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検索対象: 谷崎潤一郎全集 第8巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第8巻

ら彼女だって、私の心の中に純粹な親切だけでない何物かゞあると云ふ事は、まさか感じない筈はなから う。しかし「男の親切なんて要するにみんなさうなんだから、それを出來るだけ利用するのが若い女の特 權なのだ。それは嘗り前の事だ」と云はれ、ば、たしかにそれもその通りで、彼女はづう / \ しいのでも 何でもない。そしてその後も相變らずニコニコして私と話をするのである。 「あの陸軍少將は今どうして暮らしてるんだね ? 何か職業があるのかね ? 」 「今はなんにも職業がない、だから貧乏で困ってゐるけれど、もう直き戦爭が始まればお金が儲かるんだ って。」 「もう直き戰爭が ? 何處で始まるんだらう ? 」 「西伯利亞で。 ・ジェネラル・セミョノフが又近いうちにボリシェギキと戦爭をするんだって。」 「だが、戦爭でお金が儲かるって云ふのはどう云ふ譯かね ? 」 「どう云ふ譯だか知らないけれどさう云ってゐたつけ。それであの人はその方の用事があるので上海へ行 くのよ。」 そんな話があってから二三日たって、彼女たちはあの家を引き拂ひ、私はこゝへ移轉することになってし まった。いっ何日の船で立っとか、それまで何處に泊ってゐるとか、ニ 1 ナは私に聞かれると一々教へて ア はくれたけれども、引越しの日の彼女の素振りは何だか妙に冷淡だった。「もうこれつきりやって來られ マ ゴては困る」と云ふ風をあり / \ 見せてゐるやうに思へた。家具をオ 1 クションに出すとか云ふので、例の 9 ア 將校も手傳ひに來て、何くれと指圖してゐた。その時私は知ったことだが、ニーナの寢室にあった箪笥の

2. 谷崎潤一郎全集 第8巻

「それちやミセス・は ? 」 「彼女も一緖に。」 明くる日になると又その將校がやって來た。四十恰好の、非常に快活なあいそのい、男で、ゴランダで私 に會ふと直ぐニッコリして手をさし出した。 「私はあなたにお目に懸るのを喜びます、あなたの噂は始終ニ 1 ナから聞いてゐました。あなたは大そう あれに親切にして下さるさうで、 その男がそんな事を云ふ間、ニ 1 ナは傍に立ってにや / 、、笑ってゐた。 一時間ばかり私は彼等と話してゐたが、それで萬事が明かになった。二人の馴れ / 、しい素振りでもって その間柄を讀むのには十分だった。その將校は本牧の方に住んでゐて、ニ 1 ナはいつも會ひに行ってゐた のである。だが 一體私に分らない事はニ 1 ナは私を飜弄してゐたのか、或は正直な人の好い女で、一圖に 私の親切を信じてゐたのか、何分相手が西洋の女でもあり、片言交りの英語で話をするのだから、その邊 の心持が甚だ明瞭を缺いてゐる。これはその後近所の車夫が勘定を貰ひに來た時聞いた事だが、「此處の 若いお嬢さんに旦那がある」と云ふことは、彼女自身も隱しては居ず、出入りの商人もみんな知ってゐた らしかった。現にその將校は今年の春まで此の家の二階に同棲してゐて夏の間だけ、凉しい本牧の海岸に 日本の家を借りて移ったのだと云ふ。だから彼女も私がそれを知らない筈はないと思ってゐたかも知れな 。知ってゐながら親切にする、馬鹿な男だが別に損にもならないから、まあ好い加減に相手になって置 てやらう。 さう云ふ腹でゐたのだとすると、ひどくづう / ( 、しい女のやうにも見えて來る。いく 558

3. 谷崎潤一郎全集 第8巻

を光榮として云ひ付けられ、ば何でもいそ / \ と用足しをする。たまに原稿料が這人るのを樂しみにし て、それを大事に取って置いて彼女の笑顏を買ふ爲めに提供する。私は自分の生活費にまで事を缺いて、 ナケナシの小づかひを全部その方へ注ぎ込んでゐた。次の週の何曜日に活動へ行くとか支那料理を喰ふと か云ふやうな約束をすると、五圓や十圓はどうしてもいるので、ヒドエ面をしてもその日までに金を作っ それではそれの報酬として彼女から何を得たかと云へば、今も云ふ通りたゞ彼女の笑顏を得たゞけ、彼女 と一赭に物を見、物を食ふ愉快を得たゞけ、それ以上の事は私は始めからあきらめてゐた。そんな資格の ない事は分ってゐたから、何も望みはしなかった。ではそれでい、譯ぢゃないか、不服を云ふところはな いぢゃないか、 さう云はれゝば成程さうだと云ふやうな気もする。つまり今日ではナケナシの小づ かひを提供するにも相手がゐなくなったので、それが淋しいのに過ぎないかも知れない。で、ちゃうど今 から一週間ほど前の事だったが、或る日の夕方彼女は一人の露國の將校と連れ立って歸って來た。そして 家に居たミセス・と三人で何か機嫌よく笑ひ話をしたりして、ゴランダで暫く涼んでゐた。尤も、その 將校はその時普通の背廣服を着てゐたので、太った立派な男だとは思ったが、私が彼を帝政時代の武官だ と知ったのは、彼が歸ってから後のことなのである。 ア 「あの人はジェネラル・セミョノフの友達なんだよ、そして陸軍少將なのだよ、私は近いうちにあの人と マ 三一緖に上海へ行くのよ。」 ア と、ニ 1 ナはその晩ふとそんな事を云った。 557

4. 谷崎潤一郎全集 第8巻

私はあの以後ニ 1 ナの爲めには可なりこま / \ した犧牲を拂った。それは決して彼女の方から強ひたので はない、私が進んでさう云ふお勤めをやらせて貰ふやうに望んだのは事實 / 「やらせてくれと云ふのならそれは誠に有難い、篤志な事だ、ではやって貰ひませう。」 さう云ふのが彼女の態度であったし、それでも私には愉快だった。一例を擧げると私は時々、彼女の汚れ た白靴が廊下などへ置いてあると、先づ自分の靴を研いて、そのついでのやうにして彼女の靴へもクリ 1 ムを塗ってやった。彼女は最初は、 「そんな事をするには及ばない、お前に濟まない。」 と云った。二度目には「ほんたうに気の毒だ、有難う」と云った。三度目にはたゞ「有難う」になった。 そしてしまひには私がせっせと研いてゐる間、用もないのに自分は部屋へ閉ぢ籠って知らない顏でゐるや うになった。わざと私の眼につく場所へ汚れた靴が置いてあることもあった。 「ミスタ・エモー 私は今日はにしいからちょっと研いて置いておくれ。」 と、彼女の方から云ひつけるやうにさへなった。その外毎日のやうに催促にやって來る食料品屋、自動車 屋、洋服屋、小間物屋などの借金取りに、居留守を喰はせて私が代りに言譯をすること。三度に一度は立 て換へること。一緖に散歩に出て飯を食ふこと。活動寫眞を見ること。それらの勘定は私が拂ひながらや 、ともすると彼女からも第三者からもガイドなみに扱はれること。 まあそんなやうな細かな事だ が、几べてが靴研きと同じ呼吸で、始めは此方からしてやってゐるうちに、彼女の方でも結局便利だもの だからだん / \ 圖に乘ってい、気になる。私を使ふのが當り前だと思ふやうになる。私は私で大いにそれ 、 ) 0 556

5. 谷崎潤一郎全集 第8巻

實は私はもう何もニ 1 ナの事を云びたくないのだ、云へばお前に笑はれるだらうし、又笑はれても仕方が 自分でも自分の馬鹿らしい事は分ってゐるのだ。どうせ私の役廻りはいつも道化役に極まっ てゐる、女にかけては年が年中三枚目だ。と、さう云ったらお前も大概察しがついて、聞かないうちから 私のしょげた顏つきを見て吹き出すだらう、 お前のクスクス笑ふ聲がちゃんと私には聞えて居るよ。 だから猶更何も云ひたくない、「萬事お前の推量に任せる」と、まあさう云って置きたいところだ が、毎度の事で別に珍しくもないのだから極まりの悪いのを我慢して打ち明けてしまへば、あのニ 1 ナと 云ふ女には男があったのだ。勿論それだからどうと云って、私が彼女に不服を云ふ筋は少しもない。ない からます / 、馬鹿々々しい話なんだが、一と口に云へば私が獨り相撲を取ったと云ふ事になるのだ。 ニ 1 ナは毎日午後になるとおめかしをして何處かへ出て行った、 それが今考へると、男の所へ通っ てゐたのだ。それを氣が付かずにゐるなんて全く迂濶なやうだけれども、何しろその男と云ふのが一度も 影を見せないんだし、私としてはついあの女を自分の妄想に都合のい、やうに考へたかったもんだから、 いつの間にか獨り者だらうと思はせられてゐた譯なのだ。のみならず、あのゲイティ 1 座へ行ってから以 後私はたび / \ ニ 1 ナと一緖に散歩にも出たし、話をする機會もあったのに、彼女は一遍もそんな素振り を見せなかった。尤も自分に男があると云ふ事を、私が改まって尋ねでもしたら知らないこと、何も殊更 ア 云ひふらす必要はないかも知れない。しかしそれにしてもけぶりぐらゐは見えてもよさ、うなものだった。 マ 或は見えてたにも拘らず、私の方の眼が肓んでゐたのかも知れない。 ア と、此處まで書いて來ると、もう少し極まりの惡い所まで白从しなければならなくなったが、實のところ、 555

6. 谷崎潤一郎全集 第8巻

まはうと云ふのには至極適當な場所なのだ。どの部屋にも必ず專用の湯殿と臺所と便所があって、瓦斯も 水道も來てゐる。食堂、寢室、居間と、中には三つぐらゐ績いた貸間もあるのだから、五六人の家族でも 住んで住めないことはない。ちょっとこれたけに完備したアパートメントは東京あたりにはなさ、うに思 ふ。今住んでゐる連中も大概子供のある夫婦者で、獨り者はまあ私だけだらう。午過ぎになると私の部屋 へは西日が強くさし込むので、私は一日屋根裏の暑さと戦ひながら、その往來のやうな所へ椅子を据ゑて、 自炊生活をつゞけてゐる。 ハンと牛乳だけは毎日配達してくれるので、三日や四日はそれで我慢をするこ ともあるし、どうかすれば運動がてら支那町の方へ買ひ出しに行って、臺所の瓦斯焜爐で簡單な煮物ぐら ゐはやる。そして何より有難いのは專用の湯殿のある事だ。此の三階のてつべんから山の下にある日本入 町の湯屋へ行くのは大變な面倒だが、これがあるので全く助かる。湯殿と云っても狹いトタン張りの流し に、瀬戸の剥げ落ちた、赤く錆びた西洋のタップが据ゑてあるだけだけれど、私は三日に一遍ぐらゐは風 呂を沸かすことにしてゐる。億劫な時には水風呂に漬かる。たった獨りで、三階の窓の外を行く白い雲を 眺めながら、悠々とタップの底に足を伸ばしてゐる気持は一種特別だ。たゞ殘念なのは赤錆が湯に融け込 んで變な色になる事だ。これで此の水が透き徹ってさへゐたら中分はない、恐らく箱根の温泉 ~ でも行っ てるやうな氣になるだらう。 「それはさうと、一體ニ 1 ナと云ふ女はどうしたのよ ? もう上海へ行ってしまったの ? 」 さうだ、お前はさう云って聞くかも知れない、あの女の事に就いてはあれきり何も云はなかったからね。 554

7. 谷崎潤一郎全集 第8巻

い細かい吹出物は、あれはきっと南京蟲に喰はれた痕なのだ。私も此の寢臺へ寢るやうになってから、あ れと同じ紅いぶつぶつが大分體中へ出來始めた。それにもう一つ困る事は、スプリングが弛んでゐて、ち ゃうど背中にあたる部分がばこんと深く凹んでゐるのだ。毎朝眼をさますたびに背骨から腰の周りが妙に 痛い、どうも不思議でならなかったが、此の頃になってやっと原因が明かになった。一段低く穴のやうに 凹んだ所 ~ 、背中と臀とがイヤでも應でも落ち込んでしまふので、私はいつも、體を蝦のやうに二つに折 って寢てゐたのである。さう気がついてから私は寢る時に加減をして、成るべくその穴の中へ落ち込まな いやうに體をいろ / \ にずらして見るのだが、やはりどうしても落ち込んでしまふ。べットの表面が凹み の方へ向って谷のやうに坂になってゐるのだから、結局私の體は、寢てゐる間に自然とその摺り鉢の底へ はまり込む譯である。おかげでどんなに暑くっても寢返りを打っとか、寢臺の外へ落っこちるやうな心配 はない代りに、窮屈な姿勢を取って居るので始終不愉快な夢ばかり見る。そして明くる日一日、體の節々 がズキズキと痛い。斯うなって來るとべットの善し惡しも大いに心持に影響する。一體西洋のべットは日 本の寢床に比べるとずっと寢心地がい、筈のものだけれど、こんな特別な奴になると地べたに寢るよりも 始末が惡い。その後私は工夫を重ねて、マトレスと蒲團との間に古雜誌だの新聞紙だのを突っ込んで、出 來るだけその穴を埋めることに成功した。今でも毎日古雜誌と新聞紙の位置を取り換へて、少しでも寢工 ア 合をよくする事に苦心して居る。だん / \ と研究の結果、まあそのうちには差支へのない程度に改良され マ ゴるだらうと思ってゐる。 ア 要するに此のア。ハ ートメントは中流階級の人々が、これだけの部屋へ相嘗な家具を据ゑ付けて小綺麗に住 553

8. 谷崎潤一郎全集 第8巻

て氣ちがひか化物じみて見えるものだが、何しろ眞っ晝間のことなので私はちょっと度膽を拔かれた。夫 婦喧嘩でもして亭主に擲られたのちゃないか、さう思って部屋の中を覗きかけると、女はまだ何かしら罵 りつゞけながら、極まりが惡さうに慌てゝ又ばたんと締めてしまった。兎に角大分變った人種が泊ってゐ る所には違ひなかった。 で、私が今かうしてこれを書いてゐる場所は、その廊下の反對の側にある部屋なのである。屋根裏ではあ るが天井も窓も十分に高いし、こ、にも立派なファイア・プレースがあるし、大きさから云ったら田舍の 小學校の敎室ぐらゐはありさうで、馬鹿げて廣過ぎるほどなのだ。若し此の部屋に四方の壁を塞ぐだけの 家具さへあったら、きっと見違へるほど堂々たるものになるのだらうが、神田あたりの下宿屋にでもあり さうな貧弱なデスクと、そいっと似たり寄ったりの椅子だのテ 1 ブルだの寢臺だのと云ふものが、ガラン とした中に置いてあるのだから、それらの全體が一脣ちつほけに哀れに見えて、部屋の中にゐると云ふ感 じがない。 まるで往來のまん中に起き伏し、てゞもゐるやうな気がする。何でも前に住んでゐた人が此の がらくたを部屋代のかたに殘して行ったんださうだけれど、値段にしたら恐らく三文にもならないだらう。 外の物はまあどうやら使へるとしても、寢臺には一番閉ロする。マトレスが破れてところみ \ に藁が飛び 出してゐて、縞目も分らないくらゐ汚れてゐるのは始めから覺悟の前だったが、それに南京蟲が何十匹と なくたかってゐるのだ。私は蚊の方には割合に平気で、此處は三階のてつ。へんだから風通しさへよくして 置けば蚊はさう來ないし、アンティ・モスキ 1 ト 1 でも塗って寢れば蚊帳を吊らないでも凌いで行ける。 が、南京蟲には全く弱らせられてしまふ。今考へると、あの室地に遊んでゐた子供たちの疥癬のやうな紅 552

9. 谷崎潤一郎全集 第8巻

な色の褪めか、った奴で、髪をバラバラに振り亂した女の兒などがバンドを締めてそれを着た恰好を遠く から見ると、とんと繪に畫いた寒山拾得の形だった。そしてその中には十六七かと思はれる年頃の娘など も交ってゐた。彼等はいづれも榮養不良のせゐでもあらうが、痩せて血色が悪くて、顏の輪廓や骨格から 皮膚の色が黒ずんでゐる上に、腕だの脚だのに疥癬のやうな紅い細かな 判斷すると歐洲種に違ひないが、 吹出物があったりして、日に燒けたのか、垢でよごれてゐるのか、それとも有色人種との合の子なのか、 何にしてもみすばらしい哀れな様子は、活動寫眞や小説にあるジプシイだの漂流の民だのを連想させた。 「きっと此の子供たちの家族も西伯利亞あたりから逃げて來たのぢゃないだらうか。」 と、私はよくさう思ひ / \ した。露西亞人でもないやうだけれど、戦爭以來あの地方に流れ込んでゐた歐 ゝ、ヾレカン半島の諸國とか、そんな所の、まあ火事 洲の片田舍の國々の人々、波蘭土とか、チェッコとカノノ で燒け出されたと同然な不幸な種族であるらしかった。遊びながらわい / \ しゃべってゐる言葉を聞くと、 勿論英語でもないし、佛蘭西語でも獨逸語でもなさ、うだった。私は屡よ門の前に立ち止まって、その子 供等の遊んでゐるのを物好きな眼で眺めたりしたが、殊に私の注意を惹いたのは前にも云った年頃の娘た ちである。その中に一人、まだやっと十五ぐらゐの、低能兒かと思はれる女の子がゐて、それがいつも乞 食のやうに入口の石段に腰をかけて、菓子などをたべながら、ばんやり表を見てゐるのが一と人私には哀 れだった。歳の割りにはせいが高いのに、多分一一三年も前から一つ物を着てゐるのだらう。十二三の子供 が着さうな、つんつるてんの靑いちヾみの服の上に革のバンドをしめて例の素足に下駄をはいて、その子 が一番不潔らしい貧しいなりをしてゐるのである。のつほな體に不釣合な服の加減で腕だの脛だの肩先だ 550

10. 谷崎潤一郎全集 第8巻

その後は御無沙汰してしまったね、新聞で見るとお前たちの劇團は此の間から旅興行に出かけたやうだね。 お前は今何處にゐる ? 信州 ? 越後 ? それとももう靑森を打って北海道の方へ乘り込んだ時分かね ? 若し此の手紙を出すとすれば何處へ宛て、出したらい、のか、札幌の方へでも出して見ようか、 あれから半月ばかりの間、妙にごたノ \ して氣持が落ち着かなかったので、私はハガキ一本も書く氣には なれなかった。今日は久し振りで机に向って見るのだが、しかし今かうしてこれを書いてゐる部屋は、あ の山手の家の部屋ではない。實は彼處を引き拂ってから今日で一週間になるのだ。どうせ私の事だから引 っ越しをすると云ったって造作はないんだが、そんなこんなでつい御無沙汰してしまったのだ。 今度の住居も先のところからさう遠くない山の上にある。此の近所で尋ねれば直ぐに分る大きなア。ハート メント・ ハウスだ。煉瓦造りの、三階の建物が二た棟になってゐる家で、前の方に相當に廣い空地がある。 そこは西南の側が高い崖なので、天気さへ好ければ根岸から本牧の方の海が一と眼に見渡される。私はよ く、まだ先の家にゐる時分に、夕方になると此の近所を散歩したものだが、鐵の門の中にあるその空地で ートメントに泊ってゐる外 はいつも子供たちが自轉車などを乘り廻して遊んでゐた。それは大概そのア。ハ ア 國人の子供たちなのである。夏のせゐでもあるだらうが、みんな素肌にたった一枚の裾の短かい服を着て、 マ ゴ膝頭の上の方まで飛び出てゐるのに靴下も穿かないで、はだかの脛をむき出しにした儘、ひどいのになる ア ンの派手 と下駄を穿いてゐるのさへあった。その服と云ふのも極く粗末な縮みか何かの、ビンクかグリ 1 549