あたり - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第28巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第28巻

かのあたりでは、皆々女君がいらっしやらなくなったのに大騒ぎをして捜しましたけ れども、何の甲斐もありません。物語の中の姫君が人に次皿まれた朝のような話ですから、 詳しくは申しません。京からは、昨日の使いがあれきり帰って来ないのを案じて、また とりな 人を寄越しました。「まだ鶏が啼いている時分に、仰せを受けて出て参りました」と、 めのと その使いの者が言いますので、何と返事を申したものかと、乳母を始めとして誰も彼も あわ 慌て惑うばかり、全く見当もっきませんので、ただがやがや言い合っています中に、ほ んとうの事情を知っています二人の者だけが、ひどく考えごとをしていらしった様子を 思い出して、それでは身をお投げになったのであろうかと、考えつくようなわけなので した。 泣く泣く京からの文を開けて見ますと、「あまり心配でまどろまれないせいでしよう : か 下ぅ ふたり 433

2. 谷崎潤一郎全集 第28巻

何でそんなことがおできになりましよう。もともとそれほどお、いにかけておいでになら イ、中宮と薫大将とはなんだとしましても、私との御縁をお考え下さいまして、数の中に入れて下さいました 兄弟になるからであ る ら、有難いことでございます。まして前にはお親しくなすって下さいましたのに、近頃 お見捨てになりますのは、辛うございます」と申し上げられるのでしたが、すきずきし い心があってのこととは、お心づきにならないのでした。君は立ち出でて、いっぞやの 夜の人に逢いたいものよ、あの、この間の渡殿なども、せめて慰めに見たいものよとお 思いなされて、中宮のお前をお通りなされて、西の方へお渡りになりますので、御簾の 内では女房たちがそのつもりで心づかいをしています。ほんに、お姿も見事で、この上 もなくお立派に見える物腰で、渡殿のあたりにお越しになりますと、左の大殿の公達な どがいて何か話をしています様子なので、妻戸の前へいらっしやって、「このおんあた りへは始終参上いたしながら、こちらのおん方々にはめったにお目にかかれませんので、 お近づきもできず、すっかり年寄りじみた気持になっておりましたが、これからは御別 懇に願いたいと思い立って参りました。若いお人たちはさぞ不似合いなとお思いになる なじみ でしようが」と、甥の公達の方を御覧になります。「今後お馴染になりましたら」「ほん にお若くおなりになるでございましよう」などと、たわいのないことを言う女房たちの けはいなども、さすがにここは、何となく優雅に、風情のあるおんあたりなのです。こ 小宰相のこと つろ 480

3. 谷崎潤一郎全集 第28巻

え「て気が張ることよなどと、人知れずお思いになることもないわけではありませんの に、ましてこの頃は、評判の高いあの花やかなおんあたりのおん有様はどんなであろう、 すま また宮のおん内の入々も、あちらと比べて私の住居をさぞ見すばらしく感じるであろう などと、そんなことも気にかかって、歎いておいでになるのでしたが、中納言の君は、 そういうお胸の中をいしくも察してお上げなされて、日頃心やすく願っていないあたり になら、あり合せのものを寄せ集めて上げるというのは見苦しく失礼に当るけれども、 あなど おおげさ 何の、侮る気持ではないのだし、わざわざ新しく調えて大袈裟な進物を届けたりしたら、 かえって餘計なおせ「かいのように見咎める者もあるであろうと、さてこそお思い立ち こうちき になったのでした。そして、今度は改めて、例の美しい衣どもを作らせたり、おん小袿 きじ を織らせたりして、綾の生地までも添えて贈ったりなさるのでした。本来ならばこの君 も、宮に劣り給わず特別にかしずかれてお育ちになったことですから、あまりなまでに こころお。こ 心驕りもし、世間の俗事に関わりなく、高貴な御気象はこの上もないのですけれども、 故八宮のおん山住みの有様を御覧になりましてから、随分変った、寂しい暮し方もある ものだと、お気の毒にお感じになりまして、その後は何事にも思いやりが深く、慈悲の 心を持つようにおなりになったのでした。さりとはいとおしい感化をお受けになったも のです。 きぬ 230

4. 谷崎潤一郎全集 第28巻

込んでばかりいないで」と、強いてお起しになりますと、扇でほどよく隠しながら恥か おうよう しそうに外を見ている眼もとなどが、ほんとうによく似ているのですが、鷹揚で、あま りおっとりし過ぎていますのが、心もとないようでもあります。亡きおん方は、ひどく いまだ 子供つぼいところがありながら、深いお嗜みを持っておいでになったものをと、 。、 ( 、わが恋はむなしに「行くかたのない」悲しみが「むなしき空にも満ちる」ように田 5 えるのです。 き空に満ちぬらし思 みたま ひやれども行くかた 宇治にお着きになりまして、あわれ亡き御魂は今もこのあたりにお宿りなされて見て あわただ もなし〔古今集〕 おいでになるであろう、このように慌しく迷い歩くのも、亡きおん方をお慕い申す心か らでなぐて何であろうぞ、などと思いつづけ給うて ( 御車を下りてからは、しばらく気 を利かして側を離れていてお上げになります。女は、母君がどうお思いになるであろう えん ためいき かと溜息ばかり出るのでしたが、いかにも艶なおん有様で、お情深く、しんみりとお話 しになりますのに、慰められて下りて来ました。尼君はことさらそこからは下りないで、 かりそめ 廊の方に車を寄せますので、ここはほんの仮初の住居であるのに、あまりな遠慮の仕方 であるよと、君はお思いになります。御荘園から例の、者どもが騒がしいほど集って参 ります。女君の召上りものは尼君の方から差し上げます。道すがらは草木が小暗く生い 茂っていましたけれども、ここはあたりがたいそう晴れ晴れとしています。川のけしき や山の風を取り人れて造られた御殿の趣向も面白く、日頃のうっとうしさも忘れたよ みしようえん 343

5. 谷崎潤一郎全集 第28巻

くのに案内をする人がなくては、頼りないではありませんか」と切に仰せられます。 さぶろ こ寺、つ寺 つも姫君のお仰冫イ めのわらわ 従というのが、尼君とともに乗ります。乳母や尼君の供をして来た女童などは、あとに 取り残されてばんやりしています。近い所なのかと思うと、字治へいらっしやるのでし ほっしようじ た。替え牛なども用意しておいでになります。河原を過ぎて、法性寺のあたりへいらし った時分にす「かり夜が明けました。年若い侍従はほのぼのとした明るさの中で、君の お顏をお拝み中して、何というめでたいお方かと、そぞろに恋しく存じ上げながら、外 聞などということは考えもせずにいます。ただ姫君は、あまりのことに生きた空もなく、 俯しに臥していますので、「石ころの多いこのあたりの路は難儀ですから」と、抱いて = 、物見などの時は前お上げになります。車の中には羅の細長を眼隠しに垂らしてありますのに、朝日の光が おもはゆ の簾を上げることが あるので、車の中に花やかにさし込んで来ますので、尼君はひどく面映く感じながら、故大姫君のお供をし かたびら 儿帳の帷を垂らすよ に鉤が附いているてこそ、こういうところを見せていただくはずであ「たものを、長生きをすると思いも のであるが、時とし ては帷の代りに細長かけぬ出来事に遭うものかなと、悲しい気がして、怺えようとしてもつい泣き顔になる などを垂らすのだと のでしたが、侍従はせ「かくおめでたいことの始まりに、出家姿をした者が一緒に乗「 みえる て来たのさえいかがと思うのに、どうしてこう泣いたりするのかと、憎らしく腹立たし く思います。やはり年寄りはたわいのない涙もろいものなのだと、ただ一通りに考えて 、今の東福寺の辺 「誰か一人お附き添い申すように」と仰せになりますので うすもの みち 341

6. 谷崎潤一郎全集 第28巻

本 椎 みた網代屏風などを、ことさら質素に、趣深くお飾りつけになりまして、客人のために きれいにあたりを取り片附けて、行き届いた用意がしておありになるのでした。楽器な ひきもの 、絃楽器を弾物、管ども、古くから伝わっています世に二つとない弾物どもを、わざとめかないように置い ホ 楽器を吹物という さくらびといちこっちょう = 、催馬楽。「薄雲」てありますので、公達の方々がつぎつぎに奏で給い、桜人を壱越調に変えてお弾きにな 九六頁頭注ニ参照 きん ホ、桜人は双調の曲でります。主人の宮の琴のおんことを、かような折に聞かしていただきたいものとどなた あるのを壱越調に変 もお思いになるのでしたが、箏のことの方を、あまり気乗りもなさらないように、とき えて弾くのである どき人が弾くのに合わせてお掻き鳴らしになります。聴き馴れないせいか、若い人々は し たいそう深みがあって面白いと感じ、身に沁みて聞いています。おもてなしぶりも、土 地に相応した風流味がおありなされて、皇族のおん血筋というような、大勢の賤しから ぬ身分の人々とか、王族の四位の年を取った人たちとか、かような来客のある時に人手 がおありにならないのを、かねてお気の毒に存じ上げていたのでしようか、そういう連 中が残らず接待役に集って来ましたので、瓶子を取る者も見苦しからず、餘所で想像し ていましたよりは、いかにも優美に、古風ながらもしかるべき御饗応をなさいます。客 人たちの中には、姫君たちの住み給うあたりを思いやりつつ、心を悩ます者もいること でしよ、つ。日 丿向うの宮は、まして軽々しいことのできない御身分であらせられますのを、 窮屈に思っていらっしゃいますので、せめてこういう機会にでもと、たまらなくおなり うど あじろびようぶ あるじ まろうど よそ まろ

7. 谷崎潤一郎全集 第28巻

らぬくらい、女の心を迷わしておしまいになるお方であるから、そういうようなことに かけて、大方かの入も、宮との逢う瀬のままならぬのを歎くあまりに、身を亡きものに されたのではないかと思う。もっと詳しく言っておくれ。決して私には隠してはいけな い」と仰せになりますので、確かなことを聞いておいでになるのだなと思うと、ひとし おお気の毒になって、「そのような浅ましいことがお耳にはいったのでございましよう か。右近もお側を離れずにお附き中し上げておりましたのでございますが」と、そう一「ロ もっぞやあの って一息つきながら、「自然お聞き及びになったこともございましよう。、 宮のおん方のあたりに、忍んでおん身を寄せていらっしゃいました時分に、或る日浅ま しくも思いがけなく宮がはいっていらっしゃいましたのを、私どもが随分手きびしく中 おしけ し上げて、お出し申したことがございました。実は姫君も、それに怖気がおっきなされ まして、あの三条の怪しげな家へお移りになったのでございました。その後ずっと居所 を隠していようとなすっていらっしゃいましたのに、どうしてお聞き込みになりました きさらぎ のか、ついこの二月頃からおたよりを下さるようになりました。おん文はたびたびでご ざいましたけれども、御覧になったこともございませなんだ。ただあまりもったいのう ございますし、かえって失礼になるでございましようなどと、右近などが中し上げまし たので、一二度御返事をお上げになったこともございましたでしようか。そのほかのこ 462

8. 谷崎潤一郎全集 第28巻

を、強いてお断りになりまして、かねての御本意のように、佛にお仕えになるとしまし ても、まさか雲や霞だけでは」などと、ながながとしゃべりつづけますので、ひどく憎 あやにく らしく、腹立たしくおなりなされて、俯していら「しゃいます。中の君も、生憎にもお 気の毒にもお思いなされて、 いつものように御一緒にお寝みになるのでした。姉君はも しやこのあたり ~ お忍びになりはしないかと、気が揉めて、どうしたらよいかとお思い になるのですけれども、どことい「て格別逃げ込んでお隠れになるような物蔭さえない お住居のことですから、柔かな美しいおん衣を妹君の上に掛けてお上げになりまして、 まだ暑さが残「ています時分のことなので、少し離れた方 ~ 寝返りをなす「てお寝みに なります。 弁は姫君が仰せになりましたことを客人に中し上げます。男君は、どうしてそのよう にまで世をお厭いになるのであろう、聖者めいていらしった父宮のお側でお育ちなされ て、無常の理を自然にお悟りになったのであろうかとお思いになりますと、 いよいよ御 自分の性に合「たようにお感じなされて、生意気なとか、憎いとかいう気持にはならな いのです。「ではもう物越しにお会いになるのなども、もってのほかのことと思ってお いでなのでしようね。それならせめて今夜だけでも、お寝みになっていらっしやるあた りへそう「と連れて行「ておくれ」と仰せになりますので、内々用意をして人々を早く ことわり まろうど

9. 谷崎潤一郎全集 第28巻

さすがに感動なさらずにはいらっしゃれません。追い追い年をお召しになるに随って、 人品と申し、声望と中し、並々ならぬお方におなりなされたのに、それに引きかえて宮 のお心のあまりにも頼りないのを見せつけられ給うおりおりは、自分は何という不仕合 すくせ せな宿世であったのか、故姉上が取り計らって下すったようにはならないで、こういう 苦労や気がねの多いあたりに縁を結んだとはと、お思いになる折々も多いのです。が、 そういってもかの君に対面なさいますことはむずかしいのです。あれから年月も隔たり、 昔のことになってしまったのですから、身分の低い普通の人間ならばそういう風な由縁 を尋ねていまだに親しく出人りをするというようなこともふさわしいだろうが、何でま あかような貴いお人たちが、並みはずれたお附合いをなさるのだろうなどと、内々の御 事情を深くも知らない女房たちに、言われたり思われたりなさいますのも気が引けます し、宮が絶えず疑っていらっしゃいますのも、 いよいよ心苦しいし、それやこれやをお 考えになりますところから、自然餘所々々しくなって行くのでしたが、君の方ではそれ でもなお、昔の心持を変えずにいらっしやるのでした。 宮も浮気な御本性からは、おりおり歎かわしいお仕打ちをなさることもありますけれ ども、若君がたいそう可愛らしく大きくおなりになりますにつれて、ほかにはこういう ものを生んでくれる人もなさそうなと、大切にお思いなされて、気の置けない、親しめ ゆかり 354

10. 谷崎潤一郎全集 第28巻

生 寄 、薫二十五歳 おんあたりと肩を並べることなどができるはずのない、取るにも足らぬ身なのだからと、 いよいよ心細くなりますので、やはり気楽に田舎へ閉じ籠ってしまう方が、体裁が であろうなどと、なおさらお思いになります。 むつき はかなくその年も暮れました。正月の月末の頃から、御出産が近づいてお悩みになり ますのに、宮はまだ御経験のないことですから、どうなるのかと御心痛になりまして、 みすほう 御修法などを、ところどころでたくさんにおさせになります。またまた新たに附け加え て行わせられます。たいそうひどくお苦しみになりますので、中宮からもおん見舞いが あります。こうしてもはや三年にもなりますのに、宮お一人たけは並々ならぬ御愛情を 寄せておいでになりましても、世間ではそう大切にもお扱い申しておられませなんだが、 今こそここでもかしこでも、そんな噂に驚いて、それぞれおん見舞いをなさるのでした。 中納言の君は、宮の御心配になりますにも劣らず、どうしておいでかと心を痛めて、お 可哀そうではらはらしていらっしやるのですけれども、限度を越えぬお見舞いこそなさ いますけれども、あまりたびたびもようお伺いにならないで、人知れず御祈疇などをさ せておいでになるのでした。一方では、女二宮のおん裳着のことが、ちょうどこの頃世 の中の騒ぎになりまして、しきりにお支度がすすめられています。万端のことは、帝が 3 うしろみ 御自分お一人で御配慮遊ばして御用意をなさいますので、なまじおん後見などのおりま