く搖す振られながら、あまり度び度び壁の角を曲ったので、私はもう河が孰方にあるのだか方角さへも分 らなくなってしまった。其のうちにいよ / \ 俥の通らない恐ろしく狹い曲り角へ出たので、俥を共處に待 たせたま、二人は塀に寄り添って歩いて行った。靴の踵が敷石の飛び出た角にぶつかって、ゴロゴロと引 か、るやうな厭な路である。小便だか喰物の油だか分らないが、ところどころに黒い水が流れて居る。白 壁 と云ふよりは鼠色に汚れてしみだらけになって居る土塀の上の方には、月が朦朧たる光を投げて、 其の部分だけが活動冩眞の夜景のやうにほの明るい。 さう云へば此の路次の様子は、活動寫眞で屡よ見る ところの、惡漢の手下だの探偵だのが逃げ込んだり尾行したりする西洋の裏町の景色によく似て居る。こ んな所へ紛れ込んで、若し案内者の支那人が悪黨でゞもあったらば、どんな目に遇ふか知れたものぢゃな 。考へて見ると何だか少し薄気味が惡かった。 「おい、君、君、こんな處に藝者の内があるのかい。君は共の内を知って居ないのかい。」 私はひそひそと案内者の耳に囁いた。 「え、ゝ待って下さ い。たしか此の邊にあるのですが : と、小聲で答へながら、支那人はなぜか頻りに一つ所を行ったり來たりする。或は一つ所ではなかったの かも知れないが、兎に角さう云ってもい、くらゐ共の邊の路は曖味なのである。やがて一軒、右側に六尺 夜ほどの間口を明けて、ランプをかんかん燈して居る家に出遇った。喰物を賣る店らしく、燒芋屋のやうに 淮竈から暖かさうな煙がぼかぼかと立ち昇って居る。其處を通り過ぎて五六間も進むと、又路がくの字なり に左の方へ曲って行く。支那人は私を共處に待たせて置いて、煙の出て居る家の前まで戻って行って、何 どっち 255
神經が馬鹿になってゐる爲めに、そんな感じを起したのでせう。自分の左右に騒々しく動搖して居る種々 雜多な通行人や、色彩や、音響や、光線などが、僕の頭に一つも明瞭な印象を止めないで、たゞ幻燈の繪 1 のやうにボウッと霞んで通り過ぎるのが、僕にさう云ふ滑かな気分を抱かせたのに相違ありません。たと へば僕は、自分獨りが恐ろしく高い所に居て、下界の雜沓を瞰下して居るやうな心持になって居たのです。 子供の時分に、母親に叱られたり何かして泣きながら表を通って居ると、涙の爲めに往來がポンヤリと 曇って、大變遠い景色に見えることがあるでせう。あの晩の僕はちゃうど共のやうな光景を見たのでし それから、 さうです、それから三十分ばかりも立った後でせうか、僕は廣小路の通りから次第に車 坂の家の方へ引き返して來ましたが、勿論家へ歸らうと云ふハッキリとした意志があったのではなく、事 に依ればそれから又淺草公園の方へ行く気があったのかも知れません。で、あの車坂の停留場の所から右 へ曲って電車通りを五六間も行くと、左側に柳湯と云ふ湯屋があるのを、先生は御存じでせう。僕はあの 湯屋の前まで來た時に、風呂へ這人らうと云ふ気になりました。斷って置きますが、僕は以前から頭がモ シャクシャした時は、湯へ這人る習慣になって居たのです。僕に取っては、精訷の憂鬱と肉體の不潔とは 全く一つの感覺でした。心が沈んで居る時は、體中に垢が溜って惡臭を放って居るやうに感ぜられました。 もくら湯へ這入って洗っても洗っても、その垢と惡臭とが容易に落 さうして、心の沈み方の激しい折は、、 ちないやうな気がするのです。かう云ふと何だか年中湯へばかり這入って居る、潔癖な人間のやうに聞え ますけれど、實は大概湯へ這人る元気がないほど沈滯しきって居る時の方が多かったのです。長い間、精 、 ) 0
ばうと繁ってす、きなどの一面に生えて居るのが風になびいてさや / \ と鳴ったりして居る、うら淋しい はらつば それは六月の半ば時分のことだ 4 ちょいとした廣い原場の窪地があった。共處へ或る雨の降る晩に、 ったから、鬱陶しい梅雨の時節の雨でしょぼしょぼと糠のやうに細かくしめやかに降るのだった。 芳雄は何を考へたのか小石川の家を拔け出して、獨りで傘もさ、ないでちゃうど眼に見えぬ幽靈にでもお びき寄せられて行くやうにばんやりと歩いて行った。自分はまだ病気がよくならない、それだのに斯うし あと て寢間着のま、でこんなお天気に表へ出たりしてきっと後で惡くはないかとは思ったが、その細かな雨に 濡れるともなく顏が濡れて汗のやうにぬらぬらして居るのを手の甲で気味惡くべっとりと拭き取りながら 彼處には死んだ 引き返す譯には行かないやうな気持になって歩くのだった。彌生町の家のうしろ、 姉さんの魂が迷って居る。彼處に行けばきっと姉さんに會へるのだ。姉さんは自分に何か話したい譯があ 芳雄は歩いて居る途中で、自分にはそんな考があ って自分をあの原場へ呼び寄せるのに違ひない。 るので斯うやって内を拔け出して來たのだらうと云ふ風に思った。 ひさし 今は知らない人が住んで居る先の家の門の前へ出て、塀の外から庭の椎の木の向うに部屋の庇が見えて居 るのを「あ、彼處に今でも彼の部屋があるんだな。幼い時分に死んだ姉さんとよく話をしたり、音樂會を 開いたりしたあの部屋が今でもちゃんと彼處にあるんだな。」と芳雄は胸の中でさう獨り語を云ひながら 構への外側を裏口の方へ廻って崖の縁へ出て、す、きが着物の裾へからまるほども生ひ茂って人が笑ふや うなエ合にゆらノ \ と搖れて動いて居る坂路のだんを降りて、何だか遠い山奥へでも來たやうに共の 晩は特にさう思はれた原場のまん中まで辿って行って、もう十分か二十分待っと姉さんに會へるんだと、 あすこ
々その時から芳雄と云ふ者のあることが氣にか、るやうになって居て、あの先の姉の亡くなった晩に芳雄 が妙な顏をしたのでそれからほんたうに彼を疎んずるやうになったのではないだらうかと、さう云ふ風に 4 芳雄には推量されるのだった。芳雄はしかし、兄と今の姉とが二人ぎりで人に見られては惡いやうにして 居るところを、その後一年も立ってからも小石川の植物園で見たことがあって、兄は其の頃ひどく陰鬱な むつつりした人間になって居たのを、ちゃうど先の姉が病気で寢て居た時分だったのでその心配の爲めだ らうと云ふやうに多くの人は思って居たが、芳雄には其の時から兄を陰險な人だと思ふ心持が湧いたのだ それを祿次郎に尋ねられた折の眞靑に った。さうして間もなく先の姉のあの突然なしい死に方、 姉の病気は兄がいつでも診察をして居て、死ぬ前の日に注射をしたのも兄だった なった兄の表情、 : さう云ふやうに一つ / 、、三四年前からの出來事を想ひ浮べて細かく根掘り葉掘 と云ふやうなこと、 りして行くにつれて、芳雄の頭に根ざして居た疑ひが或る纒まったものになって恐ろしい形に見えて來る のを、兄もうすノ \ 感づいて居て共れを默って置く事が出來なくなって居るのではないか知らん ? 兄は、自分の過去の罪が芳雄の心に或る證據を殘して居て、それが芳雄の大きくなるのと共に育って來る 自分が瑞枝と一緖になって先の妻をうまく欺して居たことや、芳雄を のを薄気味惡く感じて居る。 除いた兄弟たちの眼までも巧みに晦まして先の妻を愛して居たと云ふ風に見せかけて居たことや、 それ等の事情が現在の芳雄の智慧で次第に見透かされるやうになって來て居るのを、兄の方でも今では明 かに知って居るに違ひない。けれども兄の犯した罪がたヾそれだけに過ぎないのならば、芳雄は兄からこ んなにまで餘所々々しく疎んぜられはしなかったらうと云ふやうに考へられる。いっぞや姉が亡くなって
僕は去年あたりから神經衰弱の上に重い糖尿病を患って居ました。で、その爲めに、彼女の肉體に愛溺す る心はありながら、彼女の生理的慾望に十分な滿足を與へる事が出來なくなったのも、二人の不和を增大 させる有力な原因だったに相違ないと思ひます。實際それは、彼女のやうな健康な、さうして多情な女に 取っては、堪へ得られない苦惱であったかも知れません。さうしていつの間にか、健康を誇って居た彼女 もだん / \ と激しいヒステリーになり、矢鱈に怒りつほく、苛ら立たしくなって行きました。櫻色に活き / と輝いて居た瑠璃子の顏が次第に靑白く痩せ衰へて行く様子を見ることは、僕に取っては傷ましくも あると同時に愉快でもあったのです。僕の氣分はそれほど廢頽的になり、病的になって居ました。瑠璃子 のヒステリ 1 は更に二倍の勢ひを以て、僕の神經衰弱の上に惡い影響を及ばさずには居ませんでした。先 生は多分、糖尿病と云ふ病莱が、訷經衰弱とどれ程密接な關係があるかと云ふことを御存じでせう。それ からまた、太った人の糖尿病はさほど恐る、に足らないけれども、僕のやうに痩せた人間の糖尿病は、極 めて惡性なものであると云ふ事も御存じでせう。僕の場合には糖尿病が神經衰弱を重くさせたのか、或は 共の反對であったのか、孰方が先だか分りませんが、兎に角此の二つの病気は互に連絡を取り足並みを揃 へて、僕の心身を一日々々に腐らせて行くばかりでした。僕は絶えず瑠璃子の事を思ひ詰めていろ / \ な 妄想を描き、幻覺に襲はれ通しました。寢ても覺めても奇怪な夢ばかりを見るやうになりました。中でも 一番苦しかったのは、自分が瑠璃子に殺されはしないかと云ふ恐怖だったのです。僕は此れでも、まだ藝 術に對して全然望みを絶って居る人間ではありません。現在では瑠璃子の愛に溺れ切っては居るもの、、 せめて此の世に生れたかひには、立派な藝術の一つぐらゐは殘して死にたいと、不斷から願って居たので どっち 122
七里が濱の別莊の方へ引き移ったのでした。表向きの理由は、糖尿病と肺結核とがだんだん重くなって來 るので、轉地をしなければいけないと云ふ醫者の勸告に依ったのですが、實は世間の人目を避けて、お富 3 美さんと誰憚からずふざけ散らして暮らしたかったのでせう。しかし、別莊の方へ移ると間もなく、隱居 の病勢はいよいよ昻進して來たので、表向きの理由はやがて實際の理由らしくなってしまひました。病気 あふ に對しては可なり気の強い人で、糖尿病だと云ふのに大酒を呷ったりするのですから、惡くなるのは當り 前でした。それに糖尿病よりは肺病の方が日增しに心配な状態になり、夕方になると三十八九度の熱が毎 日績くやうになりました。以前から少しづっ痩せ始めて居た體は、急にげつそり衰へて、半月ばかりの間 に見違へるほど窶れてしまひ、お富美さんとふざけ散らすどころの騒ぎではなくなって來たのです。別莊 は海を見睛らす山の中腹に建って居て、南向きの、日あたりのい、十疊の廣間が主人の部屋にあてられて 居ましたが、明るい綠側の方を枕にして隱居は床に就いたきり、三度の食事の時より外には起き上る気力 もないと云ふ風でした。をりをり咯血をした後などには、眞靑な額を天井の方に向けて、ぢっと死んだや うに眼を瞑ったま、、既に覺悟を極めて居るらしい様子が見えました。鎌倉の〇〇病院のと云ふ醫學士 が一日置きに診察に來てくれて、「どうも容態が面白くない。此れで熱が下らなければ存外早いかも知れ ないし、それでなくても一年とは持たないだらう」と、お富美さんにそっと注意を與へるやうな始末でし た。病勢が募るにつれて老人は次第に気むづかしくなり、食事の際などに料理に味の附け方が惡いと云っ ては、小間使のお定を捉まへて屡よ叱言を云ひました。 「こんなったるいものが喰へると思ふかい ? 手前は己を病人だと思って馬鹿にして居ゃあがる : つか
ないと思びます。兎にも角にも、此の物語にあるやうな事實は、先生の如く想像力の豐富な、此れ迄にい ろいろの經驗をお積みになったであらうと推量される方に取っても、決して一讀の價値がない物だとは信 3 じられません。僕の如き文才のない男が書いたのでは格別の事はありませんけれども、どうか事實その物 に興味を持って、しまびまでお讀み下さる事を重ねてお願ひいたして置きます。 此の物語の主人公と云ふのは既に此の間死んでしまった人間です。その男の姓は塚越と云って、江戸時代 とせい から日本橋の村松町で質屋を渡世にして居たのですが、僕の話をする塚越はちゃうど先祖から十代目にあ たる人ださうです。死んだのは今から二た月ばかり前、今年の二月十八日のことで、歳は六十三でした。 何でも四十前後から糖尿病に罹って、相撲取りのやうにでぶでぶに太って居ましたのに、それがちゃうど 五六年前から肺結核を併發して、年一年と痩せ衰へて、死ぬ一二年前からは絲のやうになり、久しく鎌倉 の七里ケ濱の別莊の方へ行って居るうちに、糖尿よりも肺の方がだんだん惡くなって來てたうとう死んで しまったのです。鎌倉の方へ引き移る時に、自分は隱居をして店を養子の角次郎と云ふ人に讓ってしまっ たので、家族の人々からは「隱居々々」と呼ばれて居ましたから、僕も此の話の中では彼を「隱居」と呼 ぶことにいたします。此の隱居と東京の家族とは非常に仲が惡く、病人がいよいよ息を引き取る時などに も、臨終に駈けつけたのは隱居の一人娘で角次郎の夫人である初子と云ふ人だけでした。塚越家は江戸の 舊家の事でもあり、東京の市内だけにも立派な親類が五六軒はあった筈であるにも拘らず、さう云ふ親類 の人たちも隱居の病中はめったに見舞ひに來た様子もなく、葬式なぞも極めて質素に、淋しく執行されて しまひました。そんな譯で、隱居の病氣の様子や、死ぬ前後の光景などを精しく知って居る者は、その頃 はっこ つかこし
思ったんです。 ( 滋 ) どうでもい、ツて云ゃあしないよ。まだ六時には間があるから、少しぐらゐ後れたってい、だらう と思ったんだよ。惡かったら僕があやまるよ。 ( 文造 ) あやまって下さらなくってもよござんすよ。それにね、今日はいつもと違って、どうしても後れ ですから一緖に表へ出て、歩きながら話をしませう。その方が却て てはならない譯があるんです。 都合がよくはありませんか。 ( 滋 ) あ、、さうしてもい、。 ( 文造 ) それちゃちょいと五分ばかり待って下さい。大急ぎで御飯をたべて來ますから。 その二途上 二人は病院を出て、廐橋の電車通りを雷門の方へ、黄昏の凉しい風に吹かれながらぶらぶらと歩い て行く。 の ( 文造 ) 何ですか話と云ふのは ? 早く仰しやってくれませんか。僕は気になって仕様がありませんから。 ・ : 今話すよ。 夏 ( 滋 ) あ、 眞 ( 文造 ) 坊っちゃん、あなたどうなすったんです。顏色が眞亠円ちゃありませんか。 399
呪はれた戯曲 取られて、新しく、 東京を數十里離れた或る温泉場、信州或は上州邊の山間の僻地 と、今度はや、詳細に指定された。また二三日立つうちに共れが悉く抹消されて、 東京の郊外、井頭辨天の近所 となったり、或は、 東京の郊外、綾瀬川附近 となったりした。さうかと思ふと全然飛び離れて、 淺草公園内、活動冩眞館の立ち續く狹き道路 と改められ、同時に「時刻」の方も、 或る土曜日の晩、淺草公園の雜沓最も激しき頃 と云ふ風に訂正された。かうしてちゃうど一週間程何遍もイ、書き直された後、漸く最初の一ペ = ジが次 のやうに出來上った。 善と惡 ( 一幕物 ) 曲 時現代冬の二月頃の或る日の夕方 處上州赤城山中 登場者 305
富美子の足 い よ 事 に か る と ふ 孱殳 り に な つ 日寺 居 は 気 を 利 か し て 十 燭 の 靑 い 電 球 と 共 の 上 瓦 斯 か は し て そ の 白 : 柔 カゝ い 肉 の 線 を つ ま で も め て 居 た い や っ な 気 が し ま し た 369 は イ可 と ム つ オこ ら い で せ っ か 兎 に 角 惱 ま し ほ ど イ業 の 禪 經 を 掻 き 亂 し ま し た 繪 を く 事 な / し・ る、 く ら ゐ に 甲 ひ 切 つ て 4 友 き 衣 糸文 に し た 足 と が 共 の ほ ん の り し た 反 射 を 受 け て 白と く 匂 て 居 る 光 圭かに 。高隹 人家 、据 、狹 生と も、ん り と 反 射 し て 居 る だ け な の で す 暗 中 に ぢ つ と わ つ て 居 る お 美 さ ん の . 瓜 3 や 彦頁な ぎ ゆ つ と 肩 が げ、 や く 白 薄 く し 淋 、に っ オこ さ に り 去 き 置 ら か 陽 太 が し ざ 日 の 久 い 弱 の カ ら カゝ 中 の り カゝ ば 五 を か つ と ふ の で す カゝ ら 隨 分 理 な 仕 事 で し た 賴 り る 光 系泉 と つ て は イ革 カゝ に 部 屋 の 月リ に あ る 分 は 表 ま だ 明 る の に 隱 居 の 室 内 は も っ 日 暮 つ て 居 る の で し た さ っ ム ふ 部 屋 の 中 で 汕 繪 ほ ど 暗 く な っ て し ま の で す お ま け に 正 月 の 日 の 短 い 最 中 で し た か ら 校 の 歸 り に 僕 廻 つ て 行 く 日寺 で 隱 居 の 部 屋 に な っ て 居 る れ 座 な ど は 少 し お 天 が 惡 と 彳麦 の 時 頃 か ら 新 聞 の 字 も 言買 め な い 而 も : 奥 行 く ほ ど 系泉 の 工 が 惡 く て 圭 間 は 穴 倉 の や っ に 暗 も の で す が 越 の も や は り 其 の 通 り 東 示 の 下 町 の か っ 古 い 家や の 造 り は 何 處 も 大 概 同 じ っ 間 ロ が い 割 り ム ひ に 奥 行 き が 廣 く 週 に 囘 ぐ ら ゐ つ 隱 居 の を 言方 て お 美 さ ん を モ ァ ル に 製 イ乍 を す る 事 な - つ た の で す と 懇 忌 に な り た と ム ふ 野 心、 が 先 に 皿 っ て も も な く 引 き 受 け て し ま ひ ま し た で 此 れ か ら 分 の 註 文 通 り な 繪 が 出 來 る か ど っ カゝ 其 處 は 甚 覺 東 な く 感 ぜ ら ま し た が 止ヒ れ を 豫 古攵 に お さ は っ て 出 來 る だ け 彼 女 の 姿 を 生 き 寫 し れ ろ と ふ 賴 み な の で す 僕 果 し 老 ま ま は 分 ら な が の 方 が 何 と な 日 本 り は 本 日ヨ ら し く 見 る カゝ ら ね