、ゝッて、手紙で云って な者を内へ入れとくッて法はない、早く追ひ出しちまって堅儀な嫁を迎へるがい よこすんですよ。ですからたまに東京へ出て來たツて、決して此處へは泊らないんです、いづれ此の間 題ちゃ、晩かれ早かれ親父と衝突する事は分り切って居るんです。 渡邊親類の奴等が馬鹿だッて云ひますが、考へて見ると、我ながら馬鹿だとは思ひますよ、 しかし、あ、云ふ女に引っ懸ったのが災難ですよ、もう斯うなっちゃ離れられッこはありませんな。 一雄僕も始めツから、光子と云ふものを知らなけりやよかったと、つくづくさう思ふ事があるんですが 、と云ふんでもなし、好い女な 渡邊つまり、あ、云ふのが淫婦と云ふんでせうな、何もそれ程器量がい さうかと云 らまだ幾らだって居るんですが、それで居て不思議に男を惹きつけるんですからね。 って、腕が凄いとか、手練手管が上手だとか云ふほど、そんなに悧巧でもないんだけれど、承知して居 て欺されるやうになるんですから。 一雄そこが矢っ張り、淫婦の特長なんでせうよ、欺されるから此方が北いと云ふ事になるんですが、實 を云ふと欺されるのが面白いもんだから、謔かほんとかくらゐの事は分って居ながら、わざと引っ懸っ てやるんですから、 像渡邊さうです、さうです、それを向うぢやほんとに引っ懸けてやった積りで喜んで居る、その喜んで居 ねえ植村さん、さうでせう、さう云ふ事にな 9 遠る様子を見るのが、此方では又可愛くて溜らない。 、水 るでせう ?
ないで居るのは、「いぢらしい」と云ってま心す、、 ~ き駐だらう ? 君に云はぜれば「にいらだ」 と云ふが、に脆いと云ふ事は、少しもあの女をジャスティファイする理由にはならない。山田と別れ ないくらゐなら、なぜキッパリと君を思ひ切らないのだ。「心では君を忘れずに居る」と云ったって、 そんな事が何になるのだ。それは君に對しても山田に對しても惡い事だ。あの女が墮落したのは山田ば かりの罪ではない、あの女自身にもそれだけの缺點があるんだと、僕はつくる、さう思ふよ。 三好そりや、君の云ふ事にも一理はある、理窟から云へばさうかも知れない。しかし僕の此の感情はも と / \ 理窟ではないんだからね。 君に云はせれば、さう云ふ弱い人間は駄目だから、墮落するだ け墮落しろと云ふのだらうが、僕はその弱さに惹きつけられるのだ。君が淺ましいと云ふ所に僕は澄子 さんの美しさや優しさを見るのだ。ほんたうに若し、澄子さんがもう少し情の強い人だったら、僕もこ んなに迄思ひ迷はずにも濟んだかと思ふ。それを思ふと、僕は澄子さんのあの優しさがつくる、恨めし いやうな気がする。なまじ僕の事なんか考へないで、きれいさつばりとあきらめてくれたら、僕も今頃 すさ は疾うに忘れて居られたらうし、澄子さんだってそんなに迄荒んでしまふ事はなかっただらう。山田君 も捨てられないが僕の事も忘れられない、 その矛盾したところに澄子さんの性格があるのだ。僕 にはその心持がよく分って居る爲めにどうしても思ひ切る事が出來ずに居るのだ。君の云ふやうに、山 田君も惡いが澄子さんも惡いと云ふなら、僕だって惡くないことはない。或は惡い第一は僕かも知れな 。僕と云ふものがあればこそ、澄子さんも思ひ切って山田君を愛する心にもなれず、ぐづ / ( 、な生活 をして居るんだとすれば、その責任は僕にあるのだ。僕は君とは立ち場が違ふのだ。僕は澄子さんの墮
しかし、助からないもの 河合どうせ助からないものだから、知らしたって無駄かも知れません、 奥さん、あなたはどうお考へにな だからして、猶更知らしてやる事が、私たちの義務でもある。 ノッキリとは云は るんです ? 今日訪ねていらしったのは、それを黒田君に云ふと云ふやうな、 ないまでも、それとなく知らせるとでも云ふやうな、お考へではなかったんですか ? ただあの、ゆうべ共の話を聞きましてから、何 小夜子私、そこまで考へては居ませんでしたの、 か急に、顏が見たくなったもんですから、 河合知らせるにしろ知らせないにしろ、孰方にしても私たちは辛いのです。その悲しみを避ける事は出 來ないのです。ただ此の場合私たちが考へなけりゃならないのは、孰方がほんたうに黒田君の爲めにな るか 黒田君自身の不幸を少しでも輕くするには、孰方の道を撰ぶがい、かと云ふ事ですね。 假りに知らせないとしたところで、最後まで知らせずに置くべきものか、それとも或る時期が來れ ば、知らせないでは置けないやうになって來るか、 どうせ知らせなけりゃならないんなら、あと一年しかないのだと思ふと、 小夜子ですけれど若し、 さ もう一と月か二た月と云ふ時になって、 一日だって早い方がいゝゃうな気もしますの、 うなってから知らせるなんて、どんなに悲しいか知れませんから。 此れ 夫河合それはさうです、知らせるものなら今直ぐ知らせても、決して早過ぎはしないんです。 の 女から先の一年と云ふものは、黒田君に取っても奥さんに取っても、貴い、大切な時ですよ。大切な時に 彼 今云ふと云ふ事は辛いには辛いけれども、 しなければなりませんよ。僕はさうするのカ 307
いちごん 五平聞き捨てならぬその一言、 お前さまは私にそのやうな考があって、奥方さまのお供に出たと 云はっしやるのか ? 友之丞そちが讎討ちの助太刀をせうと思ひ立ったは、お主の恩に報いるため。 拙者はそれを疑う てはをらぬ。たゞその忠義は、はたで見るほど辛いものではないと云ふのぢゃ。拙者のやうにいとしい 人からは敵と狙はれ、世の中からは爪彈きをされ、何處と云ふあてもなくさまよふ者の眼から見れば、 樂しさうに思はれると云ふのぢゃ。 五平お前様は多くの人に憂き目を見せながら、ようもそのやうなことが云はれる。お前様のやうな根性 のひねくれたお人に、われ / \ の苦勞が分る筈はない。 友之丞したが五平、成る程苦勞もしたであらうが、そちにはそれを慰める術もあったではないか。 ・ : 宇都宮でお國どのが患うた折、そちは心のありたけを盡してまめ / しう看護をした。痒い所へ手が 屆くやうに、かひ \ しう世話を燒いた 五平はて、それがどうしたと云はれるのちゃ ? 友之丞あの時のお身たち二人は、はたの見る眼も羨ましい、仲のよい主從ぢやと、拙者は蔭ながらさう 田 5 うた。 平お國これ友之丞、そなた何を云やるのぢゃ。又しても私に耻を掻かせる気か。 國友之丞 ・ : 夫の讎討ちに出たそなたが、道中でわづらふと云ふは重ねみ \ 不運ぢやが、あの二た月の お 間と云ふもの、窓の下で尺八を吹きながら、拙者はいつもさう思うた、 不運とは云ふが、今頃は つまはじ しゅう 345
事を云ひ給へ、お入り用ならあんな女はくれてやってもい、んだから。 ( 冷やかすやうな口調で云ふ ) はない。お杉が何處までも君の女房として可愛がって貰へる事を望むばかりだ。 梅澤い、や、僕は未練 君、とばけちゃいかんぜ、 ( 次第に激昻して來る ) 自分がさんざいちめて置いて、そいつを こと 人になすり着けて置きながら、今更可愛がれもないもんぢゃないか。ふざけた言を云っちゃ困るよ。 ・ : 自分で可愛がれないものを可 梅澤 ( 涙ぐんで伏し目がちになり、獨り言のやうに ) 君の云ふのは尤もだ、 愛がってくれと云ふのも無理だけれども、 小倉無理だとも ! 全體君あどの面下げてそんな事が云へるんだ。あの女のお蔭でどんなに僕が世間を 狹くしてゐるか、考へて見たら分るちゃないか。日本を喰ひ詰めて支那くんだりまで逃げて行かなきや ならないやうになったのもみんな彼奴のお蔭なんだ。それも相手がもうちっとどうにかしてるならい、 けれど、あんな女と姦通したの何のと云はれて、それでこんなに世の中から排斥されて、今になってか ら君にまでぐづ / 、云はれるやうちゃ僕はましよくに合はないよ。ちっと気を附けて物を云ひ給へ。 梅澤それぢゃあ君はその腹癒せにお杉をいぢめると云ふのかい ? 小倉僕は兎に角内地の奴等の眼の屆かない所へ行って、適嘗に處分してやるよ。 ・ : 僕や玉枝はどんなに 梅澤 ( いろりと涙を落す ) 君、そりゃああんまりだ、あの女には罪はないんだ、 罪を受けてもい、が、あの女は何一つとして惡い事はしてゐないんオ 僕が貧乏鬮を引いて一 小倉 ( 梅澤の態度に驚かされて一層憤激する ) してゐないからどうしたと云ふんだい ! ・ : 何だい君あ、男らしくもない ! 人で罪を背負へと云ふのかいー 僕あそんな事は眞っ平御免だ はら、 ミ ) 0 458
小倉 ( や、、機嫌を直す ) そいつが分ってゐてくれりゃあ何も云ふことはないん / カ 。こ ' 、、業は君からそんな事を 云はれる筋はないんだからね。 今更君を掴まへて愚痴をこばしても始まらないが、君は今ちゃあ さうやってゐるけれど、兎に角さんざ面白い目を見て來たんオ 梅澤僕はそれだから滿足してると云ってるんだよ。 小倉だけども君、僕はどうだい ? 僕は決して滿足しちゃゐないんだよ。君と取引はしたけれども、此 れはと思ふ樂しみをしたんぢゃないんだからね。 梅澤けれどもそれは、 小倉それは君の責任ではないと云ふんだらう、そんな事あ當り前さ。僕が相場に手を出してその金をす ってしまったからって君の知った事でないのは分ってゐるさ。だから僕は愚痴だと云ふのさ。けれども 君に金を貸せなんて云はれるとつい云はないでもい、事まで云ひたくなるんだよ。 梅澤ぢゃあ此の頃は、君は遊んでゐるのかい ? 小倉うん、仕方がないから上海へでも行かうかと思ってゐるんだがね。 梅澤上海へ ? 小倉うん、もう内地ちゃあ僕も八方塞がりだから、土地が變ったらちっとは何か面白い事でもありやし ないかと思ってね。鈴木洋行の支店の方へ今度やう / 、這人れる事になったんだよ。 梅澤鈴木洋行ってあんまり聞いた事のない名前だね。 小倉どうせロクな會社ちゃないだらうさ、僕なんかを雇はうって云ふんだから。 それでも僕はや 456
それはあなたの爲めを思ひ、澄子さんの爲めを思った結果でもあるのですが、しかし何よりも僕自身の 爲めでした、僕の爲めにさうしなければならない事を感じました、僕はその點に於いて、一種のエゴイ ストだと云はれても仕方がないのです、僕はあなたの云はれるやうな聖人ではないのです。 山田そりやさうだらう、何ば何でも人の女房を取って置きながら、まさか聖人だとは云はれなからう、 僕はそんなしち面倒臭い理窟なんか聞きたくないんだ、そんな事よりか一體あなたは、誰が惡いと云っ てるんだ ? 詑りに來たと云ひながら一體何をあやまってるんだ ? 理窟は拔きにしてもっとハッキリ 云ったらよからう。 三好ま、どうかさう怒らないで下さい もう少し靜かに物を言はして下さい。あなたはさっき、澄子さ んが孰方をほんたうに愛して居たか、孰方に忠實だったかと云ふお尋ねでしたから、僕はそれに答へて ゐるのです。僕の云ふ意味は詰まり孰方にも忠實だった、僕を愛して居ればこそあなたをも愛して居た、 もっと突っ込んだことを云へば、僕が澄子さんに對する愛をあなたの上に轉じたやうに、澄子さんも僕 に對する愛を以ってあなたを愛した、 山田ふん、ぢや僕はあなたの身代りになった譯なのか。 : なぜならそれは、 三好 澄子さんがあなたを愛する事は、澄子さん自身の感情でもあり、同 そ 時に僕の感情でもあったんですから、 す山田有り難う、さうなって來ると、僕はあなたに御禮を云はなきゃならないんですね。 愛 三好僕が若し、今云ったやうな考へ通り自分を導いて行けたとしたら、或はあなたからお禮を云はれて 101
實は私はもう何もニ 1 ナの事を云びたくないのだ、云へばお前に笑はれるだらうし、又笑はれても仕方が 自分でも自分の馬鹿らしい事は分ってゐるのだ。どうせ私の役廻りはいつも道化役に極まっ てゐる、女にかけては年が年中三枚目だ。と、さう云ったらお前も大概察しがついて、聞かないうちから 私のしょげた顏つきを見て吹き出すだらう、 お前のクスクス笑ふ聲がちゃんと私には聞えて居るよ。 だから猶更何も云ひたくない、「萬事お前の推量に任せる」と、まあさう云って置きたいところだ が、毎度の事で別に珍しくもないのだから極まりの悪いのを我慢して打ち明けてしまへば、あのニ 1 ナと 云ふ女には男があったのだ。勿論それだからどうと云って、私が彼女に不服を云ふ筋は少しもない。ない からます / 、馬鹿々々しい話なんだが、一と口に云へば私が獨り相撲を取ったと云ふ事になるのだ。 ニ 1 ナは毎日午後になるとおめかしをして何處かへ出て行った、 それが今考へると、男の所へ通っ てゐたのだ。それを氣が付かずにゐるなんて全く迂濶なやうだけれども、何しろその男と云ふのが一度も 影を見せないんだし、私としてはついあの女を自分の妄想に都合のい、やうに考へたかったもんだから、 いつの間にか獨り者だらうと思はせられてゐた譯なのだ。のみならず、あのゲイティ 1 座へ行ってから以 後私はたび / \ ニ 1 ナと一緖に散歩にも出たし、話をする機會もあったのに、彼女は一遍もそんな素振り を見せなかった。尤も自分に男があると云ふ事を、私が改まって尋ねでもしたら知らないこと、何も殊更 ア 云ひふらす必要はないかも知れない。しかしそれにしてもけぶりぐらゐは見えてもよさ、うなものだった。 マ 或は見えてたにも拘らず、私の方の眼が肓んでゐたのかも知れない。 ア と、此處まで書いて來ると、もう少し極まりの惡い所まで白从しなければならなくなったが、實のところ、 555
しかし、山田に愛がないと云ふ事は 外の事は兎に角として、それだけはどうも我慢がしがれる。 愛してさへくれるなら、惡人であっても構はないし、監獄へ人れられようとどうしようと、自分は何處 までも喰っ着いて行く、場合に依ったら自分も一緖に墮落してもい、。けれど愛されても居ない上に、 大猫同様に扱はれて、たまに歸って來ると外の女を連れて來ては、その女の前で自分を打ったり蹴った りする。それもい、が、此の頃では自分を玉に使っていろノ \ な惡い事を企らんで、いやだと云へば威 す 嚇かしたり賺かしたり、それでも承知しないと散々責め苛んでヒドイ目に遭はせる。「私は自分が罪人 になるのは仕方がないとして、その爲めにお亡くなりになったお父様や、お母様やお兄様に御迷惑を掛 」と、まあさう云って話すのだよ。 けるのが、死んでも申譯がないやうな氣がして、 しかし、さう云ふ風だと實際は刑 圭之助今になってそんな事を云へた譯でもないと思ひますが、 事の話よりもっと非道い事があるかも知れませんね。あれでも刑事はいくらか遠慮して居たのかも知れ ない。何かよっほど見るに見かねた事でもなけりや、あ、して態々やって來る筈はないでせうから。 あの子があゝ云って來るくらゐだから、 牧子そりや、澄子にしても泣いて私に話すくらゐだから、 外にもいろ / \ 云ふに云はれない譯があるに違ひないさ。 圭之助それで、たゞそれだけの話をしに來たと云ふんですか。 そ 此方の出様一つ 牧子ま、最初の當人の考へでは、一往話を聞いて貰って、私の方で何と云ふか、 すで自分の腹を極める積りで居たらしいんです。あれとしてはお腹ちゃいくら後悔して居たにしろ、今更 こと 愛 「お母様やお兄様には、今まで大そう御心配 あまり勝手な言も云へないと思って居るだらうし、 ほか
兩人無言、猶も彼女の様子を見守る。 會っていろ / ( 、話を聞いて見ましたが、さっき刑事の云った事はみんなほんたうだと見える 牧子 ね、澄子もそれでまあ今度はよく / \ だと思ったのか、今朝も山田と大分激しい云ひ合ひをして、何で そんな事だって、今までつひぞ話したことなんぞなか も體中を二三箇所とか打たれたさうだが、 ったんだけれど、今日は珍らしく何も彼も打ち明けてね、で、まあ、私に會ひたくなったもんだから、 こっそり内を拔け出して來たと云ふ話なのさ。 どうしたと云ふのです ? 圭之助 ( 念を押すやうな口調で ) で ? わたし 牧子私もいつもとは違ふから、「さうお前のやうに、 たゞ喧嘩をしたから逃げて來たとか、會ひたくな ったから會ひに來たとか云ふだけの事ぢや何にもならない。それぢゃいつだって同じ事だし、そんな事 ばかし繰り返して居るんぢや、私の方でも眞面目で聞く莱にはなれないから、お前にしつかりした考へ があって來るのでなけりや、もう會ひに來てくれないがい、」って、よくさう云ってやったんですよ。 するとどうしたのか急にほろ / \ と泣き出したりしてね、刑事の來た事なんかも話してやらうか と思って居ると、それを嘗人の方から云ひ出して、實はそんな事があるので、自分も今度と云ふ今度は 考へて居る。自分も今日までは、山田の爲めに盡すだけの事は盡して來た、もとイ、あ、云ふ行き掛り で一赭になった事ではあるし、世間に對する意地もあるから、今更うちへ歸れた義理ぢゃないと思って、 隨分出來るだけは我慢をした。山田が自分を愛して居ないと云ふ事も疾うから分って居たんだけれど、 誰に訴へる術もないので、とても口には云へないやうな侮辱を受けながら、じっと今日まで堪へて居た。 こら