くれで世間が相手にしてくれない。だがまあ外に仕方がないから書いてゐるんだ、 食って行かれないから。 「でも日本人はさうして食って行けるからい、。私たちのやうな外國人の藝術家は : さう云ってニ 1 ナは眉を曇らせる。 : 日本に居るとほんとに生活に困ってしまふ。それにまあ此の國の物價の高い事と云ったら ! 」 そしてチョッチョッと舌打ちをして、仕方がないから近いうちに上海へ行くつもりだと云ふ。いつ行くの だと云へば今年の秋のつもりだけれど冬になるかも知れないと云ふ。きっと彼女は行きたいには行きたい のだが、金がないので動けないのだ。 「お前とミセス・とはどう云ふ關係なのだ」と聞いても、彼女はハッキリした事を云はない。「あの人 と私とはベトログラードにゐた時分からの友達だ」と云ふだけである。そして「自分は露西亞人だがあの 人は伊太利人だ」と云ふ。何でも二人は一二年前にシベリヤから來て、ほかの二三人の露西亞人と共同し て此の家を借りたものらしい。それが今では二人きりになり、がらんとした廢屋のやうな中に私と三人で 住んでゐるのだ。 「私たちが上海へ行ったら、お前が此の家を全部借りたらい、だらう。近所は靜かだし、廣い部屋が六つ ア もあるし、古びてはゐるが設備は萬事整ってゐるし、お前のやうな詩人が住むには持って來いの家ぢゃな マ 。 , いか。そして家賃はたった八十圓だよ ! 若し此の家が新しかったら二百圓の値打ちはたしかにあるの ア ・ : 書かないちゃあ 519
して見ちゃあなんねえッて。 角太郎あは、、、村の奴等はみんな何にも知らないんだ。ありゃあ狐ちゃあないんだよ、 ちゃん、お前にだけは己あ内證で敎へてやるがな、あれはほれ、稚兒が淵の崖の上のな、あの別莊に泊 まってゐる西洋人の女なんだよ。 お小夜 ( 悲しげに角太郎を見る ) うそだあよ角ちゃん、あの異人さんが今時分こんな所へ來る筈はねえ。角 ちゃんの氣の迷ひだあよ。 角太郎西洋人と云ふ者はね、人にお湯へ這人るところを見られるのが嫌ひなんだよ。だから今時分、だ あれも居なくなってから此のお湯へやって來るんだ。 お小夜だって、あの別莊にはお湯が引いてあるんだもん。こんな所へわざ / 、這人りに來ねえだって、 角太郎でもあの人は惡い病氣にか、ってるんだよ、その病氣が此處のお湯へ這入らなけりゃあ直らない もんだから、そうッと人に知れないやうにやって來るんだよ。村の奴等あだあれも気が付かないんだけ れど、己あちゃんと知ってるんだ。 お小夜 ( 半信半疑になる ) それを角ちゃんはどうして知ってゐるだあよ ? 角太郎あの人はな、己の奉公してゐた店のな、直き近所の古い大きな西洋館に住んでたんだよ。 : そこの家にはまだ二三人異入の女が住んでゐてな、夜になると紅い あ、、己あよく知ってゐる、 : だけどあの人はそれから病気に 着物や白い着物を着て、みんな綺麗にお化粧をしてゐるんだよ。 486
短き間。ダンス一旦止み、再びフォックス・トロットになる。 アレキシフ ( その場を取りなすやうに ) 彌生さん、あなた私とダンスしますか ? 彌生あなたと ? あなたがダンス ? アレキシフあは、、、 、冗談です、冗談です、 彌生冗談で幸ひだわ、あなた見たいなお爺さんとは此方でも眞ッ平だわ。 ( 奥の間を覗いて ) フレデリッキ さん ! さあ、今度は私とやる番よ。 フレデリッキイエ 1 スウイズプレジュア。 彌生奥の間へ去り、フレデリッキを擁して踊る。 ジャネットセシル まあ何をしてるの ? 好い加減に出ておいでよ。 セシル默って奥の間へ行く。ジャネット彼を迎へて立ち上り、直ぐ踊り始める。 アレキシフ ( 初子の傍 ~ 戻って來る ) 奥さん、彌生さんあなたと大へん違ひますね。私あの人、あなたのき ゃうだいのやうに考へません。 あの人は私の妹ですけれど、あの人と私とはお父様が違ふん 初子それはさうかも知れませんわ、 ですから。あの人のお父様はポルチュガルの人なんです。 話アレキシフお、さう ? あの人のお父様ポルチュゲー ? 夜 牧初子え、。 本 それで分ります、あの人あなたと大へん違ひます。あなた アレキシフさ、つ、さ、つですか 361
だわ。きっと心細いだらうと思ふわ。 彌生そりやさうかも知れないけれど、あんまり親切にしてやらない方がよくってよ、圖に乘って仕様が オも力、り ( パイを喰べ終って、ゴランダに腰かける ) 姉さんは氣が付かないやうだけれど、アレキシフ は姉さんが好きなのよ、それでちょいちょいやって來るのよ。 初子まさか、 そんな事があるもんぢゃない。 彌生 いゝえさうよ、呼びもしないのに人の家へのこのこやって來るなんて、づうづうしいッたらありや しない。今度來たら默ってておやりよ。 初子だってお前、私にはそんな氣の強いことは出來ないんだもの。 彌生ふん、姉さんは駄目ねえ、 日本の女はみんな意気地がないんだから、 初子でもアレキシフさんなんかまだ好い人だわ、本牧には惡い西洋人が澤山居るんださうだから。 ー此の間も刑事さんが來て調べて行ったさうぢゃないか、大分此の近邊には西洋人の惡い人が居て、娘 たちを欺したりするもんだから、風儀が紊れて困るとか云って、 彌生へえ、さう ? そんな事があったか知ら ? 私知らないわ。 初子何でも西洋人だと云へばお金のある立派な人だと云ふ風に思って、しろうとの娘たちがつい欺され 話て、慰み物にされるんだって、 牧彌生 本 初子 ( 低い聲で ) ねえ彌ッちゃん、 : こんな事を云ふと又怒るかも知れないけれど、 お ほ ん 365
( タイトル ) 當麻酒入 ( 挿人 ) 酒人 o 、、前方を視つめる。 〔第百四十一場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 酒人の眼より見た眞女兒等三人。豊雄と眞女兒立ち上り花の香をかぐ。 〔第百四十二場屋外吉野山 ( 瀧壷附近の森 ) 」 酒人はちっと眞女兄の様子を眺めて、眉をひそめ前方へ歩み行く。 〔第百四十三場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 眞女兒等三人石の上に腰かけ、侍女は辨當の支度する。 〔第百四十四場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 かをり 香をかいでゐる豐雄と眞女兄 0 、、「まあい、香ですこと」と云ってゐる處。 〔第百四十五場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 三人が入れるだけの場所。やがて三人は、侍女が持って來た檜割子をひらいて辨嘗を喰ふ。 〔第百四十六場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 たぎまのきびと 當酒人、森の中より顏を出して不思議さうに前方を見つめる。 ひわりご 186
侍女 o 、、酒人の方を横眼でジロジロ見ながら怪しき微笑をもらし、呪ふが如き眼付をする。 〔第百五十三場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 丿ジリと後へ下り、一方の袖をかざして顏を 眞女兒酒人の顏を執念深く見つめながら齒をくひしばってジー 隱し侍女の側へ寄る。 〔第百五十四場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 眞女兒と侍女 0 、、眞女兒侍女に眼くばせする。侍女ふりかへって一寸酒人の方を見、同じく袂で顏を 隱す。 〔第百五十五場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 酒人 o 、、眞女兒等をにらみつけ「おのれまだ正體をあらはさぬか」と聲を勵して云ふ。 〔第百五十六場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 豊雄 0 、、驚き呆れて酒人と眞女兒の方を見る。 〔第百五十七場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 四人を一杯に入れる。眞女兒と侍女片膝立て、共の上へ面を伏せ、兩の袂で顏を隱し、ワナワナとふるヘ る。豐雄は恐れ惑うて尻餅をつきながら後 ~ さがる。酒人立ちあがり杖をあげて二人を打たうとする。二 人はやはり顏を隱したま、膝でスルスルと前方へ歩み行く。 ( 此の擧動の間二人はなるべく蛇の様に全身をウネウネ 波うたせる事 ) 〔第百五十八場屋外吉野山 ( 瀧のある處 ) 〕 188
彌生私には又、日本人の氣持の方が分らないわ。妙にいちけて居て、陰險で様子振ってばかり居て ! ほんとに日本人くらゐ厭なものはありやしない ! 私どんな事があったって、日本入の所へなんかお嫁 に行っちややらないから、 初子だって、お前にしたって西洋人と云ふ譯でもないぢゃないか。 彌生さう云へばフレデリッキだってさうよ、あの人の。ハ。ハは日本入なんだから、私と同じ事だわ。 初子だけれどね、フレデリッキさんはあゝ云ふ如才のない人だから、そりやお前に對しても滿更ではな いやうに云ふけれど、事に依ると外にもまだ好きな人があるんぢゃないかね。あの人は私、ジャネット さんに気があるんちゃないかと思ふよ。 彌生そりゃあの人は浮氣だからそのくらゐな事はあるでせうさ、あったって私や構やしないんだ、どう なあに、、 p くらジャネットに気があっ せ浮気をするくらゐな男でなけりや面白かないんだから。 たって、ジャネットの方でフレデリッキを嫌ってる事は、ちゃんと私には分ってるのよ。ジャネットに はね、 姉さんにはお気の毒だけれど、もうレッキとした入が、お前さんの旦那樣が附いて居るの よ。セシルさんはとうからあの人とをかしいんぢゃないか。ほんたうに姉さんは入の世話を燒く暇があ ったら、自分の亭主を取られないやうに氣を付けるがい、。 話初子彌ッちゃん、お前そんな事を云って、何か證據でもあるのかい ? 牧彌生證據なんかなくったって、大概様子で分りさうなもんだけれど、 本 い」頓間よ 0 : それが分らなけりや餘ッほ 367
巡査あ、、さうですか、それでよく分りました。では此のハンケチはそちらへお返し申します。 白人の女 ( 横柄に默って受け取り、紳士を見ながら ) レット、アス、ゴウ、 ( 巡査に ) 左様なら、 巡査左様なら。失禮しました。 白人の女、再び紳士と腕を組みつ、、老婆を連れて上手の山路へ去る。三人ぼんやりして後を見送ってゐる。短き やがて、遠くの川上の方に一點の灯かげが見え、倣かに叫ぶ人聲が聞える。 人聲おうい、みんな此方へ來いよう ! 角ちゃんが死んでゐるだよう。 お小夜え ! 角ちゃんが死んでゐる ? 云ひながら夢中で川の中へ飛び降り、川上の方へ走って行く。巡査と母親績く。 ノッキリ聞える ) お、つ、 人聲 ( 灯かげと共にや、近くなり、、 早く來いよう ! 角ちゃんが死んでゐるだよう , 稚兒が淵に死體が浮かんでゐるだよう ! 三人の姿が川上の方へ次第に消えて行く。 ( 幕 ) 502
、え : なぜ ? 初子 彌生でもね、そんな事で心配したので、それが體に觸ったんぢゃないかと思ふから。 初子なあにあたし心配なんかしてやしないよ、 心配したってなるやうにしかならないんだから。 彌生それぢや姉さんは、もう仕方がないと諦めて居るのね ? 初子彌ッちゃん、その話は止しておくれ、私はもう何も考へない事にして居るんだから。 人はど うでも、自分さへ正直にして居ればいゝんだよ。さうすれば神様がきっと救って下さるだらうから。 彌生ふん、よくそんな事が云ってられるわね。姉さんだって私だって、 みんなジャネットが居る からなんだ。セシルさんもフレデリッキも、何處がよくってあんな女に大騒ぎをするんだらう。 初子さう云ったって仕方がないやね、ジャネットさんはあの通り器量よしなんだから。 彌生あんな女は西洋人にはザラにあるわよ。 初子だけど、 あの入たちにはその西洋人のところがい、んだよ。 ほんとにまあ、西洋人と云ふ者 はどうしてあんなに綺麗なのかしら ? 色が拔けるやうに白くって、姿がよくって、 私なんか耻 かしくって側へも寄れやしない。 彌生西洋人だってあれは生れが卑しいのよ。 初子そんな事はよく知らないけれど、何でも亞米利加人ださうぢゃないか。 彌生亞米利加入だなんて嘘なのよ。スカレット・ホテルのお上さんの兒だって云ふけれど、ほんとの兒 だかどうか分ったもんちゃありやしない。きっと上海あたりから買はれて來たんだわ。 384
アゴ・マリア House tO let. 6 rooms. furnitures can be sold separately. そんな文句が出されてからもう五六日になるのだが、一度亞米利加の若い紳士が二三人づれで見に 來たばかりで、それきり一人もやって來ない。その亞米利加人等が來た時のこと、ミセスとニ 1 ナとは下 へも置かぬゃうにして、「ミスタ・エモー エキス、キュ 1 ス、ミ 1 」と云ってちゃうど私が書き物をし てゐた書齋の中へ這入って來て、二た間っゞきのその室を見せ、階下や階上の部屋々々を隈なく案内し、 臺所や、バス・ル 1 ムや、別棟になってゐるコックやアマの日本間などへも連れて行って、それから食堂 でお茶の御馳走をしたりしながら長い間しゃべくってゐた。 「あの亞米利加人はきっと此の家を借りるだらう。 お前が借りないもんだからとう / \ あの人たち に借りられてしまふよ。」 客が歸ってからミセスはいつになく嬉しさうにそんな事を云ったりした。 「それぢや借りる事にきまったのかね ? 」 「まだ極まったといふ譯ちゃない、明日中に返事をするって歸ったけれど、大變氣に入ったやうだったか らきっと借りるだらうと思ふの。」 「えゝさう、きっとあの人たちは借りるわ。」 と、ニーナも傍からロを添へて、何となくソハソハしてゐる様子だった。 「さうなると私は此處を引揚げなけりゃならないが、 お前たちも上海へ行ってしまふんだらう ね ? 」 527