イ、ここが浮世でない 別の所であったら、 もっし J もっと、一述 に嬉しゅ・、つごさいま しよ、つものを いうことだったのであろうか、しきりに哀れつぼく掻き口説いていらっしやったが、な どと思うと、後までもたいそう匂っていましたおん移り香が、いまだに残っている心地 がして、あの時の恐ろしかったことも思い出されます。と、母北の方のもとから、しみ じみとした文をしたためてお寄越しになりました。いつもいろいろと気の毒なくらい心 を遣って下さるのに、そのかいもなく面倒をおかけ中していることよと、つい泣いてし まうのでしたが、「どんなにか所在のない、不馴れな暮しをしていらっしやることでし よう。しばらく辛抱なすって下さい」とありますので、返りごとに、「所在ないのは何 とも思いません。この方が気楽でございます。 ひたぶるに嬉しからまし世の中に あらぬ所とおもはましかば」 子供らしく書いてあるのを見ますと、母北の方はほろほろと泣いて、このようにまで 苦労をさせて身の置きどころのないような目に遭わせることかと、たまらない気持がし ますので、 ロ、どこかこの世でな 浮世にはあらぬ所をもとめても 別の国を捜し求め てでも、あなたを立 君がさかりを見るよしもがな 派な御身分におさせ や 中して、栄え給うのと、たたありのままを詠んだ言葉を遣り取りして、憂さを晴らしているのでした。 332
らぬくらい、女の心を迷わしておしまいになるお方であるから、そういうようなことに かけて、大方かの入も、宮との逢う瀬のままならぬのを歎くあまりに、身を亡きものに されたのではないかと思う。もっと詳しく言っておくれ。決して私には隠してはいけな い」と仰せになりますので、確かなことを聞いておいでになるのだなと思うと、ひとし おお気の毒になって、「そのような浅ましいことがお耳にはいったのでございましよう か。右近もお側を離れずにお附き中し上げておりましたのでございますが」と、そう一「ロ もっぞやあの って一息つきながら、「自然お聞き及びになったこともございましよう。、 宮のおん方のあたりに、忍んでおん身を寄せていらっしゃいました時分に、或る日浅ま しくも思いがけなく宮がはいっていらっしゃいましたのを、私どもが随分手きびしく中 おしけ し上げて、お出し申したことがございました。実は姫君も、それに怖気がおっきなされ まして、あの三条の怪しげな家へお移りになったのでございました。その後ずっと居所 を隠していようとなすっていらっしゃいましたのに、どうしてお聞き込みになりました きさらぎ のか、ついこの二月頃からおたよりを下さるようになりました。おん文はたびたびでご ざいましたけれども、御覧になったこともございませなんだ。ただあまりもったいのう ございますし、かえって失礼になるでございましようなどと、右近などが中し上げまし たので、一二度御返事をお上げになったこともございましたでしようか。そのほかのこ 462
ものになるばかりであると思うのでしたが、こぼれ出しては堰き止めることもできない のです。 宮は、少し様子の変った話ぶりをしますのを、けしからなくも気の毒にもお思いにな りながら、わざと何気ないようにして、「ほんとうに、哀れなことです。私も昨日ちょ っと聞きました。何とかお悔みを申さなければと存じたのですが、わざと世間へ知らせ ないようにしておいでだと聞きましたものですから」と、努めて平気を装っておっしゃ ことば十をく るのでしたが、たまらなくおなりになりましたので、言葉少なにしていらっしゃいます。 「お慰みにお目にかけまして、お相手をいたさせましたらばとも存じていたのでござい ます。自然お目に止まりましたこともおありになったでございましようか。こちらのお ん方へもお伺いいたすような縁故のある者でございましたが」などと、少しずつ当てつ けて、「御気分がおすぐれになりません時に、つまらぬ世間話などをお耳に入れまして、 お心持を乱しますのも相済まぬことです。どうぞ御大事になすって下さい」などと申し ごしゅうしん 上げておいてお出ましになるのでした。そして、まああれほどに御執心でいらっしやっ たのであろうか、亡くなった人は大層はかない一生だったけれども、さすがに高い運勢 みかどきさいのみや を持っていた人であったのだ、あの宮は現在の帝や后宮からあのように御寵愛を受け ておいでなされ、顔形から始めて、今の世には類ないお方でいらっしやる、しかもお逢 450
なりましてからは、何か特別な御用がなければ、内裏へお伺いになりましてもことさら に宿直をなさらず、ここかしこで泊っていらっしやることなどもおありにならなかった 1 のですが、急にそんな風になってはどうお思いになるであろうと、心苦しくお感じなさ あが れて、それを紛らすために、この頃はときどき宿直にお上りになったりしまして、今か らぼつほっ馴らすように仕向けておいでになりますので、そういうなさり方なども、一 途に薄情なようにばかりお思いになるのでした。中納言の君もお聞きなされて、たいそ うお気の毒にお思いになるのでした。何をいうにも、ああいう風な浮気なお方でいらっ しやるから、 いとしくはお思いになりながらも、きっと新しいおん方へお心がお移りに なるであろう、れつきとしたお里方がついていらしって、油断なく眼を光らしておいで になったら、その方へ縛りつけられておしまいになるから、ついぞ独り寝にお馴れにな らないこちらのおん方は、これから後は待ち明かされる夜が多いようにおなりになろう、 ふがい ほんにおいとおしい、などとお考えになりますにつけても、自分は何という腑甲斐なさ であることか、どうしてこの君を人に譲って上げたのであろうか、故大姫君をお慕いす るようになってからは、浮世に望みを絶っていた澄み渡った心にも濁りが生じるように なって、ひとえにかのおん方のことばかりを、ああのこうのと思いつづけていたものの、 さすがにお許しがないうちに手出しをするのは、最初からの本意に背くと遠慮しながら、 との
蕨 て御覧になりますと、あいにく中の御簾や壁代がおろしてありますので、何も見えませ ん。内の方でも、人々は亡きおん方のことを偲びながら互いにひそひそと泣いています。 わたまし 中の君はましておん涙が催されて、明日のおん移徙のこともお考えにならず、気抜けが したようにしょんばりと打ち臥しておいでになりますので、「このほどじゅうの物思も が積りまして、何ということもなしに胸がむしやくしやしておりますので、その片端を でも打ち明けて聞いていただいて、紛らしたいと思うのです。またしてもそっけなくお 突き放しにならないで下さい。それではなおさら知らぬ国へ来た心地がします」と、男 君がお申し入れになりますと、「無愛想なとお思いになるようなことは、いたしたくな いのでございますが、どうも気分がいつものようでございませんので、つい取り乱して 失礼なことなどを申し上げたりしないかと、気がかりなものでございますから」と、当 惑しておいでになるのでしたが、「それではあまりお気の毒のような」などと誰彼が中 きわ し上げますので、中の襖の際で御対面になります。こちらが気恥かしくなるくらい優雅 で、しばらくお会いにならなかった間に一層お立派になられたようで、眼も驚くほど美 たしな しく、人とは違ったお嗜みのほどなど、まあ何という結構なお人かと、いう風にばかり お見えになりますので、中の君は片時も面影をお忘れにならない姉君のおんことまでが 思い出され給うて、しみじみとお姿を御覧になります。 157
さぶろ 過しにはならないであろう、お側に侍う女房たちの中にでも、ちょっと冗談をしかけて みたくおなりなされた者などがあると、根気よく追いかけて、場所柄をも顧みずその女 体裁のおよろしくない御性質でいらっしやるのに、ま の里までもお捜しになるという、 してあれからこっち、随分と月日がたったのに、あんなにも思い込んでおいでになるお 人のことであるから、きっとみつともない間違いをお起しになるであろう、それも、餘 所からお耳へはいることがあるのはいたし方もない、大将の君にもかのお人にもお気の 毒なことにもなろうが、端からお止め申してもお聴きにならないお方であるから、そう なった場合は、ほかの方々とは違った事情にある私が、人一倍外聞の悪い思いをするだ けのことだ、いずれにしても、自分の油断から事を破さないようにしようとお考え直し になって、お気の毒のようですけれども宮には知らしてお上げにならず、そうかといっ て、お口上手にはぐらかすようなことはおできになりませんので、じっと押し黙って、 普通の焼餅やきの女になりすましておいでになるのでした。 かの大将の君は、たとえようもなく悠長に構えていらっしやって、さぞ待ち遠しがっ ているであろうと、 いとおしく思いを馳せておいでになりながら、窮屈な御身分のこと ですから、しかるべきついでがありませんと、ちょっとはお通いになれませんのを、 イ、恋しくば来てもみ よかし千早ふる神の「神のいさむる道にもまして困「ておいでになるのでした。でも、まあそのうちには こわ 352
が悪くて横になっていますので、遊びに来て下さいませんか。あなたもつれづれでいら わたくし っしゃいましよう」と中されます。「私も心持がすぐれませず、えらく苦しゅうござ、 ますから、勝手をさしていただきたく」と、乳母を立てて御挨拶をなさいます。「どん なお心持なのですか」と、折り返してお尋ねになりますので、「どういう心持とも分ら ず、ただたまらなく苦しゅうございまして」と申されますと、少将と右近が眼交ぜをし て、「おん方は苦々しく思っておいででしようね」と言っているのですが、ほんに、全 く何事もなかったというのとは違って、姫君がいとおしいのです。おん方はまた、まこ とに残念な、気の毒なことになったものよ、あのお人には、大将の君が思召しがあるら さげす しくおっしやっていらしったのに、どんなにか軽々しい女のようにお蔑みになるであろ おさ う、これがこちらの宮のように品行の修まらないお方であるなら、人聞きの悪い根なし ごとを考え出して難癖をつけたり、そうかと思うと、実際少しけしからないことがあっ ても見逃しておしまいになったりするけれども、あの大将の君は、ロにはそれとおっし やらないで、心の中で恨んでおられるという風な、気のおける、深いところのあるお方 だのに、それにしてはあの人の身に厄介なことができてしまったものかな、自分はあの お人のことについては、今まで見も聞きもしなかったけれども、会ってみれば、気だて と言い、みめかたちと言、 いかにも捨てておけない、可愛い、いじらしいところがあ 320
夢浮橋 「何と御返事を申しましよう」などと責められて、「掻き乱れるような胸の中が直りま すまで、しばらく待っていただいて御挨拶をいたしましよう。昔のことを思い出そうと しましても、何も覚えておりませんので、 ったいどんな夢を見たのかと、不思議な気 がするばかりでございます。少し気分が静まりましてからなら、このおん文なども合点 が行くかも知れません。今日はやはりお持ち帰りになって下さい。人違いででもありま したら、御迷惑をかけますから」と、ひろげたままで尼君の方へお返しになりますと、 「まあ不体裁ではございませんか。あまり失礼なことをなさいましては、お側におりま す者どもも申しわけがございません」などと騒ぐのでしたが、い よいよ気が重くて、聞 くのも厭なので、顔までも引き人れて臥せっていらっしゃいます。主人の尼君が代りに 少しこの童の君のお相手をして、「物怪のせいでございましようか、普通にお見えにな る折がなく、悩みつづけていらっしゃいまして、お姿なども変っておいでになりますの で、訪ねていらっしやるお人でもあったら、難儀なことだと存じまして、心痛いたして おりましたが、案の定こういうお傷わしい、お気の毒なことになりましたにつきまして、 ほんとうに痛み人っているのでございます。いつもずうっと御気分がお悪いらしゅうご ざいますが、その上にまたこのおん文などを御覧になりまして、なおさらお苦しみにな るのでございましようか、常よりも餘計分らないことをおっしゃいますようで」などと あるじ 595
習 手 おられて、あの当座は御病気にさえなられたことをお考え合わせになりますと、さすが にその方にもお心苦しくて、どちらのためにも嘴を人れにくい事件なのだとお思いなさ れて、控えておしまいになりました。後で内々小宰相の君に、「大将があの人のことに ついて、大変しんみりと話をしたので、つい気の毒さにロもとまでは出たけれども、も し人違いででもあったらと思って、遠慮してしまいました。しかし其方はあの時にすっ かり聞いていたのであろう。差支えのあるようなところは隠して、なにかの物語のつい でに、これこれのことがありましたと、僧都の言ったことを話してお上げ」と仰せにな ります。「お上でさえお差し控えになりましたことを、まして私などが何としまして」 と申すのでしたが、「それは事と品によることです。また私の口からは、可哀そうで話 イ、匂宮のことがあるしにくいわけもあります」と仰せられますので、なるほどと悟って、興深いことに田 5 う からである のでした。そして或る日、君が局へ立ち寄って物語などをなさいますついでに言い出し ました。どんなにか意外にも不思議にも感じて、お驚きになったことでしよう。では中 宮が先日お尋ねになったのは、何となくこのことをお胸に持っていらしったのだ、どう してすっかりおっしやって下さらなんだのかと、限めしいのですけれども、しかしそう いう自分がまた、このことについては初めからお隠し申し上げていたのではないか、現 に今の話を聞いても、何だか馬鹿らしいような気がするが、自分は何事も人に漏らさな ないない くちばし わたし そち 571
とですから、 いよいよそういう風なことを厭わしいものと見極めて、やはり何としてで も、決して打ち解けてはお逢い申さないようにしよう、たとい自分が慕わしく思うあの 方のお心も、きっとしまいにはお変りになるのにきまっている、そのくらいなら人も私 けんか も、愛憎を尽かしたり喧嘩をしたりしないで済ましたいものだと、いう考えが一層強く おなりになります。男君が宮のその後のお仕打ちなどをお尋ねになりますと、それとな く、あれきり遠のいておいでになることを、さればよとお分りになるように匂わし給う ので、君も気の毒におなりなされて、宮がお心の中では深く打ち込んでおいでになるこ と、自分も宮の素振りには始終気をつけていることなどを申されます。女君もいつもよ りは愛想よくなさいまして、「まあ、この頃のような心配事の数々がなくなりまして、 気分も静まるようになりましたら、お話もいたしましよう」と仰せになります。そうそ ふすま つけなく餘所々々しくはなさいませんけれども、隔ての襖も厳重に固めてあります。強 いてその関を破ってはお腹立ちになるであろう、まあまあ、何かしらお考えのあること なのだろう、軽々しく他人にお靡きになるようなことは、まさかあるまいと、おっとり としている男君は、そういっても辛抱づよく胸をさすっていらっしゃいます。「こう物 越しに申しますのは、何だかたよりないようで、物足りない気がいたしますから、この 前のようにしてお目にかかりましよう」とおせがみになるのですけれども、「この頃は なび 102