかりいら「しゃいます。ひどく苦しそうにして、召上り物も何一つお取り になりませんので、「こんなにお悩みになっていらっしやるのを放っておおきになって、 もうすっかりお直りになったお方のお世話に夢中になっていらっしやる」と、女房たち は恨んで言います。 大殿はこの文がまだ腑にお落ちになりませんので、人のいない所で打ち返しつつ御覧 になります。もしや女房たちの中の誰かが、あの中納言の筆蹟を真似たのではないかと までお考えになるのですが、言葉づかいなどが鮮かで、他人が書いたとは思えない点が あります。長い間思い続けて来た恋が、たまたま叶えられた今、離れているのが気がか りなことなどを書き尽くしてあるふしぶしは、随分と哀れが深く、上手にしたためてあ るけれども、艶聿ロなどをこのよ、つにはっきり圭曰くとい、つことがあるものか、中納一一一口とも ふみ まね 188

6. 谷崎潤一郎全集 第27巻

た、かえって青白く美しく、透き徹るように見える具合など、世にたぐいないお姿なの から です。が、藻抜けた虫の殻か何ぞのように、まだひどくふらふらしておいでになります。 長い間お住みにならなかったので、いくらか荒れていましたこの院のうちが、人が大勢 きのうきよう 住むようになって、たとえようもなく手狭な感じさえします。昨日今日あたりの御気分 ひま せんざい のおよろしい隙に、丹念に手入れをした遣り水や前栽の、一時に胸も晴れ晴れとするよ うな風致を御覧になりますと、今までよくもながらえて来られたものよとお思いになり はす ます。池はさもすずしそうで、一面に蓮の花が咲いて、青々とした葉に露がきらきらと 玉のように光っているのですが、「あれを御覧なさい、あの蓮は自分ひとり凉しそうに していますよ」と仰せになりますと、起き上って見ていらっしゃいますのが、全くお珍 しいことなので、「こうしておいでになるところを見られようとは、ほんとうに夢のよ うです。あまり心配しましたので、私までが死ぬのではないかと思った折々があったの ですよ」と、涙を浮かべて仰せになりますと、おん自らも哀れを催して、 ふ イ、とても私は、蓮の 消えとまるほどやは経べきたまさかに 露が消え残っている ほどの間も生きて行 はちすの露のかかるばかりを けそ、つもございませ ん、今ちょ「と病気と仰せになります。 がよくなってこうし ているだけでござい ちぎりおかんこの世ならでも蓮葉に イ もぬ す や はちすば 182

7. 谷崎潤一郎全集 第27巻

ぼんじ 合わし給うことがあるかも知れないと考えて、「何とも不思議な、梵字とかいう文字の ような筆の跡ではございますが、お眼に留まるふしなども交っているかと存じまして、 御覧に入れるのでございます。昔あの浦を立ち出でました時に、これが別れだと存じま したけれども、まだまだ哀れは残っているものなのでございました」と、見苦しくない 様子でお泣きになります。大殿は手にお取りになりまして、「この書きぶりでは、まだ 年のわりにしつかりしておられるのでしようね。筆蹟などでも、その他どういう道にか けても、随分物識りと言ってもよいはずの人ですが、ただ世に処する方面の用意が欠け カた ていたのでした。あの方の先祖の大臣は、たいそう賢く、誠を尽くして朝廷に仕えてお られましたのに、ちょっとした間違いがあって、その報いでこんな具合に子孫が滅びた のだなどと、言う者もいるようですが、女の子の方の血筋とはいいながら、こうして跡 しるし が絶えずに続いていますのは、やつばり長年の勤行の験なのですね」などと、涙をお拭 きになりながら、その夢が書いてあるあたりへ眼をおとめになります。そういえばこの 入道は、妙に偏屈で、むやみに大それた望みを持ちたがる者と、人も非難をし、また自 かりそめ 分なども、仮初にもせよ軽はずみな振舞いをすることよと、そう思ったものだったのに、 この姫君が生れたので、やはりこうなる約東事であったのかと気づいたものの、眼に見 えぬ遠い先のことは、その後も始終心にかかっていたのであったが、では入道はこの夢

8. 谷崎潤一郎全集 第27巻

た美しさがありますのを見比べ給うて、あ、、もし自分の疑いが本当であるなら、あの 祖父君に当る致仕の大臣が、あんなに傷わしく力を落していらっしやって、あれの子と 名のって出て来る者さえもいないのか、せめて形見と思うだけのものがいてくれたらと、 泣き焦れておいでになるのに、お知らせ申し上げないとは罪作りなと思ったり、いやい や何でそんなことがあるものかと、やはり得心が行かなかったりして、判断がっきませ ん。若君は性質までが優しく、愛らしくて、仲好くお遊びになりますので、ひとしおい じらしくお感じになります。 父の殿と御一緒に対へお渡りになりまして、ゆっくりとお物語などをなさいますうち に、日も暮れかかりました。昨夜あの一条の宮にお伺いなされました時の、宮のおん有 様などをお話しになりますと、大殿はほほえんで聞いていらっしゃいます。ときどき昔 のことに関係のある哀れなふしぶしへ来ますと、相槌を打ったりなさいまして、「その 想夫恋をお弾きになった心持は、いかさま、昔の例として引き合いに出せそうな場合で たしな うかっ すが、それでも女は人を動かすような嗜みがあったからといって、迂濶にそれを漏らす べきではないのだと、思われる仔細がいろいろあります。それにあなたも、亡くなられ ゆいごん た人の遺言を忘れず、こうしてあとあとまでも親切を尽くす気持を見て貰いたいとなら ば、同じことなら心を潔白に持って、餘計なことにかかずらったり、浅はかな間違いを やさ あいづち 277

9. 谷崎潤一郎全集 第27巻

若菜下 と、昔のことを何となくおかしくも、哀れにもお思い出しになるのでした。あの時分に しても、自分はあの宮に馴れ馴れしくしようとは思ってもいなかったのだ、ただいつも なさけこも いつもしんみりとした、情の籠った言葉をかけて下すったのに、こちらへ縁づいてしま さげす ったので、張合いのない、薄情な女のようにお蔑みなされたかも知れないと、年頃たい そうきまりを悪がっていらっしやったことですから、ひょっと姫君がそんないきさつを お聞きになったら気がかりな、などとお思いになります。義理ある仲でいらっしゃいま すから、こちらからもなさるだけの世話はしてお上げになります。そして、御夫婦仲の きんだち じよさい ( 、真木柱の弟たちの疎々しいことなども知らず顔に、兄弟の公達などを差し向けて如才なく見舞って上げた こと = 、式部卿宮の北のりしますので、宮も心苦しくて、見捨てるお気持などはないのですが、例の大北の方と 方。真木柱の祖母 えん いうやかましやが、いつも僅かなことでも勘弁なさらずにお怨じなさいます。「親王た ちに娘を上げるからには、せめて二心なくいとしがって下すって、花々しくない代りに は、気楽に暮せるぐらいのことがあっても いいはずだ」とおむずかりになりますのを、 宮もお耳へお入れになりまして、珍しい言い分を聞くものよ、昔可愛らしい妻があって くちこ。こと も、やはりちょっとした浮気はしたものだったが、こんな手厳しい口叱言は聞いたこと はなかったのに、面白くもないと、なおさら昔を恋しくお思いになりながら、御自分の ふたとせ お邸に引き籠ってとかく沈みがちにばかりお暮しになります。そう言いながらも二年ば う・とうと てきび おおきた 119

10. 谷崎潤一郎全集 第27巻

若菜上 いずれ浄土でまたお目にかかりましよう」とばかりしたためてあります。 尼君がこの文を見て、その使いの僧に様子を尋ねますと、「このおん文をお書きにな りまして三日目というのに、あの人跡絶えた峰にお移りなされました。私どももお見送 りしまして、麓まではお附き添い申しましたけれども、そこから一同をお返しになりま して、僧一人に童子二人を、お供にお連れなさいました。昔御出家なさいました時は、 これが悲しみの最後だと存じましたのに、まだその残りがあったわけなのでございまし きん た。年ごろ動行の相間々々に、 凭りかかって掻き鳴らしていらっしゃいました琴のおん ことと琵琶とがございましたのを、お取り寄せなされて、曲をお奏しになりまして、佛 しし J ま」 せにゆう にお暇乞いをなさいましてから、それを御堂に施人なさいました。そのほかの品々も大 みでし 概は寄進なさいまして、その残りを、御弟子どもが六十人あまり、親しい者どもばかり お側に仕えておりましたので、その人々の分に応じて、それぞれ分けておやりになりま して、なおまだ残りがございましたのを、こちらのおん方々のお使い料にと、京へお送 くもかすみ り申されました。い よいよ別れをお告げになりまして、さようなはるかな峰の雲霞の中 にはいっておしまいになりましたので、空しくおあとに留まって悲歎にくれている人々 が大勢ございます」などと、そう言うこの僧も幼い時に供をして京から下って行きまし なか て、今は老法師になって田舎におります人なので、大層哀れに、心細がっているのでし ふもと あいま とど 、わたくし