傳はるでござらう。かさねみ \ 羨しう存じ申す。 爲成當代に双びなき佛師と云はる、共許から、さほどのお褒めに與れば此の上もない面目でござるわい わざ : したが定朝殿、其許はなぜ共のやうに他入の業を羨しいと仰せあるのぢゃ。某の繪が末代までも きえ あまね たふと おほみだう 傳はるものなら、忝くも此の大御堂の本尊と仰がれて、千百年の後までも、普く世人に歸依せらる、貴 い如來の佛像は、抑も誰がお拵へなさるのぢゃ。 定朝其れは勿論、此の定朝に負はされた役目でござる。 そこもと それがし 爲成さうして見れば、某こそはなか / \ 其許を羨しいと存じ申す。共許のお作りなさる、阿彌陀佛の御 みかど おんかうべ に立てば、一天萬乘の帝でさへも御頭を垂れさせて、合掌なさる・ゝでござらうがな。某の此の扉の繪 も、此の嚴かな内陣の調度も、此の廣大な伽藍の柱も、淸しい庭の蓮池も、几べて共許の阿彌陀佛を安 ついでしつら よすが 置し奉る便宜の爲めに、云はゞ序に設へた飾りに過ぎぬと中すもの。此の有難い御代に生れて日本一の 佛師と讃へらる、御自分こそは、誰にも優る果報者よと思し召さる、が當然でござらうに。 いかさま果報者でござらうも知れぬ。さり 定朝うむ、若しも某が仰せの如き日本一の佛師であったら、 ながら、共許の御扉繪の見事さと云ひ、御堂の普請の立派さと云び、世に珍しい靈場の出來上る樣を見 るにつけても、なまじひに本尊の御佛體を刻み出す可き役目の重さが、恐ろしうござるわい。覺東ない 某の鑿のカで、此の靈場に適しい彌陀の奪像を、どうして作り出されようかと、それのみ頻りに案ぜら れて、今日此の頃の某は夜もおち / \ 眠り申さぬ。 爲成はてさてさうなうてはかなはぬこと、さ程の御用意があればこそ、一道に秀づる腕をも研き申す。 よる ふさは につばんいっ
神童 の意識がだん / \ 強くなればなる程、彼は何となく羞かしくなっていよ / \ 視線を避けるやうに努めて居 こ 0 「此の女の顏を見たって差支 ~ はないだらう。顧みて疚しい點がなければ、特に見ないで居る必要はない だらう。」彼はこんなエ合に自間自答して、それから思ひ切って夫人の方を見守った。彼の女は先刻から さしはさ 婦女子のロを挿むべき場合でないと考へたのか、主人と同じ食卓に對して、殊勝らしく兩手を膝の上に重 ねて、此の時まで默って居た。髮の名前や着物の地質は分らないが、源之助の芝居を見たことのない春之 助にも、こんなのが意気な女と云ふのであらうと朧ろげながら察せられる。しかし飽くまでも夫人として の品格は備はって居て、前身が藝者であったらしい痕跡は、經驗に乏しい彼の鑒識を以て發見することは 出來なかった。それに此の婦人は、彼が此れ迄に知って居る多くの女とは驚く程違った、格段に濃い黒髪 と色澤のある皮膚と冴えた大きい瞳と、くつきりした輪廓とを持って居る。几べて女は容貌が美しいと賢 さうに見えるものだが、今しも此の婦人が謹愼の態度を裝ってうつむき加減に端坐して居る有様は、いゝ にも聰明な深慮分別に富んだ、寧ろ非几な腦髓の所有者らしく想像される。此の人が、此の妖艶な容貌の 人が、自分たちと同じゃうな日本語を語り、同じゃうな表情で笑ったり泣いたりするとしたら、何だか共 れがひどく不思議な現象の如く感ぜられる。さうしてその現象は、やがて主人と春之助との用談が濟んで しまふと、直ちに彼の眼の前に開展した。 「旦那、瀬川さんはまだ御飯前ぢゃないんでせうか。何なら此處で御一緖に上ったら。」 と、お町は急にばっちりと眼瞼を彈いて、すばしつこく二人の顏を見廻しながら云った。 307
としい麿の戀人の姿の前に跪いて、さても菩薩の有難さよと合掌するのを眺めやったら、此れに上越す 喜びはなさ、うぢゃ。 ばち 四の御方そのやうな狂はしい事を仰っしやりますな。世を欺いた咎めは兎も角、御佛の罰が恐ろしうご ざりま亠 9 。 道長あは、、、そなたは臆病な女子ぢゃなう。 四の御方ほんに臆病でござります。こんな夜更けに御堂の闇にうづくまって、此處に侍る定雲とやらの、 鬼のやうな恐らしい顏を見るさへ、そゞろに心が怯えまする。 。、かほど面つきは物凄うても、此の若者はそなたのためには大恩入ちゃ。師の定朝も 道長あは、、、 及ばぬ程の、立派な業を持ちながら、醜い男に生れついた此奴の不運を憐んでやるがよい 四の御方妾の姿をとてもお寫しなさるなら、日本一の佛師と云はる、あの定朝に、なにゆゑお賴み遊ば さないのでござります。此のむくつけき若者の、獸のやうな白い眼で睨まれるのが、妾は気味惡うござ ります。 道長氣味が惡うても辛抱するがよい。麿は此奴の獸のやうな面構へが気に人ったのちゃ。此奴の眼には くつきゃう 佛も人間も同じ姿に映りさうちゃ。そなたの顏を正直に佛の姿に刻ませるには、究竟の若者ぢゃ。 二人は會話をやめて、定雲の方を凝視する。定雲は相變らず沈默して、冷然たる態度で製作を績けて居たが、ふと四 の御方と顏を見合はせて、互に長い間睨み合って居る。 : まあ此の男はほんに不思議でござります。先程からあのやうに、妾の顏を視詰めたま、、 四の御方 こやっ まなこ
定雲でも此の菩薩は、たゞあなた様の形を寫したばかりでござります。此の菩薩には、形より外に心は ござりませぬ。此の菩薩の、形をお禮拜なさりませ。あなた様のお心を除いた、肉身の美しさをお賴り になさりませ 四の御方妾の肉身の美しさを、何で賴りとすることが出來よう。たと ~ ば彌生の空に咲く、櫻の花の盛 りのやうに、やがて散り失せる肉身の色香を、いつまで信ずることが出來よう。 定雲あなた様の肉身の色香は枯れ萎んでも、私の刻んだ菩薩の色香は褪せる憂がござりませぬ。虚空を うっしみ 彩る虹のやうな、果敢ない現身の美しさに、鑿のカで永劫の命を與へるのが、佛師の役目でござります うゐてんべん る。あなた様と此の菩薩とは、同じ形を持ちながら、同じ運命に縛られては居りませぬ。有爲轉變は浮 しんによ 世のこと、たと ~ 人間の肉身でも、一旦菩薩に作られたからは、生老病死の因果を斷ち、眞如の月の光 のやうに、曇る時節はござりませぬ。 むくろ むくろ 四の御方妾の屍骸は菩薩になっても、妾の心の救はれる折はないのぢゃ。美しい屍骸を此の世に留めて、 妾の魂は焦熱地獄へ墮ちるのぢゃ。 定雲さればこそ、あなた様は此の菩薩を御信仰遊ばすが宜しうござります。私が此の御像 ~ 自分の魂を 打ち込んだやうに、あなた様も御自分の魂を、此の御佛の御姿の中 ~ 、封じ込めてお了ひなさりませ。 五ロ 1 一二ロ 現在の肉身は魂の留まる假の宿、此の菩薩こそ眞實のあなた様と思し召して、御歸依遊ばしたがよろし 成、つござります - 。 四の御方そのやうな理を、いかほど其方が繰り返しても、妾の迷ひは睛れはせぬ。なう定雲、其方は妾 ことわり おんざう
のお耳にも響いた程の嚀をば、つい先の程聞いたばかりでござりまする。 院源さうして其方は其の噂を何と思ふ。僞りと思ふか眞と信ずるか、其方の考へはどうぢゃ。 定朝某の考へを申さうより、此の御像をつくみ、、、と御覽下さりませ。此の御像を御覽なされて、其の噂 を信ぜぬ譯には參りませぬ。木で作った菩薩のお姿の動き出すのが不思議なら、人間の鑿のカで此のや うな立派なお姿の、刻まれたのが抑も不思議でござりまする。 院源成る程なう。愚僧も今まで數知れず菩薩の像を拜んだが、いづこの御寺に參っても、此れに上越す 觀音勢至は見あたり申さぬ。世上の噂は兎にもあれ、よも此のやうに巧みなものとは、夢にも思ひ及ば ざりしに、聞きしに勝るあらたかな御佛ちゃ。定雲とやら申す若者は、さすがに師匠の名を耻かしめぬ、 立派な腕前と覺ゆるわい 女房の二それでは律師も世間の嚀を、ほんたうぢやと仰っしやるのでござりますか。此の御像が夜な / \ ひとりで歩み出すと云ふ話を、御信じ遊ばすのでござりますか。 女房の三此の木像のお姿に、魂があるのでござりますか。 院源云ふまでもない事ちゃ。魂がなくてはならぬ道理ぢゃ。 女房の三をこがましうござりますが、妾たちには共處の道理がわかりませぬ。木で拵へた菩薩の形がい かほど徴妙なればとて、どうして其れに魂が宿って居るのでござりませう。 もとたち 院源てもお許達はをかしな事を仰せらる、。人間ばかりが魂を持って居るのではござるまい。畜生は愚 か庭前の一木一石にも、乃至は室行く雲のた、ずまひ、流る、水の面にも、語りの眼もて觀ずれば、皆 まこと みてら
女房の二てもまあ、そのやうな恐ろしい事があらうとも思はれませぬ。 堂に昨夜から籠っておいでなさりましたか。 それがし 定朝いやノ \ 、某はつい先の程此れへ參ったところでござる。 女房の二それならあの、此の菩薩を拵へた定雲とやら云ふ若者は、いづれに居るのでござります。 あやっ 定朝定雲は何處に居るか、あの男のことは知り申さぬ。したが彼奴は、夜な / \ 人の寢靜まる頃仕事を ゞなされたのでご 勵んで、朝は休んで居りまする。さうして、あわたヾしいお許たちの御様子は、、ゝ、 ざりまオ・ - 。 女房の一共れでは共方は、此の定雲の菩薩について、不思議な噂のある事を、いまだにお聞きなさりま せぬか。 定朝不思議な嚀とは ? はてどのやうな事でござらう。某一向に存じ申さぬ。 女房の二此の頃に、此の菩薩が毎夜々々御堂の中を脱け出して、さながら生きた人間のやうに、 なんでん しづ / \ 渡殿を徐かに歩んで、南殿の勾欄のあたりを徘徊すると云ふ嚀が、専ら擴まって居りまする。 定朝して共の怪しい人影を、誰ぞたしかに見とゞけた者がござらうか。 女房の一誰彼と申さうより、妾が立派な證人でござんする。 語定朝なに、お許が御覽なされたとな。 いかにも妾が、たしかにゆうべ見屆けたのでござります。 成女房の一 法 定朝お許が御覽なされたとあれば、成る程まことらしい話ちゃが、 ゅうべ を 定朝どの、其方は此の御 、大方其れは何か そなた
夢 で 居 時 と と と 心、 ま ー 1 そ 中 は 何 そ 甲 せ 兄 ム え あ し る 々 斯 處 - 藍 つ け つ れ っ さ つ て 行 れ 子 た か な へ は ん オこ か て つ 行 つ 憚 井 お ど 此 此 ら は ム の 直 て て り さ れ め る は 井 に 附 お 手 兄 の 來 ぐ て た ん さ で 母 紙 の 私 た 角 と ま さ け ん た 戸万 だ ム 亜 る の 見 事 と が 夜 に れ い の 惡 女 て イ可 ぢ ま る を は お と 打 方 イ業 だ 居 母 き い の や 名 っ な よ わ 後 3. 敎 江 ら ろ 多 お 可 ま 藤 さ 子 で ん し 手 く 分 母 哀 見 ん は た だ あ さ 紙 十 様 つ 默 け ん さ お が れ て て の つ の 來 ど 賴 て 時 歸 び だ て お い 村し 居 か り 母 る カゝ が 井 て 様 の ぢ か も れ が ら 給 時 の 上 や 上 あ 知 る 存 ヒ頁 い 内 げ を な 證 指 の 在 か ま い る しさ の な 兄 で ら カゝ に た な し い さ : 若 付 が ん て 丈 し ら で の 夫 す 用 も く 子 て な は お と さ を の 筈 よ 豸蜀 っ 賴 さ さ よ ん り 得 ち た が れ あ 彼 ら 思 よ て お ら さ 玉 し だ に 此 け 矢ロ 此 ら ど れ 私 ほ オし の 笑 な か し は や 事 行 ら ん , 出 や る を く で て の 敎 居 御 先 け オよ る が 一見 よ 分 よ ら ば て 上 か 安 げ り て く 此れから 、兄さ 460
人夫一同、観世音の前に禮拜する。 人夫の三さあ、此れから一つ外のお堂を見物に廻らう。 年老いたる人夫あ、有難いことちゃ。勿體ないことぢゃ。 人夫一同右手へ退場。此れ迄の間に堂上のエ匠も仕事を終へて、一人づ、次第々に堂の後に消え、佛工と畫工ばか りが居殘る。舞臺暫く無言。や、ありて、腕拱いて俯向いて居た定朝が、重い嘆息を洩らしながら怏々として立ち上 しづ り、徐かに爲成の方へ歩み寄る。さうして、じッと彳んだまゝ、 いっ迄も扉の畫面を眺めて居る。 ちゃうてう 爲成 ( 繪をかきながら振り返って定朝を見る ) 定朝どの、いかゞなされた。何と思されてそのやうに、此の繪を ・こらん 御覽じなさるのちゃ。 それがし 定朝憚りながらあまりめでたい出來榮えに、御遮げになるとも知らず、暫く見惚れ中してござる。某は そこもと おんとびらゑ つくる、、共許を羨しう存じ申す。斯ほどにいみじき御扉繪をお作りなされた共許の、御よろこびは嘸か しでござら、つ。 おんとびら しんふつ 爲成さればまことに神佛の加護のお蔭でござらうか、此の御扉に向うてから、身に覺えなき不思議のカ それがし に導かれて、たヾたヾ夢を見るやうに自然と描き上げました。某繪筆に親しんでより、かやうにらの張 り詰めた事は嘗てござらぬ。 五ロ 二一一口 定朝いや、いや、神佛の加護もさる事ながら、やはり共許の筆のカちゃ。世にも稀なる技巧の業ちゃ。 こせかなをか よみがヘ 土紆もろこし まことに此の繪 成唐の呉道玄、我が朝の巨勢金岡が蘇生って參らうとも、よもこれほどには描かれまい みてら は稀代の逸品、此の御寺のあらん限り、佛法王法の榮ゆる限り、共許の御名は此の繪と共に千載までも おんさまた そこもと おんな たくみわざ
「あれ、お待ちなさい。あの窓懸けの綠の帷が頻りに動いて居るやうです。帷の蔭から誰やらが此方を眺 めて居るやうです。」 「あの男の顏を御覽、 : あれがお前の戀人なのだ。窓から首を突き出して、ぢッと此方を視詰めて居 るのがお前にもよく見えるだらう。」 「もう躊躇することはない。己と一緖に來たらよからう。」 四 「僕は先生の豫言した通り、とうたうお前を戀するやうになってしまった。お前は僕を疑って居やしない だらうな。」 「あたしはあなたを最初に一と眼見た時から、少しも疑ひませんでした。」 「お前はやつばり、僕の戀ひして居た女だった。」 「あたしはあたしの母よりも、仕合せな女でございます。」 「どうしてお前は此のやうにあでやかなのだらう。」 「どうしてあなたは此のやうにお立派なのでせう。」 「僕の體にないものを僕におくれ。お前の體に缺けて居るものを僕が上げよう。さうして先生の言ひ付け ( 同じ年の同じ春の會話 )
••hence G0d resolved tO form a certain movable image Of eter- けたペ工ヂの一節を讀み下した。ニ・ nity 一 and tht1S, while he was disposing the parts 0f the universe, he, Ot1t 0f that eternity which rests in unity, formed an eternal image on the principle Of numbers :—and tO this we give the : ご恰も彼の眼に入ったのは、 THE TIMÆUS の中の、ソクラテスが「時間」 appellation 0f Time. ・ と「永遠」とを論じて居る此の五六行の文字であった。彼は平生朧ろげながら自分の心で考へて居たこと が、立派に共處に云ひ表はされて居る嬉しさと驚きとに打たれた。喜びのあまり昻奮して、手足がぶる / \ と顫へるくらゐであった。「此れだ、此の本だ。自分が不斷から憧れて居たのは此の本の思想だ。讀 みたいと思って居たのは此の本の事だ。此の哲入の言葉を知らなければ、己は到底えらい人間にはなれな 。」春之助は腹の中で獨語した。彼はもう共の本を自分の手から放すことが出來なかった。 「此れはいくらですか。」と、彼は帳場の主人を顧みて云った。 「五圓ですよ。」 さっき 先から不思議さうな顏をして少年の擧動を見守って居た主人は、嘲るやうな黴笑を浮べて、気乘りのしな い調子で答へた。春之助は、かう云ふ場合の費用に充てる爲め、平生から無駄遣ひを節して溜めて置いた 小遣ひが三圓あった。それに正月の年玉として、親戚の叔父叔母から貰った金を加へれば丁度五圓程の額 に達して居た。彼は直ぐに藥研堀の家へ走って、金を持って引っ返して來た。 六册の書物を風呂敷に包んで宙を飛んで歸って來た春之助は、是非共正月一杯に讀んでしまはうと云ふ大 決心を以て、學校から歸って來ると毎晩夜中の二時三時迄机の傍を動かなかった。さうして月の廿日頃に 286