になりますと、弁が出て来て御案内申し上げます。先夜もここから中納言を引き入れた のだなと、おかしくお思いになりながらおはいりになるのでしたが、大姫君はそんなこ ととは知り給わず、何とか巧く中納言の君を説きつけて、あちらへ差し向けようと考え ていらっしゃいます。君は心のうちに、おかしくもあれば気の毒でもあり、それなら内 内で知らしておいてくれたらよかったのにと、あとで恨まれたら申しわけがないように お感じなされて、「宮がおせがみになりますので、どうにもお断り中しにくく て、ここ へお連れして参りました。先ほどこっそりとあちらへ忍び込まれたようです。大方あの おせつかいな人が手引きを頼まれたのだと存じます。ところで私はどうしたらよろしい のやら、物笑いになりそうでございますな」と仰せられますので、これはまた一層想像 くら もなさらなかったことですから、眼も眩むほどお驚きなされて、「そういうふうに、あ たくら ふがい れやこれやとけしからぬ企みをなさるお方とは存じませず、腑甲斐ない愚かな心をお見 せ中しましたばかりに、すっかり入を井く御覧になるのですね」と、言いようもなく不 らち 埓に思っていらっしゃいます。「今はどのようにおっしゃいましてもせんないことです。 ひね 返す返すお詫びは申し上げますが、お心が癒えませぬなら、抓るなり捻るなりなすって 下さい。そちらではやんごとないお方を慕っていらしったのでございましように、人の 宿世などというものは決して自分の思うようには参らぬものだと見えまして、あちらで つね
を、強いてお断りになりまして、かねての御本意のように、佛にお仕えになるとしまし ても、まさか雲や霞だけでは」などと、ながながとしゃべりつづけますので、ひどく憎 あやにく らしく、腹立たしくおなりなされて、俯していら「しゃいます。中の君も、生憎にもお 気の毒にもお思いなされて、 いつものように御一緒にお寝みになるのでした。姉君はも しやこのあたり ~ お忍びになりはしないかと、気が揉めて、どうしたらよいかとお思い になるのですけれども、どことい「て格別逃げ込んでお隠れになるような物蔭さえない お住居のことですから、柔かな美しいおん衣を妹君の上に掛けてお上げになりまして、 まだ暑さが残「ています時分のことなので、少し離れた方 ~ 寝返りをなす「てお寝みに なります。 弁は姫君が仰せになりましたことを客人に中し上げます。男君は、どうしてそのよう にまで世をお厭いになるのであろう、聖者めいていらしった父宮のお側でお育ちなされ て、無常の理を自然にお悟りになったのであろうかとお思いになりますと、 いよいよ御 自分の性に合「たようにお感じなされて、生意気なとか、憎いとかいう気持にはならな いのです。「ではもう物越しにお会いになるのなども、もってのほかのことと思ってお いでなのでしようね。それならせめて今夜だけでも、お寝みになっていらっしやるあた りへそう「と連れて行「ておくれ」と仰せになりますので、内々用意をして人々を早く ことわり まろうど
角 総 らっしやるのであろう、などと思案しておいでになります。 でもそのようなことをひとりで胸の中に収めて、気振りにも見せずにいらっしゃいま すのも、何だか罪作りのようで、身につまされておいとおしいので、いろいろとお話し になりまして、「故宮がお言い遺しになったお言葉にも、かように寂しい暮しをして一 生を終るようであっても、なまなか人に笑われるような軽々しい考えは起してくれるな、 などとおありになりましたが、御仔生中は、どんなに私どもが修行のお妨げをしてお心 きわ をお乱し申したことでしよう。ですが、い まわの際にあれほどおっしやった一言にだけ は背くまいと思いますので、田舎ずまいをするぐらいは別に寂しいとも感じませんカ しようこわ ただここにいる女房たちから、さも情の強い女のように思われて憎まれていますらしい のが、まことにたまらないのです。全く、あなたまでが、私と同じようにしてお過しに なりますのは、月日が立って行くにつれて、もったいないようでもあり、お気の毒でい じらしくも思えますので、せめてあなただけは世間並みのお身の上になって下さい。あ なたのそういう御様子を見ることができましたら、こんな山里に引き籠っている私の面 目も立ちますし、気持もどんなにか慰められることでしよう」と申されますので、中の うすも 君は、どういうおつもりなのであろうかと心憂くて、「父宮は、姉上お一人だけ世に埋 れて果てるがい 、とおっしやったのでございましようか。私の方こそ、たよりなくて人 のこ おさ
いましたのですが、それとも聞き違いだったのかどうか、伺いたくてはいって参りまし なさけ た。そう餘所々々しくお扱いになれるはずはございますまいに、お清ないお仕打ちです ね」とお恨みになるのですが、返事をする気にもなれず、あまりなことに憎くさえなっ て来ますのを、強いて取りしずめて、「とんでもないお心でいらっしやるのですね。女 房たちがどのように思いますやら。まあ、呆れ果てた」と窘めて、泣きそうにしていま すのが、少しはもっともに思われますので、気の毒ではあるのですけれども、「これほ どのことが、どうだとおっしやるのでしようか。これぐらいの対面なら、あのいっぞや の一夜のことを思い出して下さいまし。亡きおん方のお許しもありましたものを、ひど いお扱いをなさいますのはなかなかお恨みでございます。でも失礼な婀娜めいた料簡は ないのだと、安心していらしって」と、精々落着きをお示しになりながら、月頃悔しさ を怺え通していた胸の中が、苦しいまでになって行く有様を、つぶつぶと言い続け給う けしき て、許す気色もありませんので、何としていいかも分らず、迷惑どころの段ではありま せん。かえって気心を知らない人よりは、知っていらっしやるお方だけにきまりが悪く 腹立たしくて、泣いておいでになりますのを、「これはどうなすったというのです。あ いとおし まり子供じみています」とは言いながらも、たとえようもなくいじらしくも、 いっぞやから見るとすっか くも思うのですが、お嗜みの深い、奥床しい御様子などの、 こら よそ あき たしな 218
辛うございます。心配事の多い身は、ふとした御冗談を伺いますのさえ瞥しくて」と、 そむ 顔を背けていらっしゃいます。宮も真面目におなりなされて、「でもほんとうにお限み 中していることがあるとしたら、どうお思いになりますか。私はあなたのおためには随 分尽くして上げています。世間の人も度が過ぎるように言っているほどではありません か。それなのにあなたは私を大将よりはずっと下に見ていらっしやるらしい。それもそ 、つ、つ 前世からの約東事なのだろうと、諦めてはいるけれども、隠し立てをなさる深い なさけ 心がおありになるのが、ないのです」と仰せになるのでしたが、それでも浅からぬ因 縁があったればこそ、あの居所を探りあてたのだとお思いになりますと、つい涙が出て 来るのでした。女君はまた、本気で限んでいらっしやるのがお気の毒で、どういうこと をお聞き込みになったのかしらんと谺しみながら、何とおん答え申し上げていいかも分 らずにいます。最初に私にお逢いになったそもそもが、ほんの一時のお戯れのようなこ はすば とからであったので、何事につけても私を蓮っ葉な女のように御推量なさるのであろう、 なかだち それほどの縁故もないお人に媒介をしていただいて、その好意を受け入れたのが間違い のもとであったのだ、そしてそのために宮からも軽く見られる身になったのだとお思い しお つづけになりますと、いろいろと悲しくなって、ひとしおいじらしく、萎れておいでに なります。宮はかの人を見つけたことを当分お知らせしないでおこうというお考えから、 あきら 379
に、ああいう場所ではお気の毒だからと思って、こんな風に計らったのですが、今まで そば 側を離れずに明け暮れ見馴れていたのですから、別れ別れになってみますと、互いに、い はんだ 細くてたまらないのです。「この家はこんな具合に、まだ半建ちのままですから、無用 つばねつぼね 心な所です。どうか気をおつけになって下さい。御用の時は局々にいる者どもを召し寄 せてお言いつけになって下さい。番人のことなども、中しつけてはおいたものの、何だ か気がかりですけれども、私が家を空けていますと、家の人たちに何のかのと言われま すのが辛いので」と、泣いて帰って行きます。 常陸守は、少将をこの上もない人のように思っていろいろと支度をするのですが、北 の方が心を合わせて世話を焼こうとしませんのを、体裁が悪いと言って怒るのでした。 北の方は気が重く、この人のお蔭でこういう騒ぎなども起ったのですし、そのためにか たさけ けがえのない大事な姫君が、今の有様になったことを思いますと、恨めしくも情なくも ありますので、ろくろく構う気などはありません。宮のお前では三文の値打もなかった ところを見ましたので、あれ以来すっかり馬鹿にしてしまって、大事なものとしてかし ずこうなどという考えは、疾うになくなっているのでした。が、ここの家ではどんな風 に見えるであろうか、そういえば打ちくつろいでいるところをまだ見たことがなかった ひま がと思って、或る日、少将が暇そうにしておられる昼つかた、こちらへやって来て、物 うち 328
世なさるというようなことは、よもやありはしないと思う。どういう意外なわけがあっ て、何でそう突然に、そのようなことをなさるだろう力不 ゝ。ムにはとても信じられない」 と仰せになりますので、右近はいよいよおいとおしくて、さればこそ、やつばりそこへ 気をお廻しになったかと、難儀なことに思いながら、「自然お聞き及びになったことも おありになるでございましよう。あのお方はもともとお気の毒なおん有様で、田舎でお 育ちになりましたのに、近頃はまたこういう 世離れた山里に暮しておいでになりました ので、 いっからともなく鬱々として、沈んでばかりいらっしやるようになられたのでご ざいますが、あなた様が時たまにでもこうしてお越し下さいますのをお待ち申し上げな さいまして、前々からの不仕合せをさえお忘れなされて、ただこの上は、もっとゆっく りした心持で明け暮れお目にかかれるように、 一日も早くなりたいものと、ロにはお出 しになりませんまでも、お胸の中ではいつも思っておいでのようでございましたし、そ の御本意も遠からずお叶いになりますように、私どもも漏れ承っておりましたので、こ うれ んな嬉しいことはないと存じて、そのつもりをしておりましたし、あの母君も、ようよ うほっとしたらしく、京へお移りになるお支度を取り急いでおりましたところ、その矢 イ、「浪こゆるころと も知らず」の歌のこ先に、あの合点の行かないおん文が参りましたばかりか、ここの夜番を承っている人々 と。「浮舟」四一 こい」と 頁参照 なども、女房たちがふしだらであるというお叱言をいたたいたとか申して、礼儀を知ら 460
ずば何を玉の緒にせも少々若くて、深山住まいをしますのにはお気の毒に思われます人のお身の上だけは、 ん〔古今集〕 何とかこのまま朽木にさせてしまいたくないものと思い、お世話したいとひそかに思っ ているのでございますが、どういう 御縁に決まることでございましよう」と歎きながら、 思い乱れていらっしやるらしい有様が、たいそういとおしいのです。 やはりうら若いおん身空で、そう手際よく、自分たちのことを大人ぶってはきはきと はおっしゃれないのであろうと、お道理にお思いなされて、例の老女を召し出して御相 談になります。「初めのうちは、ただ後世のことを承ろうという考えで、進んでお伺い したのでしたが、故宮が御寿命のことなどをお心細く思し召すようになられた御晩年に、 この姫君たちのお行く末を、いかようにもお世話申すように仰せつかりもし、またお引 き明けもしましたのに、せつかくつもりをしていらしったよ、つにはおなりにならす、少一 にお気の強いところがあられるのは、可ゝ、ほかにお考えでもおありになるのかと、疑 わしい心さえ起るのです。あなたも自然聞いておいでになるでしようが、私は不思議な こうまでお親し 性分の男で、ついぞ世の中に執着を感じるようなことはなかったのに、 く願うようになりましたのも、そういう因縁なのでしようか。世間の人も追い追いその ような噂をしているらしくもあるので、同じことなら、故宮の御意志にも違わず、お互 かわ いに心を許し合って、世間並みの女夫らしく語り交したいと思うのは、分に過ぎた望み うわさ くちき みやま めおと おとな
なくあわれに感じます。 例の老女が、有難くない代人ながら、替 0 てお相手に出て来まして、昔のことや今の ことやいろいろと悲しい物語を中し上げます。世に珍しい浅ましいことどもを見聞きし うすぎたな きら た女のことですから、薄汚い年寄りとして嫌「ておしまいになるわけにも行かず、ひど く打ち解けてお話をなさいます。「幼い時に故院にお別れ申し上げて、浮世はつくづく 悲しい所だと悟「たので、たんたん大入になるにつれて、官位だの、世の中の栄華だの というようなものは、欲しくも可ともないようになりました。ただこういう閑静なお住 居がお心にかな「ておりましたのに、そのお方さえはかなくおなりなされましたので、 いよいよ悲しみに堪えがたく、無常を悟る心も動いて来ましたが、お気の毒な姫君たち がいら「しやることを考えますと、それが絆になるなどと申しては口実のようになりま ごゆいごん すけれども、とにかく世の中に留ま「ていて、故宮の御遺言を違えずに、御相談相手に させていただきたいのです。とはいうものの、思いがけない昔の物語を聞かして貰いま してから、なおさらこの世に跡を残そうとは思わないようになりました」と泣きながら 仰せになりますので、老女はまして激しく泣いて、ようおん答えも申さないのです。お 顔たちなどがそ「くりそのままでいら「しゃいますのに、久しく忘れていた古いおんこ おに とまでがまた新しく思い出されて、何と申し上げていいかも分らず、涙に溺れているの とど おとな
え「て気が張ることよなどと、人知れずお思いになることもないわけではありませんの に、ましてこの頃は、評判の高いあの花やかなおんあたりのおん有様はどんなであろう、 すま また宮のおん内の入々も、あちらと比べて私の住居をさぞ見すばらしく感じるであろう などと、そんなことも気にかかって、歎いておいでになるのでしたが、中納言の君は、 そういうお胸の中をいしくも察してお上げなされて、日頃心やすく願っていないあたり になら、あり合せのものを寄せ集めて上げるというのは見苦しく失礼に当るけれども、 あなど おおげさ 何の、侮る気持ではないのだし、わざわざ新しく調えて大袈裟な進物を届けたりしたら、 かえって餘計なおせ「かいのように見咎める者もあるであろうと、さてこそお思い立ち こうちき になったのでした。そして、今度は改めて、例の美しい衣どもを作らせたり、おん小袿 きじ を織らせたりして、綾の生地までも添えて贈ったりなさるのでした。本来ならばこの君 も、宮に劣り給わず特別にかしずかれてお育ちになったことですから、あまりなまでに こころお。こ 心驕りもし、世間の俗事に関わりなく、高貴な御気象はこの上もないのですけれども、 故八宮のおん山住みの有様を御覧になりましてから、随分変った、寂しい暮し方もある ものだと、お気の毒にお感じになりまして、その後は何事にも思いやりが深く、慈悲の 心を持つようにおなりになったのでした。さりとはいとおしい感化をお受けになったも のです。 きぬ 230