セシル - みる会図書館


検索対象: 谷崎潤一郎全集 第8巻
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1. 谷崎潤一郎全集 第8巻

私の家へ、 ぞ私の家へ來て下さい。私大へん喜びます、どうぞシェ、モア、 初子 ( 顏色を變 ~ る ) アレキシフさん、私を馬鹿にしないで下さい。私はミスタ・ロ 1 ワンの妻です。私死 んでもセシルの側を離れません。幸でなくっても構はないんです。 アレキシフあは、、、 、奥さん、あなた怒りました ? わたし冗談を云ひました、あなた怒ってはいけ ませんです。 初子アレキシフさん、どうかもう歸って下さい、お願びですから。 アレキシフあは、、、、 冗談です、あはゝゝ、、 ( 立ち上る ) ジャネットとセシル戻って來る。アレキシフが居るので、眼を見交してニャリとする。 ムシュウ・ロ 1 ワン、 アレキシフ ( うろたへながら ) おゝ、ボンジュ 1 ルー こんち セシル ( ひどく気輕な調子で ) ゃあ、今日は。 アレキシフ ( ジャネットに ) ボンジュ 1 ル、マドモワゼル、 ジャネット今日は、 アレキシフ近寄って握手を求めさうな様子をする。兩人知らぬ顏してすたすたと庭を上手へ歩み去る。 アレキシフ ( 何となく気まづい心持で ) 奥さん、私歸ります、 : 左様なら。 話初子 ( つんとして横を向いたま、 ) 左様なら。 アレキシフすごすごと行ってしまふ。 本 入れ違ひに彌生、フレデリッキ、ブラウン夫婦、ヴンダ、ウヰリャム等が庭へ這入って來る。 389

2. 谷崎潤一郎全集 第8巻

、え 初子 ・ : だってあんな ・ : 前よりも一脣根性がねちけて、意地が惡くッて仕様がないの。 目に遭へばさうなるだらうから。 彌生私なんか一と月も監獄 ~ 入れられて居たって平気だったけれど、セシルさんには辛かったと見える のね。男ッて者はさうなると案外弱いんだから。 初子ほんたうに、彌ッちゃんのやうだとい、んだけれど、 : セシルはあの通り見え坊だからね。此 の頃ぢやめったに訪ねて下さる人なんかないけれど、たまに誰方か來て下すってもこそこそと奥 ~ 隱れ てしまふし、一と足だって門の外 ~ 出る譯ぢゃないし、一日内に閉ち籠って居て、一と言も口を利かな い事があるの。だけど、 出て來てからまだ一週間にしきゃならないんだから、それも無理はないと思ふ わ。きっと共のうちに追ひ追ひと直るわ。 彌生さうよ、きっと直るわ。セシルさんに取っちゃ、何と云ったって姉さんより外賴りにする人はない んだもの。 アレキシフ ( 時計を出して見る ) 彌生さん、大へんおそい、十一時半です。 彌生あら ! もうそんな ? アレキシフウェイ、私たち、歸らねばなりませんです。 話彌生姉さん、それぢや又來るわ。 牧初子あ、、いろいろほんたうに有難う。 本 彌生セシルさんにも宜しく云ってね、 405

3. 谷崎潤一郎全集 第8巻

さあ、彌ッちゃん、 けちゃ濟まないぢゃないか。さあ、私によこしなさい、 云ひながら、それが劇藥であるのを知らないらしく大膽に奪ひ取らうとする、 セシル初子 ! 馬鹿な事をするな ! あぶないッたら ! 彌生、爭ふ拍子に自分が硫酸を浴びさうになり、思はず手を放す。初子、カ餘って罎を持った手を後ろ ~ 跳ね返す。 そのはずみにさっと藥液が迸り出てセシルの顏にか、る。セシル「あっ」と叫びながら倒れる。 初子 ( 罎を持ったまゝ夫の傍に跪く ) あなた、どうなさいましたの ? 藥が眼へでも這入りましたの ? : まあ ! ( 顏を覗き込んで始めてびつくりする ) それちゃ此の藥は : セシル ( 呻きながら怒號する ) 馬鹿 ! いきなり罎を取って初子の顏へ投げ付ける。 初子 ( 滿面に藥を浴び、気が遠くなって徴かな聲で ) あ、、濟みません、濟みません、 さう云ひながら失心したやうに突っ伏す。人々恐る恐る傍へ寄って來る。 ジャネットどうしたのセシル ! 藥が顏へかゝっちゃったの ? セシルジャネット ! 己の顏を見てくれるな、彼方へ行ってくれ ! ジャネット ( ちょいと覗いて見て薄気味惡さうに顏を背け、フレデリッキに囁く ) もう直らないかしら ? ・ : まあ直るまいね、 フレ一アリッキ、つん 彌生 ( 昻奮して獨語のやうに繰り返す ) 馬鹿 ! 姉さんの馬鹿 ! 目ツかちにでも鼻ッ缺けにでもなるがいゝ や ! 自分が餘計な手出しをするから悪いんだ ! 馬鹿 ! 大馬鹿 ! 398

4. 谷崎潤一郎全集 第8巻

シル等の往ったり來たりする姿が見える。ジャネットは年齡二十一二歳、露西亞系の猶太人、金髮碧眼、白っぱい「 ットン・ポイルの服を着てゐる。彌生は日本人とポルチュギーズとの合ひの子、赤いちぢれ毛で顏にそばかすのある、 や、不恰好に太った娘。メリンス友禪のキモノに耳飾と頸環をつけ、白足袋にダンスの草履を穿いて居る。フレデリ ッキとセシルとは孰れも日本人と米國人との混血兄。變り色の上衣に白い。 ( ンツを穿いて居る。以上四人ながら殆ど 日本人と同様に日本語を語る。一同ほっと息をしながら、椅子に腰かけて團扇を使ったり ( ンケチで汗を拭いたりす セシル急ぎ足で食堂 ~ 出て來る。そして咽喉が乾いて溜らぬと云ふやうに慌しく卓上のビールの栓を拔き、一と息に 飮んでから煙草に火をつけて庭の方を見る。 アレキシフ ( セシルを見て立ち上り挨拶する ) お、、ボン、ソワアル、ムシュウ・ローワン、 すか ? セシル ( 冷淡に ) 今晩は、 : グッドイプニン、 アレキシフ ( 手持無沙汰でモヂモヂしながら ) ・ セシルお、さう、どうか御ゆっくり、 さう云って又ぐいとビールを飮む。 ジャネット ( 奧の間から呼ぶ ) セシル ! 早くおいでよ ! 何してるの ? セシルウェイトエ 今ビ 1 ルを飮んでるんだ。 再び蓄音機が鳴る。ワルツ舞踏曲。 フレデリッキ ( 奥の間で ) ジャネット ! 僕と踊らう ! ・ ( 云ひながら頻りにビールを飮む ) : わたし、今此處でミセス・ロ 1 ワンと話しました。 ・し以ん、か「」 358

5. 谷崎潤一郎全集 第8巻

セシルなあに、まだ大丈夫オ ジャネット ( 庭の生垣の方へ行って待って居る ) セシル ! 早くおいでよ、 云ひ捨て、、先にスタスタと下手へ去る。セシル直ちに彼女を追うて去る。 彌生 ( 二人が居なくなると直ぐ本を伏せて ) ね、御覽よ、私が云った通りぢゃないの、 フレデリッキ何が ? 彌生二人共もうすっかり夫婦気取りでい、気になって居るぢゃないの。 フレデリッキふ、ん、 ( 不愉快を紛らす徴笑 ) 彌生ね、だから駄目よ、あきらめちまった方がい、わよ、 フレ一アリッキ何がさ ? 彌生あなたはまだジャネットに未練があるのよ、ね、さうでせう ? そんなにとばけなくたってい、わ フレデリッキふ、ん、 : もう未練なんかありやしないさ。 彌生さう ? そんならい、けれど、未だに何とか思って居るんだと、馬鹿を見るわよ。まあ、もう一と 月もたって御覽な、ジャネットが家へ這入り込んで來て、姉さんは追ひ出されるやうな事になるから。 話フレデリッキお前のシスタ 1 は承知したのか ? 牧彌生承知したってしなくたって、さうさせられてしまふわよ。此の間もジャネットと二人でそんな相談 本 をして居たつけ。 377

6. 谷崎潤一郎全集 第8巻

アレキシフ 初子あゝ、今にもう少し機嫌でもよくなったら、ちょいちょい遊びに來ておくれな。 さん、どうかあなたも入らしって下さい、私ほんたうに、 彌ッちゃんがたった一人のきゃうだいなんで すから。 アレキシフウェイ、宜しいです。私やはり同じ事、私日本にたった一人、私の國露西亞今ありませんで す、日本わたしの國同じ事、そして彌生さん私の妻。 彌生姉さん、それぢやお休みなさい、 アレキシフお休みなさい、奥さん、 初子お休みなさい、 アレキシフ、初子と握手し、彌生と腕を組んで去る。 初子、襖の方へ行き、そこを開けて奥の間を覗く。 初子あなた、もうお休みになったの ? 返辭がない 初子あなた ! 何處にいらっしやるの ? あなた ! セシルー 云びながら奥へ這入り、間もなく戻って來る。 初子まあ、何處へ行ったんだらう、セシル ! 何處 ? 返辭をして下さい ゴランダの上手へ行き、直ぐ戻って來て庭へ降り、垣根に身を寄せて表の闇を見る。 初子セシル ! 406

7. 谷崎潤一郎全集 第8巻

ロ 1 ト ( 手で圖を描きながら ) 此處バンド、此のコーナ 1 に。ハレ 1 ス・ホテルあります。 ジャネットえ、さう、私知ってるわ、 ヴンダそれぢや九月まで會へないんだから、あしたの晩みんなで何處かへ行きませうよ、ねえセシル ! セシルさうだ、それがい、や、明日みんなで花月園へ行かうぢゃないか。 リソオリ 1 ミセス・ブラウンお、、アイムペ 。明日の晩はテンプル・コ 1 トのボ 1 ルに約東があり ますの , ミスタ・フラウンさ、つです % 明後日の晩なら、花月園よろしいです。 彌生あら、私も行きたいわね、セシルさん、行っちゃいけない ? ジャネット ( 獨語のやうに ) 明後日の晩はスペシャル・ダンスだから、夜會服のない者は這入れやしない。 ねえ、ヴンダさん、さうぢゃなかった ? ワンタえゝさ、つ、たしかさ、つよ、 ジャネット着物がなくって斷わられたりなんかすると、ほんとにいゝ耻ッ晒しね。よくそんなのがある け・れÄJ 、 彌生、むっとして沈默する。 話ミセス・プラウンさう云へばミスタ・グルックはどうしたでせう。あの人も誘はうぢゃありませんか ? 牧ジャネット駄目よ、グルックさんはセシルと喧嘩しちゃったの。そしてセシルばかりちゃない、私たち 本 の事をひどく悪く云ってるんだって。 395

8. 谷崎潤一郎全集 第8巻

初子さう ? ほんたう ? 彌生さうだって。そんな噂があるわ。 きっと此の近所に居たたまらなくなったのよ、何ば人間が づうづうしいからッて、あ、してのめのめと居られる譯がないぢゃないか。上海へでも何處へでもさッ さと行っちまふがいゝさ。 初子あの人たちは私たちと違って、何處にでも廣い世間があるんだから、ほんたうにさうしてくれると い、、さうしたらセシルだって、今更憎いも口惜しいもありやしないんだけれど。 彌生だからさうなれば、何も此方で逃げ出す事なんかありやしないわ。私たちもずっと横濱に居る積り だから、姉さんたちも此處の家にいらっしゃいよ。ねえ、さうした方がい、わ。セシルさんだって、さ う云っちゃ何だけれど、亞米利加へ歸ったところでやつばり肩身が狹いんだから、それよりかまだ日本 に居た方がい、と思ふわ。さうして姉さんと仲好く暮らすやうにしたらい、のに。 初子 ( 伏目がちに ) さうなれば私、 : セシルには濟まない事をしたけれど、それより外に望む事はな いんだよ、 : さうして一生、 ・ : 死ぬまで暮らす事が出來ればそれが一番仕合はせなんだから。 アレキシフ奥さん、あなたきっと幸疆になります、ミスタ・ロ 1 ワンあなたを愛します。私さう思ひま す。あなたそれを信じなければいけませんです。訷樣はあなたを捨てませんです。 初子はあ、私信じて居りますの。 彌生セシルさんは此の頃どう ? 少しは姉さんに優しくする ? 404

9. 谷崎潤一郎全集 第8巻

彌生ジャネットよりか、あなたはセシルさんに打つかけてやりたいの ? ねえ、さうでせう ? らかくれたら私代りにやって上げてもい、けれど。 フレデリッキさうだね、先づ千圓で請け合ってくれりゃあ賴んでもいゝね。セシルは男ツ振りが自慢だ から、此奴をかけられたら參るだらうよ。 初子が盆の上に茶器や菓子皿などを載せて出て來る。そして共れを食器棚に置く。 初子彌ッちゃん、濟まないけれどそのテ 1 ブルの上を綺麗にして、此れを ( 食器棚の抽き出しからテープル・ クロースを出す ) 敷いて頂戴。もうそろそろ三時だから。 彌生あゝさうね、サンドヰッチを切るんだったわね、 初子サンドヰッチは私が切ったからいゝの。テ 1 プルの方を手傳っておくれ。 彌生さう、 彌生立ち上ってテープルを拭き始める。初子再び臺所へ去る。 フレデリッキさあ、その間に一つ泳いで來よう、みんなやって來たら敎へておくれ。 彌生え、、教へて上げるから成るべく近所で泳いでらッしゃい、セシルさんの邪をしないやうにして。 フレデリッキふ、ん、 フレデリッキ、苦笑ひしつ、海岸へ出て行く。 ー・テーブルの所へ來て硫酸の罎を取り上げて見る。眼元 彌生、テーブルを拭きながら何か考へてゐる。そしてティ に意地の惡い微笑が浮ぶ。やがて共の罎を手早く食器棚の中に隱し、テープルを拭き終り、テーブル・クロースを懸 382

10. 谷崎潤一郎全集 第8巻

彌生ふん、さう睨んで内々それを望んで居るのね ? フレデリッキ望んで居ても居ないでも、事實がさうだと云って居るのさ。邪推をしちゃあいかんよ。 彌生お氣の毒様 ! さううまくは行きませんから ! 何と云ったってセシルさんはジャネットを放しッ こないわよ、あの鹽梅ぢや遺産ぐらゐ棒に振ったって驚きやしないから。 遺産がなけ フレデリッキふ、ん、 ( 得意気に笑ふ ) だがさうなるとジャネットの方で何と云ふかな、 りあ喰着いて居たツて無駄だからな。 ジャネットだって本氣で惚れて居るんだもの。 彌生そんな事があるもんか ! フレデリッキ惚れてるだけなら、何もあんなに結婚をしたがりやしないさ。ジャネットの腹は己にはち ゃんと分って居るんだ。 彌生どんなエ合に分って居るの ? セシルさんには慾で惚れて居て、ほんたうはあなたに氣があるツて 云ふの ? フレデリッキまさか、己だってさう己惚れて居ゃあしないさ。セシルの方が男ツ振りもずっと上だし、 己みたいな醜男は疾うに振られちゃったのさ。 彌生ふん、うまく云ってらあ ! 振られたってまだ気がある癖に ! 話フレデリッキうそをつけ ! そりゃあお前の邪推だよ。 夜 ゴランダの上手から、初子がエプロンを着けて出て來る。 本 初子彌ッちゃん、ちょいとお前手傳っておくれ、お茶の支度が間に合はないから。 ぶをとこ 379