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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第4巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第4巻

侍手懸りとてはござりませぬが、不憫ながら其處に居ります珍齋に、聊か嫌疑がか、って居りまする。 珍齋依然として默って居る。靱負が心配さうに共の態度を盜み視る。 太守なに珍齋の爲業ちゃと、 侍極まった譯ではござりませぬが、先刻奥方のお給仕を勤めた珍齋、どうした譯か今日に限ってこそ / \ と、直きに退出致した様子。彼より外に御膳部に近付いたものもござりませねば、自然と嫌疑が懸 って居りまする。 こりや珍齋、聞いた通りの次第故、一應共方を取り調べる。身共と一緖に參る カよ 靱負お待ちなされい。少しく思ふ仔細もあれば、取り調べは出者、、 まかいたす。 ( 珍齋の傍へ寄り、兩手を背後へ 廻して捕 ~ 、慰めるやうに ) これ珍齋、よも其方の爲業ではあるまいが、兎も角も拙者が糺明いたすであら う。こりや、立ちませい 珍齋おど / \ 、しながら引き立てられる。再び襖の外に騒々しい足音と聲とが聞える。 聲奥方の御最期でござります。早 く / ( 、、お越し下さりませ。 太守お、、皆參れ。 太守が眞先に、靱負、珍齋、侍女、侍等悉く上手と下手へ馳せ入る。お銀の方と伊織之介とが廣間に居殘る。 お銀の方伊織之介、 伊織之介 ( 跪いて女の容貌を仰ぐ ) お部屋さま、 お銀の方うまく行ったわいなあ。 れ

2. 谷崎潤一郎全集 第4巻

梅野共方に恨みはないけれど、一味徒黨の掟ゅゑ是非に及ばぬわいな。 珍齋え、、そ、そんなら仕方がござりませぬ。どのやうな御用なりとも勤めまするゆゑ、どうぞ私を、 一味にお加へなされて下さりませ。 梅野お部屋様、珍齋が急にあのやうな事を申しますが、いかゞ取り計らひませう。 お銀の方味方に入れても賴みにならぬ臆病者、役に立つどころか、足手まとひになりはせぬかえ。 靱負 ( 共の時までわざとらしく默り込んで、ちろど \ と珍齋を睨め付けて居たが、いかにも憎體な冷酷な句調で云ふ ) いかさ ま共の御心配は御尤も。これ珍齋、共方やわれ / \ の味方になると申したが、命が惜しさに一時逃れを 中すのであらう。 珍齋なか / ( 、以てさやうではござりませぬ。 靱負いや / く、さうに違ひないわ。梅野どの、やつばり此奴は殺してしまうたがようござる。 珍齋あ、もし、さう仰っしやらずに、もう一遍考へ直して下さりませ。私のカで出來ます事なら、たと へどんなに物騒な、どんなに危い御用でもいたしまする。へい、そりやもう必ずいたしまする。 お銀の方え、まあほんとにうるさい奴ぢゃ。ならぬと云ったら默らぬかえ。 珍齋ちとおうるさうございませうが、私も一生懸命でござります。此れも先程お由良から聞きましたの 代でござりますが、現に今宵は私へ、仰せつけられる御用の筋がおありなされたのでござりませうが。 怖 : どうぞその御用を私めに動めさせて下さりませ。もしお部屋様、御家老様、お願ひでござります。 恐 御用の筋は承知いたして居りまする。必ず立派に仕遂げますれば、お任せなされて下さりませ。今更味

3. 谷崎潤一郎全集 第4巻

いが、どなたが休んでおいでになるのちゃ。 珍齋成る程 / 、、さう云はれ、ば蚊帳らし お由良こ、は梅野さまのお部屋でござんすわいな。 珍齋なに梅野さまのお部屋ちゃと ? これはしたり、何しろかやうな眞暗闇でとんと見常がっかぬ爲め、 、、、、もし梅野さま、お召しに依 飛んだ疎忽をいたしてござる。 ( 廊下に長まり、蚊帳に向って叩頭する ) へ ってお気に入りの珍齋めが、唯今罷り出でましてござりまする。 お由良 ( 雪洞で蚊帳の中を照らして見ながら ) 蚊帳の中は空つぼなのに、父様何をして居やるぞい。大方野さ まは、まだ奧の間でお部屋様の御相手を動めて御いで遊ばすのでござんせう。暫くこ、にお待ち中して 居ようわいの。 珍齋なんの事ぢゃ。また此の蚊帳に欺されたか。あは、、、、、、。 お由良もし、お靜かになさりませ。お聲が高うござんする。 調子が高くなる。 珍齋 ( あわて、、ロを抑 ~ る ) どっこい、油斷がならぬわい。頓興な聲は地聲故、つい それにしても此の夜更けに密々のお召しとは、どう云ふ譯であらうかなう。御用を承らないうち は何やら気が、りで溜らぬが、其方は様子を知らぬかの。 お由良どう云ふ譯か一向に存じませぬ。たゞ珍齋に至急頼みたい事がある故、今宵密かに連れて參れと 代 野様のお云ひ附け、先刻私が寢て居たところを起されて、急にお使ひに立たされたのでござんする。 時 怖珍齋その密々の御用と仰っしやるのが、どうも私には腑に落ちぬて。 とゝさん お由良父様は勿論私とても、今宵の事を口外したら許しはせぬ。事に依ったら命にもか、はるぞと、嚴

4. 谷崎潤一郎全集 第4巻

お銀の方これ珍齋、共方や今此處で、何をうろ / \ して居たのぢゃ。 珍齋へ、、私は決してうろ / \ 致しては居りませぬ。實はお部屋様に大急ぎで、申し上げたいお話がご ざりまして、唯もう夢中でお庭先へ、飛んで出たのでござります。 伊織之介はて好い加減な謔を申せ。共方は此の場の話の樣子を、立ち聽きして居たのであらう。 珍齋いえ / \ さうではござりませぬ。なか / \ 以て私が、立ち聽きなどを致すことではござりませぬ。 あいた、、、、あいた、あいた、そのやうに、捻ち上げられては、腕がもげてしまひまする。もし伊織 之介様、お願ひでござります。あなたはまあ、女のやうな優しいお方だと存じて居りましたに、どえら い力がお有りなさる。いやもう私の背中の骨が、折れてしまひさうでござるわい 伊織之介さて / 、、共方は臆病の癖に横着な男と見える。痛くば早く白状したがよいではないか。 珍齋いえどのやうに仰っしやっても、全く覺えのないことでござります。どうぞ御勘辨なされて下さり ませ。 伊織之介もしお部屋樣、どうせ様子を知られた上は、もう一刻も生かしては置けぬ奴、幸ひ人目にか、 らぬうちに、不憫ながら私が、此奴の命を此の場で申し受けまする。あなた様には少しも早う、此處を お立ち退きなさりませい 代珍齋た、たすけてくれエー 怖 伊織之介、逃げようとして暴れ廻る珍齋を易表と小脇に抱へて口を塞ぎ、脇差を拔いてあはや一と突きに突かうとす 恐 こやっ

5. 谷崎潤一郎全集 第4巻

梅野お、、忝う存じまする。これ珍齋、暫く命はお助けなされて、何か手柄を立てたらばお味方に加 ~ てやるとの有り難いお言葉ぢやぞえ。 、有り難う存じまする。赦せぬところをお赦し下さるお部屋様の御恩の程、必ず / \ 忘却は 珍齋へ、 いたしませぬ。いやもう今宵は最初から魂が動轉して、生きた心地もござりませなんだが、急に安心仕 りました。 靫負それ / \ 共方はそのやうな周章て者ぢゃ。お部屋様は其方の命を赦すとは仰っしやらぬ。何か手柄 を見せたらば味方に入れても苦しうないが、それまで首を繋いで置くとかう仰っしやったゞけではない 安心するにはまだ早いわ。 珍齋 ( 気がついてわざと恐ろしさうな風をする ) な、なるほど、いえ私も安心をいたした譯ではござりませぬ。 何か一とかどの手柄を立て、、一時も早くお味方に加へて頂くやうに、御奉公を勵みまする。 梅野そんなら御奉公の手始めに、先程お由良から聞いた筈の、大事な役目を云ひ附けるが、きっと仕遂 げてくれるであらうな。 珍齋へえ / \ よろしうござります。憚りながら奥方様にもえらいお氣に入りの此の珍齋、隙を狙って細 工をするのは譯なしでござります。 代靱負その役目も四五日中に果たさねば、其方の命はないのぢやぞ。 怖梅野もしも首尾よう果たしたなら、命を助けてやる上に御褒美の下るやう、妾が計らうて進ぜませう。 恐 珍齋 ( ふと何事をか想ひ出して、今度は本當に恐怖に襲はれたらしく ) 御褒美などは頂かずとも結構でござりますが、 あわ

6. 谷崎潤一郎全集 第4巻

兩人次の間へ屍骸を運び去る。靫負だけは直ぐに戻って來る。 靱負っまらぬ男の意地づくから、八年前にお前様を張り合うて、今日まで拙者の色敵になって居たあの 玄澤、これでやう / 、、胸がすっきりいたしたわい お銀の方ほんに妾も惡魔拂ひをしたやうで、急にさつばりしたわいなあ。 梅野、珍齋の縛めを解いて連れて來る。未だに土気色をしてぶる / 、顫へて居る。お銀の方と靫負の姿を見ると、何 かに打たれたやうにぎよっとして長まる。 梅野お部屋様、御家老様、仰せに從ひ珍齋めを此れへ引き立て、參りました。 お銀の方お、、これ珍齋、もそっと近う寄りや。いつもの剽輕は何處へやら、大そう萎れて居るさうな が、今宵に限って遠慮するには及ばぬぞえ。 珍齋は、はあ。 ( 微かな聲で返辭をして、先方の顏を見ないやうに唯お辭儀ばかりして居る ) 梅野お部屋様には共方に何やらお尋ねの筋がある筈ゅゑ、眞っ直ぐに御答へをせねばならぬぞえ。 珍齋は、はあ。 お銀の方たった今、梅野に痛い仕置きを受けた召し使ひ、あのそれ、お由良とやら云ふ大それた腰元は、 共方の娘に違ひはないか。 珍齋 、、、かにも、わ、わ、わたくしの娘ではござりましたが、ま、まったく、以て、大それた、あら う事かあるまい事か、勿體なくもお部屋様に弓を引かうとするやうな、不埓な奴ゅゑ、先程とうに勘當 したのでござります。へい、もう共の事なら梅野さまが、蔭で聞いてお出でになって、よく御存じでご

7. 谷崎潤一郎全集 第4巻

お由良先程そっと奥の間の外の廊下で立ち聽きをした鹽梅では、玄澤殿の拵へた粉藥を、奧方の召し上 る御膳部の中へ振り撤くのが、父様の御役目でござります。 珍齋、默って唯ぶる / 、と顫へて居る。 お由良それを聞かねば殺すと云って威嚇しつけ、是非とも父様に引き受けさせると、梅野さまが仰っし やっておいでになりましたわいな。 珍齋 お由良もし父様、そのやうに恐がってばかり居るところではござんせぬ。私は父様の覺悟が聞きたうご ざります。今にも梅野さまがお召しになって、奥の間へつれて行かれ、大事を明かして賴まれたら、ま あ何となさりまする。 珍齋いくらお召しになったとて、そんな所へ私は行かれぬ。此れで御免を蒙る故、後はよろしく共方に 賴む。 お由良 ( あわて、逃げ出さうとする珍齋の袂を捕 ~ る ) まあ / ( \ お待ちなさりませ。此のま、逃げてよい程なら、 私はわざ / \ 父樣をお連れ申しはいたしませぬ。 珍齋はて飛んでもない事を云ふ女ぢゃ。そんなら私に惡企みの手傳びをさせる了見かの。 お由良 い、えさうではござりませぬ。お家の爲めに捨て、置かれぬ場合故、疾うから私は密告しようと 考へては居るけれど、動かぬ證據をまぬうちに迂濶な眞似は出來ぬと思うて、差し擦 ~ て居たのでご ざんす。なう父様、今宵そなたをお召しになったはもつけの仕合せ、わざと賴みを引き受けたやうに見

8. 谷崎潤一郎全集 第4巻

お銀の方あ、これ、暫く待ちゃ。 伊織之介それぢやと中して此の儘には ? お銀の方はて共のま、にしておいて、何の気遣ひがあらうぞえ。妾と共方と味方同士が二人で、話をし たのを見られたとて、格別怪しい道理はない。珍齋とても一味の者、殊には大事な役目もある、早まっ た事はなりませぬぞえ。 ( 輕く伊織之介に眼くばせをして頷かせる ) 伊織之介そのお言葉では是非もござりませぬ。てもまあ共方は、命冥加な奴ちゃなあ。 ( 漸く珍齋を手から 突き放す ) あぶな 珍齋え、危いこと、危いこと、もう少うしで笠の臺がすっ飛ぶところであったわえ。いや中しお部屋様、 重ねみ \ 命をお助け下されまして、忝う存じまする。死んでも御恩を忘れることではござりませぬ。 お銀の方さうして共方が、妾へ急ぎの話と云うたは何事ちゃ。 珍齋おゝ、あまりの恐さに大事の御用をすっかり忘れて居りました。實は唯今大變な事がござります。 あのそれ、先刻野さまにお話申して置きましたお二人の方々が、不意に御酒宴の席 ~ 罷り越し、又し ても殿様に鹿爪らしい諫言沙汰、揚句の果てに聞き捨てならない惡ロ雜言を吐き散らすやら、御膳部を 撥ね飛ばすやら、大騷動が起ったのでござります。 お銀の方して殿樣には何となされてぢゃ。二人の者の狼藉を、御了見遊ばしたかえ。 珍齋さあ共れからが又大珍事でござります。あの御短気な殿様が、何で御了見遊ばしませう。うぬ、無 禮な奴め、堪忍ならぬと仰っしやって、刀の柄 ~ 手をお掛けなされたところ、 ふたり

9. 谷崎潤一郎全集 第4巻

ないぞえ。 伊織之介それにつけても気の毒なのは梅野さま、ようまあ彼のお入が気が付かずに居りまする。 しんじっこが お銀の方梅野を欺したいばっかりに、妾はあの、嫌な / \ 靱負殿に眞實焦れて居るやうな、心にもない 狂言を書く胸惡さ。察してくれたがよいわいなあ。 めをと 伊織之介その胸惡さは私とても同じ事、早く夫婦になりたいと、毎日のやうに梅野様の繰り言を聞かさ れて、ほと / 、、當惑いたしまする。 お銀の方梅野はいづれ折を見て、討ち果すのに造作はないが、厄介なのは負どの。八年前から馴染に して子まで儲けた仲ながら、今では二人の戀路の邪魔者、たとへ謀叛が成就して照千代様の世になって も、妾は一生彼の人の自由にならねばなりませぬ。ほんに、ほんに、気詰まりな。 伊織之介又その時にはよい分別もござりませう。先づそれまでは謀叛が大事でござります。味方に取っ て此の上もない御家老様に梅野さま、隨分目をかけてお遣しなさりませ。 あわたヾ 珍齋が築山の蔭から惶しく走り出る。頻りに邊をきよろ / 、、と見廻すうちに、睦しさうな二人の姿を認めて驚きなが らうろ / ( 、して居る。お銀の方が早くもそれに眼をつける。 お銀の方共處に居るのは珍齋ちゃな。 うろん 伊織之介なに、珍齋が ? え、胡亂な奴め。 ( いきなり立ち上って珍齋の襟首を捕 ~ 、膝下に引き据ゑる ) 珍齋あ、もし、何となされまする。何故あって私を此のやうな目にお會はせなさります。あいた、、、 、。もし御無體でござります。ど、どうぞ、お助けなされて下さりませ。あいた、ゝ、、。 あたり つかは

10. 谷崎潤一郎全集 第4巻

珍齋いや / \ なか / \ さうであるまい。相手がそれほどの惡人では、定めて裏切りのできぬゃうに、十 分手配りが屆いて居ようぞ。そなたと私が密告したと分ったら、たと ~ 御褒美を頂いても、惡人ばらに 恨まれて、どんな風に響を取られるか知れぬこと、わしは半日でもそんな苦勞をするのは御免ちゃ。 お由良そんなら父樣はどうしても、私の賴みを聽いてくれぬかえ。お家の爲めに忠義を盡す積りはない かえ。 珍齋忠も不忠も命あっての物種ちゃ。 : こんな物騒なところで、 いっ迄共方と話をしては居られな くづ / \ して居て梅野さまがお出でになったら百年目、何しろ私は逃げ出すから、後はよろしく賴 んだぞ。 お由良 ( 再び珍齋を引き止める ) まあお待ちなさりませ。ようござります、これ程云うても父様が嫌ぢやと云 ふなら詮ないこと、もうお賴みは申しませぬ。 珍齋賴むと云うても賴まれはせぬ。え、早くそこを放してくれぬか。 お由良さう云ふ譯なら私も父樣と御一赭に逃げまする。幼い折から大恩を受けた御主人の梅野さまを、 見捨て、、は濟みませぬが、此の上御奉公をして居ればいづれ私も難儀を受けるにきまって居る。瑕我誤 りのないうちに私を逃がして下さんせ。 珍齋うん、それがい、、それがい、、。さうきまったら寸時も早く一緖におぢゃ。 : ( 急に考へ直して又 そなた 立ち止る ) けれどもなあ、これお由良、共方どうしても此の場を逃げる了見なら、私と別々に逃げてくり やれ。私がお前を唆かして逃がしたやうに、お部屋様から睨まれては大變ぢゃ。