金箔の剥げたのは學問の方面ばかりではない。服裝なども以前はなかなかキチンと整って、質素ではある せうしゃふうさい が瀟酒な風采を作って居たのに、だんだん物臭く貧乏たらしく野卑になって來た。チョッキとヅボンとが 辛うじて合はさるやうな背廣を着て來ることもあった。約束の時間を守る事なぞも最初は正確であったが、 だんだんふしだらになってしまった。つまり、氏はわれ / \ 日本人の學生をあんまり甘く見縊って居た らしかった。さうして結局、いろ / \ の點で信用を損ね、奪敬を失ふやうになった。 いよ / ( 、、亞米利加へ立っときまった四五日前に、私は別れの挨拶をする積りで森川町の家を訪れた。二階 の座敷をごたごたに引き散らかして彼は荷物の整理をして居る最中であった。私の顏を見ると、忙しいの も忘れて直ぐに又威勢よくしゃべり出した。自轉車とタイプライタアを賣り拂ってしまひたいが、買ふ人 はありませんか、此のタイフライタアは非常にい、 機械ですと云って、ガシン、ガシンと動かして見せた めだま りした。古本と古雜誌を出して來て、私にくれたりした。私は何となく彼の靑い眼球の奧にグルウミイな、 こゝろぼそ 心細さうな蔭が宿って居るやうに思はれて、今更此の西洋人が哀れでならない気持ちがした。眞黒な日本 人の眼よりも、うす靑く濁って居る西洋入の眼の方が、餘計悲しさうに見えるものだと其の時感じた。 「私は亞米利加へ着いたら直ぐに桑港の博覽會へ行きます。彼處へ行けばきっと仕事が見つかります。さ うして澤山金を儲けてまた日本へ歸って來ます。 : 私、今迄にも貯金が九千圓程ありました。その中 から三千圓だけ、妻と子供の爲めに日本の銀行へ預けて置きます。」 しゃうきん かう云ひながら彼は懷から學校の免状に似た大きな紙片を取り出した。共れは正金銀行の書き附けで、彼 が亞米利加へ携帶して行く所持金の證明書のやうなものらしかった。家族に殘して行く三千圓の金額を除 やど ふところ ものぐさ しへん そこ 250
かうして二た月ばかり過ぎた時分 , ーーーもう氏から手紙なぞの來る筈はないとあきらめてしまった頃で ある。七月の初旬のある晩に、私はふと自分の机の上に歐文の信書が屆いて居るのを發見した。封筒の裏 を返して見ると住所は何とも記してないが、やつばり氏から來たものであった。さすがに約東を忘れな かったのかといさ、か奇特に思ひながら中を開けば、「一九一四年、六月〇日、ホノルルにて」と書いた 文字が先づ眼に這入った。「はてな」と私は首をひねった。今頃彼が布哇に居るとは甚だをかしい。それ 私は不思議に とも或は最近まで内地にひそんで居て、やっと先月あたり日本を出發したのか知らん 感じながら手紙を讀み下した。 今迄は大概英語で書いて寄越したのに、その手紙だけは獨逸語で、長々と細かい文字がならべてあった。 一別以來、全體彼は何處をどう歩いて居たのか、そんな事は少しも書いてなく、初めの方の二ペ工ヂ半ば こきゃう かりは、頻りに日本を追懷する文章で埋まって居る。やれニッポンは自分の第二の故鄕だの、「東方の日 出づる國」の方がエエステルライヒよりも遙かになっかしいの、アメリカの女の亂暴で粗野なのを見ると、 淺川さんの妻君のやうな、 liebenswürdig な日本の婦人が慕はしいの、どうぞあの妻君にもよろしく云っ さぞ ・ : 几そ てくれの、あなたの佛蘭西語は昨今嘸かし上達して小説でも何でもすら / \ 讀めるだらうの、 彼が日本と日本人とに就いて、想ひ出せる限りの事を想ひ出して、お世辭のありたけをコテコテと盛って ある。さうして最後の二三行のところに、「私は今度、日本に殘して置いた妻子の處置をつける必要が起 したゝ って、突然東京へ戻って來なければならなくなった。今丁度航海の途中、ホノル、で此の手紙を認める。 今から多分十日以内に、私は再びあなたにお目にか、れるであらう。私はあなたのアドレッスを忘れてし こま 253
としても、吝嗇で狡猾な此の西洋入が容易に欺される筈はないのだが、その相手になる彼等は一體どう云 ふ種類の「娘」たちであらう。どう云ふ積りで、彼等はこんな小詭じみた段取りを仕組んで、気心の知れ なぐさ ぬ西洋人と手數のか、った慰みごとをするのであらう。私には全く譯がわからなかった。手紙を通じて想 像される此れ等の娘たちは、淫賣にしても多少普通の淫賣とは毛色が違って居るらしい。私はその奇怪な 拙劣な手紙の文句の中に、外國人の眼に映ずる日本の女の珍らしさ不思議さが、躍動して居るやうに覺え た。日本人同士の間では、」 至底見る事の出來ない日本の女の物好きと露骨とが、そこにまざまざと現れて 居た。それ等の手紙は私に對して、非常なエキゾティックな感を與へた。 「日本の女は從順で柔和で私の云ふなり次第になってくれます。此れを御覽なさい。」 いちえふ と云って、 ()5 氏は又も自分の日記帳の間に挾んである一葉の寫眞を示した。 「此れは私が本鄕に居た時分、娘の姿を自分で寫眞に取ったのです。」 彼は極めて舊式な寫眞の機械を持って居たが、技術はわりに上手であった。その寫眞は、眞黒な幕を背景 にして、全身裸體の若い女が片肘で頬杖をつきつ、、、横倒しに傲と臥ころんで居る圖であった。女の容 そらうそふ 貌は醜いにも拘らず、左の肩を少し聳かし、室嘯いて悠々として居るポォズには、何となく西洋の名畫の 中にある美女のやうな、凛々しい威嚴が含まれて居た。肉づきもよく肌も綺麗であった。私は今までに、 此れほど立派な、此れほど堂々とした、日本の女の僞りなき美しさを見たことがないやうな気がした。日 本入の男に對してはあれ程意気地のない、あれ程僞善の多い、あれ程卑怯な日本の女が、西洋人の前へ出 ると、どうして斯くも變化してしまふのであらう。さう思って私は少からず驚かされた。兎に角私は、此 かたひちほ・、づゑ そびや 266
金を儲けたなんぞと云ふのは怪しいものだ。そんなに儲かるくらゐなら、一と月や二た月で日本へ歸って 來る筈はないちゃないか。」 てきちゅう しやくや 岡田の観察は的中して居るらしかった。氏は再び神田の神保町邊に借家を求めてビュウロオを開き、少 數の支那入やドクトルを相手に獨逸語の教授を始めた。その鹽梅では當分日本を立ち退きさうな様子は見 えない。私は一週に二三度づ、氏のビュウロオを訪問して、夜になると相變らず淺草方面へ誘ひ出した。 「私は日本に居た事が大變仕合せでした。今頃アメリカに居たならば、きっと戰爭へ引き出されたに違ひ オースタリア ない。墺太利は私の爲めに外國も同じことです。なっかしいとも何とも思ひません。あの國は多分今度の 戦爭で亡びてしまふでせう。私一向構びません。 : チンタオと云ふのはどんなところですか、獨逸よ りも大きい所ですか。」 そんな事を云ふかと思ふと、今度はポッケットから横濱の英字新聞を取り出して、電報欄のコラムをいま ゅびさ 、ましげに化しながら、 「イギリスや日本の新聞は少しも信じられませんです。此れを御覽なさい、何處を見ても、 : German re- t お at. ごとしてあります。私そんなに獨逸が負けて居ようとは思はれません。みんなうそです。腹が立ち ます。」 など、云った。 かみなりもん ある晩活動寫眞を見ての歸りに、雷門から淺草橋まで散歩をしながら、戦爭の話をした事があった。私 りうちゃう あくこう が獨逸は嫌ひだと云ふと、彼は忽ち流暢な英語を使ひ出して、露西亞や佛蘭西や英吉利の悪口をつゞけざ あや 258
敵國人を取り締まる都合上、氏のやうな浮浪人は警戒的に退去させるのか、若しくは外の獨探の卷き添 へを喰ったものであらうと推量した。尤も共の頃、氏は自分でも気がさしたのか、急にばったりと私に 2 ぐわしゃう 接近しなくなった。さうして私が十日ばかり下痢を起して臥床して居る間に、横濱から船に乘って再びア メリカへ去った。「新聞で御承知でせうが、私は今度日本を立たなければならなくなりました。此れから アメリカへ行くつもりですが、戦爭が濟めば又日本へ歸って來ます。日本には私の妻も居れば子供も居る。 日本は愛すべき、なっかしい國土です。アメリカへ着いたら必ず手紙を差し上げます。」こんな端書が私 、こ。しかし、例に依って其の後手紙は一通も來ない。 の病床の枕許へとゞオ 氏の話は此れで終りを告げる。彼は案外下らぬ人間であった。西洋入好きの私をして失望させた點も少 くはなかった。だが、 彼に依って私の西洋人に關する知識が大分豊富になった事をも、私は否定する譯に 行かない。私は彼に感謝すべきである。 今になって悲しい事が一つある。氏と交際して居るうちには、いづれいっかは語學が達者になるであら そらだの うと自ら慰めつ、、卑怯な察賴みをして居た私は、突然彼に離れてしまって遂に目的を達する事が出來な へんてこ かった。氏がなまじに變梃な日本語を知って居たことが、却って私の不利益になったとは云へ、私は (-b 氏を恨むよりも寧ろ自分の腑がひなさを悔みたい。たま / \ 彼が外國語で話しかけても、私がはか \ し く其れに應對しなかったので、彼は據んどころなく窮屈な日本語を使ったのである。 こんなかちくりんな日 「學間を勉強するのも戰爭と同じです。兩方とも勇気のやうなものです。」 本語を彼は折々話した。その度毎に私はをかしさを堪へたが、實際はをかしがる自分の方が遙かに意莱地 ふ よ
探 獨 痒く思ひながら、とう / \ しまひまで曖味な態度で通してしまった。私の「會話」に對する臆病は、遂に 何處までも着き纒はって、私をして生涯西洋人に馴れ親む喜びを得させないのではあるまいか。 はさう云ふ悲しみが、此の頃になって更に新しく自分の胸に湧き出づるのを禁じ難い。 けれども其の嘗時の私は、氏がそんなに早く日本を去ってしまふだらうとは豫期して居なかった。一二 年立ったら子供をつれて歐洲へ行くとは云って居たもの、、彼は容易に日本を離れさうな様子は見えなか った。「あなたはいっ頃西洋へ歸るのですか。」と私が或る時尋ねると、氏は意外にも頭を振って、「い え / ( 、私は考へ直しました。私はもう Wandering Life に飽きましたから歐羅巴へ行くのはやめにする きくわ 積りです。私には日本人の妻もあるし子供もあります。事に依ると私は日本へ歸化するかも知れません。」 と答へたくらゐであった。それで私は、長い間氏に交際して居れば、故らに努力しないでも自分の臆病 は知らず識らず改まって行くであらう。外國へ行くとひとりでに會話を覺えるやうに、氏のしゃべるの 」など、横着な了見を起して、頗る優 を始終耳にして居たら自然と自分の語學も進歩するであらう。 ちゃう 長に構へて居た。その代りには出來るだけ彼と頻繁に往復した。友達ぎらひな自分としては、奇特な程彼 よそほ に親切を示し温情を裝った。一赭に活動を見たり物を食ったりする時には、大抵私が會計を負擔した。儉 約家で日本人擦れのして居る氏は、それを気の毒がりながら、自ら進んで拂はうとすることはめったに なかった。「お前はほんとに無駄づかひをする人間だ。」と云はぬばかりの顏つきをしつ、、私が誘へば大 概何處へでも連れ立って行った。どうかすると、「あなた何か喰べませんか。」など、自分の方から云ひ出 かうくわっ して、やつばり私に奢らせた。私は彼の狡猾を知りつ、、「西洋入なるが故に」彼を愛することを忘れな がゆ まっ みづか ことさ 247
ると思ったら非常な間違ひです。殊に露西亞の女は、みんなあんな野蠻な、無禮な獣ばかりです。あの女 ばいどく たちは多分ガリシア邊の生れでせう。ガリシアは惡い梅毒の流行する地方ですから、あの女たちと關係す るのは危險なことです。」かう云って口を極めて倒した。それから二三日過ぎて私へ寄越した手紙の中 したゝ に、更に下のやうな文句が認めてあった。・ ••lf Ot1 allow me to give イ ou a good advice, don't be 'inchiriesna any mo お , as 一 ( really does not pay. Don't ou think that the neat, polite and lovely Japanese nesans are 1000 times better than those uncotlth Russian mtlles 7 : ことわ 斷って置くが、文中のインチリエズナ (inchiriesna) と云ふ言葉は、その晩われ / \ が , 、、露西亞人から教は った形容詞で、 curious と云ふ英語を露西亞語で何と云ふかと尋ねたら、女の一人が「インチリエズナ」 ねえ と答へたのである。 "1 】 esans こは「姐さん」と云ふ日本語であらう。彼は屡よ日本語をこんな風に英文の 中へ交ぜて書いた。 : quite enr3 「。 naku こなど、云ふ文句を好んで使った。 一週間程立って私が訪問すると、彼は又露西亞人の惡口を叩いて、日本の女を無闇と褒めた。日本の女で も藝者や女郎は面白くない。しろうとの娘に限る。日本へ來てから、自分はしろうとの可愛い娘たちと幾 度戀をし合ったかわからない。今迄に隨分愛したり愛されたりした。現在でも、私に惚れて居る娘が二三 人居る。 など、云った。「例の駄法螺を吹くのだな。」と思って、私がい、加減にあしらって居ると、 「ちょいと、あなた見て下さい。今朝もある娘さんからこんな手紙を貰ひました。」 かう云って、彼はデスクの抽き出しから一通の書面を出して私に示した。四角な洋風の封筒の表に、拙い 片假名で氏の名宛が記してある。それはたしかに敎育のない、筆を持ちつけた事のない女が、始めてペ まづ 264
うな惡く丁寧な卷き舌の江戸辯で、揉み手をしながら答 ~ る度に一つづ、お辭儀をするのを、隙間から窺 っては腹を抱 ~ た。「は、なるほど、さういたしますると複數の時も女性の時もやつばり Die を使ひます : 」など、云ふ質問に對して、「それはね、さうですけれどもね、あなた今から文法を考 ~ ては とんぎよう すこぶ いけませんで工す。」と、頓興なアクセントで答へる ch 氏の日本語が頗る奇妙な對照をなした。 やがて私の番が來た。氏は此の間約東した教科書を買って來ましたと云って、机の上 ~ 一册の薄っぺら なリイダアを出した。著者の名前は忘れてしまったが、 何でもアメリカで出版された讀本で、英語を習っ へんさん た學生には、極めてたやすく覺えられるやうに編纂されて居た。英語だの獨逸語だの日本語だのをちゃん おんどく ぼんに使って、彼は私に説明した。三ペ工ヂほど何度も何度もくり返して音讀させて授業が終った。私は 懷から蟇口を出して、「教科書の代はいくらでしたか。」と尋ねて見たが、彼は笑びながら手を振って、 「いゝえ大變安いのです。」と云ったきり、どうしても代價を受け取らなかった。それが多少日本入との交 際に擦れて居るやうな感じを與へた。 ちそう さしみ その座敷で淺川がタ飯の馳走をした。「刺身でも何でも日本の物はみんなたべられます。箸も持てます。 私不斷から自分の家に居てさうして居ます。」と氏は自慢さうに云った。その癖内々は日本食に閉ロし て居るらしく、ちょいと箸を取ったきり飯を一杯しか喰べなかった。お茶もサイダも嫌だと云って、白湯 やせがまん を飮んだり、痩我慢をして据わって居た、め、痺れが切れたと見えて、こっそり兩脚の先を揉んだりし た。食後の雜談に 一 : 丁度その頃世間を騒がせて居た海軍收賄事件の噂を三人で話し始めると、「權兵衞と 云ふのは誰のことですか。」と、氏が横合からロを出した。總理大臣と云っても分らないので、日本の ふところ がまぐち しび しうわい とくほん 240
樂に接しても顫へつくやうな興奮を覺えた。僅かに原色版やコロタイプなどの複製に依って自分の眠に觸 れる印象派の繪畫の類が、内容の室虚な刺戟の乏しい、手先ばかり悪く小器用な日本畫の表現に引きかへ はうは′、 て、どんなに力強く眞劍な精神を磅させて居ることであらう。又稀な機會に日本人の手に依って演ぜら れたり、若しくは蓄音機などでその片鱗をしか窺ふことの出來ない彼の國の音樂が、亡國的な眠いやうな たいえいてき はうたじゃうるり 三弦の音や、變にひねくれた退嬰的な、淺はかな端唄淨瑠璃の類に比較して、どんなに率直に壯大に入生 うら」ゑ の悲哀や歡喜を唄って居ることであらう。日本の聲樂家が技巧でかためた不自然な裏聲を以てうたって居 けもの しわ る日司こ、、ゝ 力に彼等は大膽に活漫に、鳥の如く獸の如く、咽喉の張り裂けるほど胸板の撓むほど眞實な聲 を放ってうたって居ることであらう。此の國の器樂がいさ、小丿 = の流れのやうな纎細な音を立てるのに反 わうやう くわいれい して、いかに彼の器樂が澎湃たる怒濤の如く豪宕の気に充ち、汪洋たる大海の如く瑰麗なことであらう。 たび 一と度私はさう感ずると、このやうな驚く可き藝術の數々を生んだ歐羅巴の國土に對し、及び共處に棲息 する優越なる人種の日常生活の諸現象に對し、之等を悉く知り求めようとする止み難い慾望が頓に湧き上 るのを覺えた。西洋の物とし云へば、几べての事が美しく羨しくなって來た。私は人間が神を仰ぐゃうに 西洋を見ずには居られなくなった。私は到底立派な藝術の育ちさうにもない日本の國に生れた事を悲しん だ。どうしても日本に生れる可き運命を持って居たのなら、政治家若しくは軍人として世に立たずに、特 に藝術家として立たねばならなかった自分の不幸を悲しんだ。而も今日の私としては、たゞ一歩でも近く 「西洋」に接觸し、或は同化する事に依ってのみ、自分の藝術を切り開いて行かねばならないのだと觀念 ひ はうま へんりん のど とみ 234
獨探 がら包圍の外へ飛び出した。丁度一匹の野蠻な獸が人間に取り卷かれた時のやうな、又は無智な人間が神 ゐぜう 々に圍繞された時のやうな、恐ろしさと心細さが突然私を捕へたのであった。 隣室の英國の武官が俄かに召集されて出發してから四五日後に、私は氏の信書を受け取った。「自分も とう / \ 召集されて、目下の大戦爭に出陣すべく直ちに本國へ歸らねばならない。しかし戰爭は國と國と の不和である。私は永久に日本を愛し日本人を愛する。戦が濟み次第、生きて居たらば必ず日本へ戻って しゅしよう うちし 來るが、恐らく私は討死にするであらうと思ふ。」と、頗る殊勝な覺悟が示してある。私は返事を出さう としたが、混雜の場合故、とても本人の手に渡るまいと考へてやめた。それから一週間程過ぎて例の四つ けいじば 辻の掲示場へ、 : Ge1 ・ many gives no answer. Japan declares W こと云ふ電報が貼り出された。いよ チンタオ / 、靑島攻撃が始まるのである。氏は遂に敵國入になってしまった。まさか兵隊に取られては、金儲け も出來なからうと思ふとをかしかった。 九月になって私は東京へ歸って來た。岡田に會ったので、「君は氏を見送ってやったかね。」と尋ねて見 た。然るに岡田は又からからと笑ひ出して、こんな事を云った。 やっこ 「なあに奴さんはまだ東京に居るんだよ。召集はされたが本國へ歸る道がないから、やつばり日本に居る 事になったのださうだ。嘘か本嘗かわからないけれど : へうへん 「どうもあの男の話ぐらゐ豹變するものはないね。歸る道はないにしたって、敵國に居るのは不安心だら 、つ 全體アメリカへはいつ行くのか知ら。」 「アメリカへ行ったってロで云ふ程うまい仕事は見つからないにきまって居るさ。今考へると、博覽會で やばん 257