( 、秋好中宮 夜苦しみ明かし給うて、日のさし昇る時分にお生れになりました。男君とお聞きになり ますにつけても、こう秘密にしているのに、あいにくにもひょっと誰かに生き写しであ ったりしたら何としよう、女であったら、何かと紛れやすくもあり、多くの人に顔を見 られることもないので安心だのにと、そうもお思いになるのですが、またそんな風な疑 いのある子であるからには、世話の焼けない男の子の方がいいかも知れない、 さても不 、藤壷との密通の事思議なことだ、自分が生涯かけて恐れていたことの、これが報いなのであろう、この世 件をさす に生きているうちに、こう思いがけない応報を受けたのだから、来世の罪も少しは軽く なるであろうかとお思いになります。人々は、そんな事実を知りませんので、こういう 貴い姫宮のおん腹に、この年におなりなされてからお生れになったのであるから、どん なに御寵愛になるであろうと、一生懸命にお仕え申し上げます。おん産屋の儀式もお立 派に、ものものしいことです。おん方々がさまざまに意匠をお凝らしになるおん産養 おしきついがさねたかっき の御進物、慣例の折敷、衝重、高坏などの趣向も、それぞれに競争し合う御様子が見え ます。五日の夜には中宮のおん方から、御産婦の御祝膳を始めとして、女房たちにも身 おおやけ 分身分の振合いを考えて、公の作法に従「て厳めしくお料理をお祝いになりました。お めしつぎどころ = 、強飯の握り飯ん粥、屯食五十具、所々の饗応など、院の下部や、庁の召次所や、そのほかあらゆる下 下にまでも、厳めしくおさせになりました。中宮の役人は大夫から以下の人たち、また こわめし かゆとんじき しもべ むく うぶや うぶやしない 225
は失礼になるであろうと、ただ普通のお見舞いに参上なすったのですが、大勢の人が泣 き騒いでいます様子に、さては本当であったのかとお驚きになります。式部卿宮もお越 しになりまして、たいそうがっかりなすったようにして奥へおはいりになります。あま りカをお落しなされて、人々のおん見舞いも、よう取り次がずにいらっしゃいます。大 将の君が涙を拭って出ていらっしゃいましたので、「、 てかがでいらっしゃいます。不吉 わすら なことを人々が申しますので、よもやとは存じましたが。しかし久しいお患いなので、 心配のあまりお伺いしました」などと仰せになります。「重態になられましてから長て しわざ ことになるのですが、今日の明け方から気をお失いになったのです。物怪の仕業でした ので、どうやら息を吹き返されたと伺いまして、やっと今しがた皆が安心したところで すが、まだ心もとないおん有様です。お傷わしいことで」と、ほんとうにひどくお泣き になったらしい顔つきです。眼も少し張れています。衛門督は、自分のけしからぬ心に 引き比べて思うのでしようか、この大将の君がさして親しくもない継母の御病気を、ひ どく気にしておられることに眼が留まります。大殿も、こうして誰彼がお伺いになった 趣をお聞きになりまして、「重い病人がにわかに息を引き取ったように見えましたので、 みだ 女房などが取り乱して、猥りがわしく騒ぎましたので、私までが釣り込まれて、いまだ に気分が静まりません。わざわざお越し下さいましたお礼は、改めて申し述べます」と 178
姫 と接待をします。 お居間の方へ通っているらしい透垣の戸を、少し押し開けて御覧になりますと、月の ま すだれ 面にほんのり霧がかか「ていますのを眺めながら、簾を少し捲き上げて、女房たちが控 えています。縁側に、ひどく寒そうに痩せた、萎えばんだ衣を着た童が一人と、それと 同じような女房などがいます。内にいる人は、一人は柱に少し隠れていて、琵琶を前に ばち 置いて、撥を手まさぐりにしていましたが、雲に隠れていた月がにわかにたいそう明る くさして来ましたので、「扇でなくて、これでも月を招き寄せることができるのですね」 のぞ と、空を仰いで覗いています目鼻立ちが、言いようもなく可愛らしくてつややかなよう よ です。その傍らに物に凭り添っています人は、琴の上に打ち俯すようにしていまして、 イ、出典は明らかでな「入る日を呼び返す撥ということは聞いていますが、変ったことをお思いっきになるの ですね」と、笑っていますけま、ゞ、 ( カこれは今少し重々しく、よしありげなのです。 、琵琶の撥を収める「月を呼び返すわけには行かないとしても、撥も月とは縁が深いのですからね」などと、 穴を隠月とい、つから らち である 互いに打ち解けて埓もないことを言い合い給う御様子など、今まで餘所で想像していま したのとは全く違って、何ともいえない優しい風情です。昔物語などに語り伝えていま すのを若い女房などが読むのを聞きますと、こういうところがきっと出て来ますので、 そんなことが実際にあるものだろうかと、馬鹿らしい気もしますけれども、なるほど、 かたわ や やさ ふ 539
イ、御息所 かつけ 脚気が上って来たような」と仰せになって、按摩をおさせになります。いつもそういう 風にひどくいろいろと心配なさいますと、上気せる癖がおありなのでした。少将、「上 にこのことをうすうす中し上げた人がいるらしいのでございます。何かあ「たのかとお 尋ねでございましたので、ありのままに申し上げたのでございますが、おん襖だけは締 まっていたということを、少し言葉を添えまして、はっきりと申し上げておきました。 もしそのようなお話がございましたら、同じようにおっしやって下さいまし」と申し上 げます。歎いておいでにな「たことは申し上げずにおきます。宮はさればこそと佗びし しすく い気持がして、ものも仰せられずにいらっしやるおん枕からは雫が流れ落ちるのです。 今度のことばかりではなく、はからずも故大納言に身を任せてからというものは、どれ ほど母上に苦労をおかけ申したことかと、生きがいもないようにお思い続けになるので あきら すが、この大将の君があれでもまだ諦めないで、何かと言い寄って来たら、どんなに厄 力し 介な、聞き苦しいことがつづくであろうと、さまざまにお考えになります。まして、心 弱くもかの人のロ車に乗りでもしたら、どういう汚名を流すかも知れない、身の潔白を 守「たことがせめてもの慰めではあるものの、自分ほどの高い身分の者が、ああわけも なく人に会う法があるものではないと、宿世の拙さに屈託しておいでになりますと、日 い、塗籠は部屋を土蔵 のように厚い壁で準の暮れ方に、「やはりおいでを願いとうございます」と御催促がありますので、中の塗 あが あんま ったな
柏木 てその趣を奏せしめ給うと、山の帝はあまりの悲しさに怺えかね給うて、あるまじきこ ととはお思いになりながら、夜に紛れてお立ち出でになります。あらかじめそういう仰 せもなしに、にわかにかようにお渡りになりましたので、主人の院は驚いて恐縮なさい ます。「もう世の中のことは気にかけないつもりでしたのに、子を思う道の迷いばかり はいまだに覚めきれないものなので、勤行も手につかないでいるのですが、もし年の順 とど にならないで、後に留まるべき者が先に行き、相見ることもなしに、水の別れをするよう なことがあったら、そのままその恨みがお互いに残るであろうと、味気ない心地がして、 世間の非難も構わずに、こうしてお訪ねしたのです」と仰せになります。御出家姿です けれども、優雅に、奥床しく、目立たぬようにお窶しなされて、れいれいしいおん法服 ではなく、墨染の衣を召していら「しゃいますのが、似つかわしく清らかにお見えにな りますのを、羨ましくお拝みになりまして、例のようにまず涙をお落しになります。 「御病気は、別にどうという御容態ではございません。ただ長い間衰弱なすっていらっ しゃいますのに、は、ばかしゅうものなどもお上りになりませんのが積り積って、かよ うになられましたのでもございましようか」などと申し上げられます。「失礼なお座席 しとね でございますけれども」と、御儿帳の前におん茵を参らせて、お人れ中し上げます。宮 ゆかしも をも、女房たちがお介添え申して、御帳台から床の下にお下し申します。御儿帳を少し すみぞめ うらや こら あるじ おろ 229
若菜下 通すことができなくなって、「もしいい折がありましたら取り計らいましよう。院がお みちょうだいまわ いでにならない夜は御帳台の周りに人が大勢侍うておりまして、必ず誰かしかるべき方 おましそば が御座の側に附き添っておられますので、どのような時を待って、隙を見つけたらいい のでしよう」と、困りながら帰って行ってしまいました。 ゃいのやいのと毎日のように責められるのに弱り抜いて、ようやく折を窺って知らせ て寄越しました。こちらはたいそう喜んで、すっかり姿を変えて、こっそりとお出掛け になります。実際自分で考えても、はなはだけしからないことですから、そうお側近く へ行って、かえって一層取り乱すようなことまでは、思ってもいません。ただほんの微 かにおん衣の端ばかりを、ちらと拝んだいっぞやの春のタベのことが、月日の立つほど いつまでも忘れられないままに、あのおんけはいを今少しはっきり拝ませていただき、 ひとくだり 思うことなどをも申し上げたら、一行のおん返りごとぐらいは遊ばすであろうか、可哀 そうだとだけでもお感じになって下さるであろうかと思うのでした。四月の十日過ぎの みそぎ ことです。明日は御禊であるからというので、斎院のおん方へお手伝いにお上げになる わらわ 女房が十二人と、さほど上﨟などではない若い人や童べなどが、めいめい物を縫ったり 化粧をしたりしながら、見物しようと考えてとりどりに忙しそうにしていまして、お前 あぜち のあたりはもの静かで、詰めている人も多くない折柄でした。お側勤めの按察の君も、 さふろ うづき 、つ・カガ 165
、葵の上 六条御息所 しんそこ につれて、結局心底から気だての優しい、落ち着いた人というものは、めったにいない みきわ ものなのだという風に見極めをつけました。今の大将の母君と、まだ若かった時分に逢 い初めて、身分の貴い 容易ならないお方とは思いながらも、いつも間柄がしつくりと 行かず、ちぐはぐな気持で終「てしま「たのは、今考えれば傷わしくもあり、悔しくも あるけれども、また私一人が悪かったせいでもなかったのだと、心ひそかに思うことが ないでもありません。あの人は、きちんとした、重々しい性質で、ここが足りないとい はす うような節はなかったのでした。ただあまり儿帳面で、桁を外れたところがなく、少し 賢婦人過ぎたとでもいうのでしようか 頼もしい感じはしながらも、顔を合わせるとう みやすどころ っとうしい人柄でした。中宮のおん母上の御息所は、並々ならず嗜みの深い、優雅な人 の手本としては、真っ先に胸に浮かぶけれども、機嫌の取りにく、 、むずかしい様子の ある入でした。限むのももっともな筋があるとはいうものの、それをそのまま長い間根 えん に持って、しつつこく怨じられたのには、ほんとうに困りました。いつも、いに油断がで きず、気づまりで、互いにくつろいで朝夕親しく言い交すのには、ひどく気が置けると さげす つくろ ころがあったので、打ち解け過ぎたら蔑まれはしないかなどと、体裁ばかり繕っている うとうと うちに、ついそれなりに疎々しい仲になったのでした。よしない浮名を立てられて、身 分に傷がついたのを、たいそう悔んでおいでになったのがいとおしく、 いかさまあの人 そ うら やさ けた くや あ 154
それでなおさら皆がさまざまにお賺し申し上げますので、しようことなく人々が奉る晴 れやかなおん衣どもにお召し換えなさりながらも、我にもあらぬおん心地で、かくても そ 一途に剃り捨てたくお思いになるおん黒髪に櫛を人れてごらんになりますと、少し毛が よそめ お減りにな「たとはいえ、いまだに六尺ほどもあって、なかなか餘所目にはお見事に存 じ上げるのです。でも御自分のお心では、まあ何という衰え方であろう、こんな姿でど うして人に逢えるものか、何やかやと心配事の多い体でとお思いつづけになりまして、 またしても横におなりになるのでした。「時刻が過ぎました。夜も更けるでございまし よう」と一同は騒ぎます。時雨がたいそうあわただしく風に交って降り出して、よろず のものがうら悲しいので、 イ 1 自分も母御息所の のばりにし峰の煙にたちまじり 荼毘の煙に打ち交り つつ空に立ちのば 思はぬかたになびかずもがな り、思いもかけぬお 人の心に従いたくな 御自分だけはぜひにと思っておいでになるのですけれども、近頃は皆が用心をして、 いものよ。「のばり はさみ にし峰の煙」は母御おん鋏などのようなものは一切隠して、人が見守っておりますので、何もそのように案 息所の火葬の煙のこ と。「なびく」は煙じないでも、自分のようなどうな「ても構わない身が、何の人騒がせに、子供らしく内 かみき の縁語 証で髪を剪ったりしようぞ、人が聞いても厭に意地っ張りらしく感じるであろうものを とお思いになりますと、本意のようになさるわけにも行きません。女房たちはさっさと あ しぐれ すか からだ 356
かんむりひたいぎわ て、番数が進んで行きますうちに、高官の方々も容儀を崩して、冠の額際が少し弛んだ りしています。大将の君も、御身分の高さを考えればこそ、例になくふざけるようにも 思えますけれども、見たところ人にすぐれて一段と若々しく、美しくて、桜の直衣のや さしぬきすそ や柔かになりましたのに、指貫の裾の少しふくらんでいますのを、心持引き上げていら っしゃいます。軽々しいようには見えません。酒落た、打ちとけた姿で、花が雪のよう に降りかかりますのをふっと見上げて、しおれた枝を少し折って、御階の中段のあたり に腰をおかけになりました。督の君がつづいてそこへおいでになって、「花がおびただ 吹く風よ心しあらしく散るようですね。『桜をよきて』吹けばいいのに」などとおっしやりながら、宮の ば此の春の桜をよき て散らさざらなんお前の方を尻目で見ますと、例の、締りのない有様で、女房どものいろいろの衣が御簾 〔伊行釈所引〕 すきかげ 、女三宮 の端々からこぼれ出ていたり、 透影が見えたりなどしていまして、暮れゆく春へ手向け ぬさぶくろ 旅の平安を祈るた のための幣袋かと思えるのです。御儿帳などもしどけなく片寄せてありまして、何とな めに、道中ところど からねこ ころの神に手向ける く色っぽい、近づきやすい感じがするのですが、唐猫のたいそう小さい可愛らしいのを、 幣を入れる袋。幣は いろいろの布を切っ 少し大きな猫が追い廻しながら、急に御簾の端から走り出ましたので、人々が怯え騒い 上て作り、それを雑然 と透いた袋に人れるで、「あれあれ」と立ち迷うけはいや、衣ずれの音がやかましく耳立って聞えます。猫 菜のでもあろうか、そ れに衣裳の透影が似はまだよく人になついていないのでしようか、ひどく長い紐をつけてありますのが、も 若ているものと察せら れる のに絡まって巻きっきましたので、逃げようとしてそれを引っ張りますうちに、御簾の ばんかす から しゃれ ひも おび ゆる 9- 0 ノ
おおきさきないしのかみじゅだい イ、朧月夜の尚侍ろから、内裏でのお附合いも肩身が狭く、まして大后が、尚侍を入内おさせなされて傍 らに人なきがごとく後押しをされたりしましたのに、気壓されていらっしゃいましたの おぼ を、帝もお心のうちではいとおしゅう思し召しながら、やがて御位をお降りになりまし たので、とうとう芽をお出しにならず、気の毒な有様で、わが身の不運を恨むような風 おんなさんのみや でお亡くなりになられました、そのおん腹の女三宮を、大勢おいで遊ばすうちでも、わ とし けて可愛くお思いになって、大切にかしずいていらっしゃいます。お歳はその時分十三 やまい」も 四ぐらいでおいでになります。院はいよいよ世を捨てて山籠りをするにつけても、後に 取り残されて誰をカにお過しになるというのであろうと、ただこのおんことを御心配な にしやまみてら され、思い歎いておいでになります。西山の御寺の造営が終りまして、そちらへお移り もぎ になる御準備をなさいますかたわら、またこの宮のおん裳着のことをお思い立ちになっ たからもの て、そのお支度をなさいます。院のうちに御秘蔵なすっていらっしやるおん宝物、おん 調度どもはさらにもいわず、何でもないお手遊びのお道具までも、少し由緒のある限り の品々は、皆この宮のおん方へとお上げになりまして、他の御子たちにはその次々の品 品を御分配になるのでした。 春宮は、院がそういう御病気の上に、遁世の思召しがおありになるとお聞きになりま 口によう・こ して、お伺いになります。母女御もお附き添い申して、参上なさいます。すぐれた御寵 、承香殿女御。髭黒 大将の妹 なげ とんせい おぼしめ みくらい かたわ