あたり - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第28巻
219件見つかりました。

1. 谷崎潤一郎全集 第28巻

浮舟 あと ね。二人が負けず劣らず親切を尽くすものですから、姉は思い迷っていますうちに、後 の男の方に少し心が傾くようになりました。前の男はそれを妬んで、とうとう後の男を 殺してしまいました。そして自分も姉と夫婦別れをしてしまいました。国府でもあたら つわもの 一人の立派な兵士を亡くしたのでした。その、殺した方の男も、役に立っ郎等でしたの あやま に、そういう過ちを犯した者を使うわけには行かないとあって、国の内を追われてしま イ、国の守の館 いました。すべては女のふしだらからだということにな「て、姉も館から追い出されて、 、乳母のこと。右近東国の人になってしまいましたので、姥は今でも姉のことを思って泣いております力 が自分の母のことを ほんに罪の深いことですね。かような折に縁起でもないことを言うようですが、貴いお もことで 方も賤しい人も、この道にかけると分別をなくすようになりますのは、全く かかわ はありません。お命に関ることはないにしましても、御身分に応じて不仕合せなことも 起ります。死ぬのにまさる恥かしいことも、貴い地位のお方になればかえってあるもの ひとかた でございます。やはりどちらかお一方におきめなされませ。宮も、殿には勝ってお志が なび 深く、真剣でさえいら「しゃいますなら、その方へなりとお靡きなされて、あまり餘計 な物思いはなさいますな。くよくよなすって、痩せ衰えておしまいになってはつまりま せん。おん母上があのようにお案じになっていらっしゃいますので、姥も殿との御縁組 のお支度に夢中にな「て、気を遣「ていますけれども、それよりこちらへ来てくれるよ やかた ろうどう まさ 415

2. 谷崎潤一郎全集 第28巻

か、故宮が生前御心配にな「ていらした御様子が、お気の毒でいつまでも眼に残「て ) こぎようだい いたし、あの御姉妹のおん方々が尋常な御器量をなさりながら、格別なこともなくて世 うすも 、よう力、 に埋れておしまいになるのがあまり惜しくも思えたので、人らしい境涯にして上げよう なかだち と、自分でもおかしく感じるくらいお世話申していた折から、宮もしつこく媒介をする ようにお責めになったし、自分の心は別の人にあるのに、あの方を押しつけようとなさ るのが面白くなかったので、あんな具合に取り計らって上げたのだけれど、今考えれば 悔しいことをしたものよ、あのおん方々をお二人ながら我がものとしてお眺め申し上げ たとて、誰も何とも言う者はなかったのにと、取り返す術もないことながら愚かしく、 ひとりでくよくよと思い乱れていらっしゃいます。宮はまして、お忘れになる折もなく、 恋しく気にかけておいでになります。「思う人がおありになるなら、こちらへ引き取っ て、世間並みに、あたり前に落ち着いていらっしゃい。お上があなたを渟通の人と違う ように思し召していらっしゃいますのに、軽々しいような噂が立っていますのは、ほん とうに残念です」と、中宮は明け暮れおっしやっておいでになります。 しぐれ イ、匂宮の姉に当る時雨がしとしと降りそそいで、のんびりとしています或る日のこと、女一宮のおんも さふろ とへお伺いになりますと、お前には女房たちも多く侍うていず、もの静かにおん絵など を御覧になっていらっしゃいます。御儿帳ばかりを隔てておん物語をなさいます。この くや 114

3. 谷崎潤一郎全集 第28巻

角 をお伝えになります。男君はたいそう悲しく、一体どうおなりになるのであろうと、 やさ つになく優しくなさいますのにかえって胸がつぶれる思いで、近くへ寄って何くれとな くお話しになります。「苦しくてよう申し上げることもできません。しばらく休みまし てから」と、かすかな声で申されますのが力なげなけはいなので、限りなく傷わしく思 いながら、歎息しておいでになります。でも手を東ねて長居もなさりにくいので、たい そう気がかりなのですけれどもお帰りになります。「やはりこちらのお住居がよろしく なかったのです。どこぞ、土地を変えるということになすって、それをかこつけに便利 なあたりへお移し申し上げましよう」などと中しておおきになって、阿閣梨にも御祈疇 に精を出すようにお含めなされてお出ましになるのでした。 ちぎ もつのほどにかこちらの若い女房と契 この中納言の君のお供をしています人の中に、、 かわ り交した者がありました。或る時二人の間での物語に、「あの宮はお忍び歩きを止めら れ給うて、内裏にばかり籠っておいでになるとやら。左の大殿の姫君を御縁づけ中すこ とにきまったらしいので、女君のお里の方は年来の御本意のことだから、おためらいに なることもないので、年内にも式を挙げようとしておいでになるらしい。宮の方はしぶ しぶでいらっしやるので、内裏あたりにおいでなされても、浮気つぼいことにばかりお 心を人れて、帝や后宮のお叱りがあってもなかなかお落ち着きにならないそうな。ただ きさいのみや おおいとの 119

4. 谷崎潤一郎全集 第28巻

浮舟 たので、ほっそりとした体つきがたいそう愛らしいのです。何の取り繕うこともなしに、 まばゅ 打ち解けた形のままで、世にも恥かしい眩いようなおん方に面と向っていることかと思 きぬ いながら、どこへ逃げ隠れしようもありません。着馴らした衣の、白い無地のものばか りを五襲ほど、袖ロや裾のあたりまで優雅に、色さまざまな衣をたくさんに重ねたより も、かえってすっきりと着こなしています。朝夕逢っていらっしやるお人にしましても、 こうまで打ち解けておいでのところなどは見馴れていらっしやらないことですから、こ んな様子までをなおさら珍しく、趣深くお思いになります。 侍従も、なかなか見苦しからぬ若い女房なのでした。この者にまでこういう姿を残り なさけ なく見られてしまうことかと、女君は情なく思います。宮も、「共方は一体誰だね。私 の名を人にしゃべってはいけないよ」とロどめをなさるのでしたが、侍従は何という結 構なお方であろうと存じ上げます。この家の宿守をしています男は、時方を主人と心得 て大切に取り扱いますので、宮がおいでになります次の間に、遣り戸を隔てて控えてい かしこま ます時方は、得意そうな顔をしています。宿守の男が恐縮した声で長って話しかけます のを、・返事もできないでおかしがっているのでした。「重い物忌をせよという恐ろしい うらな 占いが出たので、都のうちをさえ遠慮して慎んでいるのだ。餘人を近づけてはならぬ ぞ」と言ったりしています。お二入は何の気がねもいらないあたりで、心のどかに語り いっかさね めん そち 391

5. 谷崎潤一郎全集 第28巻

らぬことではございませんか」と申すのですが、そんな遠慮をなさるべくもありません。 こんな具合に、ふとした出来心からのおん振舞いなのですけれども、お口上手な御本性 でいらっしゃいますので、何やかやと仰せられますうちに、日も暮れてしまいましたが、 「誰であるか聞かないうちは許しませんよ」と、馴れ馴れしく横におなりになりますの で、さては宮でいらしったのかと心づいた乳母は、呆れて言葉も出ないでいます。 イ、中姫君が髪洗いを燈籠に明りがともされて、「上はたたいまお渡りになります」と人々が言「ています。 済まして居間に戻っ みこうし て来るのである おん方のお部屋のあたりだけを除いて、方々の御格子を下している様子です。こちらの たなすし お部屋は、いつもは人の住んでいない離れた座敷にな「ていて、高い棚厨子が一揃い け置いてあり、袋に人れた屏風がところどころに寄せかけてあ「たりしまして、何もか まろうど も乱雑に捨ててあるのです。今は客入が泊「ておいでだからというので、人の往き通い ができるように襖を一間だけ開けてあるのですが、右近とい「て、大輔の娘でここに奉 公をしていますのが、格子を下してだんだんこのあたりへ近寄って来ます。「まあ暗い。 みこうし まだこちらにはお明りも上っていなかったのね。苦しい目をして、大急ぎで御格子をお ろしたのに、 こう真「暗では戸惑いしてしまう」と言いながら、またその格子を引き上 げますので、宮は少し厄介なことになったと思「て聞いていら「しゃいます。乳母もひ どく難儀なことに思いながら、無遠慮なところのある、気早な、手強い女なので、「も ひとま あが ま、つ 1 ま ~ ノ あぎ おろ てごわ どほんしょ ) 314

6. 谷崎潤一郎全集 第28巻

上円 蛉 、「さっき待っ花橘のは、それぞれものに感じやすい心を持っておられたからであろうに、自分だけは苦労 の香をかげば昔の 人の袖の香ぞする」を知らないものだから、今まで生きていたのでもあろうか、だがそれもそう長いことは 〔古今集〕を踏まえ た歌。それでなくてないであろうと、、い細くお思いになります。宮も、どうせ分ってしまうものを、打ち明 も、橘の匂いは昔の 人を思い出させるとけずにいらっしゃいますのも心苦しいので、一部始終を少しは取り繕いながらお話しに 言いますから、その 橘の匂うあなたの邸なります。と、「お隠しにな「ていらっしゃいましたのが、限めしゅうございました」 のあたりでは、時鳥 などと、泣いたり笑ったりして中されますうちにも、他人とは違った親しみがあって哀 もそのつもりで遠慮 して啼くべきです れなのです。六条院にいらっしゃれば、何事も仰々しく、窮屈で、少しお加減がお悪い チ ちちおとど チ、タ霧 といっても、早速皆がうろたえ騒ぐという風で、お見舞いの人たちも多く、父大臣だの ここはいたってお 六の姫君の兄たちおん兄上の君たちだのが、絶えずうるさくお纒わりになりますのに、 気楽なのを、うれしくお感じになるのでした。でもまだ夢のような心地がして、どうし て急にそういうことが起きたのであろうかと、やはりそればかりが気におかかりになる ところから、例の時方などを召して、右近を迎えにお遣わしになります。 かのあたりでは、母君も、はげしい水の音を聞いては自分までが飛び込みたい気にな りまして、憂いを忘れるべくもありませんので、やるせなくて帰ってしまわれた後なの でした。ただ念佛の僧どもをたよりにして、女房たちがひどくひっそりと過しています ところへ、お使いの者がはいって来ましたが、この前えらそうに立ちはだかった番人ど まっ 453

7. 谷崎潤一郎全集 第28巻

うしろみ か。年頃何やかやの折にふれて、お人柄を存じ上げておりますればこそ、特別な後見に なっていただいて、今は私の方からさえ、御相談申し上げるようにいたしているではご ざいませんか」と仰せになりますと、「そのようなことがいつありましたとも覚えてお りませんが、たいそう恩にお着せなされておっしやるのでございますね。今度おん山里 へお越しになるにつきまして、せめてそんな時にでも使ってやろうという思召しでござ 、ましようか。それもつまりは、私というものが分っておいでになるからだと存じます ので、どんなに嬉しいか知れませんが」などと仰せになりまして、まだ何となく限めし そうになさりながらも、さすがに聞 . いている者もありますので、そう思うままにもおっ づけになれないでいらっしゃいます。 庭の方を眺めますと、ようよう日が暮れて来ますにつれて、虫の声ばかりが紛れるも おぐら のもなく聞えて、向うの築山のあたりは小音く、何のあやめも見えませんのに、たいそ うしみじみとした様子でものに倚りかかっておいでになりますのを、御簾の内では迷惑 イ、恋しさの限りだに ずん ある世なカせば年経なことに思「ていら「しゃいます。「限りだにある」などと、忍びやかに打ち誦じて、 て物は思はざらまし 〔古今六帖〕 「どうしたらいいか途方にくれてしまいます。『音なしの里』へでも尋ねて行きたいので 生 ロ、恋ひわびぬ音をだ に泣かん声たてていすが、あの山里のあたりで、わざわざ寺などは建でないまでも、亡きおん方の人形を作 5 寄づれなるらん音なし の里〔古今六帖〕り、絵にも画いて、行いすましたい気になりました」と仰せにたりますと、「そのお志 みす ひとがた

8. 谷崎潤一郎全集 第28巻

角 わされて、何やかやと悲しくおなりになるのです。夜明けの空が白んで行きますので、 男君は妻戸をお開けになりまして、「御一緒に」とお誘いなされて、端近く出て御覧に なりますと、あたりに霧が立ち罩めています風情など、所がらだけに哀れも深く、例の イ、世の中を何にたとヒ 柴積む舟が微かに行きかう「あとの白波」も珍しく、見馴れぬ住居のけしきであること へん朝ばらけ漕ぎゅ く舟の跡の白波〔拾よと、さすがに風流なおん、いには興をお催しになります。ようよう山の端に日の光がさ 遺集〕 して来ますと、女君のお姿の美しさがありありと分「て、あの、この上もなく大切にさ 、女一宮などをさすれておいでになるあたりの姫君とても、恐らくこれ以上ではいらっしやるまい、自分の 兄弟だと思うからこ」そ気のせいで立派なようにも感じるのであろう、見れば見るほどこ まやかに美しいところなど、もっと一層打ち解けてみたいようで、なまなか物足りない 心地さえします。川瀬の水音が物騒がしく、ひどく古びている宇治橋の景色などが見渡 、いっそう荒凉として見える岸辺の様子 されるのですが、霧が晴れて行きますにつれて などをお眺めなされて、「こんな所でどうして長の年月をお過しになったのでしよう」 などと、涙ぐんでいらっしゃいますのを、女君はたいそうきまり悪くお聞きになります。 男君の御様子が言いようもなく艶で、清らかでおいでなされて、この世ばかりか先の世 までも変らぬお約東をなさいますので、こうなろうとは夢にも考えていらっしやらなか かおなじみ ったことながら、今ではかえって、前から顔馴染でいらっしやる中納言の君の堅苦しさ はらから えん

9. 谷崎潤一郎全集 第28巻

と思って頼みにしている、辛く憎らしいけれども心では従うつもりでいるあの常陸守な ひざまず どよりは、容貌も人品もはるかにすぐれて見える五位四位などの人たちが、皆跪いて控 えていまして、それぞれ自分の受持ちのことを何やかやと、家司どもが中し上げていま す。また、若い五位の人たちなど、顔も見知らないようなのが大勢います。自分の継子 の式部丞で蔵人を兼ねています男が、内裏のおん使いとしてやって参ります。それがお 側近くへも参れないでいますけはいなど、大した御威勢でいらっしやるにつけても、一 体まあ何という偉いお方なのか、かようなおんあたりに連れ添うておいでになるおん方 のめでたさよ、このおん有様を眼のあたり拝まなかったものだから、 いくらお立派な男 君でいらっしやっても辛い目にお遭わせになるのではと、お傷わしいように推量してい た浅はかさ、これだけの御器量と御身分のお方を夫に持っておいでになったら、たとい こよゞよこ 棚機のように年に一度だけであっても、こうして逢っていただけるというのは非常なお 仕合せなことではないかと思うのでしたが、宮は若君を抱いて、あやしておいでになり ます。女君が低い几帳を間に立てていらっしゃいますのを押し除けて、何か話をなさい ます。お二人ながらたいそうお顔だちが美しく、 いかにも似合いの御夫婦です。故宮が 佗びしく暮していらしったおん有様に比べますと、同じ宮たちと申し上げても、大変な 違いだという気がします。宮が儿帳のうちにおはいりになりますと、若君のお相手は乳 つら つら ままこ 298

10. 谷崎潤一郎全集 第28巻

生 寄 明は醍醐天皇の皇子にしまいましたので」と、恥かしそうにして、手もお触れになりませんので、「これぐ であるから「親王」 なさけ と言「たのであろうらいなことにも隔てをお置きなさいますのは、情ないことです。この頃お逢いしていま ホ、父宮のこと 六の姫君のことすあたりのおん方は、まだほんとうに打ち解けるほど日数が立「てはいませんけれども、 子供じみた未熟なことでも隠さず見せるのですよ。すべて女は物柔かで、気だての素直 なのがよろしいのであると、あの中納言も言っていたようです。きっとあの人にはこん な具合にお隠しにならないのでしよう、この上もなく睦じいおん間柄ですからね」など ためいき いやみ と、本気で嫌味をおっしゃいますので、溜息をして、少しお調べになります。宮は琵琶 ばんしきじよう の緒が少し弛んでいましたので、そのまま盤渉調にお合わせになります。女君の掻き合 つまおと 、伊勢の海の、清きせが、爪音も面白く聞えます。「伊勢の海」を謡い給う宮のお声の気高く美しいのを、 諸に、潮がひに、な のりそや摘まん、貝女どももそうっと物蔭に近寄って、にこにこしながら聞いています。「二心がおありに や拾はんや、玉や拾 はんや〔催馬楽「伊なるのは恨めしゅうございますけれども、それも御身分柄からいえば当り前のことです 勢海」〕 から、まあまあ内のおん方のようなのを、お仕合せなお人と申さなければなりますまい こういう結構なおんあたりとは、とてもお附合いなどおできになれそうもありませなん だあの山里のお住居に、また帰りたそうにお「しや「ていら「しゃいますのは、ほんに とんでもないことです」などと無遠慮に言いますのを、若い女房たちは「しっしつ」と 言って制しています。 ゆる 251