單に離別をしたところで、嘗て己の妻であり己の虐待を受けた女が、今も猶此の世の何處かに恨みを呑み つ、生きて居ると云ふ意識があれば、結局彼女が己の側に生きて居ると同然だ。己の頭に彼女の記憶が よみがヘ 蘇る度毎に、己と襟子との戀は常に呪はれなければならない。 あ、、どうかして己の心と彼女の心との連鎖を斷ち切る方法はないか知らん ? 眼に見える連鎖ならまだ しも置き換へる方法はある。眼に見えない連鎖だけはどうともする事が出來ない」 「こ、にたった一つ、問題の解決を可能ならしむる手段がある。たった一つあるだけだ。それ以外には全 く絶望オ 己の心と彼女の心とを繋いで居る連鎖を打ち切るには、己の心を別の處へ置き換へるのだ。己の心を惡魔 にするのだ。さうしたら連鎖はきっと切れる。人間の心と惡魔の心とを繋ぐ連鎖はない筈オ 惡になるにはどうしたらい、か。それはちゃんと分って居る」 「己は惡魔になれるだらうか。惡魔の行爲を學んだが爲めに、生きながら地獄の苦しみを受ける恐れはな いだら一、つカ ? ・ 無論恐れがないとは云はれない。しかし、己が今まで些細な事にも紳經を病んで、臆 病だったのは、己の態度が極まらなかった爲めなんだ。人間にならうか、惡匱にならうかといつも中途で 迷って居たせゐなんだ。心を鬼にしてしまへば、恐ろしい事も何もなくなる。先づ思ひ切って極端に大膽 な悪事を決行して見るんだ。さうすれば自然と心は鬼のやうになる。それでなくても己は生れつき、惡魔 ヾ、 ) 0 302
佐々木がとう / 、妻の玉子を殺さうと決心したのは、一昨年の十一月頃であった。その時分になって、ど うしても玉子を殺さなければ彼女から完全に逃れる途はないと云ふ覺悟が、しつかりと彼の腹の底に根を 据ゑた。 自分は生來恐るべき惡人でありながら、いつも善人の仲間人りをしたい虚榮心に囚はれて、 中途半端な不徹底な生活を績けて居るが爲め、却って一脣惡業の數を重ね、悔恨の度を深めるやうな矛盾 した結果に陷って居る。寧ろ此れからはがらにもない虚榮心を放棄して自己の本性に復歸し、惡人なら惡 て過失から起ったのではなく、夫の佐々木に殺されたのだと云ふ事は、今や明かになって來た。さうして 佐々木の自殺は、自己の罪惡に對する良心の苛責が主な原因ではあらうけれど、あの忌まはしい戯曲を大 膽にも舞臺で發表した事が、近因をなして居るのである。今考へると、あの戯曲と赤城山の事件との間に は、誰が見ても深い脈絡があるらしく感ぜられるのに、われ / \ はあの芝居を見物しながら、どうして共 れに氣が付かなかったか、どうして玉子の死因に關して疑ひを挾まなかったか、 世間と云ふものは 案外迂濶だと云ふより外はない。私がに佐々木の秘密を摘發することが出來るのも、決して私自身の發 見に依ったのではなく、彼の犯罪の直接の原因となった戀愛事件の當事者たる襟子から、此の物語を構成 するに足る總べての材料を供給されたのである。 ( 佐々木は自殺する少し前に、彼の犯した罪惡と良心の 苦悶とを殘らず襟子に告白したのであった ) もはや佐々木と玉子とが此の世に生存して居ない今日に於い て、彼等の秘密を私の好きな小説の形に仕組んだとて誰からも抗議を受ける心配はないであらう。 276
はべだけでも自分を幸な女だと思び込みたうございます」 彼女は斯う云ひたいのであらう。彼女 の小さい胸の裡には斯う云ふ哀願の言葉が、ぐっと壓へつけられてわな、いて居るのであらう。が、些細 な事にも腹を立て、気色を損ずる近頃の夫の素振りを、はら / \ しながら見守って居る氣の弱い彼女は、 此の讓歩に讓歩した唯一の願ひをだに云ひ出さうとはしなかった。思ひ切って云ひかけては、夫の險し、 眉根に氣がつくと、急に寂しい笑ひに紛らして、凉しい瞳をえるやうにばっちりと膰るだけであった。 時としてはった瞳を慌て、しばだ、いて涙を隱す折などもあった。しかし彼女がそんなにして隱すまで もなく、彼女の睫毛の端からあはや涙が落ちて來さうなけはひが見えると、佐々木はいつも眼敏く共れに 感づいて、自分の方から顏を背けてしまふのである。 「何と云ふ意地の惡い夫だらう。 此の涙をさへ哀れとは見てくれないで、わざとそ知らぬ風を裝って居よ 、つとは ! 」 玉子はきっと腹の中でさう思って居たに違びない。善良でさうして單純な彼女の頭で、どうして此れ以上 の「惡」を想像することが出來ようぞ ! けれども佐々木の此の行爲は、決して持ち前の意地惡から出た ものとばかりは云へなかった。さう云ふ場合の彼の態度には、平生の剛複な夫としては似合はしからぬ素 振りがあった。妻の涙から顏を背ける時、彼はいつでも恐ろしい物を見まいとするやうに、臆病らしく眼 曲 を伏せて項を垂れた。彼はことさらに見て見ぬ振りをするのではなく、見ようとしても面を上げ得ない人 はの如くであった。彼女の涙を哀れと見るには、あまりに惡人過ぎることを自分でもよく知って居た。惡匱 呪 が神を恐れるやうに、彼は彼女の涙を恐れた。 めざと 279
て居た西村は勿論のこと、優等生の中村だの鈴木だのまでが、懼れて居るのか心服して居るのか、兎に角 彼の命令を遵奉して、此の間のやうに沼倉の身に間違ひでもあれば、自ら進んで代りに體罰を受けようと する。沼倉にどれ程強い腕力や膽ッ玉があるにもせよ、彼とてもやつばり同年配の鼻ったらしに過ぎない のに、「先生が斯う云った」と云ふよりも、「沼倉さんが斯う云った」と云ふ方が、彼等の胸には遙かに恐 ろしくビリッと響くらしい。貝島は永年の間小學校の兒童を扱って、隨分厄介な不良少年や、強情な子供 にてこ擦った覺えはあるが、此れ迄にまだ沼倉のやうな場合を一遍も見た事はなかった。その子がどうし て斯く迄も全級の人望を博したのか、どうして五十人の生徒をあれ程みごとに威服させたのか、それはた しかに多くの小學校に於いて、餘り例のない出來ごとであった。 せふふく 全級の生徒を慴服させて手足の如く使ふと云ふこと、單にそれだけの事は、必ずしも惡い行ひではない。 沼倉と云ふ子供にそれだけの德望があり、威力があってさうなったのならば、彼を叱責する理由は毛頭も ない。たゞ貝島が怖れたのは、彼が稀に見る不良少年、 とても一と筋繩では行けないやうな世にも 恐ろしい惡童であって、その爲めに級中の善良な分子までが、心ならずも壓迫されて居るのではないだら うか、追ひ / \ と自分の勢力を利用して、惡い行爲や風俗を全級に流行させたり敎唆したりしないだらう と云ふ事だった。あれだけの人望と勢力とを以て、級中に惡い風儀をはやらせられたら共れこ そ大事件であると思った。しかし、貝島は、幸ひ自分の長男の啓太郎が同じ級の生徒なので、それとなく 様子を聞いて見ると、だん / 、、彼の心配の杞憂に過ぎない事が明かになった。 「沼倉ッて云ふ子は惡い子供ちゃないんだよ、お父さん」 おそ
呪はれた戯曲 になれる性質を多量に持って居るんだ。人間よりも惡魔になる方がやさしいくらゐだ。襟子との戀を樂し まうとするのに、そのくらゐな覺悟がなくってどうするのだ。 佐々木の日記は此處で終って居て、それからの事は彼の死に至るまで、一行も書き止めてない。上に掲げ た最後の一節は、十一月二日の記録であるが、思ふに彼は共の頃になって、全く「惡匱の心」を固めたの であらう。かくて十一月以降は、共の決心を如何にして遂行すべきかと云ふ計畫の時期に這入ったのであ る。彼はさすがに共の計畫を、日記に書き記す大膽さは持って居なかったに違ひない。 さうして佐々木は、日記を書く代りに「呪はれた戯曲」の筆を執り始めたのであった。その前の一と月半 ばかりの間何か頻りに鬱々と考へ込んで居て、仕事もろく / \ 手につかないらしい様子を見せて居た彼は、 十二月の中旬に這入ってから、晝間は毎日机に向って或る脚本の組立てに頭を惱まして居る風であった。 善と惡 ( 一幕物 ) 時現代 ( 夏にすべきか冬にすべきか ? ) 處東京を離れた或る寂しい場所 登場者 靑年文學者 その妻 303
呪はれた戯曲 人として飽く迄も徹底した方がい、のだ。 此の考が有力な槓杆となって、彼の意志を共の恐るべき 決心にまで押し轉がして行った。 善にもせよ、惡にもせよ、人が或る大決心を堅めた場合には、其れに附隨する一種壯烈な感懷が胸一杯に 溢れるものである。佐々木は自分の決心がいかに利己主義な、いかに殘忍な動機から出たものであるかを よく知って居り、 いかなる點からも毫釐も假借する事の出來ない犯罪であることを認めて居たに違ひない が、共れが彼には、殉敎者の心を持った人でなければ味はひ難いやうな、寧ろ崇高と云ってい、ゝくらゐに 悽愴な氣分に充ちた勇気を奮ひ起させたことは事實であった。彼は其の眞黒な邪念を頭の奥深く秘め隱し つ、、毎日平気で、やがて彼の罪惡の犧牲となるべき妻の玉子に接觸して居た。彼女の持ち前である無邪 氣な言葉づかひや、まめやかな仕へ振りや、正直で愚鈍で而も純潔な表情の眼つきは、夫の胸に集を喰っ て居るあらゆる獰惡な感情に對照されて、一段と共の美しい輝きを增しつ、あったにも拘はらず、それが 爲めに佐々木は決して憐憫を催しはしなかった。いや、もっと深く彼の心理从態に立ち人れば、たとひ憐 憫は催すことがあっても、最後の決心だけは尚更撤囘しなかったのである。 「一日でも長く生かして置けば生かして置くだけ、餘計憐憫を催さなければならない。彼女を欺く事が可 哀さうであればあるだけ、一層早く殺してしまふ必要がある」 さう云ふ風にしか彼には考へられなかった。彼女を哀れだと感ずることは、、 よイ \ 彼の惡企みを促し立 てる鞭にしかならなかった。や、ともすると、彼は料理番が料理の材料となるべき鮮魚や野菜を打ち眺め るやうなエ合に、彼女の顏をじろノ \ と眺めて居ることがあった。料理番がそれ等の材料に向ってどう云 277
る名状し難い嫌惡の情は、長年連れ添った夫でなければ抱くことの出來ない、或る特別の情緖ではないだ らうか。さう考 ~ ると、彼は彼女をどんなに強く嫌ったところが、嫌ふほどいよ / 深く絡み着かれ纒ひ 着かれてしまふのであった。彼女を可哀さうな女だと思ふ感情からは超越することが出來たにもせよ、此 はびこ の嫌惡の情だけは容易に振り捨てることが出來ない。さうして更に惡い事は、嫌惡の情の蔓る處には日の さす場所に極まって影が伴ふ如く、哀憐の情も亦根を張って已まなかった。晝の後から必ず夜が來るやう つでもきっと云ひやうのない悲痛の雲が、彼女の胸と自分の胸とを一 に、佐々木は彼女を憎んだ後で、い 様に暗く切なく鎖しに來るのを見たのであった。彼女の心の琴線が一とたび哀音を奏で始めれば、佐々木 しらべ の心の琴線も、佐々木には何の斷りもなしに忽ち相應じて同じ調を響かせる。果ては口惜しくも共の哀音 に促されて、玉子ばかりか佐々木までがつい涙をこばしさうになる。 「それ見た事か、やつばりお前と玉子とは精訷的にも夫婦ぢゃないか。お前の心と玉子の心とは斯うして 一つの情緖の中に融け合って居るぢゃないか。お前は此の女を嫌って戀人の襟子に夢中になって居る。だ うるは が戀人の心とお前の心とが斯うも美しく融け合ふ事があるだらうか。戀し合ふのみが夫婦ではない。お前 たちばかりでなく、世間一般の夫婦の間には、戀愛の泉が涸れ盡きた時、更に別箇の情緖が生れて、それ お前が今味はって居る情緖がそれだ。悲しみに に結び着けられながら彼等は生涯を共にして行く。 曲 戯浸る時にこそ二人の魂はほんたうに、びったり抱き合ふのだ。さう云ふ風にして相抱いて居る二つの魂の れ 憎んでも呪っても一生離 關係こそ、戀愛關係よりも遙かに堅い結合なのだ。それが世間の『夫婦』 呪 一旦結婚して夫と呼ばれ妻と呼ばれるが最後、誰にしたって れることの出來ない『夫婦』の間柄なのだ。 から 283
と、聲をふるはせて云った。多勢の生徒は嘲けるやうな眼つきをして一度に野田の方を振り返った。 それが貝島にはいよ / \ 腹立たしかった。野田はめったに教場の中で無駄口をきくやうな子供ではない。 彼は大方、此の頃級中の餓鬼大將として威張って居る沼倉から、不意に無實の罪を着せられて、據ん所な く身代りに立ったのだらう。若しも罪を背負はなかったら、後で必ず沼倉にいぢめられるのだらう。さう だとすれば沼倉は尚更憎むべき少年である。十分に彼を詰間して、懲らしめた上でなければ、此のま、赦 す譯には行かない。 「先生は今、沼倉に尋ねて居るのです。外の者はみんな默っておいでなさい」 貝島はもう一遍びしりッと鞭をはたいた。 「沼倉、お前はなぜさう云ふ謔をつくのです。先生はたしかにお前のしゃべって居る所を見たから云ふの です。自分が惡いと思ったら、正直に白状して、自分の罪をあやまりさへすれば、先生は決して深く叱言 を云ふのではありません。それだのにお前は、謔をつくばかりか、却って自分の罪を他人になすり付けよ うとする。さう云ふ行ひは何よりも一番惡い。さう云ふ性質を改めないと、お前は大きくなってからロク な人間にはならないぞ」 さう云はれても、沼倉はビクともせずに、例の沈鬱な瞳を据ゑて、上眼づかひに貝島の顏をじろ / \ と睨 み返して居る。その表情には、多くの不良少年に見るやうな、意地の惡い、膽の太い、獰猛な相が浮かん で居た。 「なぜお前は默って居るのか。先生の今云ったことが分らないのか」
て、それを怪しげに見上げて居る芳雄の額を撫でながら彼女は情深い調子で教へ論すが如くに云った。 「兄さんはね、あんなに姉さんを可愛がっていらしったんですから、いっ迄もいっ迄も忘れることが出來 ないでほんたうに力を落していらっしやるのよ。だから芳ちゃんも兄さんを気の毒だと思って上げなけれ ば惡くってよ。ね、分ったでせう ? あんな事があれば誰だってぼんやりしてしまふのは當り前だわ。 あんな、姉さんのやうない、人はなかったんですもの。 さう云ひかけて直ぐ気が付いて涙を拂ひ落しながら、 「あ、またこんな事を云ひ出して惡かったこと ! 堪忍して頂戴よ。もう止しませうね。さうして何か唱 歌でも歌ひませうね。此れからは私きっとちょいちょいお伺ひして芳ちゃんと一緖に遊びますわ。だから もう淋しがらないでも大丈夫よ。ね、きっと來るわ。」 など、云って、佛壇へお線香を上げたりして、共の日は芳雄の部屋で一時間ほど話をしてから歸って行っ たが、それからはほんたうに折々訪ねて來てくれるやうになった。瑞枝はしかし大抵午後の二時か三時ご ろにやって來て、芳雄をつれて活動寫眞を見に行ったり、本鄕通りを散歩して少年雜誌を買ってくれたり して、兄には會はずに歸って行くと云ふ風だった。 「芳ちゃん、又この頃に兄さんにさう云って音樂會を開かうぢゃありませんか。 さあ、あたしがい 、唱歌を教へて上げるから一緖に歌って見ない ? 」 かへ そんなことを云って、 その生き いつの間にか昔の快活な彼女に復って元気よく歌をうたふ瑞枝、 / 、とした色つやのい、頬の肉を眺めながら、彼女と仲よく遊ぶと云ふことは亡くなった姉に惡いやうな 434
啓太郎は父に尋れられると、暫くモヂモヂして、それを云ってい、か惡いかと迷びながら、ポツリポツリ と答へるのであった。 「さうかね、ほんたうにさうかね、お前の云付け口を聞いたからと云って、何もお父さんは沼倉を叱る譯 ちゃないんだから、ほんたうの事を云ひなさい。此の間の修身の時間の事は、あれは一體どうしたんオ 沼倉は自分で惡い事をして置きながら、野田に罪をなすり付けたりしたちゃないか」 すると啓太郎は下のやうな辯解をした。 あれは成る程惡い行ひには違ひない。けれども沼倉は格別 人を陷れようなど、云ふ深い企みがあったのではなく、實は自分の部下の者 ( 印ち全體の生徒 ) が、どれ ほど自分に心服して居るか、どれ程自分に忠實であるかを試驗する爲めに、わざとあんな眞似をやったの である。あの日のあの事件の結果として、沼倉は、級中の總べての少年が一人殘らず彼の爲めに井んじて 犧牲にならうとしたこと、さうしてさすがの先生も手の出しゃうがなかった事を、十分にたしかめ得たの である。當時彼の指名に應じて、第一に潔く罪を引き受けようとした野田や、野田の次に名乘って出た西 啓太郎 村や中村や、此の三人は中でも忠義第一の者として、後に沼倉から共の殊勳を表彰された。 いっ頃から共 の話す意味を補って見ると、大體かう云ふ事情であるらしかった。で、沼倉が如何にして、 れ程の權力を振ふやうになったかと云ふと、 啓太郎の頭では共の原因をハッキリと説明する事は出 國來なかったけれども、 要するに彼は勇気と、寬大と、義侠心とに富んだ少年であって、それが次第 に彼をして級中の覇者たる位置に就かしめたものらしい。單に腕カから云へば、彼は必ずしも級中第一の 強者ではない。相撲を取らせれば却って西村の方が勝つくらゐである。ところが沼倉は西村のやうに弱い 、 ) 0