それがし 京極大納言どれ、どれ、今度は某、一つ鶯の催馬樂を歌ひ申さう。 「梅が枝に來居る鶯ヤ、春か けてハレ、春かけて啼けどもいまだヤ、雪は降りつ、、あはれそこよしヤ、雪は降りつ、。」 あこめあふぎ 鶯姫、衵扇をかざしながら、藏人命婦に手を曳かれて不承々々に廊を歩み來る。 藏人命婦もし、姫君、あれをお聞きなさりませ。あの通り皆様が鶯の歌をうたうて、姫のお越しをお待 ちなされて居られまする。さあ、さあ、そのやうにおむづかりなさらずと、早うお出でなさりませいな 鶯姫いやぢや、いやちゃ、妾は婿えらびなどするのはいやぢゃ。 其の時、一匹の赤鬼が姫の跡を追うて廊を走り出で泉殿の下手の簀子にあぐらを掻いて、酒宴の模様を眺めて居る。 人々一向に心付かず。 うたげ 藏人命婦いえ、 え、なんと仰っしやっても、今宵の宴會に姫君がお越しなさらいでは、大殿様のお顏 が潰れてしまひまする。 ( 無理やりに姫を引き擦って、泉殿の入り口の御簾の前まで連れて行く ) それ、それ、ちょい と此處から中の様子を御覽なさりませ。何とまあ、お綺麗な公達ばかりが、お揃ひなされたではござり ませぬか。あれ、彼處の上座に琵琶を彈じていらせられるのが、忝くも冷泉親王でござりまするぞえ。 それから其の右に控へておいでなさるのが梅小路三位、左のお方が春日少將、あの、向うの席にいらっ しやるのが京極大納言、そのお隣りが町尻中納言、 まあほんに誰方様も、雛のやうに美しい方々 でござんすわいな。なう姫君、あのお五方のうちで、誰方が一番お好きでござりまする ? 姫君妾はあのやうな醉拂ひは大嫌ひぢゃ。みんな莱味の惡い人たちぢゃ。 いっかた どなた すのこ ひいな 286
侍手懸りとてはござりませぬが、不憫ながら其處に居ります珍齋に、聊か嫌疑がか、って居りまする。 珍齋依然として默って居る。靱負が心配さうに共の態度を盜み視る。 太守なに珍齋の爲業ちゃと、 侍極まった譯ではござりませぬが、先刻奥方のお給仕を勤めた珍齋、どうした譯か今日に限ってこそ / \ と、直きに退出致した様子。彼より外に御膳部に近付いたものもござりませねば、自然と嫌疑が懸 って居りまする。 こりや珍齋、聞いた通りの次第故、一應共方を取り調べる。身共と一緖に參る カよ 靱負お待ちなされい。少しく思ふ仔細もあれば、取り調べは出者、、 まかいたす。 ( 珍齋の傍へ寄り、兩手を背後へ 廻して捕 ~ 、慰めるやうに ) これ珍齋、よも其方の爲業ではあるまいが、兎も角も拙者が糺明いたすであら う。こりや、立ちませい 珍齋おど / \ 、しながら引き立てられる。再び襖の外に騒々しい足音と聲とが聞える。 聲奥方の御最期でござります。早 く / ( 、、お越し下さりませ。 太守お、、皆參れ。 太守が眞先に、靱負、珍齋、侍女、侍等悉く上手と下手へ馳せ入る。お銀の方と伊織之介とが廣間に居殘る。 お銀の方伊織之介、 伊織之介 ( 跪いて女の容貌を仰ぐ ) お部屋さま、 お銀の方うまく行ったわいなあ。 れ
あの二人は云はずと知れた御城代の廻し者、われ / \ 一味の隱謀を嗅ぎつけて、 梅野いかにも、 隙だにあらば證據を握り、訴へて出ようと待ち構へて居るお目付役、なか / \ 心は許せませぬぞえ。 伊織之介その事ならば私も前から氣が付いて居りまする。先逹てから憚りもなく殿の御亂行を數へ立て ゞ御勘気を蒙ったばかりとは、 執念深くお諫め申して居る様子。早くお手討ちになればよいに、 ても運のよいお人たちでござりまする。 梅野先程珍齋が偵って來た話では、今日も二人が中し合はせて、御勘氣の身も顧みず、此れから直ぐに 御酒宴の席へ割って入り、命を捨て、も殿をお諫め申すのぢやと、互に相談して居たとやら。ほんに 餘計なことをするではないか。 伊織之介したが、得て忠義者は命を惜しまぬ代りには、智慧の足りない方々ばかり、又懲りずまに諫言 して、揚句の果てがお手討ちになるは知れたこと、お二人の最期は眼に見えて居りまする。 梅野さううまく行けばよいけれど、何を云ふにもあの気紛れな殿様のなさること、決してあてにはなり ませぬ。どんなお気に入りの御家來でも、急にお手討ちになるかと思へば、御勘気を受けて居た方々カ 忽ち御寵愛を蒙る始末、あれでは二人の最期の程も、いつの事やら案じられる。 伊織之介それではお前様は、あの方々を何とかして、殺してしまふ御所存でござんすかえ。 代梅野一日生かせば一日此方の邪魘になるゆゑ、人知れず討ち果してしまひたいとは思うて居たが、知っ 怖ての通りあの二人は御家中に名の響いた武藝の達者、その上血莱の若侍では、容易に手出しがなりかね て、今日まで控へて居りました。なう、もし伊織之介さま、お部屋様のお賴みと云ふのは、このことで ヾゝ、
お銀の方これ珍齋、共方や今此處で、何をうろ / \ して居たのぢゃ。 珍齋へ、、私は決してうろ / \ 致しては居りませぬ。實はお部屋様に大急ぎで、申し上げたいお話がご ざりまして、唯もう夢中でお庭先へ、飛んで出たのでござります。 伊織之介はて好い加減な謔を申せ。共方は此の場の話の樣子を、立ち聽きして居たのであらう。 珍齋いえ / \ さうではござりませぬ。なか / \ 以て私が、立ち聽きなどを致すことではござりませぬ。 あいた、、、、あいた、あいた、そのやうに、捻ち上げられては、腕がもげてしまひまする。もし伊織 之介様、お願ひでござります。あなたはまあ、女のやうな優しいお方だと存じて居りましたに、どえら い力がお有りなさる。いやもう私の背中の骨が、折れてしまひさうでござるわい 伊織之介さて / 、、共方は臆病の癖に横着な男と見える。痛くば早く白状したがよいではないか。 珍齋いえどのやうに仰っしやっても、全く覺えのないことでござります。どうぞ御勘辨なされて下さり ませ。 伊織之介もしお部屋樣、どうせ様子を知られた上は、もう一刻も生かしては置けぬ奴、幸ひ人目にか、 らぬうちに、不憫ながら私が、此奴の命を此の場で申し受けまする。あなた様には少しも早う、此處を お立ち退きなさりませい 代珍齋た、たすけてくれエー 怖 伊織之介、逃げようとして暴れ廻る珍齋を易表と小脇に抱へて口を塞ぎ、脇差を拔いてあはや一と突きに突かうとす 恐 こやっ
には及ばぬ故、たんと見せ付けるがよいわいなあ。 梅野え、、お部屋樣のおロの惡い、もう好い程にお嬲りなされて下さりませ。 お銀の方それはさうと先程共方と手筈をきめて置いたこと、伊織之介に賴んでくれたであらうなう。 梅野仰せまでもござりませぬ。唯今此處でくれる \ も、申し含めておきました。 お銀の方さうして共方は梅野から聞いた賴みの筋を、引き受けて賜るかえ。 伊織之介未熟な私の腕前が、お役に立たば此の上もない仕合せでござりまする。何で御違背致しませう。 お銀の方それさへ聞けば滿足ながら、そなたのやうな優男を、あの荒武者に向はせては、どうやら妾も : なう梅野、共方や心配にはならぬかえ。 梅野その御心配は御無用になさりませ。妾の爲めには掛け換へのない大事な戀人、瑕我過のあるやう な、心もとない腕前なら、妾が第一危い場所へは出しませぬ。必ず共に、御氣遣ひをなされますな。 伊織之介憚りながら伊織之介、まだ子供ではござりますが、あの方々に後れを取らうとは覺えませぬ。 勝負の程は今から見えて居りまする。 お銀の方ほんにけなげな其方の覺悟、賴もしう思ひますぞえ。 そなたのやうな若者に、梅野が心 を寄せると云ふも無理はない。首尾よく望みを果したなら、妾がきっと二人の仲を、取り持って進ぜる わいなう。 梅野そのお言葉をカにして、伊織之介さま、どうぞ立派に仕終ほせて下さんせいなあ。 伊織之介はてまあ、御念には及びませぬ。 なぶ けがあやまち
で、やさしいばかりが男の能ではないわいなあ。 伊織之介そのやうに仰っしやられては、是非がござりませぬ。何處までも女らしう、か弱い風を裝うて、 世を欺いて居たいのが私の望みでござりましたが、お前様の眼力で觀破られては詮ない仕儀、いかにも 承知致しました。 梅野きっと異存はないのちゃな。 伊織之介不肖ながらも伊織之介、あの方々のお命は、必ず貰ひうけまする。 梅野お、賴もしうござんする。そなたが引き受けてくりやったら、仕損じのある筈はない。したが二人 とも血気にはやる猪武者、あまり相手を侮って、かすり傷なと負はぬゃうに、用心して下されや。 伊織之介はて御安心なさりませ。お二人が一度にか、って來ても、討ち果すのに何の造作はいりませぬ。 梅野却って相手が油斷して、たかゞ子供の腕前と、そなたを見くびって居よう程に、、 よ / \ 勝負が始 まったら、二人を始め一座の者がびつくりするでござんせう。まあい、気味でござんする。 伊織之介今まで人に隱して居た腕前が、一度世間へ知れるからは、もう此の後は容赦なく、謀叛の邪魔 をする方々は、殘らず斬って捨てまする。 梅野ほんに勇ましいそのお言葉、そなたが附いて居る上は一味の者には千人力、大望成就疑ひないぞえ。 伊織之介その代りには梅野さま、 ( 全く女のやうな嬌態をして、媚びるが如く笑ひながら梅野の手を取る ) どうぞ末始 終私を、見捨てぬゃうに可愛がって下さりませ。 梅野念を押すには及ばぬこと、立派な手柄を立てさへすれば、やがて褒美にわれイ、、二人を睛れて夫婦 めをと
梅野 ( 玄澤と共に廊下に長まって平伏する ) 申し上げまする。仰せに從ひ細井玄澤を、唯今此れ ~ 召し連れまし てござりまする。 お銀の方 ( 故いに威儀を繕って ) お、玄澤が參ったか、こんな夜更けに大儀な事ちゃ。早速此れ ~ 通るがよ 玄澤は、ツ、恐れ入りまする。 玄澤、梅野に導かれて座敷 ~ 這人り、下手に据わる。頭を海坊主の如くくりくりと剃った、色の靑黒い、年齡の割り 、、、、あぶらぎ にでぶでぶ脂漲った狸のやうな男である。 玄澤お部屋様にはいつも御機嫌美はしう、恐悅至極に存じまする。 梅野 ( 急に可笑しさうに笑ひ出す ) おほ ) ゝ、、、これ玄澤、今宵はいつもと譯が違うて、お部屋様と妾の外 には、此のお局の居まはりに誰も聞いては居らぬ故、そのやうな堅苦しい挨拶は止めにして、碎けた話 をしたがよいぞえ。 、相も變らず御如才のない梅野様、忝う存じまする。 玄澤 ( 狡猾らしい、勿體振ったお辭儀をする ) あは、、、、 お銀の方今は主從の間柄でも、共方と妾は昔馴染、何も遠慮はいりませぬ。 代玄澤さやうな事を仰せられては、此の玄澤も冷汗が流れまする。 時 怖お銀の方また梅野とても其の通り、妾の事は常日頃から何一つ隱さず打ち明けて、姉妹のやうにして居 る者ちゃ、決して気づかひせまいぞや。 這入って來る。 うる
侍女の四どうやら人事とも思へませぬわいなあ。 侍女の五もうノ \ ふつつり止めにして、苦勞をさせずに置かしゃんせ。 靱負常々からお気に入りの伊織之介が願ひの筋、殿の御心痛はさる事ながら、本人の覺悟と申し、殊に は思慮深い梅野殿がおロ添へ、此れには必ず仔細がなくてはかなひませぬ。いっそのことに、お聞き屆 けなされては如何でござります。 太守いやノ ( \ 何と申しても、此ればかりは許されぬわい お銀の方はて殿様のお情深い。伊織之介を不憫がって、妾を不憫と思し召しては下さりませぬか。身代 りに立っと云ふのなら、物の試しに勝負をさせて見たうござんす。 太守又しても共方は無法を云ひ張って、余を苦しめると云ふものちゃ。惡推量は捨て、おかぬか。 お銀の方惡推量でも無法でも、云ひ出したら後へは引かぬ妾の莱象。勝負が見たうござんす故、許して おやりなさりませ。それともいとしい伊織之介が、手傷でも負うたなら、可哀さうだと仰っしやるので ござんすかえ。 太守手傷は愚か、いたましい最期を遂ぐるに極まった奴、殺したうはなけれども、共方が強ひての望み とあらば是非もない。いかにも許して取らするぞ。 伊織之介お、ゝ、お許し下さりますとな。忝う存じまする。 梅野さあ面白いことになりました。お許しが出るからは、もう / ( 、此のやうな狼藉者を、生かして置く には及びませぬ。もし、伊織之介さま、早う二人の息の根を止めておしまひなさりませい ひとごと ため
せかけて、一味徒黨の數はもとより、事情を殘らず捜った上、私に知らせて下さんせ。まだ御家中にど のやうな加擔人があらうも知れず、無闇な人には明かせぬ相談、それで父様にお願ひするのでござりま す。 珍齋密告するのもよいけれど、若しその前に見つけられたらどうするのぢゃ。今も共方が云ふ通り、ど んな所にお部屋様の味方が居ようも知れぬぞえ。年はも行かぬ娘の癖に、そのやうな危いことには近寄 らぬのが何よりちゃ。先づ止めにせい、止めにせい お由良では父様はお家の大事を聞きながら、うっちゃって置く御所存かえ。 珍齋お家の大事も命には換へられぬ。もうそんな事は眞平々々。 お由良そのやうに頭から恐がらずと、よう考へて下さりませ。父様の命も助かるやう、忠義の道も立っ ゃうにしたがよいではござんせぬか。お部屋様に賴まれたら、表向きは何處までも承知して、一味に加 はる誓を立てたら共の場は無事に濟みまする。それから後で私と一緖に密告すれば、惡人たちは一と網 に召し取られ、そなたは却って御褒美に預るわいの。 珍齋それでもやつばり裏切りをしそくなって、見付けられたら大變ぢゃ。萬一首尾よく行ったところで、 若し一人でも一味の奴が殘って居たら、きっと意趣返しをされるであらう。そんなあぶなっかしい藝嘗 代は、とても私には出來ぬわい 時 怖お由良謀叛の裏切りをしたからとて、誰が意趣返しをしませうぞえ。ほんに父様の臆病は方途が知れま 恐 せぬわいな。 まっぴら / ( 、
ぢゃなう。 玄澤あの節お生み遊ばした照千代様が、早や此の頃は腕白盛りの御若君、さうして見ればもう八年にも なることでござりませ、つ。 お銀の方共方はあの頃に比べても一向年を取らぬ様子、いつも元気でめでたい事ちゃ。 玄澤拙者は以前に變りませぬが、お變りなされたはお部屋様。慮外ながら、昔地上に咲き出で、ゝ、谷間 の花と人に愛でられたお身の上が、今は天上の星と輝き榮え給ふ御仕合せ、御品威と云ひ、御ものごし と云ひ、あの時代の御俤はござりませぬ。御運がよいと申さうか、お羨しいと申さうか、思へば / \ 拙 者などは、意気地なしの骨頂でござりますわい お銀の方妾がこのやうに立身したも、元はと云へばみんな共方の骨折りぢゃ。なう玄澤、妾はいまだに 共方の親切を忘れては居ぬわいなう。 玄澤 ~ 、、さう仰っしやって下されば、まあ忝うござります。したがお部屋様、あの節骨を折りました のは拙者ばかりではござらぬ筈、先づ第一に御家老の靱負樣、あの御人の御親切は、なかイ、お忘れに ならないと見えまする。 お銀の方なに靱負どの、親切ぢやと ? ・ : おほ、、、、ほんにまあわっけもない。 何を云うて居やる のちゃ。成る程あの方の親切を忘れては濟まぬ譯なれど、どうしたものか妾は靱負どのが嫌ひ故、めつ たに思ひ出しはせぬ。 玄澤ふん、は、、、、まあ左様でもござりませう。 おん