御息所 - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第27巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第27巻

= 、玉鬘の姫 ホ、院の御座所のある 御殿 、弘徽殿女御と玉鬘したら、世間の人も間違った計らいをしたように取り沙汰するでございましよう」など は異腹の姉妹たから である と、兄弟の君たちが二人して申されますので、尚侍の君もひどく当惑なさるのでした。 が、院の切なる御愛情は月日が立つほどいよいよ増して行くのです。七月にはもう御 馥妊になりました。苦しそうにしていらっしやるお姿の美しさ。全くさまざまの方々が うるさく言い寄り給うのももっともなことです。どうしてこれだけの人を、平気で見過 すことができようぞという気がします。御所では明け暮れ御遊のおん催しがありまして、 侍従の君もお側近うお召し人れになりますので、自然姫君のお琴の音などはお聞きにな もとわどん ります。あの、 いっぞや「梅が枝」に合わせて弾いた中将のお許の和琴も、常にお召し 出しになりまして奏でさせ給うので、それと聞き知る身には、何かと心に思うこともあ おとことうか るのでした。年も暮れて、正月には男踏歌がありました。近頃は殿上の若い人たちの中 にものの上手が揃っています。その中でもすぐれた者を選ばせ給うて、この四位の侍従 力と。う 、踏歌の音頭を取るを右の歌頭になさいます。かの蔵人少将も楽人の中に加わっていました。十四日の月が 花やかに、曇りなく照っていますのに、内裏から繰り出して冷泉院の御所へ伺います。 かんだちめ みやすどころ 女御も、この御息所も、上の御殿にお局を設けて御見物になります。上達部や親王たち が引き連れて参上なさいます。右の大殿と故致仕の大殿の一門のほかには、世にきらび やかな美しい人はないように見えます。どなたも内裏のおん前よりも、この院のおん前 かいにん うえ ? ほね 504

2. 谷崎潤一郎全集 第27巻

こきよう力い なか昔よりも花やかに、御遊をもなさいます。何事もお心のままの御境涯ながら、ただ あの御息所のことをお思いになりますと、出家のお心が起るのですが、人がお許し中し くどく 上げそうもないことですから、もつばら功徳を積むことを勤めて、いよいよ深く世の中 の無常を悟るようにな「ていらっしゃいます。六条院も同じ心でお支度をなさいまして、 六条御息所の追福みはこう 御八講などを執り行わせられますとか。 のため 298

3. 谷崎潤一郎全集 第27巻

河 竹 に、自分までが仮にもうわっいた嚀を立てられたら、顔向けのできない見苦しいことに なるであろうとお思いになるのでしたが、 そういうわけで参上を控えているとは、御款 所にさえお打ち明けになりませんので、亡き父君は私のことを昔から取り分け大切にし て下すったのに、尚侍の君は、桜の争いのようなちょっとした折にも、中姫君に心をお 寄せになる風があって、今も私のことはそんなにも思って下さらないと、限めしく感じ ていらっしやるのでした。院もまた、それにも増して、尚侍の君をつれない人と思って おいでになりました。「私のような老人に、あなたを預け放しにして、思い貶しめてお いっそ、つ御息所をいとしがっていらっし られるのももっともです」と語り合い給うて、 ゃい士亠。 のち その後何年か過ぎて、御息所はまた男御子をお産みになりました。数多伺候しておい でになるおん方々に、この年月そういうことがありませなんだのに、よくよく深いおん ちぎり 契なのであろうと、世の人々は驚いています。まして院の帝は、今度の若宮を限りもな く珍しくお思いになります。御位にいらっしやる時であったら、どんなにすばらしかっ たでありましよう。今は何事も張合いのない世であることよと、たいそう残念にお思い になります。これまでは女一宮をこの上ないものに思っていらっしゃいましたのに、 うお二人も美しい宮たちがお出来になったことですから、御息所を類ないお方として、 おとこみこ みかど あまた おと 511

4. 谷崎潤一郎全集 第27巻

でおろしていらっしゃいます。 と、かの人からまたおん文があります。わけを知らぬ者が取り次いで、「大将殿から 少将の君にとおっしやってでございます」と言・つて来る間の悪さ。おん文は少将が受け 取ります。御息所も、「どういうおん文なのですか」と、さすがにお問いになります。 今となっては弱気なお気持も出て来まして、内々お越しになることを心待ちにしていら っしゃいましたのに、 今夜はお越しがないのだとお思いになりますと、胸騒ぎがして、 「さあ、そのおん文には、やはり御返事をなされませ。無愛想ではいけません。人のお うわさ 噂をいいように言い直してくれる者はめったにおりません。ほんとうの心は潔白でいら っしやっても、そう信じる者は少うございましよう。それより如才なくおん消息なども 遣り取りなさって、今まで通りになさいましたらようございます。捨てておおきになり ましては、わがままなようにお見えになりますから」と仰せになって、そのおん文をお 取り寄せになります。少将はしぶしぶながら御覧に入れます。「あまりにも情ないおん 心のほどと知れてしまいましてからは、ゝ カえって一途になるような気もいたします。 イ、どうせ浮名の流れ せくからに浅くぞ見えん山川の るのを隠しきること ができないものな 流れての名をつつみはてずば」 ら、私を隔てようと なさるためにかえ。と、数々の言葉が連ねてはありますけれども、御息所は読みも終えられません。こう、 や じよさい 324

5. 谷崎潤一郎全集 第27巻

イ たのが、いかにも清なく、面白からず思われたのに、六条院がかえってねんごろに後々 の御供養をお営みになったのが、わが父上ながらどんなに有難かったことか、そういえ こえもんのかみ ば自分が故衛門督を取り分けて好ましく思うようになったのも、あの折からではなかっ たか、人柄がたいそう落ち着いていて、ものをしみじみと心に留めるところがあって、 哀れさを感じることも普通の人より深かったのが、慕わしく思われたのであったなどと、 所在なさにそんな考えごとばかりなさりながら、明かし暮しておいでになります。北の 方はまた、かの山里のあたりとはどんなおん間柄になっているのであろう、御息所とは 文の遣り取りも、こまやかになすっていらしったらしいけれどもなどと、ほんとうの事 情が分りかねて、折からタ暮の空を眺め人って横になっていらっしやる男君のもとへ、 若君をお使いにお立てになります。ちょっとした紙の端に、 あなたのお胸の悲 「あはれをもいかに知りてか慰めん しみを、どういう風 に解釈して慰めて上 あるや恋しきなきや悲しき げたらよいのでしょ うか。生きていら「どちらとも分りかねますのが難儀でございます」とありますので、男君はほほえんで、 しやるお方 ( 落葉の 宮 ) が恋しいのでしいろいろな風に気をお廻しになることよ、「なきや悲しき」とはとんだ見当違いである 亡くなった お方 ( 御息所 ) が傷とお思いになります。すぐと何事もないよ、つに、 ましいのでしようか = 、誰といって特に取 「いづれとかわきて眺めん消え返る 、柏木 、雲井の雁 イ 342

6. 谷崎潤一郎全集 第27巻

調べ ( 気持 ) が変のおん琴どもの調子を変えずに、お待ちになって下さいましようか。ひき違えというこ って弾き違える ( 違 約する ) 。「ひき」はともある世の中なので、気がかりになりまして」などと、はっきりとではありませんが、 琴の縁語 遠廻しに匂わしておいて、お立ち出でになります。御息所は、「今宵のようなすきずき しさは、誰も咎めはいたしますまい。取りとめのない昔がたりに紛らわしておしまいに なって、玉の緒が延びるほどにお弾き下さいませなんだのは、残り多いことで」と仰せ になって、おん贈り物に笛を添えて差し上げられます。「この笛にはまことに古い由緒 よもぎふうずも があるように聞いているのでございますが、こういう蓬生に埋れさすのももったいのう みずいじん 存じますので。御随身のお先を追う声と競いながら御車の中でお吹きになって下さいま したら、餘所ながらでも聞かしていただくでございましよう」と申し給うので、「私に は過ぎた随身でございますね」と仰せられるのですが、いかさま、御覧になりますと、 これも亡き人が生涯身を放さずに愛玩していて、私にもこの本当の音色は出すことがで かこ きない、誰か熱心な人に伝えたいものだがと、おりおり喞っておられたことを思い出し ばんしきじよう 給うて、一段と哀れさが増して、試みに吹き鳴らしてみます。盤渉調の調べを半分ほど で吹き止めて、「琴は昔を偲ぶ独りごとだとして、下手ながら見逃して下さいましたで しようが、この笛は晴れがましいことです」と仰せになってお出ましになりますと、 御息所の歌。露が むぐら たくさん置くこの葎露しげき葎の宿にいにしへの 270

7. 谷崎潤一郎全集 第27巻

っておいでになります。女房たちは、「この君の優雅なお姿だって、なかなか風流なと ころがありますね」と、互いにこそこそと突っつき合います。この御接待を勤めている 少将の君という人に取り次がせて、 イ、御息所の歌。この 「柏木に葉守の神はまさずとも 家の柏木に今は葉守 の神はいないといっ 人ならすべき宿のこずゑか ても他人に馴れさせ る梢ではない。「葉あまり露なおっしやりように、浅はかなお方のように存じ上げまして」と申し上げます 守の神」は故衛門督 ほほえ のこと。歌の意味はので、それももっともとお思いなされて、少し微笑みをお漏らしになります。 「夫が亡くなったか らとい「て、他人を御息所がわずかにいざり出で給うけはいがしますので、やおらいずまいをお直しにな 家へ人れたりしまし ります。「憂き世の中を歎きながら毎日ふさぎ込んでおりましたのが積りましたせいか よ、つ力」 心地が妙に悩ましくて、ばんやりと過しておりますが、こうたびたびお訪ね下さいます 忝なさに、気を引き立てまして」と仰せになって、なるほどしんどそうにしていらっし いちす ゃいます。「お歎きになりますのはお道理でございますけれども、またそうばかり一途 なのもいかがでしようか。何もかもしかるべき因縁でございましよう。どうせ限りのあ る世の中でございます」と慰めてお上げになります。ほんとうにこの宮こそ、噂に聞、 たよりは奥床しいお方だ、お可哀そうに、お逢いした人に先立たれた上に、どんなに外 聞を悪がっていらっしやるやらと、そう思うと心が動きますので、お暮しの御様子など あらわ 256

8. 谷崎潤一郎全集 第27巻

でしたが、御息所はどのようにお聞きになりましたやら知りません。 うづき 四月に女宮がお生れになりました。そうば「とした、花やかな出来事ではないような うふやしない おぼしめ ものですけれども、院の思召しに随って、右の大殿を始めとして、おん産養のおん祝 いを申し上げる方々が多いのです。宮は尚侍の君がずっとお抱き申して、いつくしんで 、らっしゃいましたが、御息所に早うお帰りになるようにと、しきりに御催促がありま 、生後五十日の祝いすので、五十日の頃にお上りになりました。女宮は、お一方しかおありになりませなん だのに、たいそう珍しい、可愛らしい方がお出来になりましたので、この上もなくお喜 にようごがた びになります。そしてひとしおこちらにばかりおいでになります。女御方の女房たちは、 こんなことにまでなろうとはと、ただごとでないように田 5 いもすれば言いもします。御 本人たちのお胸の中は、別に軽々しく仲違いなどはなさいませんけれども、お附きの人 人が間で面倒を引き起したりしますので、今となってみますれば、何といってもあの中 将の君が、兄君だけに先見の明がおありなされたわけで、尚侍の君も、こんな風にむや みに双方が言い合「て行「て、しまいにはどうなるのであろう、人の物笑いにな「て、 はしたないことを言われるのではないか、院のお志の忝ないことは分ているけれども、 何年も前から仕えていらっしやるおん方々がお憎みなされて、見放しておしまいになる のであ「たら、辛い立場になることよとお案じになるのでしたが、内裏では今も御機嫌 カナカのー したが かん 508

9. 谷崎潤一郎全集 第27巻

、葵の上 六条御息所 しんそこ につれて、結局心底から気だての優しい、落ち着いた人というものは、めったにいない みきわ ものなのだという風に見極めをつけました。今の大将の母君と、まだ若かった時分に逢 い初めて、身分の貴い 容易ならないお方とは思いながらも、いつも間柄がしつくりと 行かず、ちぐはぐな気持で終「てしま「たのは、今考えれば傷わしくもあり、悔しくも あるけれども、また私一人が悪かったせいでもなかったのだと、心ひそかに思うことが ないでもありません。あの人は、きちんとした、重々しい性質で、ここが足りないとい はす うような節はなかったのでした。ただあまり儿帳面で、桁を外れたところがなく、少し 賢婦人過ぎたとでもいうのでしようか 頼もしい感じはしながらも、顔を合わせるとう みやすどころ っとうしい人柄でした。中宮のおん母上の御息所は、並々ならず嗜みの深い、優雅な人 の手本としては、真っ先に胸に浮かぶけれども、機嫌の取りにく、 、むずかしい様子の ある入でした。限むのももっともな筋があるとはいうものの、それをそのまま長い間根 えん に持って、しつつこく怨じられたのには、ほんとうに困りました。いつも、いに油断がで きず、気づまりで、互いにくつろいで朝夕親しく言い交すのには、ひどく気が置けると さげす つくろ ころがあったので、打ち解け過ぎたら蔑まれはしないかなどと、体裁ばかり繕っている うとうと うちに、ついそれなりに疎々しい仲になったのでした。よしない浮名を立てられて、身 分に傷がついたのを、たいそう悔んでおいでになったのがいとおしく、 いかさまあの人 そ うら やさ けた くや あ 154

10. 谷崎潤一郎全集 第27巻

鈴虫 六条御息所 き、また御意見をも聞かしていただきませんために、何事もまず御相談申し上げますの が習いになっていましたので、どうしてよいやら困っているのでございます」と仰せら れます。「ほんに、内裏においでになりました時分は、日数に限りのある折々のお里帰 りをも、いつも楽しみにお待ち受け中しておりましたが、今はどういう場合にでも、な かなか御自由にお出ましになることはできません。定めなき世と言いますけれども、格 別厭わしくなるような事清のない人は、さつばりと出家してしまうわけにも行きにくく、 あしでまと 軽い身分の者などでさえ、やはり相応に振り捨てがたい足手纒いがございますものを、 ひとまね その人真似をなすって、御自分も負けないつもりで道心をお起しになりますのは、かえ ってひねくれていらっしやるように御想像申し上げる者もございましよう。決して決し て、もってのほかのおんことかと存じます」と申されますのを、宮は御自分の胸の中を、 深くは酌み取って下さらないらしいと限めしくお思いになります。 くげん 故母御息所は、あの世で苦患をお受けなされて、どのような業火の煙の中に迷ってお いでになりますことやら。悪霊などに現われ給うて、亡き後までも人に疎まれていらっ しゃいますことは、六条院は固く隠しておいでになったのですけれども、世間は口さが ないものですから、自然お耳へもはいってしまいましたので、言いようもなく悲しくて、 こ , もせよ、 3J 、つい、つこと なべての世の中が厭わしくおなりなされて、たとい物怪のお姿。 みやすどころ ののけ 」 ) っカ 295