の破れる基、玄澤も珍齋もそなたたちにお任せ申して、拙者は今宵は歸るといたさう。 ( 立ち上る ) お銀の方 ( 男の袂を捕 ~ ながら ) もし、お待ちなされませ。急にそのやうな事を云ひ出して、どうした譯で ござんする。まだ其方には話もある。どうぞ物蔭に隱れて居て、様子を聞いて賜ひなう。 かたはら、、、、 靫負あまり其方の傍に ~ たばり着いて、狹い了見と笑はれるのも心苦しい。話があらば明日の夜の事、 兎に角お申すでござらう。 お銀の方さっきの話を根に持って、又そのやうにお拗ねなさるのでござんせう。どうでも妾は歸しませ ぬぞえ。 梅野お部屋様があのやうに仰っしやるものを、此のま、お歸りなさるとはあんまりでござんする。もし 靱負様、われ / \ 二人であの玄澤をあやなすところを、まあお慰みに見屆けてお出でなさりませいなあ。 みじかよ 斷って歸りたうはござらぬが、今日此の頃の短夜に、 靱負見屆けずとも拙者充分に安心いたした。 ぐづ / \ して居て空が白んで參ったら一と難儀 : ・ : : : 願望成就するまでは、大事な上にも大事を取って、 用心せねばなりますまいに、惡くお取りなされては、拙者甚だ迷惑いたす。何卒御ゆるし下されい ( 輕くお銀の方の手を拂ひ除けようとする ) お銀の方そんなら今宵はどうあっても、 代 靱負はてまあ、お放しなされませい。 ( 手を振り切って廊下に出で、前の如く覆面をして改まって鴫居際に兩手をつく ) 時 怖さやうならばお部屋様、梅野どの、明日の夜更けに又重ねて、 お銀の方きっとお越しを。待ちますぞえ。

承って居りましたが、今宵は全體どう遊ばした事でござります。 お銀の方あまり執拗く着き纒はれてうるさうてならぬ故、この十日程假病を使って引き籠って居るなれ ど、毎日のやうにまだ直らぬかとの御催促、噂に聞けば妾に會はれぬ腹立たしさに、例の癇癪をお起し なされて、昨日も近侍の侍をお手打ちに遊ばしたとやら、ほんに / \ くさ / \ するわいな。 玄澤いやはや毎度の事とて珍らしうもござらぬが、相變らずの御亂行、あのやうな気違ひにおなりなさ しつけ れたも、皆お部屋様のお躾ながら、まことにたはけた馬鹿殿樣でござるわい らんぎゃう お銀の方共の亂行が此方の爲めには却って仕合せ、お家を思ふ忠義者は片っ端から手打ちにされて、殺 されてしまふがよいではないか。 玄澤先づあの分では殿の御壽命もあまり長うはござるまいが、次第に依っては此の方も、靫負樣同様に してしまはねばなりますまい お銀の方それも悪うはないけれど、一度にやっては嫌疑の種、よい潮時を窺って、追ひど、に手を廻す のが上分別ちゃ。 玄澤 ( 俄かに横腹を抱へて苦しみ出す ) あいた、あいた、あいた、、、、。 お銀の方これ玄澤、どうしやった、何處ぞ加減が悪いかえ。 玄澤あいた、あいた、あいた、、、、。 ( 忽ち激しい痙攣が襲って來たらしく、太った、たぶイ、、した頬の肉や唇の周 をのゝ 圍をびく / \ と歪め戰かせながら、物凄く呻黔する ) お銀の方 ( 玄澤の傍から逃げるやうに飛び退って、恐ろしく緊張した眼つきでぢっと苦悶の表情を凝視する ) これまあ共の しさ

「お前がそのやうに南歐の海を慕ふのは、きっとお前に戀人があるからだらう。地中海の波の底に、同じ よるひる 入魚の形を持った美しい男が、夜晝お前を待ち憧れて居るのだらう。さうでなければ、お前はそんなに私 2 がない。」 を厭ふ筈がない。情なくも私の戀を振り捨て、、故鄕へ歸る道理 貴公子が恨みの言葉を述べる間、入魚は殊勝げに瞑目して首をうなだれ、耳を傾けて居ましたが、やがて しなやかな兩手を伸ばしつ、、シッカリと貴公子の肩を捕へました。 あで 「あ、、あなたのやうな世に珍らしい貴やかな若入を、私がどうして忌み嫌ふ事が出來ませう。どうして あなたを戀せずに居られるやうな、無情な心を持って居るでせう。私があなたに焦れて居る證據に は、どうぞ私の胸の動悸を聞いて下さい。」 人魚はびらりと尾を飜して、水甕の綠 ~ 背を托したかと思ふ間もなく、上半身を弓の如く仰向きに反らせ ながら、滴々と雫の落ちる長髮を床に引き擦り、樹に垂れ下る猿のやうに下から貴公子の項を抱へました。 すると不思議や、人魚の肌に觸れて居る貴公子の襟頸は、さながら氷をあてられたやうな寒さを覺えて、 見る見るうちに其處が凍えて痺れて行くのです。入魚の彼を抱き緊める力が、強くなれば強くなる程、雪 白の皮膚に含まれた冷冰の氣は、貴公子の骨に沁み人り髓を徹して、紹興酒の醉に熱した總身を、忽ち無 感覺にさせてしまひます。共のつめたさに堪 ~ かねて、あはや貴公子が凍死しようとする一刹那、人魚は 彼の手頸を抑へて、共れを徐ろに彼の女の心臓の上に置きました。 「私の體は魚のやうに冷かでも、私の心臟は人間のやうに暖かなのです。此れが私の、あなたを戀ひして 居る證據です。」 つれ しび かうべ

あの二人は云はずと知れた御城代の廻し者、われ / \ 一味の隱謀を嗅ぎつけて、 梅野いかにも、 隙だにあらば證據を握り、訴へて出ようと待ち構へて居るお目付役、なか / \ 心は許せませぬぞえ。 伊織之介その事ならば私も前から氣が付いて居りまする。先逹てから憚りもなく殿の御亂行を數へ立て ゞ御勘気を蒙ったばかりとは、 執念深くお諫め申して居る様子。早くお手討ちになればよいに、 ても運のよいお人たちでござりまする。 梅野先程珍齋が偵って來た話では、今日も二人が中し合はせて、御勘氣の身も顧みず、此れから直ぐに 御酒宴の席へ割って入り、命を捨て、も殿をお諫め申すのぢやと、互に相談して居たとやら。ほんに 餘計なことをするではないか。 伊織之介したが、得て忠義者は命を惜しまぬ代りには、智慧の足りない方々ばかり、又懲りずまに諫言 して、揚句の果てがお手討ちになるは知れたこと、お二人の最期は眼に見えて居りまする。 梅野さううまく行けばよいけれど、何を云ふにもあの気紛れな殿様のなさること、決してあてにはなり ませぬ。どんなお気に入りの御家來でも、急にお手討ちになるかと思へば、御勘気を受けて居た方々カ 忽ち御寵愛を蒙る始末、あれでは二人の最期の程も、いつの事やら案じられる。 伊織之介それではお前様は、あの方々を何とかして、殺してしまふ御所存でござんすかえ。 代梅野一日生かせば一日此方の邪魘になるゆゑ、人知れず討ち果してしまひたいとは思うて居たが、知っ 怖ての通りあの二人は御家中に名の響いた武藝の達者、その上血莱の若侍では、容易に手出しがなりかね て、今日まで控へて居りました。なう、もし伊織之介さま、お部屋様のお賴みと云ふのは、このことで ヾゝ、

ゃうな環を描いて、徐々に雄大に廻輾を績けて居ます。而も一脣驚く可き事は、素肌も同然な肉體に輕羅 を纒うた數百人のチャリネの男女が、炎々と輝く火の柱に攀ち登りつ、、車の廻るに從って、上方の輻か ら下方の輻 ~ と、順次に間斷なく飛び移って居る有様です。遠くから其れを眺めると、車輪全體へ鈴なり へんみ、ひるがヘ にぶら下って居る人間が、火の粉の降るやうに、天使の舞ふやうに、衣を翩々と翻して、明るい夜の空を かうしゃう 翩翔して居るのでした。 私の注意を促したのは、此の車ばかりでなく、殆んど公園の上を蓋うて居る天空のあらゆる部分に、奇怪 なもの、道化たもの、妖麗なもの、光の細工が、永劫に消えぬ花火の如く、蠢めき、閃めき、のたくって 居るのを認めました。若しあの空の光景を、兩國の川開きを歡ぶ東京の市民や、大文字山の火を珍らしが る京都の住民に見せたなら、どんなにびつくりすることでせう。私が共の時、ちょいと見渡したところだ けでも、未だに忘れられない程の放膽な模様や巧緻な線状が、數限りなくあるのです。たと ~ て云 ~ ば、 共れは誰か、人間以上の禪通力を具備して居る惡厥があって、室の帳に勝手氣儘な落書きを試みたとも、 形容することが出來るでせう。或は又、世界の最後の審判の日、 Doom'sDay の近づいた知らせに、太陽 てんさい へんげぼし が笑ひ月が泣き彗星が狂ひ出して、種々雜多な變化星が、縱横無盡に天際を搖曳するのにも似て居るでせ 市私たちの立って居る廣場は、正確な半圓形を形作って、その圓周の弧の上から、七條の道路が扇の骨の如 術く八方 ~ 展いてゐました。七條のうちで最も廣い、最も立派なのは、まん中の大通りでした。何十軒何百 軒あるか分らない公園の見せ物の中で、取り分け人気を呼んでゐる小屋は大概共處にあるらしく、或は嚴 しちでう 223

處に淋しく鎖されて居た、囚はれの身の人魚の姿を示しました。 彼の女は、うつくしい玻璃製の水甕の裡に幽閉せられて、鱗を生やした下半部を、蛇體のやうにうねうね へき とガラスの壁へ吸ひ着かせながら、今しも突然、入間の住む明るみへ曝されたのを恥づるが如く、項を乳 あたり 房の上に伏せて、腕を背後の腰の邊に組んだまゝ、さも切なげに据わって居るのでした。ちゃうど人間と 同じくらゐな身の丈を持っ彼の女の體を、一杯に浸した甕の高さは、四五尺程もあるでせう。中には玲瓏 とした海の潮が滿々と充たされて、入魚の喘ぐ度毎に、無數の泡が水品の珠玉の如く、彼の女の口から縷 々として沸々として水面へ立ち昇ります。その水甕が四五入の奴婢に舁がれて、車の上から階上の内廳の 床に据ゑられると、室内を照らす幾十燈の燭臺の光は、忽ち彼の女の露はな肉體に焦點を凝らせて、いや が上にも淸く滑かな人魚の肌は、さながら火炎の燃ゆるやうに、 一脣眩く鮮やかに輝きました。 ひそ 「私は此れ迄、心私かに自分の博い學識と見聞とを誇って居た。昔から嘗て地上に在ったものなら、如何 に貴い生き物でも、如何に珍らしい寶物でも、私が知らないと云ふ事はなかった。しかし私はまだ此れ程 美しい物が、水の底に生きて居ようとは、夢にも想像した事がない。私が阿片に醉って居る時、いつも眼 の前へ織り出される幻覺の世界にさへも、此の幽婉な入魚に優る怪物は住んで居ない。恐らく私は、人 魚の値段が今支拂った代價の倍額であらうとも、きっとお前から共の賣り物を買ひ取ったゞらう。 斯う云ったゞけでは、まだ貴公子は自分の胸に溢れて居る無限の讃嘆と驚愕とを、充分に云ひ表はす事が 出來ませんでした。なぜと云ふのに、彼は今、自分の前に運び出された冷艶にして悽愴な、水中の妖魔を かひな あら ぬいでん 200

さ」の消えやらぬ間に、もう一遍たるんだ生活を引き搾って、冷えか、った胸の奥に熱湯のやうな感情を えんぎ 連夜の宴樂、連日の讌戯に浸りながら、猶倦むことを知らなかった二三年前の昻奮した心 沸騰させたい。 持ちに、どうかして今一度到達したい。など、焦っては見るのですが、別段今日になって、彼を有頂天に させるやうな、香辣な刺戟もなければ斬新な方法もないのです。もはや歡樂の絶頂を極め、癡狂の數々を 經驗し盡した彼に取って、もう其れ以上の變った遊びが、此の世に存在する筈はありませんでした。 そこで貴公子は仕方なしに、自分の家の酒庫にある、珍しい酒を殘らず卓上 ~ 持ち來らせ、又町中の教坊 に、四方の國々から寄り集まった美女の内で、殊更才色のめでたい者を七人ばかり擇び出させ、共れを自 るうあんちゅう 分の妾に直して、各々七つの綉房に住まはせました。酒の方では、先づ第一が甜くて強い山西の滸安酒、 うーぢんちんちゅう ほちんちゅう 淡くて柔かい常州の惠泉酒、其の外蘇州の珍酒だの、湖州の鳥程潯酒だの、北方の葡萄酒、馬妨酒、梨 かれいはうじゅん さうしゅ 酒、棗酒から、南方の椰漿酒、樹汁酒、蜜酒の類に至るまで、四百餘州に名高い佳醴芳醇は、朝なタなの 食膳に交る交る盃 ~ 注がれて、貴公子の唇を濕ほしました。しかし此れ等の酒の味も、以前に度び度び飮 み馴れて居る貴公子の舌には、共れ程新奇に感ずる筈がありません。飮めば醉ひ、醉へば愉快になるもの 、何となく物足りない心地がして、昔のやうに神思飄颶たる感興は、一向胸に湧いて來ないのです。 「どうして内の御前さまは、毎日あんなに鬱ぎ込んで、退屈らしい顏つきばかりなすっていらっしやるの きだら、つ。」 魚七人の妾たちは、互ひに斯う云って訝りながら、有らん限りの秘術をつくして、貴公子の御機嫌を取り結 9 びます。紅々と云ふ、第一の妾は聲が自慢で、隙さ ~ あれば愛玩の胡琴を鳴らしつ、、婉轉として玉のや しう・はう いぶか あま ちきゃう

月に云った大道の四つ角に蹲 明治二十六年の、七月の或る日の地震の光景に戻って行った。あの時彼は、蔔 踞って、生きた空もなくわな、きながら、世にも珍らしい天變地異をたゞ夢の如く眺めて居た。夢だ のち 其の後二十幾年も彼は此の世に生きて居るが、あの時のやうに薄気 ほんたうに夢のやうな恐ろしさだー 味の惡い、あの時のやうに物妻い、あらゆる形容詞を超絶した 0verwhe1ming な光景を、爾來一遍も見 た事がない。彼が避難した地點と云ふのは、今の蠣殻町の東華小學校の門前に近い、一丁目と二丁目との 境界にある大通りで、今でもあの四つ角には交番が建って居る筈だ。何でも彼の經驗に依ると、大地震と 云ふ物は地が震へるのではなく、大洋の波のやうに緩慢に大規模に、搖り上げ搖り下ろすのであった。自 分の足を着けて居る地の表面が、汽船の底と全く同一な上下運動をやり出した時を想像すれば、恐らく讀 いや、汽船の底と云ったのでは、ま 者は其の気味惡さの幾分かを、了解する事が出來るであらう。 踏んでも掘ってもびくともしない、世の中 だ形容が足りないかも知れない。寧ろ輕気球のやうに、 ぶあっ の几べての物よりも頑丈な分厚な地面が、寧ろ輕気球のやうに、さも輕さうにふらふらと浮動するのであ る。さうして、其の上に載っかって居る繁華な街路、碁盤の目の如く人家の櫛比した、四通八達の大通り や新路や路次や横丁が、中に住んで居る無數の人間諸共に、忽ち高々と上空へ吊り上げられ、やがて悠々 と低く降り始める。彼は比較的見通しの利く四つ辻に居た爲めに、此の奇妙なる現象を眞にまざ / \ と目 認撃した。彼の前方 ~ 一直線に走って居る、坦々たる街路の突きあたりには、遠く人形町通りが見えて居た たひら 蓐が、共の路の長さは大几そ二三町もあったであらう。然るに谺しむべし、此の二三町の平な路が、彼の蹲 踞って居る位置を基點として、恰も起重機の腕の如く棒立ちになり、向うの端の人形町通りを、天 ~ 向っ しんみち あや 167

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