下 若ヲ、今上帝。女三宮の 兄君 はりめでたく、すばらしいことです。右大将の君は大納言におなりなされて、型のごと く左大将にお移りになりました。右大臣とはいよいよ睦しいおん間柄です。六条院は、 御退位遊ばした冷泉院にお世継ぎがいらっしやらないのを、内々飽き足らなく思ってい 、冷泉院。実父が光らっしゃいます。今度の春宮も同じおん血筋であるとはいえ、院が御在位中は、苦しい 源氏であることを知 あやま りながら、父に対すお気持をお漏らしになることもなくお過しになりましたお蔭で、過去の過ちが世に知ら る子としての礼がっ くせないのを苦しくれずに済んだわけなので、その代りには帝の位を子孫にまで伝えることができないよう 思っていたことが、 今までにも「薄雲」 になった宿世を、残念にも寂しくもお思いになるのでしたが、他人にお話しになれるこ のち 一〇八頁、「藤裏葉」 とではありませんから、お胸の晴らしようもありません。春宮の母女御はその後多くの 五一二頁ほか随所に のべられている 御子たちをお生みになりまして、びとしお御寵愛が並びないのです。源氏が引きつづい チ、明石女御 て后にお立ちになりそうなのを、世間が不服に思いますにつけても、お下り遊ばした冷 秋好中宮。六条御泉院の后は、これという理由もないのに、強いてそういう取り計らいをなすって下すっ 息所の姫君 皇子も生まなか「たお志をお思いになりますと、 いよいよ六条院のおんことを、年月が立つにつれて有難 たのにの意 みゆき ル、冷泉院 いものにお感じになるのでした。院の帝は前々からのお望みのように御幸などもお手軽 に、御自由にお出ましになるのでしたが、ほんに、かようになされてこそ、結構な申し 分のないおん有様に拝めるのでした。 六条院の姫宮のおんことは、帝がことにお心に留めてお案じになっていらっしゃいま へ、タ霧 へ 121
けておいでになりますので、一向面白味のない感じがします。でも気短かで、じきに焼 餅を焼くところなどは、愛嬌があ「て、あどけない人柄のようではあります。 イ、この巻の前後に院は対へお渡りになりました。上は宮のおんもとにお泊りなされて、おん物語などを 「院」と称せられる 人が三人ある。一人中し上げ給うて、明け方に戻「ていら「しゃいました。お二人とも日が高くなるまでお は朱雀院、一人は冷やす 泉院、一人は光源氏寝みになっていらっしゃいます。「宮のお琴の音は、こ、 / そう巧者になったではないか。 でこの「院」は源氏 である。源氏はまたどうお感じになりました」とお聞きになりますと、「最初の間、あちらの御殿でほのか 院になる前の習慣に こ聞、ておりました頃には、どうかと思っておりましたが、近頃はこの上もなくよくお 従って「大殿」「殿」ードも などと呼ばれてもい なりになりました。ほんに、あれだけ一心に教えてお上げにな「たのですから」とお答 るのではなはだまぎ らわしいため、注意 えになります。「そうですとも。毎日手を取って、全く行き届いた師匠でしたからね。 して読まれたい 、紫の上の御殿 あれはうるさくて、面倒で、暇の要る稽古ですから、誰にもお教えしなか「たのだが、 の上 きん ニ、女三宮 『それにしても琴は教えて上げているであろう』と、お上も院もお「しや「ておいでに なると聞いたのが恐れ多く いくら何でもそのくらいなことをして上げないでは、せつ かく私をおん後見にとお選びなされて、お任せにな「た甲斐がないわけだと、思い立「 たものですから」などとお話しになりますついでに、「昔あなたが小さくていらっしゃ るのをお世話していた時分には、暇のない体だ「たので、ゆ「くりと念を人れて稽古を して上げたことなどもなく、近頃にな「ても、何となく次から次へ取り紛れながら暮し もち イ やき 150
匂宮 でになりますが、でももしそういう思召しがおありになるなら、お受けなさらなくもな いような素振りを見せて、おん娘たちを非常に大切に養育なすっておいでになります。 わけても六の姫君は、その頃少し我こそはと思い上「ておいでになる親王たちや上達部 の、気のもめる種でいらっしゃいます。院がおかくれになりましてからは、数多お揃い すみか になっていらしったおん方々も、泣く泣く御自分たちの終の住家へめいめいお引き移り になりましたが、花散里と申し上げたのは、二条院の東の院を御処分によりお譲り受け になりまして、そちらにお渡りになりました。人道の宮は三条の御殿においでになりま うち す。中宮は内裏にばかりいらっしゃいますので、六条院の内は寂しく、人少なになりま したが、右大臣は、「他人の上で、昔からの例を見たり聞いたりしても、世にある頃に ふしん 趣向を凝らして普請をした邸宅が、その人の死後あとかたもなく打ち捨てられて、世の 中の無常を示しているのなどは、見ても哀れに、はかなさが感ぜられるものですが、ど うか私の生きている間だけでも、この院を荒廃させないようにして、附近の大路などに、 うしとら 殳もと花散里のいた人通りの絶えることがないようにしたいものです」と仰せになりまして、東北の町にあ 、落葉の宮 の一条の宮をお迎え申し上げられて、そちらと三条のお邸とへ、一晩おきに十五日ずつ、 ぎちょうめん 几帳面に泊っておいでになりました。そんな具合で、二条院といわれた結構な御普請も、 うてな 六条院の春の御殿と言われて世に鳴りひびいた玉の台も、ただ一人のお方の御子孫のた 女三宮 光源氏 みぎのおとど あまた かんだちめ 439
姫 橋 その姫君たちがお琴を合奏なさいますと、川波の響きと競い合うように聞えますのが、 ぼさっ まことに面白うございまして、極楽の歌舞の菩薩が思いやられるのでございます」と、 古風な感心の仕方をしますので、院もほほ笑み給うて、「そういう聖のようなお人に育 やさ てられては、この世のことなどはできそうにもなく思われるのに、それはまあ優しいこ とだね。宮もさぞかしその人たちの行く末が心配で振り捨てがたく、持て扱「ておられ るであろうに、私の方がもし少しでも長生きをするようであったら、こちらで世話をさ せて貰えないであろうか」などと仰せになります。この院の帝は八宮のおん弟君に当ら せ給い、十番目の御子でいらっしやるのでした。朱雀院があの人道の宮を、故六条院に お任せにな「た御前例をお思い出しになりまして、自分もその姫君たちを譲って貰えな つれづれ いものかしらん、そうしたら徒然の遊び相手になるのだが、などとお思いになるのでし 中将の君は、そういう風なことよりは宮にじきじきにお目にかか「て、行い澄まして いらっしやる御心境のほどを見せていただきたいものよと、思う気持が強まるのでした。 で、阿闍梨が山へ帰ります時にも、「必ずお訪ね申し上げて、お話を聞かしていただけ るように、まずあなたから御内意を伺っておいて下さい」などとお頼みになります。院 もお使いをお差し立てなされて、「感に堪えたおすまいの有様を、入づてに聞きました こ 0 531
にかかりますので、おん文ばかりをつぎつぎとおしたためになります。「まあいつの門 に、あんなにお書きになることが溜るのでしよう。あれでは全く安心がなりません」と、 あやま イ、女三宮についてい宮のおん過ちを知らぬ入は言います。ただ侍従たけが、そんなことにつけても胸騒ぎが る小侍従のこと するのでした。 、柏木 かの人も、院がこうしてお越しになったことを聞きますと、たいそうもない逆恨みを ( 、六条院の中にあして、とんでもないことどもを書き連ねてお寄越しになりました 9 ちょっとの間対へお る、もとの紫の上の 御殿の方 ~ 行。たの渡りになりました隙に、人のいない時を窺「て、そうっとお見せ申し上げます。「厄介 である 小侍従が見せるのなものを持って来られては困ります。えらく気分が悪いのに」と仰せになってお臥せり はしが である になりますと、「でもまあ、この端書きにこんないとおしいことが書いてあるのでござ いますよ」と、ひろげて御覧に入れるのでしたが、折あしく入が来ましたので、まごっ きながら御儿帳を引き寄せて行ってしまいました。宮はぎくりとなさいましたが、院が はいっていらっしゃいましたので、うまくお隠しになれないで、おん茵の下へお挿し込 みになりました。夕方、院は二条院へお渡りになろうとして、お暇乞いの御挨拶をなさ います。「こちらはそんなにお悪いようにはお見えになりませんが、あちらはまだどう とも申されないような様子ですから、構わないように見えますのもいまさら心苦しいの です。間違ったことをお耳に入れる入がありましても、決して気におかけなさいますな。 たま うカカ しとね さかうら やっかい 184
鈴虫 = 、朱雀院 ホ、光源氏 内裏からも、山の帝からも、聞し召し及ばれて、それぞれにおん使いがあります。御誦 ぎようふせ 経の布施など、並びきれないほど立派なので、にわかに事が大袈裟になりました。院が なるべく簡略にというおつもりでおかかりなされましてさえ、一方ならずものものしく なってしまいましたのに、ましてかように花やかな御寄進が加わりましたので、タぐれ おびただ に退り出る僧どもは、寺へ帰っても置き所がなさそうに思えるほど、夥しい頂戴物をし たのでした。 宮が御出家なさいました今となっては、お可哀そうというお心持が添いまして、この いたわってお上げになります。院の帝は、あの譲ってお上げになりま 〈、院の帝、山の帝、上もなく大切に、 ともに朱雀院のこと ト、「柏木」二三一頁した三条の宮に別居してお住みになりますのも、どうせ結局はそうなるのであるから、 参照 ていさい その方が体裁がいいように仰せになるのですけれども、「別々に暮していましては、何 あ かと心配でございます。朝夕お逢い中し上げて、お話を申し上げたり承ったりすること チ、ありはてぬ命待つができなくなりましたら、不本意に存じます。なるほど『ありはてぬ世』は長いことは まの程ばかり憂きこ としげく思はずもがありますまいが、それでも生きております間は、せめて私のこの心持をなくしてしまい な〔古今集〕 たくはございません」と中し給うて、その三条の御殿にも、たいそう念人りに、綺麗に みしようみまき 造作をお加えなされまして、宮の御領地から上るもの、国々の御庄や御牧などから奉る みくら ものなど、これというものは皆そこの御蔵に納めさせられます。なおその上にも御蔵を まか あが へ チ お お げ 287
あかし うしろみ めに設けられたようになりまして、今では明石のおん方は、数多の宮たちのおん後見と して、お世話を申しながら暮していらっしやるのでした。大殿はいずれのおん方をも、 亡き父君の思召しのままに、昔と変るところがなく、 一様に御自分の母君として仕えて いらっしやりながらも、対の上がこのおん方々のように達者でいらっしやったら、どん なに真心を傾けてお世話申したか知れないものを、とうとう少しも、これといって自分 くちお の志を見ていただく折がなくて過ぎたことよと、口惜しく、物足らなく、悲しく思って あめした よろす いらっしゃいます。天が下の入々は、一人として院をお慕い申し上げない者はなく、万 につけて世の中はただ火を消したようになってしまい、何事をするにも張合いがなくな ったことを歎かない折はありませなんだ。まして御殿のうちの人々、おん方々、宮たち おもかげ などは申すまでもなく、故院のおんことはもちろんとして、またあの紫の上のおん面影 を心にしめつつ、何かのことがあるたびごとに、田 5 い出し給わぬ時の間もありません。 春の花の盛りというものは、まことに長つづきがしないところに一段と値打があるので 7 レよ、つ、刀 にほん 、女三宮の若君、薰二品の宮の若君は、院がお願い申し上げておおきになりました通りに、冷泉院の帝が きさいのみやみこ これは冷泉院の后取り分けておん眼をかけていらっしゃいましたが、后宮も御子たちなどがおいでになら 宮、秋好中宮 うしろみ なっ ず、お心細く思し召されますところから、この君を懐かしいおん後見になさるおつもり 紫の上 れい妊いいん 440
みゆき 朱雀院の帝は、この間の行幸の後、その時分からずっとおん心地がすぐれず、お患い になっていらっしゃいます。もともと御病身でいらっしゃいます上に、今度はことにも ははきさ、 イ、弘徽殿大后の崩御の心細くお感じ遊ばすにつけても、かねてから出家の本意がありながら、母后の宮の御 のこと始めて見える 存生中は何かと御遠慮遊ばして、今日まで見合わせていらっしやったのですが、やはり その方へお心が惹かれるのでしようか、「この先長くも生きられない心地がする」など と仰せられて、その御用意などを遊ばします。御子たちは、春宮を除きまいらせて、女 先帝の皇女として 生れ、先帝の時に、 宮たちが四ところおいでになりました。その中で、かって先帝の時の源氏で、まだこの 上源氏姓を与えられた 人という意。この先院が春宮の頃にお上りなされたおん方で、藤壷と呼ばれていらっしゃいましたのが、ゆ 菜帝は桐壷院の前の代 うしろみ に立ョる くゆくは后の位にも定まり給うべきでしたのに、格別のおん後見もおありにならず、母 若 ( 、桐壺院の藤壷の異 母妹に当る 君の身分も、これという家柄でもなく、ほんのちょっとした更衣に過ぎませなんだとこ わか 若菜上 すざくいんみかど あが わすら
竹河 います」などと申されます。「今はこうして世にある数にも人らぬような身の上になっ て行きますのを、人並みにお思い下さいますにつけても、お薨れになりましたお方のこ とが、ひとしお有難く思い出されるのでございます」と申されますついでに、姫君のこ うしろみ とで院から仰せがありましたことを、仄めかして申されます。「しつかりした後見のな い人が宮仕えをいたしますのは、かえって見苦しゅうございますし、旁々どうしたらよ ろしいやらと迷っているのでございます」と申されますと、「内裏でも思召しがおあり になるように承っておりましたが、どちらにおきめになるべきなのでしようか。院はな 々くらい るほど、御位をお下りになりましたことですから、もはや盛りを過ぎた感じもあります けれども、世に類ないおん有様は、今も昔とお変りがないようでいらっしゃいますので、 私なども相当な娘がありましたらと存じながら、とてもお立派なおん方々のお仲間人 くちお おんないちのみやホ ホ、冷泉院の弘徽殿女りを願えるような者のないのが、ロしくてなりません。ですが、いったい女一宮のお 御。玉鬘とは異母姉 妹になる ん母女御はお許しになりますでしようか。さきざきも、お人たちが御奉公を望みながら、 あのお方への遠慮から、お止めになったこともありましたが」と申されますと、「さあ、 その女御が、『この頃は所在がのうて、つれづれに悩んでいますから、自分も一緒に面 倒を見て上げて、退屈しのぎをしたい』などとお勧めになりますので、どうやら私も考 えてみる気になりました」などと中されます。誰彼と、ここにお集りになった方々は、 = 、冷泉院 わたくし お ほの カナカオ 479
その姫宮も、御両親のどちらにお似になったとしても、よもやなみなみのおん方ではい らっしやるまい」などと仰せになりますのは、やはりいくらかお心を動かしていらっし やるのでしよ、つ。 その年も暮れました。朱雀院は相変らず御気分がよろしい方へお向いになりませんの あわただ で、何かと慌しく思い立ち給うて、おん裳着のお支度をなさいますのが、昔も今も例の イ かえどのにしおもて イ、朱雀院の御所の中ないような結構さで、ものものしい騒ぎなのです。おんしつらいは柏梁殿の西面にお設 にある御殿 きさき あやにしき け遊ばされ、御帳御儿帳を始めとしてわが国の綾錦はお交ぜにならず、唐土の后の部 ととの 屋飾りを、こうもあろうかと御想像なされて、麗しくことごとしく、輝くばかりにお調 こしゆい おおきおとど えになりました。おん腰結の役は太政大臣にかねてから仰せごとがあったのですが、物 おおげさ 事を大袈裟に考えられる人のことで、ためらっていらっしゃいましたものの、昔から院 ふたところおとど のお言葉にお背きになったことがありませんので、参上なさいます。今二所の大臣たち、 かんだちめ さしさわ その他の上達部などは、よんどころない差障りのある入までが、無理に繰り合わせて参 ち 上なさいます。親王たちが八人、殿上人はいうまでもなく、内裏、春宮にお仕え申す者 たちが残らず参り集って、盛大なおん儀式なのです。この院のおん催しごとももう今度 が最後であろうと、帝や春宮を始めまいらせて、おいたわしく思し召されて、蔵人所や ( 、元来は大饗の時のおさめどの 長者のことである納殿にある唐の品々を多くお贈りなさいました。六条院からの献上品も、たいそうなこ ロ、左右大臣 から そむ みちょうみきちょう うるわ もろこし ためし